ほとんど回復の兆しがありませんがとにかく永遠はありません、必ず回復しますから耐えて待つしかありません。僕は過去、山で負った傷の中でもっとも大きいモノで、背中に木段の手すりのネジの突起が突き刺さって大出血、膿がドバドバ出まくるというケガをした事がありますが、それも長い時間がかかりましたが自己治癒させています。

縫っていない、病院に行かずに治したという事です。背中ですから手も届かず薬も塗れません(もっともAmazonで見てみると背中に塗り薬を塗る道具とかが売られたりしていますが)現在は完全に傷口が塞がっており、その部分がかゆくてまごの手でかいたりしますが、血が出るとかそういう事も全くありません。

あれほどの重症もこうやって完治しているのですからこのあばらももちろん完治します。ふとんに横になったり寝返りを打とうとすると記憶が飛ぶほどの痛みに襲われますが、もう少し耐えれば少しラクになるはずです。左あばら部分が少し腫れている感じでしたが今はもう腫れていません。良いイメージをもっていきましょう、そうすれば回復が早まります。

「心霊と進化と」テキスト最終見直し続行中です。20%完成中といったところ。ウォーレス氏の文章は学者らしく固くて理屈っぽい文体で、僕はこういう文章は好きではありませんが、近藤千雄先生の訳し方がうまいからなのでしょうか、割とすらすら読み進める事ができます。

平易な文章というのは偉大です。僕の初期の頃のブログの文章などは撃った自分ですら読み返したくないようなヒドイものですが、経験を積んで(画家時代からブログをやっていましたから正味12年以上になります)少しはマシな文章を撃てるようになっていると思いたいですがさぁこればっかりはどうでしょう。

フラー26キャラを完成させる事に集中しましょう。このキャラはフラー25のちょうちょちゃんみたいに3段変形とか複雑なギミックはありませんので何とか描けると思います。カラーコンセプトだけは決まっています「チョコミント」です。カラーリングUPの時に改めてお話させて頂くとしてまずは作業続行中(祈)†

「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†■2022年6月22日UP■
「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†
撮影中ずっと話しかけていたので結構疲れましたが、長い撮影を終えて「ゴールタイムが遅れるからもう帰るわよ♪牛ちゃんまた来るわよ♪」と言ってデジ一眼をザックにしまっていると、牛ちゃんが僕の動きに合わせて大移動を開始。僕が帰る方向にずっとついてくるのでした。そして柵の一番端まで来てそこでたくさんの牛ちゃんが群れながら僕を見送ってくれたのでした。僕は少し感動しつつ牛ちゃんに声をかけながら手を振ってお別れし、ゴールの駐車場に急いだのでした。僕は物質界では徹底的にヒドイ目に遭わされながら生活しています。霊団に完全に人生を破壊され心の中は怒りでイッパイの状態で使命遂行していますが、今回のアタックでは牛ちゃんたちのおかげで少し心が安らいだのでした。牛ちゃんは霊界の人間(霊団)と違って優しかったです…続きを読む→
「イエスからの贈り物」これは帰幽後のお話で物質界人生は最悪という意味なのです(祈)†■2022年7月6日UP■
「イエスからの贈り物」これは帰幽後のお話で物質界人生は最悪という意味なのです(祈)†
これはまるでイエス様からの、アキトくん、ここまでよくやった、おつかれさま、という終了宣言のように聞こえます。そんな事でいいんですか、あなたたちのやる気はそんなもんですか、しょせんあなたたちは霊界上層界の人間であり、最低界である物質界がどうなろうと知った事ではないという事ですか。物質界と霊界上層界はつながっていて、物質界の無知が霊界に反映されるようになってしまって「このままでは大変な事になる、何としても大胆な手段を講じて物質界に霊的知識を普及しなければ」という事になってスピリチュアリズムを勃興させたのではないのですか…続きを読む→
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†■2022年7月20日UP■
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†
【神】から神性の火花を賜って個的存在を獲得した僕たち人間は「永遠の存在であり死はありません」僕たち人間は物質界生活後も霊界で霊的表現媒体をまとって永遠に生き続けるのです。その永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界生活中に善いおこないをするか悪いおこないをするかによって、その後の人生に天と地ほどの差が生じます。皆さま、このふたりの人間、どちらが【かしこい】と思われますか。先ほど、王の生活をうらやましいと思う事が、霊的知識の無知から導き出される愚劣の極致の発言と書きました。近視眼という事です。どちらの人生が僕たちの歩むべき人生だと思いますか。もっと言いましょう【神】は僕たち子等に、どちらの人生を歩んでもらいたいと望んでおられると思いますか…続きを読む→

