ガリラヤ湖の岸辺にあった家を売って、ゼリータとマリヤはナザレにやってきた。(ナザレはガリラヤ湖の西方に広がる丘陵地帯で北部パレスチナに散在するガリラヤの町のひとつ。ルカ2・26参照 – 訳者註)

2人は野原に建っている羊飼いの小屋に住みついた。ガリラヤの人たちは皆親切で、たえ間なくゼリータのところに心暖まるものを運んできた。無花果や何匹かの魚をとどけたり、収穫のときなどには、小麦などをもってきた。死んだ父親は布にかなりのお金をくるんで残してくれたので、祖母とマリヤが貧乏をしていても大いに役立った。ゼリータは年をとるにつれ外出もできなくなっていた。

真昼の日差しが小屋の中にさしこんでいてもゼリータは手探りで歩かねばならなかった。このような苦しみの中にあっても彼女は悲しむことがなく、以前の元気な頃のように彼女は多くの恵みを神に感謝するのであった。そんな祖母を見てマリヤはたずねるのであった。

「愛する者がとり去られた上、視力を失い、働くこともできなくなり、自分で家の入口のところまで歩いていくのにやっとのことだというのに、どうして賛美の祈りなんかできるんですか?」そこでゼリータはおだやかに言った。

「苦しみが与えられるには、必ず目的があるのです。苦悩から本当の喜びと勝利が生まれてくるのです。イスラエルの民はエジプトによって随分多くの苦しみを受けたじゃありませんか。そのあとで乳と蜜のしたたる約束の地が与えられたのですよ」マリヤは祖母の話をきいておだやかになり、もっと先祖の話をして欲しいとねだった。

薄暗い小部屋の中で昔の偉大な人物について多くのことをマリヤは知ることができた。視力を失った祖母が聖書について語る内容があまりにもすばらしかったので、時々マリヤは目の前に本当の人物が現れて動きまわるように思えた。

少年ダビデが、まる腰で彼女の前に立ちはだかり、手には石投げ器だけを持ち、暗がりの中からペリシテ人の巨体がぬーと現れたかと思うと少年ダビデの投げた石に撃たれて倒れてしまい、小さな住まい一杯に巨体を横たえるのであった。

マリヤはガリラヤからまだ一歩も外に出たことがなかったが、金色の屋根に輝くエルサレムの神殿などを真近かに感じることができた。彼女はまた、ペリシテとの戦いや、バビロニアによる攻撃によって民族全体がバビロニアに捕囚となる悲劇や民族の嘆きなどを知ることができた。

さらに多くの預言者たちが1人ずつ目の前に現れては通りすぎて行った。イザヤ、エリヤ、エレミヤといった偉大な預言者や沢山のすばらしい人たちが、ゆったりとした衣を身にまとい、高貴な表情をうかべて語ったことは“乙女がみごもってイスラエルの救済者が生まれる”ということであった。ユダヤ人にとって忘れられないギリシャ人の征服についても詳しく語られた。(第1章註2参照)

そんなときは貧しい小さな部屋の中で祖母は珍らしく激しい口調で語った。祖母が若い頃、村の律法学者(モーセの律法を解釈する聖書学者で法廷判事の顧問をっとめる上流階級・権力者 – 訳者註)から聞いた話が、そのままマリヤにも語り伝えられた。こんな乏しい小屋の中でもマリヤにとっては、すばらしい夢を織りなす幻と喜びにあふれる場所となったのである。

今やギリシャ人にとってかわって、ローマ人が支配しユダヤ人の信仰心を堕落させようとしていた。“シオン”という聖都(エルサレムの別名)を汚そうとしていた。マリヤは祖母にたずねた。

救済者は何という町や村から出現するのか、そしてその方、即ちメシヤ(救世主)の母として誰が選ばれるのか、きっと預言者と言われた方ならば母となる人の名前や種族のこともわかっているのではないか。ゼリータはルーツに関することは全く知らなかった。

今でもエルサレムに於いてさえ、救世主に関する情報は全くないとのことであった。マリヤはこのような祖母の言葉で満足しなければならなかった。父を亡くしてからというものは、まるで森の中にひそんでいるファウヌス(半神半羊)のように、同じ世代の者と付き合おうとせず、その上ゼリータと世間話をしようとやってくる年増の女たちと口をきこうともしなかった。

祖母から多くの話を聞いてから、彼女は壮大な幻を描き、殊にメシヤ到来の年代的核心をつかもうと努力し、ローマを征服してくれるイスラエル民族の救済者のことで頭が一杯であった。

ある日のこと、マリヤはゼリータに自分自身のことではなくユダヤ全体のために祈れば神はそれをかなえて下さるかどうかをたずねてみた。すると祖母は即座に答えてくれた。

「もしお前が毎日お祈りし、自分をいつも清らかに保ち、他人と交渉を断って願い続ければ、きっと神様はお前の願いをききいれて下さるだろうよ。昔の預言者たちも何か特別な恵みを求めるときには、1人で荒野に退いてお祈りしたものだよ」マリヤは自分の夢を教えようとしなかった。他人に知られることによって夢が汚されやしないかと思ったからである。

それからは、マリヤがたった1人で丘や野をさまよい歩き大きな声をはりあげながら神に祈った。近所の人たちは祖母に言った。「マリヤはもう子供ではないんだから、そろそろ近所の娘たちと付き合って色んなことを勉強させたらどうだろうか。今のようにいつも独りでいるとだんだん世間知らずになってしまうよ」

冬が去り、春がやってきて、丘一帯に色とりどりの花が咲き乱れていた。葡萄の木は新芽をふき出し、木々の枝は緑の装いをまとっていた。鳥のさえずりが地上にひびき渡り、あらゆる生命の躍動が全面にみなぎっていた。

マリヤは祖母に挨拶してから毎日のように外出した。けれども友達をつくろうとはしなかった。彼女はどこかに立ち寄ることもなく山の上に登り、ただ独りで過ごすのであった。木陰のもとでひざまずき、魂の底からわき上る渇きが祈りとなって、昔父から聞かされた言葉がきっかけとなって芽生えた願いを神へぶつけた。

何回となく日の出を楽しみ、ほの暗い朝の静けさの中で鳥たちが射しこんでくる光の中を飛び回るさまを見つめていた。今や彼女の霊は喜びにみたされていた。彼女はすでに自分が神の選びにあずかったこと、来るべき時に、メシヤの母となるべきことを信じられるようになっていた。

美しい春の季節に彼女の夢は陽光と花々とで織りこまれていった。幻はガリラヤの蒼々とした水面に映り、遙か北方にそびえる白雪をいただいた山々や、こぼれるように微笑をたたえる湖の岸辺からは、誰もが否定できない希望と確信が贈られてきたのである。マリヤの夢が必ずかないますように、そして神は何ひとつ御出来にならないことはない…とマリヤは確信し、その度合いを増していった。

彼女にとって周囲の人々はすべて影に等しいものであった。彼らは彼女の人生と何のかかわりを持つことはなかった。彼女にとって、人生とは、暁に目覚め、透徹したすばらしい生活を毎日おくることであった。山々を散策し、神との交わりを続け、時として美しい花々を摘みとり、ひたすら祈りと夢に明け暮れていた。

(註1)紀元前1280年頃、イスラエル民族がエジプトの奴隷となり苦役に服した。預言者モーセが現れて民族をエジプトから解放し、シナイ半島を40年間放浪し、十戒を授かり、紀元前1240年頃パレスチナに入ることができた。旧約聖書、出エジプト記に詳述されている。

(註2)紀元前1000年頃、イスラエルの黄金時代を実現させたダビデ王が、少年時代に敵方ペリシテ人の巨漢ガテのゴリアテという勇者を投げ石器ひとつで倒してしまったというエピソード

(註3)ペルシャの前身、バビロニヤが、紀元前587年にエルサレムを陥落させ、イスラエル民族を捕囚としてバビロニヤに連れていったという古事。旧約聖書、エレミヤ書に詳述されている。

