【11/18】霊界通信 イエスの弟子達 パウロ回心の前後 訳者あとがき
本書を訳し終えてしみじみと感じたことは、本物と言われ続けてきた新約聖書の影が薄くなったことである。実を言うと、長年教会にたずさわってきた自分が、何故もっと早くこれに気が付かなかったのかと考えてみた。聖書は余りにも人物を神格化しすぎたり、大事な部分を端折(はしょ)ったりしている。しかも肝心な霊的知識は稚気(ちき)に過ぎている。
代表的な例を挙げてみよう。聖書はイエスの復活と昇天に全力を傾注して新約の要(かなめ)としている。しかしクレオパスはそんなことにはほとんど触れていない。余りにもその教説が幼稚と思えたからであろう。
人間イエスは、十字架で殺され、一般人の1人としてユダヤ式に葬られたにも拘わらず、死んだ直後のことを、病的と思える程に美化し、幼稚な形で神格化してしまったのである。スピリチュアリズムの立場から見れば、霊の抜け殻である肉体は例外なく土や灰になるのが当然であり、旧約聖書でさえ、冒頭で(創世記)明記している原理である。
それを殊更に、イエスは肉体ごと復活したと大騒ぎをすることはあまりにも幼稚で痛々しい。愛する人を失った者たちの深い悲しみの反動として、イエスを埋葬した墓にまつわる一連の幻想が、復活、昇天の物語となって現れたものと考えられる。
イエスご自身が口癖のように弟子たちに教えていたことは、『私を信じる者は、たとい死んでも生きる』であった。最も重要な生命現象の仕組みを懇切丁寧に教えているのである。肉体は土や灰になり、肉体の主人公である霊は肉体を離れ、霊界に於いて新しい生活を開始する、という明快な原理である。
このような本質を彼らが良く理解できなかったとすれば、我々の周囲でよく見うけられるように、死にまつわる悲しみと混乱が生じたとしても決して不思議ではあるまい。イエスはこのようなことを決して望んではいなかったと思う。
言葉では表現されてはいないが、クレオパスの記録は、そのことを鮮明に感じさせてくれる。イエスの死にまつわる幼稚な幻想物語を云々するよりも、『イエスが明らかにした真理(霊(れい)と真実(まこと))』がどのようにして伝えられていったかという最も大切な事柄を検証する歴史として取り上げている、“クレオパスの視点”に注意をはらって読んでいただきたい。
その視点とは、イエスの後に従った弟子たち(使徒)、ことにパウロの正体をありのままにさらけ出していることである。聖書では、パウロを伝道者の英雄のように描いているが、彼の全行動の因果関係は漠然として要領を得ない。
何故ステパノをあれほど憎んだのか、何故大祭司と組んだのか、何故エルサレムにやってきたのか等々、聖書の記述では全く不明である。クレオパスは、その肝心なパウロの人間像の裏表に容赦なく光をあてながら、イエスが心から知って欲しいと望んでいた真理を浮き彫りにしていく。
イエスの霊は、パウロが使命を果たし終えるまで執拗(しつよう)に手綱をゆるめず、しかもパウロが過去に蒔いた種をひとつ残らず刈り取らせる試練の連続の中に、師と弟子(イエスとパウロ)の強い協働関係(パートナーシップ)がにじみでているのである。
痛ましいパウロ、情けないパウロ、いやらしいパウロ、異常者的パウロといった赤裸々な人間像をさらけ出している。だからこそ、イエスの真理が一層きわだって光り輝いている。
クレオパスの記録には、当時のことを「成る程」と思わせる説得力がある。聖書のように無理なこじつけや、押し付けがましい教条的表現が無いからであろう。その点でも聖書は大半の魅力を失っている。つまり読んでおもしろくない。
クレオパスが提供した記録は分量が多くて、とても1冊には収まらない。おそらく4冊ぐらいになる計算である。だからこそイエスの真理を学びたい者にとっては貴重な資料になる。
パウロを英雄視させるためのものではなく、教会を創設した功績を弟子たちに与えるためのものでもない。新鮮なイエスの真理を学びとらせるためのものである。
現今の教会は、皮肉にも、イエスが葬られた翌朝、墓にやってきた女たちに天使が言った言葉『あなたがたは、何故生きた方を死人の中にたずねているのか。その方は、ここにはおられない』(ルカ、24 – 5)の通りになってしまったのである。
最後に一言触れておきたいことがある。この霊界通信を受けて記述したカミンズ女史は、序文でも編纂者が触れているように、キリスト教とは全く無縁のアイルランド人である。
