1913年10月25日 土曜日

今夜も、もしよろしければ、死後の世界に関する昨夜の通信の続きをお届けしようと思います。引き続き太陽系に関してですが、昨日の内容を吟味してみると、まだまだ死後の世界の複雑さの全てを述べ尽くしておりません。

と言うのも、太陽と各惑星を取り巻く界層が互いに重なり合っているだけでなく、それぞれの天体の動きによる位置の移動 – ある時は接近しある時は遠ざかるという変化に応じて霊界の相互関係も変化している。

それ故、地球へ押し寄せる影響力は1秒たりとも同じではないと言っても過言ではありません。事実そのとおりなのです。また同じ地球上でもその影響の受け方、つまり強さは一様ではなく場所によって異なります。それに加えて、太陽系外の恒星からの放射性物質の流入も計算に入れなければならない。

こうした条件を全て考慮しなければならないのです。何しろそこでは霊的存在による活発な造化活動が営まれており、瞬時たりとも休むことがないことを銘記して下さい。

以上が各種の惑星系を支配している霊的事情のあらましです。地上の天文学者の肉眼や天体望遠鏡に映じるのはその外面にすぎません。ところが実は以上のべたことも宇宙全体を規模として考えた時は大海の一滴にすぎない。船の舳先(へさき)に立っている人間が海のしぶきを浴びている光景を思い浮かべていただきたい。

細(こま)かいしぶきが霧状になって散り、太陽の光を受けてキラキラと輝きます。その様子を見て“無数のしぶき”と表現するとしたら、ではそのしぶきが戻って行く海そのものはどう表現すべきか。キラキラ輝く満天の星も宇宙全体からすればその海のしぶき程度にすぎません。それも目に見える表面の話です。

しぶきを上げる海面の下には深い深い海底の世界が広がっている如く、宇宙も人間の目に映じる物的世界の奥に深い深い霊の世界が広がっているのです。もう少し話を進めてみましょう。そもそも“宇宙”という用語自体が、所詮表現できるはずのないものを表現するために便宜的に用いられているものです。

従って明確な意味は有(も)ちあわせません。地上のある詩人が宇宙を一篇の詩で表現しようとして、中途で絶望して筆を折ったという話がありますが、それでよかったのです。もしも徹底的にやろうなどと意気込んでいたら、その詩は永遠に書き続けなければならなかったことでしょう。

一体宇宙とは何か。どこに境界があるのか。無限なのか。もし無限だとすると中心が無いことになる。すると神の玉座はいずこにあるのか。神は全創造物の根源に位置していると言われるのだが。

いや、その前に一体創造物とは何を指すのか。目に見える宇宙のことなのか、それとも目に見えない世界も含むのか。実際問題として、こうした所詮理解できないことをいくら詮索してみたところで何の役にも立ちません。

もっとも、判らないながらもこうした問題を時おり探ってみるのも、人間の限界を知る上であながち無益とも言えますまい。そう観念した上で吾々は、理解できる範囲のことを述べてみたいと思います。

これまで述べて来た霊的界層にはそれぞれの程度に応じた霊魂が存在し、真理を体得するにつれて1界また1界と、低い界から高い界へ向けて進化して行く。そして、さきに述べたように、そうやって向上して行くうちにいつかは、少なくとも2つ以上の惑星の霊界が重なり合った段階に到達する。

さらに向上すると今度は2つ以上の恒星の霊界が重なり合うほどの直径をもつ界層に至る。つまり太陽系の惑星はおろか、2つ以上の太陽系まで包含(ほうがん)してしまうほどの広大な世界に至る。

そこにもその次元に相応しい崇高さと神聖さと霊力を具えた霊魂が存在し、その範囲に包含された全ての世界へ向けて、霊的・物的の区別なく、影響力を行使している。ご承知のとおり吾々はようやく惑星より恒星へ、そして恒星よりその恒星の仲間へと進化して来たところです。

その先にはまだまだ荘厳にして驚異的な世界が控えておりますが、この第10界の住民たる吾々にはその真相はほとんど判らないし、確実なことは何1つ判らないという有様です。

が、これで吾々が昨夜の通信の中で“神”のことを、何とお呼びすべきか判らぬ未知にして不可知の存在のように申し上げた、その真意がおぼろげながらも理解していただけるのではないかと思います。

ですから、貴殿が創造主を賛美する時、正直言ってその創造主の聖秩(せいちつ)について何ら明確な観念はお有ちでない。“万物の創造主のことである”と簡単におっしゃるかも知れませんが、では“万物”とは一体何かということになります。

さて少なくとも吾々の界層から観るかぎり次のことは確実に言えます。すなわち“創造主”という用語をもって貴殿が何を意味しようと、確固たる信念をもって創造主に祈願することは間違っていない。

その祈りの念はまず最低界に届き、祈りの動機と威力次第でそこでストップするものとそこを通過して次の界へ至るものがある。中にはさらに上昇して高級神霊界へと至るものもある。吾々の界のはるか上方には想像を超えた光と美のキリスト界が存在する。

そこまで到達した祈りはキリストを通して宇宙神へと届けられる。地上へ誕生して人類に父なる神を説いたあの主イエス・キリストである。(この問題に関しては第2巻以降で詳しく説かれる。 – 訳者)

ところで、以上述べたことは全て真実ではあるが、その真実も、語りかける吾々の側とそれを受ける貴殿の側の双方の能力の限界によって、その表現がきわめて不適切となるのです。

例えば段階的に各界層を通過して上昇して行くと述べた場合、あたかも一地点から次の地点へ、さらに次の地点へと、平面上を進むのと同じ表現をしていることになります。ですが実際は吾吾(われわれ)の念頭にある界層は“地帯”というよりは“球体”と表現した方がより正確です。

なぜなら、繰り返しますが、高い界層は低い界層の全てを包んでおり、その界に存在するということは低い界の全てに存在するということでもあるからです。その意味で“神は全てであり、全ての中に存在し、全てを通じて働く”という表現、つまり神の遍在(へんざい)性を説くことはあながち間違ってはいないのです。

どうやら吾々はこのテーマに無駄な努力を費しすぎている感じがします。地球的規模の知識と理解力を1つの小さなワイングラスに譬えれば、吾々はそれに天界に広がる広大なブドウ畑からとれたブドウ酒を注がんとしているようなもので、この辺でやめておきましょう。

1つだけお互いに知っておくべきことを付け加えておきますが、その天界のブドウ園の園主(宇宙神)も園丁(神々)も霊力と叡智において絶対的信頼のおける存在であるということです。

人生はその神々の世界へ向けての果てしない旅であり、吾々は目の前に用意された仕事に精を出し、完遂し、成就し、それから次の仕事へと進み、それが終わればすぐまた次の仕事が待っている。

かくして、これでおしまいという段階は決して来ない。向上すればするほど“永遠”あるいは“終わりなき世界”という言葉に秘められた意味の真実性を悟るようになります。しかし貴殿にそこまで要求するのは酷(こく)というものでしょう。失礼な言い分かも知れませんが。

では再び来れることを希望しつつお別れします。ささやかとは言え天界の栄光の一端をこうして聞く耳をもつ者に語りかけることが出来るのは有難いことであり、楽しいことでもあります。どうか、死後に待ちうける世界は決して黄昏(たそがれ)に包まれた実体なき白日夢の世界ではないことを確信していただきたい。

そしてそのことを聞く耳をもつ者に伝えていただきたい。断じてそのような世界ではないのです。そこは奮闘と努力の世界です。善意と努力とが次々と報われ成就される世界です。

父なる神へ向けて不屈の意志をもって互いに手を取り合って向上へと励む世界です。その神の愛を吾々は魂で感じ取り鼓舞されてはおりますが、そのお姿を拝することも出来ず、その玉座はあまりに崇高なるが故に近づくことも出来ません。

吾々は向上の道を必死に歩んでおります。後に続く者の手を取ってあげ、その者のスソをその後に続く者が握りしめて頑張っております。友よ、吾々も奮闘していることを忘れないでいただきたい。まさに奮闘なのです。貴殿と、そして貴殿のもとに集まる人々と同じです。

吾々が僅かでも先を行けば、つい遅れがちになる人も大勢おられることでしょう。どうかそういう方たちの手を貴殿がしっかりと握ってあげていただきたい – “優しく”握ってあげていただきたい。

