1913年11月8日 土曜日

これより暫しの間、貴殿の精神をお借りし、引き続き悪の問題と善との関係について述べたいと思う。善といい悪といい、所詮は相対的用語であり、地上の人間の観点よりすればいずれも絶対的という事は有得ない。

双方の要素を兼ね具える者にはそのいずれも完全に定義する事が出来ないのが道理で、ただ単に、あるいは主としてその働きの結果として理解するのみである。また、忘れてならない事は、ある者にとって善または悪と思える事が必ずしも別の者から見て善または悪とは思えないという事である。

宗教的教義の違い、民族的思想や生活習慣の違いのある場合にはそれが特に顕著となる。故に両者の定義の問題においてはその基本的原理の大要を把握する事で足れりとし、そこから派生する細部の問題は地上生活を終えた後に託する事が賢明である。

さて、悪とは法則として働くところの神への反逆である。賢明なる者はその法則の流れる方角へ向けて歩むべく努力する。故意または無知故にその流れに逆らう者は、たちまちにして行く手を阻まれる。そして、もしもなお逆らい続けるならば、そこに不幸が生じる。

生成造化を促進する生命は破壊的勢力と相対立するものだからである。故に、もし仮にその強烈な生命の流れに頑強に抵抗し続け得たとしても、せき止められた生命力がいずれは堰(せき)を切って流れ、その者を一気にし押流す事になろう。

が幸いにして、そこまで頑強に神に反抗する者あるいは抵抗し得る者はいない。故に吾々神の子の“弱さ”そのものが実はそうした完全なる破滅を防ぐ安全弁であると言えるのである。

比較的長期間 – 往々にして地上の年月にして何千年何万年にも亘って頑固に抵抗し続ける者がいないでもない。が如何なる人間も永遠にその状態を続け得る者はいない。そこに父なる創造神が子らの内と外に設けた“限界”があり、1人として神より見放され永遠にもどれぬ羽目に陥らないようにとの慈悲があるのである。

そこで、そうした神との自然な歩みから外(はず)れた生き方を観たからには、今度はその反対、すなわち全てが然るべき方角へ向っている状態に目を向けよう。確かに悪は一時的な状態に過ぎない。

そして全宇宙から悪の全てが拭い去られるか否かは別として、少なくとも個々の人間においては、抵抗力を使い果たした時に悪の要素が取り除かれ、後は栄光より更に大いなる栄光へと進む輝かしき先輩霊の後に続くに任せる事になろう。

この意味において、いつかは神の国より全ての悪が清められる時が到来するであろう。何となれば神の国も個々の霊より構成されているのであり、最後の1人が招き入れられた時は、今地球へ向けて行っているのと同じように別の天体へ向けて援助と救助の手を差し伸べる事になろう。吾々の多くはそう信ずるのである。

こうして地上に降り、今いる位置から吾々の世界との間に掛かるベールを透して覗いてみると、1度に大勢の人間が目に入る時もあれば、僅かしか見えない時もある。彼らは各々の霊格に応じてその光輝に差異が見られる。

神より吾々を通して地上界へ流れ来る霊的な“光”を反射する能力に応じた光輝を発しているという事である。薄ぼんやりと見える者がいるが、彼らはこちらへ来てもそれ相応の、あるいはそれ以下の、薄ぼんやりとした境涯へと赴く。

それ故、そこに居る者は各自その置かれた環境と雰囲気の中で極めて自然に映る事になる。そこがその人の“似合いの場所”なのである。譬え話でもう少し判り易く説明しよう。かりに闇夜にいきなり閃光が放たれたとしよう。

暗闇と閃光の対照が余りに際立つために見る者の目に不自然に映る。閃光は本来そこに在るべき物ではなかった。ために暗闇に混乱が生じ全ての者が一瞬その動きを止める。暗闇の中を手探りで進みつつあった者は目が眩んで歩みを止め、目をこすり、しばらくして再び歩み始める。夜行性の動物も一瞬ぎょっとして足を止める。

しかし同じ閃光が真昼に放たれたとしたらどうであろう。当惑する者は少なく、更にこれを太陽へ向けて放てば陽光と融合して、そこに何の不調和も生じないであろう。

かくして強い光輝を発する高級霊はその光輝と調和する明るさをもつ高い境涯へと赴く。むろん高級霊の間にもそれなりの差があり、各霊がそれ相応の界に落ち着く。反対に霊的体質の粗野な者は、それに調和する薄暗い境涯に赴き、その居心地よい環境の中で修身に励むのである。

むろんそこが真の意味で“居心地のよい”環境ではない。ただ、より高い世界へ行けばその光輝と調和しないために暗い世界より居心地が悪いというに過ぎない。そこに居心地よさを感じるためには、自分の光輝を強めるほかはない。

地上を去ってこちらに来る者は例外なく厚い霧状の“とばり”に包まれている。が、その多くはすでに魂の内部において高い界に相応(ふさわ)しい努力の積み重ねがある。そうした者はいち早くより明るい境涯へと突入して行く。

今、遥か上空へ目をやれば、そこに王の道 – 地球の守護神の玉座の坐(ましま)す聖都へ通ずる道が見える。吾等はその道を1歩1歩進みつつある。そして1歩進むごとに光輝が増し、吾々も、そして吾々と共に歩む同志たちも、美と光輝とを増して行く。

その中途において特別の許しを得て、それまで辿ってきた道を逆戻りし、期間はその必要性によって異なるが、地上の者を吾々の辿ってきた光と美の道へと導く仕事に携わる事ができるのは、吾々の大いなる喜びとするところである。

貴殿の守護霊として私は、貴殿が現在の心の姿勢で臨んでくれるかぎり、吾々霊団と共にこの仕事を続ける所存である。貴殿はそのつもりであると信じる。が、よくよく心してもらいたい事は、勇躍この仕事に着手したものの、新しい真理の光に目が眩み猜疑心を抱いてより暗い道、つまりは己れの魂の視力に相応しい段階へと後戻りする者が多い事である。

去る者は追わず。吾らはその者たちを溜め息と共に見送り、新たなる人物、吾々の光輝に耐え得る人物を求める。惜しくも去れる者は、時の経過と共に再び目醒めて戻って来るまで待つ他はないのである。

願わくば神の御力によって、貴殿が足を踏み外す事なく、また目を曇らされる事もなく進まれる事を祈る。たとえ地上の言語で書き表せない事も、少しでも多くを綴ってもらうべく吾らとしても精一杯の努力をするであろう。

貴殿を通じて他の多くの者がそれを手中にし、そこに真理を発見し、なお勇気があれば自ら真理の扉を叩き、その光輝と栄光を手にする、その縁(よすが)となればと願うからである。†

「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†■2023年10月25日UP■
「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†
物理霊媒の場合は単純にエクトプラズム量が多い人間を霊媒として使用し、その人間の性格、霊格は関係しないという事なのだそうですが、霊言霊媒という事になるとその霊媒の人間性、人格、霊格が降らせる霊言のクオリティに大きく影響するのだそうです。つまり霊媒の霊格が低ければ降らせる霊言も程度の低い、クオリティの落ちたものになる、イヤ、そもそも支配霊とその人間との間に霊格の差がありすぎて融合する事ができず霊媒として使用できないという事もあります。逆に霊媒の霊格が高ければ高いほど支配霊は語りたい事を自由に語れるようになり、霊言のクオリティが上がるという事になります。支配霊をリーダーとした交霊会運営のための霊団側は高いレベルの霊言を降らせる準備が常に整っています。しかしそのクオリティを維持しながら物質界に霊言を降らせる事は至難の業で、霊媒側の受容能力、信頼感の欠如、霊格の低さ等が障害となって、だいたいにおいて霊側が犠牲を強いられる事になり、当初予定していたものよりクオリティの低い霊言を降らさざるを得なくさせられるのが常のようなのです…続きを読む→
「進化とはなかよしの事」深いインスピレーションですが僕には耳が痛いですね(祈)†■2023年10月18日UP■
「進化とはなかよしの事」深いインスピレーションですが僕には耳が痛いですね(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の情報拡散だけは徹底的に僕にやらせて、僕の次の世代の使命遂行者が仕事をやりやすいように畑だけは耕しておくが、滅ぼす事は僕の代ではやらない。霊団はタダ僕にその苦しいタネ蒔きを続けさせて霊的に向上させて帰幽させる事だけを考えていたのではないか。交霊会やるやるとずっと言い続けてまるっきりやろうともしない、サークルメンバー問題も全く解決させようともせず交霊会をおこなう環境など全然整っていないのに、ただ口だけ延々とやるやる言い続けてくる。これもどう考えてもおかしい。バーバネル氏が支配霊というのもおかしい。物質界生活中に僕にできるだけ霊的知識を獲得させておくために交霊会交霊会言い続けてお勉強させるのが真の目的だったのではないか。つまり僕の仕事の本当の舞台は霊界であって、帰幽後にイエス様(さすがに直で仕事を賜る事はないと思いますが間接的にはあるかも知れません)から言いつけられる仕事をおこなう事の出来る霊的知識および霊格を物質界生活中に身につけさせるためにムチャクチャな試練を浴びせられているという事なのではないか…続きを読む→
「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†■2023年10月4日UP■
「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†
【神】が経綸するこの全宇宙には目的があり、それは「進化」の一語に尽きると思います。全天体、全存在(生命)が進化を目的として永遠とも思える霊的向上の旅を続けています。霊的進化のゴールと言える至福の境涯ニルバーナは存在せず、神の御胸に向けての永遠の進化の旅が続くのですが、僕たちが現在在籍している地球圏は神が経綸する全宇宙の中のほぼ最低ランクの存在の場であり全く進化が足りません。イエス様を最高指揮官とした地球圏経綸の任に当たる天使の方々は、物質界の知的暗黒時代(特に中世ヨーロッパ)を打破して霊的知識を普及させるべく「スピリチュアリズム」を勃興させました。これまでの地球圏霊界でこれほど大々的な計画が実行に移された事はないそうです。イエス様がそこまでしなければならなかった理由は、物質界で学ぶべき事を何も学ばずに無知のまま帰幽して下層界にたむろする、シルバーバーチ霊の言葉を借りれば「難破貨物」ともいうべき低級霊があふれかえってそれがいよいよ上層界にまで悪影響を及ぼし始めてきた事が一因だそうです…続きを読む→

