【8/7】霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
『シルバーバーチの霊訓⑤』
【でも各自にとって良いもの悪いものの概念があるのではないでしょうか―】それはその時点での話にすぎません。進化の途上において到達した一つの段階を表現しているだけです。魂がさらに向上すればその概念を捨ててしまいます。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
不完全な道具を通して完全な法則が顕現しようとして生じた不完全な考えであった訳です。全てが大切だと申し上げるのはそこに理由があります。【それでは神は原初においては善ではなかったという事でしょうか―】私は原初の事は何も知りません。終末の事も何も知りません。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
知っているのは神は常に存在し、これからも常に存在し続けるという事だけです。神の法則は完璧に機能しております。つまり今の譬え話で申上げた通り、あなたは完全な光をお持ちです。ですがそれを磨きの悪い鏡に反射させれば完全な光は返ってきません。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
それを、光が不完全だ、光は悪だとは言えないでしょう。まだ内部の完全性を発揮するまでに進化していないというに過ぎません。地上で“悪”と呼んでいるものは不完全な段階で神を表現している“不完全さ”を意味するに過ぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
【創造力をもつ存在は神と呼ぶ唯一の存在のみで我々には何一つ創造する力は無いと考えてよいでしょうか―】神は無窮の過去から存在し未来永劫に存在し続けます。全生命が神であり神は全生命です。ならばあなた方に何が創造し得ましょう。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
しかし魂が進化すれば進化するほど宇宙をより美しく完成させていく事ができます。進化の程度が未熟であるほど宇宙における位置が低いという事になります。(訳者注―“宇宙をより美しく完成させていく事ができる”とは神の創造の大業に参加できるという事である。―)
『シルバーバーチの霊訓⑤』
(『霊訓』にも『ベールの彼方の生活』にもその趣旨の事が述べられているが、マイヤースは『個人的存在の彼方』の中でこれを“創造された者が創造する側にまわる。そこに生命と宿命の秘密が存在する”と表現している。)
『シルバーバーチの霊訓⑤』
【愛の神が人間の最低の感情の一つである憎しみの中にも存在するという事が理解できないのですが―】それはいまだに神というものを人間的存在と考える概念から抜け切っていないからです。神とは法則なのです。法則が全てのものを維持し保持し顕現させているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
神は愛を通してのみ働くのではありません。憎しみを通しても働きます。晴天だけでなく嵐も法則の支配を受けます。健康だけでなく病気を通しても働きます。晴天の日だけ神に感謝し、雨の日は感謝しないものでしょうか。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
太古の人間は神というものを“自分たちの考える善性”の権化であらしめたいとの発想から(その反対である)悪魔の存在を想定しました。稲妻や雷鳴の中に自分たちの想像する神のせいにしたくないものを感じ取ったのと同じです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
神は法則なのです。全生命を支配する法則なのです。その法則を離れては何も存在できません。これは私が繰り返し説いている事です。あなた方が憎しみと呼んでいるものは未熟な魂の表現にすぎません。その魂も完全な法則の中に存在しておりますが、―
『シルバーバーチの霊訓⑤』
―現段階においては判断が歪み、正しく使用すれば愛となるべき性質を最低の形で表現しているまでの事です。愛と憎しみは表裏一体です。愛という形で表現できる性質は憎しみを表現する時に使用する性質と同じものなのです。人生は常に比較対照の中で営まれています。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
たとえばもし日向にばかりいたら日光の有難さは分らないでしょう。時には曇りの日があるから太陽の有難さが分るのです。人生も同じです。苦しみを味わえばこそ幸せの味が分るのです。病気になってみてはじめて健康の有難さが分るのです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
病気にさせるものがあなたを健康にもするのです。愛させるものが憎ませもするのです。全ては神の法則の中で表現されています。それが人生のあらゆる側面を支配しているのです。
霊関連書籍ムービー化『母と子の心霊教室 – 不思議な心の世界』訳者(やくしゃ)まえがき(祈)†
いちばんの謎(なぞ)はじつは“人間そのもの”なのです。人間については、はっきりとわかったことはなにひとつないといってもいいのです。たとえば、なぜ人間は物ごとを“考える”のか。なぜ“よろこび”、なぜ“悲しむ”のか。夜“寝て”朝なぜひとりでに“目が覚める”のか。その人体ができあがるいちばん最初は、目に見えないほど小さな細胞(さいぼう)でした。それが大きくなって科学を研究し、芸術を鑑賞(かんしょう)し、文学を語りスポーツを楽しむという、じつにさまざまな活動をするようになる、その知性と才能とエネルギーはいったいどこから生まれてくるのか、みな謎(なぞ)ばかりなのです。そうした謎(なぞ)について、ああでもない、こうでもないと思いあぐねていたときに、それを見事に説き明かしてくれる新しい思想が生まれました。スピリチュアリズムがそれです…続きを読む→
霊関連書籍ムービー化『母と子の心霊教室 – 不思議な心の世界』第1章「人間」とはなんだろう(祈)†
エーテル体はふつうの眼(め)では見ることができませんが、肉体とそっくりの形をしていて、いつも肉体といっしょに動きます。生まれたときも肉体とおなじ大きさで、肉体が成長するにつれてエーテル体もいっしょに大きくなります。ただエーテル体には肉体にまねのできないふたつの大きな特徴(とくちょう)があります。第1は、けっして年をとらないことです。すなわち、肉体は年をとるとしだいに元気がなくなってきますが、エーテル体はいったん形ができあがるとけっして年をとらず、いつまでも若々しく元気にあふれています。第2の特徴(とくちょう)は、いつも完全であることです。すなわち、肉体はけがをすると傷(きず)あとができたり、事故のために足を折るとそのまま一生涯(いっしょうがい)不自由になってしまいますが、エーテル体はけっしてそういうことがないのです…続きを読む→
「誰もいないカラッポ」帰幽後の僕が閉じ込められるところです、これはおもしろい(祈)†
僕が閉じ込められる境涯に幽体離脱時に霊体にて訪れています。まぁまぁ明るい境涯でしたのでそんなに下層界という感じではなかったものの、ある団地の5階から7階へ引っ越しするのですが、その団地全体にひとりの人間もいません。7階の部屋の中ももぬけのから。そこが僕と2羽の住む部屋です。部屋のベランダから外の景色を見ます。どれだけ見まわしてもひとりの人間の姿も見えません。僕とユキ、ピー以外は全く誰もいない、そういうところに僕は帰幽後閉じ込められて生活する事になるのだそうです霊団によると。離脱中の霊体の僕は鼻で笑いました。「フフッ、10年の努力の結果がこれですか。コイツァーおもしろい。3人で仲良く楽しく暮らしていきますよ」と思念を抱くと…続きを読む→
「もっと早くコナンドイル氏がいるうちに始めていれば」拡散力という意味では?(祈)†
ご覧の皆さまには、作品シャーロック・ホームズを今後ご覧になる時、原作者アーサー・コナン・ドイル氏が「スピリチュアリズムのパウロ」と呼ばれるほど霊的知識の普及に尽力、貢献した人物であった事、作品ホームズはドイル氏の人物像の1側面であって全体像ではないという事を頭に入れた状態で作品をご覧頂きたいと思います。そして願わくばドイル氏執筆の霊関連書籍にも目を通して頂きたいと切に願うものです…続きを読む→
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