「基礎を積み上げる者ほどその後の進歩が速い」帰幽後の話かよ使命遂行終了か?(祈)†
今週は霊団からのインスピレーションが少なくてブログが書けない可能性がありましたが、ドッカーンまでは行きませんでしたが寸前に霊団が少しインスピレーションを降らせてきましたので、それらについて説明してみようと思います。リストに羅列するとこのようになります↓
【目次】霊団が降らせたインスピレーション(祈)†
パッと見でお分かり頂けると思うのですが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および、奴隷の女の子の救出に関するインスピレーションが一切降ってきていません。霊団がまるっきりやる気ゼロという事が一目瞭然ですが、何とか説明してみましょう。
ハンドリングメチャムズ ピィィィン
これは使命遂行と関係ないところで、僕がサンドイッチの事を考えていた時に「そういえば昔、アボカドサンド作って食べてたよなぁ、美味しかったからまたやりたいけど、アボカドってハンドリングがムズカシイんだよなぁ」とか考えていた時に霊団がいつものピィィィンという高い波長を降らせてきたのでした。
これはもちろんアボカドに対して波長を降らせてきたのではなくて、僕という聞き分けのない霊の道具を導く(ハンドリング)のがムズカシイという霊団の思念という事になります。フン、そいつぁー申し訳ありませんでしたね。
交霊会はおこなわれません
もうこのインスピレーションについてアレコレ説明する気にもならないのですが、まるで交霊会をおこなえないのが僕のせいみたいな言い回しなのがどうしても頭にくるんですよね。僕は自分にできる事を限界の限界までやっている、これ以上どうしろというのか。
もう僕という霊媒が機能して霊言が降ってくるという考えは僕の頭から完全に消えています。「絶版状態の霊関連書籍の復刊に向けたテキスト化」これが霊的知識普及のベストの作業であり、それに全力を尽くしているのです。文句を言われる筋合いなどない、これが僕の本心なのですが霊団は僕の態度が気に入らないようなのです。あぁそれは良かったですね。
脅された
これは幽体離脱時映像だったのですが、僕がずっと霊団に対して「ある反逆」を実行しようとしているとブログに書き続けていますが、今度こそ反逆を完成させられるかも知れない状況が発生していまして、山のアタック帰還後にさっそくそのアクションを実行に移そうと種々の準備をしていたのです。
詳しい説明ができないのですが、僕は霊団によって閉じ込められている現在の環境が恐ろしいほどに大キライで、何が何でもその状態から脱出するためにありとあらゆる手を尽くして既に何年も経過していますが、信じられない事に未だに1歩も動けずそこに閉じ込められ続けています。
体調を元に戻すにはそこから離れる以外にないと僕は思っているのですが、霊団はそうは思っていないようなのです。霊体をまとって何不自由なく暮らしている人間たちですから、間もなく脱ぎ捨てる肉体の苦痛の事など全く頭にないのでしょう「そんなもの(肉体の苦痛)あともう少ししたら脱ぎ捨てて何も無かった事になるんだから放っておきなさい」といった感じに。
「進化が足りない」物質界の苦難の存在理由を僕は理解できていないという意味です(祈)†
物質界で味わった苦しい思いは、帰幽後に霊界で存分にその埋め合わせが用意されており、苦難から逃げずに立ち向かった者には霊的褒章が、苦難から逃げて物的享楽に走った者には幽界下層界での反省の人生が待ち受けています。さらに同胞(他人)を虐げて(肉体的精神的に傷つけて)私腹を肥やした人間には暗黒、地獄とも表現できる低い境涯にて永遠とも思える長い年月にわたる大変キビシイ未来が待ち受けています…続きを読む→
イエスの事を宣伝、莫大なチャンス
苦しい作業の末に何とか絶版状態の「イエスの少年時代」 「イエスの成年時代」 「イエスの弟子達」 のテキスト化を完了させ、WordPress上で皆さまにお読み頂ける状態を構築していますが、それと関連するような事を霊団が言ってきています。
「イエス様を最大の信奉とせず」これはスピリチュアリズム底流の大原則です(祈)†
これまで人類はイエス様はじめ世界中の宗教の創始者等を超人的ポジションに祭り上げおかしなラベル、呼び名を付けてその人物やラベルばかりを崇めて肝心の霊的知識つまり中身をなおざりにしてきました「キリスト教の2000年の長きに亘る人類の呪い」がまさにその典型であり、その失敗を2度と繰り返さないために霊界側は「スピリチュアリズム」を勃興させ、人々の関心の対象を「人物やラベル」から「霊的知識そのもの」へとシフトさせたという事。もし霊団側が僕という霊の道具を使用して霊的知識普及の仕事をする事があるのであれば、僕という霊媒から降る霊言は今回のインスピレーション「イエス様を最大の信奉とせず」にありますようにイエス様に注目を集めさせるのではなく霊的知識そのものに関心を集めさせるという意味…続きを読む→
