【12/15】コナン・ドイルの心霊学 第3章 死後の世界の実相

霊界通信の信憑性の拠り所

前章ではキリスト教を例に挙げて、スピリチュアリズムの啓示によって改革を迫られるに相違ないと思われる教義を指摘したが、これは伝統的宗教のすべてに及ぶべき、きわめて範囲の広い、しかも問題点の多いテーマである。ここではこれ以上広げないで、新しい啓示によって明らかとなった死後の実相に迫ってみたい。

このテーマになると資料は豊富である。しかも、スピリットからの通信に矛盾点もあまり見出せない。メッセージは世界のすべての国ないし民族において“お告げ(メッセージ)”という形で太古から入手されてきている。問題は、それがどこまで正確かということである。

その判断の拠り所として、太古から引き継がれてきた死後の世界の概念と比較してみて、細かい点でまったく相反する事柄について新しい啓示がことごとく一致しており、そこに一貫性が認められる場合は、それを真実と受け取ってよいと私は考える。

たとえば、私が個人的に受け取った15ないし20種類のスピリット・メッセージがことごとく同じことを言っているのに、それがすべて間違っているということは、ちょっと考えられないことである。

メッセージの中には地上時代のことに言及したものも多く、それが人間個性や記憶の証拠とされることが多いが、そうしたスピリットが、過去の地上世界のことは本当のことを言い、現在の霊界のことはウソを言うということも、とても考えられないことである。

死の直後

死の直後について私がまず間違いないと見ているのは、次の諸点である。“死ぬ”という現象には痛みは伴わず、いたって簡単である。そして、そのあとで、想像もしなかった安らぎと自由を覚える。やがて肉体とそっくりの霊的身体をまとっていることに気づく。

しかも、地上時代の病気も障害も、完全に消えている。その身体で、脱け殻の肉体の側に立っていたり、浮揚していたりする。そして、霊体と肉体の双方が意識される。それは、その時点ではまだ物的波動の世界にいるからで、その後急速に物的波動が薄れて霊的波動を強く意識するようになる。

いわゆる“臨終”の際に遠くにいる肉親や縁者に姿を見せたりするのは、その時点ではまだ霊体に物的波動が残っているからである。エドマンド・ガーニー氏(1)の調査によると、その種の現象の250件のうち134件が死亡直後に発生していることがわかっている。物的要素が強いだけ、それだけ人間の霊視力に映じやすいということが考えられる。

しかし右の数字は、蒐集された体験のほぼ半分ということであって、地上で次々と他界していっている厖大な死者の数に比べれば、稀れなケースでしかない。大部分の死者は、私が想像するに、思いも寄らなかった環境の変化に戸惑い、家族のことなどを考えている余裕はないであろう。

さらには、自分の死の知らせで集まっている人たちに語りかけても、身体が触れても、何の反応もないことに驚く。霊的身体と物的身体との波長の懸隔があまりに大きいからである。

光のスペクトルには人間の視覚に映じないものが無数にあり、音のスペクトルにも人間の聴覚に反応しないものが無数にあるということまで分かっている。その未知の分野についての研究がさらに進めば、いずれは霊的な領域へとたどり着くという考えは、あながち空論とは言えないのではないかと思うのであるが、いかがであろうか。

それはさておいて、死者がたどるそのあとの行程を見てみよう。やがて気がついてみると、自分の亡骸(なきがら)の置かれた部屋に集まっている肉親・知人のほかに、どこかで見たことのある人たちで、しかも確か他界してしまっているはずの人たちがいることに気づく。

それが亡霊といった感じではなく、生身の人間と少しも変らない生き生きとした感じで近寄ってきて、手を握ったり頰に口づけをしたりして、ようこそと歓迎してくれる。

その中に、見覚えはないのだが、際立って光輝にあふれた人物がいて、側に立って“私のあとについて来なさい”と言って出て行く。ついて行くと、ドアから出て行くのではない。驚いたことに、壁や天井を突き抜けて行ってしまう。こうして新しい生活が始まるというのである。

以上の点に関してはどの通信も首尾一貫していて、一点のあいまいさも見られない。誰しも信じずにはいられないものである。しかも、世界のどの宗教が説いていることとも異なっている。先輩たちは光り輝く天使にもなっていないし、呪われた小悪魔にもなっていない。

人相や容貌だけでなく、強さも弱さも、賢さも愚かさもたずさえた生前のその人そのままである。予想もしなかった体験に、いかに軽薄な人間も、あるいはいかに愚かしい人間も、畏敬の念に打たれて、いっぺんに慎み深い心境になってしまうのではないかと想像される。

事実、一時的にはそういうことになるかも知れない。が、時がたつにつれてその感激が薄らいで、かつての本性がふたたび頭をもたげてくるものらしい。それは、交霊会に出てくるスピリットの言動から十分に窺い知ることができる。

ここで話が少し後戻りするが、そうした新しい環境での生活が始まる前に、スピリットは一種の睡眠状態を体験するらしい。睡眠時間の長さはさまざまで、ほんのうたた寝ほどの短時間の場合もあれば、何週間も何か月もかかる場合もある。(2)

ロッジ卿のご子息のレーモンドは6日間(地上の日数にして6日に相当する時間)だったという。私がスピリットから聞いたものにも、この程度の期間のものが多いようであるが、意外なのは、スピリチュアリズムの先駆者であるフレデリック・マイヤースが、かなりの期間、無意識状態のままだったことである。

