海に面した、ヨッパという町に、1人の評判の良い商人がいた。彼は厳しい戒律を良く守る、会堂の長老の1人であった。彼の名は、レビといって、1人娘を持っていた。娘の名は、ドルカスといい、父の友人からとてもかわいがられていた。
彼女がまだ若い頃、町に住む有力な商人から結婚を申し込まれたのであるが、彼女は神様に一生を棒げることを願っていたので、独身を通していた。父は世継ぎが欲しいので、しつこく結婚を薦めていたのであった。
ドルカスが中年になった頃、父のレビはエルサレムに行き、神殿で礼拝し、長老たちとモーセの律法について話し合うことになった。彼は先祖から伝えられた信仰を心から愛していた。かってモーセの時に、石の板に刻まれた戒め(十戒のこと)に沿って、右にも左にも曲がらないようにと努力した。
ドルカスは、先祖伝来の信仰に対して一目を置いていたが、ヨッパの若者たちは、この戒めに従っていないように感じられた。彼らは、おっちょこちょいで、陰では悪いことを平気で行い、未婚者は密通し、陰ではモーセの律法を犯していたのである。
つまり、彼らは偽善者であった。それで彼女は誰とも結婚する気にはなれなかったのである。彼女は先祖から伝えられた信仰から次第に遠ざかってしまった自分のことを考えていた。
しかし、どうしても信じる気にはなれなかった。ドルカスは一心にイスラエルの神に祈った。どうか、このような人々に怒りを発し、滅ぼしてしまうことのないように懇願した。
彼女は父と一緒にエルサレムに行った。夕暮れになって父の友人と一緒に道を歩いていると、突然普通の人とは全く違1人の男が現れた。彼は背がたかくスラリとしていて、額に王の徴を持ち、その歩く姿には威厳がただよっていた。
彼の瞳は美しく穏やかで、満面に平和がみなぎっていて、この世のはじめから人類が味わった総ての不幸を一身に背負ったような生き様を感じさせる人物であった。彼の前に多くの人が集まってきた。
彼は偉大な領主のような威厳を持っていたが、身に付けているものは貧しく、履いている靴は破れ、上着はボロボロであった。ドルカスは彼を見上げ、先生!と叫び、足元にひれ伏した。ドルカスは彼がキリストであることを知らなかったが、彼女の霊はそれをよく知っていたので、このような挨拶をしたのである。
キリストは道路から少し離れた所に立ち、彼のまわりには多くの人々が取り囲んでいた。それは、まるで蠅の大群のように、あちこちから集まって来た。ドルカスは彼の足元に座り、たとえ話による彼の話を聞くことができた。
それは、どんな人の内にも霊が宿っていることを知らねばならないこと、そして、それを見付けることができない者は、本当の自分自身を失ってしまう、という教えであった。彼は、とても分かりやすく真理を伝えた。
ドルカスの父は、彼女をせきたてて群衆の中から連れだしてしまったので、彼女は2度とキリストにお目にかかることはなかった。日が暮れてからドルカスは、キリストが話してくれたことを思い出していた。
翌日になって神殿に行ってみると、庭で1人の若者がキリストの福音を述べ伝えているのを聞いた。そのときに始めて彼女は、あの方の名前(イエス・キリスト)を知り、彼を信ずる者となった。
それ以来、2度とキリストを見ることはできなかったが、ひそかに彼の教えを学んでいた。公然とはキリストの教えを学ぶことはしなかった。父が余りにも祭司や長老と親しくしており、キリストを信奉する者のことをひどくけなしていたからである。
父からは、キリストはモーセの律法を破壊しようとしていると聞かされていた。更に、歴代の予言者を見くびり、自分を神であると言い出す不埒な奴であるとも言っていた。
彼女はささやかな抵抗を試み、キリストが神でなければ、神と共に居る方であると主張すると、父は憤然として彼女の口をたたいて黙らせた。その時から彼女はキリストのことを話さないようになった。
ヨッパに帰ってから、ドルカスはキリストの教えを心の内に秘め、彼女の生きる支えとした。ヨッパの状態は日ごとに悪化していた。ドルカスは彼女の同志であるクリスチャンのことで大いに心を悩ました。クリスチャンは目の仇にされ、悪口を浴びせられ、町中からクリスチャンは放逐されていった。
年老いたドルカスの父は、ますます頑固になっていた。ドルカスが女たちにキリストのことをしゃべったということが父にもれた時、2度と同じことを繰り返したら、家から追い出してしまうと言い出した。鳥が遠くから種を運んできて一粒の種でも、肥えた土地に落ちると多くの収穫が得られるものである。
乞食が施し物を貰いにドルカスの所へやってくると、彼女は施し物と共に、キリストの教えをこっそり伝え、信じさせてしまうのである。このようにしてキリストの福音は、ヨッパにいる謙遜(けんそん)な人々に伝わっていったが、金持ちや偽善者はキリストのことを知ることはできなかった。
