【6/3】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†

「ホワイトイーグル霊言集」より→「人間の魂は沢山の放送局に波長が合わせられる受信器です。あるいは欲望と不安渦巻く暗い幽界に、あるいは全ての生活が神の美の表現である境域へ、もし望むなら、太陽系の他の諸天体へまでも。人間とはまことに、天馬の羽を授けられた生きものです」

「ホワイトイーグル霊言集」より→「古代人の身体は、現代人の肉体よりも精妙な波長を持っていました。それは大自然の力、母なる神に同調していたからです。即ち、霊的な力や光に開かれた目を持っていたという事です」

「ホワイトイーグル霊言集」より→「人の恐れる死とは実際は新しいものの始まりなのです。その時、大いなる光が魂の上に広がり出ます。皆さん、肉体に閉じ込められていた魂が、豊かな生へと脱出する事です。ゆめゆめ恐ろしいものだと思わぬように」

「ホワイトイーグル霊言集」より→「なぜ、上方世界から地上に来る霊達の姿は光明体に見えるのでしょう。なぜ、天界には光が満ち溢れているのでしょう。その真相とは、生命とは光だからなのです。重ねて強調します。光とは生命です。生命とは光です」

「ホワイトイーグル霊言集」より→「もし魂が鈍重な物質の中に下降しないとしたらどうでしょう。魂は自己を知る事もなく、内在の力に気付く事もなく、ついには自己神性を悟る時もないでしょう。ここに地上出生の意味を汲み取って頂きたい」

「ホワイトイーグル霊言集」より→「正しい考え、正しい生活、正しい感情と行為、また自分を裁いても決して他者を裁かない、これによってあなたの肉体原子は浄化されます。その時、あなたには想像を絶した意識の飛躍が起こり、幸福を見ます。それは現世において可能な事です」

「これが死後の世界だ」より→「スピリチュアリズムによれば、死後の世界は幾段階かの“界”に分けられ、それぞれの界にさらに幾つかの“境涯”があるという。境涯は地上の地域または国に相当し、そこでは性格の似通った者同士が地上と同じような共同生活ないし社会生活を営んでいるという」

「これが死後の世界だ」より→「親和力の作用が地上とは比較にならぬほど強烈であるために、たとえ他の境涯を訪れる事はできても、いつまでもそこに留まっている訳にはいかない。自分の境涯に引き戻そうとする“引力”と、他の境涯に寄せつけまいとする“斥力”とが働くからである」

「これが死後の世界だ」より→「一つの境涯と他の境涯とは性格的に異なっているばかりでなく、高級低級といった程度の差もある。それゆえ霊格が向上してくると次第にそれまでの境涯にいたたまれなくなり、その向上した霊格に似合った他の境涯へ引っぱられていく」

「これが死後の世界だ」より→「霊格がある程度以上に向上してくると、より一層の向上進化のために自分の属する境涯より上の界を訪れたり、自分より下の界、時には地上の人間の守護、指導、救済のために降りたりする事もできるようになる」

「これが死後の世界だ」より→「霊魂は常に進化を求める。言いかえればより高い霊格を求めてやまない。そしてある時期が来ると、その向上した霊格が今までの界に合わなくなってくる。合わなくなると共に、その霊格に合った次の世界がありありと見えるようになる」

「これが死後の世界だ」より→「死後の世界が夢まぼろしのような“静”の世界ではなくて、しっかりとした実感のある“動”の世界だという事である。その実感は地上人の理解を超えるほど強烈で、上の界へ行くほど一層強烈になっていくという。地上こそ“存在の初歩的段階”であるらしい」

「これが死後の世界だ」より→「死後の世界は向上進化の世界である。どの霊も霊格の成長と共に一界また一界とその霊格に合った境涯へ向上していき、理屈はともかく実際上は終わりがないと語っている。こうした来世観は我々人間に大いなる希望と勇気と生きがいを抱かせてくれる」

「これが死後の世界だ」より→「物質的あるいは精神的に苦境に喘ぐ人は、逃避しがちな消極的姿勢から、それを正面から受け止めて忍耐と希望をもって克服せんとする積極的姿勢へと転換するきっかけを与えられる」

「これが死後の世界だ」より→「死後の世界では教義や進行は何の役にも立たない。身分や家柄も意味がなくなる。大切なのは内的人間性即ち霊性のみだという。自分が蒔いたタネは自分で刈り取らなければならないのである。その意味で、地獄も天国も自分でこしらえる事になる」

「これが死後の世界だ」より→「人間に霊魂がある以上、これが生活する場即ち霊界があるというのは理論的に当然の帰結である。その生活の場は事実上限りなく続く。地上はその個的意識をもった人間の永遠の旅の出発点であるらしい」

「これが死後の世界だ」より→「普遍的霊の世界から有限の個的意識体がこの物質界に誕生し、そこから一界一界と向上していく。地上生活の目的はそこにある。古賢の言葉に“生命は鉱物の中で眠り、植物の中で胎動し、動物の中で夢を見、人間において目を覚ます”とあるが、その通りである」

「これが死後の世界だ」より→「ある霊は、地上の人間は半分居眠りしているようなものだという。そして、死んではじめて目が覚めるのだという。となると、その半醒半夢の地上生活で犯す過ちは一夜の悪夢に過ぎぬのかも知れない」

「これが死後の世界だ」より→「霊的能力さえ目覚めれば内的世界をのぞく事ができる。芸術家のインスピレーションも、ことごとくその内的世界からの贈り物なのである。それは人間が地上にいながら実質は霊の海の中で生きている事の証拠である。地上は決して宇宙の中の特殊な生活場ではない」

「これが死後の世界だ」より→「死後の世界の情報は読めば読むほど希望に満ち、人間に勇気を与え、善意の心を呼び覚ましてくれる。その全ては理解しつくせないが、少なくとも死の彼方にも生命の旅が続くという事だけは厳然たる事実である。本書はその死後の世界の一端を披露したに過ぎない」

「これが死後の世界だ」より→「事実は肯定するよりも否定する方が難しいこういうものが存在すると主張するよりそんなものは存在しないと断言する方がよほど難しいし慎重を要する。霊の存在、霊界の存在も、これをきちんとした論拠なり実証でもって否定する事はまず不可能である」

「これが死後の世界だ」より→「死後の世界の存在はもはや信仰の領域を出て、厳然たる事実となったと言ってよい。事実はどうしようもない。在るものは在るのである。ガリレオが“それでも地球は回る”と言いながら死んだというが、いかに否定してみた所で霊の世界は厳然と存在する」

「これが死後の世界だ」より→「大半の人間は必ず死ぬ事を知っていながら現実には永遠に死なないかのような呑気な生活をしている。一方、明日の命も危ない状態で必死に生きている人もおられるであろう。そのいずれの人にとっても、死後の存続という事実は放っておけない重大な事実に違いない」

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†