貴殿自身も同じ人間としての脆(もろ)さを抱えておられることを忘れてはなりません。そして、たとえあなたに荷が過ぎると思われても決して手を離さず、上へ向けて手を伸ばしていただきたい。

そこには私がおり、私の仲間がおります。絶対に挫折はさせません。ですから明るい視野をもち、清らかな生活に徹することです。挫折するどころか、視野が燦然(さんぜん)たる輝きを増すことでしょう。聖書にもあるではありませんか – 心清き者は幸なり。神を見ればなり、と。(マタイ5・8)†

「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†■2023年3月15日UP■
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†
しかしそれは「順番が逆だろ」まず奴隷の女の子たちを助けてあげて、それから交霊会だろ、と僕は思うのです。というのも、奴隷の女の子たちを完全に見殺しにした状態で僕という霊媒を霊団が使用して霊言を降らせたとしましょう。その降ってきた内容がさながら「シルバーバーチの霊訓」を彷彿とさせるような高尚な内容だったとしましょう。その霊団が降らせてきた内容が、人類を救うとか、世界を救うとか、人間は国家も肌の色も関係なく全員が神から神性の火花を賜って個的存在を与えられた、神を共通の親とした霊的兄弟、霊的大家族であり、戦争で敵国の兵士を撃ち殺す事は自分の家族を殺す事と同義であり愚かな事であり、したがって全世界が助け合っていかなければならないとか、そういう心を撃つ美しい内容だったとしましょう…続きを読む→
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†■2023年3月8日UP■
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†
2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→
「死ぬぞ」僕が日本の中心に行くと100%殺されるそうですが、ならなぜこの仕事をやらせた(祈)†■2024年1月31日UP■
「死ぬぞ」僕が日本の中心に行くと100%殺されるそうですが、ならなぜこの仕事をやらせた(祈)†
物質界の問題を僕という道具を介して解決しようなどとはサラサラ考えていないのではないか。事実放置してますし。僕の帰幽後の状況がよくなるために苦難を与え続けている、まぁそれは了解としても、あんたたちのやっている事はどう考えてもおかしいんじゃないのか。邪悪に目をつぶりすぎている、奴隷の女の子を見殺しにしすぎている。どうやってもその部分は納得できない。で、僕にその問題を解決する能力がないというなら最初からやらせなければよかっただろ。霊界の人間は物質界の人間の心の中が丸見えだ。僕というキャラがどれだけの力量でどういう仕事はできてどういう事が不得手なのか、僕本人よりあんたたちの方が把握しているはずだ。だったら僕という道具を使用して物質界の邪悪を滅ぼせるか滅ぼせないか事前に分かってたはずだ。つまり最初から何もしないつもりだったんじゃないのか、だから今、僕を閉じ込める事にのみ全力を集中させて僕に何もできないようにしているんじゃないのか、油断していたら僕自身の努力で事態が前進してしまうかも知れないのでそうならないように全力で僕を封じ込めようとしている、そういう事なんじゃないのか。あんたたちは一体何がしたくて生きてるんだよ。霊界の仕事って一体何なんだよ…続きを読む→

以前出した手紙が読まれずに返送されてきましたので、その内容を少し手直ししてpdfに書き出しました。明日これをプリントしてさっそく封書を郵送するつもりです。とにかくやるしかないんだ。止まる理由が全くない。で、これだけやってもどうしても著作隣接権者の方と連絡が付かなければ、いよいよイヤで仕方ないオーファンワークスに着手という事になるのかも知れません。スゴイヤダやりたくない。

「ベールの彼方の生活3巻」キンドルファイヤーを使用しての最終校正40%完了中。既に見直しを終えた完成版テキストのはずなのに、OCR変換の誤変換部分が多数残されていてそのつど紙の書籍と突き合わせながら修正しています。ホントにこの校正の作業、精神的にスゴイダメージがありますがこれもやるしかない。コレを突破しなきゃ復刊は永遠に実現しない。

次回長文ブログネタとなるインスピレーション枯渇、霊団が完全に使命遂行を放棄しています。人の人生をこれだけ破壊しておいてこの無責任っぷり。人格を疑う。かろうじてテキストは撃てそうな感じですので何とかやってみるつもりではいますけど「オメィラホントにいい加減にしろよ」という気持ちでイッパイです。

今週は山のアタック、通常に行けそうです(ホッ)グラデーション撮影もできそうな感じですのでしっかり撮ってきたいです。山の撮影画像は書籍にも使用するので重要なのです。ちなみに両腕両足にダメージがナンチャラカンチャラと書いていましたが、だいぶ回復しているもののまだ足回りにダメージが残っています。スノーシュー復活はできそうにありません。

キャベツの浅漬けを作ってます。明日食べます。さぁ作業続行中。霊団、この人生ホントにいい加減にしろよ、ただじゃおかネィぞ(祈)†

「間違えちゃったゴメンね」ゴメンの一言で済む訳ネィだろ!この人生の責任取れ(祈)†■2022年12月28日UP■
「間違えちゃったゴメンね」ゴメンの一言で済む訳ネィだろ!この人生の責任取れ(祈)†
肯定的書籍という事であれば、僕のWordPressを日々ご覧になって僕の霊的使命遂行を応援して下さっている方であると予測できます。否定的書籍という事であれば「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を守り通す事で生活の糧を得ている宮内庁、皇宮警察、政治上層部等の強姦殺人ほう助の人間という事が容易に想像できます。否定的書籍の場合はもちろん僕、たきざわ彰人が殺されて反論できない状態になってからデタラメな内容の書籍を出しまくって国民を再洗脳し、強姦殺人容認制度を存続させようと企む邪悪勢力の思念という事で間違いないでしょう。僕が生きている間に否定的書籍が出版されるのは、それはチョトないんじゃないかって思ったりもします。というのは「国民はもう「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を分かってる、もう洗脳からだいぶ目覚めている、そこまでバカじゃない」と思うからです。出したらかえって逆効果になると思うからです。ですので霊団からの「殺されるところから離れさせる」という警告という意味かも知れません…続きを読む→
「霊体で会議に参加し続けてるんですよ」物的脳髄でその様子を全く反芻できません(祈)†■2023年1月25日UP■
「霊体で会議に参加し続けてるんですよ」物的脳髄でその様子を全く反芻できません(祈)†
どの人間も例外なく物質界に降下するにあたり、指導霊と相談したうえで「こういう試練を体験すればこれだけ向上を果たせる」と考え、自分でその人生を選択して降下してくるのだそうで、つまり奴隷の女の子たちも「殺される人生をあえて選択して降下してきた人間たち」という事になるのですが、僕はそう言われて奴隷の女の子たちを見殺しにする気にはどうしてもなれません。これは僕の個人的意見ですが、物質界に降下するにあたり、基本的には「こういう人生を送る事になる」という概要は決まっているのでしょうが、中には例外もあるのではないかと思っているのです。僕の「霊性発現」はその例外に当たるのではないかと思っているからです…続きを読む→

ココで細かいお話はできないのですが、見た事もない語句が出てきてググっても出てこない、これは一体何だ、と書籍の方と照らし合わせてやっと意味が分かってそのように修正、とかそういう事が何回もあります。キンドルファイヤー、AffinityPublisher、テキストエディタ、紙の書籍、4つを同時進行で見ながらの最終校正となります。メチャキツイです。

確か人間には「自由意思」というものがあったはず。そしてその自由意思は霊界において尊重されると僕は聞いている。その僕の自由意思がこれほどまで無視され続けるというのは異常事態だと思う。僕本人がこれほど心の底からイヤがっているのに何が何でも閉じ込め続けようとしてくる。これはもう異常としか表現のしようがない。

なぜこれほど努力の限りを尽くしても1ミリも脱出が実現しないのか。確か思念には威力があったはず。なぜこれほど僕の考えが無視されて自分の望まない状況に閉じ込め続けられなければならないのか。これは一体誰の人生なんだ。つまり僕の人生ではない「100の光の霊団の人生」という事なのでしょう。

しかしそれでも脱出は完了させる、死んでもやってやる。復刊、出版社設立が脱出につながると信じて苦しくても何が何でも作業続行する以外に脱出方法がもう思いつかないんです。7通目か8通目か忘れましたが、あるところに手紙を出します。著作隣接権者関連での手紙です。最終校正と並行して手紙の原稿も書かないと。