↑過去このようなブログも書いていますようにイエス様という人物のみに関心が行き過ぎるのはスピリチュアリズム普及という観点からも問題だと思うのですが、とはいえ霊的知識に全くの無知で絶望的なほどに真実に無関心、自分がどうやって生きているかについてかけらほども理解しておらず、その自分の生命の根源である霊的なモノを子バカにしながら生きている人間が圧倒的多数を占めているこの最低ランクの物質界においては、どういうカタチであれ霊的なモノに興味関心を抱かせる「イエス様という名の起爆剤」は必要なのかも知れません。
「莫大なチャンス」というくらいですから、僕が書籍の内容をテキスト化している事は、一応効果はあるのでしょう。とにかく僕を霊媒とした交霊会などおこなわれませんから「絶版状態の霊関連書籍の復刊に向けたテキスト化」これを全力でおこなうのです。
見上げた根性だ 委ねてみよう
「見上げた根性だ」これは僕の霊的使命遂行をご覧の方の思念かも知れません。ちなみにちょうど1年前ですが、僕は「絶版状態の霊関連書籍の復刊に向けたテキスト化」に関連して、日本心霊科学協会に手紙を出していますが、完全に無視されています。一切何の連絡もありません。※今後の展開によってはその手紙の内容をWordPressに掲載する可能性もなくもないでしょう。データはもちろん保持していますので。
しかし日本心霊科学協会の人間が1年ぶりに僕のブログを見てみたら、約70冊のスキャン、OCR変換を猛烈におこない、WordPress掲載のみならず、PDF化、ムービー化、さらにアプリ化までやろうとしている事を知って「この男、全くあきらめていない、見上げた根性だ」と思い始めている、という事なのではないか、などと思ったりもしていますが、まぁこれは僕の思い違いでしょう。
僕としては一応物質界に残された最後の1秒まで復刊をあきらめるつもりはありませんが、復刊には著作権者、著作隣接権者の方の許可が必要であり、僕はその許可をどうしても頂けそうにありませんので、復刊以外の作業で霊的知識普及を進める事になるでしょう。
「委ねてみよう」このインスピレーションはたぶんコチラの過去ブログ↓
「神に委ねてみませんか」これが実は到底承服できない最低最悪の意味なのです(祈)†
僕も神に反逆するほどバカではありません。ぜひ皆さまにも「インペレーターの霊訓」をお読み頂きたいですが、霊的知識を獲得しておきながら神の意に反する行いをした者がどういう状態にさせられるかをインペレーター霊が語っておられます。僕はその知識がありますのでそこまでバカな事をするつもりはありません。ただとにかく「物事には限度というモノがある」これを強調して終わりとさせて頂きます。キビシすぎ、苦難、試練を降らせすぎ、僕ひとりに何もかもやらせすぎ、本気でいい加減にしてくれ、という事です…続きを読む→
に関連して霊団が降らせてきたものと思われます。意味は簡単「我々(霊団)の導きに従いなさい、そうすれば全てがうまくいく」という事です。それは僕も了解してます。なんだかんだ言って使命遂行は続行してるでしょ。ただとにかくあなたたちの導きは試練の度が過ぎるんですよ。やりすぎなんですよ。
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†
僕が奴隷の女の子を救出すると、その霊団が降らせて教えてきた物的攻撃に晒される事になり、霊団はその攻撃から僕を守るために奴隷の女の子の救出をあきらめざるを得ないといったような事を言っているのです。そして奴隷の女の子の事をあきらめさせるために交霊会の事をずっと言い続けてくるのです。「アキトくんの気持ちは分からないでもないが、奴隷の女の子たちは自らの罪障消滅のため、霊的向上のために自ら志願してその人生を選択し、奴隷の女の子として物質界に降下した人間なのだ。それよりキミは自分の使命遂行を成功させる事を考えなさい」とでも言っている霊団の声が聞こえてきそうです。要するに奴隷の女の子たちを見殺しにするのは非情というのとは違う、霊的視点に立って考えないと真実の理解には到達しない、という事なのですが、この心の中に渦巻く釈然としない気持ちはどうやっても拭う事ができません…続きを読む→
罰は与えられません 最高の名誉
「罰は与えられません」ですが、これはインペレーター霊がこのように仰っていますよね↓
「インペレーターの霊訓」より抜粋
罪とは、本質的には、霊性を高めるべく意図された永遠不変の摂理に意識的に違反することです。神が人間の罪をご自身への侮辱と受けとめるようなことは有り得ません。われわれが幼児の無礼を受けとめるのと同じように(寛容的に)受けとめられます。自然の摂理によっていずれは悲しみと罰とがもたらせるようになっているのです。
罪それ自体は創造神への侮辱などではありません。したがって無力な人間に報復という形で罰が加えられるなどということは有り得ません。罪はそれ自体が不変の摂理の侵犯としての罰を含んでいるのです。
