1913年10月1日 水曜日
昨晩の“音楽の里”について述べた事は私たちが見聞きした事のホンの概略を述べたものです。それに私たちはその里のごく一部しか見学していないのです。聞くところによりますと実際はその時想像していたよりも遥かに広いもので、湖を中心として遠く山岳地方まで広がっております。
その山の地方にも研究所があり、一種の無線装置によって他の研究所と連絡を取りながら全体としての共同研究が休みなく続けられております。見学を終えて帰り道で脇へ目をやると、また目新しいものが目に入りました。
とても大きな樹木の植林地で、その中にも高い建物が聳えております。前のようなただの塔ではなく、色とりどりの大小の尖塔やドームが付いており、その中に大小のホールが幾つもありました。それが1つの建物で、とても高くまた広々としております。
私たちが訪ねると住人の1人がとても丁寧に優しく迎えて中へ案内して下さいました。そしてまずその壁の不思議さに驚かされました。外側から見ると不透明なのに内側から見ると透明なのです。
そして大小のホールを次から次へと回って気がついたのは、各々のホールの照明の色調が多少ずつ隣のホールと違っている事でした。元の色彩は同じなのです。ですから別の色という感じはしないのですが、その深みとか明るさとかが少しずつ違っておりました。
小さいホールは殆ど同じ色調をしておりました。その数多い小ホールを通過して行くと幾つか目に大ホールがあり、そこに、それに連なる小ホールの色彩の全てが集められております。果たして小ホールの1つ1つが1個の色調を滲出していると断言する自信はありませんが思い出す限りではそんな印象でした。
見たものがあまりに多くて1つ1つを細かく憶えていないのです。それに、それがはじめての訪問でした。ですから大ざっぱな説明と受止めてください。
大ホールの1つは“オレンジホール”と呼ばれ、そこには原色のオレンジの有りとあらゆる色調 – ほんのりとした明るい黄金色から最も深いオレンジ色までありました。
さらにもう1つの大ホールは“レッドホール”と呼ばれ、ピンクのバラの花びらのうっすらとした色調から深紅のバラかダリヤの濃い色調までがホールいっぱいに漂っていました。
さらには“バイオレットホール”というのがあり、ヘリオトロープあるいはアメジストのあの微妙な紫の色調からパンジーのあの濃い暗い色調まで輝いております。
このような具合にしてその他の色彩にもそれぞれのホールがあるのですが言い落してならないのは、これ以外にあなたの知らない色 – 7色以外の言わば紫外色と赤外色もある事で、それはそれは素敵な色です。
そうした色調は1つに融合してしまう事なく、それぞれが独自の色調を発散しながら、それでいて全体が素敵に美事に調和しているのです。そうした透明な建物(ホール)が一体何のためにあるのかと思っておられるようですね。
それは各種の生命 – 動物、植物、それに鉱物、このうち特に前2者へ及ぼす色彩の研究をするところなのです。これに衣服も含まれます。私たちの衣服の生地と色調は着る人の霊格と性格を反映するからです。自分を取巻く環境は言わば自分の一部です。
それはあなた方人間も同じです。中でも光が1つの要素、重要な要素となっています。私たちがホールで見たとおり、各種の条件下で実験する上でも重要な働きをしているのです。聞くところによりますと、こうした研究の成果が地球及び他の惑星の植物を担当しているグループへ手渡されるそうです。
しかし全てが採用される訳ではありません。繊細すぎて地球や他の惑星のような鈍重な世界に応用できないものがあり、結局ほんの一部だけが地球へ向けられる事になるそうです。残念ですがこれ以上の事は私には述べられません。
1つには今述べた環境上の制約がありますし、また1つには内容が科学的で私には不向きという事でもあります。ただ1つだけそこでお尋ねした事を付け加えておきましょう。そこでは原色の全てを1つのホールに一緒に集める事はしません。
