『ベールの彼方の生活③』3章 天界の経綸【1 寺院の建造】
『ベールの彼方の生活③』3章 天界の経綸【1 寺院の建造 1917年11月27日 火曜日】話題はこちらで用意してあり、いつでも述べられる態勢にあります。再び貴殿の精神をお貸し頂きたい(※)。こちらで進行中の仕事を吾々が監督する要領を知って頂くために、→
『ベールの彼方の生活③』→つい最近吾々の界で起きた出来事をぜひ貴殿に語って聞かせたいと思うのです(※前にも延べた事ではあるが霊界の者から見ると人間の精神は人間自身が想像している様な無形の観念ではなく具体的な実質があり触れると実感がある。訳者)
『ベールの彼方の生活③』それは他でもない寺院風の建物の建造です。その建造の目的は強いて言えば天界のエネルギーが地上へ届き易いようにそこで調整する為である。今ゆっくりと最後の仕上げをしており完成も間近い。これよりまずその建物に使用する資材を説明し、続いてその用途を述べるとしよう。
『ベールの彼方の生活③』資材には様々な色彩と密度とがある。さりとて地上の如くレンガや石等を積み重ねるのではない。全体として1つなのである。吾々は設計図が出来上がった所で、こぞって予定された敷地へ向かった。その敷地は第5界の低地と高地の中間に位置する台地にある。
『ベールの彼方の生活③』なお吾々の通信における界層の数え方はザブディエル殿に倣っている事を承知されたい。数え方は霊団によって様々ですが貴殿にとっては既に親しんでいるものが良かろうという事でそうする事にしました。またそれが他の数え方と較べてなかなかうまく出来ています。
『ベールの彼方の生活③』他のものはあまりに複雑すぎたり、反対にあまりに大ざっぱすぎたりします。その点ザブディエル殿の数え方は言わば中庸を得ているので、ここではそれに倣う事にします。さて敷地に到着すると吾々は、まず全員の創造エネルギーを一丸とするための精神統一を行なったのち、→
『ベールの彼方の生活③』→そのエネルギーを基礎工事へ向けた。するとそのエネルギーが敷地からゆっくりと湧き出てきて、そのまま高く伸びて頂上にドーム形の屋根を拵えた。
『ベールの彼方の生活③』そこへ大天使が姿を現し、吾々のエネルギーを1つにまとめて一旦ご自分の霊力の中に収められ、それを少しずつ放射しつつ穏かに吾々の仕事に細かい手を加えられた。その間、吾々は念波の放射を手控えて見守っていた。
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『ベールの彼方の生活③』何ゆえ大天使までお出ましになるのか―貴殿にはそれが不思議に思われるであろう。理由を述べよう。1つの霊団として我々もそれ相当の修養を積み、協調的仕事にも長い間携わってきた。しかし脆弱な第一段階の基礎工事の仕上げに当っては、→
『ベールの彼方の生活③』→吾々よりはるかに強烈な霊力をお持ちの大天使によって吾々の放射したエネルギーを調節して頂く必要がある。それを怠ると形体にキズが残ったり、思わぬ不備から構造が崩れせっかくの努力が烏有に帰する事も有り得る。
『ベールの彼方の生活③』その他にも理由はあるが、それは吾々の言語を理解してもらえない以上は説明困難です。もっとも次のように考えて頂けば手段はともかくとして理由だけはたぶん分って頂けるであろう。
『ベールの彼方の生活③』つまり原理的に言えば誕生時の“へその緒”の切断、死亡時の“たまの緒”の切断、もしくは堰の水門の急激な閉鎖、大体そういったものに類似したものを想像していただけばよい。そうすれば地上の言語で表現できないものを、おぼろげにでも理解して頂けるでしょう。
『ベールの彼方の生活③』こうして第一期工事はまず外形の完成に集中する。あくまでも外形であって、そのまま手を引けば見る間に消滅してしまう。一服したのち吾々は引き続き第二期の基礎工事に着手した。第二期は柱、門、大小の塔を強固にする事である。
『ベールの彼方の生活③』最下部から始めて徐々に上方へ向けて手を加えて行き、最後にドームにまで達する。これを幾回となく繰返した。まだ外形のみでである。が外形としては一応完成した。
『ベールの彼方の生活③』残るは色彩を鮮明にする事と、細かい装飾、そしてそれが終ると最後に全体を引き締めて幾世紀にも亘る持続性を与える事である。吾々は暫し工事に携わっては休み、その間にエネルギーを補充し、再び工事に着手するといった過程を幾度となく繰返し、→
『ベールの彼方の生活③』→その寺院風の建物に全身全霊を打ち込んだ。美の創造に携わる事ほど楽しく且つ有難いものはない。吾々の建造せるその建物は大きさといい、デザインといい並外れて雄大なものであり同時に又その雄姿が自分達の力で着々と美しさを増していったのであるから尚の事であった。
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『ベールの彼方の生活③』こちらの世界における建築が全てこれと同じ方法で行なわれるとは限らない。が、いかなる方法にせよ出来上がったものは建築家による建造物というよりは“我が子”のような存在となる。全てが建造者のエネルギーと創造力によって造られたものだからです。
『ベールの彼方の生活③』そうして出来上がった建物が、のちにその建物において仕事をする者の理想に叶っている事も論を俟たない。何となれば、その建物には既に生命がこもっている。意識的生命ではないが一種の“感性”を宿しているからです。
『ベールの彼方の生活③』こう言えばよかろうか。つまりこちらの世界の建物とその創造者との関係は、言うなれば肉体とそれに宿る霊との関係のようなものである。肉体と霊とは覚醒時は言うに及ばず睡眠中でも常に連絡を保持している。
『ベールの彼方の生活③』それと同じく吾々建造者はたとえ完成後に各地へ分散しても、常にその建物を“意念の焦点”として互いに連絡を取り合っているのです。
『ベールの彼方の生活③』その生き生きとした実感と満足感は実際にこちらへ来て創造の仕事に携わってみなければ判らないであろう。もっとも、こちらへ来た者の全てが創造の仕事に携わるとは限らないが…。
『ベールの彼方の生活③』さて建物としての一応の形が整い、さらにそれを強固にし終ると、あとに残された仕事は内部装飾の仕上げである。すなわち各室、ホール、聖堂等々にそれなりの装飾を施し、柱廊は柱廊らしく仕上げ、噴水には実際に水を通してその流れ具合を確かめる。
『ベールの彼方の生活③』それをするのに吾々はまず外部に立って念波を送り、それから内部に入って仕上がり具合を点検する。手先はあまり使用しない。主役をつとめるのは頭と心である。
『ベールの彼方の生活③』そこまで終了すると、以後は吾々が実際にその建物で生活して、地上の言い方をすれば毎日のように部屋から部屋へ、ホールからホールへと足を運び、設計図に照らして少しずつ手直しをする。そして最後に全体を美しく飾って終りとする。
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『ベールの彼方の生活③』こうして吾々による仕事が完了した暁に、恐れ多くも大天使が再度はるか高遠の世界から降りてこられ、細かく点検して回られた。そしてもし不備の点があれば大天使みずから手を加えられた。が、時として吾々の勉強の為を思われて吾々に直々にお言いつけになる事もある。
『ベールの彼方の生活③』かくして落成の日が訪れると、その大天使がもう一人の大天使を伴って再びお出でになられた。霊格がさらに上の方である。その権威はイスラエルで言えばアロン(※)とその弟子達のそれにも相当しよう。
『ベールの彼方の生活③』ギリシャなら神官、キリスト教ならば主席司祭にも相当しよう。その時の目的は建物の“聖化”とでも呼ぶべきものである。(※ユダヤの最初の大祭司。モーセの兄―訳者)
『ベールの彼方の生活③』【献堂式(※)でしょうか。(※新築の教会堂を神に奉納する儀式―訳者)】それで良かろう。地球を含む低級界とを結ぶ保護のための拠点となり同時に又、それ以後そこに住む人々が神の恩寵と霊力に与る中継の場となるのである。
