1913年10月13日 月曜日
例のコロニーでの、あなたの喜びそうな体験をもう1つお話しましょう。私にとっても初めての体験で興味深いものでした。全体として1つのグループを形成している各種の施設を次々と案内して頂いていると、屋外パビリオンのようなものに出ました。
何本もの高い円柱の上に巨大なドームが乗っているだけで囲まれている内部に天井がありません。建物の周りについている階段から壇上に上がると、その中央に縦横3フィート、高さ4フィートばかりの正方形の祭壇が設けてあります。
その上に何やら日時計のようなブロンズ製の平たい板が立ててあり、直線やシンボル、幾何学的図形等がいろいろと刻まれてありました。その真上のドーム中央部に通路があり、そこから入って行くとその施設の器機の操作室に出るとの話でした。
私たちをその文字盤(と呼んでおきましょう)の周りに並ばせて案内の方はその場を離れてドームの天井へ上がり操作室へと入られました。何が起きるのか判らないまま私たちはじっとその文字盤を見つめておりました。すると様子が変化し始めました。
まず空気の色彩と密度が変わってきました。辺りを見ますと、さっきまでの光景が消え、円柱と円柱との間に細い糸で出来たカーテン状のものが広がっておりました。様々な色調の糸が編み合わさっています。それが見る見るうちに1本1本に分かれ、判然とした形態を整えていきました。
すっかり整え終わった時、私たちは周りを林によって囲まれた空地の中に立っておりました。そしてその木々がそよ風に揺れているのです。やがて小鳥のさえずりが聞こえ、木から木へと飛び交うきれいな羽根をした小鳥の姿が目に入りました。
林はなおも広がり美しい森の趣きとなってきました。ドームも消え、屋根のように樹木が広がっているところを除いては一面青空が広がっておりました。再び祭壇と文字盤に目をやると、同じ位置にちゃんとありましたが、文字盤に刻まれた図形やシンボルは祭壇の内部から発しているように思える明りに輝いておりました。
やがて上の方から案内の方の声がして文字盤を読んでみるようにと言われます。最初のうちは誰にも読めませんでしたが、そのうち仲間の中で1番頭の鋭い方が、これは霊界の植物と動物の身体を構成する成分を解説しているものですと言いました。
その文字盤と祭壇とがどのような関係になっているのかも明らかとなりましたが、それは人間の言語で説明するのはちょっと無理です。ですが判ってみるとなるほどと納得がいきました。そのあと案内の方が再び私たちのところへ来られ、その建物の使用目的を説明して下さいました。
ここの研究生たちが“創造”についての進んだ科学的学習を行うためには創造に使用される基本的成分について十分に勉強しておかねばならないようです。それは当たり前と言ってしまえば確かに当たり前の事です。
この建物は研究生が最初に学習する施設の1つで、例の文字盤は上の操作室にいる研究生が自分なりに考えた成分の組み合せやその比率などの参考資料が記されているのです。案内して下さった方はその道の研究で相当進んだ方で、さっきの森のシーンも同じ方法で拵えたものでした。
進歩してくると、その装置を使用しなくても思い通りのものが創造できるようになります。つまり1つずつ装置が要らなくなり、ついには何の装置も使わずに自分の意念だけで造れるようになる訳です。そこで私たちは、そうした能力が実生活においてどのような目的に使用されるかを尋ねてみました。
するとまず第1に精神と意志の鍛練が目的であるとの事でした。その鍛練は並大抵のものではなく大変な努力を要するとの事で、それが一通り終了すると次は同じくこの界の別のカレッジへ行って別の科学分野を学び、そこでもさらに多くの段階の修練を積まねばなりません。
その創造的能力が本当に自分のものとなり切るのは幾つもの界でそうした修練を経たのちの事です。その暁にはある1人の大霊、大天使、あるいは能天使(本当の呼び方は知りません)の配下に属する事を許され父なる宇宙神の無限の創造的活動に参加する事になります。その時に見られる創造の過程は荘厳を極めるとの事です。
お話を聞いた時はそれは多分新しい宇宙ないしは天体組織の創造 – 物的か霊的かは別として – の事かも知れないと考えたりしました。が、そんな高い界の事は現在の私たちにはおおよその概念程度の事しか掴めません。しかもそこまで至るには人智を絶した長い長い年月を要する事です。