さぁデータ上の問題が残されているかも知れませんが「まぁこれはテスト印刷だ、本番じゃない」という事もあり、間髪入れずデータ入稿を完了させました。3月の頭に書籍到着予定です。こうやって書籍データを次々と先行で完成させておいて、復刊可能となったら一気に販売状態にするつもりでいるのです。

「自動書記嘆願の祈り」はやはり無視される可能性が極めて高く、そうなると数日前に少し書きましたアイデアを実行するしかないかなぁという事になるのですが、これがやるとなったら恐るべき地獄で、しかもその地獄の作業を自分に課してみたところで全く脱出につながらない、ただ苦しみが倍加するだけの状態になるのは目に見えているので、実行までは踏み切れずにいます。

イヤ、降ってこないんだったら自分で本を書く、ただそれだけの事です。そうでなくてもWordPressでの毎週の長文テキスト撃ちで疲弊しまくっているのに、そこに追加のテキスト撃ちが入ってくるとなったら地獄の中の地獄。まずやりきれないでしょうから実行まではしません、自動書記で新規の霊言が降ってくるのを待ちつつ書籍データをガンガン作り続けていくしかなさそうです。

次回長文ブログネタとなるインスピレーションは多少降っている状態、まぁ書けない事はない感じですので今週は大丈夫そうですが、それにしても脱出だけが何をどうもがいても実現しない、それを打破しないといけません。いよいよシチメンドクサイ「復刊に向けた事務作業」を実行に移さないといけなそうです。

さぁ止まらず「ベールの彼方の生活4巻」のAffinityPublisherへのテキスト流し込みを開始します。そしてOCR変換テキストの見直しも止まらずガンガン進めないといけません。シルバーバーチ霊のテキスト化未完成の書籍がまだ15冊以上あります、それら全てをテキスト化完了させて書籍データ化しないといけません。復刊できると信じるしかないのです表札まで作ったんだから(祈)†

「この道の方が正しかった」強姦殺人魔を滅ぼさない、人生破壊が正解という意味、断じて許せぬ(祈)†■2023年11月29日UP■
「この道の方が正しかった」強姦殺人魔を滅ぼさない、人生破壊が正解という意味、断じて許せぬ(祈)†
間もなく僕が公言している内容を一般の方々が恐怖に縮こまる事もなく暗殺の危機におびえる事もなく当たり前のように公言する時代がやってきます。なぜなら人々を永遠に脅迫で押さえつける事は絶対にできないからです。最終的には正義が必ず勝利を収めるようになっているのです。なぜなら僕たちの心には【神】がプレゼントして下さった「理性、良心」が具わっているからです。その理性、良心がイヤでも人々を正しい行動に駆り立て、遅かれ早かれ邪悪は滅ぼされるのです、単なる時間の問題です。ただ僕の希望としては「いつか皆さまも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言するようになる」のではなく、できれば今すぐに公言して頂きたい気持ちです。僕の使命遂行をご覧の方々の多くが「たきざわ彰人ガンバレ、強姦殺人魔をやっつけてくれ」と他力本願的に思っておられるかも知れませんが、イエイエ僕という人間には全く何のチカラもありません。社会は個人が集まってできています。ひとりひとりが行動を起こす事によって大きなムーブメントになっていきます…続きを読む→
「目に見えぬ者によって動かされている、その事実を知る事です」僕もそうありたいと思ってますよ(祈)†■2023年11月8日UP■
「目に見えぬ者によって動かされている、その事実を知る事です」僕もそうありたいと思ってますよ(祈)†
この間部詮敦氏という霊能者が時代を抜きん出たずば抜けた人格者だったという事が分かるのです。近藤先生がこれから物質界生活中になされる仕事の重大さをいち早く見抜き、大学在学中に何と毎週近藤先生のもと(キャンパス内)に足を運んであれこれ教えておられたそうなのです。実の子でもないのにまるで自分の息子のように面倒を見ていたという事です。そして近藤先生が書籍の中で予測で書いていた事ですが、間部詮敦氏は若き日の近藤先生の守護霊および指導霊の存在が当然霊視で見えていたはずですが、それを結局一言も言わず帰幽したのだそうです。どういう事かと言いますと、近藤先生にはその仕事の重大性からとてつもない高級霊団が付いていた事が容易に想像できるのですが、それを若き日の近藤先生に伝えてしまったら近藤先生がのぼせ上ってしまう(霊団に言わないようにクギを刺されていたという事もあるかも知れませんが)ので間部詮敦氏は近藤先生の霊団の事を一言も言わなかった。これはとてつもない事だと思うのです。見えてるんだからフツー言うだろう。隠し通したって本当にスゴイ…続きを読む→

書籍たきざわ出版表札決意表明moza

データ入稿でもっとも安い金額のモノを注文したのですが、小さいなぁ。そして光の加減で全然会社名が見えない。が、これくらい自己主張がない方がかえってイイかも知れません。モザイクでUPさせて頂きます。

まだ出版社設立してないんだからこんなモノ(表札)作ってみたところで外に貼る事もできないのになぜ作ったのか。それは「絶対にやってやる」という決意表明の意味を込めての事でした。この表札を見えるところに置いておいてモチベーションを上げるのです。

そして「ベールの彼方の生活3巻」の復刊者コメント苦戦中。間もなく撃ち終わりますが時間がかかってます。どうしても説明しきれなくて端折った表現になってしまいます。まぁこれは毎週撃っている長文ブログテキストも全く同じ状況ですけども。細かい霊的事象まで余す事なく説明しようなどと思ったら大変なテキスト量になってしまうからです。

んー、霊団の言ってくる事が作戦めいていてどうも気に入らない。「自動書記嘆願の祈り」を忘れさせようとしてるのか。とにかく霊団は自動書記に関しては全然やる気がないようです。で、できるはずもない霊言現象はやる気満々の事を言ってくる。おかしいだろ。できる方をやれよ。

