【11/6】霊界通信 イエスの弟子達 パウロ回心の前後 24 パウロの信仰告白
ダマスコでは、多くのクリスチャンがいて、教会が次第に大きくなっていったが、これという指導者や説教者がいなかった。そのうえサウロがダマスコにやってくるとの報を聞いて彼らは震え上がっていた。彼によってエレサレムでは多くのクリスチャンが殺されたことを耳にしていたからである。
彼らは集まってどうしたらよいかを相談した。ある者は、海岸に向かって移動し、いつでも海から逃げられるようにしたらどうかと言った。しかし、ここで商売をしている者や家族を持っている者は、今の仕事をやめて他国に行って飢え死にしてしまうことを恐れた。
多くの信者たちは絶望のどん底に突き落とされてしまった。彼らは胸を打ち、天を仰ぎながら迫害が来ないように望んだ。彼らは口を揃えて主に祈り求めた。どうかこの苦しみの杯を取り除き、迫害が起こらないようにと必死に祈り続けた。
そこにアナニヤが現れて言った。「私は今あのサウロと一緒にいたのです」大きな嘆息が流れた。一同の者はついに最後の時がやってきたと思った。なぜなら彼らが最も恐れていた名前を耳にしたからである。
アナニヤは、いやに落ち着いた態度でみんなをなだめ、声を震わせながら、たった今おこったばかりの奇跡のことを話して聞かせ、ついに、サウロはイエス・キリストを信ずる仲間になったのだと言った。
するとそこにパウロが入ってきて、罪の告白(ざんげ)を始めた。並み居る兄弟たちの面前で、自分はみんなと同じ信仰が与えられた者であり、しかも、その末席につく者であることを告白した。
あまり突然のことで、一同は信じられず、恐ろしさのあまり、逃げ出してしまい、アナニヤとパウロの2人だけになってしまった。パウロは大いに失望して言った。「誰も私を信用してくれない!まるでらい病人扱いだ!きっと私はすてられてしまう!」
アナニヤは彼に勇気を出して会堂に行き、主イエスに出会った時のことを話すように勧めた。パウロが会堂にでかけて、みんなに呼び掛けた頃は、すでに祈りが終わった直後であった。
過去のことしか知らず、クリスチャン撲滅のために彼がくるのを待っていたエレアザルは、会堂内に入りパウロが叫んでいるのを見て、そこにくぎずけになってしまった。
何と驚いたことに、あのパウロが人々の前でナザレのイエスのことを話し、いかにイエスが彼の不信仰をあばき、盲にしたかを説明していたからである。更にパウロはエレアザルの面前で、公然とイエスへの信仰を告白した。
ついにエレアザルは、この若いパリサイ人の頭がおかしくなったと思い、群衆の中をかきわけて彼のところにやって来た。そして、おまえはキリストを信じるなどと、すごく悪い夢を見せられて、すっかりだまされているのだと言った。パウロは答えた。
「兄弟よ、だまされているのは、あなたの方ですよ。あなたこそ目前の真理を疑って、神を欺いているのです。救世主であるキリストは木にかけられ、同胞のユダヤ人によって裏切られたのです」
さて、これがきっかけとなって、一大騒動が起きた。エレアザルは、会堂の役人に向かって、悪霊にとりつかれてしまったパウロを逮捕せよと命じたからである。居合わせた人々は騒然として口々に罵り始めた。「こいつが大祭司に選ばれたサウロだ!」
一方では詐欺師だとののしり、他方ではタルソのサウロは味方であると弁護した。彼らが大騒ぎをしている間に、パウロはその場所からすりぬけて出ていったので、役人が群衆を解散させた時には彼はもういなかった。
その後パウロは何度も会堂にでかけて行っては、キリストヘの信仰を証明し続けたので、ダマスコのクリスチャンたちは、もはや彼を疑わなかった。次第に彼らはパウロを歓迎するようになり、目前に迫ったエレアザルの迫害に対して彼の助けを求めるようになった。
そんな時、エレアザルがパウロを殺そうと企て、家来がパウロを探し回っているという情報がはいってきた。パウロはそれを喜んだ。ついにキリストのために自分の命を捧げることができるので、直ちにエレアザルの面前に立とうと言った。しかしアナニヤや他の兄弟たちは彼に言った。
「友よ、生きることは死ぬことよりもむずかしいのです。主イエスは、貴方を召してエルサレムへ行かせようとしておられるのです。そこであなた自身がクリスチャンを捕らえようと仕掛けたワナを取り外すのです。
今や多くの兄弟たちは、あなたが仕掛けたワナにかかって毎日殺されているのです。くどいようですが、あなたが仕掛けたものです。だからこそ、これからは、あなたが作り出した野獣を絶滅させるのです」
彼らは家の床の下にパウロを隠してしまったので、エレアザルの手のものが町中を探し回っても見付けることができなかった。エレアザルはこれに腹をたて、町の総ての門に見張りを立て、門から出入りするものを片っ端から尋問した。
夜になって門が閉まり、人の往来がなくなると、荷物類は塀の上をとうして運搬されるのが習わしになっていた。そこで、彼らは籠を用意し、その中にパウロを入れて、夜中に塀の上から地上に吊り下ろし、ダマスからエルサレムへ向かわせたのである。
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→
「基礎を積み上げる者ほどその後の進歩が速い」帰幽後の話かよ使命遂行終了か?(祈)†
ん?今軽くトランスに入った時に「そんな事ない」って言ってきました。という事は物質界生活中に結果に到達できるのか。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させられるのか。奴隷の女の子たちを助けてあげられるのか。イヤ、これまでの霊団の動きを見ればそんな一言は信じられない。甘いな。んんん、僕の人生目標は「帰幽後に霊界で賜る霊的褒章」であり、物質界でああなろうとかこうなろうとは夢にも思ってませんから(2度と物質界に戻るつもりはありませんので)帰幽後の明るい人生を連想させるこのインスピレーションは、僕個人としては喜ぶべき意味なのですが、霊界の仕事とはそんなにもいい加減なものなのか。そんな事でいいのか。一体いつになったら物質界の邪悪を本腰を入れて滅ぼすつもりなんだ。僕が1代目だとして、一体何代目で滅亡を完了させる計画なんだ、どんだけ悠長なんだ…続きを読む→
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†
実情はそれどころではない。人間は霊界へ来たからとて地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えてくるのである。変わるのは肉体を棄てたということのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたからとて、その本性が変わるものではない。それは誠実にして純真なる向上心に燃える魂が死とともに俗悪なる魂に一変することがあり得ぬのと同じである。汝らがその事実を知らぬことこそわれらにとって驚異というべきである。考えてもみるがよい。純粋にして高潔なる魂が汝らの視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できようか。しかるに汝らは、神を憎み善に背を向けて肉欲に溺れた罪深き魂も、懺悔1つにて清められて天国へ召されると説く。前者があり得ぬごとく後者も絶対にあり得ぬ。魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれていくのである…続きを読む→
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