書籍2冊到着中、うち「I Appeal Unto Caesar」の翻訳が大問題、さっそくテストしましたが(祈)†

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ハァ、ハァ、長文撃ち終わって疲れたのにまだ作業がある。2冊到着したうちの「I Appeal Unto Caesar」コチラがよく買えたなぁ、よく届いたなぁという奇跡的書籍で、しかも状態も結構よくてビックリ。さっそく少しスキャンしてOCR変換およびGoogle翻訳をおこないました。このようになりました↓

CHAPTER I
Now I would capture again a thread of Paul’s journey.*
The Pentecost ship, as the chronicler hath named it, sailed from the coast of Pamphylia and made a fair way in the ripening year. Paul gazed again upon Cyprus and bethought him of that gallant brother Barnabas who had perished there, giving his life for his faith in Christ Jesus.
On that day a cloud gathered about the spirit of the Saint. But it lifted when, in the far distance, he perceived the dark shape of the Mount of Carmel. It spoke to him of home, of his own people who now might reject him. It stood out darkly and gave remembrance to Paul of the malice of his enemies. Peradventure they already awaited him on the road to Jerusalem, peradventure the knife and the slayer had already been appointed, the unknown earth chosen for the concealment of his corpse.
“And I shall hail such a man as my deliverer," said Paul to Luke. “I shall be delivered from the death we call life, I shall rise into the company of Barnabas, of Saul my father and my beloved. At last I shall be free from all hatred, and at peace.
In a little while the ship drew nigh to Tyre. When anchor had been loosed, the travellers sought out the brethren in that town. Paul was glad once more, for he came upon Mark; and now Mark was no longer the doubter, he was the friend and the pupil of Paul. He hailed him as a master and caused the chief merchant in the town to give him lodging, praying him to abide in that city.
* Acts XXI


第 1 章
ここで、パウロの旅の糸をもう一度とらえたいと思います。*
年代記作者がペンテコステ船と名付けたこの船は、パンフィリアの海岸から出航し、実りの年を順調に航海しました。パウロは再びキプロス島を眺め、そこでキリスト・イエスへの信仰のために命を捧げて亡くなった勇敢な兄弟バルナバのことを思い起こしました。
その日、聖人の精神の周りに雲が集まりました。しかし、遠くにカルメル山の暗い形が見えると、雲は晴れました。それは故郷、今や彼を拒絶するかもしれない自分の民のことを彼に語りかけました。それは暗く浮かび上がり、パウロは敵の悪意を知らされた。彼らはすでにエルサレムへの道で彼を待ち受けていたかもしれないし、ナイフと殺人者がすでに用意されていたかもしれないし、彼の死体を隠すために未知の土地が選ばれたかもしれない。
「そして私はそのような人を私の救世主として迎え入れるだろう」とパウロはルカに言った。「私は私たちが命と呼ぶ死から解放され、バルナバや父であり愛するサウルの仲間に復活するだろう。ついに私はすべての憎しみから解放され、平和になるだろう。」
しばらくして船はティルスに近づいた。錨が降ろされると、旅人たちはその町の兄弟たちを探しに出た。パウロは再び喜んだ。マルコに出会ったからだ。今やマルコはもはや疑う者ではなく、パウロの友人であり弟子だった。彼は彼を師匠と呼び、町の商人の長に宿を貸してもらい、その町に留まるように頼んだ。
* 使徒行伝 21


There were many believers in Tyre. For Mark and Peter had visited it in several seasons. These brethren welcomed Paul and revered him as the chief witness for Christ in the western world. Paul’s host spoke wrathfully of the plotting of the priests in Jerusalem against the Saint, offered him his possessions and declared that he was a glory to the race of the Jews. Wherefore Paul rejoiced, because he perceived that certain of his own people loved him despite the enmity of the powerful ones among them. On the first day of the week a great company assembled. Seven young men, clad in white robes, came forth at the hour when prayer was ended and all watched for the Spirit. One by one these youths passed by Mark, and each in turn halted before the white-haired saint, speaking with closed eyes, giving forth the Spirit’s holy word.
“Go not up to Jerusalem," each of the Seven declared. “Sorrow will be heaped on sorrow if thou dost follow the road that leadeth to the Temple of Zion. Turn backwards. Go west- wards. For verily, in the east there is only darkness for thee, and the hidden evil. Beware of the scribes, for they commune together, designing thine overthrow. Beware of the Pharisees, they cannot forgive thine offering to God of the souls of many thousands of the Gentiles. Beware of the Sadducees, for they would have thee pounded into little pieces as by a pestle in a mortar. Beware of the priests, who in this hour, devise a cunning snare for thee; so that they may set the seal of dumbness upon thy lips and hold thee in silence in the hidden places; so that the Gentiles may no more hear the voice of their shepherd upon the hillside.