ご報告はのちほど、まずはベール3巻を完成させましょう。作業に集中します(祈)†

「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†■2024年2月14日UP■
「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†
これまで物質界で犠牲の使命遂行をおこなってきた無数の霊覚者たちも、全体から見た時に無限分の1といえる極小の活動をしていたと言えます。ひとりの人間が永遠の中の一瞬である物質界生活中にできる仕事量など、宇宙の永遠の営みの中のホンの些細な出来事でしかありませんが、それをひとりひとりがおこなって積み重ねていく以外に地球圏全体を霊的に向上させる方法はないのかも知れません。恐ろしく気の遠くなる話ですが。で、霊団が僕にやらせようとしているのが「霊媒として機能して新規の霊言を物質界にもたらす事」のようなのですが(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事、奴隷の女の子を救出する事じゃネィのかよ、だったら霊性発現以降のこの11年は一体何だったんだよ、と言いたくて仕方ありませんが)確かに霊言を降らせてそれを拡散させる事ができれば、多くの方々のお役に立つ事ができるのでしょう。僕もぜひその状況になって欲しいと思っています。拡散の準備ならすっかり整っています。書籍復刊のための作業を経てAffinityPublisherへの苦手意識もだいぶ克服されており、書籍をガンガン作るスキルがかなり身に付いてきていますので、霊言さえ降れば、それを余す事なく書籍化して皆さまにお読み頂ける状態にする事ができます…続きを読む→
「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†■2024年1月10日UP■
「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†
僕は物的情報は専門外ですので詳細説明は控えますが、あの大震災もこの大震災もコイツらがやった事であり、罪もない大勢の国民を無差別殺害しているのです。(地球深部探査船ちきゅう号という船を使って人工地震を引き起こしているのです、詳細はぜひググって頂きたいです。第2次世界大戦時の関東大震災も、アメリカの手による人工地震です)「行動には動機がある」明仁、文仁、徳仁、悠仁が人工地震を引き起こして無関係の国民を大量殺害している理由は、使命遂行開始ごく初期の頃に霊団が降らせてきたインスピレーション「人生イコールS〇X」これに帰着します。全ては「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を強姦殺人する遊びを続けるためにおこなっている事なのです。イヤ他にもっと理由がある事と思いますが、物事というのは突き詰めていくとシンプルに行き着くというのが僕の持論です。コイツらの行動の動機の根源を辿るとS〇Xに行き着く、自分の日々のS〇Xを守るために国民を殺しまくっているという事になるのです。…続きを読む→

1913年11月4日 火曜日

神の恵みと安らぎと心の平静のあらん事を。これより述べていく事について誤解無きを期するために、あらかじめ次の事実を銘記しておいて欲しい。

すなわち我々の住む境涯においては、差し当たり重要でないものは“しつこく”構わず、現在の自分の向上進化にとって緊要な問題と取り組み、処理し、確固たる地盤の上を1歩1歩前進して行くという事である。

もとより永遠無窮の問題を心に宿さぬわけではない。“究極的絶対者”の存在と本質およびその条件等の問題をなおざりにしているわけではないが、今置かれている界での体験から判断して、これより先にも今より更に大いなる恩寵が待ち受けてくれているに相違ない事を確信するが故に、そうした所詮理解し得ない事は理解し得ない事として措(お)き、そこに不満を覚えないというまでである。

完全な信頼と確信に満ちて修身に励みつつ、向上は喜ぶが、さりとてこれより進み行く未来について“しつこく”求める事はしないという事である。それゆえ、これより扱う善と悪の問題においても、我々が現段階において貴殿に明確に説き得るものに限る事にする。

それは、仮に虹を全真理に譬えれば、1滴の露ほどのものに過ぎぬし、あるいはそれ以下かも知れない事を承知されたい。“悪”なるものは存在しないかの如く説く者がいるが、これは誤りである。もし悪が善の反対であるならば善が実在する如く悪もまた実在する。

たとえば夜という状態は存在しない – それは光と昼の否定的側面に過ぎない、という理屈が通るとすれば、悪なるものは存在しない – 実在するのは善のみであるという理屈になるかも知れない。が、善も悪も共に唯一絶対の存在すなわち“神”に対する各人の心の姿勢を言うのであり、その1つ1つの態度がそれに相応(ふさわ)しい結果を生むに至る必須条件となる。

ならば当然、神に対する反逆的態度はその反逆者への苦難と災害の原因となる。神の愛は強烈であるが故に、それに逆らう者には苦痛として響く。流れが急なれば急なるほど、その流れに逆らう岩の周りの波は荒立つのと同じ道理である。火力が強烈であればあるほど、それに注ぎ込まれる燃料と供給される材料の燃焼は完全である。

神の愛をこうした用語で表現する事に恐怖を感ずる者がいるかも知れないが、父なる神の創造の大業を根源において支えるものはその“愛”の力であり、それに逆らう者、それと調和せぬ者には苦痛をもたらす。

この事は地上生活においても実際に試し、その真実性を確かめる事ができる。罪悪に伴う悔恨と自責の念の中でも最も強烈なものは、罪を働いた相手から自分に向けられる愛を自覚した時に湧き出るものである。

これぞ地獄の炎であり、それ以外の何ものでもない。それによって味わう地獄を実在と認めないとすれば、では地獄の苦しみに真実味を与えるものは他に一体何があるのであろうか。

現実にその情況を目(ま)の当たりにしている吾々は、神の業が愛の行為にあらざるものは無いと悟って悔恨した時こそ罪を犯した者に地獄の苦しみが降りかかり、それまでの苦しみは本格的なものでなかった事を知るのである。

が、そうなると、つまり悪に真実味があるとなれば、悪人もまた実在する事になる。盲目は物が見えない事である。が物が見えない状態があると同時に、物が見えない人も存在する。また物が見えないという状態は“欠如”の状態に過ぎない。

つまり五感あるべき所が四感しかない状態に過ぎない。が、それでもその欠如には真実味がある。生まれつき目の見えない者は視覚の話を聞いて始めてその欠如を知る。そしてその欠如の状態について認識するほど欠如の苦しみを味わう事になる。

罪もこれと同じである。暗闇にいる者を“未熟霊”と呼ぶのが通例であるが、これは否定的表現ではない。“堕落霊”の方が否定的要素がある。そこで私は盲目と罪とを表現するに“無”とは言わず“欠如”と言う。

生まれつき目の見えない者は視力が“無い”のではない“欠如”しているにすぎないのである。罪を犯した者も、善を理解する能力を失ったのではない“欠如”しているにすぎない。

譬えてみれば災難によって失明した状態ではなく、生まれつき目が見えない人の状態と同じである。これは聖ヨハネが“真理を知る者は罪を犯すこと能(あた)わず”と述べた言葉の説明ともなろう。

但し論理的にではない。実際問題としての話である。と言うのは、真理を悟って光と美を味わった者が、自ら目を閉じて盲目となる事は考えられないからである。それ故に、罪を犯す者は、真理についての知識と善と美を理解する能力が“欠如”しているからである。

目の見えない者が見える人の手引きなくしては災害に遭遇しかねないのと同じように、霊的に盲目の者は、真理を知る者 – 地上の指導者もしくは霊界の指導霊 – の導きなくしては罪を犯しかねないのである。

しかし現実には多くの者が堕落し、あるいは罪を犯しているではないか – 貴殿はそう思うかも知れない。その種の人間は視力の弱い者または不完全な者、言わば色盲にも似た者たちである。つまり彼らは物が見えてはいても“正しく”見る事ができない。

そして何らかの機会に思い知らされるまでは自分の不完全さに気付かない。色盲の人間は多かれ少なかれ視力の未発達な者である。そうした人間が道を誤らないためには“勘”に頼る他はない。それを怠る時そこには危険が待受ける事になる。罪を犯す者もまた然りである。

が、貴殿は当惑するかも知れないが、一見善人で正直に生きた人間が霊界へ来て、自分を未発達霊の中に見出す事が実に多い。意外に思うかも知れないが、事実そうなのである。彼らは霊的能力の多くを発達させる事なく人生を終え、全てが霊的である世界に足を踏み入れて始めてその欠如に気付く。

知らぬ事とは言え、永きに亘って疎(おろそ)かにしてきた事について、それから徐々に理解していく事になる。それは色盲の人間が自分の視力の不完全さに気付く事なく生活しているのと同じ事である。しかも他人からもそうとは知られないのである。

– 何か好い例をお示し願えませんか。

生半可な真理を説く者は、こちらへ来て完全な真理を説かねばならなくなる。インスピレーションの事実を知る者は実に多いが、それが神と人間とのごく普通の、そして不断の連絡路である事は認めようとしない。

こちらへ来れば代って自分が – 資格が具われば – インスピレーションを送る側にまわり、その時初めて自分が地上時代にいかに多くのインスピレーションの恩恵に浴していたかを思い知る。こうして彼らはまず自分に欠如した知識を学ばねばならない。向上はそれからの事であり、それまでは望めない。

さて、悪は善の反対である。が、貴殿も知る通り双方とも一個の人間の心に存在する。そのいずれにも責任を取るのはあくまで自由意志に係わる問題である。その自由意志の本質とその行使範囲については又の機会に述べるとしよう。