つまり僕の幼稚な反逆に対して「神」がそれを無礼と受け止めるような事はないという意味なのですが、ただ「罰」はなくても「恥辱というカタチでの反省」は大いにさせられるでしょう。それは僕も重々了解してます。分かってて反逆しています。愚か者だったと思い知らされて恥ずかしくて居たたまれなくなる事は間違いないでしょう。
基礎を積み上げる者ほどその後の進歩が速い★ 終わりになりたくなかったんです
んー、今回は一応「基礎を積み上げる者ほどその後の進歩が速い★」こちらのインスピレーションをブログタイトルに冠する事としましたが、このセリフはまるで「使命遂行終了(帰幽)」を思わせるものであり、僕は霊性発現初期の頃からずっと一貫して「帰幽カモン(一刻も早く物質界を離れたいという意味)」を公言していますから帰幽で一向に構わないのですが、どうにも釈然としないものがあります。
なりたくなかったという事はつまり「間もなく僕が殺される、もうキミを守り切れなくなった」という意味か。そりゃーめでたいですが、僕が公言し続けている言葉に「1歩も退く気はない」というものがありますので、僕はこのまま突き進むつもりですが、霊団はどういうつもりでこういう事を言ってきているというのか。
で「基礎を積み上げる者ほどその後の進歩が速い★」の意味なのですが、このインスピレーションはどこからどう読んでも「僕の帰幽後の事」を言っていますよね。霊的お勉強というのは霊界より物質界でする方がはるかに有利なのだそうですが、僕に徹底的に試練を降らせて(つまりお勉強させて)帰幽後の霊的向上を促進させる事を霊団がやっていた、という意味もあるのかも知れません。
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→
「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†
僕を苦しめる事そのものが当初からの目的だったのではないか。僕に物質界の邪悪の情報拡散をさせる事によって、邪悪の滅亡時期を若干早める事はできるだろうが、僕一代で目的達成させようとは考えていない。で、霊界側としては僕の物質界生活中にできる限りの仕事をさせつつ、僕の霊格も可能な限り高めさせておいて、帰幽後も僕を仕事(物質界浄化活動)に活用し続けるつもり。そういう長いスパンで僕という霊の道具を使い倒すというのが当初からの(もっと言えばイエス様の)計画で、それで助けられないのに奴隷の女の子の事を延々と僕に教えてきて苦しみを倍加させる事で(苦難を与えるという意味)僕の霊格を高めさせたという事なのではないか)…続きを読む→
「この窓から神秘に入る」帰幽後、僕が突入する状況について霊団が言ってきましたが(祈)†
インペレーターの霊訓より抜粋 私がこの地上を去ったのは遙か遠い昔のことになりますが、このたび戻ってまいりましたのは、この霊媒を通じて霊的啓示を届けんがためです。それが私の使命なのです。私の属する界層からこの地上へ戻ってくる霊はきわめて稀です。が、大神が特殊な使命のためにこの私を遣(つか)わされたのです。天界と地上との間の階梯(はしご)はつねに掛けられております。が、人間の側の不信心が天使の働きかけを遮断してまいりました。 – あなたは神の僕(しもべ)ですか。いかにも。神の僕として選ばれ使命を仰せつかることは、われわれ仲間の間にあってはただならぬことです。私はこの霊媒を通じての使命を終えたのちは2度と個的身体をまとって戻ることのできない境涯へと赴きます。他の霊を通じて影響力を行使するのみとなるでしょう。皆さんはすべからく大神の導きを求めねばなりません。おのれを恃(たの)む者は滅びる、滅びる、滅びる…(とくに厳粛な調子で述べた)。神は光明と導きを求める者を決してお見捨てにはなりません。決して、決して、決して……続きを読む→
「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†
そうそう、シルバーバーチ霊は「苦を苦と思わない段階まで霊格が向上すれば、苦難を味わわされても喜びしか湧き上がってこない」みたいな事を仰っています。さらに「ベールの彼方の生活」にも、上層界の天使たちが下層界の仕事に携わって大いに苦しい状態にさせられているのに笑顔になっているという記述があります。これは帰幽して十分に向上を果たし、俯瞰の視点で全体を眺められるポジションに立つ事ができて初めて到達できる精神状態だと思います。物質界生活中にこの精神状態に到達するのは、頭で知識としては理解する事ができても心の底から納得してそういう心境に到達するのはまず不可能と思われます。中にはそういう聖者のような方もいらっしゃるのかも知れませんが僕はデザインの人間ですのでそれはないです…続きを読む→
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