「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†■2023年5月3日UP■
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→
「怒られる」とずっと霊団から言われ続けているのです。本末転倒の究極形(祈)†■2022年6月8日UP■
「怒られる」とずっと霊団から言われ続けているのです。本末転倒の究極形(祈)†
物質界での行いがそのまま帰幽後の霊界における境涯を決定します。善い行いをした者は幸福な美しい境涯(上層界)に、私利私欲に走り他人を傷つけた者は暗黒の惨めな境涯(下層界)に赴きます。「神の因果律」の働きにより機械的自動的にそうなるのです。物質界における邪悪発生の原因は「人間は肉体が死んだらそれで終わり」と思っている事に全て起因します。肉体の死後も霊界で人生が継続される事、物質界での行いの賞罰が寸分の狂いもなく自分に降ってくる、自分の行いに全て自分で責任を取らされるという霊的知識の基本中の基本を全く理解していない事から物質界の邪悪が発生しているのです。奴隷の女の子を強姦殺人し続け、国民に延々とウソニュースを流し続け、国民の宝物を搾取し続けたその先に、どれほどの地獄が待ち受けているか。それを全く理解していない事が全ての原因なのです…続きを読む→
「片手落ちというものがありません」あくまでも霊界側の視点でのお話です(祈)†■2022年6月1日UP■
「片手落ちというものがありません」あくまでも霊界側の視点でのお話です(祈)†
僕の物質界生活中に結果が出るとは言っていない、僕の帰幽後に霊界側が計画した通りの結果に到達する。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡も、僕の物質界生活中には達成できないとしても、僕の帰幽後にそのようになる。奴隷の女の子たちの救出も、僕の物質界生活中には実現できない、しかし女の子たちは強姦殺人されて以降に霊界で十分すぎる埋め合わせがあるのだから何も心配する必要はない。だいたいこういう意味でいいでしょう。大俯瞰的視点で永遠という時間の尺度で全体を眺めれば「素晴らしい結果に到達した」と言えるのでしょうが…続きを読む→

霊団がインスピレーションを降らせてきているのですが、チョト意味が分からないなぁ、どういう事なんだ。何を言っているのか分かりません、今後さらに霊団がアレコレ言ってきて意味が分かってくるのかも知れません。

今日の45分ノートの時間からフラー25本体デザインに集中します、描かなければ永遠に完成しませんのでまずはアナログ絵354「フラー25設定資料」のUPを目指します。止まらずカラーリングまで一気に仕上げて、そこからまたストーリーをひとつ描きたいです。

ベールの彼方の生活 1巻のテキスト見直し続行中ですが、霊団にそんな事言われてないのですがこの「書籍テキスト化」の作業をがんばる事で物質界再降下を阻止できるなら全力でやるつもりですがどうでしょう。

まぁこの作業を開始して(スキャンから始めて、未入手の書籍を入手しまくり、OCR変換しまくって)もう1年が経過してますから十分がんばってる方だと思いますが。本当に苦しい道のりでしたがまだ全然終わりが見えてきません。全70冊のテキスト化、PDF化、ムービー化、アプリ化等を完成させるのにあと一体何年かかるのでしょう。全ての作業は完成させられないと予測しています。

しかしやります。これだけやっても物質界に再降下させられるのか。それは絶対にヤダ。まずはフラー25本体デザインに集中中(祈)†

■アナログ絵353「フラー25キャラ設定資料」UP。ちょうちょちゃん3段変形です(祈)†■2023年4月27日UP■
■アナログ絵353「フラー25キャラ設定資料」UP。ちょうちょちゃん3段変形です(祈)†
フラーは「お花ちゃん」です。お花ちゃんといえばちょうちょちゃんです。これまで04、09、13、19と4回ちょうちょちゃんをフラーのキャラとして登場させましたが、今回のちょうちょちゃんはフラー11ver2.0プティットフラーのように「3段変形」します。しかしちょうちょちゃんは身体のほとんどがペラい羽です、この薄い羽の中に3段変形のギミックを盛り込まねばならず、相当に苦心しましたが、何とか汎用モード、そしてフラー25汎用モード時の腕に変形させる事ができました。お分かりになりますかね、腕に変形させるのにちょうちょちゃんの羽が超強引に折りたたまれまくっているのです。そしてちょうちょちゃん汎用モード時の腕の格納スペースが全くなかったのでやむを得ず触角としました。細い薄いパーツのオンパレードで強度的にだいぶ問題があるキャラとなりますが…続きを読む→

霊関連書籍 全文掲載 トップページ
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一応懸案となっていた「霊関連書籍トップページ」の作り替えを開始していますが、このページに約70冊の霊関連書籍の全文掲載を完了させる事は、僕の物質界生活中には不可能かも知れません。

先ほどのブログに書きませんでしたが、以前霊団(というよりイエス様と言ってもいいかも知れませんが)に言われている「救済措置はしない」これがやはり真実かも知れないと改めて思い始めています。あと「2度も神に仕えて働いた」↓

「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†■2023年4月12日UP■
「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†
そうそう、シルバーバーチ霊は「苦を苦と思わない段階まで霊格が向上すれば、苦難を味わわされても喜びしか湧き上がってこない」みたいな事を仰っています。さらに「ベールの彼方の生活」にも、上層界の天使たちが下層界の仕事に携わって大いに苦しい状態にさせられているのに笑顔になっているという記述があります。これは帰幽して十分に向上を果たし、俯瞰の視点で全体を眺められるポジションに立つ事ができて初めて到達できる精神状態だと思います。物質界生活中にこの精神状態に到達するのは、頭で知識としては理解する事ができても心の底から納得してそういう心境に到達するのはまず不可能と思われます。中にはそういう聖者のような方もいらっしゃるのかも知れませんが僕はデザインの人間ですのでそれはないです…続きを読む→

これの意味もなんか分かった気がしてきました。つまり僕がもう1回物質界に再降下させられるという意味のような気がすごくしてきました。今回は環境が整ってなかったからできなかったと僕が言い訳をしていますが(イヤ言い訳ではなく真実です)

次回の降下時は霊的仲間と共に同時代に同地域に降下させて「これなら使命遂行できなかったとは言わせない、今回はキッチリやってもらうぞ〇〇くん(この時の僕はもうたきざわ彰人ではなく別の名前で物質界人生を送っている、女性として降下している可能性もある)」って事になるんじゃないかという気がスゴクしています。

ブログに書いていないインスピレーションがいろいろあり、それらの意味を考えると最悪なストーリーが編み上がってきたりするからです。一応物質界生活中にできる限り霊関連書籍のテキスト化を進めますが、道半ばで帰幽させられて次回の使命遂行に突入させられる可能性もある気がしてきました。

ヤダ、絶対に物質界に再降下したくない、しかしこれが僕の反逆に対する霊界側の回答という事なのかも知れません。まだ決定ではありません霊団にハッキリそう言われた訳ではなく僕の予測でしかありません。書籍テキスト化の作業は続けましょう。この作業を続ける事によって物質界再降下を回避できるなら全力でやります。再降下は絶対にヤダ(祈)†

「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†■2023年5月3日UP■
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→

230503行為のひとつひとつに責任を取らされます

今週はインスピレーションは少なめでした。で、先週の長文ブログで削除して説明しなかったインスピレーションを掘り起こして再説明しようかとも考えたのですが、やはりどうしても皆さまに紹介する気になれない内容のため、そのアイデアも見送りました。まずはこのようにインスピレーションを羅列してみましょう↓

チョト頭の中で考えがまとまり切れていませんので撃ち切れないかも知れませんが、何とか行ってみましょう。

イエス様ハンドリング イエスの光は油断大敵

230503イエス様ハンドリング

僕は霊性発現初期の頃から「イエス様ハンドリング」と公言していますが(霊性発現は2012年6月、“イエス様ハンドリング”霊的使命遂行開始は“隔離フィールド発動”の2014年7月)霊団がその言葉をここにきて強調してきました。これはつまり過去このようなブログも書いていますが↓