神のご加護のあらん事を。アーメン†

「太陽の方を向きなさい」これは帰幽後の話で物質界生活中は最悪という意味です(祈)†■2022年3月2日UP■
「太陽の方を向きなさい」これは帰幽後の話で物質界生活中は最悪という意味です(祈)†
ある意味「暗殺よりヒドイ」と僕は思っていまして、何をどう頭をひっくり返しても許容できない事を霊団に言われているのです。信じられない、本当に最悪、こんな人生死んでも有り得ない、霊団はそういう状況に僕を突入させる事を完全に決定したと意味を受け取れる内容であり、到底承諾できません。その苦しみを身に浴びる事によって「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡の実現につながり、奴隷の女の子たちの救出につながるという事であれば、まだ耐える意味を見出す事もできると思うのですが、霊界側はもう完全に女の子たちを見殺しにする事を決定した様子で「目標に到達できないのに苦しみだけ続行させられるとはどういう事だ」という考えがイヤでも出てきてしまうのです…続きを読む→
「7ヶ月で死刑」これが霊団が僕を最悪の中に閉じ込め続ける最大の理由のようです(祈)†■2024年2月7日UP■
「7ヶ月で死刑」これが霊団が僕を最悪の中に閉じ込め続ける最大の理由のようです(祈)†
コイツらが僕を憎もうが憎むまいが、奴隷の女の子を信じられない人数、強姦殺人しまくって遊んできたコイツらは「神の因果律」によって自動的機械的に帰幽後、暗黒の底の底に落ちていく事になります。そこに僕の裁量などありません。自分のおこないによって自分を地獄に落としている、ただそれだけの事です。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらは自分たちが1番偉いと本気で信じ込んでいます、この宇宙、上には上がいる事を全く理解できません、物質界生活中、生まれてから死ぬまでワガママ放題、自分の全人生をウソで塗り固め、国民を虐げて私腹を肥やし続けてきた奴らですから人格が全く形成されていません、幼稚極まるガキという事です。そんな奴らが反省などできる訳がありませんからいつまでもどこまでも暗黒の底の底でのたうち回りながら僕に対する憎しみを燃やし続ける事になるでしょう。しかしその憎しみの念は上層界で進歩向上の生活を送る僕には全く届きません。霊界は思念フィルタリングという機能がありますので下層界の邪念は上層界に届かないのです。(※「ベールの彼方の生活2巻」7章 天界の高地 3 霊界の情報処理センター 参照)…続きを読む→

まず本文の最終校正は完了してますがまだ細かい作業が残ってまして、そちらをやっていました。目次のページ数がグチャグチャ。慌てて数字を修正しました。この部分もセクションマネージャを扱えるようになれば自動化できるのです。何とか自動化したい。AffinityPublisherのチュートリアルムービーを見てもそこまでは解説されていません。さぁ困ったな。

で、復刊者コメントはたぶん明日には撃ち終わりますので、そこから表紙1、4のtiffを作成してデータアップロードとなります。そうなれば3月の頭ぐらいに書籍が手元に到着する事になるものと思われます。止まらず「ベールの彼方の生活4巻」のテキスト流し込みに入ります。

さらに現在「私の霊界紀行」のOCR変換テキストの見直しも進行中。さらに「シルバーバーチの霊訓」は現在1巻2巻がテキスト化完了してますが、3巻~12巻、さらにそれとは別にもう5、6冊あります、それら全てのテキスト化を完了させないといけませんので、考えただけで絶望的作業量となります。しかしやるしかない。

「自動書記嘆願の祈り」継続中ですがまるっきり無視されている状態です。しかし出版社設立して事業継続していこうと思ったら新規の霊言が降ってくる事が必須です。霊的知識を物質界に拡散させるという意味でも何とか降らせてくれよ、と僕は思っているのですが霊団はそうは思っていなくて別の事を言ってきます。それについて次回長文ブログで説明するかも知れません。

まずは復刊者コメントをUPさせる事に集中中。復刊が実現するとして本番用の印刷会社の選定をやらないといけません。現在使用中の日本最安(と思われる)印刷会社は製本のクオリティが低く本番流通用としては全く使えませんのでそこも考えないといけません。印刷費がお高くなってしまいますが仕方ない(祈)†

「巻は続くと」これはシルバーバーチの霊訓が続くという意味、そうあって欲しいですが(祈)†■2023年7月12日UP■
「巻は続くと」これはシルバーバーチの霊訓が続くという意味、そうあって欲しいですが(祈)†
僕はこの「カミンズ方式」で霊媒の仕事をするつもりでいるのです。僕の意見などどうでもいい、それより霊団が降らせるつもりで準備してきたテキストを滞りなく全て降らせる事に集中するという事です。仮にその僕の姿勢が功を奏して霊団側の仕事がスムーズに進み、予定時間より早く降らせる分のテキストを降らせ切ってしまい時間が余ったとしましょう。それでも僕は口を挟まないつもりで、その余った時間で霊団が個別に言いたい事があるかも知れませんので、それも紙にしっかり書いてもらう事に集中し、僕からは何も言わない、要求しないつもりなのです。というのも、僕の場合は何も自動書記のジャマなどしなくても日常的にインスピレーションというカタチで霊団と意思疎通、やり取りをしているからです。僕の生活に孤独というものは存在しません、来る日も来る日も霊団が霊聴にピーチクパーチクしゃべくってきてムカつかされていますので自動書記というカタチでやり取りしなくても別にいいのです…続きを読む→
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†■2023年8月2日UP■
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†
あなたは自分の心を偽っています。霊界には「ウソ」というものが存在しません。ありのままの自分の姿が衆目に晒され、その人の霊体、オーラを見ればその人がどういう人物なのかが一目瞭然で分かるのだそうです。物質界でウソをつき通して偽善者のフリをし続ける事ができたとしても、その物質界生活時のウソを帰幽後の霊界人生で恥辱という名のもとに存分に清算させられるのです。そしてたぶん物質界に再降下させられる事になるでしょう。物質界人生を正直に生きる事と、物質界での失敗の清算で何度もやり直しをさせられるのと、どっちが効率的進歩向上の道だと思いますか。正直に生きた者が最後は必ず勝利者となります。なぜならこの全宇宙が【神の絶対的公平、公正】によって経綸されているからです。ですので僕はたとえこの使命遂行の先に死刑台が待ち受けているとしても、僕が画家時代から大好きだったシルバーバーチ霊の言葉の通り「真一文字に突き進みます」そして帰幽します。皆さまはその時「正直者がバカを見る」とお思いになる事でしょうが、それは永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界の事しか見つめる事ができない近視眼的視点から導き出される回答です…続きを読む→
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†■2023年8月30日UP■
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†
我々(霊団)はもちろん物質界の邪悪をこのまま放置するつもりはないが、過去2000年の長きにわたり、真実を公言してきた霊覚者たちは、ことごとく殉教の死を遂げさせられてきた。(※100の光の霊団の構成メンバーは、この殉教の死を遂げた人間が多数含まれていると聞かされています)そして現代の物質界に至っては霊力に感応する人間がほぼ皆無という絶望的状態に至っている、その中にあってアキトくんという霊の道具は、我々の悲願を成就させるための貴重な霊的チャンネルという位置付けとなる。そのアキトくんという道具を我々はみすみす失う訳にはいかないのだ。キミだけの問題ではない、100の光の霊団のメンバーとして仕事をしている、過去キミと同じような仕事をして道半ばで殺された多くの同志の積年の悲願も込められているのだ。アキトくんの怒りも分からないではないが、我々はキミの肉眼では見通せない全体像を見た上で導いている。最終的には全て佳きように計らわれる事は霊的知識としてキミは理解しているはずだ…続きを読む→

凝ろうと思えばまだいくらでも描き込めるのですが、とりあえずこれくらい描けば十分ではないかという事で表紙をUPさせました。あとは「復刊者コメント」を撃って書籍データ完成となります。今回はやや長文になりそうです、さっそく取り掛かりましょう。

あと、AffinityPublisherの「セクションマネージャ」を使いこなせるようになりたいのですが(目次、ヘッダー等を自動挿入できるようになる機能)どうしてもマスターできずにいます。このセクションマネージャ、挙動が分からない、全然思ったように設定できない。スゴイおかしなクセがあってどうしても扱えません困っています。自動化してさらに作業スピードを上げたいところなのですが。

あと、明日「出版社の表札」が到着します。到着したところで外に貼る訳にもいかず、ただ持っているだけになってしまいますが「何が何でもやってやる」という決意を込めた注文でした。WordPressにはモザイクで画像をUPさせて頂きます。さぁ作業を急ぎますのでここまで(祈)†

「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†■2023年6月14日UP■
「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†
現在の苦難を耐え抜かなければその罪障消滅が達成されず、キミはまた物質界に再降下しなければならなくなるんだよ。我々はキミのためを思ってキミをその苦しみの中に閉じ込めているんだよ。罪障消滅が達成されなかったらキミがまた苦しい思いをする事になるんだよ。これで終わりにするためにその苦しみに耐えるんだ。という意味で霊団が僕を脅し続けているのかも知れません。イヤ、僕のこれまでの人生をよくよく振り返ってみた時に、僕はそういう理由で物質界に降下した人間じゃないと思う。幼少の頃から絵を描き続け、マンガ家も経験し、Dreamworkに突入して死ぬまで絵を描き続ける事を固く固く決断していた。僕はそういう罪障消滅目的の人間ではないと思う、そうだったら絵の才能を賦与されていないと思う。僕に関してはそれはちょっと違うと思う。現在の僕の状況は霊性発現によって「後説」で賜ってしまった追加試練だと思う。守護霊様の管轄内で生活していた時はこんな状況には全くならなかった。「100の光の霊団」の管轄に切り替わってから僕の人生が一気におかしくなった…続きを読む→
「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†■2023年7月5日UP■
「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†
物質界の評価に1ミリも興味はありませんので僕が物質界レベルで軽蔑嘲笑を受ける事になろうと知った事ではないのですが、ただ悲しいのは「僕が自分の人生を犠牲にしてこれほどの活動をしても、それでも皆さまの眼は開かれないのか」という事です。僕が殺されたあと、僕という人間を侮辱する、僕の人格を全く別物に書き換えるインチキ書籍が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の手により複数出回ったとして、それをアッサリコロッと皆さまは信じてしまうというのでしょうか。物質界に興味がないと言っている僕でさえ悲しくなる眼の閉じっぷりです。僕の事は何とでも思って頂いて構わないとして、少なくとも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の洗脳だけは撃ち破ってもらわないと皆さまが帰幽後に恥ずかしくて居たたまれなくなると思うのですがいかがでしょう。帰幽後の霊界人生が人間の本当の人生です。そちらに照準を合わせて日々の生活を送らないといけないんですよ…続きを読む→

1913年11月3日 月曜日

守護霊のザブディエルと申す者です。語りたい事があって参りました。

– ご厚意有難く思います。

ご母堂とその霊団によって綴られてきた通信(第1巻)にようやく私が参加する段取りとなりました。これまでに授けられた教訓をさらに発展させるべき時期が到来したという事です。貴殿にその意志があれば是非ともそのための協力を得たいと思います。

– 恐縮に存じます。私に如何なる協力をお望みでしょうか。

ここ数週間に亘ってご母堂とその霊団のために行って来られた如くに、私のメッセージを今この時点より綴って欲しく思います。

– という事は母の通信が終わり、あなたがそれを引き継ぐという事でしょうか。

その通りです。ご母堂もそうお望みである。もっとも、時にはその後の消息をお伝えする事もあろうし、直接メッセージを届けさせようとは思っています。

– で、あなたが意図されている教訓は如何なる内容のものとなりましょうか。

善と悪の問題、並びにキリスト教界および人類全体の現在並びに将来に関わる神のご計画について述べたいと思う。もっともそれを貴殿が引き受けるか、これにて終わりとするかは、貴殿の望む通りにすればよい。

と申すのも、もとより私は急激な啓示によって悪戯に動揺を来す事は避け徐々に啓発して行くようにとの基本方針に沿うつもりではあるが、その内容の多くは、貴殿がそれを理解し、私の解かんとする教訓の論理的帰結を得心するに至れば、貴殿にとってはいささか不愉快な内容のものとなる事が予想されるからです。

– 私の母とその霊団からの通信はどうなるのでしょうか。あのままで終わりとなるのでしょうか。あれでは不完全です。つまり結末らしい結末がありません。

さよう終わりである。あれはあれなりに結構である。もともと1つのまとまった物語、或いは小説のごときものを意図したものでなかった事を承知されたい。断片的かも知れないが正しい眼識をもって読む者には決して無益ではあるまいと思う。

– 正直言って私はあの終わり方に失望しております。あまりに呆気(あっけ)なさすぎます。また最近になってあの通信を(新聞に)公表する話が述べられておりますが、そちらのご希望は有りのままを公表するという事でしょうか。

それは貴殿の判断にお任せしよう。個人的に言わせてもらえば、そのまま公表して何ら不都合はないと思うが…ただ一言申し添えるが、これまで貴殿が受け取ってきた通信と同様に、今回新たに開始された通信も、これより届けられる一段と高度な通信の為の下準備である。それをこの私が行いたく思います。

– いつからお始めになられますか。

今ただちにである。これまで通り、その日その日、可能な限り進めればよい。貴殿には貴殿の仕事があり職務がある事は承知している。私を相手とする仕事はそれに準じて行う事にしよう。

– 承知しました。出来る限りやってみます。しかし正直に申し上げて私はこの仕事に怖れを感じております。その意味は、それに耐えて行くだけの力量が私には不足しているのではないかという事です。と言いますのも今のあなたの言い分から察するに、これから授かるメッセージには、かなり厳しい精神的試練を要求されそうに思えるからです。

これまで同様に吾らが主イエス・キリストのご加護を得て、私が貴殿の足らざる所を補うであろう。

– では、どうぞ、まずあなたご自身の紹介から始めて頂けますか。

私自身の事に貴殿の意を向けさせる事は本位ではない。それよりも、私を通じて貴殿へ、そして貴殿を通じて今なお論争と疑念の渦中にあり、或いは誤れる熱意をもって“あたら”無益な奮闘を続けているキリスト教徒へ向けた啓示に着目して貰いたい。

彼らに、そして貴殿に正しい真理を授けたい。それを更に他の者へと授けて貰いたいと思う。その仕事を引き受けるか否か貴殿にはまだ選択の余地が残されております。

– 私は既にお受けしています。そう申し上げたはずです。私ごとき人間を使っていただくのは誠に忝(かたじけな)い事で、これは私の方の選択よりそちらの選択の問題です。私は最善を尽します。誓って言えるのはそれだけです。ではあなたご自身について何か…。

重要なのは私の使命であり私自身の事ではない。それはこれより伝えていく思想の中に正直に表れる事であろう。世間というものは自分に理解できない事を口にする者を疑いの目をもって見るものである。仮に私が「大天使ガブリエルの顕現せる者なり」と言えばみな信ずるであろう。聖書にそう述べられているからである。

が、もし「“天界”にて“光と愛の聖霊”と呼ばれる高き神霊からのメッセージを携えて参ったザブディエルと申す者なり」と申せば彼らは果して何と言うであろうか。故に、ともかく私にそのメッセージを述べさせてもらいたい。

私および私の率いる霊団についてはそのメッセージの中身、つまりは真実か否か、高尚か否かによって判断して貰いたい。貴殿にとっても私にとってもそれで十分であろう。そのうち貴殿も私のあるがままの姿を見る日が来よう。その時は私についてより多くを知り、そしてきっと喜んでくれるものと信じる。

– 結構です。お任せ致します。私の限界はあなたもご存知と思います。霊視力もなければ霊聴力もなくいかなる種類の霊能も持ち合わせていないと自分では思っております。

– しかし少なくともこれまで綴られたものについては、それが私自身とは別個のものである事は認めます。そこまでは確信しております。ですからあなたにその意思がおありであれば私は従います。それ以上は何も言えません。私の方から提供するものは何も無いように思います。

それでよい。貴殿の足らざるところはこちらで補うべく努力するであろう。今回はこれ以上は述べない事にしよう。そろそろ行かねばなるまい。用事があるであろう。主イエス・キリストのご加護のあらん事を。アーメン†

「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†■2022年10月12日UP■
「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†
霊格がある一定以上まで高まると物質圏付近に降下する事さえできなくなるそうで、影響力を行使しようにもできなくなる、それで霊力に感応する僕のような人間に対して働きかけて間接的に仕事を前進させようとする訳です。霊界高級霊の方々は自分で最低界に降下して仕事をする事は基本的にできない(ごくまれに使命に燃えて肉体をまとって降下する神霊も存在するそうです、イエス様がその代表ですね)ですので霊力に感応する物質界の人間に仕事をやってもらう事になる訳ですが、僕の霊団に対する反逆ぶりを見ればお分かりのように、ああでもないこうでもないと文句ばかり言って高級霊の言う通りには動いてくれないものです。それで霊界側で作成した使命遂行ブループリントの全てを達成できず霊媒は帰幽し、残りの仕事は次の霊媒を見出してその人物にやらせるという事になるのですが、その霊媒が物質界に全くいないのです…続きを読む→
「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†■2022年12月21日UP■
「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†
明仁、文仁、徳仁、悠仁は物質界生活中は自身の犯罪をゴマかし通しすっとぼけ続ける事ができても帰幽後にその邪悪の行為の責任を寸分の狂いもなく取らされる、イヤ取らされるどころか神から賜った個的存在を剥奪されるかも知れない。奴隷の女の子たちには物質界で味わわされた悲劇、悲しみを補って余りある埋め合わせが待ち受けているのだから、何も悲しむ必要はない。霊団はそういう視点でインスピレーションを降らせているのかも知れませんが、今こうしている現在も奴隷の女の子たちは明仁、文仁、徳仁、悠仁によって四肢切断、強姦殺人され続けていると知っていてただ指をくわえて見ていろというのか。僕の悟りが足りないと霊団に言われるのかも知れませんがやはり釈然としません…続きを読む→
「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†■2023年4月26日UP■
「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†
僕を苦しめる事そのものが当初からの目的だったのではないか。僕に物質界の邪悪の情報拡散をさせる事によって、邪悪の滅亡時期を若干早める事はできるだろうが、僕一代で目的達成させようとは考えていない。で、霊界側としては僕の物質界生活中にできる限りの仕事をさせつつ、僕の霊格も可能な限り高めさせておいて、帰幽後も僕を仕事(物質界浄化活動)に活用し続けるつもり。そういう長いスパンで僕という霊の道具を使い倒すというのが当初からの(もっと言えばイエス様の)計画で、それで助けられないのに奴隷の女の子の事を延々と僕に教えてきて苦しみを倍加させる事で(苦難を与えるという意味)僕の霊格を高めさせたという事なのではないか)…続きを読む→

先ほどお話したアイデアですが「絶版状態の霊関連書籍の復刊」が実現できなくても書籍を出していくアイデアという事になり、本当は僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってきてそれを書籍化するのがベストと思っていたのですが、それすら無さそうなのでかくなる上は自分で書くという事です。

「自動書記の嘆願の祈り」を続行してますが、物質界の人間にそう言われてハイ分かりましたやりましょう、という簡単なモノではありません、霊界側で超シチメンドクサイ準備をしなければならない作業ですので、僕の嘆願が聞き入れられないのは当然としても、霊言というカタチで降らせる事が不可能なんだからもう自動書記しかないだろ、そう思うからこそ祈りを始めたのです。

新規の霊言を降らせてそれを物質界に拡散できればあんたたち(霊界の人間)も願ったり叶ったりのはずだろ。僕の方の拡散の準備はすっかり整ってるんだよ、降ってこないからできずにいるんだよ。あんたたち次第なんだよ。どうもやる気が無さそうな感じに見えますが。

ただコレには霊的事情というものがありまして、以前もどこかのブログで書いたような気がしますが、さらに説明する必要もあるかも知れませんので次回の長文テキスト撃ちの時にそれを撃つつもりで準備しておきましょう撃たないかも知れませんが。異なる次元間を股にかけての仕事ですから簡単じゃあないんですよ。

表紙カラーリング、復刊者コメント、OCR変換テキストの見直し、このあたりを急ぎます。どうしても復刊できなくても本は出す、という事です。もっと言うと脱出してみせる、という事です。このまま閉じ込められ続けるのは死んでも有り得ない。何が何でもやってやる(祈)†

「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†■2022年8月10日UP■
「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†
霊界と物質界つまり顕幽をつなぐ通信方法としてもっとも健全かつ正常な手段が「インスピレーション」であり、霊界側にとっても、物質界の人間が霊的チャンネルを開いてくれてインスピレーションを受け取れるようになってくれる事が一番手間が省けるという事なのです。霊媒現象を実現させようと思ったら、異なる次元間にあんなメンドクサイ橋、こんなメンドクサイ橋をかけねばならず、また決まって人間側の無理解、無知、不信心が障害となって霊界側の長年の準備が泡と消されてしまうという事が往々にしてあるそうです…続きを読む→
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†■2022年10月5日UP■
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†
僕が奴隷の女の子を救出すると、その霊団が降らせて教えてきた物的攻撃に晒される事になり、霊団はその攻撃から僕を守るために奴隷の女の子の救出をあきらめざるを得ないといったような事を言っているのです。そして奴隷の女の子の事をあきらめさせるために交霊会の事をずっと言い続けてくるのです。「アキトくんの気持ちは分からないでもないが、奴隷の女の子たちは自らの罪障消滅のため、霊的向上のために自ら志願してその人生を選択し、奴隷の女の子として物質界に降下した人間なのだ。それよりキミは自分の使命遂行を成功させる事を考えなさい」とでも言っている霊団の声が聞こえてきそうです。要するに奴隷の女の子たちを見殺しにするのは非情というのとは違う、霊的視点に立って考えないと真実の理解には到達しない、という事なのですが、この心の中に渦巻く釈然としない気持ちはどうやっても拭う事ができません…続きを読む→

「ベールの彼方の生活3巻」最終校正完了中。あとは表紙と復刊者コメントを用意すればデータアップロードにもつれ込む事ができます。とにかく急ぎますが、昨日霊団が降らせてきたインスピレーションに関連して僕の中でひとつアイデアのようなものが浮かんでいますが、イヤ、それは僕がアイデアを思いついているのではなくて霊団にそのように心をもっていかされていると言った方が正しいでしょう。

が、霊団にやらされてる感があってややムカつくものの、そのアイデア自体は以前から「やれたらいいなぁ」と思っていたもので、もう力業(ちからわざ)でやってしまってもいいのかも知れないと思い始めていますが、やってみたところで脱出にはつながらない、今の最悪のところに閉じ込められてただ作業量が増えて自分で自分の首を絞めるだけの状況になるのは火を見るより明らか。

さぁどぉぉしたもんかと思いつつも一応前向きに検討中です。「自動書記の嘆願の祈り」と関連して霊団にこのように心をもっていかされている状態と言っていいと思います。簡単には説明できませんので長文ブログのタイミングでお話させて頂く事になるかどうか。心境微妙なアイデアではあるものの「出版社設立」を実現させる最短ルートと言えるかも知れないアイデアとなります。イヤ別に何でもない簡単なお話なんですけどね。

OCR変換テキストの見直しも続行中。OCR変換まではやってあるがテキストを完全版に出来ていない書籍が60冊以上あります。本当に地獄の作業ですが、だからこそ日々少しずつでも進めないといつまでたっても終わりません。あらゆる書籍のテキスト化を完成させておけば「引用」でガンガン使えるようになるのです。それがスゴク大事。

まずは表紙のカラーリングにケリをつけます急ピッチで作業中。そして今回の復刊者コメントは長文を撃つ事になりそうですので(言いたい事がたくさんあるため)なおさら急がないといけません。アイデアについてはまたお話させて頂きます、一旦切ります、作業続行中(祈)†

トレイルムービー「これほどバカな事はないよ」明仁、文仁、徳仁、悠仁に国民の皆さまが呆れ返っているという意味です(祈)†■2022年1月5日UP■
トレイルムービー「これほどバカな事はないよ」明仁、文仁、徳仁、悠仁に国民の皆さまが呆れ返っているという意味です(祈)†
トレイルムービーの制作に大いに苦しめられています。とにかく「長文テキスト撃ち」「アナログ絵描画」「トレイルムービー制作」という3つのコンテンツを同時進行で制作し続けるのは何をどうやってもムリなのです。そんな中、今回は「字幕をpngで書き出す」「MP3をテキスト読み上げフリーソフトで書き出す」というふたつの新たな試みをテストしてみましたが、結果はどちらも大変時間がかかる作業だと判明しました。このふたつの手法を今後も採用し続けるのは非現実的です。やはり「字幕.srtファイル」の編集に戻るしかなさそうな空気感となっています。とにかくトレイルムービーの制作は苦しくて続ける自信がありませんが、できるところまでやってみます…続きを読む→
「物質界に無数の光を照らしております」この言葉の通りなら僕も嬉しいのですが(祈)†■2022年1月19日UP■
「物質界に無数の光を照らしております」この言葉の通りなら僕も嬉しいのですが(祈)†
「神のご意志を物質界に送り届ける仕事」となりますから、その重大性は言語に絶するレベルとなります。霊団の「もう身勝手は許されません」の警告は、僕がこれまで何度となく幼稚、小我から反逆を繰り返してきた事に対する「アキトくん、これからはもうそのようなワガママは許されなくなる、重大性が桁違いだからだ」という意味となり、それは僕も激しく了解するところです。もし霊団が言っている通りになるのだとしたら、現在物質界に存在する霊界通信よりさらに進んだ内容の霊言を霊団が降らせてくる事になり、その霊言を物質界全土に広める事は「神のご意志を遂行する大中心の中の大中心の仕事」という事になり…続きを読む→
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†■2022年2月9日UP■
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†
物質界は僕たち人間の「生活、人生の場」ではありません。シルバーバーチ霊いわく「トレーニングセンター」であり、心を、魂を鍛えて霊界で従事する予定の仕事を遂行するに足る人格、性格、忍耐力等を身に付けるために降下させられる場所、お勉強の場所です。【神】は子等(つまり僕たち)に【神性の火花】を賦与して下さり、それによって僕たちは個的存在を獲得しました。(もう類魂に埋没する事がないという事)これ以降はこの個性を永遠に失う事がなく、果てしない向上の人生を歩む事になります。そして神によって個的存在を賜った僕たち人間は、真っ先にこの物質界に降下してお勉強をさせられます。あえてこういう表現を用いましょう【神】が子供(僕たち人間)に「お勉強の旅に出てらっしゃい。そして十分にオトナになって私のところに帰ってらっしゃい」と言って僕たちを物質界に送られた。こんな感じではないでしょうか。単純に子供の成長を願う親の心境だと僕は思うのですが…続きを読む→