『ベールの彼方の生活③』地上の寺院は天界の寺院のお粗末な模倣にすぎない。が、その目的と機能は本質的には同一である。イスラエルにおいては雲が地上界とエホバ神との中継をすると考えられた。古代エジプトにも同じ考えがあった。
『ベールの彼方の生活③』ギリシャの都市国家においては寺院の霊的活力が衰えていたが、まだ少しは残っていた。イスラエルにおいては天界からの援助と高揚という特殊な側面には全く関心を示さないようである。
『ベールの彼方の生活③』私はイスラムの霊界を訪ねてみた事があるが、そこには顕幽の交わりが根本的に違った形で行われている事を知った。キリスト教の(霊界の)教会堂にも同じくその観念はあるが、程度の差が著しい。
『ベールの彼方の生活③』キリストを祀る幾つかの教会堂においてはキリストとその側近の大天使の顕現がもう少しで見られる段階に至っている。実際に見られるようになるのも遠い先の話ではなさそうに私には思える。
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『ベールの彼方の生活③』そういう次第で地上の寺院も基本理念においては同じものをもっており、遠い過去が引継がれているのであるが、それがこちらの世界では目に見えて霊験あらたかとなり見た目に美しくもあり、天界の高地へ向けて1界又1界と上昇していく者への祝福に満ち満ちているのである。
『ベールの彼方の生活③』【今回お建てになった寺院には特別な使用目的があるのでしょうか。】あれは第5界の各地、時にはそれより下の界から訪れる者が身を浸すエネルギーの貯蔵所としての機能を開始しかけている所です。
『ベールの彼方の生活③』訪れた者は色彩の持つ霊妙な波動に浸り、堂内を流れる生命を秘めた小川と噴水に身を洗われ、すみずみまで漲る霊妙な旋律に包まれて欠乏した生命力を補い、鈍化した知力を啓発される。そこに注目されたい。単なる保養所ではありません。もっと“質の高い”機能を有している。
『ベールの彼方の生活③』それから先の魂の向上の旅に備えて体力をつけ、入手する知識を即座にそして効率よく理解する知性を身につける場でもある事は確かであるが、同時にその聖堂を焦点として愛と生命力を注ぎ、彼ら巡礼者の向上を待ち受ける高級神霊との霊的交わりを得る所でもあるのです。
『ベールの彼方の生活③』【向上する者は必ずそこを通過しなければならないのでしょうか。】そうと決っている訳ではありませんが第5界の者は大半がそこを通過します。この界は永く滞在する者がわりに、いや随分多い所です。
『ベールの彼方の生活③』各自の特性を点検し調整して円満さを身につけなければならない大切な界だからです。(第2巻8章参照)その意味では卒業しにくい界であり、滞在が永びいている者が多く見出される理由はそこにある。
『ベールの彼方の生活③』聖堂の建立もそのためであった。その必要性が生じたのである。出来あがってまだ日も浅く、これからいろいろと機能を発揮していくことであろう。また経験を積むにつれて細かい手直しも施される事であろう。
『ベールの彼方の生活③』が、その聖堂まで来て中を覗いてみて学ぶべきものが特に見当たらず、自己の中に改めるべきものも見当たらないほどの“ゆとり”をもってこの界を卒業していく者もいる。
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『ベールの彼方の生活③』そうした優等生的霊魂はさっさと上の界へと進み、その道すがら祝福を垂れ、通過する道が一段と輝きを増すほどである。近くの者はそれを有難がり、その姿を見て勇気を鼓舞される。
『ベールの彼方の生活③』地上ではこうした事は見かけぬであろう。が第5界まで向上した者は品性卑しからず、己より美しく且つ高き霊力を具えた者を見る事が己れ自身の美徳を高め、かくして“全て神の子”の真実味をいやが上にも確認する事になるのである。
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