■2021年3月10日UP■
「イエス様"従え"!」霊団が久々にイエス様からのメッセージを降らせてきたようなのですが(祈)†
えー霊性発現初期の頃のブログでも「イエス様は大変キビシイお方です」と何度も書いていましたが、それをさらに裏付けるインスピレーションと言えるでしょう。「アキトくん、キミの肉眼には全く真実の状況が映じていない、我々の霊眼には全てが見えている(アナログ絵123)見えていないキミは判断を誤るが見えている我々は判断を誤らない。滅私、謙虚を貫いて我々の導きに従うのだ。物質界は試練を体験させられる境涯なのだから苦しいのは当たり前だ、アキトくん泣き言を言うんじゃない。我々にはゴールが見えているがキミには見えていない、アキトくん、私に従え」まぁだいたいこういう感じのイエス様のご意志だと思われるのですが、それは激しく了解です、ちゃんと従ってるでしょ「イエス様ハンドリング」を公言して全力作業してるでしょ。僕は守護霊様の上手すぎる導きのおかげで霊的知識がまぁまぁ脳内に入っていますからその知識に照らし合わせて判断する事ができます。誰も導きに背きはしませんのでご心配なく…続きを読む→

これと全く同じ意味と思われます。要するに僕の霊団への反逆が度を越しており「アキトくんそろそろいい加減にしなさい、我々の導きに従いなさい」とクギを刺しているものと思われます。「イエスの光は油断大敵」これがつまり僕の反逆の代償としてさらなる苦難が降ってくるという意味と思われます。

その苦難とは、何か僕に向けて厄災が降ってくるとかそういう事ではなくて、むしろ逆で「全く何もしない、ホッポラカシにする」というカタチでの苦難、つまり僕は現在の状況がイヤでイヤで、大キライなところに11年以上閉じ込められている事に最大級に怒りを爆発させているのですが、その状況にさらにさらに閉じ込めるというカタチで苦難を継続させ、反逆のバツとする(罰という考え方は間違っているのですが)という意味と思われます。

僕は断じて完璧な人間ではない事は(霊団への幼稚な反逆をご覧頂ければお分かりのように)火を見るより明らかですので、その未熟の代償としてさらなる試練をやらされるのはまぁ了解といえば了解なのですが(もちろん心では認めていませんが)

全く何の物的結果にも到達していないのになぜ僕ひとりに対してだけ延々と苦難の状況を続けさせようとしてくるのか。物質界の邪悪(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁)を滅ぼそうともせずに。

どうやっても首を傾げてしまうのですが、最後のインスピレーションで説明してみようと思います。

■2021年3月31日UP■
「返して頂く」2000年の冒涜から「私の名誉を返して頂く」というイエス様のご意志ではないでしょうか(祈)†
僕はキリスト教と全く無縁の人生を送ってきた、仏教だの新興宗教だのと言ったものにも全く関わりを持った事もなく、むしろ最高に胡散臭いと思っている。教会に足を運んだ事も1度もなく聖書も1度も読んだ事がない、今後も一切読むつもりはない。イエス様という人物にも何の興味も関心も持った事がなくデザインの世界で生きてきた、霊性発現を果たすまではイエス様の事など全く考えない人生でした。つまり脳内および心がキリスト教の「ドグマ」に全く侵されていない、僕という人間はイエス様にとって良い意味で「何も分かってない頭カラッポの人間」で、仕事をお願いするにあたりいろいろ都合がよかったのではないか。「シルバーバーチの霊訓」を筆頭とした、日本一のスピリチュアリスト近藤千雄先生翻訳の霊関連書籍は、宗教大キライの僕でも読み進める事ができた、現在でも「人生のバイブル」と思えるほどにスンゴイ気に入っている…続きを読む→
■2021年9月11日UP■
「イエス様を最大の信奉とせず」これはスピリチュアリズム底流の大原則です(祈)†
これまで人類はイエス様はじめ世界中の宗教の創始者等を超人的ポジションに祭り上げおかしなラベル、呼び名を付けてその人物やラベルばかりを崇めて肝心の霊的知識つまり中身をなおざりにしてきました「キリスト教の2000年の長きに亘る人類の呪い」がまさにその典型であり、その失敗を2度と繰り返さないために霊界側は「スピリチュアリズム」を勃興させ、人々の関心の対象を「人物やラベル」から「霊的知識そのもの」へとシフトさせたという事。もし霊団側が僕という霊の道具を使用して霊的知識普及の仕事をする事があるのであれば、僕という霊媒から降る霊言は今回のインスピレーション「イエス様を最大の信奉とせず」にありますようにイエス様に注目を集めさせるのではなく霊的知識そのものに関心を集めさせるという意味…続きを読む→

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怒られると 厳密に言うと殺される

230503厳密に言うと殺される

これは霊団から再三にわたって警告され続けている内容で「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が、自分たちの邪悪の正体を情報拡散しまくった僕に対して怒ってくる(これ以上の寝言はないのですが)

そして4人の中でもっとも僕に殺意を抱いている文仁が、僕をワナに陥れて殺そうとしている(真正面から殺す訳にはいきません、自分たちが善人であると国民を洗脳し続けなければなりませんので)という事を強調してきている訳です。

反逆の思念が尋常ではなく、霊的使命遂行者として相当に問題がある僕ですが、霊界側としてはそんな僕でも使わざるを得ない事情があるようで(そもそも霊力に感応する人間が全然いないので)その僕が「3千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカ、大量強姦殺人魔、秋篠宮文仁」に殺されるのを回避させようとしてアレコレムカつく事を言ってくるのです。

「お父さんが死の壁を越えて」文仁が真実をゴマかし通すつもりという意味です、絶対に許してはなりません(祈)†■2021年10月13日UP■
「お父さんが死の壁を越えて」文仁が真実をゴマかし通すつもりという意味です、絶対に許してはなりません(祈)†
イケメンの彼氏はピーチピチに「俺が1番お前を愛している」と言い続けますが、行為としては「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を擁護し賛美し続け、奴隷の女の子たちを殺し続けている事になります。口だけ「愛している」と言っても行為は「強姦殺人ほう助」を続けている事になります。しかしピーチピチ(佳子)は彼氏が好きですから言う事を聞いてしまいます。そして彼氏と一緒になって国民にウソをつき続ける邪悪の人生を歩んでしまいます。その先(つまり帰幽後)に待ち受ける自分の未来がどれほどヒドイものであるか、ピーチピチはそこまで想像力が働きません。彼氏は霊的知識が全く頭に入っていませんから帰幽後の未来の事など知った事ではありません。ただ今の生活が良ければそれでいい、それでピーチピチに甘い言葉を言い続けて現状維持を図ってくる事になります…続きを読む→
■2021年4月28日UP■
文仁が「ヒゲ」を剃ったとして、それが一体何だって言うんですか。皆さま絶対ダマされないように(祈)†
ここは惑星レイパーキングダム。ここでは男性のヒゲに特別な意味が付与されている文化が根付いており、ヒゲを剃り落とすとその男性の悪行がたちまち無罪放免になるという。レイパーキングダムに生息する男、文仁はいつものように幼い女の子を誘拐してきて強姦殺人しました。そして通報を受けてポリーチェ(POLICE)が文仁のところへ急行します。すると文仁は、ついさっき強姦殺人した女の子の死体が横たわる前で、ヒゲを剃り落とした顔で平然と立っているのです。その姿を見たポリーチェは「あぁヒゲを剃ったんですね、ではあなたの行いは帳消しとなりました。あなたは無罪です」と言って文仁を逮捕せず立ち去ってしまいます。文仁はニヤリとしながら再び2週間くらいかけてヒゲを生やします。そして十分に生え揃った頃合いを見計らって再び近所に住む幼い女の子を誘拐して強姦殺人します。そして再びヒゲを剃り落とします。またポリーチェPOLICEがやってきますが、文仁がヒゲを剃り落としているのを見て「あぁヒゲを剃ったんですね、ではあなたは無罪です。我々はこれにて失礼します」と言ってポリーチェはまたしても文仁を逮捕せずに立ち去ってしまいます…続きを読む→