本書は原著者の「まえがき」にもあるとおり1913年から始まった本格的な霊界通信を4つの時期に分けてまとめた4部作のうちの第1部である。

「推薦の言葉」を寄せたノースクリップ卿が社主をつとめる「ウィークリー・ディスパッチ」紙上に連載され、終了と同時に4冊の単行本となって発行されたのであるが、これとは別に、オーエン氏の死後、残された霊界通信の中から断片的に編集されたものが2編あり、それが1冊にまとめ第5巻として発行されている。

誰れが編纂したのか、その氏名は記されていない。それは己むを得ないとしても、内容的に前4巻のような一貫した流れがなく、断片的な寄せ集めの感が拭えないので、今回のシリーズには入れないことにした。

通信全体の内容を辿ってみると、第1巻の本書はオーエン氏の実の母親からの通信が大半を占め、その母親らしさと女性らしさとが内容と文体によく表われていて、言ってみれば情緒的な感じが強い。

がその合間をぬってアストリエルと名告る男性の霊からの通信が綴られ、それが第6章にまとめられている。地上で学校長をしていたというだけあって内容がきわめて学問的で高度なものとなっている。がそれも第2巻以後の深遠な内容の通信を送るための(オーエン氏の)肩ならし程度のものであったらしい。

第2巻を担当したザブディエルと名告る霊はオーエン氏の守護霊であると同時に、本通信のために結成された霊団の最高指導霊でもある。が地上時代の身元については通信の中に何の手掛かりも出て来ない。

高級霊になると滅多に身元を明かさないものであるが、それは1つには、こうした地上人類の啓発のための霊団の最高指揮者を命ぜられるほどの霊になると、歴史的に言っても古代に属する場合が多く、たとえ歴史にその名を留めていても、伝説や神話がまとわりついていて信頼できない、ということが考えられる。

さらには、それほどの霊になると地上の人間による評判などどうでもよいことであろう。このザブディエル霊の通信の内容はいかにも高級霊らしい厳粛な教訓となっている。

これが第3巻そして第4巻となると、アーネルと名告る(ザブディエルと同じ界の)霊が荘厳な霊界の秘密を披露する。とくにイエス・キリストの神性に関する教説は他のいかなる霊界通信にも見られなかった深遠なもので、キリストを説いてしかもキリストを超越した、人類にとって普遍的な意義をもつ内容となっている。まさに本通信の圧巻である。

さて近代の霊界通信と言えば真っ先に挙げられるのがステイントン・モーゼスの自動書記通信『霊訓』であり、最近ではモーリス・バーバネルの霊言通信『シルバーバーチの霊訓』である。そして時期的にその中間に位置するのがこの『ベールの彼方の生活』である。

内容的に見ると『霊訓』はキリスト教的神学の誤謬(ごびゅう)を指摘し、それに代わって霊的真理を説くという形で徹頭徹尾、文字どおり“霊的教訓”に終始し、宇宙の霊的組織や魂の宿命、たとえば再生問題などについては概略を述べる程度で、あまり深入りしないようにという配慮さえ窺われる。それは本来の使命から逸脱しないようにという配慮でもあろう。

これが『ベールの彼方の生活』になると宇宙の霊的仕組みやキリストの本質について極めて明快に説き明かし、それが従来の通念を破るものでありながら、それでいて理性を納得させ且つ魂に喜悦を覚えさせるものをもっている。もっともそれは、正しい霊的知識をもつ者にかぎられることではあるが。

そしてシルバーバーチに至ると人間世界で最も関心をもたれながら最も異論の多い“再生”の問題について正面から肯定的に説き、これこそ神の愛と公正を成就するための不可欠の摂理であると主張する。

ほぼ50年続いた霊言に矛盾撞着は1つも見られない。同時にシルバーバーチが“苦難の哲学”とでも言えるほど苦しみと悲しみの意義を説いているのも大きな特徴で、「もし私の説く真理を聞くことによってラクな人生を送れるようになったとしたら、それは私が引き受けた使命に背いたことになります。

私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。それに敢然と立ち向かい、それを克服し、そして一層力強い人間となって下さることが私どもの真の目的なのです」と語るのである。

こう観て来ると、各通信にそれぞれの特徴が見られ、焦点がしぼられていることが判る。そして全体を通覧した時、そこに霊的知識の進歩のあとが窺われるのである。それをいみじくも指摘した通信が『霊訓』の冒頭に出ている。その一部を紹介する。

『啓示は神より授けられる。神の真理であるという意味において、ある時代の啓示が別の時代の啓示と矛盾することは有り得ぬ。但しその真理は常にその時代の必要性と受け入れ能力に応じたものが授けられる。一見矛盾するかに見えるのは真理そのものにはあらずして、人間の心にその原因がある。

人間は単純素朴では満足し得ず、何やら複雑なるものを混入しては折角の品質を落とし、勝手な推論と思惑とで上塗りをする。時の経過とともに、いつしか頭初の神の啓示とは似ても似つかぬものとなって行く。矛盾すると同時に不純であり、この世的なものとなってしまう。やがて新らしき啓示が与えられる。

がその時はもはやそれをそのまま当てはめられる環境ではなくなっている。古き啓示の上に築き上げられた迷信の数々をまず取り壊さねばならぬ。新らしきものを加える前に異物を取り除かねばならぬ。啓示そのものには矛盾は無い。が矛盾せるが如く思わしめる古き夾雑(きょうざつ)物がある。

まずそれを取り除き、その下に埋もれる真実の姿を見せねばならぬ。人間は己れに宿る理性の光にて物事を判断せねばならぬ。理性こそ最後の判断基準であり、理性の発達せる人間は無知なる者や偏見に固められたる人間が拒絶するものを喜んで受け入れる。

神は決して真理の押し売りはせぬ。この度のわれらによる啓示も、地ならしとして、限られた人間への特殊なる啓示と思うがよい。これまでも常にそうであった。モーセは自国民の全てから受け入れられたであろうか。

イエスはどうか。パウロはどうか。歴史上の改革者をみるがよい。自国民に受け入れられた者が1人でもいたであろうか。神は常に変わらぬ。神は啓示はするが決して押しつけはせぬ。用意の出来ていた者のみがそれを受け入れる。無知なる者、備えなき者はそれを拒絶する。それでよいのである。』

今あらためて本霊界通信を通覧すると、第1巻より第4巻へ段階的に“進歩”して行っていることが判る。それを受け入れるか否か、それは右の『霊訓』のとおり“己れに宿る理性の光”によって判断していただく他はない。願わくば読者の理性が偏見によって曇らされないことを祈りたい。

訳者としてはただひたすら、本通信に盛られた真理を損ねないようにと努めるのみであるが、次元の異なる世界の真相をいかに適切な日本語で表現していくべきか、前途を思うと重大なる責任を感じて身の引きしまる思いがする。が“賽(さい)は投げられた”のである。あとは霊界からの支援を仰ぐほかはない。

シルバーバーチの言葉を借りれば、“受け入れる用意の出来た人々”が1人でも多くこの霊界通信と巡り合い、その人なりの教訓を摂取して下さることを祈る次第である。

(1985年)


復刊者コメント

僕(たきざわ彰人)は、この「ベールの彼方の生活 全4巻」が本当に大好きなのです。霊界下層界での生活の様子を紹介した書籍は他にもありますが、次元が違うために3次元の物質界の言語などでは到底説明できない上層界での生活の様子を可能な限り詳細に紹介してくれている霊界通信は、現時点で「ベールの彼方の生活」以外にないのではないでしょうか。