もちろんそういう特殊な方向へ進むべき人の場合の話です。どうやらそこを訪れた私たち5人の女性にとっては、向上の道は別の方角にあるようです。でも、たとえ辿るべき宿命は違っても様々な生命活動を知りたいと思うものです。
全ての者が宇宙の創造に参加するとは限らないと私は思います。遥か彼方の、宇宙創造神の玉座に近いところには、きっと創造活動とは別に、同じく壮大にして栄光ある仕事があるものと確信しております。
芝生の外郭を通って帰る途中で、別の科学分野を学ぶために別のカレッジへ行っていた研究生の一団と出会いました。男性ばかりではありません。女性も混じっております。
私がその女性たちにあなた方も男性と同じ分野を研究しているのですかと尋ねると、そうですと答え、男性は純粋に創造的分野に携わり、女性はその母性本能でもって産物に円(まる)みをもたせる働きをし、双方が相俟って完成美を増す事になるという事でした。
もちろん完成美といってもその界での能力の範囲内で可能な限り美しく仕上げるという意味です。まだまだ天界の低地に属するこの界では上層界への進歩が目的であって、完璧な完成という事は有り得ないのです。やがて私たちはこの円形のコロニーの校長先生と出会ったところに帰り着きました。
– なぜそのお方のお名前を出されないのですか。
お名前はアーノルとおっしゃいます。少し変わったお名前で、地上の人間はとかく霊の名前に拘るので、出すのを控えていただけで他意はありません。霊の名前の由来はあなたには理解し難いのでこれ以後もただ名前を述べるに留めて意味には言及しない事に致します。
– そうですね。その方が回りくどい説明が省けていいでしょう。
そうなのです。でも私たちがこうして霊界の生活を説明する時の霊的情況の真相がもし理解できれば手間が掛るほど間違いが少ないという事が判って頂けると思います。例のアーノル様のコロニーでの私たちの体験と教訓を思い出して下さい。
– それにしても名前を出すという事がなぜそうまで難しいのでしょうか。難しいものであるという話は再三聞かされておりますが。
その難しさを説明するのがまた難しいのです。人間の立場から見れば何でもない事のように思えるでしょうけど。こういう説明ではどうでしょう。あなたもご存知の通りエジプト人にとっては神ならびに女神の名称には、頑迷な唯物主義の英語系民族(アングロサクソン)が考える以上に深い意味があったのです。
名前に何の意味があると言うのか – そう思われるかも知れませんが、私たち霊界人から観ると、そしてまた(こちらへ来てから得た資料で知ったのですが)古代エジプトの知恵から観ても、名前には大いに意味があるのです。
名前によってはそれを繰り返し反復するだけで現実的な力を発揮し、時には危害さえもたらすものがあります。地上にいる時は知りませんでしたが、こちらへ来てそれを知ったのです。
それで私たちは、あなたには多分愚かしく思えるかも知れませんが、“名前”という実在に一種の敬虔さを抱くようになるのです。最も物分かりの悪い心霊学者が期待するほどに霊界通信で名前が出てこないのは、それだけが理由ではありません。
こうして地球圏まで降りて来ますと、名前によっては単に口にしたり書いたりする事さえ、あなたが想像する以上に困難な事があるのです。その辺の事情は説明が難しいです。こちらの4次元世界の事情にもっともっと通じて頂かないと理解できないでしょう。
この“4次元”という用語も他に適当な用語が無いから使用しているまでです。では2、3の例を挙げてそれで名前の問題は終わりにしましょう。その1つは例のモーセが最高神の使者から最高神の名前を教えてもらった話(※)ですが、今日まで誰1人としてその名前の真意を知り得た者はおりません。
(※この説話は旧約聖書「出エジプト記3章」に出ているが、ステイントン・モーゼスの『霊訓』の最高指導霊インペレーター、実は旧約聖書時代の予言者マラキによると、これは紀元前130年頃の予言者、今で言う霊言霊媒チョムを通じて告げられたもので、その時の言葉は Nuk – Pu – Nuk 、英訳すれば I am the I am 、すなわち“私は有るがままの存在である”となり、宇宙の普遍的エッセンス、生命の根源をさすという – 訳者)
