律法学者という存在は人々から尊敬されていた。天使が彼らの学識を祝福していると考えられていたからである。どんな事柄について語っても称賛された。彼らがモーセの律法について講じるときには、ガリラヤ地方では、彼にたてつく者は1人もいなかった。
この地方の住人はみんな単純素朴であったからである。彼らは知恵というものがただ律法学者の口によって語られるものと信じこんでいた。律法学者への道は狭き門であった。エルサレムに群がっている多くの教師たちは、まるで巣箱の蜂のように聖都に集まっていた。
彼らは単純なガリラヤ人を軽蔑していたので、ナザレにはたった1人の律法学者しか居らず、住民の尊敬を集めていた。彼は“ベナーデル”と言って、ガリラヤ湖周辺の人によく知られていた。彼はまめにナザレを歩き回り、町や村を訪問した。
彼の地声は大きく、異邦の地テベリヤやピリポ・カザリヤの町々にもとどかんばかりであった。その弁舌は短剣のように鋭く、ローマ人の英知をも切り刻んでしまうと噂されていた。彼は昔ピリポ・カイザリヤで熱心に腕をみがいていたという。
ヨセフはそれをいつも得意そうに言っていた。<ナザレには誰にでも自慢できる律法学者がいるんだぜ。そりゃみんな頭をさげるし、彼の話はいつも立派なんだから>
最初の頃は、この町では噂通りの彼であった。ある日のこと、ナザレの旅館に旅人がやってきた。彼らは立派な見なりをした異邦人であった。その旅人の1人が律法学者に挑戦して、泉のほとりで話し合いたいと申しこんだ。なぜなら、この律法学者が本当の知恵を持っているのはイスラエルの子等だけであると公言していたからである。
ベナーデルが誇らしげに言いふらしていた。この申し出に対してベナーデルは、ギリシャ系の異邦人と自分の身をおとしてまで話し合う気はさらさらなかったのである。言うことがふるっていた。
<信仰の篤い者は、余程悲しい必要がない限り異邦人と食事をしたり話したりしないものである>と。それを伝え聞いた異邦人はあざ笑って言った。<律法学者はびくついているんだ。ユダヤ人だけが知恵を持っているなんて証明できないことを承知しているんだ。知恵というものは、流浪える鳥が到る所で木に巣を作るようなものであることを知っているのだ。彼は全く馬鹿なやつよ>
異邦人が言っていることを伝え聞いたガリラヤの人々は、そんなことを言われて黙っていることはない、直ぐにでも泉のほとりに行って話し合い、散々言いこめて恥をかかせ、ナザレから追い出してしまったらどうかと主張した。しかしベナーデルはその要求を容れなかった。
そのかわり彼は怒り狂った猛獣のように荒れ狂い、3日間もぶっ通しで妻にあたり続けた。律法学者に挑戦を試みた異邦人の仲間は立ち去って、彼1人だけ旅館にとどまった。彼はガリラヤの湖や山々の美しさに魅せられて、暫くそこに滞在したかったからである。
彼は“ヘリ”と言って、イエスと仲良くなり、ガリラヤの山々や湖畔をめぐり歩いていた。ヘリはイエスの顔の輝きをいち早く悟り、この少年が丘の上でどんな不思議な体験をしたのか熱心に耳を傾けた。ヘリはイエスに色々と質問をした。
その度にはね返って来る返答は鋭い刃のようで、うれしいことに彼の魂が真に求めていたものであった。ヘリはイエスに自分のことを“エジプトの人”と呼ぶようにたのんだ。エジプトで生まれたからである。「私の両親はギリシャ人であったが、エジプト生まれで、人生の土台を其処で築いたんだよ。だから私はギリシャ人ではあるが、エジプト人なのだよ。
私は随分あちこちと旅をしたんだが、ユダヤ人だけが住む所が変わっても自分の国籍や人種の名前を変えようとしないんだね。実にこの点は偉い民族だと思うよ。それで私は故郷に帰るまでにこのユダヤのことをうんと勉強しようと思っているんだよ」
「その理由はね、唯一の神様を拝んでいるから、どんな環境にいてもふりまわされないからなんです。ユダヤ人たちの信仰は、ガリラヤの山々に見られる岩のようにどっしりとしているのです」エジプトの人はイエスの言葉を聞いてとても喜んだ。彼はイエスの仲間たちと泉のほとりに集まって、熱心な知恵の交換会を開きたいと言い出した。
イエスは3、4人の仲間をつれてきて早速交換会を開いた。この異邦人は、平凡な人々と対等に話し合うことによって様々な知識が得られることを知っていたので、律法学者と話す機会を失っても、素朴な人たちから知識という宝物を手にしたことをとても喜んだ。
さてイエスは、自分が1人の偉大な賢者と話し合っているとは全然知らなかった。この人の話を聞いていると喜びがわいてきて、心の窓を開いて心中のすべての秘密をさらけ出したくなるような衝動をおぼえるのであった。まるで本当の兄のように、何でも相談相手になり、優しく、忍耐強く話を聞いてくれるので、丘の上での1人歩きのことを話しても決して嫌な顔をしなかった。