この1巻は著者であり霊媒でもあるオーエン氏の、既に帰幽されたご母堂からの通信が大半を占めており、2巻、3巻、4巻と比べると軽視される傾向があるのかも知れません。しかし僕は読み進めるほどにご母堂の語る内容の深遠さに激しく胸を撃たれるのです。

ご母堂の言葉で僕が特に気に入っているのは「悲劇をただの不幸と受け止める事がいかに狭い量見であるか」(29ページ)という部分で、僕は霊性発現とともに使命遂行人生に突入させられ、人生を完全に破壊されて最悪の状態に閉じ込められ続けている関係で霊団を心の底から激しく憎んでおり、本当の本気で反逆しまくっていますが、その破壊された人生も「その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になる」の言葉のように、最終的には全て佳きようにおさまるのでしょう。使命遂行を最後までやり切れば、の話ですが。

あともうひとつ、ご母堂の言葉で僕の胸に突き刺さるものとして「確固たる来世観をもっておれば決断力を与え勇気ある態度に出る事を可能にします。」(72ページ)というものもあります。これはオーエン氏が教会長老から弾圧を受けて弱気になっていた事を受けて「勇気をもってこの使命に邁進(まいしん)しなさい」と、言わば母が息子の“おケツをひっぱたいた”という事だと思うのですが、イヤー僕もこういう母に恵まれたかったですね。

っとと、僕には“真実の母”守護霊様がいましたね。僕の性格は守護霊様のデザインであり、現在このような使命遂行人生が送れるのも(苦しい事イヤな事ばかりで全然うれしくも何ともありませんが)守護霊様が“導きのプロ”だったおかげです。

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僕は守護霊様におケツをひっぱたかれた記憶はないなぁ。霊性発現後に守護霊様が僕の守護の任から一時的に外れ、代わって「100の光の霊団」の管轄に切り替わってからは、その導きの方向性がキビシすぎてすっかり心が怒り憎しみに包まれてしまっているのです。が、このお話は長くなりますので割愛させて頂きます。

守護霊様についてはたくさんブログを書いていますが、ご参考までにコチラを紹介させて頂きます↓

「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†
wp.me/pa9cvW-67H

上記のご母堂の言葉を僕に当てはめるなら「人間に死はなく帰幽後も霊界で永遠の向上の生活を送る」という霊的知識を完全に理解した事によって物質界の邪悪に何ら恐怖心を抱く事がなくなった、それで「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を長年にわたって公言する事ができているという事になります。「霊的知識を理解すると勇気ある行動に出る事ができる」僕は図らずもこの状態をやらされてしまっているという事になります。

あと、6章のアストリエル霊ですが、できればもっと天体の事についてお話して頂きたかったですね。しかしこれについても「物質界の人間に軽々しく知識を教えてはならない」という霊界側の厳格な決まりがあるそうで、あくまで物質界の人間みずから刻苦努力してその秘密を探り当てねばならないのだそうです。

その努力の方向性で僕が経験から思う事は「物的努力」よりも「霊的努力」によって秘密を探り当てるのだろうという事です。その、霊界側が明かさずにいる秘密、秘奥というのはもちろん「霊的秘奥」のはずですから物的肉眼には映じず、いかなる物的機器をもってしても計測できない性質のものでしょう。霊的方法でその秘密を解明しなければならないという事だと思うのです。

さぁ、僕は70冊超の霊関連書籍を何とか復刊させようとしていますが、単純に作業量が殺人的すぎて僕の物質界生活中に全ての作業を完結させられないだろうという思いと、もうひとつ物的事情によって実現を阻まれるというふたつの理由で、全ての書籍の復刊は叶わないものと予測しますが、できるところまではやるつもりです。

僕はこれらスピリチュアリズム関連の書籍群を「人類の宝」だと思っていまして(この僕の考えには多くの方が共感して下さるものと信じますが)絶版状態を回避させて未来、後世にこの正しい霊的知識を伝え残さねばならないと強く思っています。僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくる事はありませんので、既存の霊関連書籍の復刊が「霊的知識普及プライオリティ最上位」の作業という事になります(祈)†


ベールの彼方の生活1巻表紙テスト01-line-small

※オマケ – 表紙の線画の原画をUPです。僕は「イエス様ハンドリング」と銘打って霊的使命遂行を長年にわたっておこなっている関係で、イエス様の絵も多数描いています。(WordPressの中の「アナログ絵」からご覧頂けます)現在は全然なくなりましたが、霊性発現初期の頃は何度も何度もイエス様のお顔の顕現に浴させて頂きました。

(※その顕現の最大のモノはブログで何度も書いています「イエス様の怒涛の連続顕現」でした。物質界に籍を置く人間として、これ以上の光栄はないのではないでしょうか。もっともそこから僕の苦悩の人生が始まってしまったので良いやら悪いやらといったところなのですが…)

僕が描くイエス様の絵は、一応その顕現の時に拝したお顔を参考にして描いているのですが、僕が描くとどうしてもキャラキャラしてしまって威厳のようなものがありません、そこが宜しくありません。とはいえ僕はこういう絵柄ですので開き直って描くしかありません。

イエス様を描き始めた当初はもちろん“恐れ多い”気がして描くのを渋ったものですが、もう年月が経過していて、さらに霊団に対してだいぶムカついているという事情もありまして、イエス様もその他の方々もほぼ抵抗なくジャンジャン描くようになりました。アウトプットしなければいけませんのでもう四の五の言ってられないのです。

ももちゃん、シルキーはもはや霊的使命遂行メインキャラクターといっても過言ではない状態になっており、今後もツートップで描き続ける事になるでしょう。まぁ霊体の僕(ハタチの空気感)を前面に出すより100倍イイでしょう。ま、時々は僕も書籍表紙に登場させるかも知れませんが…(祈)†


新装版発行にあたって

「スケールの大きさに、最初は難解と思ったが繰り返し読むうちに、なるほどと、思うようになりました」こんな読後感が多数寄せられてきた本シリーズが、この度、装いも新たに発行されることになり、訳者としても喜びにたえません。

平成16年2月
近藤千雄


霊界通信
ベールの彼方の生活
第1巻「天界の低地」篇 – 新装版 –

近藤千雄(こんどう・かずお)
昭和10年生まれ。18歳の時にスピリチュアリズムとの出会いがあり明治学院大学英文科在学中から今日に至るまで英米の原典の研究と翻訳に従事。1981年・1985年英国を訪問、著名霊媒、心霊治療家に会って親交を深める。主な訳書 – M.バーバネル『これが心霊の世界だ』『霊力を呼ぶ本』、M.H.テスター『背後霊の不思議』『私は霊力の証を見た』、『シルバー・バーチの霊訓』『古代霊は語る』『心霊と進化と – 奇跡と近代スピリチュアリズム』(いずれも潮文社刊)

■2021年8月13日UP■
「死体切断はもったいないから」明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を四肢切断する理由です(祈)†
ブタ(奴隷の女の子)は死んだけど、この死体はまだオモチャとして遊べる、このまま捨てたり焼いたりしたらもったいない、最後の最後まで遊び倒さないといけない。世界中でこの遊びができるのは俺たちぐらいのもんだ、ホラ悠仁、お前もブタの胴体を切って遊べ、人間を殺すのは楽しいだろ、これが俺たちの仕事だぞ。これからも国民を殺しまくって遊ぶんだぞ。イーッヒッヒッヒッヒッヒ♪つまり奴隷の女の子たちの人生、人権、性格、夢、そして生命、それら全てをオモチャにして遊ぶ事ができるのは世界で俺たちぐらいのものだ、ただ殺すだけじゃもったいない、女の子が生きている間も、泣き叫んで助けを懇願している時も、四肢切断した後も、強姦殺人する時も、女の子が死んで死体となった後も、その死体を切り刻む時も「処刑遊び」の全シチュエーションをバッチリ撮影して記録に残し、最後の最後まで徹底的に遊び倒さないといけない…続きを読む→
■2021年9月3日UP■
「いい加減にしてくれジャマ」これはキリスト教の2000年の呪いという意味ではないでしょうか(祈)†
インスピレーション「いい加減にしてくれジャマ」の説明に戻ってみましょう。これはつまり霊界サイドは物質界に正しい霊的知識を普及させようとして、それこそ2000年前のイエス様の犠牲の降誕の時からイヤそれ以前からずっと仕事をしている訳ですが、キリスト教という呪いが物質界に蔓延してしまった事で霊的知識普及の大事業が遅れに遅らされてしまった。それを受けての霊界高級霊の方々の「我々には成すべき仕事が山のようにあるんだよ、そろそろジャマも本気でいい加減にしてくれ」という意味が込められているのではないかと僕は思ったのです…続きを読む→