【1/12】霊界通信 ベールの彼方の生活 1巻 「天界の低地」篇 2章 薄明の世界 1 霊界のフェスティバル
1913年9月30日 火曜日
こうして私たちが地上へ降りて来て、今なお地上という谷間を歩む1個の人間と通信を交す時の心境はまずあなたには判らないでしょう。同じく霊界にいる者の中でも私たちは余ほど恵まれた境遇にある事を身に沁みて感じるのです。
それと言うのも、こうして人類の向上のために役立つ道がある事を自信をもって語れる段階まで来てみますと、善行と啓発の可能性は本当に無限にあるように思えるのです。もっとも、今のところ私たちにできる事は限られております。
あなたのように神を信じその子イエスに身をあずける事によって神に奉仕する者には何ひとつ恐れるものは無いとの信念のもとに、勇敢に私たちに協力してくれる者(※)が出てくるまでは、この程度で佳(よ)しとしなければならないでしょう。
(※オーエン氏はもともと英国国教会の牧師で「推薦文」の筆者ノースクリッフ卿が社主であった新聞 The Weekly Despatch にこの霊界通信を連載した事で教会長老から弾圧を受け撤回を迫られたが、それを拒否したために牧師の職を追われた経緯がある – 訳者)
今なお霊魂の存在と私たちの使命とメッセージに疑いをはさむ人のためにひとこと言わせて頂けば、私たちが美しい霊界の住処(すみか)を離れて地球を包む暗い霧の中へと降りて来る時は、決して鼻歌まじりの軽い気持で来るのではありません。私たちには使命があるのです。誰かがやらねばならない仕事を携えてやって来るのです。そしてその事に喜びを感じているのです。
さてあれから少し後 – 地上的な言い方をすれば – の事です。私たちは、とある広い場所へ案内されました。そこには大きな湖 – 湖盆と言った方がよいようなもの – があり、その中へ絶え間なく水が流れ込んでおり、周りにはかなりの間隔を置いて塔のついた大きな会館(ホール)のようなものが立ち並んでおります。
建築様式も違えばデザインも違い、素材も同じ種類ではありません。ホールの周りには広々とした庭園や森があって中には何マイルにも広がっているものもあり、そこには各種の動物や植物が群がっております。大部分は地上でも見かけるものですが見かけないものもあります。
ただし私の記憶では現在は見かけなくてもかつては生息したものが少しはあると思います。以上が外観です。私がお話したいのは、そうしたコロニーの存在の目的です。目的は実は音楽の創造と楽器の製造に他なりません。ここに住む人たちは音楽の研究に携わっているのです。
各種の音楽の組み合わせ、その効果、それも単に“音”として捉えるのではなく、他の要素との関連をも研究します。幾つかの建物を見学して回りましたがそこに働く人全員が明るく楽しそうな表情で私たちを迎えてくださり、すみずみまで案内してくださいました。
同時に私たちに理解できる範囲の事を説明して下さいましたが、正直言ってそれはそう多くはありませんでした。では私たちに理解できた範囲の事を説明してみましょう。
ある建物 – 見学してみると製造工場というより研究所と呼んだ方が良いと思いました – の中では、地上で作曲の才能のある人間へ音楽的インスピレーションを送る最良の方法の研究に専念しており、またある建物では演奏の得意な人間に注目し、さらには声学の得意な人間、教会音楽の専門家、コンサートミュージック、あるいはオペラの作曲に携わる人間等々のために各々の建物が割り当てられているのです。
研究の成果は体系的に図表化されます。そこまでがここに働く人たちの仕事です。その成果を今度は別のグループの人たちが目を通し、それをどうすれば最も効果的に地上へ送れるかを検討します。検討が終るとさらに別のグループの人たちが実際にベールを通して地上へ送る作業に取り掛かります。
まず目標とすべき人間が選別されます。すなわちインスピレーションに最も感応しやすいタイプです。そうした選別を得意とするグループが別にいて細かい検討が加えられます。全てが整然としております。
湖の周りの研究所から地上の教室やコンサートホール、オペラハウス等へ向けて天上の音楽を送り届ける事に常時携わっている人たちの連繋組織があるのです。こういう具合にして地上に立派な音楽が生まれるのです…。
