【9/2】霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†

アナログ絵263_3

『シルバーバーチの霊訓⑦』
【シルバーバーチの交霊会には時おりレギュラーメンバーの他に新参者が招かれる。その日も一人の招待客が出席していた。その客の質問に対するシルバーバーチの答えは、さながらスピリチュアリズムの要約の観があるので紹介しよう―】

『シルバーバーチの霊訓⑦』
私達霊団の仕事の一つは地上へ霊的真理をもたらす事です。これは大変な使命です。霊界から見る地上は無知の程度が酷すぎます。その無知が生出す悪弊は見るに耐えかねます。それが地上の悲劇に反映しておりますが、実はそれがひいては霊界の悲劇にも反映しているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
地上の宗教家は、死の関門をくぐった信者は魔法のように突如として言葉では尽くせない程の喜悦に満ちた輝ける存在となって一切の悩みと不安から解放されるかに説いていますが、それは間違いです。真相とは程遠い話です。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
死んで霊界へ来た人は―初期の段階においては―地上にいた時と少しも変りません。肉体を棄てた―ただそれだけの事です。個性は少しも変りません。性格は全く一緒です。習性も特性も性癖も個性も地上時代そのままです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
利己的な人は相変らず利己的です。貪欲な人は相変らず貪欲です。無知な人は相変らず無知のままです。悩みを抱いていた人は相変らず悩んでいます。少なくとも霊的覚醒が起きるまではそうです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
こうした事があまりに多すぎる事から、霊的実在についてある程度の知識を地上に普及させるべしとの決断が下されたのです。そこで私のような者が永年にわたって霊的生命についての真理を説く仕事に携わってきた訳です。霊的というとこれまではどこか神秘的な―

『シルバーバーチの霊訓⑦』
―受取られ方をされてきましたがそういう曖昧なものでなしに実在としての霊の真相を説くという事です。そのためには何世紀にもわたって受継がれてきた誤解、無知、偏見、虚偽、欺瞞、迷信―人類を暗闇の中に閉じ込めてきた勢力の全てと闘わねばなりませんでした。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
私たちはそうした囚れの状態に置かれ続けている人類に霊的解放をもたらすという目的をもって一大軍団を組織しました。お伝えする真理はいたって単純なものなのですが、それにはまず証拠になるものをお見せする事から始めなければなりません。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
即ち偏見を捨てて真摯な目的、真実を知ろうとする欲求をもって臨む者なら誰にでも得心がいくものである事を明らかにしなければなりません。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
あなた方の愛する人々はそちら側からチャンスを与えてくれれば、然るべき通路(霊媒)を用意してくれれば、死後もなお生き続けている事を証明してくれます。これは空想の産物ではありません。何千回も何万回も繰返し証明されてきている事実を有のままに述べているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
もはや議論や論争の枠を超えた問題です。最も見ようとしない盲目者、事実を目の前にしてもなお認める事ができなくなってしまった歪んだ心の持ち主は論外ですが。以上が第一の目的です。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
“事実ならばその証拠を見せて頂こう。我々はもはや信じるというだけでは済まされなくなっている。あまりに永い間気まぐれな不合理極まる教義を信じ込まされてきて我々は今そうしたものにほとほと愛想をつかしてしまった。”―

『シルバーバーチの霊訓⑦』
―“我々が欲しいのは我々自身で評価し、判断し、測定し、考察し、分析し、調査できるものだ”―そうおっしゃる物質界からの挑戦にお応えして、霊的事実の証拠を提供するという事です。それはもう十分に提供されているのです。既に地上にもたらされております。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
欲しい人は自分で手にする事ができます。それこそが私がこれまであらゆる攻撃を耐え忍び、これからもその砦となってくれる“確定的事実”というスピリチュアリズムの基礎なのです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
もはや“私は信じます。私には信仰というものがあります。私には希望があります”といった事では済まされる問題ではなくなったのです。“事実なのだからどうしようもありません。立証されたのです”と断言できる人が数え切れないほどいる時代です。

シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「レッドマンのこころ」です。これを読んでインディアンの方々が超トレイルランナーだと知りました☆超人的体力で山野を爆走、馬も追いつけないほど足が強靭☆しょぼいトレイルランナーの僕にとってインディアンの方々は憧れの的なのです☆(祈)

「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†■2022年6月22日UP■
「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†
撮影中ずっと話しかけていたので結構疲れましたが、長い撮影を終えて「ゴールタイムが遅れるからもう帰るわよ♪牛ちゃんまた来るわよ♪」と言ってデジ一眼をザックにしまっていると、牛ちゃんが僕の動きに合わせて大移動を開始。僕が帰る方向にずっとついてくるのでした。そして柵の一番端まで来てそこでたくさんの牛ちゃんが群れながら僕を見送ってくれたのでした。僕は少し感動しつつ牛ちゃんに声をかけながら手を振ってお別れし、ゴールの駐車場に急いだのでした。僕は物質界では徹底的にヒドイ目に遭わされながら生活しています。霊団に完全に人生を破壊され心の中は怒りでイッパイの状態で使命遂行していますが、今回のアタックでは牛ちゃんたちのおかげで少し心が安らいだのでした。牛ちゃんは霊界の人間(霊団)と違って優しかったです…続きを読む→
「J9」アナログ絵123に描いたゴールに到達するという意味だと信じたいですが(祈)†■2022年6月22日UP■
「J9」アナログ絵123に描いたゴールに到達するという意味だと信じたいですが(祈)†
そして仕事を休んで遠くの会場まで足を運ばされ、訳の分からないトランスの真似事のようなものを集団でやらされて(今にして思えば僕の回りにいた連中はみんな僕を信者にするためのグルメンバーだったのかも知れませんが)僕はそもそも宗教臭の漂うモノが大キライ、頭にきて頭にきてもうガマンできなくて途中で帰ってしまったのです。これは霊関連書籍に精通しておられる方なら理解できる事と思いますが、要するに霊団が「僕をそういうところ(いかがわしい宗教)から遠ざけて真っ当な霊的活動をさせるためにわざとそこに行かせてキライにさせた」という事なのですが、そうと分かっていてもあの体験は人生最悪でした。もう死んでも行きたくありません…続きを読む→
「水星バカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地球学校落第という意味です(祈)†■2022年6月15日UP■
「水星バカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地球学校落第という意味です(祈)†
明仁、文仁、徳仁、悠仁はこの全宇宙最低の地球よりさらにヒドイところに生まれ直させられるのだそうです霊団によると。皆さまはそうは思われない事と思いますが、現在肉体をまとって地球圏物質界で生活している僕たち人間は「最下等の生命表現をしている霊的存在」なのだという事を理解しましょう。僕たちの本体である霊は無限です。その生命表現手法も無限です。物的肉体をまとっての生命表現は、この全宇宙の中の「もっとも程度の低い生命形態、初期的自己表現手段」という事です。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は、その最下等の生命表現よりさらに程度の低い生命表現媒体をまとわされての人生に突入するという事を霊団が強調しているのです…続きを読む→
「片手落ちというものがありません」あくまでも霊界側の視点でのお話です(祈)†■2022年6月1日UP■
「片手落ちというものがありません」あくまでも霊界側の視点でのお話です(祈)†
僕の物質界生活中に結果が出るとは言っていない、僕の帰幽後に霊界側が計画した通りの結果に到達する。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡も、僕の物質界生活中には達成できないとしても、僕の帰幽後にそのようになる。奴隷の女の子たちの救出も、僕の物質界生活中には実現できない、しかし女の子たちは強姦殺人されて以降に霊界で十分すぎる埋め合わせがあるのだから何も心配する必要はない。だいたいこういう意味でいいでしょう。大俯瞰的視点で永遠という時間の尺度で全体を眺めれば「素晴らしい結果に到達した」と言えるのでしょうが…続きを読む→

未分類

Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†