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読み込みしない YouTube

これは現在僕がおこなっている「絶版状態の霊関連書籍復刊に向けたテキスト化」に関するインスピレーションで、何とか「読書アプリ」を実現させようとしてPython、C#、さらにはティラノスクリプトとお勉強を続けていますが、ティラノスクリプトなら何とかアプリ化を実現できそうだという事が分かってきたのですが、霊団が「アプリを制作しても誰も読み込んでくれないよ」と言ってきたのです。

そして同じタイミングで「YouTube」とも言ってきたのでした。このインスピレーションは激しく納得で、トレイルムービーを制作していた時にも霊団が「ベストプラクティス、トレイルムービー」と言っていました。つまりムービーが「最良の方法」という事です。

情報拡散という意味でYouTubeが最強という事は以前から分かっていたのですが、僕はとにかくSNSを一切信用しておらず、これまで本当に信じられないくらいの量のアカウントを削除されてきました。(インスタ、無料ブログなど様々、本当に数えきれません)トレイルムービーをUPし続けていたYouTubeのアカウントももちろん削除されています。YouTubeもSNSである事には変わりありませんので。

ですので、消されると分かっているものにどうしてもパワーを注ぐ気になれず、ムービー以外の方法で情報拡散しようとしていたのですが、苦労して読書アプリを完成させても全然人に読んでもらえないよ、YouTubeにUPすればたくさんの人に見てもらえるよ、霊団がそう言ってきている訳です。

霊団の言っている事は分かりますが、僕的にどうしても複雑な思いがあります。しかしムービー自体はWordPressにもUPできますのでどのみち作るつもりでした。読書アプリ制作実現にはまだまだお勉強をせねばならず、そうやって時間とパワーをかけても全然結果につながらないと言われてモチベーションが落ちてしまっている事もありますので、絶対アカウントを“やられる”と思いますが再びムービーを作り始めようかなぁと思い始めているところです。

ムービー制作に関しては、これまでトレイルムービーを作り続けてきた経験、ノウハウがありますので、すぐにでも作り始められます。もっともテキストとMP3を揃えないといけませんが。(これが正真正銘の地獄の作業なのです…)

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正義のメッセージ 完了しとります

230503完了しとります

「正義のメッセージ」このインスピレーションがよく分かりません。僕が使命遂行の中で公言し続けてきた内容の事を言っているのでしょうか。僕は別に「大量強姦殺人魔を絶対に許してはならない」と、人として当たり前の事を言ってきただけです。それを屁理屈で捻じ曲げようとする人間の方がおかしいのです。

「完了しとります」これが許されざるインスピレーションで、以前もどこかのブログで「既に霊団側の目的は達成している」といった趣旨の事を書いた記憶がありますが、要するにもう霊団側は何もやる気がない、物質界の邪悪「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅ぼすつもりもなければ奴隷の女の子たちを助けてあげるつもりもない、という意味で、その霊団の態度は断じて許す訳にはいかないのですが、僕のこの考え方は近視眼であり、霊界上層界から眺めた大俯瞰の視点では目標は完了しているのだそうです。どこがだよ、と言いたくなるのですが。
「地球を1周」天皇一族の邪悪の正体はもう絶対に隠ぺい不可能という意味です(祈)†■2022年2月2日UP■
「地球を1周」天皇一族の邪悪の正体はもう絶対に隠ぺい不可能という意味です(祈)†
意味は単純明快、皆さまもお分かりの事と思います。こういう感じ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する認識が完全に地球を1周した。今や世界中の人間が天皇などと自称するコイツらの真の悪の姿を正しく理解した。もはや古代の洗脳手法は通用しない。もうウソをつき通す事もゴマかし通す事もすっとぼけ続ける事も絶対に不可能。こういう意味で間違いないでしょう。そしてその理解から導き出される皆さまの当然の感情が「やめるべし」のインスピレーションという事になるでしょう。意味はもちろん「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を有罪と認定し、逮捕、死刑に追い込んで滅亡させるという事になります…続きを読む→

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レイプ魔 他人事 全員ね 真っ暗だよ

「レイプ魔」これは「3千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカ、大量強姦殺人魔、秋篠宮文仁」の事で、その文仁を霊団が「他人事」つまりもう全く相手にしないつもりという意味です。

文仁が僕を相手にしないという意味ではないでしょう、コイツは僕を殺したくてどうしようもないそうですから(先週のブログでも「本当に殺したいほど憎んでるんだよ」というインスピレーションを紹介しましたし)ですのでこれは霊団が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を相手にしないという意味と思われます。本当に許されざる態度です。

「全員ね」「真っ暗だよ」これは霊団に反逆しまくっている僕が帰幽後に真っ暗つまり暗黒に落ちるという意味かと思いましたが、僕はひとりしかいませんので僕が全員というのは表現としておかしいですので、やはり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が「真っ暗だよ」つまり暗黒の底の底に落ちるという意味で間違いないでしょう。

「無色で味はない、マヒして殺す」これはフグ毒「テトロドトキシン」の事では?(祈)†■2022年5月25日UP■
「無色で味はない、マヒして殺す」これはフグ毒「テトロドトキシン」の事では?(祈)†
そのフグを3千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカ、大量強姦殺人魔、秋篠宮文仁が僕に食べさせて殺す事を画策しているという意味なのですが、そもそも食べられないのにどうやって食べさせるつもりなのか、という事になります。それについても霊団は何度となくインスピレーションを降らせているのです、そしてそれは皆さまにお話できない内容なのです。が、今回は少しだけ書かせて頂きます。こういう事です。奴隷の女の子を使って僕を殺す、となります。霊団から相当に具体的な事を言われていますが、とにかくその説明はできないのです。どうかご了承下さい。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、特に文仁が最も積極的に僕を殺そうとしています。その殺す手段、手法について霊団からかなり深い部分まで情報を得ています。が、お話はできないのです…続きを読む→
「あなたは理解しなくてはなりません」何を言ってるのかサッパリ理解できません(祈)†■2022年5月18日UP■
「あなたは理解しなくてはなりません」何を言ってるのかサッパリ理解できません(祈)†
とにかく理不尽のレベルがタダ事ではない。努力すればするほどヒドイ状況にさせられていく。どれくらいのレベルの不自由な肉体をまとわされるのかは分かりませんが、義肢、義足ですからもちろん日常生活に支障が出るレベルでしょう。当然絵も描けない、そもそも絵の才能を剥奪され、現世での努力を全く無に帰せられる。そして使命遂行上必要と思われるテキスト撃ち、情報拡散等々の作業も満足にできない、そういう肉体をまとわされての再降下になるのかも知れません…続きを読む→

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行為のひとつひとつに責任を取らされます

230503行為のひとつひとつに責任を取らされます

はい、今回はコチラのインスピレーション「行為のひとつひとつに責任を取らされますをブログタイトルに冠しましたが、これには霊的知識に基づく重大な意味が含まれていますので、かなり難しいですが僕の理解の範囲内でできる限り説明してみようと思います。

まずシルバーバーチ霊が書籍の中で何度も何度も「悲しみの仮面の裏側には喜びが隠されています」といった趣旨の事を語っておられます。これは物質界の苦難を耐え抜いた暁(あかつき)に霊界で賜る栄光に比べれば、その苦難は全く取るに足らないものであるという意味で、僕をはじめほとんどの物質界の人間が、その苦難の真の意味を悟れずにいるのが現状といっていいと思います。

さらにシルバーバーチ霊の言葉で僕が大好きなものに「叡智が増えると選択肢が減る」というものがあります。これは霊的進歩向上を果たそうと思ったら「神のご意志を遂行する」という1本道しかないという事を悟った者は、神のご意志遂行の方に自分を合わせようとするという意味で、僕が全く到達できていない耳の痛い叡智となります。

