んー想うところがあり「光の十字架」を再び作成、撮影したいと考え始めています(祈)†
「なぜ僕が「光の十字架」の撮影にこだわるのか」
wp.me/pa9cvW-h7
ムービー「光の十字架、折れちゃいました(笑)」
youtu.be/9UilP269mnY
過去このようなモノもUPしていますように、まるで背中にツ-ハンドソードを背負うようにデカい長い十字架をザックに装備して山にアタックし撮影していた時期が、ホンの一時期でしたがありました。その時のようなデカい十字架はブログで説明もありますように資金の関係でもう作れないのですが(透明アクリル板、高いんですよ)ザック内にしまえるレベルの小さな十字架ならいけるのではないか、小さくても反射テープを使って目立たせてまぁまぁの「光の十字架撮影」ができるのではないか、そんな事を再び考え始めています。んー説明しても皆さまにはご理解頂けませんが、
ブログにありますように霊体の僕の首には「十字聖団体」という霊界に存在する組織から賜った「細身のシルバーのクロス」が付いています。霊性発現初期の頃に十字聖団体の代表の女性と固い握手を交わした時、その横で守護霊様はうれし泣きをして下さいました。僕は現在仕方なく肉体をまとって物質界に残されていますが、心はとっくに霊界生活に突入しているのです。僕をここまで進歩向上させて下さった守護霊様への感謝の気持ち、そしてイエス様との男と男の鉄の約束を完璧に果たし切る決意表明として、やはり山での撮影に「光の十字架」を使いたいと思うようになってきました。今回は小さな十字架を作るつもりですが、その「光の十字架」に僕の想いの全てを込めたい、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を確実に死刑に追い込むその決意を具現したい衝動にすごく駆られてきました。小さく安く作りましょう。僕が作る「光の十字架」はイエス様と守護霊様への想いを込めたものであって、断じてキリスト教的意味を持たせたものではありません。キリスト教は「人類の呪い」であり、2千年の長きに亘ってキリスト者はイエス様を冒涜し続けてきました。
「跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)」 wp.me/pa9cvW-3t 参照。イエス様の御名を悪用し悪行の限りを尽くしてきたキリスト教者と同じに思われるのは究極に心外ですので(その事実を知らず真面目な動機でキリスト教者になった神父であったとしても、です)僕はデザインの人間であり宗教と名の付くものを最大級に軽蔑している事をここに強調させて頂きます。なぜなら宗教も政治も全てウソで塗り固められているからです。国民をダマし金をむしり取る仕組み満載で、昔の悪人が考え出して現在まですっかり固着してしまった、まさに「人類の呪い」なのです。まぁそれはともかくもう1回「光の十字架撮影」トライしてみましょう。霊団の導きに従って怒涛にブログを書き続けても一向に強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑に追い込む事ができない現状に相当のフラストレーションを感じてのアイデアとなります。「イエス様ハンドリング」を完全達成せずして僕の残された地上人生があるものか。幼い奴隷の女の子たちをイエス様の御名にかけて必ず救出します(祈)†
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