「あなたは自分を何だと思ってるんですか」この思念を抱いている方にこの言葉をそのまま返させて頂きます(祈)†
今日の幽体離脱時にも複数の映像を霊団が降らせてきていますが、今回はトランス時に霊団が霊聴に響かせてきたムカつく思念「あなたは自分を何だと思ってるんですか」こちらの説明を短くしてみようと思います。えーこのような思念を僕、たきざわ彰人に対して抱いている人間がいるという事で間違いないものと思われるのですが、タイトルにも書きましたように、僕はこの思念を抱いた人間にこの言葉をそっくりそのまま返させて頂きます。僕に対してこのような考えを抱いている方へ。あなたの方がよっぽど「自分の事を何だと思っているのですか」と全力で言わせて頂きます。
あなたは強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に赤ちゃんの時に盗まれ邸内地下に閉じ込められ出生証明も出されず存在しない事にさせられて学校にも行けず教育も受けさせてもらえず1歩も外に出る事もできず、幼い時からヒドイ凌辱を受け泣いて助けを求めても誰も助けてくれるオトナが周りにおらず、あげくの果てに「処刑遊び」と称してオトナになる前に四肢切断、強姦殺人される奴隷の女の子たちを「救出」するために何かひとつでも行動を起こした事がありますか。あなたは女の子たちを助けようと何かひとつでも実際に行動を起こした事がありますか、と聞いているのです。僕は何度も暗殺の危機に見舞われながら、画家の人生を捨てて奴隷の女の子たちを救出するために想像を絶する自己犠牲の人生を余儀なくされてここまで死に物狂いで活動してきました。1億回でも言わせて頂きますが、僕に対して「あなたは自分を何だと思ってるんですか」と思念を抱いているあなたへ。あなたは奴隷の女の子たちを助けてあげようとして何かひとつでも行動を起こした事がありますか。僕のアイデンティティならびに全存在をかけてこのように言わせて頂きますが、あなたに僕の事を悪く言う資格は1ミリたりともありません。
僕の事を悪く言うあなたへ。あなたと違って少なくとも“ある青年”は危険に身を晒して明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関するブログを書き続けてくれていました。だからある青年は「勇者」だと言っているのです。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を理解していながらその悪行の数々を公言する事もせず、強姦殺人魔の事を陛下だの殿下だのと呼び続け、テレビを筆頭とした各種メディアがひたすら国民を洗脳し続けている事も理解していながらその認識の間違いを指摘する事もせず、自撮りも晒さず名前も公表せずコソコソ影に隠れて人の文句だけは言うが邪悪の大中心、日本の悪の根源である明仁、文仁、徳仁、悠仁の事については一言も語ろうとしない。そして奴隷の女の子たちが次から次へと強姦殺人され続けている事に眼をつぶり続け、善人の演技をしながら強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を容認し続け血税で守り続け、何が何でも強姦殺人ほう助を続け、正義のために何ひとつ行動を起こそうともしない、それどころか勇気をもって悪の正体を公言する者に軽蔑、嘲笑、誤解、嫉妬、侮蔑、罵倒を浴びせてくる、あなたのような人を「人間のクズ」というのですよ。
僕、たきざわ彰人はふざけたヤツを絶対に許しません。今回霊団が降らせてきた「あなたは自分を何だと思ってるんですか」この思念を心に宿している人間にはぜひとも「たきざわ彰人は間違っている。我々日本国民は強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を褒め称え称賛し、奴隷の女の子たちの強姦殺人を続けさせ擁護し続けねばならない。奴隷の女の子を殺し続ける事が日本の安定と平和につながっているのだから我々は強姦殺人ほう助を続けねばならない」と自撮りと名前を晒して公言して頂きたいと思います。僕の事を悪く言うからにはこれくらいの反論があって当然でしょう。コソコソ影に隠れる卑怯者を僕は絶対に許しません。地上生活中の行為と思念は全て僕たちの本体である「霊」に記録され、それによって霊体の波長が精妙か粗雑かが決まり、肉体を脱いだのち、その霊体の波長に合った境涯へ、高尚な思念を宿し人を助ける行いをした者は上層界へ赴き、卑怯な思念を宿し女の子を殺す手伝いを続けた者は下層界へ落ちていくのです。これが「神の因果律」の基本中の基本で、僕を悪く言う者はその卑怯な思念により自分の霊体の波長を粗雑にさせ、地獄に落ちていく事になるのです、誰のせいでもない完全なる自己責任なのです。コソコソ影に隠れて僕を悪く言う者は、何とでも言えばいいと思います。それが自分の未来を地獄に落とす事につながると全く理解していない「霊的知識の無知」が全ての原因です。「母と子の心霊教室」の著者パーマー先生のお言葉「無知ほどこわいものはない」これに尽きるのです。
もうひとつ、シルバーバーチの霊訓1巻巻末に、日本一のスピリチュアリスト近藤千雄先生があとがきにてこのような霊関連書籍の抜粋をしています。ご参考までに↓
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では、おしまいに再び『霊訓』から啓示の本質に触れた部分を紹介しておこう。“新しい啓示”と“古い啓示”との間の矛盾の問題に言及してインペレーターはこう述べている。
啓示は神より与えられる。神の真理であるという意味において、啓示が別の時代の啓示と矛盾するという事は有り得ぬ。ただしその真理は常に時代の必要性と受容能力に応じたものが授けられる。一見矛盾するかに思えるものは真理そのものにはあらずして、人間の心にその原因がある。人間は単純素朴では満足し得ず、何やら複雑なるものを混入してはせっかくの品質を落とし、勝手な推論と思惑とで上塗りする。時の経過と共にいつしか当初の神の啓示とは似ても似つかぬものとなっていく。矛盾すると同時に不純であり“この世的なもの”となってしまう。やがて新しき啓示が与えられる。がその時はもはやそれをそのまま当てはめられる環境ではなくなっている。
古き啓示の上に築き上げられた迷信の数々をまず取り壊さねばならぬ。新しきものを加える前に異物を取り除かねばならぬ。啓示には矛盾はない。が、矛盾せるがごとく思わしめるところの古き夾雑物がある。まずそれを取り除き、その下に埋もれる真実の姿を見せねばならぬ。人間はそれに宿る理性の光にて物事を判断せねばならぬ。理性こそ最後の判断基準であり、理性の発達せる人間は、無知なる者や偏見に固められたる人間が拒絶するものを喜んで受け入れる。神は決して押し売りはせぬ。このたびの啓示も、地ならしとして限られた人間への特殊な啓示と思うがよい。これまでもそうであった。モーセは自国民の全てから受け入れられたであろうか。イエスはどうか。パウロはどうか。歴史上の改革者を見るがよい。自国民に受け入れられた者が1人でもいたであろうか。神は常に変わらぬ。神は啓示はするが決して押しつけはせぬ。用意の出来ている者のみがそれを受け入れる。無知なる者、備えなき者はそれを拒絶する。それでよいのである。
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はい、「あなたは自分を何だと思ってるんですか」と僕に対して卑怯者と言える思念を宿している人が霊団によるといるようで、それについてブログを書かせて頂きました。「あなたは自分を何だと思ってるんですか」これは完全に僕のセリフである事、あなたの言っている事の方がよほど狂っており、自分の言っている事が正しいと主張するなら自撮りを晒して公然と僕の事をバカにすればいいと思うのです。が、それをする勇気もなく影にコソコソ隠れて僕の悪口を言う卑怯者、このような人間を僕は一切相手にしません。インペレーター霊の言葉を抜粋させて頂きましたが、最後に何と言っていましたか。「無知なる者、備えなき者はそれを拒絶する。それでよいのである」ですね。これを僕なりに現代風に表現するならば「バカは相手にしない」という事になります。強姦殺人魔および強姦殺人ほう助を正当化できるものならやってみればいいと思うのです。それをやりもしないで僕の事は悪く言ってくる、何という未熟者でしょうか。ご覧の皆さまはまさか、まさか、僕、たきざわ彰人の語る内容より「あなたは自分を何だと思ってるんですか」という卑怯者の思念を心に宿している人間の考えが正しいなどと寝言は仰らないでしょうね。本当に寝ぼけた事を言うのもコレッキリにしてもらわねばなりませんよ。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の未来はただひとつ【死刑】これ以外にないのです。僕たち日本人のアイデンティティにかけて絶対に死刑を実行し、奴隷の女の子たちの救出を完了させねばなりません。で、ピーチピチ(佳子)の思念と思われるインスピレーションも降っているのですが、ちょっと紹介がムズカシイのでチャンスがあったら次の機会に紹介させて頂きます(祈)†
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