さらに現在テキスト化を進めている「ベールの彼方の生活 1巻」の中にも、全く同様の記述がありますので抜粋してみましょう↓

ベールの彼方の生活 1巻より抜粋

聖書の中に主イエスがペテロの事を自分への反逆者であるかの如く述べた部分があり、あなたはその真意を捉えかねている様子だから、今夜は十分ではないけど是非その事を明らかにしてみたいと思います。

ご存知の通り、その時イエスはエルサレムへ行く途中でした。そして弟子たちに対し自分はエルサレムで殺されるであろうと述べます。

その時のイエスの真意は、自分が殺される事によって一見自分たちの使命が終わったかの如く思われるかも知れないが、見る目をもつ者には – 弟子たちがそうであって欲しいとイエスは思った事でしょうが – 自分の真の目的はそれまでの伝道の道よりも遥かに強力にして栄光ある発展のための口火を切る事であり、それが神より授かった地上人類の霊的高揚の為の自分の使命なのだという事でした。

ペテロはそれが理解できない事を彼なりの態度で示しました。当然であり無理もない事です。がこの事についていつも見落とされている事があります。それは、イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。

それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。

悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。

もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。

そして遂にそうなりました。最もそれは悲しみの奥義を理解できるようになってからの事です。理解と言っても限られた程度のものでした。が、ある程度の理解は確かにできたのでした。

こうして文章で綴ってしまえば随分簡単な事のように感じられます。またある意味では現に単純なのです。神の摂理の基本的原理は全て単純だからです。ですが私たち、特に現在の私にとっては、あなたにも判然としないかも知れない重要性を秘めております。

はい、物質界に身を置きながらこの悟りの境地にまで到達するのは本当に至難の業ですが「霊界で賜る栄光に比べれば、物質界の試練、苦難など全く取るに足らないものである」という、同じ意味の事を異口同音に説いています。

僕は一応物的脳髄にこの知識が頭に入っているのですが、何しろ心の底から大キライな状況に11年以上も閉じ込められての使命遂行を余儀なくされており、全く何の物的結果にも到達せず延々と苦難の状況を続けさせられていますので「長すぎるんだよ、いい加減にしてくれよ」と怒りの気持ちがどうしても湧き上がってしまうのです。

はい、まずは僕が長い年月にわたって全く物的結果に到達しない苦難の使命遂行をやらされている事に対して、霊団に激しい怒り憎しみの思念を抱くに至ってしまっている件について、その苦難の真の意味を悟る段階に僕はまだ到達していないという事を説明してみました。

そして今回のブログタイトル「行為のひとつひとつに責任を取らされますについてお話して終わりとさせて頂きますが、これには僕の使命遂行と絡めて大ざっぱにふたつの意味があると思われます。↓

「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が物質界での邪悪行為の全て、些細なモノから極大のモノまで、全て暗黒の底の底に落とされるというカタチで責任を取らされる
僕がいつまでもどこまでも果てしなく苦難、試練の使命遂行を継続させられているのは、実は僕自身の過去のカルマの解消という事なのではないか、そうでも考えなければこの理不尽の説明がつかない

まずひとつめですが、これは宇宙最大級に当たり前の事で【神の因果律】は絶対的公正、公平であり、寸分の狂いもなく善因善果、悪因悪果がもたらされます。神の因果律から逃れる方法はこの全宇宙に存在せず、信じられない人数の奴隷の女の子をケタケタ笑いながら四肢切断、強姦殺人しまくっている明仁、文仁、徳仁、悠仁が暗黒の底の底の落ちるというのは当然中の当然という事になります。

ご参考までに霊関連書籍「私の霊界紀行」の中の、著者スカルソープ氏が暗黒界を探訪した時の様子を抜粋させて頂きます↓

『私の霊界紀行』2章 幽界の下層界【冷酷な指導者の末路】

ある時気が付いたら夏用の軍服を着て走っていた。私の人生の記憶の中でも最も強烈な部分がそんなものを選び出していたらしい。そこはどうやらそれまでに私が連れて行かれた場所の中でも1番低級な境涯らしく、波長は雑多で、いたたまれない気分にさせられる。

実はそこへ到着するまでに私はどんどん深みへ沈み込んでいくのを感じて、あたりを見ても見すぼらしい家々が立ち並んでいて、全体が薄気味悪かった。途中で2度も指導霊に呼び止められて、住民をよく観察するように言われた。

見ると口汚く罵り合っている。そのうちの1人は地上で私を知っていた男であるが、私の身体を通過していった。その男がそのような境涯にいる事は別に驚きではなかった。確かにそういう人間だったからである。私は彼の目に私の姿が見えない事を知って安心した。

下降の速度が少しずつ遅くなってきた。どうやらその境涯でも最も低い淵に近づきつつあるらしく、もはや誰の姿も見当たらない。そのうち煤けた倉庫のような家屋の前で指導霊に呼び止められた。そしてドアが開けられ私は否応なしに中へ入らされた。

とたんに私の身体は恐ろしい波長を受けて足を止めた。見ると多くの人影、たぶん100人ばかりの人間が、ただのそりのそりと歩き回っている。着ているものは何とも呼びようのない、まるでクモの巣でもまぶしたような汚らしい姿をしている。顔は沈みきった青白い色をしている。

醜い光景ではあるが、私の身体に感じられる波長の方がもっと酷かった。どの人間もうなだれ、あたりの事には何の関心も見せず、ただのそりのそりと歩き回るだけである。心の中に巣食う考えも姿と同じく絶望的である。

“永遠にここでこうしているしかない。もう救われる望みはない”そう思っている。確かにその通りに思える。一縷の望みも見当たらない。彼らにとっては永遠の時の中で1000年が昨日であり、明日もまた1000年であるかに思える。そこで受けた波長はかつてなく低いもので、やがて指導霊がそこから私を引き出してくれてほっとした。

そこの人間は周りの人間の事には一切関心がない。ただ当てもなく歩き回るだけである。言うなれば、陰電気を帯びた分子のようなもので、互いに避け合って動いている…と言えば理解しやすい方もおられるであろう。

こうした数々の霊界旅行で明らかになってきた事は、地上時代の無知が霊界におけるそれ相当の境涯に位置付けているに過ぎないという事である。すなわち地上生活によって一定の波長の幽体が形成され、死後その波長に合った境涯へ自然に引き付けられていくという事で、そこに何ひとつ誤りはない。神の法則は絶対に公平である。

自分で自分を裁いていく以上、誰に文句を言う資格があろうか。神の特別の寵愛者もいないし特権階級もいない。地上で偉いと思われている人が必ずしも死後も偉いとは限らない。何事においても動機が優先される。

これまでの人類の歴史において、一部の者が同胞の生涯をみじめなものにした精神的苦悶から肉体的拷問に至るやり口や悪辣さの程度は、歴史を繙けば一目瞭然であろう。それを見て我々人間はその邪悪性を責めたくなるが、高級霊は哀れみの情をもって眺める。さて、そのあと私は例によって一旦明るい境涯へ連れて行かれてから肉体へ戻った。

その翌朝の事である。店を開ける前に荷をほどくのに忙しくしていると、突然、やさしくではあるが強い力で椅子に腰かけさせられた。そして膝に両ひじを置き両手で頭を抱える恰好で、私は“ある人”の事で悲しみの情を覚えた。

それほど強烈にして深い情を覚えたのは私としては初めての事で、涙があふれ出るのを禁じ得なかった。その“ある人”とは、ある国の独裁者だった。どうにか落ち着きを取り戻し、近くに高級霊の存在を感じて私は心の中で尋ねた – “一体なぜ今頃私はこれほどの哀れを感じなくてはいけないのですか”と。

するとこういう答えが返ってきた – “貴殿が今行ってきた所は、その独裁者がいずれ赴く所です”と。これは1937年の事で、その頃は戦争の脅威といえるほどのものは見当たらなかった。独裁者のためにこの種の情を覚えるのは、普通の私の人間性には似つかわしくない事は言うまでもない。