なぜだかは知りません。もしかしたら私よりその方向に通じている仲間の人たちが考えているように、一緒にした時に出るエネルギーがあまりに強烈なので、特別に設計した建物を、それも多分どこか高い山の中にでも建てなくてはならないのかも知れません。
仲間の人たちが言うには、その場合は周辺のかなりの距離の範囲で植物が生育しないだろうという事です。さらに私たちがお会いした人々が果たしてそうした莫大なエネルギーを処理(コントロール)できるか疑問だと言っております。もっと高い霊格と技術が必要であろうと考える訳です。
しかしもしかしたら高い界へ行けば既にそうした研究所があって、それが今紹介した研究所と連絡が取れているのかも知れません。こちらの整然とした秩序から判断すれば、その想像はまず間違いないでしょう。
私がそのコロニー、あるいは総合研究所と呼んでも良いかも知れませんが、そこを出て中央のドームが見上げられる少し離れた場所まで来た時、私たちのこの度の見学旅行を滞りなく進めるために同伴していた指導霊が私たちの足を止めて、出発の時から約束していたお別れのプレゼントをお見せしましょうとおっしゃるのです。
何だろうと思って見つめたのですが何も見えません。少し間を置いてからみんな怪訝(けげん)な顔で指導霊を見つめました。すると指導霊はにっこり笑っておられます。私たちはもう1度よく見ました。やがて仲間の1人が言いました。
「さっきここで足を止めて見上げた時、あのドームは何色だったかしら」するともう1人が「赤色だったと思うけど」と言いますが誰1人確実に憶えている者はいませんでした。ともかくその時の色は黄金色をしておりました。
そこで「暫く見ていましょうよ」と言ってみんなで見つめておりますと、なるほど、やがてそれが緑色に変りました。ところがいつどの辺りから緑色に変色し始めるのかが見分けられないのです。その調子で次から次へと一様に色彩が変化していくのです。それが暫くの間続きましたが、何とも言えない美しさでした。
やがてドームが完全に見えなくなりました。指導霊の話ではドームはちゃんと同じ場所にあるのだそうです。それが各ホールからある種の光の要素を集めて組み合わせる事によって、そのように姿が見えなくなる – それがその建物で仕事をしている人が工夫した成果の1つだという事です。
そう見ているとドームと林の上空に – ドームは見えないままです – 巨大なピンクのバラが出現しました。それがゆっくりと色調を深めて深紅に変わり、その大きな花びらの間で美しい容姿をした子供たちが遊び戯れていたり、大人の男女が立ち話をしていたり、歩きながら話に興じたりしています。
みんな素敵で美しい、そして幸せそうな姿をしております。一方では小鹿や親鹿、小鳥などが走り回ったり飛び回ったり寝そべったりしています。花びらが膨張して丘陵地や小山等の自然の風景の舞台と化し、その上を子供たちが動物と楽しそうに可憐な姿で遊び戯れているのです。
それがやがてゆっくりと薄れて行き、そのうちただの虚空に戻りました。私はその場に立ったまま、そうした光景を幾つか見せて頂いたのです。
もう1つ見せて頂いたのは光の円柱で、ちょうどドームのある辺りから垂直に伸び、そのまま天空に直立しておりました。純白の光で、その安定した形を見ていると、まるで固形物のように見えました。
そのうち先ほどのホールの1つから一条の色彩を帯びた光が斜めに放たれて光の円柱に当りました。すると各々のホールからさまざまな色彩の光が放たれました。
赤、青、緑、紫、オレンジ – 淡いものから中間のもの、そして濃いものまで – いろいろで、あなたの知っているものはもちろん、ご存知でない色彩も幾つかありました。それらの全てが純白の光の柱の中間部に斜めにつながりました。
見ているとそれが形を整えはじめました。1本1本が道となり、沿道にビルや住居、城、森、寺院、その他が建ち並んでおります。そしてその傾斜した道を大勢の人が上がって行きます。1つの道は全部同じ色をしておりますが、色調は多彩でした。
それはそれは素敵な光景でした。円柱まで近づくと、少し手前のところでそれを取り囲むような形で立ち止まりました。すると円柱の頂上が美しい白ゆりの花のように、ゆっくりと開きました。
そしてその花びらがうねりながら反(そ)り返って下へ下へと垂れて行き、立ち止まっている群集と円柱との間に広がりました。すると今度は円柱の底辺が同じように開き、円い踊り場のような形で、群集が立ち止まっている場所との空間を埋めました。
これで群集は上へ上がる事ができます。今や全体が – 馬も乗り物も – それぞれの色調を留めながら渾然となっております。その様子はまるで祝宴か祭礼にでも臨むかのように、多彩な色調をした1つの巨大なパビリオンに集まり行く素敵で楽しい大群衆を見ているという感じでした。
その群集の色調が天井と床つまり舗道に反映し、その全体から発する光輝は何とも言いようのないほど素晴らしいものでした。やがて群集は幾つかのグループに分れました。すると中央の光の円柱が巨大なオルガンのような音を鳴響かせました。
何が始まろうとしているかはすぐに判りました。間もなく声楽と器楽による“グロリア・イン・エクセルシス・デオ”(※)の大音楽が始まりました。
高き光の中に在(ま)します神 – 全ての子等に生命を与え、その栄光を子等が耐え得るだけの光の中に反映され給う全知全能なる神よ – と、大体そういう意味の讃歌が歌われ、そしてこのシーンも次第に消えて行きました。
多分この後その大群衆は光の道を後戻りして帰って行ったのでしょうが、それは見せて頂けませんでした。確かに、その必要もなかったのです。さ、時間が来ました。残念ですがこれにて終りにしなければなりませんね。では神の御加護のあらん事を。
(※ Gloria in Excelsis Deo “天なる神に栄光あれ”の意のラテン語で、キリスト教の大頌栄(しょうえい)の最初の句。ルカ2・14 – 訳者)
■2021年5月21日UP■「カスタム地獄」「法律突破」「ポリーチェ(POLICE)逮捕したい」全て同じ意味と思われます(祈)†「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に命令されて僕を大犯罪者に仕立て上げるウソストーリーを書いた弁護士だか何だかの人間が、僕の人間性を侮辱し、僕の公言内容が全てウソであるとメディアで語ったとして、皆さまお考え下さい。その強姦殺人魔に命令されてウソストーリーを書いた男は、僕に会った事もなければ一言も話をした事もありません。僕の普段の生活態度、仕事の勤務態度といったものを見た事もありません。僕という人間がどういう人間なのか全く知らない男が「たきざわ彰人はこういう人間である」と言うのです。皆さまは、僕本人が自分について長い長い年月にわたって書きまくっているブログテキストよりも、僕という人間を全く知らない人間が書いたホンの2~3行のテキストを信じるとおっしゃいますか。それは笑かしてくれますね…続きを読む→ ■2023年11月1日UP■「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†普段上層界で生活している高級霊の方々は波長が低すぎる物質圏付近には降下する事さえできず、降下したとしてもごく短時間しか滞在できないそうです。つまり高級霊であればあるほど最低界の物質界と縁が切れているという事です。で、そこまで上層界では無い境涯で生活している霊は物質圏付近に仕事で降下する事がありますが(僕は間違いなく降下の仕事をやらされるものと思われますが)インペレーター霊が書籍の中でお話しておられますように、物質圏付近に降下すると、地上生活時代の記憶がよみがえり、それが進歩の逆、退歩につながってその霊にとってマズい事になるという事があるそうです。たとえば霊体生活者はもう肉体がありませんが、物質圏に降下すると昔の肉体的煩悩がよみがえってきてそれが退歩につながるのだそうです。もうひとつ、物質界生活時に間違った霊的知識、宗教観等を学んでしまって、帰幽後にその自分の間違いを指導霊に修正してもらって向上を果たした人物が物質圏付近に降下すると、その過去の誤った概念がよみがえってきて霊界で学んだ内容が帳消しになってしまい、それがまた退歩につながるのだそうです…続きを読む→