眠くて何度も意識が飛んで首がガクガク下に落ちながらも作業続行して、フラー26のキャラのカタチが少し見え始めてきました。もう少しクロッキー上で煮込みをおこなえば設定資料の線画を描き始められそうです。今回のキャラも一応“インナーフレーム”での変形となります。(※フラー21(イチゴちゃん)フラー22(ワンちゃん)フラー23(フランちゃん)に採用した変形ギミック)

で、霊団が降らせてきたインスピレーションの意味をずっと考えているのですが、これまでの11年間の人生破壊がありますので、その霊団の言葉も僕には軽薄に響き、どうにも逆説的フェイクのような気がしてなりません。

霊的な事は理屈をこねくり回さず幼子のようなまっすぐな心で仕事をするのがもっともよい結果を招来するものですから、言われたとおりに信じればいいのでしょうが、これだけ人生をブチ壊されている状態であぁそぉですかと単純に解釈はできません。

僕本人がこれほど心の底から猛烈にイヤがっているのにその僕の意思を完璧に無視して最悪のところに閉じ込める事に全力をつぎ込み続けている霊団ですから、当然そのインスピレーションの裏に“僕を閉じ込め続けよう”という意図が隠されているはずだと考えるのです。

まぁ次回長文ブログまでまだ間がありますのでモチョト考えてみましょう、そのインスピレーションを削除して説明しない可能性も十分にありますので。

出版社設立イコール個人事業主ですから、皆さまご存じのあんな数字の作業こんな数字の作業を自力でやらねばならなくなります。それがメチャメンドクサイですが、毎日イヤでイヤでどうしようもないところに閉じ込められるのに比べれば、その数字との格闘は年1回ですから大して苦にならないかなぁと思ったりもしてます。自力でやるか、会計ソフトを導入するか。いよいよ立ち上げる時はどちらかを決断する必要があります。まぁ導入するでしょうね。

本を出すだけなら出版社を立ち上げなくてもいくらでもできます。なのになぜ設立にこだわるのか。それは僕が制作する書籍が流通できない性質の内容だからです。僕の書籍をAmazon等で販売開始しても間違いなく販売停止にさせられ、あげくの果てにアカウント消滅させられるでしょう。

※書籍タイトルおよび本文中に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、および奴隷の女の子の存在に関する記述が出てきますので間違いなく削除されます。正しいおこないをする者が徹底的に蹂躙を受ける、これが物質界が最低ランクの存在の場である事の証明となります。

ですので消滅させられないカタチで本を作らなければならないのです。僕が編集長の出版社であれば誰に文句を言われる筋合いもありません、僕の責任で書籍化できます。ただし流通はキビシイかも知れませんが、少なくとも本はジャンジャン作る事ができるでしょう。

そして僕的には僕という霊媒から降った新規の霊言を月1とか隔週とかでガンガン書籍化していきたいという希望を強くもっていますが、それが実現するかのような事を霊団が言ってきているのです。

しかし僕はまだ全然そのインスピレーションを信じていません。コイツら(霊団)はこの11年以上、ああなるこうなると言い続けてきて、それがひとつもその通りになっていない連中です。簡単に信じる訳にはいきません。

