■2013年11月27日にUPしたブログ「背後霊団の皆様へ」

守護霊様はじめ背後霊団の皆様、地上のたきざわ彰人です。いつもお世話になっております。今回このブログという場所を借りて、霊界の皆様に向けて僕のメッセージを送らせて頂こうと思います。こんなブログなど書かなくても心に想念を抱くだけで皆さんに僕の考えが伝わる事は分っていますが、こうしてテキストとして残す事で、僕の“責任”の所在を明らかにするという意味も込めてUPさせて頂きます。
2012年6月頃から霊性発現して以降、法悦状態に包まれた事から始まって、実に様々なインスピレーションや霊聴、幽体離脱でのメッセージを受取らせて頂いている事、本当に光栄な事なのですが、その“導き”の方向性は常に、常に、常に、僕の心の願望と正反対のものでした。一度たりとも僕の願望に沿ったメッセージが降ってくる事はありませんでした。現在に至っても全くその状況に変化はありません。
地上の人間の“有限の視野”から眺めた価値観ではなく、霊界から俯瞰で眺めた“無限の視野”から導かれるメッセージの方が大局で見た時に正しい、という事は知識として知っています。なのでこれまでもその考えに照らして、自分の考えを殺して何とか導きに従い続けてきました。しかし霊界の方々の導きに従えば従うほど、ますます正反対の状況が悪化していき、現在に至っては制御不能な怒りを伴うほどの正反対の極致中の極致の環境に僕は閉じ込められてしまっています。
何とか、何とか我慢して背後霊団の皆様のメッセージに従い続けてきました。しかし、これ以上自分の心に嘘をつき続けたら確実に心が壊れます。改めてここに書かずとも霊界の方々には僕の小さな心の中など全てお見通しなのは経験からもよく理解していますが、我慢の限界という事もあり、ここに本音を吐露させて頂きます。
霊的知識普及の使命の重大性は重々承知しています。イエス様のあの怒涛の、怒涛の、怒涛の、連続顕現がその重大性を物語っている事は僕もよく理解しています。しかし、一人の人間の個性、能力をここまで無視する事が果たして許されるのでしょうか?
僕は自分の全存在をかけて“絵”のクオリティを追求するために果てしなく勉強し、高い負荷を自分にかけ続けてきました。その僕の“絵”の能力を霊界の方々は霊性発現以降一貫して“完全否定”していらっしゃいます。そして僕の心が全く望んでいない、今まで生きてきて興味すら抱いた事のない、全く別ジャンルの勉強をひたすら僕にやらせようとメッセージを送り続けています。たった一人の地上の人間に対して、霊界の方々が大勢で押寄せてひたすら正反対の事を要求する、この導きの“方向性”…。
あまりにもひどすぎると思っています。
あまりにもひどすぎると思っています。
あまりにもひどすぎると思っています。
この導きの方向性、僕の心の願望とあまりにも正反対の極致すぎて、本当に僕の心は怒りでいっぱいなのです。この怒り、不満の感情を乗越えて、霊媒としての仕事を全うし、地上に新時代の霊言をもたらすという“栄光ある仕事”を果たす事ができるのなら、僕の小さな地上的願望など無視しても取るに足らない事は僕も一応理解していますし、霊界の方々もそういうお考えでおられる事も理解しています。しかし、もう不満を表明せずにはいられない、それほど僕はこの正反対の導きに対して怒りを抱いているのです。
“神のご意思”に従い、霊的知識普及の使命を果たし切って帰幽した暁に、霊界にて得られるであろう“霊的褒章”は、きっと僕の想像を遥か遥か超える素晴しいものなのでしょう。しかし、僕はもう霊的褒章なんていりません。理由は、僕に正反対の事を言い続けてきた方々とはお会いしたくないからです。高級霊の方々からインスピレーションを賜るという光栄に浴させて頂きながら、僕はここまで無礼、非礼な事を言ってしまうほど、現状の導きに対して不満を抱いているのです。
導きに従えば従うほど、僕がずっと脱出したいと願っていた環境に果てしなく監禁状態にされてしまう…正直に言わせて頂きます。これは拷問です。本当にひどいと思っています。なので、とにかく帰幽後は僕の事はそっとしておいて欲しいです。もう正反対の事を言う方々とはお会いしたくないのです。
過去、僕が帰幽後に暮すであろうと思われる“白い家”の映像インスピレーションを2度ほど受取らせて頂いた事がありますが、僕はもう家すらいりません。霊体には食事も休息も睡眠も必要ありませんから、僕は霊界の森や山や清流を旅するように暮しながら様々な動物たちと触れ合って生きたいです。何度も公言していますがここに再び宣言します。僕は帰幽後、僕に正反対の事を言ってこない動物たちと心静かに暮します。僕に正反対の事を言い続けてきた方々とはお会いしたくありませんし、共に暮すつもりもありません。
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現在僕のフランス語学習をサポートして下さっていると思われるフランス人助力霊の方々(正確に把握はできていませんが、フランス人の男女2名の方が助力霊としてついて下さっているものと予測しています)お2人、本当に申し訳ありません。正直言って僕はフランス語を好きになれそうもありません。日本人の僕にはどうにも理解し難いフランス語特有の数々の発音、これに僕は日々嫌な思いをさせられているからです。
僕がこの不愉快極まるフランス語学習を何とか忍耐をもって続け、ある程度の語学レベルに到達し、霊媒としての仕事が開始され、フランスと日本に新時代の霊言がもたらされたら、それは本当に素晴しい事ですし僕もそういう仕事ができた事を光栄に思うと思います。しかしその道のりは僕の心の願望と正反対の極みであり、日々の学習は僕の心に猛烈な怒りをもたらします。正直言ってどこまで耐えてやっていけるか自信はありません。