ベールの彼方の生活3巻表紙の線画のゴミ取り65%完成中。明日には終わるかも、止まらず選択範囲を切っていきます。4巻の表紙の線画、あと「心霊と進化と」の表紙の線画も描いてもイイかも知れません。

止まる意味がない、動く以外に脱出の方法はない。僕にはもう自由意思はないというのか。それはおかしい、違反のはずだ。本人の意思の無視がこれ以上まかり通ってたまるものか。作業だけは死んでも続行中(祈)†
■アナログ絵348、霊団に止められていた奴隷の女の子の悲劇の惨状の絵をUPです(祈)†■2022年11月12日UP■
■アナログ絵348、霊団に止められていた奴隷の女の子の悲劇の惨状の絵をUPです(祈)†
本当はアナログ絵338として描くつもりでいたのですが霊団にかなり激しく警告を受けて仕方なく作業を止めていました。それを作業再開させてこのように描き上げました。霊的使命遂行が全く前進する様子がない、霊団は果てしなくスピードダウン要求ばかりしてきて全く悲願成就の気概が感じられない。そんな状況を打破すべく奴隷の女の子の悲劇の惨状の絵を徹底的に描きまくって量産してやる、と思っていたその出鼻を挫かれた絵となります。とはいえこれまでまぁまぁの枚数の奴隷の女の子の悲劇の絵を描き続けてきましたが、皆さまはこれらの衝撃的な絵をご覧になっても、この事実を突きつけられても、この期に及んでもまだ、まだ、僕、たきざわ彰人の事をおかしいと思いますか。霊的な事を子バカにしますか。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を褒め称えるセリフを吐きますか…続きを読む→
「完全に離れさせる」僕を使命遂行から離す、危機を回避させるという意味です(祈)†■2022年11月30日UP■
「完全に離れさせる」僕を使命遂行から離す、危機を回避させるという意味です(祈)†
奴隷の女の子たちの悲劇の惨状の認知、そして霊的知識普及活動がだいぶ進行した事に対する、霊団の一定の評価の言葉と受け取っていいのかも知れません。もっと突っ込んで言えば「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言する仕事は、霊界側からすれば「どの霊能者にお願いしてもやってくれなかった仕事」なのでしょう。それを僕がやってくれたので感謝しているという意味もたぶん含まれているのではないでしょうか。もっとも「そう言うセリフは結果に到達させてから言ってくれ」と僕は言いたいですが。霊界上層界から霊眼で物質界を見下ろした時、今まで「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の洗脳に完全にやられていた多くの人間が真実に目覚めていく様子がつぶさに観察できるのでしょう、それで「感謝」という言葉が出てくるのだと思いますが、物的肉眼には全く何の変化も映りません…続きを読む→

1913年10月24日 金曜日

今夜もまた貴殿のご母堂ならびにその霊団の要請を受け、私の霊団と共にメッセージを述べに参りました。

貴殿にとって何がもっとも興味があろうかと考えた挙句に吾々は、地上へ向けられている数々の霊力の真相をいくらかでも明かせば、貴殿ならびに貴殿の信者にとって、地上生活にまつわる数々の束縛から解脱した時に初めて得られる厖大(ぼうだい)な霊的知識へ向けて1歩でも2歩でも近づく足掛かりとなり、天界の栄光へ向けて自由に羽ばたくことになろうとの結論に達しました。

– どなたでしょうか。

前回と同じ者 – アストリエルとその霊団です。第10界(※)より参りました。話を進めてよろしいか。(※界が全部で幾つあるかについての回答はこの先に出てくる。 – 訳者)

– どうぞ。ようこそこの薄暗い地上界へ降りて来られました。さぞ鬱陶(うっとう)しいことでしょう。

“降りて来る”とおっしゃいましたが、それは貴殿の視点からすればなかなかうまい表現ですが、実際の事実とは違いますし完璧な表現でもありません。

と言うのは、貴殿が生活しておられる天体は虚空に浮いているわけですから“上”とか“下”とかの用語の意味がきわめて限られたものとなります。そのことはすでに貴殿の筆録したもの、と言うよりは霊的に印象づけられたものをお読みになって気づいておられるはずです。

最初に“地上へ向けられている数々の霊力”と申しましたが、これは勿論地上の一地域のことではありません。地球と呼ばれる球体全部を包括的に管理している霊力の働きのことです。地球のまわりに幾つもの霊的界層があり、言わば同心円状に取り巻いております。

下層界ほど地表近くにあり、距離が遠のくほど力と美が増して行きます。もっとも、その距離を霊界に当てはめる際は意味を拡大して理解していただかないといけません。吾々にとっては貴殿らのような形で距離が問題となることがないからです。

例えば私がそのうちの10番目の界にいる以上は、大なり小なりその界特有の境涯によって認識の範囲が制限されます。時おり許しを得てすぐ上の界、あるいはさらにその上まで訪れることは出来ますが、そこに永住することは許されません。

一方、下の界に住むことは不可能ではありません。何となれば私が住む第10界も球体をしていますから、幾何学的に考えても、下の9つの界を全部包含(ほうがん)していることになるからです。従ってこれを判りやすく言いかえれば次のようになりましょう。

すなわち地球は数多くの界の中心に位置し、必然的にその全ての界層に包まれている。故に地上の住民はその全ての界層と接触を取る可能性を有しており、現に霊的発達程度に応じて接触している – あくまで“霊的”発達程度です。なぜならその界層はすべて霊的であり物質的なものではないからです。

その地球の物質性も実は一時的な現象にすぎません。と言うのは、地球はそれを取り巻く各界の霊力が物質となって顕現したものだからです。実はそれらの界の他にも互いに参透し合っている別の次元の界の影響もあるのですが、それは措(お)いておきます。当面は今まで述べたもののみの考察に留めましょう。

さて、これで人間の抱く願望とか祈願とかかどういう意味をもつかが、ある程度おわかりでしょう。絶対的創造神ならびに(貴殿らに判りやすい言い方をすれば)最高界ないしは最奥界にあって他の全ての界の全存在を包含する聖霊との交わりの手段なのです。

従って地球は創造神より託された計画のもとに働く聖霊によって行使される各種の、そして様々な程度の霊的影響力によって取り囲まれ、包み込まれ、その影響を受けているのです。

しかし、向上して行くと事情は一段と複雑となってまいります。地球に属するそうした幾つかの界層に加えて、太陽系の他の惑星の1つ1つが同じように霊的界層を幾つも持っているからです。地球から遠く離れて行くと、地球圏の霊界と1ばん近くの惑星の霊界とが互いに融合し合う領域に至ります。

各惑星にも地球と同じように霊的存在による管理が行き届いておりますから、それだけ複雑さが増すわけです。ここまで来ると、霊界の探求が地上の熱心な方がお考えになるほどそう簡単に出来るものでないことが判り始めます。

ちなみに太陽を中心に置いてそのまわりに適当に惑星を配置した太陽系の構図を画いてみて下さい。それから、まず地球のまわりに、さよう、100個ほどの円を画きます。

同じことを木星、火星、金星、その他にも行います。太陽にも同じようにして下さい。これで、神界までも探求の手を広げることの出来る、吾々の汲めども尽きぬ興味のある深遠な事情が大ざっぱながら判っていただけるでしょう。

しかし、事はそれでおしまいではありません。いま太陽について行ったことを他の恒星とその惑星についても当てはめてみなくてはなりません。こうして各々の太陽系について行った上で、こんどは太陽系と太陽系との関係についても考えなくてはなりません。

これで、あなたがこちらへお出でになったら知的探求の世界が無限に広がっていくと述べた真意が理解していただけるでしょう。ところで、その霊的界層は全部で幾つあるかという質問をよく受けます。ですが、以上の説明によって、まさか貴殿が同じ質問をなさることはありますまい。

万一お聞きになっても、たかが第10界の住民にすぎない吾々にはこうお答えするしかありません – “知りません。また、これ以後同じ質問を何百万回、何億回繰り返され、その間吾々が休むことなく向上進化し続けたとしても、多分同じ返事を繰り返すことでしょう”と。