まだ店を開ける前の事だったのは幸いだった。私を包み込むようなその霊は明らかに高級界からの霊で、そういう運命を(そうとは知らずに)辿りつつある地上の一独裁者に対する愛と深い哀れみの情に、その日1日中私は色々と考えさせられた。

活発に動き回っている私を圧倒するその偉大にして優しい力は、霊界旅行中は別として、かつて地上では体験した事がないだけに、驚きであった。前の晩に見た最下層の霊たちのあの絶望的状態は、霊的身体をもって体験する以外には味わえない、身の毛もよだつほどの惨めなものだった。

言葉ではとても表現できない。願わくばその霊たちにもいつしか折り返し点が到来する事を祈らずにはいられない。“永遠”では永すぎる。

WordPress霊関連書籍ヘッダー私の霊界紀行

はい、この書籍の著者スカルソープ氏が全てを語って下さっていると思いますが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の帰幽後の未来は上記にあるような状況以外にありようがなく、コイツらには(頭がボーッとして反省する事さえ許されない)正真正銘の地獄が待ち受けています。使命遂行初期の頃にこのような絵も描いています↓

アナログ絵37

明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらは生まれてから死ぬまで「自分の未来を地獄に落とす事に全力を傾けている人間」であり、霊的知識を理解せず物的利己心に基いて他人を食い物にして傍若無人の人生を送る事が自分の未来をいかに暗黒に叩き落すかという事を全く理解しておらず、自分は人間の中で1番偉いと本気で信じ込んで生活しているという事が、いかに愚かの極みであるかという事を、どうか皆さまにご理解頂きたいと思うのです。

この僕の表現は霊的視点から見た時に間違っているかも知れませんが、あえて書き残す事とします。人生の真の勝敗は「帰幽後に下される」という事です。物質界で勝ち誇ったつもりでいる人間は帰幽後に信じられないくらいみじめな境涯に落とされ、物質界で辛酸をなめさせられた人間は帰幽後に明るい境涯に赴き、その後の進歩向上も速いのです。これが真の人生の勝敗だと僕は思っています。「後なるものが先に」という言葉もあります。

霊界高級霊の方々のように永遠の視点で人生全体を俯瞰で眺める事ができる方々にとっては、この僕の考えさえも近視眼の考えとして一蹴されるものと予測しますが。勝敗とか言ってる時点で間違いでしょうから。(人類全て同胞ですからね)

そしてふたつめ「僕のカルマ」というお話ですが、これも確か以前どこかのブログで書いた記憶があるのですが、えっと、WordPressにはブログ内検索という機能がありまして、カルマで検索すると、あ、コレかな?↓

2023年2月2日UP
僕はよほどヒドイカルマを背負って物質界に降下した人間なのではないか…(祈)†
wp.me/pa9cvW-6VU

ココに書いた通りなのですが、僕の現在の使命遂行の状況は「どう考えてもおかしい、使命遂行を前進させる事に全くつながっていない、霊団側の意図は全く別のところにあるのではないか」と思わせる部分が多々あり、もう霊団側は物質界の邪悪「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡も、奴隷の女の子たちの悲劇の惨状も全く眼中になく、ただ僕の「カルマ解消」のためだけに物質界に残しているのではないかという気さえしてくるのです。

とにかくもう霊団は全然やる気がない、もう目標達成したとか言ってる、何の物的結果にも到達していないというのに。奴隷の女の子たちもひとりたりとも助けていないというのに。目標達成したというのなら僕の仕事も終わりだろ、だったら帰幽させればいいだろ、しかしそれもしない、何が何でも最悪の状況に閉じ込め続けようとしてくる、閉じ込めたからと言って事態が進展する訳でもないというのに。

おかしいんですよ。そういう風に考えると「ただ単に僕のカルマを解消させるためだけに物質界に残しているんじゃないのか」という考えがどうしても出てきてしまうのです。

シルバーバーチ霊が霊媒夫妻を招待した時に「あなた方は支払うべきカルマの負債を抱えて物質界に降下されたのです、この霊的仕事を果たし切って返済を完了させないといけません、あなた方はそのためにこの地上にやってきたのですから」みたいな事を仰っています。確かバーバネル氏もそうだったんじゃなかったかな。
ひょっとして僕もそういう目的で物質界に降下した人間なんじゃないのか、なんて考えたりもするのです。全く自覚はありませんが。んーイヤ、僕の場合はそれはおかしいと思う、そうだとするなら守護霊様は僕をDreamwork(画家の人生)に突入させなかったはずだ、霊的仕事の方に導いたはずだ。

霊性発現以降に守護霊様が僕の守護の任から一時離れて「100の光の霊団」に切り替わった事がその証拠だと思う。僕はやはり霊的仕事をするために物質界に降下した人間じゃないと思う。ん?となるとカルマという話も違ってくるかも知れない。ん?ん?一体何なんだ。

要するに霊団側が考えている事は「アキトくんを物質界に残せば残すほど霊的知識のタネを蒔きまくってくれるので我々としては今後の仕事がやりやすくなる」と、ただそれだけの理由なんじゃないのか。まぁそれも十分「神のご意志遂行」と言えるでしょうけども。僕が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に殺されないようにしているのもそういう事か。
んーチョトゴメンナサイ、とりとめもない最後になってしまいました。最初にお話しました、先週のブログで削除したインスピレーションが実はいろいろ関係していまして、本当はそれについてお話しないといけないのかも知れませんが、どうしても説明したくない内容のため、やはり書かない事としました。絶対に死んでも有り得ない事を言われているからです。
今回「カルマ」という事を書きましたが、これは別に特別なお話でも何でもなく、人間誰しも多くのカルマを抱えて物質界に降下し、カルマを解消したり、逆にカルマを増やしてしまってさらにキビシイ環境に再降下させられたりしながら、進歩と退歩を繰り返して人生を送ります。僕もその大勢の中のひとりにすぎません。
そしてカルマをすっかり解消、つまり借金を返済し切ったらようやく物質界に降下しなくて済む高い境涯に赴く事ができ、そこから先は次元の異なる向上の世界が待ち受けています。僕の目標はもちろんその領域に到達する事ですが、霊団への幼稚な反逆ぶりを見るにつけ、それは遠い夢のようです。今回はまとまりのない最後になってしまい申し訳ありませんでした(祈)†