まずはフラー26キャラ設定資料の線画を描き始められるように煮込みを続行しましょう(祈)†

■2021年10月11日UP■
■アナログ絵329「フラー11ver2.0キャラ・プティットフラー設定資料」UPです(祈)†
「フラー20まで到達させる」という当初の目標も達成し、次の目標は「フラー30への到達」となっていますが、なんだかんだ言って長い年月にわたってフラーの新規デザインを続けてきましたので機体数もだいぶ増えてきました。キャラありフラー、キャラなしフラー、リースフラー、スカートフラーと描き続けてきましたが、そんな中でこのフラー11のキャラ「プティットフラー」は「3段変形」という特殊な構造をしている事もあって、僕の中で「特別扱いのキャラ」となっていました…続きを読む→
■アナログ絵332「フラー21キャラ イチゴちゃん設定資料」インナーフレーム採用(祈)†■2021年12月12日UP■
■アナログ絵332「フラー21キャラ イチゴちゃん設定資料」インナーフレーム採用(祈)†
さぁ使命遂行にあたって怒涛にデザインを続けてきた「フラーのバリエーション」に新たな展開となるでしょうか。今回はフラー15の時にどうしても外見をかわいくデザインできなくて泣く泣くボツにしたキャラ「イチゴちゃん」を「インナーフレーム」とも呼ぶべき機構を採用する事によって何とか実現にこぎつけました。これはインナーフレーム内で変形を完了させる構造にする事でイチゴちゃんの外観部分にメカメカしいパーツが露出しないようにして、イチゴちゃんの外観のかわいらしさを何とか維持しようとしたギミックとなります。イチゴちゃんの外側がパカッと開いてインナーフレーム内で変形が完了して再び外側がパコッと閉じるのがお分かり頂けるでしょうか…続きを読む→
■アナログ絵335「フラー22キャラ【ワンちゃん】設定資料」UP。インナーフレーム進化形(祈)†■2022年3月4日UP■
■アナログ絵335「フラー22キャラ【ワンちゃん】設定資料」UP。インナーフレーム進化形(祈)†
前回フラー21にてイチゴちゃんを「インナーフレーム」とも呼ぶべき新機構にてデザインした事によって、キャラの可能性が飛躍的に広がりました。今回のワンちゃんも「インナーフレーム進化形」とも言えるギミックがモコモコ2頭身の内側に盛り込まれています。インナーフレームは、変形ギミックを考えている時は超大変ですが、カタチができあがってしまえばキャラの外観はシンプルにする事ができますから描くのは速いです。今後のフラーのキャラのスタンダードになる可能性もあるでしょう。今回のワンちゃんの2頭身は「チョトやりすぎかなぁ」とも思ったのですが、フラーのデザインは今後も(暗殺されない限り)続きますから、キャラに特徴を持たせるのは必須とも言えますので、まぁこれはこれでいいのではないでしょうか…続きを読む→
■アナログ絵338、フラー23キャラ「フランちゃん(ラ・フランス)」UPです(祈)†■2022年5月8日UP■
■アナログ絵338、フラー23キャラ「フランちゃん(ラ・フランス)」UPです(祈)†
はいコチラ、フラー23のキャラ「フランちゃん(ラ・フランス)」は、ご覧になればお分かりの通りフラー21の「イチゴちゃん」のインナーフレームとほぼ同じ構造となっていまして、一見描くのが簡単なように思えたのですがイエイエどうしてどうして、イチゴちゃんは足の方が細くなっていますが今回のフランちゃんは頭の方が細くなっています、その外観の違いによってインナーフレームの構造にアレコレ変更が生じて結構ギミックを考えるのが大変でした…続きを読む→

エドワード・ジョージ・フリッカー氏は中年の小太りの紳士だった。ミスター・フリッカーと呼ぶ人もおれば、愛称のテッドを使う人もいた。言葉つきから生粋のロンドン子のようで、性格も陽気だった。私が杖を片手にやっとの思いで治療室に入ると、温かく私の手を取って迎えてくれた。

治療室といっても元は台所だった小さな部屋だ。ゆかには部厚いカーペットが敷いてある。片隅には手洗い水とタオルと香料のアロマ(消毒用)が置いてある。家具といえば肘かけ椅子が1つと低いスツール(背もたれのないイス)が2つ、それにレコードプレーヤー付きのラジオくらいなもので、そのラジオの上に木製のサラダボールが置いてあり、その中に紙幣や硬貨が無雑作に入れてある。

