【1/20】霊界通信 ベールの彼方の生活 1巻 「天界の低地」篇 3章 暗黒から光明へ 1 愛と叡智

1913年10月10日 金曜日

私たちの日常生活とあなた方の日常生活とを比較して見られれば、結局はどちらも学校で勉強しているようなものである事、実に大きな学校で沢山のクラスがあり、大勢の先生がおられる事、しかし教育方針は一貫しており、単純な事から複雑な事へと進むようになっている事、そして複雑という事は混乱を意味するのではなく、宇宙の創造主たる神を知れば知るほどその知る喜びによって一層神への敬虔なる忠誠心を抱くように全てがうまく出来あがっている事を悟るようになります。

そこで今日も従来からのテーマを取り上げて、こちらの世界で私たちが日頃どんな事をして過ごしているのか、神の愛がどのように私たちを包み、謙虚さと愛を身につけるにつれて事物がますます明快に理解されていくかを明らかにしてみましょう。

こちらの事情で大切な事の1つに叡智と愛のバランスが取れていないといけない事が挙げられます。両者は実は別個のものではなく1つの大きな原理の2つの側面を表しているのです。言わば樹木と葉の関係と同じで、愛が働き叡智が呼吸しておれば健全な果実が実ります。

解りやすく説明するために私たちが自分自身の事、及び私たちが指導する事を許された人々の世話をする中でどういう具合にその愛と叡智を取入れて行くか、1つの具体例をあげてみましょう。

つい先頃の事ですが、私たちは1つの課題を与えられ、その事で私たち5人で遠く離れたところにある地域(コロニー)を訪れる事になりました。目的は神の愛の存在について疑念を抱き、あるいは当惑している地上の人間に対して取るべき最良の手段を教わる事でした。

と言うのも、そうしたケースを扱う上でしばしば私たちの経験不足が障害となっていましたし、またあなたもご存知の通り地上にはそういう人が多いのです。

そこにあるカレッジの校長先生は地上では才能豊かな政治家だった方ですが、その才能が地上ではあまり発揮されず、こちらへ来て初めて存分に発揮できるようになり、結局地球だけが鍛練の成果が発揮される場でない事を身をもって理解された訳です。

訪問の目的を述べますと、その高い役職にも拘わらず、少しも偉(えらぶ)らず、極めて丁重で親切に応対されました。あなたたちなら多分天使と呼びたくなるだろうと思われるほど高貴な方で、もしそのお姿で地上に降りたら人間はその輝きに圧倒される事でしょう。

容姿もお顔も本当に美しい方で、それを形容する言葉としてはさしずめ“燦然たる光輝に燃え立つような”というところでしょう。親身な態度で私たちの話に耳を傾けられ時おり静かな口調で“それで?”と言って話を促され、私たちはついその方の霊格の高さも忘れて、恐れも遠慮もなく話しました。するとこうおっしゃいました。

「生徒の皆さん – ここにいる間は生徒という事にしましょう – お話は興味深く拝聴致しました。と同時に、そういうお仕事によくある問題でもあります。さて、そうした問題を私が今あっさり解決してあげれば皆さんは心も軽くお仕事に戻る事ができるでしょう。

が、イザ仕事に携わってみるとまたアレコレと問題が生じます。なぜか。それは1番に心に銘記しておくべき事というものは体験してみなければ解らない細々(こまごま)とした事ばかりだからです。それがいかに大切であるかは体験してみて初めて解るという事です。では私についてお出でなさい。大事な事をこれからお教えしましょう。」

私たちは先生の後について敷地内を歩いて行きました。庭では庭師が花や果物の木の剪定などの仕事に専念しておりました。小道を右に左に曲りながら各種の植込みの中を通り抜けました。小鳥や可愛い動物がそこここに姿を見せます。やがて小川に出ました。

そしてすぐ側にエジプトの寺院のミニチュアのような石の東屋(あづまや)があり、私たちはその中に案内されました。天井は色とりどりの花で出来た棚になっており、その下の1つのベンチに腰掛けると先生も私たちのベンチと直角に置いてあるベンチに腰を下ろされました。

床を見ると何やら図面のようなものが刻み込まれております。先生はそれを指さしてこうおっしゃいました。「さてこれが今私があなた方を案内して回った建物と敷地の図面です。この印のところが今いる場所です。ご覧の通り最初に皆さんとお会いした門からここまで相当の距離があります。

皆さんはおしゃべりに夢中でどこをどう通ったかは一切気にとめられなかった。そこでこれから今来た道を逆戻りしてみるのも良い勉強になりますし、まんざら面白くない事もないでしょう。無事お帰りになってお会いしたら先程お聞きしたあなた方の問題についてアドバイス致しましょう。」

そうおっしゃって校長先生は立ち去られました。私たちは互いに顔を見合わせ先生が迷路のような道を連れて回られた目的に気づかなかったその“うかつさ”を互いに感じて、どっと笑い出しました。

それから図面を何度も何度も調べました。直線と三角と四角と円がごちゃごちゃになっている感じで始めは殆ど判りませんでした。がそのうち徐々に判りはじめました。それはそのコロニーの地図で、東屋はその中心、ほぼ中央に位置しております。

が入口が記されておりません。しかもそれに通じる小道が4本あってどの道を辿ればよいかが判りません。しかし私はこれは大した問題でないと判断しました。と言うのも4本ともコロニーの外郭へ繋がっており、その間に何本もの小道が交叉していたからです。

その判断に到達するまでのすったもんだは省きましょう。時間が掛かりますから。とにかく私の頭に1つの案が浮かび、参考までに提案してみたところ皆んなそれはなかなか良い考えだと言い、これで謎が解けそうだと喜びました。と言って別に驚くほどの事ではないのです。

