『主の祈り』について
主の祈りは、教会で最も大切にしている祈りである。本書の冒頭で、隠者ヨハネ(後の洗礼者ヨハネ)との出会いによって引き出された祈りは、現在教会で使われている『主の祈り』の前半部だけである。これは大いに検討してみる必要がある。
最初に特記すべきこととして、この祈りが設定された場面は、新約聖書によれば、弟子たちに模範的な祈り方を教示するという形で述べられている。しかも弟子に乞われて、このように祈りなさいと記されている。
ところが本書では、高潔な義人ヨハネの面前で、しかもヨハネを祝福するような形で、イエス自らが祈りだしたと記されている。
よくよく考えてみると、祈りとは、摂理に叶ったことを心の底から噴水のような勢いで神にぶっけるとしても、あるいは、頭を空っぽにして、神との融合をはかるにしても、基本的には当人のものであるから、他人から教えられて行われるものではないと思われる。
従って、私はイエスが弟子たちの前で、高飛車に教えたという記事は、とても信じられないのである。本書に於けるイエスを深く知れば知るほど、この場面設定には矛盾と無理があるように思えてならない。
むしろ、山深い静かな洞窟の中で瞑想している聖者ヨハネの面前で、小さな落ち着いた声で、ゆっくりと口から唱えられる祈りこそ、イエスにふさわしい祈りであると思う。
第2に特記すべきこととして、聖書に記されている、主の祈りの前半部のみが語られていることである。教会では、この祈りの前半部に於いて、神の栄光を求める3つの祈りを教え、後半部に於いて人間に必要なものを3つ乞い求めるように教えている。
本書に於いては、その後半部が無いのである。後半部の第1は、『日々の糧』である。第2は、『罪の許し』である。第3は、『試練を減らすこと』である。
イエスの徹底した天の御父への信仰から見れば、日々の糧などは、わざわざ祈り求める対象ではない。1羽の雀や野の草1本に至るまで目が行き届いている神に、どうしてこんなことが祈れるであろうか。
更に、人間が犯した罪は、許すとか許さないとかいう次元のものではない筈で、神の創造原理の大原則のひとつは、『自分が蒔いた種は、自分自身で刈り取る』ことになっているのだ。
第3の祈りに至っては笑止の沙汰である。試練こそ、その人の徳を高め、霊格をたかめるための貴重なチャンスであるというのに、それを避けて通れるように願い求めることをイエスは絶対に教える筈がない。
教会には大変申し訳ないが、『主の祈り』の後半部に関する限り、俗物の加筆であると思っている。私は、このことに気が付いてから、祈りのときには後半部を除くことにした。
ぜい肉がとれたような、すがすがしい気分で祈り終えるようになった。神の栄光のみを求めることこそイエスの本願であり、私もそのようにありたいと思っている。
■2023年2月22日UP■「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†「サークルメンバー問題」についてお話しますが、交霊会は霊媒ひとりではおこなえません。上記に説明したように低級霊のジャマが入りますのでそのジャマを排除せねばなりません。そこで必要になるのが「サークルメンバーつまり霊的仕事をおこなうためのある一定レベルの資格を有した数名の人間から抽出したエクトプラズム」なのです。サークルメンバーからエクトプラズムを抽出し、そこに霊界から持参した成分をミックスさせて、低級霊を締め出す「防御壁」のようなモノを拵えるのだそうです。その防御壁がなければ霊媒は低級霊のオモチャにされてしまうのですが、霊団が言うには僕という霊媒の交霊会ではその防御壁がしっかりしているので「邪悪が入る余地はない」のだそうです…続きを読む→ ■2023年2月15日UP■「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†僕もこれまで果てしなく霊的知識をお勉強し続けてきて、霊言を降らせる事の重大性は十分すぎるほど理解していますから、シルバーバーチ霊の言葉に反対を表明するほど愚かではありませんが、霊界にはウソというモノが存在しません、僕の心の中など霊団およびシルバーバーチ霊には全て丸見え筒抜けですからあえて正直に書かせて頂きますが、ハッキシ言ってもうウンザリなんですよ。霊性発現(2012年6月)から一体どれだけの月日が流れていますか。この10年以上、霊団はひたすら口だけをピーチクパーチク動かし続けてきましたが物的状況には一切変化はありません、さも今動く、今変わる的な事を延々言われてその通りにしてきてハッとうしろを振り返ってみたら最低最悪の場所にただ閉じ込められ続けただけだった。僕が霊団に対して抱いている怒り憎しみの念はもはやただ事ではないレベルになっているのです、長年の蓄積があるからです…続きを読む→ ■2023年3月15日UP■「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†しかしそれは「順番が逆だろ」まず奴隷の女の子たちを助けてあげて、それから交霊会だろ、と僕は思うのです。というのも、奴隷の女の子たちを完全に見殺しにした状態で僕という霊媒を霊団が使用して霊言を降らせたとしましょう。その降ってきた内容がさながら「シルバーバーチの霊訓」を彷彿とさせるような高尚な内容だったとしましょう。その霊団が降らせてきた内容が、人類を救うとか、世界を救うとか、人間は国家も肌の色も関係なく全員が神から神性の火花を賜って個的存在を与えられた、神を共通の親とした霊的兄弟、霊的大家族であり、戦争で敵国の兵士を撃ち殺す事は自分の家族を殺す事と同義であり愚かな事であり、したがって全世界が助け合っていかなければならないとか、そういう心を撃つ美しい内容だったとしましょう…続きを読む→