【7/22】霊界通信 イエスの成年時代 神と人間のはざまで 2 隠者の変容
イエスには2つの考えがあった。ひとつは、ガリラヤにいる母や叔母のマリヤ・クローパスの所に行くことであった。もうひとつは、生まれて始めて出会った高潔な聖者と共にこの山の中で暮らすことであった。
しかし彼のガリラヤへの思いは強く、ついに故郷へ帰ることにした。ある日の朝まだ暗いうちに起き上がり隠者に別れを告げた。隠者は眉をひそめ、イエスに合図を送った。それはここに止どまっていなさい、出てはならないという意味のサインであった。
しかしイエスは故郷が自分を呼んでいると言った。隠者は悲しみに満ちた目付きで、ここに止どまって欲しいというサインを示した。おだやかで礼儀正しい若者は、心から求めている隠者の願いをはねつけることはできなかった。イエスはいったん旅立つことを断念し、水のある所に行って身を清め、隠者の赴く後について行った。
そそり立つ岩の裂け目をくぐりぬけるように歩いて行くと、余り広くない平地にやってきた。あたり一面にタベの露がたまって水たまりができていた。隠者が好んで訪れる庭で2人とも太陽が中天にあがるまで働いた。穴ぐらに帰ってから隠者はイエスのためにとっておきの食事を用意した。野性のハチミツとイナゴであった。
食事をすますと隠者は瞑想に入った。それから1時間ほど眠った。彼は夜通し瞑想を続けるので、ひるごろに1時間程眠ることにしていた。イエスは彼のそばでじっと見守り彼が妙な夢を見ていることを感じた。
隠者が眠りから覚めると、例の庭に行き、ひざまずいて祈り始めた。イエスも一緒についていった。しかしイエスは沈黙を破り、天の御父に対して喜びの賛美を歌い始めた。イエスの歌声はフルートのような音の響きではなく、ガリラヤ湖畔に押し寄せる波のような深い音色であった。
おし黙っていた隠者も沈黙を破り、歌い始め、周囲の山々までも歌声に耳を傾けるのであった。
『主をほめたたえよ、主のしもべたちよ、ほめたたえよ、主の御名をほめたたえよ。今よりとこしえに至るまで、主の御名はほむべきかな。日の出ずるところから、日の入るところまで、主の御名は、ほめたたえられる』(旧約聖書、詩篇 – 113の1 – 3)
この時のイエスは、再び光に包まれていた。陰気な隠者でさえ賛美の歌には逆らえなかった。隠者は従来の戒律を破り、立ち上がって岩によりかかり、イエスの賛歌にじっと耳を傾けていた。
突然イエスは涙ぐんだ。その涙は、あたかも砂漠で出合った泉のように、彼の魂の渇きを癒した。日没までそのままで瞑想を続けた。その時のイエスには、完ぺきな形で神が宿っておられたと、後になって弟子に語ったと言われている。イエスが成人して始めて行った奇跡である。
3日間この2人は一体となって、すべてのものを分かち合った。その後は沈黙の戒律が破られるようなことは無かった。しばしばイエスに質問したい衝動にかられることもあった。しかし偉大な精神の持ち主は、最後まで沈黙の誓いを破ることは無かった。2人は深い神秘的なものによって固く結ばれていたのである。
イエスのガリラヤへの思いは断ちがたかった。日の出にさえずる鳥の声のように、彼の心をさそった。3日目になってイエスは再び天の御父に対して喜びの詩篇をうたった。谷間はすでに暗くなっているのに、彼の放つ神秘の光が輝いて、不毛な岩山を明るく照らしていた。
イエスは隠者に言った。「あなたと一緒にいる間、これからどうするかを考えてきましたが、もうその心配はなくなりました。私はやはりここから出てまいります」隠者はうなずいた。
イエスは続けて言った。「真理を真剣に求める求道者には、二通りの行き方があります。1つは、あなたのように選ばれた方が瞑想のうちに生きる道です。常に沈黙を守り、めったに口を開くことはありません。話すとすれば、罪のない鳥やけものたちに知恵を授ける時でありましょう。
