「no rise」「本当によした方がいい」このあたりのインスピレーションについて、お花ちゃんの絵と絡めたカタチでブログ内で説明しましたが、それとは別の意味で霊団が降らせてきたという事が分かりました。そしてそれは皆さまにお話できない、霊団と僕との間だけのパーソナルコミュニケーション的な内容となりますので説明は控えさせて頂きます。
しかしそれら霊団から僕に向けられたメセを深読みしていくと、その奥に許されざる意味合いが込められている事が分かり、何をどう頭をひっくり返しても納得できない内容でとてつもなく怒りがこみあげてくるのです。
コイツら(霊団)はもう何もするつもりがないのです。ただ無意味に僕を物質界に残し続け、無目的にダラダラ過ごさせるつもりなのです。そんな人生死んでも送ってたまるか、あんたたちがそういうふざけた事を考えているなら僕は絵に戻ろうとするのが当然という事になる。燃えるモノもなくただダラダラ生きるなんて事があってたまるか。そんな人生死んでも許さん。
「全て自分の成長のためなんだよ」30年40年も無目的に物質界に残される事が僕の霊的成長につながると?何を寝ぼけた事を言ってやがるんだ、闘って傷ついて克服して初めて成長を遂げられるんだろう。
この霊団のやる気のない態度が頭にきてどうしようもありませんが、それくらい僕に待ち受けている未来がヒドイもので、それを回避させようという意味なのだそうですが、だとしてもムカつくんですよ。人の人生これだけブチ壊してるんだから回避の一言では済まされません結果を出せ結果を、と言わない訳にはいかないのです。
出版社設立というわずかな可能性にかけて家の片付けを続行してますが、そろそろ大物(粗大)に着手しないといけません。中身を全て片付けて軽くしてありますが、それでもひとりで運べないかも知れないものもあります。台車とかを用意して強引に運ぶ事も考えてます。とにかく何とかする(祈)†
「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†
友人の守護霊は今ごろほくそ笑んでいるはずです。僕の守護霊様は今ごろ僕の霊団への反逆を見て困っている事と思われますが。人間とは霊界で永遠に生き続ける存在です。人間に死はありません。物質界とは修行のためにホンの一時期だけ降下させられるトレーニングセンターです。肉体は神の摂理で自動的に朽ち果てるようになっており、僕たちの本体(霊)はそれを脱いですみやかに霊的表現媒体に着替えて(幽体、霊体)霊界生活に突入します。この事実からも物質界が僕たちの永遠の住処でない事は明白です。そのホンの一時の束の間の場所についてお勉強する事と、永遠の住処である霊界についてお勉強する事と、どちらがプライオリティが上でしょうか。どちらが賢明かつ自分の霊的進歩向上に役立つでしょうか。そういう視点で自分の人生を考えられる人間こそ賢者と言えるのではないでしょうか…続きを読む→
「イエスからの贈り物」これは帰幽後のお話で物質界人生は最悪という意味なのです(祈)†
これはまるでイエス様からの、アキトくん、ここまでよくやった、おつかれさま、という終了宣言のように聞こえます。そんな事でいいんですか、あなたたちのやる気はそんなもんですか、しょせんあなたたちは霊界上層界の人間であり、最低界である物質界がどうなろうと知った事ではないという事ですか。物質界と霊界上層界はつながっていて、物質界の無知が霊界に反映されるようになってしまって「このままでは大変な事になる、何としても大胆な手段を講じて物質界に霊的知識を普及しなければ」という事になってスピリチュアリズムを勃興させたのではないのですか…続きを読む→
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†
【神】から神性の火花を賜って個的存在を獲得した僕たち人間は「永遠の存在であり死はありません」僕たち人間は物質界生活後も霊界で霊的表現媒体をまとって永遠に生き続けるのです。その永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界生活中に善いおこないをするか悪いおこないをするかによって、その後の人生に天と地ほどの差が生じます。皆さま、このふたりの人間、どちらが【かしこい】と思われますか。先ほど、王の生活をうらやましいと思う事が、霊的知識の無知から導き出される愚劣の極致の発言と書きました。近視眼という事です。どちらの人生が僕たちの歩むべき人生だと思いますか。もっと言いましょう【神】は僕たち子等に、どちらの人生を歩んでもらいたいと望んでおられると思いますか…続きを読む→