ドルカスは善良な女たちを集め、服をこしらえては貧しい人々に与えていた。そして裁縫する女たちにキリストの教えを伝え、絶対に夫たちには話さないように命じた。もしかして、そこから父の耳にでも入ったら大変だったからである。
ある日のこと、ドルカスや女たちが縫い上げた服を貧しい人々に与えてから、彼女達は心を合わせて祈り、キリストの言葉を味わっていた。ドルカスが声をかけて集まってきた人々は、若者や親戚ばかりではなく、遙かエルサレムからヨッパにやってきた商人もいた。彼らは数日の間、父の家に止どまっていた。
折りも折り、悪い知らせが町中に伝わった。キリストが木に吊されて殺され、数日後に墓からよみがえって多くの弟子たちの前に現れている、という情報であった。
父は、それみたことか、大罪人の末路とはこんなものだとナザレのイエスのことを散散けなした。ドルカスは冷静に聞いていた。彼女の心は真理という宝に包まれていたからである。
いよいよエルサレムに迫害が始まろうとしていた頃、迫害の波がヨッパにも押し寄せてくるという噂がひろまった。それで一時は、信仰の灯が消されてしまうのではないかと心配した。最後は、自分と女たちと乞食だけが主を信じる者となるのではないかと考えていた。
日ごとに殺されていくクリスチャンのことを悲しみ、そのような尊い殉教者を悪し様(あしざま)にあざける父の言葉を耳にするたびに心は痛んだ。彼女は日々祈り、恐怖と疑惑と闘い、ついにそれらに打ち勝つ時がやってきた。
エルサレムで迫害が中止されたという報(しら)せがヨッパに伝わった。それでドルカスは神のあわれみに感謝した。もうこれで教会は滅ぼされる心配が無くなった。しかしヨッパでは、金持ちのユダヤ人や商人たちは、ますます悪にそまっていった。
ドルカスはそのことを父に話すと、それは女の口出しすることではないと言われた。そしてしばらく静観していれば、自然と良くなっていくであろうから、決して悪人を軽蔑してはならないと言った。
しかしドルカスはひそかに心を痛め、ヨッパに使徒の一人を派遣して欲しいと祈った。堕落したヨッパの人々を救いたい一心からであった。彼女の祈願はなかなか聞き入れられず、町中に熱病が流行した。
ドルカスもやがて熱病にかかるのではないかと覚悟していた。彼女は乞食たちと一緒に、熱病におかされた信仰の友を助けて歩いた。熱病の流行が峠を越した頃、ドルカスはすっかり疲れてしまい、ついに彼女も熱病にかかり、危篤状態になった。
父親のレビも同じように熱病にかかっていた。ドルカスの病は重かったにも拘わらず、意識ははっきりとしていた。彼女はまだやりとげねばならないことがたくさんあったので、もっと生きながらえたいと望んでいた。介抱する女に彼女の深い悲しみを語った。
このヨッパの町にキリストへの信仰の芽生えが見られないことを嘆いたのである。自分がその大役を果たすために選ばれた筈なのに、と嘆くのであった。与えられた役目を果たさずに死ぬことは、大変大きな罪なので、死んでも死にきれないと言って悲しむのであった。
さてエルサレムには、再び平和は訪れていた。ペテロは、エルサレム以外の町に住んでいる信者たちの様子を伺っていた。迫害をのがれるために多くのクリスチャンは、エルサレムからあちこちに散らばってキリストの福音を伝えていた。
それで12使徒は、それぞれの地に在って活躍している信者を助けてやらねばならなかった。町や村ごとに組織を作り、エルサレムを中心に使徒から様々な指令を与えた。ペテロは教会をつくったり、熱弁をふるって信者たちを教育するのに忙しかった。
ペテロは祈りと信仰と愛をまし加えるように励まし、自己の精神力に頼らず、むしろ、霊の働きを求めるように教えた。それは最も確かな教えであった。
人間の精神力は、信仰と兄弟関係にあるもので、信仰に導かれている時にのみ本来の力を発揮し、神の目に正しいと思われることを為すものである。従って、信仰と理性は互いに働きあってキリストの真理を見いだすことが出来るのである。
この場合、キリストの真理とは、あなたがたの為に死んで下さった、ということをペテロは説いて信者たちを励ました。
ペテロはルダという小さな町にやってきた。そこには指導者が1人も居ないので信仰を疑っている者もいた。それで彼はしばらくの間ルダに滞在し、霊の御助けを得て、信仰を疑っている者に対して奇跡を示すことができるように祈り求めた。
すると、ある朝のこと、一陣の風が吹いてきて彼の周りを舞い回った。その途端、この世のものと思えぬ喜びがこみあげてくるのを感じた。ペテロはその家から出て、導かれるままに数日の間歩き回り、あるクリスチャンの家に入った。
