【1/15】霊界通信 ベールの彼方の生活 1巻 「天界の低地」篇 4 死の自覚
1913年10月3日 金曜日
もしあなたが霊的交信の真実性に少しでも疑念を抱いた時は、これまでに受け取った通信をよく検討なさる事です。きっと私たちの述べた事に一貫した意図がある事を読み取られる事でしょう。
その意図とは、霊の世界が不思議な面もあるにせよ極めて自然に出来上がっている事をあなたに、そしてあなたを通じて他の人々に理解して頂く事です。実は私たちは時おり地上時代を振り返り、死後の世界を暗いものに想像していた事を反省して、今地上にいる人々にもっと明るく明確なものを抱かせてあげたいと思う事があるのです。
死後にどんな事が待ち受けているかがよく判らず従って極めて曖昧(あいまい)なものを抱いて生きておりました。それでよろしいと言う人が大勢おりますが、こうして真相の見える立場に立って見ると、やはり確固たる目的成就のためには曖昧ではいけないと思います。
確固たる来世観をもっておれば決断力を与え勇気ある態度に出る事を可能にします。大勢でなくても地上で善のために闘っておられる人々に霊界の実在と明るさについての信念を植えつける事ができれば、その明るい世界からこうして地上へ降りて来る苦労も大いに報われるというものです。
ではこれから地上の人間がこちらへ来た時に見せる反応をいろいろ紹介してみましょう。もちろん霊的発達段階が一様ではありませんから、こちらの対応の仕方も様々です。ご存知の通りその多くは当分の間自分がいわゆる“死んだ人間”である事に気づきません。
その理由は、ちゃんと身体をもって生きているからであり、それに死および死後について抱いていた先入観が決して容易に棄てられるものではないからです。そうした人たちに対して最初にしてあげる事は、ですからここがもう地上ではないのだという事を自覚させる事で、そのためにまたいろいろな手段を講じます。
1つの方法は既に他界している親しい友人あるいは肉親の名前をあげてみる事です。すると知っているけどもうこの世にはいませんと答えます。そこで当人を呼び寄せて対面させ、死んだ人もこうしてちゃんと生き続けている事を実証し、だからあなたも死んだ人間なのですよと説得します。
これが必ずしも効を奏さないのです。誤った死の観念が執拗(しつよう)に邪魔するのです。そこで手段を変える事になります。今度は地上の住み慣れた土地へ連れて行き、後に残した人々の様子を見せて、その様子が以前と違っている事を見せつけます。
それでも得心しない時は死の直前の体験の記憶を辿(たど)らせ、最後の眠りについた時の様子と、その眠りから覚めた時の様子とを繋いで、その違いを認識させるようにします。以上の手段が全部失敗するケースが決して少なくありません。あなたの想像以上にうまく行かないものです。
というのも性格は1年1年じっくりと築き上げられたものであり、それと併行して物の考え方もその性格に沁み込んでおります。ですからあまり性急な事をしないようにという配慮も必要です。無理をすると却って発達を遅らせる事にもなりかねません。
最もそんなに手こずらせる人ばかりではありません。物分りが良くてすぐに死んだ事を自覚してくれる人も居ります。こうなると私たちの仕事も楽です。
ある時私たちは大きな町のある病院へ行く事になりました。そこで他の何名かの人と共にこれから他界してくる1人の女性の世話をする事になっておりました。他の人たちはそれまでずっとその女性の病床で様子を窺っていたという事で、いよいよ女性が肉体を離れると同時に私たちが引き取る事になっておりました。
病室を覗くと大勢の人間がつめかけ、みんなまるでこれから途方もない惨事でも起きるかのような顔をしております。私たちから見るとそれが奇異に思えてならないのです。
なぜかと言えば、その女性はなかなか出来た方で、ようやく長い苦難と悲しみの人生を終え、病に冒された身体からもうすぐ解放されて光明の世界へ来ようとしている事が判るからです。
いよいよ昏睡状態に入りました。“生命の糸”を私の仲間が切断して、そっと目醒めを促しました。すると婦人は目を開き、覗き込んでいる人の顔を見てにっこりされました。暫くは安らかで満足しきった表情で横になっておられましたが、そのうちなぜ周囲にいるのが看護婦と縁故者でなくて見知らぬ人ばかりなのだろうと怪訝(けげん)に思い始めました。
ここはどこかと尋ねるのでありのままを言うと不思議さと懐かしさがこみ上げて来て、もう1度あとに残した肉親縁者を見せて欲しいと言います。婦人にはそれが叶えられました。(※)ベールを通して地上の病室にいる人々の姿が目に映りました。
すると悲しげに首を振って「私がこうして痛みから解放されてラクになった事を知ってくださればいいのに…」と溜息混じりに呟(つぶや)き、「あなた方から教えてあげて頂けないかしら」と言います。
そこで私たちが試みたのですが、そのうちの1人だけが通じたようです。がそれも十分ではなく、そのうちその人も幻覚だろうと思って忘れ去りました。(※誰にでも叶えられるとは限らない – 訳者)
