「ベールの彼方の生活2巻」最終校正50%完成中。表紙の線画も描いています(祈)†
フラーを描くのを止めた事がまだ心に引っかかってますが、そんな事言ったってひとりの人間にできる作業量には限界というものがある、なんもかんもはできない、アレをやろうと思ったらアレを切り捨てないといけないのが道理、今は仕方ない、書籍の作業に集中するんだ。きっとフラーに戻る日も来る。物質界生活中にはもう来なかったりして。それはそれでよし。
両腕両足のしびれはまだ完全に抜けていません、漢方を飲み続けていますが霊団に閉じ込められている場所での作業がしびれを誘発しているので、その場所から離れない限り漢方もへったくれもなく、イタチごっこで一向に治りません。このまま行ったら山で登攀できなくなる可能性さえある。そうなる前に脱出を完了させないといけませんが、僕の意思は徹底的に無視されるのでしょう。この人生、一体何だというのか。
これだけ身体に異常が現れても全く脱出できないとは一体どういう事なのだろうか。こんな状態のまま閉じ込められるのは絶対に有り得ないはずだ、必ず出られるはずだ、とにかく書籍データは作り続けつつ僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくるという可能性を模索してみましょう。作業だけは全力続行中(祈)†
「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†
物理霊媒の場合は単純にエクトプラズム量が多い人間を霊媒として使用し、その人間の性格、霊格は関係しないという事なのだそうですが、霊言霊媒という事になるとその霊媒の人間性、人格、霊格が降らせる霊言のクオリティに大きく影響するのだそうです。つまり霊媒の霊格が低ければ降らせる霊言も程度の低い、クオリティの落ちたものになる、イヤ、そもそも支配霊とその人間との間に霊格の差がありすぎて融合する事ができず霊媒として使用できないという事もあります。逆に霊媒の霊格が高ければ高いほど支配霊は語りたい事を自由に語れるようになり、霊言のクオリティが上がるという事になります。支配霊をリーダーとした交霊会運営のための霊団側は高いレベルの霊言を降らせる準備が常に整っています。しかしそのクオリティを維持しながら物質界に霊言を降らせる事は至難の業で、霊媒側の受容能力、信頼感の欠如、霊格の低さ等が障害となって、だいたいにおいて霊側が犠牲を強いられる事になり、当初予定していたものよりクオリティの低い霊言を降らさざるを得なくさせられるのが常のようなのです…続きを読む→
■アナログ絵359「ベールの彼方の生活1巻」復刊書籍表紙UP。描き上げても復刊できない(祈)†
ご母堂の言葉で僕が特に気に入っているのは「悲劇をただの不幸と受け止める事がいかに狭い量見であるか」(29ページ)という部分で、僕は霊性発現とともに使命遂行人生に突入させられ、人生を完全に破壊されて最悪の状態に閉じ込められ続けている関係で霊団を心の底から激しく憎んでおり、本当の本気で反逆しまくっていますが、その破壊された人生も「その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になる」の言葉のように、最終的には全て佳きようにおさまるのでしょう。使命遂行を最後までやり切れば、の話ですが。あともうひとつ、ご母堂の言葉で僕の胸に突き刺さるものとして「確固たる来世観をもっておれば決断力を与え勇気ある態度に出る事を可能にします。」(72ページ)というものもあります。これはオーエン氏が教会長老から弾圧を受けて弱気になっていた事を受けて「勇気をもってこの使命に邁進(まいしん)しなさい」と、言わば母が息子の“おケツをひっぱたいた”という事だと思うのですが、イヤー僕もこういう母に恵まれたかったですね。っとと、僕には“真実の母”守護霊様がいましたね。僕の性格は守護霊様のデザインであり、現在このような使命遂行人生が送れるのも(苦しい事イヤな事ばかりで全然うれしくも何ともありませんが)守護霊様が“導きのプロ”だったおかげです…続きを読む→
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