もちろんそうです。地上の音楽の全てがこちらから送られたものとは限りません。それはこちらの音楽関係者の責任ではなくベールのそちら側の入口に問題があり、同時にこちら側の暗黒界の霊団による影響もあり受け取った地上の作曲家の性格によって色づけされてしまう事もあります。
– 塔は何のためにあるのでしょうか。
これからそれを説明しようと思っていたところです。湖は広大な地域に広がっており、その沿岸から少し離れたい一円にさっきの建物(ホール)が建っております。
そして時おり、あらかじめ定められた時が来ると、それぞれの研究所(ホール)で働く人のうちの幾人か – 時には全員 – がそれぞれの塔に集まり、集結し終るとコンサート、まさにコンサートの名に相応しいコンサートが催されます。演奏曲目は前もって打合せができております。
1つの塔には1つのクラスの演奏者がおり、別の塔には別のクラスの演奏者がおり、次の塔に一定の音域の合唱団がおり、そのまた次の塔には別の音域の合唱団がおります。それが幾つもあるのです。
地上では4つの音域しかありませんが、霊界では音域がたくさんあるのです。さらに別の塔の人にも別の受持ちがあるのですが、私には理解できませんでした。私の推測ではそれぞれの塔からの音量を適度に調和させる専門家もいるようでした。
その事よりも私は催しそのもの – コンサート、フェスティバル、何でも宜しい – の話に入りたいと思います。私たちは湖の真ん中あたりにある島へ案内されました。そこは美しい木々と芝生と花が生い茂り、テラスや東屋、石または木でできた腰掛などがしつらえてあります。
そこでフェスティバルを聞いたのです。まず最初にコードが鳴り響きました。長く途切れる事なく、そして次第に大きくなって行き、遂にはその土地全体 – 陸も水も樹木の葉1枚1枚までも行き亘っていくように思えました。
それは全ての塔にいる楽団及び合唱団にキーを知らせるものでした。やがてそれが弱まっていき全体がシーンと静まりかえりました。すると今度は次第にオーケストラの演奏が聞こえてまいりました。多くの塔から出ているのですが、どの演奏がどの塔という区別がつきません。
完全なハーモニーがあり、音調のバランスは完璧でした。続いて合唱が始まりました。その天上の音楽を地上の言語で叙述するなど、とても無理な話なのですが、でもその何分の一かでも感じ取って頂けるかも知れないと思って述べているのです。
簡単に言えば全ての存在をより“麗わしく”するものがありました。“美しい”というだけではないのです。“麗わしさ”があるのです。この2つの形容詞は意味合いが違うつもりで使用しております。
私たちの顔に麗わしい色合いと表情が表れ、樹木は色彩が一段と深みを増し、大気は虹のような色彩をした霞に似たものに変化して行きました。それが何の邪魔にもならないのです。むしろ全てを一体化させるような感じすらいたしました。
さらには動物や小鳥までがその音楽に反応を示しているのです。1羽の白い鳥が特に記憶に残っておりますが、その美しい乳白色の羽根が次第に輝きを増し、林の方へ飛んでいく直前に見た時は、まるで磨き上げた黄金のような色、 – 透明な光あるいは炎のように輝いておりました。
やがて霞がゆっくりと消えて行くと私たち全員、そして何もかもが再びいつもの状態に戻りました。と言っても余韻は残っておりました。強いて言うならば“安らぎ”とでも言うべきものでした。
以上がこの“音楽の里”で得た体験です。私たちが聞いた音楽はその後専門家が出来具合を繰返し討論し合い、ここを直しそこを直しして、これを何かの時、例えばこちらでの感謝祭(※)とか、地上での任務を終えて帰ってくる霊団を迎えるレセプションとか、その他の用途に使用される事になります。
(※霊界でもよく祭日が祝われる話が他の霊界通信にも出てくる。地上を真似たのではなく、逆に霊界の催しが人間界に反映しているのである。 – 訳者)何しろこちらの世界では音楽が全ての生活面に浸透しております。
