【8/5】霊界通信 イエスの成年時代 神と人間のはざまで 12 偉大な愛
ガリラヤの平原は見渡す限り青い海のようにトウキビが植えられていた。高原地帯は、ぶどう畑とオリーブ畑で有名であった。3日目の朝になっても2人はガリラヤから立ち去る気配を見せなかった。“会うは、別れの始めなり”とは、イエスが前に別のヨハネに言った言葉である。
風が冷たかったので、2人はくぼんでいる所に入って、しばらく身をひそめていた。ヨハネはイエスに頼んで言った。「私は充分に話しましたから、どうかお話し下さい」「私は聞き手にまわりたいのです」
「私は、ただ過去のことをお話ししただけですよ」「私はとても嬉しかったのです。それに慰められました」
ヨハネは草の葉を1枚ちぎってからイエスに示しながら言った。「あなたのお言葉には、澄みきった真理の響きがあるのです。神秘的というか、この一片の葉っぱでさえも、その背後に働いている神秘性を感じさせるのです。ですからもっとお話を続けてほしいのです」
「そうでしたか」イエスは指で木の茂った所を指しながら語り始めた。「この地方での体験から、私は1つの寓話(たとえ話)を思いついたのです。その話は“争う王様の話”とでも名づけておきましょう。
今も言いましたように、私は、あの山の中で2日間もすごい連中と一緒に過ごしたことがあるのです。彼らは祖国を侵入者から救い出すためには、死をも厭わぬ人々でした。取税人や脱獄囚もいれば、善男善女もおりました。驚いたことに、職人や子供たちまでも加わっていたのです。そこで私のたとえ話を聞いて下さい。
『ある王様が上等のぶどう酒を手に入れようとして軍隊を引き連れてある国を襲ったが、戦いに敗れてしまった。ぶどう畑を持っている国は大変立腹し、侵略した国に毎年貢物(みつぎもの)を収めるように強要した。そのために、負けた国民は飢えに苦しみ、ひどい仕打ちを憎むようになった。
そこで彼らはひそかに武器を作り、攻撃を加える機会をうかがっていた。彼らはついにぶどう畑の国に攻め入り、老若男女を問わず剣にかけて恨みを晴らすことができた。しかしぶどう畑は荒廃し、多くの人々は飢えと悲しみのどん底に突き落とされてしまった。
指導者たちは、お互いに相手の国を滅ぼす機会をうかがい、両国民は復讐心をもやし、死の影が全体をおおっていた。そこに1人の預言者が東方からやってきた。彼は神の名においてここに遣わされたことを伝えた。彼は神の子であると宣言した。
各々の王は、この預言者にすがって自分に味方するように懇願した。しかしこの預言者は妙なことを言い出した。『剣をもって立つ者は、剣にて滅びる』とか、『利己を抑えなければ、霊は滅びてしまう』などということを言った。
預言者は、荒廃しきった国土をよく見るように言った。各々の王は、この土地が少し前までは、ふんだんにブドウとオリーブがなっていたことを思い出した。余りの荒廃ぶりに驚いて、かれらは涙をながし、これからどうしたらよいか、と尋ねた。
預言者は答えた『お互いに愛し合いなさい。これがあなたがたに与える新しい戒めである』意表をつくような言葉ではあったが、2人の王はこの戒めに従った。次第に死の影はうすらいだ。喜びが溢れるようになってきた。それでこの預言者は、この国々のうちに住み、王たちの相談相手となった。
それで彼は“平和の王子”と呼ばれるようになった。土地には再びブドウとオリーブが植えられた。時がたつにつれて、王たちは栄え、金、銀、といった財宝はもちろんのこと、穀物、ぶどう酒、オリーブ油をたくわえる倉庫がいくつも建てられた。
王たちは灌がいを敷設し、多くの家畜小屋を作った。お互いに戦争をしていた頃は、多くの者は飢え死にしたが、今は豊かになって、飢えというものを知らなくなっていた。略奪や暴力は過去の思い出になっていた。天国の平和が地上にあふれていた。
時は移り変わり、王は息子の代になった。彼らは戦争の過酷なことは知らず、国民の悲惨な嘆きも想像すらできなかった。それでひそかに武器を作りはじめたので、かの平和の王子が彼らのおごり高ぶった気持ちをたしなめ、剣を鞘におさめて平和を大切にするように忠告した。