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「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†■2023年4月26日UP■
「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†
僕を苦しめる事そのものが当初からの目的だったのではないか。僕に物質界の邪悪の情報拡散をさせる事によって、邪悪の滅亡時期を若干早める事はできるだろうが、僕一代で目的達成させようとは考えていない。で、霊界側としては僕の物質界生活中にできる限りの仕事をさせつつ、僕の霊格も可能な限り高めさせておいて、帰幽後も僕を仕事(物質界浄化活動)に活用し続けるつもり。そういう長いスパンで僕という霊の道具を使い倒すというのが当初からの(もっと言えばイエス様の)計画で、それで助けられないのに奴隷の女の子の事を延々と僕に教えてきて苦しみを倍加させる事で(苦難を与えるという意味)僕の霊格を高めさせたという事なのではないか)…続きを読む→
「この窓から神秘に入る」帰幽後、僕が突入する状況について霊団が言ってきましたが(祈)†■2023年4月19日UP■
「この窓から神秘に入る」帰幽後、僕が突入する状況について霊団が言ってきましたが(祈)†
インペレーターの霊訓より抜粋 私がこの地上を去ったのは遙か遠い昔のことになりますが、このたび戻ってまいりましたのは、この霊媒を通じて霊的啓示を届けんがためです。それが私の使命なのです。私の属する界層からこの地上へ戻ってくる霊はきわめて稀です。が、大神が特殊な使命のためにこの私を遣(つか)わされたのです。天界と地上との間の階梯(はしご)はつねに掛けられております。が、人間の側の不信心が天使の働きかけを遮断してまいりました。 – あなたは神の僕(しもべ)ですか。いかにも。神の僕として選ばれ使命を仰せつかることは、われわれ仲間の間にあってはただならぬことです。私はこの霊媒を通じての使命を終えたのちは2度と個的身体をまとって戻ることのできない境涯へと赴きます。他の霊を通じて影響力を行使するのみとなるでしょう。皆さんはすべからく大神の導きを求めねばなりません。おのれを恃(たの)む者は滅びる、滅びる、滅びる…(とくに厳粛な調子で述べた)。神は光明と導きを求める者を決してお見捨てにはなりません。決して、決して、決して……続きを読む→
「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†■2023年4月12日UP■
「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†
そうそう、シルバーバーチ霊は「苦を苦と思わない段階まで霊格が向上すれば、苦難を味わわされても喜びしか湧き上がってこない」みたいな事を仰っています。さらに「ベールの彼方の生活」にも、上層界の天使たちが下層界の仕事に携わって大いに苦しい状態にさせられているのに笑顔になっているという記述があります。これは帰幽して十分に向上を果たし、俯瞰の視点で全体を眺められるポジションに立つ事ができて初めて到達できる精神状態だと思います。物質界生活中にこの精神状態に到達するのは、頭で知識としては理解する事ができても心の底から納得してそういう心境に到達するのはまず不可能と思われます。中にはそういう聖者のような方もいらっしゃるのかも知れませんが僕はデザインの人間ですのでそれはないです…続きを読む→
「新しい霊媒と手を組みたくない」だから強姦殺人魔の滅亡はどこ行ったんだよ(祈)†■2023年4月5日UP■
「新しい霊媒と手を組みたくない」だから強姦殺人魔の滅亡はどこ行ったんだよ(祈)†
高級霊であればあるほど「形態を超越」しており、インペレーター霊の言葉を拝借すれば「放射性影響力(神の光輝を全身から放散している状態)」のような感じなのだそうです。つまり現在のイエス様は物的手段で絵に描けるような容姿ではない、まるっきり次元が違うので表現などできる訳がないという事です。そして僕はイエス様搭乗機「フラー01」をゴールドのカラーリングにしていますが、コレも霊的に見ると間違いで、高級霊であればあるほどその霊体から発する光輝は白色をしているそうです。つまり僕がアナログ絵にて描いているイエス様は実際のイエス様のお姿とは程遠いモノであり、イエス様があのような人間的形態をまとうのは下層界の人間に顕現する必要性が生じた時に一時的にあのような姿をまとう事があるのみで、通常時のイエス様のお姿は僕たちの物的脳髄ではイメージ不可能という事です…続きを読む→

八ヶ岳アタック828プロセス実行

何とかテキスト撃ち続けていますが、後半部分が説明が難しく、チョト尻切れトンボみたいな感じになってしまうかも知れません。僕の物的脳髄ではこれ以上の説明はできないかも知れませんが時間内でできる限り撃ってみます。

間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†

まずは昨日の山のアタック時の撮影画像をUPですが、これまで長い年月にわたって霊的知識をお勉強し続けてきて、さらに書籍テキスト化という作業をおこなう事が再勉強となり、霊団にやらされているこの苦難の人生が意味を持つ事を思い知らされたり、いろいろ思う事がありまして、そういった内容を書き残してみるつもりです。

霊団はもう全然別の方向を見ているという事、というより「大俯瞰」で見ているのであり、僕は近視眼で物的人生のみを眺めて霊団に憎しみを抱いているのであり…っとと、これから撃つ長文テキストでそのあたりを表現してみましょう、説明し切れなくてかえって皆さまが???になってしまうかも知れませんが。何とか撃ってみましょう(祈)†

標高を上げきれない状況(残雪)で撮れる限りのモノを撮ってきましたが、登攀しながら考える事は明日のブログの事ばかり。霊団に対する怒り憎しみの内容ばかりが頭に浮かび、それに対して霊団がピーチクパーチク言ってくるという状態でずっと山に居ました。

真っ暗闇の山の中でずっとひとりでいるのですが全然ひとりじゃない、この状況はなかなか皆さまにご理解頂けないかも知れません。撮影画像のUPは明日とさせて頂き、少し時間がありますので明日の自分を助ける作業をして、それからダメージ抜きに入ります。インスピレーションは少ないですが一応明日は長文ブログを撃つつもりです(祈)†

んんん、ティラノスクリプトお勉強続行中ですが、僕が作りたいのはゲームではなく「読書アプリ」ですのでセーブとかロードとかは必要なくて、アプリを起動したら即、目次が表示されてまえがき、1章、2章~あとがき、といった感じにどこからでも選択して読み始められる(聞き始められる)ようにしたいんです。

そういう風に作ろうと思ったらティラノスクリプトの機関部をいじらないといけない、表層だけなら僕でもカスタマイズできるだろうけど、深いレイヤーにまで突っ込んでいくと間違いなくドツボにハマってまたしても膨大な時間を取られる事になるのは確実でしょう。

「イヤ、やればできると思うけど僕のスキルではキビシイかなぁ」とかうなっていた時に霊団が霊聴に一言「YouTube」と言ってきました。アプリの事ばかり考えるな、ムービーでいいんだよ、その方が拡散力もあるし、という意味です。

このインスピレーションは激しく了解で、トレイルムービーを作っていた時も確か「ベストプラクティス、トレイルムービー」と霊団が降らせてきた事がありました。これは霊性発現以降の使命遂行全作業の中でYouTubeがもっとも拡散力、威力がありましたよ、といった感じの意味で霊団が降らせてきたものと思われます。WordPressのアクセス数なんてたかが知れていますからね(もっとも僕のブログは一応日本に存在する全ブログの中の上位10~15%の中に入ってますが…)

ですので霊団の言っている事は分かります。ただ僕はムービーも作ってアプリも作る、複数展開しようとしているのであって別にムービーを作らないとは言ってないのです。んん、まぁしかしどのみちアプリは急には作れそうもありませんし、それになによりテキストとMP3を揃えないといけません、そちらの作業の方がよほど地獄ですので、まずはそちらに集中すべきかも知れません。

で、もう明日の山のアタック準備ですので今日の作業はココまで。フラー25本体デザインが止まってしまっていますのでアタック帰還後は絵に集中しようと思います。長文ブログは、まぁ何とか書けそうです。少ないインスピレーションを膨らませて撃ってみましょう。ハァァ作業量多すぎて疲弊度が尋常じゃない(祈)†

ユダヤ民族がローマの支配下にあって大いに苦しんでいた頃、ある若い漁師と妻がガリラヤ湖の岸辺に住んでいた。舟と網を操る男とその妻は、2人とも素朴な人間で、お互い同士の事以外は何も考えず、近所付合いもせず親戚の所にも行かなかった。

2人だけで充分に満足していたからであった。深い愛の結晶として女の子を授かり“マリヤ”と名付けた。マリヤはこの夫婦を有頂天にさせたが、その後何年たっても子宝に恵まれず夫は悲嘆に暮れていた。それがもとで彼は仕事の張りをすっかり失くしてしまった。

ある日の事、マリヤの居る所で、父は母及び父の祖母ゼリータに彼の悲しみの原因をうちあけた。娘のマリヤは心を痛め、自分が何か過ちを犯して父の大きな重荷になっているのではないかと恐れた。マリヤは祖母ゼリータに言った。

「私が男の子でないためにお父さんを悲しませています。どうしたらお慰めできるんでしょうか」祖母は答えた。「お前はどんな事をしても聖書に書いてある事を変える事は出来ないよ。お父さんはね、ローマの支配を粉砕し、神の民イスラエルを苦しみから解放し、地上の諸国を立ち上がらせる事のできる息子が欲しいと願っているんだよ」

更にマリヤが尋ねると祖母は預言者(※1)の言ってる事を教えてくれた。なんでも救いのために1人の男が現われ、聖なるエルサレムを征服者の手から奪還しユダヤ人を偉大な民族にするというのである。