どの方向でも良いからとにかく外へ出て1番直線的な道を選んでみるというだけの話です。言い方がまずいようですね。要するに東屋からどちらの方角でも良いから1番真直ぐな道を取るという事です。そうすると必ず外郭へ出る。

その外郭は完全な円形をしているから、それに沿って行けば遅かれ早かれ門まで来る事になる訳です。いよいよ出発しました。道中は結構長くて楽しいものでした。そして冒険的要素が無い訳ではありませんでした。

と言うのも、そのコロニーはそれはそれは広いもので、丘あり谷あり森あり小川ありで、それがまた実に美しいので、よほど目的をしっかり意識していないと道が2つに岐れたところに来るとつい方向を誤りそうになるのでした。

しかし必ずしも最短で直線的な道を選んだ訳ではないと私は思うのですが、私はついに外郭に辿り着きました。ついでに言うとその外郭は芝生の生い茂った幅の広い地帯になっていて、全体は見えなくてもその境界の様子からして円形になっている事はすぐに判ります。

そこで左へ折れ、そのまま行くと間違いなく円形をしていて無限軌道のように続いておりました。どんどん歩いていくうちに、ついに最初に校長先生にお会いした門のところまで来ました。

先生は、よく頑張りましたと言って迎えて下さり、その足で建物の前のテラスに上がり、それまでの冒険談 – 私が書いたものより遥かに多くの体験 – をお聞かせしました。先生は前と同じように熱心に耳を傾けて下さり

「なるほど。結構立派にやり遂げられまし目的を達成し、ここまで帰って来られたのですから。ではお約束通りあなた方の学ばれた教訓を私から述べさせて頂きましょう」と言って次のような話をされました。

「まず第1に行きたいと思う方向を確認する事。次に近道と思える道ではなく1番確実と思える道を選ぶ事。その道が1番早いとは限りません。限りなく広がると思えたこのコロニーの境界領域までまずやって来る。その境界線から振り返るとそれまで通り抜けて来た土地の広さと限界の見当がつく。

要はそれまでの着実さと忍耐です。望むゴールには必ず達成されるものです。又、その限られた地域とその先に広がる地域との境界領域に立って見渡すと、曲りくねった道や谷や小森が沢山あって、あまり遠くまで見通せなくても全体としては完全に釣合いが取れている – 要するに完全な円形になっており内部は一見すると迷路でごた混ぜの観を呈していても、より大きい、あるいはより広い観点から見ると全体として完全な統一体で、実質は単純に出来ている事が判るはずです。

小道を通っている時は迷うでしょうけど。それにその外郭を曲線に沿って行くと限られた範囲しか目に入らなかったでしょう。それでもその形からきっと求める場所つまり門に着けると判断し、その理性的判断に基づいた確信のもとに安心して辿って来られた。

そして今こうして辿り着き、少なくとも概略においてあなた方の知的推理が正しかった事を証明なさった訳です。さてこの問題は掘り下げればまだまだ深いものがありますが、私はここであなた方をこの土地にいて私を援助してくれている仲間たちにお預けしようと思います。

その人たちがこの建物や環境をさらにご案内し、お望みならもっと広い地域まで案内してくれるでしょう。面白いものが沢山あるのです。その方たちと私が述べた教訓について語り合われるとよろしい。少し後でもう1度お会いしますのでその時に話したい事や尋ねたい事があればおっしゃって下さい」

そうおっしゃって私たちにひとまず別れを告げられると、代って建物の中から楽しそうな一団が出てきて私たちを中へ招き入れました。まだまだ続けたいけどあなたにはまだお勤めが残っているから今日はこの辺で止めにしましょう。少しの間とはいえこうして交信のために降りてくるのは楽しい事です。あなたを始め皆さんに神の祝福を。母とその霊団より。

「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†■2023年6月28日UP■
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に落ちるのは自己責任、アキトくんには何の責任もないし、キミが物質界生活中にこの者たちを滅ぼさなくても自動的に肉体が朽ちて帰幽して地獄に落ちるのだからどちらでも結果は同じである。奴隷の女の子たちに関しても自ら犯した過去の大罪の罪障消滅を目的として物質界に降下した人間なのだから、苦難の人生をやらされるのが当たり前(自己責任)それを助けてあげたら本人のためにならない、アキトくんの気持ちは分からないでもないが帰幽して我々(イエス様)と同じ視点から眺められるようになれば納得できるであろう。つまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を物質界生活中に滅ぼせなくてもそれは別にアキトくんの努力不足ではなく、奴隷の女の子を助けてあげられない事もキミのせいじゃない。我々(イエス様)は絶対的有利なポジションに立っているので、その人間たちをアキトくんの霊的進歩向上に大いに活用させてもらった…続きを読む→
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†■2023年9月13日UP■
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†
認めたくありませんが、まぁ脱出は結局実現しないでしょう。最後の最後まで閉じ込められる事になるでしょう。しかしそう思ってあきらめながら暮らすのは僕的には絶対に有り得ないのです。僕はいつでも全力です。自分にできる事を全力でやるのです。とにかく当分は絵を描き続けます。死んだ魚の眼をしながら無目的でただ物質界に残り続けるなんて死んでもガマンできない。何かに燃えなければ生きられない。霊団が使命遂行やる気なしの態度をこれほどハッキリ撃ち出しているんだから僕は僕本来の燃えるモノを追いかける以外にないだろう。いつかは反逆から手を引かざるを得なくさせられるだろうと容易に予測できますが、その「下を向きながら生きる」姿勢が許せないんだよ。最後の1秒まで全力でやるべき事をやれよ。人の人生これだけブチ壊してるんだから責任を果たせよ…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†