まず物的災難ですが、何とか今月中に決着がつきそうな公算となりました。一時は人生に重篤な障害になりかねない状況に陥っていたため深刻でしたが、何とかそれは回避できたようです。山にも行けなくさせられるところだった、本当に危なかった。

そして霊団がやはり僕という霊媒を使用する旨の事を言ってきています。僕は霊団に対しては人生を破壊された事もあって本気の反逆をしているものの、新規の霊言が降ってくる事に関してだけは反対していませんので、降らせる事が可能であればやって欲しいと思っています。

1ヶ月以上続けている(今日もスコップでエッチラオッチラやってましたが)家の片付けも、ひょっとして僕という霊媒が機能するとしたら環境整備が必要だろうと思ってやっている部分もあります。片付けの進捗に合わせて言ってきているのか?まぁとにかく片付けは続行中、出版社設立ももちろん視野に入れています。

実はお花ちゃんのタネを蒔いています。僕はこういう経験が全然ありませんので発芽しない可能性が高いですが一応ハイポネックスの水をまいています。お花ちゃんが咲くようなら撮影の嵐になります。もっとも霊団の思惑通りに僕の人生が書き換えられるならお花ちゃんの絵も描けなくさせられるのだろうと思われますが。

お花ちゃんの線画、明日には完成予定、さっそくカラーリングに入ります。書籍のスキャンも続行中。今できる事を止まらず全力で続行中(祈)†

「強制的に合体」これは支配霊バーバネル氏が強制的に僕という霊媒を使用するつもりという意味です(祈)†■2022年11月9日UP■
「強制的に合体」これは支配霊バーバネル氏が強制的に僕という霊媒を使用するつもりという意味です(祈)†
皆さまは「死ぬのが怖い」ですか。それは間違いです。僕たち人間に「死」はありません。僕たち人間は【神】から神性の火花つまり個的存在を賜って永遠に個性を失わない存在となりました。それ以前は類魂に埋没する存在だったのですが、人間となった僕たちは物質界を離れて以降も霊界にて霊的表現媒体をまとって永遠の進歩向上の生活を続けるのです。霊界で生活している方々は、よほどどうしようもない理由でもない限り物質圏付近に降下しようとは思いません。霊界とは(もちろん上層界と下層界とでは天と地の差がありますが)よほどの極悪人、未熟霊でない限りは大抵の場合幸福な境涯に赴き、物質界生活時には想像もしなかった喜びにあふれた生活を味わって激しく心を撃たれます…続きを読む→
「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†■2022年12月21日UP■
「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†
明仁、文仁、徳仁、悠仁は物質界生活中は自身の犯罪をゴマかし通しすっとぼけ続ける事ができても帰幽後にその邪悪の行為の責任を寸分の狂いもなく取らされる、イヤ取らされるどころか神から賜った個的存在を剥奪されるかも知れない。奴隷の女の子たちには物質界で味わわされた悲劇、悲しみを補って余りある埋め合わせが待ち受けているのだから、何も悲しむ必要はない。霊団はそういう視点でインスピレーションを降らせているのかも知れませんが、今こうしている現在も奴隷の女の子たちは明仁、文仁、徳仁、悠仁によって四肢切断、強姦殺人され続けていると知っていてただ指をくわえて見ていろというのか。僕の悟りが足りないと霊団に言われるのかも知れませんがやはり釈然としません…続きを読む→

1ヶ月ほど前、霊団が「ペナルティ」と言ってきた、ある物的災難がありました。それがまだ解決しておらず奔走されている状態で日々不愉快を味わわされていますが、それにまつわる事情から、僕がずっとイヤでイヤでどうしようもなくて何が何でも離れようとしている、霊団に閉じ込められ続けている“ある場所”に、今後も残り続けるより他にどうしようもないと思わせるような出来事がありました。

これは物的内容ですので詳細説明はしませんが、本当に不愉快の極みです。自分の心が一切望んでいない状態になぜこれほどまで強制的に閉じ込められなければならないのかと思うと、霊団に対する怒りがどうしようもなくこみ上げてきます。自分の人生なのにまるっきり自分の思い通りにならない。自分の考えとまるっきり正反対の方向にジャンジャン動いていく。こんな人生はもうイヤだ。

霊団はその僕の態度を「謙虚が足りない」という表現で言ってきますが、僕はそれは違うんじゃないかと思ったりします。これは謙虚の要請じゃなくって単なるイジメじゃないのか。霊団側の態度は徹頭徹尾「永遠の人生の中のホンの一瞬の物質界人生の些細な出来事も耐えられないで、帰幽後に至福の境涯に赴けるとでも思っているのか」という視点から僕の物質界人生をダメにする事ばかりをやってきます。