壁には良いのか悪いのか判別しかねる古い絵画がやたらと掛かっている。そのほかキリストの磔刑像やロザリオ付きのダビデの星といった聖像の類いがあちらこちらに置いてある。

さて私がやっとの思いでスツールに腰を下ろすと、もう1つのスツールにフリッカー氏が腰かけて「どうなさいました」と尋ねた。私は胸にたまっていた思いを吐き出すように一部始終を語った。氏はそれにじっと耳を傾けてくれた。私が語り終ると、「コートを脱いで」とだけ言った。

「あなたは信仰治療家ですか」と私はコートを脱ぎながら聞いた。「少し違いますね」「じゃ、あなたに対する信仰は要らないわけですか」「あなたが信仰心を持とうが持つまいが、私には関係ありませんね。私は私なりに必要な信仰を十分もっていますから」

コートを脱ぐと、立つように言われた。立ち上がると左手を私の腹部に当てがい、右手を背筋にそってかるく上下させた。間もなくその手が例の脱出した円盤のところで止まった。そのあたりは合成樹脂で出来たコルセットがあるのだが、その上からピタリと悪い箇所を探し当てた。肌に直接届くにはドリルがいるところだ。

氏はそのコルセットも取るようにと言った。取るのは大変だったが、氏も手を貸してくれた。取りはずしたあと再びズボンとシャツを着ると、氏はさっきと同じように左手で腹部を押さえ、右手を脊柱にそって上下させながら、円盤のところだけは横にもさすった。

たださするだけである。ネコでも可愛がるようにかるくさするだけで、ほかには何も操作はしない。しばらくすると右のヒップの方まで手が伸びた。マヒしかかっている箇所だ。

こうした治療が何分続いたか、私は知らない。奇蹟を祈る気持と、あまりに単純な治療方法に幻惑されて、私は時の経過を一切意識しなかったのだ。むずかる子を母親が“よしよし”と言いながら撫でてやる、あの優しい手つき以外の何ものでもないのだ。これで本当に治るだろうか。そんな気持が去来していたのである。

が状況から判断して、せいぜい10分ていどだったと想像される。あとで知ったのだが、どの患者もみなその程度で、それ以上かかる人は滅多にいないとの話だった。むしろそれより短い時間の人もいるらしい。そのわずかな時間のために何時間もあの待合室で待つのだ。

今思うと、その時がまさしく私の人生の曲り角であった。痛みが確かに薄らぐのを感じた。私は当惑すらした。2年近くも激痛に悶えた。挫折感と不快感に苦しめられて、やっと今、自然な、そしてラクな気分に浸っている。それがただ手のひらを数分間上下にさすっただけなのだ。私は思った。今日は何も聞くまい。ただこの幸福を有難く享受しよう。なぜ治るのかは後で考えよう、と。

治療を終えると、フリッカー氏は別の部屋へ行って、大きな茶色の用紙を手にして戻ってきた。何をするのかと思っていると、鼻歌まじりで私のコルセットを包みはじめた。

包み終ると顔一面に笑みを浮かべながら「さあ、これを持ってお帰りなさい。杖は置いて行かれてもいいです。帰ったらベッドの板をはずして普通に寝てよろしい。そして来週もう1度いらっしゃい」と言う。

私が呆気に取られながら部屋を“歩いて”出た。それと同時に次の患者を呼ぶベルの音が聞こた。そして私と同じようにフリッカー氏に温かく迎えられていた。一体この人は何者なのか。10分間に1つの奇蹟を起こす、文字どおりの“奇蹟の人”なのだろうか。

いま“部屋を“歩いて”出た”と書いたのに注意していただきたい。私は立派に歩いて出たのである。杖にもたれてやっとの思いで足をひきずったのとは違うのだ。右足が少しばかり痛む。腰もわずかながら痛む。ヒップもまだ左右がずれている。

が、立派に歩けるのだ。足どりもしっかりしている。首筋をまっすぐにして普通に歩ける。私は、紙包みとステッキを小脇に抱え、颯爽とフリッカー治療センターを出た。奇蹟だ!奇蹟が起きたのだ!