そんな訳で、この2人は互いに尊敬しあうようになり、真理探究意欲という確かな絆によってしっかりと結ばれていったのである。今まで参加していた交換会の仲間たちは次第にこなくなってしまった。この異邦人の言ってることが全然わからなかったからである。
イエスだけがこの英知の市場で、時代や民族を遙かに越えた知恵を交換することができた。ところが弟のトマスは、間もなくイエスと異邦人のことを嗅ぎっけて彼らの集会のことを律法学者に告げ口した。おまけに次のようなことを学校の先生に密告した。
<イエスは夜になると、淫らな話やギリシャの猥褻な物語に熱中して、ちっとも勉強をしていない>と。律法学者はヨセフの家にでかけて行った。ベナーデルは暗い表情で、息子イエスがとんでもないことをしていると話しだした。
「お前さんは我らの大切な律法を知っているだろう!律法では、豚を飼ってはならぬとな。だから豚をたべているような汚れたギリシャ人の知識を学んではならぬというのに、お前さんの息子は悲しいことに、この戒めを破って大罪を犯しとるというじゃないか!!彼は罰せられねばならぬわい。とにかくじゃ、あの異邦人めとつきあわないようにさせるんだね」
律法学者ベナーデルは、ヨセフの家から帰る途中、イエスはきっと泉のほとりで例の異邦人と別れを惜しんでいるにちがいないと思い、道ばたの陰で異邦人が行ってしまうのを見とどけてからイエスに近より、烈しく怒り、イエスをののしったのである。
■2023年1月29日UP■■アナログ絵351「フラー24カラーリング」UP。白いうさちゃんのフラーです(祈)†今回のフラー24は配色にほとんど迷う事なく塗り進める事ができました。現存する全フラーの中でもっとも「おめでたい機体」と言いたくなるような紅白なカラーリングとなりました。ま、これはこれでいいんじゃないでしょうか。毎回新規フラーが完成するたびに同じ事を言っているような気もするのですが、今回のうさちゃんもぜひストーリーに登場させてあげたくなるキャラとなりますが、僕という人間はひとりしかいません、ひとりの人間にできる作業には限界があります。Dreamwork(画家の人生)のように絵1本に集中できる人生であったならアレもコレも描けたのかも知れませんが、残念ながら(この“残念ながら”という発言は霊的知識を獲得している人間にあるまじき間違った言葉となるのですが)現在の僕の眼前には霊的使命遂行者としての数々の霊的作業が待ち受けています。それらがプライオリティ上位であり、そちらに人生のパワーを回さなくてはなりませんので、描きたいのに描けないというフラストレーションに慢性的に苛まれる事になるのです…続きを読む→ ■2023年4月27日UP■■アナログ絵353「フラー25キャラ設定資料」UP。ちょうちょちゃん3段変形です(祈)†フラーは「お花ちゃん」です。お花ちゃんといえばちょうちょちゃんです。これまで04、09、13、19と4回ちょうちょちゃんをフラーのキャラとして登場させましたが、今回のちょうちょちゃんはフラー11ver2.0プティットフラーのように「3段変形」します。しかしちょうちょちゃんは身体のほとんどがペラい羽です、この薄い羽の中に3段変形のギミックを盛り込まねばならず、相当に苦心しましたが、何とか汎用モード、そしてフラー25汎用モード時の腕に変形させる事ができました。お分かりになりますかね、腕に変形させるのにちょうちょちゃんの羽が超強引に折りたたまれまくっているのです。そしてちょうちょちゃん汎用モード時の腕の格納スペースが全くなかったのでやむを得ず触角としました。細い薄いパーツのオンパレードで強度的にだいぶ問題があるキャラとなりますが…続きを読む→ ■2023年4月5日UP■「新しい霊媒と手を組みたくない」だから強姦殺人魔の滅亡はどこ行ったんだよ(祈)†高級霊であればあるほど「形態を超越」しており、インペレーター霊の言葉を拝借すれば「放射性影響力(神の光輝を全身から放散している状態)」のような感じなのだそうです。つまり現在のイエス様は物的手段で絵に描けるような容姿ではない、まるっきり次元が違うので表現などできる訳がないという事です。そして僕はイエス様搭乗機「フラー01」をゴールドのカラーリングにしていますが、コレも霊的に見ると間違いで、高級霊であればあるほどその霊体から発する光輝は白色をしているそうです。つまり僕がアナログ絵にて描いているイエス様は実際のイエス様のお姿とは程遠いモノであり、イエス様があのような人間的形態をまとうのは下層界の人間に顕現する必要性が生じた時に一時的にあのような姿をまとう事があるのみで、通常時のイエス様のお姿は僕たちの物的脳髄ではイメージ不可能という事です…続きを読む→