霊的使命遂行とはそういう忍耐の連続だと、一応知識としては理解していますが、それを自分の人生で体現させられるとなった時、こんなにおもしろくないものなんだとよく分かりました。物質界で起こる事象に全く何の興味もありません。一刻も早くこの最悪の境涯(物質界)から離れたい、そしてそれきり2度と関わり合いになりたくない。

お花ちゃんの線画、間もなく描き終わります。即スキャンしてAffinityPhoto上の作業に移ります。どんなに不愉快な目に遭わされても絵は描きます。反逆は続行します。今回の物的災難と絵は別問題。とにかくまず1枚描き上げます。

そして「霊的人類史は夜明けを迎える」のページのスキャンも少しだけやりましたが、スキャンするイコール内容を読む事になるのですが、読むほどに「やはりテキスト化してWordPressに掲載して皆さまにお読み頂ける状態にしなければならない」と強く感じます。

本当はテキストと格闘しなければならない、しかしまだ絵を描きます。簡単には退きません。今回のようなイヤな物的出来事があってもまだ反逆をあきらめません。この程度の事であきらめてたまるか。積年の思いがあるんだ。

って言いながら今スコップで土をほじくり返してました。この作業も長時間やるのは厳禁、身体が動かなくなる。これも家の片付けの一環としてやっている事です。この努力が役に立つ日が果たしてくるのかどうか(祈)†
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†■2023年6月7日UP■
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†
実情はそれどころではない。人間は霊界へ来たからとて地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えてくるのである。変わるのは肉体を棄てたということのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたからとて、その本性が変わるものではない。それは誠実にして純真なる向上心に燃える魂が死とともに俗悪なる魂に一変することがあり得ぬのと同じである。汝らがその事実を知らぬことこそわれらにとって驚異というべきである。考えてもみるがよい。純粋にして高潔なる魂が汝らの視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できようか。しかるに汝らは、神を憎み善に背を向けて肉欲に溺れた罪深き魂も、懺悔1つにて清められて天国へ召されると説く。前者があり得ぬごとく後者も絶対にあり得ぬ。魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれていくのである…続きを読む→
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†■2023年5月3日UP■
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→

生涯の最後の1週間は、エルサレムの神殿を中心に、いたる所で教えを説き、神の子の栄光を余すことなくあらわすことができた。そのときにイエスが語った教えについては、多くの記録があるので、ここでは実際に起こった出来事だけを伝えることにする。

イエスの教えを聞いて大勢の信奉者がおしかけてきた。彼らは、地の果てにまでイエスの後について行きたいと言った。この動きを見てユダは面白くなかった。彼は、さっそく待機させていた若者たちに武器を配り、彼の戦闘計画を話して聞かせた。

にわか仕立ての反乱分子は相談をして、ユダを隠れた指導者とし、バラバという男を表向きの指導者に仕立てた。言ってみれば、バラバはユダの操り人形であった。彼らは、まずアントニアの砦と、シロアムの塔を占拠しようということになった。

ちょうどローマの総督ピラトは不在で、ローマ軍は手薄になっていた。ユダにしてみれば、これぞ神の与えたもうた絶好のチャンスと思いこみ、これで自分の計画は成功すると考えた。

イエスは、その夜、天の御父との交わりを持ち、明け方までぐっすりと眠った。夜が明けて陽が登ると、あたり一面には1本の木もなく、はるか後方まで見通せる場所であった。イエスは子口バにまたがり、オリーブ山からエルサレムに向かって出発した。

イエスが通る沿道には、多くの人々が群がり、盛んに歓迎した。ある者は上着を脱いで子ろばの前に敷き、ある者は木の枝を切ってきて道端にばらまいた。群衆は声をからして叫んだ。

「ダビデの子よ!万歳!万歳!主の御名によりて来る者に祝福あれ!いと高きところにホザナ!」(訳者注・“ホザナ”とは神またはキリストを賛美する言葉)

ユダはこの光景を見て、反乱分子の若者に鼻高々と宣言した。彼こそローマに打ち勝つ勝利者であると。イエスがいよいよエルサレムに入ってくると、町じゅうの人々が言った。「この方はいったいどなたなのですか?」ある者が言った。「ナザレの預言者だそうだ」