ハワード通りにはタクシーはない。例のアンサンブルの可愛らしい助手が電話でハイヤーを手配してくれていた。その助手は私の足どりや姿勢が良くなったことに別段おどろいた様子も見せなかった。事実、彼女にとっては日常茶飯事なのだ。

やがて到着したハイヤーの運転手はこの治療所専門に客を運んでいる人だった。私がいま起きたばかりの奇蹟の話をすると「それくらいのことは毎日起きてますヨ」と、これまた当たり前といった表情で言った。そして夕方のラッシュの中をビクトリア駅へ向けて車を走らせた。

デコボコ道がある。急ブレーキをかける。左右に折れる。信号で停車する。また発車する。そうした動きが私に何の痛みも与えなかった。1時間前にタクシーで来た時は、ちょっとした動きでも死ぬほどの痛みを感じたのだが…

ビクトリアまで30分かかった。ドンキホーテよろしく、私の頭にはさまざまな思いがとりとめもなく去来した。が1つだけはっきりしていることがある。それは、からだがすっかり良くなったということだ。信じられないほど良くなった。しかも10分足らずさすってもらっただけで…一体何が起きたのだろう。いつかその原因を追求しよう。そう心に決めたのだった。

ビクトリア駅で鉄道に乗り換えた。列車の座席に坐って、またしても回復のすごさに驚いた。実にラクに坐っていられる。まるで列車はカーペットの上でも走っているみたいに感じられる。

ヘイワーズヒースに着いてホームに降り立つと、妻のジーンが待っていた。紙包みとステッキを小脇に抱えて近づく私の姿を、妻は驚きと嬉しさと呆気に取られた様子でしげしげと見つめた。2人とも言葉が出なかった。溢れる感激が言葉をさえぎるのだ。

妻の運転する車に私は軽々と乗り込んだ。乗ってすぐ妻の頬にキスをした。そこでようやく言葉が出た。「さ、帰ろう。帰ってからゆっくりと話そう」

■2021年6月2日UP■
「長持ちさせようとは思っていません」霊団の言葉ですが、全然そうなってないだろ(祈)†
「ピーチピチ(佳子)の発言にばかり注目するな」と霊聴に言ってきたのですが、これは霊団から皆さまへの警告と思われます。つまり「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁がパレットから奴隷の女の子を購入し続け四肢切断、強姦殺人し続け死肉を食べ続けている邪悪の真実、ピーチピチ(佳子)は奴隷の女の子たちと全く同じ手法で文仁が赤ちゃんの時に美人から盗んだ女の子であり、文仁、紀子と1ミリも血がつながっていない「赤の他人」であるという真実、そして奴隷の女の子たちの存在、悲劇の実情に国民の注目、関心が集まらないように「視点外し」のニュースを休みなく流し続けて国民が真実に目覚めないようにしている、つまり(どういう経緯かは僕にも分かりませんが)ピーチピチを逮捕とか言っているのも要するに「視点外し」で、国民の注意関心および議題を問題の本質から逸らすのが目的という事です…続きを読む→
■2021年7月7日UP■
「これから起こる事の大変さに比べれば」現在の僕の苦しみなど取るに足らないという意味です(祈)†
実はバーバネル氏が1回だけ僕の肉の口を使って言葉を発した事があるのです。なぜ過去ブログでその事を書いていないのか、それは書きたくなかったからです。なぜならその時、僕は事情があって大泣きしていたのです。2014年1月だったかな。僕はあふれる涙を抑える事ができず号泣していました。その時です。僕の口から、思ってもいない、考えてもいない一言が飛び出したのです。最初はなぜ自分がそんな事を言ったのか理解できませんでしたが「あ!バーバネル氏が僕の肉の口を使って言わせたんだな!誰がそんな事言いたいって言った!チクショー!」と気付いて、それがショックでさらに号泣した、という事が1度だけあったのです。つまりバーバネル氏はたった1回ではあるものの僕の肉の口を使って日本語を発声する練習はしているという事になるのです…続きを読む→