私たちはその部屋を出ました。そしてその方の体力が幾分回復してから子供の学校へ案内しました。そこにその方のお子さんがいるのです。そのお子さんと再会した時の感激的シーンはとても言葉では尽せません。お子さんは数年前に他界し、以来ずっとその学校にいたのです。
そこでは今やお子さんの方が先生格になってお母さんに色々と教えていました。微笑ましい光景でした。建物の中や構内を案内して色々なものを見せて回り、また友達を紹介しておりました。その顔は生き生きとして喜びに溢れ、お母さんも同じでした。
それから暫く私たち2人はその場を離れたのですが、戻ってみるとその母子(おやこ)は大きな木の下に腰かけ、母親が地上に残した人たちの話をすると子供の方はその後こちらへ他界してきた人の事やその人たちと巡り会った時の話、学校での生活の事などを話しておりました。
私たちは2人を引き離すのは辛かったのですが、遠からず再びそして度々きっと面会に来られるからという約束をして学校を後にしました。これなどはうまく行った例であり、こうしたケースは少なくありませんが、また別の経緯(いきさつ)を辿るものが沢山あるのです。
ところでこの母子が語り合っている間、私たちは学校の構内を回って各種の教育器機を見学しました。その中に私が特に目を引かれたものがありました。直径6~7フィートもあろうかと思われる大きなガラスの球体で、2本の通路の交叉する位置に置いてあり、その通路の辺りの様子が球体に映っておりました。
ところがその球体の内部を覗くと、花とか樹木とか植物が茂っているだけでなくそれが遠い過去から枝分れして来たその根元の目(もく)まで見分られるようになっているのです。それはさながら地上における地質学の化石による植物進化の学習のようなものでした。
ただ地上と異なるのはそこにあるのは化石ではなく実際に生きており今も成長しているという事です。それも原種から始まって今日の形態になるまでが全部揃っているのです。
子供たちの課題は次のようなものであると教わりました。即ち実際にそこの庭に生長し球体に反射して見える植物、樹木、花などがどういう過程を経て進化してきたかを勉強し、そこから今度はそれが将来さらにどういう具合に進化していくかを心象として創造してみる事です。
知的才能のトレーニングとして実に素晴しいものですが創造されたものは大体において苦笑を誘うような“微笑ましい”ものが多いようです。さ、あまり長くなりすぎてもいけませんね。続きはまた書けるようになってからにしましょう。神のお恵みを。さようなら。
「ももちゃんシルキー詳細描画に入ります」ストーリーをさらに描き進める事になるのかどうか(祈)†
つまり僕が今後アナログ絵ストーリーでももちゃんとシルキーを長らく描き続けていくという意味に取れるメセとなります。となるとつまり僕が暗殺されるならももちゃんとシルキーを描き続けられなくなるはずですから、上記の「お前を殺すぞ」のインスピレーションはやはり明仁、文仁、徳仁、悠仁の「最後の悪あがきの脅しの言葉」であって僕の暗殺の可能性は低いと予測します。特にシルキーは重要です。ハイそしてこのインスピレーションが僕はずっと首を傾げている内容なのですが、霊団によると僕が描き続けている使命遂行キャラクターの中で「シルキーが1番人気」なのだそうで、今回も霊団がそれを強調してきたという事になります。まぁ人気がないよりはあった方がもちろんいい訳ですが描いている僕的には「なぜシルキー?」とだいぶ首をかしげてしまうのです。以前「スマホ待受フルカラーイラストダウンロードプレゼントをやりたい」と書いていた事がありますがAffinityPhotoにだいぶさわり慣れてきた事もありますので時間とパワーが許すならシルキーの待受を制作してみたいものです…続きを読む→
「もうウソは必要ないと思う」明仁、文仁、徳仁、悠仁が必要ないという皆さまの思念です(祈)†
もっと噛み砕いて分かりやすい表現で言ってみましょう、こうです。すっとぼけ続けている。という事です。公の場でメディアに向かって「たきざわ彰人、お前そろそろいい加減にしなさい」などと怒りの発言をしたらどうなりますか。僕のブログに一気にアクセスが集中してネット中に議論が噴出するはずです。で、ここで皆さまお考え下さい。もしコイツら、明仁、文仁、徳仁、悠仁が何も犯罪行為をしていない、心にやましい事がないのであれば議論が沸き上がって何も困る事はないはずです。かえって自分の身の潔白が証明される事になって願ったり叶ったりのはずです。しかし「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁はその議論が勃発しないように視点外しに終始していますね。行動には動機がある。つまりこうです、コイツらの邪悪の正体は実はもうとっくの昔に「周知の事実」なのです…続きを読む→
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