さて貴殿にはこの問題を別の角度から考えてみていただきたい。以上述べた世界は霊的エネルギーの世界です。ご承知の如く天体は科学者が“引力”と呼ぶところのエネルギーによって互いに影響し合っておりますが、各天体の霊界と霊界との間にも霊的エネルギーによる作用と反作用とがあります。

さきほどの太陽系の構図をご覧になればお判りのとおり、地球はその位置の関係上、必然的に数多くの界層からの作用を受け、それも主として太陽と2、3の惑星が1ばん大きいことが推察されます。

その通りです。占星術にもやはり意味があるのです。科学者はそれについて余計な批判はしない方がいいでしょう。と言うのは、霊的エネルギーというものが厳として存在することを理解しない科学者には到底理解しがたいことであり、ともすると危険でもあるからです。

霊的エネルギーには実質があり驚異的な威力を秘めております。それがあればこそ各界がそれなりの活動ができ、なおかつ他の天体の霊界との関係も維持されているのです。こうした問題になると最高の崇敬(すうけい)の念と祈りの気持をもって研究に当たらねばなりません。

何となれば、そこは天使の経綸する世界であり、さらにその上には全ての天使をも1つに収めてしまう宇宙の大霊が在(ま)しまし、吾々はただ讃仰を捧げるのみ。何とお呼びすべきかも知りません。

近づかんとすれば即座に己れの力の足らなさを思い知らされます。距離を置いて直視せんとしても、その光の強さに目が眩み、一面真っ暗闇となってしまいます。

しかし貴殿に、そして未知なるものへ敬虔(けいけん)の念を抱かれる方に誓って申し上げますが、たとえ驚異によりて幾度も立ちすくまされることはあっても、神の存在感の消え失せることは決してないこと、神の息吹きとは即ち神の愛であり、その導きは慈母が吾が子を導く手にも似て、この上なく優しいものであることを自覚せぬときは一時(いっとき)たりともありません。

それ故、貴殿と同じく吾々は神を信じてその御手にすがり、決して怖れることはありません。栄光よりさらに大いなる栄光へと進む神々の世界は音楽に満ち溢れております。友よ来たれ。挫(くじ)けず倦(う)まず歩まれよ、と申し上げたい。

行く手を遮(さえぎ)る霧も進むにつれて晴れ行き、未知の世界を照らす光が一層その輝きを増すことでしょう。未知の世界は少しも怖れるに及びません。故に吾々は惑星と星辰の世界の栄光と神の愛の真っ只中を幼子の如く素直に、そして謙虚に歩むのです。

友であり同志である貴殿に今夜もお別れを述べると同時に、この機会を与えて下さったことに感謝申し上げます。吾々の通信が、たとえ数は少なくとも、真理を求める人にとって僅かでもお役に立つことを祈っております。では改めてお寝みを申し上げます。神のお恵みを。†

「しかしこの応援団」心秘かに使命遂行を応援して下さっている方々の思念だと信じたいですが(祈)†■2022年7月13日UP■
「しかしこの応援団」心秘かに使命遂行を応援して下さっている方々の思念だと信じたいですが(祈)†
誰もみな「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する恐怖心があって公言できずにいるが、心の中では僕、たきざわ彰人の霊的使命遂行を応援して下さっている、という事でいいのではないでしょうか。それこそ本心であり、人間として当然の感情であり、信じられない人数の幼い女の子をケタケタ笑いながら四肢切断、強姦殺人しまくり死肉を食べまくっている明仁、文仁、徳仁、悠仁に対して怒りの感情を抱かないとしたら、それはもはや人間とは呼べず、人間のカタチをマネているだけの何らかの暗黒物質という事になるでしょう…続きを読む→
「何とでも作って頂いて結構です」絶版した霊関連書籍の復刊を許可する思念ですが…(祈)†■2022年8月3日UP■
「何とでも作って頂いて結構です」絶版した霊関連書籍の復刊を許可する思念ですが…(祈)†
霊団は僕が殺されないように防御しているようだが、それはつまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事に全然本気ではないという事になる。奴隷の女の子の存在を「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁と同じ「視点外し」という手段を駆使してまで忘れさせようとしている、つまり女の子たちを完全に見殺しにするつもりでいる。支配霊バーバネル氏は僕という霊媒を使うつもりでいるようだが、僕はもう全く信用しておらず「絶版した霊関連書籍の復刊」の作業に本腰を入れる事となった。復刊が霊的知識普及のベストルートだと信じる。…続きを読む→
「科学のヒントがパズルのように含まれる」霊団はまだ交霊会の事をしつこく言ってきます(祈)†■2022年9月21日UP■
「科学のヒントがパズルのように含まれる」霊団はまだ交霊会の事をしつこく言ってきます(祈)†
今こうしている間も奴隷の女の子たちは明仁、文仁、徳仁、悠仁に「処刑遊び」と称して強姦殺人され続けている事を知っていながら、その女の子たちを助ける事を一切せず、女の子たちに背を向けながら霊団の要求を泣く泣く呑んで交霊会をおこない、新時代の霊言を降らせる人生を送ったとして、その僕の心境をどうか皆さまにご想像頂きたいと思います。奴隷の女の子の存在を知らない状態だったなら、ノリノリで交霊会をやっていたかも知れません。しかし霊媒として機能し、霊言を拡散する作業を日々おこないながらも「コイツら(霊団)は奴隷の女の子たちを全く助けるつもりがないんだ」と思いながら苦虫をかみつぶして一生を送る、それがどういう心境かをご想像頂きたいのです。僕の目には、霊団のこの態度は「偽善の極致」として映ります。口だけ動かしてどれだけ高尚な事を言ってきても結局女の子ひとり助けようともしない奴らなんだ、そういう結論に達します…続きを読む→

ヴァッカじゃネィのかと言いたくなるまるっきり意味不明の幽体離脱時映像。あんなモノ見せてきた先に一体何の仕事の前進があるというのか。つまりもう全く何もやる気がないという事。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は滅ぼさない、奴隷の女の子は完全に見殺し、新規の霊言を降らせる事もホッポラカシ。

コイツらは何にもしない。僕は僕にできる事をやっている。「ベールの彼方の生活3巻」最終校正に入りつつ、OCR変換が完了している他の書籍群のテキスト見直しも続行します。許せない、霊団のふざけた態度が許せない。そんなに邪悪を残したいのか。だったらなぜ僕のDreamwork(画家活動)を破壊させてまでこの使命遂行をやらせたというのか。

次回長文ブログネタとなるインスピレーション超枯渇状態、相当ピンチですが正直もうどうでもいいような気分になっています。霊団つまり指揮命令系統が完全にやる気ゼロなのに末端の最下等兵士つまり僕がやる気を出してもどうにもなりませんからね。

地球圏霊界、最悪。帰幽したが最後、2度と関わり合いになりたくない。できる事ならもう地球圏の仕事はしたくない。全然別のところに行きたい。もっとも僕はその資格に到達していませんが…

これが僕の揺るぎない本心となります。「ベールの彼方の生活2巻」テスト印刷書籍、まだ到着しません。遅い、遅すぎる、その代わりお安い。ただし、僕が使用している印刷会社、たぶん日本最安だと思うのですが、正直言って製本のクオリティは低いです。

表紙がみるみるめくれ上がってくる、その本の上に他の本を重石で置いておかないとクルクルめくれ上がって本のカタチじゃなくなる。復刊が実現するとしてもこの印刷会社は本番用の書籍の印刷には使えません、あくまでテスト専用の場所です。本番用の印刷会社の事も考えないといけません。さぁ僕にできる作業を続行しましょう。霊団最悪(祈)†

「進化が足りない」物質界の苦難の存在理由を僕は理解できていないという意味です(祈)†■2022年5月11日UP■
「進化が足りない」物質界の苦難の存在理由を僕は理解できていないという意味です(祈)†
物質界で味わった苦しい思いは、帰幽後に霊界で存分にその埋め合わせが用意されており、苦難から逃げずに立ち向かった者には霊的褒章が、苦難から逃げて物的享楽に走った者には幽界下層界での反省の人生が待ち受けています。さらに同胞(他人)を虐げて(肉体的精神的に傷つけて)私腹を肥やした人間には暗黒、地獄とも表現できる低い境涯にて永遠とも思える長い年月にわたる大変キビシイ未来が待ち受けています…続きを読む→
「あなたは理解しなくてはなりません」何を言ってるのかサッパリ理解できません(祈)†■2022年5月18日UP■
「あなたは理解しなくてはなりません」何を言ってるのかサッパリ理解できません(祈)†
とにかく理不尽のレベルがタダ事ではない。努力すればするほどヒドイ状況にさせられていく。どれくらいのレベルの不自由な肉体をまとわされるのかは分かりませんが、義肢、義足ですからもちろん日常生活に支障が出るレベルでしょう。当然絵も描けない、そもそも絵の才能を剥奪され、現世での努力を全く無に帰せられる。そして使命遂行上必要と思われるテキスト撃ち、情報拡散等々の作業も満足にできない、そういう肉体をまとわされての再降下になるのかも知れません…続きを読む→

