ヨセフとマリヤは、ひっそりと結婚し、ナザレを出て見知らぬ所へ旅立った。旅の途中でマリヤは男の子を生んだ。それは恐ろしくもあったが、同時にうれしくもあった。赤ちゃんが死にそうになったので貧しい旅館を探し介抱した結果、死をまぬがれることができた。
衰弱しきったマリヤの体も日毎に回復し、ヨセフと口がきけるようになった。ヨセフはマリヤとの約束を守り、その子を“イエス”と名づけた。マリヤが懐妊する前に、大天使ガブリエルの御告げをうけていたからである。
マリヤが産後の潔めの式に与ろうとしている頃、大きな悩みごとで途方にくれていた。ヨセフは口数が少なくなり、すっかりふさぎこみ、目もよどんでしまった。彼らにはナザレに戻ってもそこに住むことができなかった。なぜなら町のおかみさんたちが2人のことをひどく中傷していたからである。
生まれた赤ちゃんは、ヨセフの子ではなく、見知らぬ男との間に生まれたという中傷であった。ヨセフとマリヤは、とある律法学者と相談をした結果、エルサレムへ上京し、神殿にお参りして、その子に関する神様の御託宣をきいてくることになった。
聖都エルサレムを目にしたとき、マリヤは小躍りして喜んだ。太陽の光に輝く塔がそびえたつ神殿を目の当りに見て驚いた。神殿の入口からきこえてくる祭司たちの祈の歌声や、トランペットの高尚な響きにうっとりとするのであった。
恰も胸に抱いている赤ちゃんに呼びかけているかのように思えた。もうマリヤは当惑することはなかった。彼女は信仰によって強められ、彼女とヨセフの間に重くのしかかっていた闇が取り除かれる日が近くやってくることを信じていた。
彼らは雉鳩の番を神殿に捧げ、帰ろうとするとき、早朝の祈のときに彼らに話しかけてくれた1人の老祭司とばったり出逢った。彼の名は“シメオン”と言い、高潔な人であった。彼の顔は霊の光に輝いていた。
シメオンは彼ら2人を呼び、古い偉大な神殿内の一室に案内した。そこで彼は朗々と神様を讃える美しい祈を捧げた。ヨセフとマリヤはそこに跪き、彼の口をついて出てくる感謝の詩篇や彼の気高い風貌に心をうたれた。
間もなく彼らはこの老祭司が、マリヤのだいている赤ちゃんのことを言っていることに気がついた。老祭司は大声でこの赤ちゃんをイスラエルの栄光である“メシヤ”と言って讃えるのであった。
疑いは晴れ、恥と苦悩はまるで夜鳥のように消え失せてしまった。ヨセフはもう投げやりになることもなく、又ガリラヤで近隣中から悪口を言われることに怖れをなすこともなくなった。
ヨセフはマリヤの方を見て、にっこりと笑った。その笑顔の中から、2人の仲には何の拘泥も無く、暗い影が消えてしまったことを彼女は知ることができた。
更に驚いたことには、老祭司シメオンが赤ちゃんをマリヤから受けとり、だきかかえながら祝福した。
そこへ老女アンナ(敬虔な女預言者 = 訳者)が入ってきて、いきなり大声をはりあげ、この赤ちゃんがメシヤとして来臨して下さったことを神様に感謝するのであった。老祭司が言った。「この子は、イスラエルの多くの人々を立ち上らせたり沈めたりするであろう。見よ、鋭い刃がこの子故に、母マリヤの胸を貫き通すであろう」
この預言めいた言葉を聞いたヨセフは、シメオンに近より、彼の耳元で心配そうに話しだした。マリヤのことで近隣の者がふれまわっている中傷のことや、大天使ガブリエルがマリヤに御告げをしたとか、あらいざらい今までのことを話した。
そして最後に、この子がメシヤなどと言いふらしたら、どんな非道い目にあわされるかわからないと言った。そこでシメオンはいい知恵を与えてくれた。
「このことは誰にも喋ってはならない。この子にも、物心がつくまでは教えてやらないがよかろう。ひっそりと暮らし、この子が少年になるまで見守ってやりなさい。きっと神様の使命を果すときが来るであろう。いつ、どんなふうに立ち上るかはわからないが、彼はイスラエルだけではなく、外国人、否全人類の救いのために立ち上るであろう」
この老祭司の知恵にあふれた言葉に心から感謝してヨセフとマリヤは神殿を立ち去った。彼らは貧しかったので、すぐにナザレへ引き返さなければならなかった。ヨセフにはナザレにしか仕事をするところがなかったからである。蓄えたわずかなお金も全部使いはたしてしまったので、ヨセフは毎日夜おそくまで働かねばならなかった。
