【6/19】霊界通信 イエスの少年時代 貧窮の中の小さな王者 36 可愛いい妹レア
ガリラヤ地方にも、沢山の貧乏人と僅かな金持ちとが住んでいた。たいていの人々は楽しそうに暮らしており、明日のことを余り心配しなかった。食物が足らなくなっても、どうにかこうにか飢えをしのいでいた。
貧しい漁師たちは、ローマの権力で莫大な税金を徴られても、何かと楽しみを見つけ、太陽に輝くガリラヤ湖を眺めては、様々な夢を描いて気持ちをまぎらすのであった。彼らは月夜に森で鳴くナイチンゲールのように唄い、朝から晩までメロディーと共にすごすのであった。
ヨセフは、ガリラヤ人の楽観的な気質を持ちあわせていないようだった。いつも取越苦労をして、眉にしわをよせていた。彼は悲観的な幻想に悩まされるのである。そのヨセフが、エルサレムから帰ってきてからは、例の教師とはぎくしゃくしていても、とても機嫌がよく、冗談をとばしては楽しそうに暮らしていた。仕事が順調に運んでいたからである。
イエスが家出した最初の頃は、腹をたててはいたが、それもかえってイエスのためになるだろうと考えるようになっていた。それから家の中は平和になった。イエスがエルサレムで大変な評判になったおかげで、ヨセフと息子トマスには沢山の仕事がもちこまれるようになった。
仕事の量が俄かにふえたので、三男のヤコブにも手伝わせ、セツには使い走りをさせた。ナザレの人々は、猫も均子もヨセフに仕事をたのみ、ヨセフのことを煽てあげた。よほど高貴で、才能に恵まれた父親でなければ、あれ程すばらしい息子イエスは育てられない、とまで言った。
単純なこの大工は、すっかりのぼせてしまい、イエスのことを思い浮かべては、うれしそうにしていた。マリアがどんなに頼んでも、イエスの扱い方については、自分の考えを曲げなかった。ヨセフはマリアに口ぐせのように言った。
「お前の生んだ放蕩息子が帰ってきても、教師に詫びをいれなければ、絶対に家には入れてやらないぞ」マリヤはそれを聞くたびに涙を目にためて言うのであった。「そんなら、あの子はいつまでたっても家に入れやしないじゃありませんか」
「そんなのは、おれのせいじゃない。イエスには、学校に行かせたが、うちはもっと生活をきりつめて、3人の息子たち、トマス、ヤコブ、セツには、せめて読み書きぐらいは家で教えてやらなくちゃ。それに今までに随分苦労をしてきたから、3人の息子たちにも仕事をさせて金を儲けようじゃないか」
「まあ、あきれた!今でも随分お金が入ってくるじゃありませんか。あなたの名前がナザレ中に有名になったのも、イエスの知恵のおかげじゃありませんか。それでもあなたは不足なんですか。あなたがもう少し賢ければ、もうあの子に命令なんかすべきじゃないわ。かえってあの子に耳をかたむけるべきよ」
ヨセフの顔色が変わった。そのとき末娘のレアが手に沢山の花をかかえてヨセフの処にやってきた。レアが入ってこなかったら、どんなにひどい言葉で罵っていただろう。レアはヨセフの大きな手のひらに花をおいた。レアが幼児語で、だっこしてくれと強請ったので、彼はレアを肩車にして外に出て行った。
この幼い末娘レアは、とても明るく可愛いらしかった。ヨセフは、ことのほかレアを愛し、彼女のことを“金の宝”と呼ぶほどであった。ヨセフの目は輝き、レアを地上に降ろして胸に抱きよせ、優しくレアの耳もとでささやいた。レアが頼むと、天気の日には仕事場から出て来て散歩にでかけた。
小川のほとりでは、水をとばしたり、泥んこ遊びをした。レアと遊んでいると、ヨセフは辛いことをみんな忘れてしまい、レアの言うなりになる、優しい父親となるのであった。マリヤは満足していた。子供のことに関しては、ヨセフは実に親切で理解のある父親であった。
レアは全く例外で、目に入れても痛くない娘であった。彼女の金髪の頭は、彼にとって言い尽せぬ神秘であり、彼女の可愛らしいお喋りは、無限の喜びであった。仕事が順調にはかどり、レアが彼の傍に居るときは、喜びの杯があふれるばかりであった。彼はマリアに言った。
「神様は私たちに沢山の祝福を与えて下さった。いつまでもこの幸せが続くとよいのだが。子供たちはこのまま大きくならず、僕の仕事もそこそこで、お前とレアがそばに居てくれて、来る日も来る日も今のように歌ったり遊んだりできるといいんだが」弾んだような声でマリヤが答えた。
「この金髪のお嬢さんをさらっていくお婿さんがあらわれたら、あなたの顔は仏頂面になり、やきもち父さんになるわね。きっとあなたは気狂いのようになるわよ」
マリヤはこれ以上何も言えなかった。ヨセフの唇が彼女の口にふたをしてしまったからである。ヨセフは、こんなふうにして丘の上を独りで歩いていた少女マリヤに恋をしていた青年時代の愛をあらわすのであった。
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→
「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†
僕を苦しめる事そのものが当初からの目的だったのではないか。僕に物質界の邪悪の情報拡散をさせる事によって、邪悪の滅亡時期を若干早める事はできるだろうが、僕一代で目的達成させようとは考えていない。で、霊界側としては僕の物質界生活中にできる限りの仕事をさせつつ、僕の霊格も可能な限り高めさせておいて、帰幽後も僕を仕事(物質界浄化活動)に活用し続けるつもり。そういう長いスパンで僕という霊の道具を使い倒すというのが当初からの(もっと言えばイエス様の)計画で、それで助けられないのに奴隷の女の子の事を延々と僕に教えてきて苦しみを倍加させる事で(苦難を与えるという意味)僕の霊格を高めさせたという事なのではないか)…続きを読む→
「この窓から神秘に入る」帰幽後、僕が突入する状況について霊団が言ってきましたが(祈)†
インペレーターの霊訓より抜粋 私がこの地上を去ったのは遙か遠い昔のことになりますが、このたび戻ってまいりましたのは、この霊媒を通じて霊的啓示を届けんがためです。それが私の使命なのです。私の属する界層からこの地上へ戻ってくる霊はきわめて稀です。が、大神が特殊な使命のためにこの私を遣(つか)わされたのです。天界と地上との間の階梯(はしご)はつねに掛けられております。が、人間の側の不信心が天使の働きかけを遮断してまいりました。 – あなたは神の僕(しもべ)ですか。いかにも。神の僕として選ばれ使命を仰せつかることは、われわれ仲間の間にあってはただならぬことです。私はこの霊媒を通じての使命を終えたのちは2度と個的身体をまとって戻ることのできない境涯へと赴きます。他の霊を通じて影響力を行使するのみとなるでしょう。皆さんはすべからく大神の導きを求めねばなりません。おのれを恃(たの)む者は滅びる、滅びる、滅びる…(とくに厳粛な調子で述べた)。神は光明と導きを求める者を決してお見捨てにはなりません。決して、決して、決して……続きを読む→
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