断食と瞑想によって霊性を高め、真理の道を追求するのです。しかし悪霊は、町の中にたくさんいるように、荒野にもいるのです。聞くところによりますと、荒野が彼らの住みかというじゃありませんか。だからこそ、よほどの強い魂でなければ荒野で平静に暮らすことはできません。」
隠者は深くうなずいた。隠者も悪霊との戦いで疲労と憂うつに悩まされてきたからである。イエスはなおも続けて言った。「私が、もう1つの道を選んだのは、このような悪霊を恐れているからではありません。私は人々の間で暮らしたいのです。荒野で暮らすことは私自身の救いだけに専念することになります。
瞑想のうちに真理を求めることができたとしても、私はあなたの弟子となってここに留まることはできないのです。私には天の御父から託されていることを遂行しなければならないのです。」
イエスが最後にのべた言葉には、特に力がこめられ、第三者の疑いをさしはさむ余地はなかった。「私の目的は、第2の道を歩むことです。人との交わりを通して神の務めを果たすのです。なんといっても、あらゆるタイプの人間と交わることによって、人の歩むべき道、究極の真理、生命の尊厳を見いだすことが必要なのです。このようにして、私は神の御心を実現していけると思います。
母や兄弟がいるナザレに参ります。でも彼らと一緒に暮らすつもりはありません。他に私の住む所をみつけ、自分の手で働きます。仕事はなんでも厭いません。大工、農夫、漁師、羊飼い、それもなければ、さまよえる人でもよいのです。きっとガリラヤの人々が味わっている悲しみ、苦しみ、心配事などが分かってくると思います。
そこで、解決するドアをたたかせるのです。重荷を少しでも軽くして心が休まるようにしてあげるのです。貧しい人々や年老いた人人の必要としているものを少しでも満たしてあげたいのです。人はみな同じであり、特に汚れた人がいるわけではありません。乞食も取税人も罪人といわれている人も、不義密通している女も、みんな等しく神の子なのです。」
イエスが話し終えると、隠者は頭をふりながらイエスの別れの言葉に反対する動作を示した。苦悩に満ちた顔付きで狭い所をうろつき回った。ついに彼は立ち止まり、イエスの顔を見据えながら彼の袖を引っ張った。それは荒々しい動作であった。彼は手でこの山々や空を指しながら、第1の道を選ぶべきであると強く示した。
その道こそイエスにとって最も良い道であり、救いとなることを伝えた。イエスは再び威厳をもって語り始めた。「人間の一生は、別離の連続といってもよいでしょう。私達2人は、神の愛によって1つに結ばれてはいますが、魂は全く別なのです。私の魂は隣人に向かって深く愛することを求めています。私は人々から離れて暮らすわけにはいかないのです。
しかしあなたは生れつき預言者としての素質が与えられています。このような荒野の静けさの中で沈黙を守り、瞑想によっていやがうえにも魂は成長し養われることでしょう。とにかく、この道こそあなたにとって最もふさわしいのです。
けれども私の目的は預言者になることでもなく、またそのような素質もありません。私は隣人を愛するために生まれたのです。どうして人里はなれた荒野で暮らすことができましょうか。
ある商人が商用で旅立つときに、2人の使用人を呼んで言いました。1人の男には3タラントのお金を預け、別の男には1タラントのお金をあずけ、自分が帰ってくるまでに何とか努力してお金をふやしておくように言いました。
主人が帰ってくると、3タラントのお金を預かった者は、5タラントにして主人に差し出しました。別の男は、お金を布にくるんで土の中に埋めておきました。彼はその1タラントを主人の前に差し出すと、主人は激しく怒って言いました。天の御父は、我々みんなに賜物を与えておられるのだ、せっかくの賜物を使わずにしまっておいては駄目じゃないか、それを何倍にでもふやすんだと」