彼は八年の間、病気に悩まされていた。体が石のように堅く、思うように動かすことができなかった。彼の名は、アイネヤといって、信仰のお陰でキリストの教えを知ることができた。ペテロが入ってきたときに、彼は大声をあげて叫んだ。
「私は、長いあいだ、あなた様がおいでになるのを待っていました。おお!なんと8年もの間、この聖なる予言者の訪れを待ちわびていたのです。どうかあなた様の中に宿っておられる霊の御力によって私の体を癒やして下さい、そうすればこの堅い体は再び立ち上がって歩くことができるでありましょう」
そこでペテロは手を彼の頭に置きながら言った。「立ち上がりなさい!そして床を取り上げて歩いてごらんなさい!」アイネヤの周りに大勢のクリスチャンが集まって来た。彼らは、日ごろアイネヤの語っていた信仰を疑っていた。彼は必ず信仰によって病気が治ると言っていたからである。
ところがどうであろう、彼の目の前でそれが現実となったのである。彼は自分のベッドを片付け、歩きだしたのである。彼らは口を揃えて叫んだ、「ペテロは神様だ!」そして彼の足元にひれ伏して奇跡に感謝した。その中にはヨッパから来ていた商人がいて、早速このすばらしい出来事を伝えた。
さて、ドルカスは信者となった乞食たちに看取られて、息を引き取ろうとしていた。乞食たちはルダでのすばらしい奇跡のことを聞いて、きっとこの聖なる予言者ならば、この忌まわしい疫病をドルカスから追い払ってくれるに違いないと考えた。
そこで足の早い2人の男がルダに向かって走り、なんとしてもペテロを捜しだし、ドルカスのところへ連れてこようとした。ドルカスの容態は悪化し、彼女を愛する者たちが周りに集まった。ドルカスの父が死んだので、ドルカスの寝ている部屋へ人々が集まってきた。
彼女の顔には主のもとに召される喜びというようなものは全然みられなかった。彼女の祈りが実現しなかったからである。枕辺にいる者たちの目には、ありありと彼女が苦しみもがいているのがわかった。
まるで囚人が牢獄の戸をたたいているようであった。彼らは彼女を慰める術もなく、ただ無言で見守るしかなかった。ついにドルカスは息をひきとった。
彼らは埋葬の支度を始めた。清潔なリネンの上に亡きがらを安置し、葬式用の香料を持ってきた。そこヘペテロをルダに捜しに行った2人の者が帰って来た。ペテロも一緒であった。
ペテロはここに来る途中、自分が神の御手のうちにある喜びを感じていた。ペテロはキリストを信奉する女が横たわっている部屋に案内された。彼はドルカスを一目見て、彼の内に宿っている霊力によって、彼女が何を強く願っていたかを察知することができた。
更に彼は、彼女の霊体が肉体のすぐそばに居て、再び肉体の中に入っていくのがわかった。ペテロは聖霊の光を彼女に注いだ。すると、たちまち肉体が癒やされ、ドルカスの霊が肉体に戻り、彼女の肉体は神の住まう神殿となった。(※)
聖なる予言者(ペテロ)を見守っていた乞食たちは、ペテロとドルカスの周りに霧のようなものが漂っているのを見た。そしてただひとこと、ペテロが「タビタ(ドルカスの別名)よ!おきなさい!おまえの祈りは聞かれました!」と言った言葉が聞こえただけであった。
するとどうであろう、深い眠りについていた彼女の体は動き出し、みんなの目の前に座りニッコリと笑った。彼女にはもう疫病の影かたちも見られなかった。肌は生き生きと色づき、りんりんとした声でペテロに挨拶をした。
目撃した人々は大いに驚いて、ドルカスの親戚の者たちはこのことを町中にふれまわった。口から口へとの間を風のように伝わったので、ドルカスを馬鹿にしていた連中も大勢彼女の家に押し掛け、ペテロの話を聞きにやってきた。ペテロが人々の前に現れ、とうとうと話を始めた。
霊の力が彼を助け、キリストのことを証言し、十字架上で犠牲になったキリストのお陰で人間は救われたことを説いた。キリストをあざけった者たちは、その非を悔い改め、信仰を嫌っていた連中はきそってペテロから洗礼を受けたいと申し出た。
このようにして生き返ったタビタは、主が彼女の望みをかなえて下さったことを知った。彼女が生き返ったことによって、堕落していた人々はキリストの名を信じるようになった。
売春婦は宝石類や美しい洋服などをペテロの足元に置き、商人は多額の献金を捧げ、年輩の女たちはどぎつい化粧や髪などを止めてしまった。ドルカスの父のような厳格なパリサイ派の人々もキリストが犯罪者であったという考え違いを改め、ペテロにざんげして主イエスの教えに従った。ペテロは長い間ヨッパに滞在し、教会づくりに努力した。
ペテロが去ってからは、1人も宣教者がいなかった。しかしドルカスは休みなく教会の働きを続け、女たちを教育しては彼女の夫たちにキリストの教えを伝えさせた。ドルカスはこのように活躍して、ついに死んだ。