次はそれより位の低い天使がヤコブから名前を聞かれて断られています。アブラハムその他、旧約聖書中の指導者に顕現した天使は滅多に名を明かしておりません。新約聖書においても同じように殆どが“天使”と呼ばれているだけです。
名前を告げている場合、例えばガブリエルの場合(※)も、その深い意味は殆ど理解されておりません。(※同じく『霊訓』によると、ガブリエルは同じ大天使の中でも“守護救済”の任に当たる天使団の最高位の霊であり、ミカエルは悪霊・邪霊集団と“戦う天使団”の最高霊であるという – 訳者)
– ところであなたの名前 – そちらでの新しいお名前は何でしょうか。明かす事を許されているのでしょうか。
もちろん許されておりますが、賢明ではありません。明かした方がよければ明かします。でも差し当っては差し控えます。理由(わけ)はよく判って頂けなくても、あなたの為に良かれと思っての事である事は判って頂けるでしょうから。
– 結構です。あなたの判断にお任せします。
そのうちあなたにも判る日が来ます。その時は「生命(いのち)の書」(※)の中に記されている人々にいかなる栄光が待ち構えているかを理解されるでしょう。この書の名称も一考に値するものです。軽々しく口にされておりますが、その真意は殆ど、あるいは全然理解されておりません。
(※正式には Book of Life of the Lamb で「キリストの生命の書」。天国に召されるのを約束された聖人を意味するとされている – 訳者)ではあなたにもローズにもそしてお子たちにも、神の祝福のあらん事を。
ルビー(まえがき参照)が間もなく行けるようになると言ってちょうだい、と私に可愛らしく告げてます。“指図を書き留められる”ようになって欲しいなどと言ってますよ。まあほんとに無邪気な子ですこと。みんなから可愛がられて。ではさようなら。
■2024年1月3日UP■「最後まで完成してる」僕から降らせる霊言の原稿が霊界側で既に完成しているそうです(祈)†「霊的知識普及のための客寄せパンダ」というもので、霊団は試練の境涯である物質界から苦難の元凶(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁)を取り除く事はしない。取り除いてしまったら物質界の存在意義(刑務所としての機能)が果たせなくなってしまうので邪悪は残し続けるが、霊的知識拡散のための「客寄せパンダ」としてこの強姦殺人魔どもを最大活用した、という事なのではないか。さらに言うと「神の因果律」の一環として、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらに徹底的に恥をかかせるという目的も含まれていたのではないかと僕は思っているのです。僕はこのバカヤロウどもはインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」でイイと思っていますが霊界上層界の方々はそうは思っていなくて、何とかコイツらに反省させて進歩向上の糸口をつかませようとしているのかも知れない、それで大恥をかかせて心変わりをさせようとしているのかも知れない、なんて思ってみたりもするのです。そんなムダな努力する必要ネィだろ、コイツら(明仁、文仁、徳仁、悠仁)は絶対反省なんかできネィよ、人間失格なんだよ、霊の海に埋没して存在消滅すればイイんだよ(地獄より下という事)と僕は思うのですが上層界の方々は憐れみをもって眺めますのでそういう視点なのかも知れない…続きを読む→ ■2021年9月3日UP■「いい加減にしてくれジャマ」これはキリスト教の2000年の呪いという意味ではないでしょうか(祈)†インスピレーション「いい加減にしてくれジャマ」の説明に戻ってみましょう。これはつまり霊界サイドは物質界に正しい霊的知識を普及させようとして、それこそ2000年前のイエス様の犠牲の降誕の時からイヤそれ以前からずっと仕事をしている訳ですが、キリスト教という呪いが物質界に蔓延してしまった事で霊的知識普及の大事業が遅れに遅らされてしまった。それを受けての霊界高級霊の方々の「我々には成すべき仕事が山のようにあるんだよ、そろそろジャマも本気でいい加減にしてくれ」という意味が込められているのではないかと僕は思ったのです…続きを読む→