マリヤは言った。「そんなら私はだめね、女なんですもの」マリヤの表情は暗かった。ゼリータはマリヤを抱きよせて接吻し、微笑みながら言った。「神さまのなさる事はとても不思議なもので、誰にも分らないんだよ。

お前が大きくなったらユダス・マカビー(※2)よりもっと偉い男の子を産んでちょうだいね。立派な預言者になって異邦人を照らす光となりイスラエルの神の前に全ての人がひれ伏すようにさせるのよ。ああ早くそんな日が来たらいいのにね」マリヤは祖母が言ってる事が殆ど分らなかったが、とても嬉しかった。

それからというものはガリラヤの湖畔で遊ぶ子供たちの誰よりも喜々として日々を送った。マリヤは両親のしつけによく従い、他の子供たちとは遊ぼうとしなかった。月日がたつにつれて漁師の心を痛めた悲しみは次第にうすれていった。

彼は遂に男の子が授からないのは神の思し召しであると断言した。現在4人が仲良く暮らす事で満足した。そのかわりに神は他の面でふんだんに恵みを与えたのであろうか、この漁師の家は栄えた。彼の網さばきは絶妙で、銀色の魚が大量に取れ、飛ぶように売れたからである。

彼らは陽当たりのよい、沢山花が咲く所に住んでいた。冬の寒さにうたれる事はなく、夏の日差しに庭の植物が焼かれる事はなかった。その辺の土地は水利に恵まれていた。彼らは望むものは全て与えられた。マリヤはすくすく成長し花のような美しい乙女になって幸せな日々を送っていた

マリヤの母は歌いながら家事に専念し、祖母は愛にあふれている家族のためにいつも感謝の祈りを捧げていた。大抵の男女は貧乏や争い事のために苦労しているのだが、ゼリータの息子と嫁の2人は一心同体で何ひとつ心配の種はなかった。

初冬のある日の事、太陽は顔を出さず強い風が吹いていた、風は山の方から湖を横切って吹き荒れていた。一瞬湖面に変化が起こった。恰も目に見えない農夫たちが湖の上を竿で叩きながら横切って行くかのように、泡が踊り狂ったようにシューシューと音を立て、怒り狂った波が天に向かって跳ね上がる勢いであった。

ゼリータの息子の舟はとても古くて小さな穴があちこちに開いており、そこから水が浸入してくるのであった。漁師たちは勇敢に働いていた。突然激しい突風が山側から吹いてきて、まるで獰猛な鷹のようにゼリータの息子の船を襲った。あっという間に舟は荒れ狂った波の中にのまれてしまった。空は真黒で黒ずんだ雨が湖面に降り注ぎ、岸からは漁師たちの舟は全く見えなくなっていた。重苦しい夜の帳が唸り声を上げている地上に降りてきた。

女たちは1ヶ所に集まって、湖上で右往左往している男たちのために嘆き悲しみ、真剣に祈っていた。月や星のない陰うつな時が流れた。何の徴(しるし)もないままに東の丘に夜明けの気配を感じる頃、微かな望みがわいてきて、女たちの真剣な祈りがきかれたのではないかと思えるようになった。

夜が明けて風が静まり、漁師たちが岸辺に戻ってきた時はみんな感謝の祈りを捧げた。しかし彼らは悲しい報せをもってきた。ゼリータの息子の舟は前夜の夕暮頃波にのまれて沈んでしまったのである。太陽が天高く昇った頃、湖には再び静けさが戻ってきた。

天空はまるで神がまたいで歩かれたようにキラキラと光り輝いていた。世界が再び微笑みかける頃、5人の男たちがマリヤの住んでいる家に重い荷物を運んできた。彼らはひとことも語らずに頭を下げ、奥の薄暗い部屋へ進んで行った。

祖母が床の上に広げたリネンシーツの上に息子の傷だらけの亡骸を安置した。マリヤの母は激しい戦慄に襲われた。娘のマリヤが見ていて恐ろしくなるくらい激しく震えていた。マリヤも震えながら頭をたれていたが誰もマリヤが居る事に気付かなかった。

なぜならば母が父の亡骸の側に卒倒して動かなくなってしまったからである。この夫婦はガリラヤ中でこれほどまでに愛し合った者はいない位相思相愛の仲であった。生前すごしてきた2人の日々は、思いも心も全くひとつであった。彼らにとって天国は彼らの居る所であった。

だからこそこの瞬間はマリヤの母にとって暗黒と絶望であった。この2人は森の中の若樹のように強かった。だが遂に2人は逝ってしまった。夫が他界した直後に彼女の霊も間もなく暗黒に閉ざされた肉体を離れ去ったのである。

祖母は突然逝ってしまった息子夫婦のために香料と亡骸を包む布の用意を整えてやらねばならなかった。亡骸は岩を削って作られた墓の中に納められ永遠の休息に入った。

葬式が終ってからマリヤは祖母のところに行き、服の折り目の中に顔を埋めながら死んだ父母を生き返らせて欲しいとしきりに祈るのであった。祖母はマリヤを何度となく慰めてやり、これからは神様が父であり、祖母が彼女のお母さんになるんだよ、と言いきかせた。

(※1)旧約聖書のイザヤ書7・14 – “それゆえ主はみずから1つのしるしをあなたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を生む。その名はインマヌエルととなえられる。”(イザヤは紀元前8世紀に活躍した4大預言者の1人)

(※2)紀元前175 – 164、シリヤ王アンテオコス4世エピファネスは、ユダヤ人を迫害し、エルサレムの神殿に押し入り、異教の祭壇を築いてユダヤ人の怒りをかった。その時老祭司マタテアスが立ち上がり義勇軍を結成し、息子ユダスはシリア軍を撃退してユダヤに勝利をもたらした。以来ユダスの名はユダヤ救済の英雄として語り伝えられた。

■2021年9月8日UP■
「丸10年だよ」僕の人生を完全に破壊した霊団の言葉です。軽々しく言いやがって人の気も知らずに(祈)†
丸10年だよ、皆さまどうかこの言葉を簡単にサラッと流し読まないで頂きたいのですが、これは僕の人生が霊団主導で10年間破壊され続けたという意味で、僕がこの10年に味わわされてきた最低最悪の出来事の数々を霊団が一言でコロッと片付けてきた、という意味になるのです。この僕の10年にわたる積年の恨み、どうやったら皆さまに理解して頂けるでしょう。そして、奮闘を忘れていません、これも「アキトくんの10年間のガンバリは我々は忘れていない、しっかり心に刻み付けているよ」という霊団の言葉なのですが、僕は霊団の事をいつも何と言っていますか「口だけ霊団」ですね。これぞ口だけの上っ面の軽薄発言そのものであり、さも同情的な事を言っておいて実質僕に現状の苦しい状態を続けさせようという霊団のごまかしの言葉となります。ムカムカ×1億 さらに…続きを読む→
■2021年9月10日UP■
■アナログ絵326「タワー展望ブリッジ」のストーリーUP。キツイ絵のオンパレードでした(祈)†
宇宙船クレスには「ふたつのブリッジ」が存在します。通常、ブリッジと言えば、艦長の守護霊様が指揮を執る、船の運行全般を司る「シップのブリッジ」の事を指しますが、もうひとつ、クレスで生活する人たちの生活全般の管理を仕事とした「タワーの展望ブリッジ」というものが存在します。今日は、ももちゃん、シルキーが展望ブリッジの見学にやってきました。これも霊的お勉強の一環です。シルキー「何コレ、タワー内の状況が全部1発で分かるようになってる」ももちゃん「人数がスゴイ、ホント、クレスって大きな船だよね」トライブ崎柿崎「たとえば今、この小学校で催し物のための新たなコンサートホールを思念で作っているところよ」シルキー「こ、こんな大きいのを作ってるんですか?」ももちゃん「でも何か、うまくいってないみたい」トライブ崎柿崎「小学校の子供たちが思念でモノを作るお勉強をしてるけど、子供たちだけではうまく作れないのよ、そういう時に、ホラ」…続きを読む→