隠者は溜め息をつきながら両手を挙げてイエスを祝福した。お互いに別れることを同意したからである。隠者は言い知れぬ悲しみを堪えながら聖書を開き、慰めの言葉を求めた。イエスは最もふさわしい言葉を読み上げた。
『見よ!われ、なんじの前に使者をつかわす。彼なんじのために道を備えん』(旧約聖書、マラキ書、3の1)
イエスは続けて言った。「女から生まれた者の中で、来るべき預言者よりも偉大な方はおられません。あなたは、その来るべき預言者なのでしょうか」
この問いに対して隠者は何も答えなかった。合図もしなければ、体を動かすこともしなかった。そ知らぬ様子を見せてはいたけれども、実際はそうではなかった。深い悲しみが隠者を覆っていた。
突然あたりが静かになった。ジャッカルや狼さえも鳴き声をだそうとしなかった。まるで神が世界中の音をすべて消してしまったのではないかと思える程静かになった。すると隠者の顔が恐ろしい程まばゆく光り輝いていた。その光は、彼の頭や手足、そして全身から放たれていた。
彼は崖のふちに真っすぐに立ち上がり、雲にとどかんばかりに背丈がのびていた。その姿は実に威厳に満ちており、見守る者にとって預言者を代表する偉大な人物のように感じられた。イエスは地にひれ伏し、顔を地に向けて深々と頭を下げ、心から謙そんの気持ちをあらわした。
その光景は、まるでエリヤかモーセがそこに居合わせているようであった。輝きと静けさのうちに彼らの魂は互いに深く交わり合っていた。清らかなひとときが去ってから隠者は崖のふちを立ち去り、岩穴の中へゆっくりと歩み、深い眠りについた。
イエスは、ひとり残って暗い夜空を見あげながら、たった今体験した出来事について思いふけっていた。果てしない疑問が解けぬまま、イエスも穴ぐらにもどり、隠者と一緒に眠りについた。
■アナログ絵332「フラー21キャラ イチゴちゃん設定資料」インナーフレーム採用(祈)†
さぁ使命遂行にあたって怒涛にデザインを続けてきた「フラーのバリエーション」に新たな展開となるでしょうか。今回はフラー15の時にどうしても外見をかわいくデザインできなくて泣く泣くボツにしたキャラ「イチゴちゃん」を「インナーフレーム」とも呼ぶべき機構を採用する事によって何とか実現にこぎつけました。これはインナーフレーム内で変形を完了させる構造にする事でイチゴちゃんの外観部分にメカメカしいパーツが露出しないようにして、イチゴちゃんの外観のかわいらしさを何とか維持しようとしたギミックとなります。イチゴちゃんの外側がパカッと開いてインナーフレーム内で変形が完了して再び外側がパコッと閉じるのがお分かり頂けるでしょうか…続きを読む→
「主なブログ」年度別ページ切り出し完了中。自分を助けるための作業となります(祈)†
この作業、ずっとやらなきゃやらなきゃと思っていて全然着手できなかったもので(スンゴイ億劫だったため)ようやくこのようにまとめる事ができました。アナログ絵の固定ページを分割したのと基本的に仕組みは一緒です。トップページを設けてそこから個別ページに飛ばすようにする事によって更新作業を簡略化させて使命遂行の殺人的忙しさから自分を守るのが目的です…続きを読む→
「どんなに隠しても表に出てくる」真実は絶対隠し通せないという意味です(祈)†
国民の同情を誘う美しいスローな楽曲がバックに流され、かわいそうな人たちに文仁がやさしく声をかけてその人たちを笑顔にさせる映像が、柔らかい暖色系のフィルターをかけた状態でキラキラと光のモーションエフェクトをちりばめて再生スピードを若干落としたスローペースで流され、文仁にやさしく声をかけてもらった国民(もちろんさくら)が感動の涙を流しながら文仁を賛美するコメントの映像が流され、それを見た皆さまはその洗脳演出にアッサリコロっとダマされて「あぁこの人はイイ人なんだ」などとは死んでも思わないようにして下さい…続きを読む→
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