【11/23】私は霊力の証(あかし)を見た 奇跡の心霊治療 (2)一縷(る)の望み
病院から私の事務所まではわずか1マイルそこらだが、タクシーで行くのはまさに悪夢を見る思いだった。運転手は親切だった。私の手を取って、というよりは、まるで私を抱き上げるようにして坐らせてくれた。そして何度となく声を掛けて励ましてくれた。
もしかしたらその運転手は、私がそのまま車中で死んでしまって警察へまだ“ぬくもり”のある死体を運ぶハメになってはと思っていたのかも知れない。その時の私の見るもみじめな様子からすれば、彼が事実そう思ったとしても、あながち酷い奴とも言えなかった。
事務所は1階にある。タクシーから降ろしてもらった時はちょうど昼どきで、電話線の工事人が2、3いて故障箇所をさがしているほかは、事務員はみな出払って居なかった。それは私にとっては幸いだった。
とにかく今は1人になって考えたかった。杖をつきながら歯をくいしばって秘書の部屋へ入った。秘書も食事に出ていた。私は秘書のイスに坐り込んで医者の診断の結果をもう1度始めから反すうしてみた。
入院は困る。手術はもっと嫌だ。腰にメスを入れて張りめぐらされた神経の中から、はみ出た円盤を探し出すなど、想像するだにおそろしい。これから数週間という入院期間は仕事のことを考えると長すぎる。
医師が大ざっぱに見積った40パーセントという低い成功率も思い出した。その手術を神経外科医がやるということは、失敗したら下半身がマヒすることを意味していた。
秘書の部屋に水差しが置いてあった。私は鎮痛剤と鎮静剤をいっしょに流し込んだ。しばらくすると痛みが和らぐと同時に睡気を催すのが常なので、私は“そうなるまでに”結論を出そうと真剣に考え込んだ。
私に残された道は2つしかない。それはきわめて明瞭だった。1つはその名医の言う通りにすることである。手術が成功すれば痛みは取れるだろう。が恐らく生涯ムリのきかない身体になるだろう。はみ出た円盤を元に戻そうとするのは、はみ出た歯みがきをチューブに戻そうとするようなもので、まずムリだ。
となると手術はその円盤のはみ出た部分を切り取るしかない。するとクッションとしての機能が永久に失くなる。もしも手術が失敗したら、良くならないだけでは済まされないだろう。多分後遺症が出るだろうし、神経がダメージを受けて、悪くするとマヒ状態になるかも知れない。
もう1つの道は何もしないことだ。ということは、これまでどおりの激痛と不快感と肉体的及び社交的不自由を忍ばねばならないことを意味する。坐骨神経の圧迫がさらに続けば、右脚がマヒしてしまう可能性もある。
私はいよいよ運命の岐路に立たされた。目の前で道が2つに岐れている。1つは半不具者としての人生へつながり、もう1つは病院へつながっている。前者は激痛と不快との毎日となろうし、そして恐らく片方の脚を失うであろう。後者は手術と不快と、そして、かなりの確率をもった永久マヒの危険性を秘めている。どちらを選んでも運命は見えている。私は絶体絶命の窮地に追いつめられた。
その時である。私の心の奥でふと小さな疑念が湧いた。そしてそれが次第に大きくなっていた。「もう本当に他に道はないのか」という疑念である。もう無いにきまっている、と思い切ろうとしても、しつこくその疑念が私を責め立てる。本当に無いのか、本当に無いのか、と。その時、目の前の電話が鳴った。
掛けてきた相手はトニーという私の年来の顧客だった。私は公認検査官である。いわば財産管理のコンサルタントである。その店も何度か相談にのってあげていた。財産もあり成功者の1人であることはよく知っていたが、その時は、これといって、大事な話があったわけではない。
2、3分仕事の話をしたあと、トニーは私の元気のないのに気づいて「どうしたんです。えらく元気がありませんね」と言う。私は正直にこれまでの経過を話して聞かせた。ボクシングに“ゴングに救われたと”いう表現がある。私はこの電話でまさしくゴングに救われることになる。
私の話を聞き終るとトニーは同情の言葉1つ吐かず、その代わりきっぱりとこう言った。「いかがですか、騙されたと思って私の紹介する人のところへ黙って行ってみませんか。余計な質問をなさらずに…」
やはり他にも道があったのだ。3本目の道があるのだ。私はむろん行ってみると答えた。すると「ではあとでもう1度電話を入れますから」と言っていったん切った。
そしてものの15分もしないうちに電話が掛かった。そしてロンドン郊外のトテナムというところにエドワード・フリッカーという人がいるから、今日の午後5時半に訪ねてみて下さいと言う。ハワードロード40番地、午後5時半。私はそこに一縷の望みをつないだ。
「目に見えぬ者によって動かされている、その事実を知る事です」僕もそうありたいと思ってますよ(祈)†
この間部詮敦氏という霊能者が時代を抜きん出たずば抜けた人格者だったという事が分かるのです。近藤先生がこれから物質界生活中になされる仕事の重大さをいち早く見抜き、大学在学中に何と毎週近藤先生のもと(キャンパス内)に足を運んであれこれ教えておられたそうなのです。実の子でもないのにまるで自分の息子のように面倒を見ていたという事です。そして近藤先生が書籍の中で予測で書いていた事ですが、間部詮敦氏は若き日の近藤先生の守護霊および指導霊の存在が当然霊視で見えていたはずですが、それを結局一言も言わず帰幽したのだそうです。どういう事かと言いますと、近藤先生にはその仕事の重大性からとてつもない高級霊団が付いていた事が容易に想像できるのですが、それを若き日の近藤先生に伝えてしまったら近藤先生がのぼせ上ってしまう(霊団に言わないようにクギを刺されていたという事もあるかも知れませんが)ので間部詮敦氏は近藤先生の霊団の事を一言も言わなかった。これはとてつもない事だと思うのです。見えてるんだからフツー言うだろう。隠し通したって本当にスゴイ…続きを読む→
「パレットから」これは「機動警察パトレイバー」に登場する人身売買組織の事で、奴隷の女の子の入手先という意味です(祈)†
「子どもカタログ」みたいなものを作中の登場人物がPCで見ていて、子どもたちに値段が付けられている、そんなシーンがありました。まぁ「パレット」という名前は創作ですが、こうやって幼い女の子を販売している人身売買組織は実際にこの世界に存在していて、そして霊団いわく「パレット“から”」つまり強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を手に入れる入手経路の中にパレットのような人身売買組織も含まれていると、霊団はそう言っている訳です。ってか女の子ほとんど全員パレットから買っているのかも知れません…続きを読む→
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