エルサレムに別れを告げてから、マリヤの心には大きな喜びが満ちあふれていた。ナザレに帰ってきてからは、マリヤはどんな女とも口をきかなかった。赤子をだいている姿を見せれば、きっと彼女たちの好奇心を刺戟し、口うるさくなると思ったからである。
たまさかであるが、ヨセフの仕事が休みで家に居り、近所の連中が祭りで出払っているときには、独りでこっそり野原へでかけて行き、小川のほとりに腰をおろし、そよ風にゆらぐ樹々の葉音や、せせらぎの音に耳をかたむけていた。こんなひとときが、彼女の日頃の疲れをやわらげ、彼女の新しい人生に勇気を与えてくれた。
とかくヨセフが他人の噂を気にするあまり、仕事がとれず苦しい思いをすることもあった。ヨセフはいつでも彼女には優しかった。しかし大天使ガブリエルやシメオンの啓示のことは、一切口にするなと命令した。
「今はとても辛く、危いときだ。非難されないようになるまでがんばるんだ。本当にわかってくれるような友達ができるまで」とヨセフは言うのであった。マリヤも息子のイエスのことを思い、ヨセフの命令に従った。
このようにひっそりと身を縮めるような生活をしているにも拘わらず、大変なことがおきてしまった。赤子をだいて外出しているときを狙われて、数人の悪女共がマリヤのあとをつけ、しつこくからかったり嘲ったりした。マリヤは家に帰り、暫くの間ふるえがとまらず、泣きふしていた。純心無垢なマリヤにとって、わけのわからぬ狂暴な言葉の嵐は大きな傷痕となったのである。
(註1)旧約聖書のレビ記12・2の規程に従って、イスラエルの婦人は出産後、一定期間中(40日間)汚れているとみなされ、神殿内に入って礼拝に参列することが許されなかった。これは男の子の場合で、更に女の子を出産したときは、80日間も汚れているとみなされていた。汚れの日があけてから、定められた捧物を持参して清めてもらうことを“潔めの式”と言っていた。
(註2)モーセの律法を解釈する法律家のことで、現代の法廷判事顧問のような権威ある存在であった。当時のユダヤ人社会では、民衆から尊敬され、上流階級の意識が強く、“ラビ”(私の先生)と呼ばれることを好んだことから、第一世紀の終り頃から、ラビという称号は、律法学者を呼ぶのに用いられるようになった。
■2021年8月4日UP■「彼らも悪しざまに言われました」シルバーバーチ霊の言葉をタイトルに冠させて頂きました(祈)†彼らは地上世界にいずれ実現される神のプランを読取り、その日のために物質界の子等の魂を高揚させるべく一身を擲(なげう)ったのでした。彼らも悪しざまに言われました。援助の手を差しのべんとしたその相手から反駁され嘲笑されました。しかしその仕事は生き続けました。それはちょうど、今日世界各地の小さな部屋で行われている、このサークルのような交霊会の仕事が、そのメンバーの名が忘れ去られたのちも末永く生き続けるのと同じです。強大な霊の力が再び地上世界へ注ぎ込まれはじめたのです。いかなる地上の勢力をもってしてもその潮流をせき止める事はできません…続きを読む→ ■2021年6月2日UP■「長持ちさせようとは思っていません」霊団の言葉ですが、全然そうなってないだろ(祈)†「ピーチピチ(佳子)の発言にばかり注目するな」と霊聴に言ってきたのですが、これは霊団から皆さまへの警告と思われます。つまり「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁がパレットから奴隷の女の子を購入し続け四肢切断、強姦殺人し続け死肉を食べ続けている邪悪の真実、ピーチピチ(佳子)は奴隷の女の子たちと全く同じ手法で文仁が赤ちゃんの時に美人から盗んだ女の子であり、文仁、紀子と1ミリも血がつながっていない「赤の他人」であるという真実、そして奴隷の女の子たちの存在、悲劇の実情に国民の注目、関心が集まらないように「視点外し」のニュースを休みなく流し続けて国民が真実に目覚めないようにしている、つまり(どういう経緯かは僕にも分かりませんが)ピーチピチを逮捕とか言っているのも要するに「視点外し」で、国民の注意関心および議題を問題の本質から逸らすのが目的という事です…続きを読む→