忠告された王は腹を立て、この預言者を国民の裏切り者という名目のもとに死刑に処してしまった。そして再び戦争を始め、多くの国民は飢えと悲しみのどん底に突き落とされてしまったのである』
私が今話した寓話のように、事態は最初の時よりも一層悪くなってしまったのです。この物語りの結末をどうしたらよいと思いますか?」
ヨハネはすかさず言った。「私たちイスラエルの歴代の王もそうでしたね。列王記や歴代誌(旧約聖書)に詳しく記されているように、何百年もの間、イスラエルは他国の侵略に悩まされてきました。ペリシテ、アッシリア、ペルシア、ギリシア、そしてローマは、すべて戦いをいどみ、征服し、肥沃な土地を荒らし、多くの若者を殺してしまいました」
イエスは言った。「そのとおりです。でも私が話した平和の王子はまだ現れません。どん欲な王の手から救い出す神の子がまだ来ないのです。そこで私はとても大切な結末を伝えたいのです。平和の王子が自ら同胞のために命を捨てるのです。おおよそ同胞のため、自分の命を捨てる以上に偉大な愛はありません。
人々は、何のために預言者が自分の命を差し出したのかを知るでしょう。みんなはこの預言者の偉大な愛に感動し、どん欲な王を追放し、持っていた剣を鍬(すき)に換え、各々の働きに戻っていくでしょう。そして神の子は最後に『私の平安がいつまでもあなたがたのうちにありますように』と祝福するのです」
長いあいだ沈黙が流れた。ヨハネは言った。「ああ、なんてすばらしい結末でしょう!でもそれは寓話のなかでのことでしょうね」「もちろんです。でも今日の話は、明日実現するかもしれないのです」
「歴史書には、おおくのすばらしい預言者のことが記されておりますが、ことごとく平和をもたらすことができませんでしたね」イエスは言った。「あなたにとっては、ただの話であったかもしれませんね」イエスはしばらくの間うつむいていたが、再び元気に言った。
「どの時代でも王はどん欲で、戦いを好み、預言者を殺してきましたね。でもこの平和の王子は、必ず死に際に、選ばれた人々に天国を残して行くでしょう。時代がどのように変わり、戦争があろうとなかろうと、彼と共にある者はいつも平安のうちにとどまるでありましょう。そのためにこそ、この預言者は自分の命を捨てたのですからね」
「いい加減にしてくれジャマ」これはキリスト教の2000年の呪いという意味ではないでしょうか(祈)†
インスピレーション「いい加減にしてくれジャマ」の説明に戻ってみましょう。これはつまり霊界サイドは物質界に正しい霊的知識を普及させようとして、それこそ2000年前のイエス様の犠牲の降誕の時からイヤそれ以前からずっと仕事をしている訳ですが、キリスト教という呪いが物質界に蔓延してしまった事で霊的知識普及の大事業が遅れに遅らされてしまった。それを受けての霊界高級霊の方々の「我々には成すべき仕事が山のようにあるんだよ、そろそろジャマも本気でいい加減にしてくれ」という意味が込められているのではないかと僕は思ったのです…続きを読む→
「実際に戦争に送ろうと思ってるんだよ」明仁、文仁、徳仁、悠仁が僕を体よく殺そうとしているのです(祈)†
皆さまは「戦争」というものを「勃発してしまったら国民は戦争に赴かなければならないものなんだ、イヤでもやらなければならないものなんだ」みたいに考えておられますか。皆さま霊的知識をお勉強して下さい。その考えは1億%間違っています。僕たち人間は年齢、性別、人種等に関係なく全員が【神】から「神性の火花」を賜って個的存在を獲得した「神を共通の父(親)とした霊的同胞、霊的兄弟、霊的大家族」です。霊的知識を正しく理解すると、戦争で敵国の兵士を殺す事は「自分の家族を殺す事と同義」という事が理解できます。戦争というものは無知から生じる大変愚かな行為という事になります。そして僕は以前「コロナウソ」に関してこのような事を書いた事がありますが…続きを読む→
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