1913年11月8日 土曜日
これより暫しの間、貴殿の精神をお借りし、引き続き悪の問題と善との関係について述べたいと思う。善といい悪といい、所詮は相対的用語であり、地上の人間の観点よりすればいずれも絶対的という事は有得ない。
双方の要素を兼ね具える者にはそのいずれも完全に定義する事が出来ないのが道理で、ただ単に、あるいは主としてその働きの結果として理解するのみである。また、忘れてならない事は、ある者にとって善または悪と思える事が必ずしも別の者から見て善または悪とは思えないという事である。
宗教的教義の違い、民族的思想や生活習慣の違いのある場合にはそれが特に顕著となる。故に両者の定義の問題においてはその基本的原理の大要を把握する事で足れりとし、そこから派生する細部の問題は地上生活を終えた後に託する事が賢明である。
さて、悪とは法則として働くところの神への反逆である。賢明なる者はその法則の流れる方角へ向けて歩むべく努力する。故意または無知故にその流れに逆らう者は、たちまちにして行く手を阻まれる。そして、もしもなお逆らい続けるならば、そこに不幸が生じる。
生成造化を促進する生命は破壊的勢力と相対立するものだからである。故に、もし仮にその強烈な生命の流れに頑強に抵抗し続け得たとしても、せき止められた生命力がいずれは堰(せき)を切って流れ、その者を一気にし押流す事になろう。
が幸いにして、そこまで頑強に神に反抗する者あるいは抵抗し得る者はいない。故に吾々神の子の“弱さ”そのものが実はそうした完全なる破滅を防ぐ安全弁であると言えるのである。
比較的長期間 – 往々にして地上の年月にして何千年何万年にも亘って頑固に抵抗し続ける者がいないでもない。が如何なる人間も永遠にその状態を続け得る者はいない。そこに父なる創造神が子らの内と外に設けた“限界”があり、1人として神より見放され永遠にもどれぬ羽目に陥らないようにとの慈悲があるのである。
そこで、そうした神との自然な歩みから外(はず)れた生き方を観たからには、今度はその反対、すなわち全てが然るべき方角へ向っている状態に目を向けよう。確かに悪は一時的な状態に過ぎない。
そして全宇宙から悪の全てが拭い去られるか否かは別として、少なくとも個々の人間においては、抵抗力を使い果たした時に悪の要素が取り除かれ、後は栄光より更に大いなる栄光へと進む輝かしき先輩霊の後に続くに任せる事になろう。
この意味において、いつかは神の国より全ての悪が清められる時が到来するであろう。何となれば神の国も個々の霊より構成されているのであり、最後の1人が招き入れられた時は、今地球へ向けて行っているのと同じように別の天体へ向けて援助と救助の手を差し伸べる事になろう。吾々の多くはそう信ずるのである。
こうして地上に降り、今いる位置から吾々の世界との間に掛かるベールを透して覗いてみると、1度に大勢の人間が目に入る時もあれば、僅かしか見えない時もある。彼らは各々の霊格に応じてその光輝に差異が見られる。
神より吾々を通して地上界へ流れ来る霊的な“光”を反射する能力に応じた光輝を発しているという事である。薄ぼんやりと見える者がいるが、彼らはこちらへ来てもそれ相応の、あるいはそれ以下の、薄ぼんやりとした境涯へと赴く。
それ故、そこに居る者は各自その置かれた環境と雰囲気の中で極めて自然に映る事になる。そこがその人の“似合いの場所”なのである。譬え話でもう少し判り易く説明しよう。かりに闇夜にいきなり閃光が放たれたとしよう。
暗闇と閃光の対照が余りに際立つために見る者の目に不自然に映る。閃光は本来そこに在るべき物ではなかった。ために暗闇に混乱が生じ全ての者が一瞬その動きを止める。暗闇の中を手探りで進みつつあった者は目が眩んで歩みを止め、目をこすり、しばらくして再び歩み始める。夜行性の動物も一瞬ぎょっとして足を止める。
しかし同じ閃光が真昼に放たれたとしたらどうであろう。当惑する者は少なく、更にこれを太陽へ向けて放てば陽光と融合して、そこに何の不調和も生じないであろう。
かくして強い光輝を発する高級霊はその光輝と調和する明るさをもつ高い境涯へと赴く。むろん高級霊の間にもそれなりの差があり、各霊がそれ相応の界に落ち着く。反対に霊的体質の粗野な者は、それに調和する薄暗い境涯に赴き、その居心地よい環境の中で修身に励むのである。
むろんそこが真の意味で“居心地のよい”環境ではない。ただ、より高い世界へ行けばその光輝と調和しないために暗い世界より居心地が悪いというに過ぎない。そこに居心地よさを感じるためには、自分の光輝を強めるほかはない。
地上を去ってこちらに来る者は例外なく厚い霧状の“とばり”に包まれている。が、その多くはすでに魂の内部において高い界に相応(ふさわ)しい努力の積み重ねがある。そうした者はいち早くより明るい境涯へと突入して行く。
今、遥か上空へ目をやれば、そこに王の道 – 地球の守護神の玉座の坐(ましま)す聖都へ通ずる道が見える。吾等はその道を1歩1歩進みつつある。そして1歩進むごとに光輝が増し、吾々も、そして吾々と共に歩む同志たちも、美と光輝とを増して行く。