ハッキシ言って全文見直しましたが全然アナがあるモノと思われます。が、霊的知識摂取には全く問題ないレベルですのでぜひ(お読みになった事がない方がほとんどだと思いますので)ザッと読むだけでも読んで頂きたい。本当はざっとではなくガッツリとお読み頂いてその意味の重大性に気付くところまで行ってもらわねば困るのですが、そこまで理解できる人はまれでしょう。

さぁこれで「心霊と進化と」のテキストが揃った事になります、イコールAffinityPublisherにテキストを流し込んで書籍データを作成する事ができるという事になります。復刊および出版社設立を実現させて脱出を完了させる、これが僕の残された人生の全てとなります。

僕だってこんなこと言いたくはないのですが霊団がもう完全にやる気ゼロの態度を示していますので、もう使命遂行が前進、進展する事はないでしょう、つまり延々閉じ込められる事が完全に決定してしまう事になり、それを無抵抗に受け入れる訳にはいきませんので全力で反逆し脱出を決行させようとしているのです。

脱出する、何としても脱出する。書籍データの作成を続行して手持ちカード(武器)を増やしつつ復刊実現を目指していきます。閉じ込められてたまるか死んでも脱出する。何が何でもやってやる。

「スピリチュアリズムと宇宙哲学」巻末にある情報が掲載されています。もう復刊実現に向けた手紙を7通くらい書いてきたでしょうか、それら全てが復刊につながっていませんが、その巻末の情報に基づいて8通目の手紙を書くつもりです。間違いなく返事は来ないものと思われますが、いま自分に出来る事は全てやらないといけません。

このまま一生閉じ込められるのは死んでも認めない、脱出するか、死ぬか、ふたつにひとつであり、残るという選択肢は僕の人生にない。復刊実現が脱出につながる事を信じて作業を続ける意外に脱出方法が思いつかない状態、つまり霊団がそうさせないようにしているという事ですが、とにかく絶対に脱出をあきらめない「ベールの彼方の生活3巻」の作業に戻りましょう(祈)†

1913年10月16日 木曜日

吾々が霊界の事情について述べる事の中にもしも不可思議で非現実的に思えるものがある時は、こちらには地上の人間には捉えられないエネルギーや要素が沢山ある事を銘記して頂きたい。

そのエネルギーは地上の環境の中に全く存在しない訳ではありません。“大半が”人間の脳では感知し得ない深いところに存在するという事です。霊的感覚の発達した人にはある程度 – あくまで“ある程度”でしかありませんが – 感知できるかも知れません。

霊的に一般のレベルより高い人は平均的人間にとって“超自然的”と思える世界との“境界線”あたりまでは確かに手が届いております。その時に得られる霊的高揚は知能や知識をいくら積んでも得られない性質のもので、霊的に感得するしかないものです。

今夜もまたご母堂の要請で、人間界について吾々が見たまま知り得たままを語りに参りました。可能な範囲に限ってお話しましょう。それ以上の事は既に述べた如く吾々には伝達技術に限界があり、従って内容が不完全となります。

– アストリエル様ですか。

アストリエルとその霊団です。まずは主イエス・キリストの名において愛と平和のご挨拶を申し上げます。吾々にとっての主との関係は地上における人間と主との関係と同じです。ただ、地上にいた時に曖昧であった多くの事がこちらへ来て明らかとなりました。

そこで厳粛なる気持で申し上げます – 主イエス・キリストの神性の真意と人類との関わりの真相を知らんと欲する者は、どうか、恐怖心に惑わされる事なく敬虔なる気持をもって一心に求めよ、と。そういう人にはこちらの世界から思いも寄らない導きがあるものです。

そして又、真摯に求める者は主の説かれた真理の真意がいずこにあるかをいかに“しつこく”問い詰めようと、決して主への不敬にはならない – 何となれば主がすなわち真理だからである、という事を常に心に留めて頂きたく思います。

しかしながら、吾々にもそれと同じ大胆さと大いなる敬意を込めて言わせて頂けば、地上のキリスト教徒の間で“正統派”の名の下に教えられているものの中には、こちらで知り得た真相に照らしてみた時に多くの点において適正さと真実性に欠けているものがあります。

と同時に、それ以上のものを追求しようとする意欲と、神の絶対愛を信じる勇気と信念に欠ける者が多すぎます。神は信じて従う者を光明へと誘(いざな)い、その輝ける光明が勇気ある者を包み、神の玉座へ通じる正しく且つ聖なる道を教え示して下さる。

その神の玉座に近づける者は何事をも克服していくだけの勇気ある者のみである事、真に勇気ある者とは、怖(お)じ気づき啓発を望まぬ仲間に惑わされる事なく、信ずる道を平然と歩む者の事である事を知って下さい。

さて前回の続きを述べましょう。貴殿に納得のいくものだけを信じて頂けば宜しい。受け入れ難いものは構わないで宜しい。そのうち向上するにつれて少しずつ納得がいき、やがては全体の理解がいきます。前回は天体の構成と天体間の相互関係について述べました。

今回はその創造過程と、それを霊的側面から観察したものを少しばかり述べましょう。ご承知の如く、恒星にも惑星にも、その他物的なもの全てに“霊体”が備わっております。その事は貴殿はご存知と思いますので、それを前提として吾々の説を披露します。

天体は“創造界”に属する高級神霊から出た意念が物的表現体として顕現したものです。全天体の1つ1つがその創造界から発せられた思念と霊的衝動の産物です。その創造の過程を見ていると、高級神霊が絶え間なく活動して、形成過程にある物質に霊的影響力と、その天体特有の言わば個性を吹き込んでおります。

かくして、例えば太陽系に属する天体は大きな統一的機構に順応はしていても、それぞれに異なった性格をもつ事になる。そしてその性格は責任を委託された大天使(守護神)の性格に呼応します。

天文学者は地球を構成する成分の一部が例えば火星とか木星とか、あるいは太陽にさえも発見されたと言う。それは事実であるが、その割合、あるいは組み合せが同じであると考えたら間違いです。各天体が独自のものをもっております。

ただそれが1つの大きな統一体系としての働きに順応しているという事です。太陽系を構成する惑星について言える事は、そのままさらに大きな規模の天体関係についても当てはまります。

つまり太陽系を一個の単位として考えた場合、他の太陽系とは構成要素の割合においても成分の組み合せにおいても異なります。各太陽系が他と異なる独自のものを有しております。さて、そうなる原因(わけ)は既に説明した通りです。各太陽系の守護神の個性的精神が反映する訳です。

守護神の配下にさらに数多くの大天使が控え、守護神の計画的意図に沿って造化の大事業に携わっている。とは言え、各天使にはその担当する分野において自由意志の行使が許されており、それが花とか樹木、動物、天体の表面の地理的形態といった細かい面にまで及ぶ。

千変万化の多様性はその造化の統制上の“ゆとり”から生まれます。一方、そのゆとりある個性の発揮にも一定の枠が設けられているために、造化の各部門、さらにはその部門の各分野にまで1つの統一性が行き亘る訳です。

こうした神霊の監督の下に、さらに幾つもの段階に分れた霊格の低い無数の霊が造化に関わり、最下等の段階に至ると個性的存在とは言いかねるものまでいる。その段階においては吾々のように“知性”と同時にいわゆる自由意志による独自の“判断力”を有する存在とは異なり“感覚的存在”とでも呼ぶべき没個性的生命の種属が融合しております。