イエスが神殿の広場につくと、イナゴのようにイエスのまわりに群がってきた。イエスが両手を挙げて彼らを祝福した。彼が口を開くと、水をうったように静かになった。

「私は、穏やかな心とへりくだった気持ちを表すために、子ろばに乗って参りました」イエスはみんなが待ち望んでいた神の国について話しだした。この国に入るためには、地上のエルサレムなどに憧れていないで、即刻、霊的に目覚めるように忠告した。

そこで、先頃ユダに話したのと全く同じ王国のことを話した。即ち、神の国には税金の心配もなく、戦う武器も要らず、お金も宮殿も必要ではない。そしてみんなで働いて得たものを、みんなで分け合う生活をすると話した。現在のローマもパリサイ人による行政も全く想像もできないような社会であることを強調した。

指導者は選挙によって決められ、男も女もすべて平等であること、協議会を構成して、衣食住に関する指示を行わせ、子供の必要を優先させる。人間を襲う最大の誘惑はお金であるから金銭の使用を止め、愛を以てすべてのものが運営されるようにする、などを語った。

そして最後にこうつけ加えた。「真理があなたがたを自由にしてくれるでしょう」

初日のエルサレムでは、神殿の前でこのような話をした後で、門前で商売をしていた商人に向かって激しい怒りを発した。「私の家は祈りの家と言われていたのに、おまえたちは、よくもまあ、盗人の住み家にしてくれたもんだ!」民衆は固唾をのんでイエスの顔を見まもっていた。

イエスは武装した守衛にはおかまいなく、長い鞭を振り回し、両替屋の台を片っ端からひっくりかえしていった。その日の後半は、神の家から、神殿をだしにして金儲けをしている商人を追い払い、神殿清めをするのに終始した。ユダと若者もここぞとばかりに飛び込んできて、商人をなぎたおし、武装したローマ兵までもやっつけてしまった。

神殿の前がきれいになってから、大勢の障害者たちがイエスのもとに集まってきた。視力を失った人、手足の不自由な人、老人たちであった。イエスは心から同情し、これらの人々をすべて癒やしてやった。彼らは口々に神を褒めたたえ、『ダビデの子に万歳』と叫んだ。

この様子を見ていた祭司長や律法学者はイエスに怒りを覚えたが、民衆の力を恐れ、全く手も足も出すことができなかった。ただ次のようにぼやくだけであった。「馬鹿どものあの声はどうだ、うんざりだ!」

イエスは彼らに浴びせるように言った。「あなたがたは、聖書に書いてあることを読まなかったのか!幼な子と乳飲み子の口に、神を賛美させると」それからイエスは弟子と一緒にベタニヤの町へ行き、そこで宿泊した。

「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†■2023年9月13日UP■
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†
認めたくありませんが、まぁ脱出は結局実現しないでしょう。最後の最後まで閉じ込められる事になるでしょう。しかしそう思ってあきらめながら暮らすのは僕的には絶対に有り得ないのです。僕はいつでも全力です。自分にできる事を全力でやるのです。とにかく当分は絵を描き続けます。死んだ魚の眼をしながら無目的でただ物質界に残り続けるなんて死んでもガマンできない。何かに燃えなければ生きられない。霊団が使命遂行やる気なしの態度をこれほどハッキリ撃ち出しているんだから僕は僕本来の燃えるモノを追いかける以外にないだろう。いつかは反逆から手を引かざるを得なくさせられるだろうと容易に予測できますが、その「下を向きながら生きる」姿勢が許せないんだよ。最後の1秒まで全力でやるべき事をやれよ。人の人生これだけブチ壊してるんだから責任を果たせよ…続きを読む→
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†■2023年6月28日UP■
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に落ちるのは自己責任、アキトくんには何の責任もないし、キミが物質界生活中にこの者たちを滅ぼさなくても自動的に肉体が朽ちて帰幽して地獄に落ちるのだからどちらでも結果は同じである。奴隷の女の子たちに関しても自ら犯した過去の大罪の罪障消滅を目的として物質界に降下した人間なのだから、苦難の人生をやらされるのが当たり前(自己責任)それを助けてあげたら本人のためにならない、アキトくんの気持ちは分からないでもないが帰幽して我々(イエス様)と同じ視点から眺められるようになれば納得できるであろう。つまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を物質界生活中に滅ぼせなくてもそれは別にアキトくんの努力不足ではなく、奴隷の女の子を助けてあげられない事もキミのせいじゃない。我々(イエス様)は絶対的有利なポジションに立っているので、その人間たちをアキトくんの霊的進歩向上に大いに活用させてもらった…続きを読む→