【11/25】私は霊力の証(あかし)を見た 奇跡の心霊治療 (4)そして奇蹟

エドワード・ジョージ・フリッカー氏は中年の小太りの紳士だった。ミスター・フリッカーと呼ぶ人もおれば、愛称のテッドを使う人もいた。言葉つきから生粋のロンドン子のようで、性格も陽気だった。私が杖を片手にやっとの思いで治療室に入ると、温かく私の手を取って迎えてくれた。

治療室といっても元は台所だった小さな部屋だ。ゆかには部厚いカーペットが敷いてある。片隅には手洗い水とタオルと香料のアロマ(消毒用)が置いてある。家具といえば肘かけ椅子が1つと低いスツール(背もたれのないイス)が2つ、それにレコードプレーヤー付きのラジオくらいなもので、そのラジオの上に木製のサラダボールが置いてあり、その中に紙幣や硬貨が無雑作に入れてある。

壁には良いのか悪いのか判別しかねる古い絵画がやたらと掛かっている。そのほかキリストの磔刑像やロザリオ付きのダビデの星といった聖像の類いがあちらこちらに置いてある。

さて私がやっとの思いでスツールに腰を下ろすと、もう1つのスツールにフリッカー氏が腰かけて「どうなさいました」と尋ねた。私は胸にたまっていた思いを吐き出すように一部始終を語った。氏はそれにじっと耳を傾けてくれた。私が語り終ると、「コートを脱いで」とだけ言った。

「あなたは信仰治療家ですか」と私はコートを脱ぎながら聞いた。「少し違いますね」「じゃ、あなたに対する信仰は要らないわけですか」「あなたが信仰心を持とうが持つまいが、私には関係ありませんね。私は私なりに必要な信仰を十分もっていますから」

コートを脱ぐと、立つように言われた。立ち上がると左手を私の腹部に当てがい、右手を背筋にそってかるく上下させた。間もなくその手が例の脱出した円盤のところで止まった。そのあたりは合成樹脂で出来たコルセットがあるのだが、その上からピタリと悪い箇所を探し当てた。肌に直接届くにはドリルがいるところだ。

氏はそのコルセットも取るようにと言った。取るのは大変だったが、氏も手を貸してくれた。取りはずしたあと再びズボンとシャツを着ると、氏はさっきと同じように左手で腹部を押さえ、右手を脊柱にそって上下させながら、円盤のところだけは横にもさすった。

たださするだけである。ネコでも可愛がるようにかるくさするだけで、ほかには何も操作はしない。しばらくすると右のヒップの方まで手が伸びた。マヒしかかっている箇所だ。

こうした治療が何分続いたか、私は知らない。奇蹟を祈る気持と、あまりに単純な治療方法に幻惑されて、私は時の経過を一切意識しなかったのだ。むずかる子を母親が“よしよし”と言いながら撫でてやる、あの優しい手つき以外の何ものでもないのだ。これで本当に治るだろうか。そんな気持が去来していたのである。

が状況から判断して、せいぜい10分ていどだったと想像される。あとで知ったのだが、どの患者もみなその程度で、それ以上かかる人は滅多にいないとの話だった。むしろそれより短い時間の人もいるらしい。そのわずかな時間のために何時間もあの待合室で待つのだ。

今思うと、その時がまさしく私の人生の曲り角であった。痛みが確かに薄らぐのを感じた。私は当惑すらした。2年近くも激痛に悶えた。挫折感と不快感に苦しめられて、やっと今、自然な、そしてラクな気分に浸っている。それがただ手のひらを数分間上下にさすっただけなのだ。私は思った。今日は何も聞くまい。ただこの幸福を有難く享受しよう。なぜ治るのかは後で考えよう、と。

治療を終えると、フリッカー氏は別の部屋へ行って、大きな茶色の用紙を手にして戻ってきた。何をするのかと思っていると、鼻歌まじりで私のコルセットを包みはじめた。

包み終ると顔一面に笑みを浮かべながら「さあ、これを持ってお帰りなさい。杖は置いて行かれてもいいです。帰ったらベッドの板をはずして普通に寝てよろしい。そして来週もう1度いらっしゃい」と言う。

私が呆気に取られながら部屋を“歩いて”出た。それと同時に次の患者を呼ぶベルの音が聞こた。そして私と同じようにフリッカー氏に温かく迎えられていた。一体この人は何者なのか。10分間に1つの奇蹟を起こす、文字どおりの“奇蹟の人”なのだろうか。

いま“部屋を“歩いて”出た”と書いたのに注意していただきたい。私は立派に歩いて出たのである。杖にもたれてやっとの思いで足をひきずったのとは違うのだ。右足が少しばかり痛む。腰もわずかながら痛む。ヒップもまだ左右がずれている。

が、立派に歩けるのだ。足どりもしっかりしている。首筋をまっすぐにして普通に歩ける。私は、紙包みとステッキを小脇に抱え、颯爽とフリッカー治療センターを出た。奇蹟だ!奇蹟が起きたのだ!

ハワード通りにはタクシーはない。例のアンサンブルの可愛らしい助手が電話でハイヤーを手配してくれていた。その助手は私の足どりや姿勢が良くなったことに別段おどろいた様子も見せなかった。事実、彼女にとっては日常茶飯事なのだ。

やがて到着したハイヤーの運転手はこの治療所専門に客を運んでいる人だった。私がいま起きたばかりの奇蹟の話をすると「それくらいのことは毎日起きてますヨ」と、これまた当たり前といった表情で言った。そして夕方のラッシュの中をビクトリア駅へ向けて車を走らせた。

デコボコ道がある。急ブレーキをかける。左右に折れる。信号で停車する。また発車する。そうした動きが私に何の痛みも与えなかった。1時間前にタクシーで来た時は、ちょっとした動きでも死ぬほどの痛みを感じたのだが…

ビクトリアまで30分かかった。ドンキホーテよろしく、私の頭にはさまざまな思いがとりとめもなく去来した。が1つだけはっきりしていることがある。それは、からだがすっかり良くなったということだ。信じられないほど良くなった。しかも10分足らずさすってもらっただけで…一体何が起きたのだろう。いつかその原因を追求しよう。そう心に決めたのだった。

ビクトリア駅で鉄道に乗り換えた。列車の座席に坐って、またしても回復のすごさに驚いた。実にラクに坐っていられる。まるで列車はカーペットの上でも走っているみたいに感じられる。

ヘイワーズヒースに着いてホームに降り立つと、妻のジーンが待っていた。紙包みとステッキを小脇に抱えて近づく私の姿を、妻は驚きと嬉しさと呆気に取られた様子でしげしげと見つめた。2人とも言葉が出なかった。溢れる感激が言葉をさえぎるのだ。

妻の運転する車に私は軽々と乗り込んだ。乗ってすぐ妻の頬にキスをした。そこでようやく言葉が出た。「さ、帰ろう。帰ってからゆっくりと話そう」

■2021年6月2日UP■
「長持ちさせようとは思っていません」霊団の言葉ですが、全然そうなってないだろ(祈)†
「ピーチピチ(佳子)の発言にばかり注目するな」と霊聴に言ってきたのですが、これは霊団から皆さまへの警告と思われます。つまり「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁がパレットから奴隷の女の子を購入し続け四肢切断、強姦殺人し続け死肉を食べ続けている邪悪の真実、ピーチピチ(佳子)は奴隷の女の子たちと全く同じ手法で文仁が赤ちゃんの時に美人から盗んだ女の子であり、文仁、紀子と1ミリも血がつながっていない「赤の他人」であるという真実、そして奴隷の女の子たちの存在、悲劇の実情に国民の注目、関心が集まらないように「視点外し」のニュースを休みなく流し続けて国民が真実に目覚めないようにしている、つまり(どういう経緯かは僕にも分かりませんが)ピーチピチを逮捕とか言っているのも要するに「視点外し」で、国民の注意関心および議題を問題の本質から逸らすのが目的という事です…続きを読む→
■2021年7月7日UP■
「これから起こる事の大変さに比べれば」現在の僕の苦しみなど取るに足らないという意味です(祈)†
実はバーバネル氏が1回だけ僕の肉の口を使って言葉を発した事があるのです。なぜ過去ブログでその事を書いていないのか、それは書きたくなかったからです。なぜならその時、僕は事情があって大泣きしていたのです。2014年1月だったかな。僕はあふれる涙を抑える事ができず号泣していました。その時です。僕の口から、思ってもいない、考えてもいない一言が飛び出したのです。最初はなぜ自分がそんな事を言ったのか理解できませんでしたが「あ!バーバネル氏が僕の肉の口を使って言わせたんだな!誰がそんな事言いたいって言った!チクショー!」と気付いて、それがショックでさらに号泣した、という事が1度だけあったのです。つまりバーバネル氏はたった1回ではあるものの僕の肉の口を使って日本語を発声する練習はしているという事になるのです…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†