ティルスには多くの信者がいました。マルコとペテロが何度か訪れていたからです。これらの兄弟たちはパウロを歓迎し、西方世界におけるキリストの主要な証人として彼を尊敬しました。パウロの主人は、エルサレムの祭司たちが聖人に対して陰謀を企てていることを憤慨して語り、彼の財産を差し出し、彼がユダヤ人の種族の栄光であると宣言しました。そのためパウロは喜びました。なぜなら、彼らの中の権力者たちの敵意にもかかわらず、自分の民の一部が彼を愛しているのに気づいたからです。週の初めの日に、大勢の人々が集まりました。白い衣を着た7人の若者が、祈りが終わる時刻に現れ、皆が聖霊を待ちました。これらの若者たちは一人ずつマルコのそばを通り過ぎ、白髪の聖人の前で立ち止まり、目を閉じて話し、聖霊の聖なる言葉を語りました。
「エルサレムへは上って行かないでください」と7人全員が宣言しました。 「もしあなたがシオンの神殿に通じる道をたどるなら、悲しみは悲しみに重なるだろう。後ろを振り向いて、西へ行きなさい。まことに、東には暗闇と隠れた悪があるだけだ。律法学者に気をつけなさい。彼らは共謀して、あなたの打倒を企んでいる。パリサイ人に気をつけなさい。彼らは、あなたが何千もの異邦人の魂を神に捧げたことを許すことができない。サドカイ人に気をつけなさい。彼らは、すり鉢の中の杵であなたを粉々に打ち砕こうとする。祭司たちに気をつけなさい。彼らはこの時に、あなたに巧妙な罠を仕掛ける。彼らはあなたの唇に沈黙の封印をし、隠れた場所であなたを黙らせようとする。異邦人が丘の上の羊飼いの声をもう聞かないようにするためだ。」

えっと、細かい「気になる部分」はある事と思いますが、思ったより読める、そんなに神経質にならなければ全然フツーに読めるレベルで変換してくれています。やっとの思いで入手した書籍ですから一気にスキャン、翻訳までやってしまいましょう。この機械翻訳の文章のままWordPressにUPしてもイイような気がしてきた。

ハァァ長文ブログの内容で語りたい事もあるのですが、もう限界。チョト休ませて下さい(祈)†

「ヒューマノイド同士で争ってる場合じゃない」イヤ、宇宙方向に舵を切らない方がイイと思うんだけど…(祈)†■2024年6月26日UP■
「ヒューマノイド同士で争ってる場合じゃない」イヤ、宇宙方向に舵を切らない方がイイと思うんだけど…(祈)†
「宇宙には現時点の地球人類が想像も及ばないほどの脅威(邪悪)が待ち受けている、その問題に対処できるようになるまで人類が進歩向上するのはまだずっと先の話だ。まず自分たちの問題を自分たちで解決できるようにならなければ宇宙に進出する資格はない」といった感じの意味ではないでしょうか。自分たちの惑星の問題すら解決できない未熟な状態で物的手段のみを駆使して宇宙に進出すれば(新スタートレックでいうヴォーグのような)自分たちが克服できない巨悪に遭遇するハメになり、5世紀も10世紀も後戻りさせられる事になる。霊団はそういう警告を発しているのではないでしょうか。これは僕も宇宙書籍を読んでみて大賛成です。まず大前提として自分が霊的存在であり生命が永遠である事、物質界人生の賞罰が霊界で清算される事、物的事象は低次元の現象であり、僕たちはより高次元のモノに目を向けねばならないという事、僕たち地球人類がまず到達しなければならない目標は宇宙進出ではなく「ベールの彼方の生活」にあるように「イエス様の顕現」であるという事…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†