【2/23】霊界通信 ベールの彼方の生活 2巻 「天界の高地」篇 2章 人間と天使 1 暗闇の実在
1913年11月12日 水曜日
もしお互いが物事を同じ観点から眺めることが出来れば、いま問題としている事も容易に説明できるのであるが、残念ながら貴殿は原因の世界と結果の世界の間に掛かったベールの向こう側から眺め、私はこちら側から眺めているので、必然的に視野が対立する。
そこで何とか分かり易くしようとすれば、どうしても私の方が見地を変えて出来るかぎり地上的見地に立たねばならなくなる。そこで私は出来るかぎりそう努力しつつ、貴殿を吾々とともに高く創造の根源へ目を向けるよう呼びかけたい。
つまりは高き神霊の世界から発した思念が物的形態をとりつつ下層界へ至る、その自然な過程と流れを遡(さかのぼ)ってみたいと思う。界を遡ると、自然界の事物が下層における時とは様相が違うことに気づく。
言わば心理的映像へと変わり、内的視覚に訴えるようになる。が太陽と日没後の薄明との関係と同じく、物質界の事物、あるいは更に上界層の事物との間につながりがあることはある。
まずその光の問題から始めれば、地上では光は闇との対照によって知られる。つまり光の欠如した状態が闇であり、本質的には実体も価値も持たない。それ故、吾らが闇と言う時、目の網膜に外界の事物を印象づけさせる或る種のバイブレーションが欠如した状態を意味する。
さてベールのこちら側における霊的暗黒地帯においても同じ事情が存在する。つまり暗黒の中にいる者は他の者が外界の事物を認識する際に使用するバイブレーションが欠如している。
そのバイブレーションが受け入れられない状態下にあるということである。霊的感覚に変化が生ずれば、鮮明度は別として、ともかくも見えるようになってくる。
しかし同時に、そうした暗黒の下層界におけるバイブレーションは上層界に比して粗野である。そのために、暗黒界へ下りて行く善霊にとっては、たとえその視覚は洗練されていても暗闇はやはり暗闇であり、彼らに映じる光はぼんやりとしている。
これで理解が行くことと思うが、霊と環境との間には密接な“呼応関係”があり、それがあまり正確で不断で持続性があるために、そこに恒久的な生活の場が出来あがるのである。
この霊と環境との呼応関係は上級界へ上昇するに従って緊密となり、外界に見る光はより完全にそしてより強烈となって行く。故に、たとえば第4界に住む者が第5界へ突入しそこに留まるには、第5界の光度に耐え得るまで霊性を高めなければならない。
そして首尾よく第5界に留まれるようになりその光度に慣れ切ると、こんどは第4界に戻った時に – よく戻ることがあるが – そこの光が弱く感じられる。もっとも、事物を見るには不自由はない。が、更に下がって第2界あるいは第1界まで至ると、もはやそこの光のバイブレーションが鈍重すぎて事物を見るのが困難となる。
地上時代と同じように見ようとすればそれなりの訓練をしなければならない。こうして地上へ降りて人間を見る時、吾々はその人間のもつ霊的な光輝によって認識する。霊格の高い者ほど鮮明に見えるものである。
もしも視覚以外にこうした霊的鑑識力が具わっていなければ、吾々は目指す地上の人間を見出すのに苦労するものと思われる。が幸いにして他に数多くの能力を授かっているために、こうして貴殿との連絡が取れ、使命に勤しむことが出来るのである。
これで“いかなる人間も近づくことを得ぬ光の中に坐(おわ)す存在”という言葉の真意が理解できるであろう。地上にいる者にして、数多くの界の彼方まで突入しうる者はいない。そして又、その高い界より流れ来る光はよほど霊性高き人間の目をも眩ませることであろう。
考えてもみるがよい、この弥(いや)が上にも完全な光が天界の美について何を物語っているかを。地上には地上なりに人間の目にうっとりとさせる色彩が存在する。が、ベールのすぐこちら側には更に美しく、そして更に多くの色彩が存在する。これが更に高い界へ進んで行けばどうなるか。
色彩1つにしても思い半ばに過ぎるものがあろう。天界をわずかに昇って来たこの私が目にしたものですらすでに、今こうして述べている言語では僅かにその片鱗を伝え得るにすぎない。私にとっては地上の言語は今や外国語同然であり、同時に貴殿が蓄えた用語の使用範囲にもまた限度がある。
が、喜ぶがよい。美を愛する者にとって美は無尽蔵に存在し、また光と神聖さとは常に相携えて行くものであるから、一方において進歩する者は他方において大いなる喜びを味わうことになる。これぞ“聖なる美”であり、すべての人間的想像の域を超える。
とは言え、これは熟考の価値ある課題である。熟考を重ねる者には地上の美しきものが天界のより大いなる美を真実味をもって物語ってくれるであろう。天界において求めるのは生命のよろこびのみである。それは貴殿が誤らず向上の道を歩み続けるならば、いずれの日か貴殿のものとなるであろう。†
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