– 物語に出てくる妖精(フェアリー)とか小妖精(ピクシー)とか精霊(エレメンタル)といった類の事ですか。

その通り。みな本当の話です。それに大ていは優しい心をしています。ですが進化の程度から言うと人類よりは遥かに低く、それで人霊とか天使と呼ばれるほどの高級霊ほどその存在が知られていない訳です。さて地球それ自身についてもう少し述べてみましょう。

地質学者は岩石の形成過程を沖積層とか火成岩とかに分けますが、よく観察すると、その中には蒸気状の発散物 – 磁気性の成分とでも言ってよさそうなものを放出しているのがあることが判ります。それが即ち、その形成を根源において担当した霊的存在による“息吹き”の現われです。

こうした性質はこれまで以上にもっともっと深く探求する価値があります。化学的成分の分析はほぼ完了したと言えますが、休む事なく活動しているより精妙な要素の研究が疎(おろそ)かにされている。

岩石の1つたりとも休止しておらず、全成分が整然と休む事なく活動しているというところまで判れば、その作用を維持し続けるためには何か目に見えざる大きなエネルギーが無ければならない事、さらにその背後には或る個性をもった“施主”が控えているに相違ないという考えに到達するには、もうあと1歩でしかありません。

これは間違いない事実です。その証拠に、そうした目に見えない存在に対する無理解のために被害をこうむる事があります。これは低級な自然霊の仕業です。一方“幸運の石(ラッキーストーン)”と呼ばれるものをご存知と思いますが、これはいささか曖昧ではありますが背後の隠れた真相を物語っております。

こうした問題を検討するに際しては“偶然”の観念を一切拭(ぬぐ)い去って秩序ある因果律と置き換え、その因果律を無知なるが故に犯しているその報いにすぎないとお考えになれば、吾々が言わんとする事にも一理ある事を認めて頂けるでしょう。

便宜上、話題を鉱物にしぼりましたが、同じことが植物界や動物界の創造にも言えます。今夜はそれには言及しません。こうした話題を提供したのは、科学に興味を抱く人でこれまでの科学では満足できずにいる人に、見えざる世界に臆することなく深く踏み込める分野がいくらでも開けていることをお知らせしようという意図からです。

以上を要約してみましょう。それに納得が行かれれば、吾々が意図した結論も必然的に受け入れねばなりません。つまり物的創造物はどれ1つとってもそれ自体は意味がないし、それ1つの存在でも意味がない。

それは高級神霊界に発した個性的意念が低級界において物質という形態となって表現されているもので、霊的想念が原因であり、物的創造はその結果だということです。

ちょうど人間が日常生活において自分の個性の印象を物体に残しているように(※)、創造界の神々とその霊団が自然界の現象に個性を印象づけているわけです。(※サイコメトリという心霊能力によって、物体を手にするだけでその物体に関わった人間のことが悉く読み取れる。 – 訳者)

何1つ静止しているものはありません。全てがひっきりなしに動いております。その動きには統一と秩序があります。それは休むことなく働きかける個性の存在を証明するものです。

下等な存在が高等な存在の力によって存続するように、その高等な存在はさらに崇高なる守護神の支配を受け、その守護神は宇宙の唯一絶対のエネルギー、すなわち宇宙神の命令下にあります。が、そこに至るともはや吾々の言語や思索の域を超えております。

宇宙神に対しては、全てはただただ讃仰の意を表するのみであり、吾々は主イエスの御名において崇敬の意を表するのみです。全ては神の中に在り、全ての中に神が在(ま)します。

アーメン†

【霊団からの緊急警告】文仁が僕の殺害決行を決断した模様です。簡単にやられるかよ(祈)†■2021年12月31日UP■
【霊団からの緊急警告】文仁が僕の殺害決行を決断した模様です。簡単にやられるかよ(祈)†
自分を殺す事を決断した文仁と笑顔で撮影をして国民にそれを発信し続けるピーチピチ(佳子)に、僕はただただ閉口するのみです。そこまでして邪悪の人生を守り抜きたいのか、奴隷の女の子を強姦殺人し続ける事を手伝い続ける地上人生を送って帰幽した先に地獄が待っている事がまだ分からないのか。一体何をどう説明したら分かってもらえるのでしょう。閉口中…続きを読む→
「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†■2022年1月26日UP■
「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†
自分という存在の根源についての疑問を心のホンの片隅にでも入れておく事で、いつかそのタネが花開くキッカケを掴みやすくなると思うのです。霊的なモノをお勉強すればするほど物質界にはびこる数々の邪悪な諸問題の根本原因が「霊的知識の無知」にある事がことごとく理解できるようになります。肉体の死後も霊的身体をまとって霊界で永遠に存在し続ける、物質界生活時の行為、思念が帰幽後の自分の生活環境を決定する、物質界の金銭は一時的預かりモノであって自分のモノではなく、帰幽と共に全てを物質界に残して心ひとつで霊界に出発する、つまり物的金銭を蓄積しても自分の未来に何のプラスにもならない、こういう事を理解していない人間が利己的動機で同胞を虐げて自分だけ物的利益を得ようとしている、それが邪悪の根本原因だと考えます…続きを読む→
インスピレーションを読み返してますが、とにかく最悪がやってくるのです(祈)†■2022年3月2日UP■
インスピレーションを読み返してますが、とにかく最悪がやってくるのです(祈)†
この10年の努力は一体何だったのか。霊団におべっか使っていれば違う結末になったのか。霊界にはウソが存在しない事を知識として理解していたから僕は常に正直にブログを書いてきた。ウソを並べ立てて霊団を褒め称えておけば閉じ込められずに済んだとでもいうのか。1億歩譲って僕の事は仕方ないとしても、奴隷の女の子を全く助ける気がないというのは一体どういう事なのか。そもそも奴隷の女の子の存在を教えてきたのは霊団だ。教えてきたのに助けるつもりがない、ではなぜももちゃんの事を僕に教えてきたのか。ただの冷やかしだったのか。僕は「正直者がバカを見る」の状態にさせられます。真面目に使命遂行を続けてきた結果がこれですか。本当におもしろい…続きを読む→

霊団はもう何も言ってこない、今日もトランスが全くなく目覚ましが鳴るまで熟睡の状態、まるっきり霊性発現前の状態になっています。だったら何のためにこの人生をやらされたというのか。許せない気持ちが永遠に湧き上がってきます。

で、「スピリチュアリズムと宇宙哲学」スキャンしながらところどころ読んだりしていてつくづく思うのですが、近藤千雄先生は自分が使命を帯びて物質界に降下した人間だという事を十分に自覚しておられたようだという事です。

まだ書籍全編を読んでいませんので断片しか分かりません、しっかり読んでからこの件についてまた書こうと思いますが、僕が使命遂行者として物質界に降下した人間でない事をさらにハッキリ理解するに至っています。

何もかも準備されていて次々と仕事が進行する近藤先生の人生。何もかも行き当たりバッタリで何ひとつ結果が見えてこない僕の使命遂行。まるっきり正反対です。あげくの果てに霊団が何度も謝ってきやがる。仕事の失敗を認めてるんですよ。

チョ時間がないので一旦切ります。とにかくやるしかないんだ。まずはテキスト流し込みを急ぎます。もぉぉやだ、この人生ヤダ、僕という霊の道具を使う気がないなら終わりにしてくれ。何もなくただダラダラこの最悪の状況に残されてたまるか。残されるんだったら死んでも脱出する。脱出できないんだったら帰幽する。この人生をやらせた霊団を永遠に憎み続ける。僕の人生を返せ(祈)†