私の推察では、睡眠期間は地上時代の精神的体験や信仰上の先入観念が大きく作用するもののようである。つまりこの悪影響を取り除くための期間であって、その意味では、期間が長いということはそれだけの睡眠が必要ということになる。したがって幼児はほとんど睡眠を取る必要はないのではあるまいか。

これは私の推測にすぎないが、いずれにせよ、死の直後とそのあとの新しい環境での生活との間には、大なり小なり“忘却”の期間があるということは、すべての通信が一致して述べていることである。

“地獄”という名の場所は存在しない

さて、その睡眠から目覚めたばかりのスピリットは、生まれたばかりの赤ん坊と同じで、いたって脆弱(ぜいじゃく)である。が、地上の赤ん坊と違ってスピリットは急速に元気を取り戻し、新しい生活を始める。ここでわれわれの頭をよぎるのは、天国と地獄の問題である。

いやしくも理性をそなえた方ならば私の意見に同意なさると思うが、私はこれで地獄説は完全に脱落すると考える。

全知全能の創造者という概念にとっても冒瀆的な、この不快きわまる概念は、もともと誇張的になりがちな東洋的語句から生まれ出たもので、ちょうど野生の動物が探険家の“焚き火”に怯(おび)えたように、野蛮な時代の人間を脅(おど)しておとなしくさせるには有効だったかも知れない。

が、どうやら“地獄”という場所は存在しないことが明らかとなった。しかし、罰の概念、浄化のための戒めを受けるという意味での煉獄ならば存在するというのが、一致した意見である。

たしかに、邪を正すための罰がなければ、宇宙に“公正”は存在しないことになろう。たとえば邪悪な僧侶の代名詞のように言われているラスプーチンが、僧侶の鑑のように言われているダミアン神父と同じ運命をたどるということは、とても考えられない。善因善果・悪因悪果の法則は厳然として存在するはずである。

ただ、“善”と“悪”のふたつの概念だけですべてを片づけてはなるまい。“霊性”の発達程度を基準にして考えれば、発達の遅れたスピリットはそれを促進するのに相応しい環境に落着く。それは低い界層かも知れないが、未熟なスピリットには相応しい。

それが、体験と上層界のスピリットによる援助と教育とによって、霊性の発達とともに上層界へと進んでいく、ということであろう。高級霊にとってはそれが重要な仕事のひとつであるという。それをジュリア・エイムズは次のようにうまく表現している – “天国の最大のよろこびは、地獄を空(から)にすることである”と。

「物質界再降下」させられるような事を言われています。絶対ヤダ断固拒否(祈)†■2022年10月19日UP■
「物質界再降下」させられるような事を言われています。絶対ヤダ断固拒否(祈)†
奴隷の女の子を「処刑遊び」と称して四肢切断、強姦殺人しまくり死肉を食べまくっている「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が「私は病人です」と言ってきたとして、それとコイツらの大罪と何の関係があるのですか、という事です。幼い女の子を500人1000人、強姦殺人した人間が、病気になるとその大量強姦殺人罪が帳消しになるのですか。皆さま【神】は僕たち人間全員に「理性、良心」という絶対に狂う事のない判定装置を組み込んでおられます。皆さまの理性、良心はどのような回答を導き出しますか。あえて断言しますが、メディアが流してくる情報は99%ウソです。明仁、文仁、徳仁、悠仁が大粒の涙を流して「私は病人です、許して下さい」と演技映像を流してきたとして、皆さまはそのウソ泣き演技にコロッとダマされるおめでたい国民ではないはずです…続きを読む→
「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†■2023年2月1日UP■
「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†
皆さまの心は真実を知っているのです。それを「洗脳」で分からなくさせられているのです。ゴマかされているのです、曇らされているのです。そのモヤを振り払えばたちまち真実が見えてきます。ベールはたった1枚です「洗脳」という名のベールです。それさえめくればすぐ目の前に真実が顔を出します。「ポリーチェ POLICE に命令」という「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念のインスピレーションを霊団が降らせてきましたが、これがいかにふざけた意味であるか、どうか想像力を働かせて頂きたいと思います。大量強姦殺人魔、人類最大の犯罪者がポリーチェ POLICE に命令する、ポリーチェがその大犯罪者の命令に忠実に従い、スナイパーチームとなって僕のように真実を公言する人間を暗殺する。【神】が経綸するこの全宇宙に、これ以上のふざけた事があるでしょうかイヤない…続きを読む→
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†■2023年6月7日UP■
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†
実情はそれどころではない。人間は霊界へ来たからとて地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えてくるのである。変わるのは肉体を棄てたということのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたからとて、その本性が変わるものではない。それは誠実にして純真なる向上心に燃える魂が死とともに俗悪なる魂に一変することがあり得ぬのと同じである。汝らがその事実を知らぬことこそわれらにとって驚異というべきである。考えてもみるがよい。純粋にして高潔なる魂が汝らの視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できようか。しかるに汝らは、神を憎み善に背を向けて肉欲に溺れた罪深き魂も、懺悔1つにて清められて天国へ召されると説く。前者があり得ぬごとく後者も絶対にあり得ぬ。魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれていくのである…続きを読む→

未分類

Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†