その中途において特別の許しを得て、それまで辿ってきた道を逆戻りし、期間はその必要性によって異なるが、地上の者を吾々の辿ってきた光と美の道へと導く仕事に携わる事ができるのは、吾々の大いなる喜びとするところである。
貴殿の守護霊として私は、貴殿が現在の心の姿勢で臨んでくれるかぎり、吾々霊団と共にこの仕事を続ける所存である。貴殿はそのつもりであると信じる。が、よくよく心してもらいたい事は、勇躍この仕事に着手したものの、新しい真理の光に目が眩み猜疑心を抱いてより暗い道、つまりは己れの魂の視力に相応しい段階へと後戻りする者が多い事である。
去る者は追わず。吾らはその者たちを溜め息と共に見送り、新たなる人物、吾々の光輝に耐え得る人物を求める。惜しくも去れる者は、時の経過と共に再び目醒めて戻って来るまで待つ他はないのである。
願わくば神の御力によって、貴殿が足を踏み外す事なく、また目を曇らされる事もなく進まれる事を祈る。たとえ地上の言語で書き表せない事も、少しでも多くを綴ってもらうべく吾らとしても精一杯の努力をするであろう。
貴殿を通じて他の多くの者がそれを手中にし、そこに真理を発見し、なお勇気があれば自ら真理の扉を叩き、その光輝と栄光を手にする、その縁(よすが)となればと願うからである。†
「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†
物理霊媒の場合は単純にエクトプラズム量が多い人間を霊媒として使用し、その人間の性格、霊格は関係しないという事なのだそうですが、霊言霊媒という事になるとその霊媒の人間性、人格、霊格が降らせる霊言のクオリティに大きく影響するのだそうです。つまり霊媒の霊格が低ければ降らせる霊言も程度の低い、クオリティの落ちたものになる、イヤ、そもそも支配霊とその人間との間に霊格の差がありすぎて融合する事ができず霊媒として使用できないという事もあります。逆に霊媒の霊格が高ければ高いほど支配霊は語りたい事を自由に語れるようになり、霊言のクオリティが上がるという事になります。支配霊をリーダーとした交霊会運営のための霊団側は高いレベルの霊言を降らせる準備が常に整っています。しかしそのクオリティを維持しながら物質界に霊言を降らせる事は至難の業で、霊媒側の受容能力、信頼感の欠如、霊格の低さ等が障害となって、だいたいにおいて霊側が犠牲を強いられる事になり、当初予定していたものよりクオリティの低い霊言を降らさざるを得なくさせられるのが常のようなのです…続きを読む→
「進化とはなかよしの事」深いインスピレーションですが僕には耳が痛いですね(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の情報拡散だけは徹底的に僕にやらせて、僕の次の世代の使命遂行者が仕事をやりやすいように畑だけは耕しておくが、滅ぼす事は僕の代ではやらない。霊団はタダ僕にその苦しいタネ蒔きを続けさせて霊的に向上させて帰幽させる事だけを考えていたのではないか。交霊会やるやるとずっと言い続けてまるっきりやろうともしない、サークルメンバー問題も全く解決させようともせず交霊会をおこなう環境など全然整っていないのに、ただ口だけ延々とやるやる言い続けてくる。これもどう考えてもおかしい。バーバネル氏が支配霊というのもおかしい。物質界生活中に僕にできるだけ霊的知識を獲得させておくために交霊会交霊会言い続けてお勉強させるのが真の目的だったのではないか。つまり僕の仕事の本当の舞台は霊界であって、帰幽後にイエス様(さすがに直で仕事を賜る事はないと思いますが間接的にはあるかも知れません)から言いつけられる仕事をおこなう事の出来る霊的知識および霊格を物質界生活中に身につけさせるためにムチャクチャな試練を浴びせられているという事なのではないか…続きを読む→
「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†
【神】が経綸するこの全宇宙には目的があり、それは「進化」の一語に尽きると思います。全天体、全存在(生命)が進化を目的として永遠とも思える霊的向上の旅を続けています。霊的進化のゴールと言える至福の境涯ニルバーナは存在せず、神の御胸に向けての永遠の進化の旅が続くのですが、僕たちが現在在籍している地球圏は神が経綸する全宇宙の中のほぼ最低ランクの存在の場であり全く進化が足りません。イエス様を最高指揮官とした地球圏経綸の任に当たる天使の方々は、物質界の知的暗黒時代(特に中世ヨーロッパ)を打破して霊的知識を普及させるべく「スピリチュアリズム」を勃興させました。これまでの地球圏霊界でこれほど大々的な計画が実行に移された事はないそうです。イエス様がそこまでしなければならなかった理由は、物質界で学ぶべき事を何も学ばずに無知のまま帰幽して下層界にたむろする、シルバーバーチ霊の言葉を借りれば「難破貨物」ともいうべき低級霊があふれかえってそれがいよいよ上層界にまで悪影響を及ぼし始めてきた事が一因だそうです…続きを読む→