■2020年12月9日UP■
TrailMovie 霊界の動物たち 2013年11月20日にUPしたブログです(祈)†
ブログ、ツイッターで何度か書いていますが、僕はこの"霊的知識普及の使命"が終了して無事帰幽を果たした暁には、霊界において僕にひたすら正反対のメッセージを送り続けた方々とは共に暮さず、当分の間は動物たちと暮したいと宣言しています。現在でもその想いに大筋変りはありませんが、僕がこういう考えに到達して以降、幽体離脱にて"動物たちとの出会い"が複数あったのです。その出会いがとても印象深いものでしたので、今回まとめて紹介させて頂こうと思います。まずは"カラス"との出会いです…動画を見る→
■2021年7月7日UP■
「これから起こる事の大変さに比べれば」現在の僕の苦しみなど取るに足らないという意味です(祈)†
実はバーバネル氏が1回だけ僕の肉の口を使って言葉を発した事があるのです。なぜ過去ブログでその事を書いていないのか、それは書きたくなかったからです。なぜならその時、僕は事情があって大泣きしていたのです。2014年1月だったかな。僕はあふれる涙を抑える事ができず号泣していました。その時です。僕の口から、思ってもいない、考えてもいない一言が飛び出したのです。最初はなぜ自分がそんな事を言ったのか理解できませんでしたが「あ!バーバネル氏が僕の肉の口を使って言わせたんだな!誰がそんな事言いたいって言った!チクショー!」と気付いて、それがショックでさらに号泣した、という事が1度だけあったのです。つまりバーバネル氏はたった1回ではあるものの僕の肉の口を使って日本語を発声する練習はしているという事になるのです…続きを読む→
■2021年8月4日UP■
「彼らも悪しざまに言われました」シルバーバーチ霊の言葉をタイトルに冠させて頂きました(祈)†
彼らは地上世界にいずれ実現される神のプランを読取り、その日のために物質界の子等の魂を高揚させるべく一身を擲(なげう)ったのでした。彼らも悪しざまに言われました。援助の手を差しのべんとしたその相手から反駁され嘲笑されました。しかしその仕事は生き続けました。それはちょうど、今日世界各地の小さな部屋で行われている、このサークルのような交霊会の仕事が、そのメンバーの名が忘れ去られたのちも末永く生き続けるのと同じです。強大な霊の力が再び地上世界へ注ぎ込まれはじめたのです。いかなる地上の勢力をもってしてもその潮流をせき止める事はできません…続きを読む→

WordPress霊関連書籍ヘッダースピリチュアリズムと宇宙哲学

この書籍、全く入手できなかった希少書籍ですのでぜひテキスト化を完了させたいですが、作業はこれだけではありません、決して大げさな表現ではなく本当に一生かかってもやりきれないほどの作業が眼前に待ち受けていますので、どこまでできるかは未知数です。少なくともWordPressに全文掲載まではやりきりたいです復刊はムリだとしても。

「心霊と進化と」テキスト見直し90%完成中といったところ、間もなくWordPressに全文掲載できそうです。コチラも希少書籍となりますので(そのぶん需要がないとも言えますが…)ぜひ復刊までこぎつけたい書籍となります。

で、出版社の表札をデータ入稿で制作する件ですが、コチラはもうデータは完成していて、あとは注文するだけの状態ですが、この「出版社の表札」は今すぐ必要なものではありません。そして現在おこなっている書籍テスト印刷のように、データ提出して手元に書籍が到着するまで2週間かかるとかそういう事ではなく、注文して3、4日で手元に届きますので、本当に必要になったら注文する事にして一旦待機しましょう。

ベールの彼方の生活3巻、4巻のテキスト流し込み前の作業、タグ外し完了中、現在3巻4巻に使用する画像をこれまで山で撮影してきた画像の中から抽出してtiffで書き出す作業をやっています。とにかく止まらずジャンジャン作業しているという事です。

ベール3巻の表紙の線画も既に完成中、ゴミ取りをやらないといけません。さらに止まらず4巻の表紙の線画、あと「心霊と進化と」の表紙の線画も描いてもイイかも知れません。絶対に止まらない。

ちなみにひとつお話させて頂きますが、今日、友人と話している時(友人が書籍復刊の事をいろいろ話してきてくれるのです、有り難いお話です)霊団が「ゆっくり」と霊聴に言ってきたのです。これは「展開をゆっくり」みたいな意味で、友人の霊的知識の理解度に合わせてゆっくり話を進めなさい、一気にムズカシイ話をするとかえって友人の理解を妨げる事になるとか、そういう意味と思われます。

この話を持ち出したのは、普通に人と会話している時でも霊団が人の霊聴にピーチクパーチク割って入ってしゃべくってくる事があるんですよ、という事を皆さまにご紹介しておこうかなと思っての事でした。ハッキシ言ってウザい時もあります。イヤ、ウザい時の方が割合として多いのかも。

さぁスキャンにケリがつきました、GoogleドライブへのUPも完了中、あとはOCR変換、テキスト見直しを経てWordPressに全文掲載となりますが、待機中の書籍が恐るべき量とともに控えていますのでいつになったらできるのか見当もつきません。とにかく霊団はもうやる気ゼロ。だったら帰幽にしてくれと言いたい(祈)†

■2019年2月16日UP■
なぜ強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の悪行を止める者が現れないのか。最終的には「霊的知識の無知」に帰着するのです(祈)†
全ては「霊的知識の無知」からくる「近視眼の人生観」によるものなのです。自分の人生を肉体のみのたかだか7~80年のものだと考え、肉体の死後も霊体をまとって霊界で永遠の向上の生活が待っているという事を全く知らないから強姦殺人魔に協力するという愚行を犯してしまうのです。その悪の行いが帰幽後の霊界での自分の人生をいかに地獄に落とし、長い年月にわたる恥辱の反省ののちに現在よりずっとヒドイ地上環境に生まれ直させられて大いに苦しみを味わわされるのか、という事を知識として知っていれば少なくとも女の子たちを殺す手伝いをする事にブレーキがかかるはずなのです…続きを読む→
■2019年5月26日UP■
■アナログ絵263、3ページUP。宇宙船クレスが「分離」を行います。ストーリーは264まで続きます(祈)†
クレスの「シップ」と「タワー」が分離する様子を初めて描いてみました。クレスについてはアナログ絵230 コチラで詳しく解説していますが、霊団が「アニメ化される日が結構早く来るよ」などというインスピレーションを降らせている事もあり、僕的には「何を言ってんだろーなーこの人たちは」という思いが強いものの、もしそれが本当だとするなら、今回のストーリーを描いておくと後々自分を助ける事になるという感じで描かせて頂きました…続きを読む→
■2019年5月31日UP■
■アナログ絵264、後半3ページストーリーUP。そしてももちゃん、シルキーについて追記させて頂きます(祈)†
ちっともおもしろくないはずの下層界での犠牲的仕事をふたりが嫌がらずに行おうとしている事に「イエス様」が思わず反応した、今回の264はそういうストーリーなのです。ももちゃんとシルキーが初めてイエス様と会ったのはアナログ絵168ですが、この時からももちゃんとシルキーはだいぶ精神的に成長している事を受けてイエス様が思わず「立派になりましたね」とふたりをほめる訳です…続きを読む→

1913年10月9日 木曜日

この度も貴殿のご母堂の要請を受けて参じました。再びベールのこちら側より語りかける機会を得て嬉しく思います。こうして地上へ戻って来る事を吾々が面倒に思っているとは決して考えないで頂きたい。

もちろん地上の雰囲気は吾々の境涯に較べて明るさに欠け楽しいものでない事は事実ですが、こうして使命を仰(おお)せつかる事の光栄はそれを補って余りあるものがあります。今回は天体の科学について述べてみたいと思います。貴殿にも興味があるであろうし役に立つと考えるからです。

科学と言っても地上の天文学者が行っている単なる物質の表面的分析の事ではありません。その構成要素の内奥に関わるものです。

ご承知のように恒星はその1つ1つが周囲に幾つかの惑星を従えた1個の組織を構成しているというところまでは認識されていますが、実はそれのみではなく組織全体に亘って地上のいかに精巧なる器機や秀れた頭脳をもってしても感識できないほど精妙な粒子が行き亘っております。その粒子は物質と霊質との中間的存在で、物質的法則と霊的法則の両方の働きに反応します。

それというのも、両者は根源的には多面性を有する1個の進化性をもつ有機的組織の2つの面を表すにすぎず、あたかも太陽とその惑星の関係の如くに互いに作用と反作用を繰り返しています。重力もその粒子に対し物的・霊的の両面において反応します。

吾々が心霊実験において写真の乾板に、さらには肉眼に感応するまでに霊体に物質性を付加する時に使用するのがこのエネルギーです。本当は貴殿には理解できない要素があるのですが、貴殿の知る用語としては“エネルギー”しか無いので取りあえずそう呼んでおきます。

それ以外にも広い規模で機能しております。たとえばもしその粒子が存在しなかったら大気は真っ暗になります。つまり太陽や恒星からの光線が地球まで届かないという事です。なぜかと言えば、そもそも光線が肉眼に映じるのは光波がその粒子に当った時の反射と屈折の作用のせいだからです。