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レオナルド・ダ・ヴィンチ先生。あなたが僕に協力して下さるというインスピレーションを受取った時、僕は“やった!これで絵に戻れる!”と思いました。地上を代表する天才画家であるダヴィンチ先生から絵のインスピレーションを受取り、それに従って作品を描く事ができると、僕の心は喜びで満ちあふれたのでした。ところが現状はこれです。僕は1ミリたりとも“絵”を描く事ができず、明けても暮れても自分の心の願望と正反対の行動をとらされ続けています。
先日、せめてアナログ絵に戻ろうと、A2のケント紙を新規購入し、その紙にほんの数本シャーペンで線を描いただけで、その夜に“延期”というインスピレーションを受取った、あの時の僕の“怒り”は尋常なものではありませんでした。「こんなちょっとも描かせてもらえないのですか!」と、僕は寝袋の中で怒りに打ち震えたのでした。僕の使命遂行に協力して下さっている事、心から感謝はしているのですが、ダヴィンチ先生と“絵”の共同作業ができなかった事、本当に残念に思っています。
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モーリス・バーバネル氏。あなたのようなものすごい方に協力して頂けるようになった事、心から光栄に思います。しかし僕とあなたとでは器が違いすぎます。あなたは地上降下前から霊的使命を帯びておられたお方、僕は霊的使命など一切関係なく、ただ単に個人的進化向上を目的として絵の才能を賦与され地上に降下した、ただの少年な訳です。そもそも器が違います。
僕などという男にあなたと同じ仕事ができるとは思えませんが、もしあなたの100分の1でも霊的知識の普及に貢献できたのなら、それはもちろん光栄ですし嬉しくもあります。しかし上記に果てしなく書いていますように僕の心はこの正反対の導きに対して猛烈に不満と怒りを抱いていますので、こんな精神状態では正しく霊媒現象を発動する事は不可能では、と思っています。正直言って僕はこの“使命”は途中で頓挫するだろうと予測しています。耐えられるところまではもちろんやるつもりではいますが。
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イエス様。こんな僕に何度も何度も、本当に何度も顕現して頂きまして心から感謝致します。過去ブログ「あのお方(軽々しく名を呼んではいけません)」にて僕は…“いつか、いつか、あなたさまの顕現の様子(顕現の様子については“ベールの彼方の生活”にて多数紹介されています、参考までに)その荘厳極まる、想像を絶する、美と叡智の極致、そのお姿を“描く”事を許される画家になりたいと願っています。”…こういう願望を書かせて頂きました。
しかし、しかし、誠に、誠に、申し訳ありませんが、この願望、却下させて頂きます。理由は苦しくて描けないからです。この地上での経験を思い出してしまい、苦しくなって描き続けられなくなってしまうと思っているからです。本当に申し訳ありません。僕は帰幽後、人間をモチーフとして作品は描きません。僕が描くのは鳥たちや動物たち、そして自然物です。
しかしもうひとつ…僕はこんな無礼なブログを書いてしまうほど現状の霊的導きについて不満を抱いていますが、“この霊的知識普及の使命を自らの意思で遂行する”という約束をイエス様と交わしたという事実は消える事はありませんので、最高に苦しい現状ではありますが、僕にできるところまではやらせて頂こうと思っています。ちっとも成果が出せなかったら申し訳ありません。しかしそれが僕という人間の器の限界だと思いますので、どうかお許し頂きたいと思います。
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僕は“画家”の看板は絶対に下ろしません。たとえ地上生活中に絵に戻れなくとも、この画家の看板を掲げ続ける事が、僕の“自由意志”を守る最後の砦だと思っているからです。この看板を下ろしてしまったが最後、僕の自由意志は完全に消失します。…とはいえ、既に現状で僕は自由意志を剥奪された“操り人形”も同然の状況に突入していますので、こんな小さな事で我を張ってみたところで空しいばかりではあるのですが。
背後霊団の方々、先日は幽体離脱にてチンパンジーとの出会いを演出して頂きましてありがとうございました。あのチンパンジーと手を取り合った時に僕たち2人を包み込んだあの法悦、喜悦…本当に言語を絶する素晴しい感動的な体験でした。あの経験のおかげで、帰幽後、動物たちと暮していく実感が少し持てたような気がします。
画家のはずの僕が絵を全く描かせてもらえずに、果てしなく心の願望と正反対の事をやらされているこの現状、何をどうやっても納得はできません。“神のご意思”を遂行するためには、これほどまで自分を殺し続けなければならないのかと、その使命の責任の重さに今にも潰されそうな気持です。ただ、僕の心は本当に不満と怒りでいっぱいですが、それでも何とか、やれるところまではやってみようと思っています。
そのかわりと言っては何ですが、今回このブログにて、自分の心を守るために無礼を承知であえて僕の正直な気持を吐露させて頂きました。守護霊様ならびに背後霊団の方々、以上です。失礼致しました(祈)
たきざわ彰人

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