彼女の愛した町ヨッパは、彼女の願っていたように、清潔な町となり、彼女の死に顔には平和の微笑がうかんでいた。主のために多くの人々を信仰に導く努力をした女は、ドルカスが最初であった。このことは聖書に記されていないので、私がそれを補足したのである。
(※)著者注 – ドルカスが死から生き返ったことについて、ひとこと付記しておかねばならない。聖書では、ペテロがすべての人々をドルカスの部屋から出したと述べているが、本当はそうではない。
余りにも多くの人が部屋の中に溢れていたので、やむを得ず部屋から出したことは事実であるが、乞食や親戚の人々は部屋の中に残っていたのである。それでペテロの奇跡の一部始終を目撃することができた。私は、そのときに彼らが見た、ありのままの情景を伝えているのである。
■2023年10月25日UP■「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†物理霊媒の場合は単純にエクトプラズム量が多い人間を霊媒として使用し、その人間の性格、霊格は関係しないという事なのだそうですが、霊言霊媒という事になるとその霊媒の人間性、人格、霊格が降らせる霊言のクオリティに大きく影響するのだそうです。つまり霊媒の霊格が低ければ降らせる霊言も程度の低い、クオリティの落ちたものになる、イヤ、そもそも支配霊とその人間との間に霊格の差がありすぎて融合する事ができず霊媒として使用できないという事もあります。逆に霊媒の霊格が高ければ高いほど支配霊は語りたい事を自由に語れるようになり、霊言のクオリティが上がるという事になります。支配霊をリーダーとした交霊会運営のための霊団側は高いレベルの霊言を降らせる準備が常に整っています。しかしそのクオリティを維持しながら物質界に霊言を降らせる事は至難の業で、霊媒側の受容能力、信頼感の欠如、霊格の低さ等が障害となって、だいたいにおいて霊側が犠牲を強いられる事になり、当初予定していたものよりクオリティの低い霊言を降らさざるを得なくさせられるのが常のようなのです…続きを読む→ ■2023年11月1日UP■「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†普段上層界で生活している高級霊の方々は波長が低すぎる物質圏付近には降下する事さえできず、降下したとしてもごく短時間しか滞在できないそうです。つまり高級霊であればあるほど最低界の物質界と縁が切れているという事です。で、そこまで上層界では無い境涯で生活している霊は物質圏付近に仕事で降下する事がありますが(僕は間違いなく降下の仕事をやらされるものと思われますが)インペレーター霊が書籍の中でお話しておられますように、物質圏付近に降下すると、地上生活時代の記憶がよみがえり、それが進歩の逆、退歩につながってその霊にとってマズい事になるという事があるそうです。たとえば霊体生活者はもう肉体がありませんが、物質圏に降下すると昔の肉体的煩悩がよみがえってきてそれが退歩につながるのだそうです。もうひとつ、物質界生活時に間違った霊的知識、宗教観等を学んでしまって、帰幽後にその自分の間違いを指導霊に修正してもらって向上を果たした人物が物質圏付近に降下すると、その過去の誤った概念がよみがえってきて霊界で学んだ内容が帳消しになってしまい、それがまた退歩につながるのだそうです…続きを読む→ ■2022年3月16日UP■「我々はホトホト愛想がつきている」天皇一族のガキっぷりに呆れ果てているという意味です(祈)†「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を擁護し賛美し続ける方々、霊的知識に基づいてあなた方の行動を見る時、あまり賢いとは言えません。本のひとつも読めませんか。シルバーバーチのひとつも読めませんか。あくまでも霊的な事を子バカにしますか。あなたが今、生命活動をしているのは、存在し続けていられるのは、あなたが霊的存在だからです。霊的なものをバカにするという事は、自分の生命をバカにしている事になるのです。そのバカにしている霊のおかげであなたはいま生きているのです。おかしな話ですね。いつになったら目が覚めますか※最後にホワイト・イーグル霊の言葉を抜粋し終わりとさせて頂きます。貴方は明日の事が気になりますか。行くべき道が分からないのですか。怖くて1歩が踏み出せないのですか。では、輝く存在に目を向けなさい。じっと耐えて、信をもちなさい。いや、信以上のもの – 神の英知に全幅の理解をお持ちなさい。怖れも気遣いも無用、神は貴方を愛しており、歩一歩と導き給う…続きを読む→