いえ、全てが音楽であるようにさえ思えるのです。音楽と色彩と美の世界です。全てが神の愛の中で生きております。私たちはとてもその愛に応え切れません。なのに神の愛が私たちを高き世界へと誘い、行き着くところ全てに神の愛がみなぎり、神の美を身につける如くにその愛を身につけなくてはいけないのです。
そうせざるを得ないのです。なぜなら天界では神が全てであり、何ものにも替えられないものだからです。愛とは喜びです。それをあなたが実感として理解するようになるのは、あなた自身が私たちと同じところへ来て私たちと同じものを聞き、私たちが神の愛を少し知る毎に見る事を得た神の美が上下前後左右あたり一面に息づき輝いているのを目の当りにした時の事でしかないでしょう。
力強く生きなさい。勇気をもって生きなさい。それだけの価値のある人生です。それは私たち自らが証言しているのですから。
ではお寝み。時おりあなたの睡眠中に今お話したような音楽のかすかな“こだま”をあなたの霊的環境の中に漂わせているのですよ。それは必ず翌日の生活と仕事の中に良い影響を及ぼしております。
「愛の試練・霊障イペルマルシェ」再び。まだやってくるか、超頭にくるんですよ(祈)†
眠気防止対策でポテチを食べたりするのですが、今回に関しては全く効果がなく、とにかく運転中に目が閉じまくり何度も反対車線に飛び出しそうになります。僕は上半身を激しく前後にガクガク動かしながら(ハンドルに近付けたり遠ざけたりして)運転を続けますが、何をどうやっても目が閉じ続けます。駐車場に続く林道セクションに入ってからも全く目が開く事はなく、180度カーブを曲がり切れなくて何度も岩の壁にぶつかりそうになりながら、頭を振って上半身を徹底的にゆさゆさ動かし続けて強引に目を開けながら運転を続け、かろうじて駐車場に到着したのでした。そして車内で着替えを始めると、さっきまでの運転時の目を閉じられていた状態がウソみたいにまるっきり普通に着替えているのです。猛烈に眠いのであれば着替え中も眠いはずです。その瞬間に「これは完全におかしい、超久々にバーバネル氏がやりやがったんだな」と理解したのでした…続きを読む→
「許してくれ」霊団が自分たちの導きの失敗を完全に認めた一言となります(祈)†
「泣きっ面にハチ」これが僕の霊的使命遂行をもっとも正確に表した言葉ではないでしょうか。なぜDreamworkをやめさせられてこんな最悪な人生をやらされなければならなかったのか、その理由について何ひとつ納得のいく回答は霊団から降ってきません。つまり説明できないからです「行き当たりバッタリ」だったからです。で、霊界側として完全に予定外だった少年(僕)に、誰もやってくれない仕事(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁邪悪の正体の情報拡散)を押し付けてやらせてはみたものの、そもそも行き当たりバッタリで始めた仕事だったので(無計画だったので)僕の暗殺を回避するので精一杯で全然事態を進展させる事ができないまま時間だけが流れていった…続きを読む→
「出版社」霊団が僕に「サイキック・ニューズ社」をやれと言ってきているのです(祈)†
出版社を立ち上げる事自体はすごく簡単です。ISBNを取得するだけで、どこぞに申請を出すとかそういう必要もありません「僕、今日から出版社をやるわ♪」と宣言すればそれで出版社が立ち上がった事になります。出版業ほど興すのが簡単で継続の難しい事業はない、という言葉もあるようです。僕はAmazonでの電子書籍制作の経験もあり、元々デザインの人間ですのでその手の作業に全く抵抗がなく、電子書籍のみならず紙の書籍のデータ制作も全く問題なくおこなえます(AffinityPhotoおよびAffinityPublisher使用)さらに僕はムービー制作能力も有しており、さらに「字幕(.srt、.vtt)」も扱えます。つまり僕という霊媒から降った霊言をムービー化してYouTubeにUPする作業も全てひとりでおこなえるという事になります。とにかく僕という霊媒から霊言が降ってくれば、ありとあらゆる方法でその霊言を拡散させるスキルを僕は所有しているという事です。…続きを読む→
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