聖書を読んだこともなく、パレスチナに行ったこともなく、教会とは全く無関係であった人物が、どうして専門家をも驚嘆させる史実が書けるのだろうか。彼女の記述を常にチェックする証人として同席したギブス女史も又然りである。ギブス女史も教会とは全く無縁の者である。
世間には、霊示された内容の信憑(しんぴょう)性をチェックしようもない、いいかげんなものが氾濫している。それなればこそ本書の真価がますます高められるというものである。その筋の多くの専門家によって内容がつぶさにチェックされているからである。
その点で心底から敬服させられることは、『霊界通信の威力』である。微力ながら同じ著者の「イエスの少年時代」を翻訳したときにも同じことを感じさせられた。
しかし本書は単なる偉人伝ではなく、多くの人間が、様々な場所で実際に行動した記録が中心であって、その歴史性にかなりの重点が置かれているだけに、いいかげんな霊示ではすまされない性格を持っている。
時代的背景、地名、人名、社会的構造および生活様式など、あらゆる分野の専門家(主として神学者、歴史学者、言語学者等)が知識を寄せあっても、未だに分からないことが少なくないのに、たった1人の女史の手でどうしてこのような記述ができるのであろうか、“本物の霊界通信の偉大さ”に、ただただ敬服するのみである。
このような形で霊の実在を信じることができることは実にすばらしいことであると思う。超常現象や奇跡によって霊界のことを信じる者は少なくないであろうが、どうも霊現象に対して正しい識別能力に欠ける傾向があるように思われる。
分かりやすく言えば、ミソもクソも一緒くたになっているのではないかということである。そこへいくと確実に存在したカミンズ女史と誠実に生きた彼女の生涯を知ることによって、人智では測り知ることのできない霊の偉大さに直面させられ、自然に受け入れられるようになる、つまり、理性でしっかりと受け止め、理解できる道が備えられているということに大きな喜びを感ずるのは、私だけであろうか。霊界の深いご配慮に感謝している。
欧米で過去に一大センセーションを巻き起こしたといわれる本書の日本版を世に送り出すことができることを光栄に思う。日本ではセンセーションを引き起こす素地があるかどうかは知らないが、少なくともイエスの真理を真剣に求めている真の“求道者”のためには少なからず貢献できると信じている。
今春出版された『イエスの少年時代』の姉妹編として大いに役立つものと思う。真理は、水と同じく、低きに流れて行くものである。イエスの名言中の名言にあるように、幼な子のようにならなければ、天国に入ることはできない。
幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉い(マタイ、18 – 3)のであるから、あらゆる先入観、あらゆる偏見、あらゆる教説をいったん棚に上げ、偉大なる霊格者クレオパスの提言に耳を傾けていただけるならば私の本懐である。
このような貴重な文献を贈呈して下さった近藤千雄氏、並びに出版の労を惜しみ無くとって下さった潮文社の小島社長に心から感謝する次第である。
昭和62年8月
山本貞彰
霊界通信 イエスの弟子達 – パウロの回心前後 –
山本 貞彰(やまもと・さだあき)
昭和5年生まれ。昭和30年、立教大学英米文学科を卒業。昭和34年、英国教会系、聖公会の司祭に叙任され、沖縄伝道区を振り出しに諸教会を司牧。昭和60年、スピリチュアリズムとの出会いが起因となって牧師を引退。訳書に『霊界通信・イエスの少年時代』がある。
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→
「コイツらだけは絶対許さない」強姦殺人魔、天皇一族に対する皆さまの思念です(祈)†
「この強姦殺人魔どもに対してこれ以外の感情が湧くというのであれば、どういう事なのか説明してもらいたい」という事になります。人間としてこれ以上当たり前の感情はないという意味です。その当たり前の感情がなぜこれほど長い年月にわたって公の場で語られる事が無かったのか、それが「洗脳」と「脅迫」と「視点外し」という事になると思います。まず「洗脳」ですが、世界中の強姦殺人魔は総じてメディアを牛耳っています。そのメディアを駆使して徹底的に自分が善人で国民に人気があって親しまれているという趣旨のニュースを休みなく流しまくり認識を捻じ曲げ続けてきます…続きを読む→
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