“伝導”というのは正しくありません。伝導とか伝達には別の要素が関わっており、それについてはここでは次のように述べるに留めておきます。すなわち、人間の肉眼に映じているのは光線でもなく光波でもなく、光線がその精妙な粒子に当たった時の衝撃によって生じる波動である、と。

この問題に関しては地上の科学者はまだまだ学ばねばならない事が沢山あります。と言って、それを吾々がお教えする事は許されません。人間が自らの才能を駆使して探るべきものだからです。もしその範囲を逸脱して教えてしまえば、地上という物的教育の場が地球ならではの価値を減じます。

人間の個人的努力ならびに協調的努力によって苦心しながら探る事の効用を台無しにする事のない範囲に援助を抑えているのは、そういう理由によります。この点をよく銘記して頂きたい。その点を理解して頂けば、こうした通信において吾々がよく釈明する事がある事も納得が行かれると思います。

さて恒星は光を反射している。が放射するためには内部にそれを蓄えておかねばならない。しかし恒星は自らを自らの力で拵えた訳ではない以上、エネルギーを蓄えるにはどこからか与えてもらわねばならない理屈になります。では一体誰が与え、どういう過程で与えられるのであろうか。

「それは神が与えるのである。何となれば神は万物の根源だからである」 – こう言ってしまえばむろん簡単である。そしてそれは確かにその通りなのであるが、実際にその事に携わるのは神の使徒たる天使(※)であり、その数は人間的計算の域を超えます。

そしてその1人1人に役目が割り当てられているのです。(※日本神道でいう八百万(やほよろず)の神々である。 – 訳者)実は恒星は、整然たる秩序と協調性をもって経綸にあたるその数知れぬ霊的存在からエネルギーを賦与されている。

霊的存在が恒星の管理に当たっているのであり、各々の恒星が天体としての役目を遂行するためのエネルギーはそこから受けるのです。貴殿に是非とも知って頂きたいのは、神の造化の王国には何1つとして盲目的ないし無意識的エネルギーは存在しないという事です。

光線1本、熱の衝撃波1つ、太陽その他の天体からの電波1つにしても、必ずそれには原因があり、その原因には意識的操作が加わっている。つまり、ある意識的存在による確固たる意図に基いた、ある方角への意志の働きがあるという事です。

その霊的存在にも無数の階級と種類があり、霊格は必ずしも同じではなく、形態も同一ではありません。(※)がその働きは上層界の霊によって管督され、その霊もまたさらに高い霊格と崇高さを備えた神霊によって管督されているのです。

(※日本の古神道ではこれをひとまとめにして“自然霊”と呼んでいる – 訳者)これら物質の大きな球体は、ガス体であろうが液体であろうが固体であろうが、あるいは恒星であろうが彗星であろうが、全てが連動され、エネルギーが活性化され、それぞれに存在価値を与えられている。

何か機械的な法則の働きによるのではなく、そうした意識的存在が内面よりさきに述べた法則に則(のっと)って働きかけております。今“知的存在”と言わずに“意識的存在”と言いましたが、創造神のもとで造化の大事業に勤(いそ)しむ霊的存在はその全てが必ずしも“知的”ではありません。

貴殿が理解しているところの“知性”をもつ存在は全体の割合から言うと極めて限られております。ただし驚かないで頂きたいが、貴殿が“知的存在”と呼ぶであろう存在は、実は下等な存在と高等な存在の中間に位置する程度であり、その下等な存在は知的とは言えませんが、全体の経綸に当たる高等な存在になると貴殿の言う“知的”という用語の意味を遥か超えた、崇高なる存在ばかりです。

その下等と高等の中間に、知的存在と呼ぶに相応しい霊の住む界層がいくつも存在します。注意しておきますが下等といい高等といい知的存在といい、その意味するところは地上の人間が使用するものとは違います。

貴殿がこちらへ来られてある程度こちらの事情に慣れれば、その本来の意味が判るでしょう。私は地上の言語を使用しているのであり、貴殿の立場に立って説明している事を忘れないで頂きたい。

さて以上の説明によって霊と物質とがいかに緊密なる関係にあるかがお判りになるでしょう。そしてまた、先日の夜にお話した貴殿の教会の建立と指導霊の働き、なかんずく例の風見鶏に関するものは、今述べたのと同じ創造の原理を小規模の形で物語ったものに他なりません。

数知れぬ恒星と惑星の存在を維持するための機構と同じものが、各種の原子の集積体 – 石材、木材、レンガ等 – の配列に関与し、その結果があの教会と呼ぶ1個の存在の創造となった訳です。

その存在は奔流の如き意念の働きによって、それぞれの位置にあってしっかり他と連動されています。他とのつながりなしに置かれているのではありません。もしそんな事をしたらすぐに崩壊が始まり、バラバラになってしまいます。

以上述べた事に照らして、貴殿らが教会とか劇場とか住居とか、その他もろもろの建物に入った時の“印象の違い”について考えてみられるとよろしい。それぞれの機能に相応しい影響力が放射されておりますが、それは今吾々が解説したのと同じ原理が働いた結果です。

言ってみれば霊から霊への語りかけ – 物的身体をもたない霊が物的粒子を媒体として、その建物に入ってくる人間の霊に働きかけているのです。

お疲れのようですね。通信がしにくくなって来ました。これにて失礼します。良ろしければ改めてまた参りましょう。貴殿ならびにご家族、教会関係の皆様に幾久しき神の祝福のあらん事を。 アストリエル†

「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†■2023年3月29日UP■
「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†
解決しなければならない問題もなく、挑むべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。「あなたにはもう縁のない話だからそう簡単に言えるのだ」 – こうおっしゃる方があるかも知れません。しかし私は実際にそれを体験してきたのです。何百年でなく何千年という歳月を生きてきたのです。その長い旅路を振り返った時、私はただただ宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。1つとして偶然というものが無いのです。偶発事故というものが無いのです。すべてが不変絶対の法則によって統制されているのです。霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、何もかも一目瞭然と分るようになります。私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。あなた方は一体何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委(ゆだ)ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心を我が心とするのです…続きを読む→
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†■2023年3月22日UP■
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†
聖書には真実でない事がたくさん書かれています。人類史上最大の汚辱と言っても過言ではない「ニケーア会議」の時に様々なウソが聖書に書き加えられ、そのウソが世界中に広まっていき、イエス様の2000年の苦悩へとつながっていったのです。キリスト者はイエス様の御名を悪用して私腹を肥やす事を2000年にわたって続けてきました。特に中世ヨーロッパの暗黒時代が最悪で、キリスト教の要職についていた人間たちは、自分たちの地位、生活を守るために真実を公言する人間を徹底的に処刑してきました。キリスト教の人間が「主よ、主よ」とイエス様の御名を連呼する時、それはイエス様に対する最大級の侮辱であり、イエス様の悲しみをさらに増幅させ、積年の誤謬(ごびゅう)を払拭するどころかさらに加速させ続ける、イエス様をさらに十字架にかけ続ける許されざる呪いの行為となります。僕、たきざわ彰人からお願いしたい事としましては、間違いだらけの聖書を読むのはやめましょう。「シルバーバーチの霊訓」を筆頭とした正真正銘の霊関連書籍に目を通すようにしましょう。そして教会に足を運ぶのもやめた方がイイでしょう…続きを読む→
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†■2023年3月15日UP■
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†
しかしそれは「順番が逆だろ」まず奴隷の女の子たちを助けてあげて、それから交霊会だろ、と僕は思うのです。というのも、奴隷の女の子たちを完全に見殺しにした状態で僕という霊媒を霊団が使用して霊言を降らせたとしましょう。その降ってきた内容がさながら「シルバーバーチの霊訓」を彷彿とさせるような高尚な内容だったとしましょう。その霊団が降らせてきた内容が、人類を救うとか、世界を救うとか、人間は国家も肌の色も関係なく全員が神から神性の火花を賜って個的存在を与えられた、神を共通の親とした霊的兄弟、霊的大家族であり、戦争で敵国の兵士を撃ち殺す事は自分の家族を殺す事と同義であり愚かな事であり、したがって全世界が助け合っていかなければならないとか、そういう心を撃つ美しい内容だったとしましょう…続きを読む→