【6/21】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
「霊は実在する、しかし」より→「我々はよく“肉体の死後も生き続けるのだろうか”という疑問を抱きます。が、一体“死後”とはどういう意味でしょうか。もちろん肉体と結合している五、七十年の人生の終わったあとの事に違いないのですが、私に言わせると、」→
→「霊は実在する、しかし」より→「こうした疑問は実に本末を転倒した思考から出る疑問にすぎないのです。と申しますのは、こうして物質をまとってこの世にいること自体が驚異というべき事なのです。これは実に特殊な現象というべきです。」→
→「霊は実在する、しかし」より→「私はこれまでよく“死は冒険であるが、楽しく待ち望むべき冒険である”と言ってきました。確かにそうに違いないのですが、実は真の意味で冒険というべきはこの地上生活の方なのです。地上生活というのは実に奇妙で珍しい現象です。」→
→「霊は実在する、しかし」より→「こうして肉体をまとって地上へ出てきた事自体が奇跡なのです。失敗するケースがたくさんあるのです」少し大きい辞典なら必ず載っている英国の世界的物理学者「オリバー・ロッジ」が“まぼろしの壁”と題して行った講演の一節である。
「霊は実在する、しかし」より→英国心霊史上最大の霊能者といわれた“D・D・ホーム”が次のような事を言っている。「私は多くの再生論者に出会う。そして光栄な事に私はこれまで少なくとも12人のマリー・アントワネット、6人ないし7人のメリー・スコットランド女王、」→
→「霊は実在する、しかし」より→「ルイ・ローマ皇帝ほか数え切れないほどの国王、20人のアレキサンダー大王にお目にかかっているが、横丁のおじさんだったという人にはついぞお目にかかった事が無い。もしそういう人がいたら、ぜひ貴重な人物としてオリにでも入れておいて欲しいものである」
「霊は実在する、しかし」より→「向上するにせよ下降するにせよ、霊的調整の期間を終了した霊がそれぞれにふさわしい界層で生命活動を営んでいくうちに、全てではないが、中にはどうしても地上へ戻らない事には解消できない課題がある事を認識するものが出てくる」
「霊は実在する、しかし」より→「私が入手し得た信頼しうる霊界通信には再生がどのような手続の上で決定され実行に移されるかについて述べているものは見当たらない。まだ死後の存続の事実すら信じられない者が大半を占める人類には、今はまだそれを教える段階ではないのであろう」
サイト「現代の日本に於けるスピリチュアリズムの第一人者、近藤千雄先生の著書・訳書の一覧」→ http://www.paperbirch.com/books/kondo.html
「霊は実在する、しかし」より→「コペルニクスが地動説を思いついたその端緒は、想像の中で自分を地球から太陽へ運び、太陽の位置から地球を眺めてみた事にあるという。その瞬間に地動説がひらめき、そのあとは年来の難問がスラスラと解けていった」→
→「霊は実在する、しかし」より→「これをコペルニクス的転回といって、180度転回することに使われる事はご存知であろう。1848年のフォックス家事件をきっかけとして始められた心霊研究が生み出したスピリチュアリズムという思想もまさにこのコペルニクス的転回だった」→
→「霊は実在する、しかし」より→「すなわち、それまでは(今なお大半の人間がそうなのだが)肉体を中心に考え、その肉体、たぶん脳髄、から生まれる精神的なものが個性を築いていくと思っていた。従って肉体が滅びれば当然自分という一個の生命はこの宇宙から消滅すると考えた」→
→「霊は実在する、しかし」より→「ところが実際は人間はもともと霊的存在であって、それが地上という物質の世界での体験を得るために一時的に肉体という物質器官に宿っているにすぎない事が分かってきた」
「霊は実在する、しかし」より→「肉体に宿っている限りは肉体の持つ5つの感覚を媒体として環境と接触するために、その5つの感覚こそ正常であり自然であり全てであると思い込んだのも無理はないが、実はそれは霊が発揮する感覚のうちでも次元の低い、いわば原始的形態である事も分かってきた」
「霊は実在する、しかし」より→「言いかえれば、人間には今のところ発揮されていない別の能力が潜在しており死後それを使用する事になっているという事である。これには例外はない。なぜなら霊こそ存在の根源であり、霊を宿していない人間はありえないからである」
「ペットは死後も生きている」より→「考えてみると、人間ほど矛盾に満ちた行為をしている生きものは他にいないのではないでしょうか。神の化身かと思うほど気高い行為をする人がいるかと思えば、、悪の権化のように悪虐非道を平気でする人間がいます」
「ペットは死後も生きている」より→「クリスマスはイエス・キリストの生誕を祝う日です。その日に、あるいはそのイブにご馳走をいただくのは良いとして、七面鳥をそのために飼育し絞めて食卓に上るというのは、一体誰の許可を得てやっているのでしょうか」
「ペットは死後も生きている」より→「あの日1日だけで世界中で果たして何百万羽が殺されている事でしょう。その事実をイエス・キリストが喜ばれるはずはないと思うのですが…」
「ペットは死後も生きている」より→「自分の愛している動物たちがちょっと傷ついても大騒ぎをして獣医さんのところへ駆け込むのに、動物実験でメスを入れられ、やがて殺されていく同じ種類の動物へは一片の同情も憐れみも憤慨も覚えない人がいます」
「ペットは死後も生きている」より→「サイキック・ニューズ紙に掲載された記事に、かつて地上で動物の生体解剖ばかりをやっていた人物が交霊会に出現して、その間違いを切々と訴えた事がありました。その霊はこう訴えました」→
→「ペットは死後も生きている」より→霊「動物実験という悪には、どうか、今後とも全力をあげて闘いを挑んでください。これは人類の進化を遅らせている最も強力な悪の勢力の一つだからです」
「ペットは死後も生きている」より→「リンダフ・ハーガビー女史を初めとする動物保護協会のメンバーは、多くの国の“と場”を訪ねてまわり、動物にも魂があって死後も生き続けるという事実を説いて、その事実の認識に基づいた“と畜”の有り方に一考を求めるという努力をしております」
「ペットは死後も生きている」より→「あの惨たらしい雰囲気は、、人間の食糧として毎日のようにおびただしい数の動物が物的身体を奪われていく、その忌むべき行為から生まれるもので、物質界にきわめて近接した界層にあり、本格的な幽界に入らない中間地帯であるという」
「ペットは死後も生きている」より→「その恐怖と苦痛、それに“誰を”という事もない恨みの念があたりに渦巻いていて、それが建物や壁よりもなお強い存在感をもって迫ってくる」
「ペットは死後も生きている」より→「それは、動物たちがどれほど苦痛を味わっているかの指標であるばかりでなく、それが地上界の霊的ならびに精神的大気を汚し、人間生活を毒し、進歩を阻害しているからだという」
「ペットは死後も生きている」より→「肉類は必ずしも必須の食糧ではありません。植物食だけで十分に健康を保っている人が大勢います。道徳的理由からだけでなく、健康上の観点から肉食を止めた人は、そのほとんどが健康を取り戻しております」
「ペットは死後も生きている」より→「毛皮の問題もぜひ考えてほしいものです。あなたが着用する動物の毛皮がどれほど高価なものかは存じませんが、そのために動物たちがどれほどの苦痛を味わったかをお考えになった事があるでしょうか」
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません