さて、私は暗黒と冷酷のうちに閉ざされていたサウロの魂が、主イエスの教えによって息を吹き返した事をお伝えしよう。これはまさに全人類にとって有益であるからである。
この話は、人間がどんなに多くの罪を犯しても、どんなに邪悪な事をしても、精霊のお恵みによって清められれば、予言者、教師となり、異邦人に真理を伝える器に選ばれる事を示すものである。
サウロと数人の者がダマスコに向かって出発した。旅行の季節ではなかったので沿道に人影は少なかった。サウロは太陽の暑さにヘトヘトになっていた。何日も眠らずに歩きとおしたからである。その上、出がけには長老達からエルサレムでの失敗を責められて頭にきていた。
ガマリエルも彼に言った。「お前はキリストを根絶しているどころか信奉者があちこちにうろついているではないか。急いで手を打たなければお前の方がやられてしまうぞ!」そんな訳でサウロはくさりきっていた。まるで嵐で折れ曲がった樹の枝のように彼の魂は参っていた。
彼に殺された4人の若者が彼のために祈っている姿が目に焼き付いて離れなかった。彼も同行の者も一口も口をきかず目だけが血走っていた。ダマスコに近付いた時、同行の者が殆ど同時に地上に倒れてしまった。彼らは大きな叫び声を聞いた。
見ると、サウロは両手を挙げ、体は地上に倒れていた。サウロの周りには誰もいなかったので同行の者が救助しようと近付くと、穏やかな声が響いてきた「サウロよ!お前はどうして私を迫害するのか」この様な声が3度繰り返された。そして3度目に、ようやくサウロは答えた。
しかし彼の言う事は支離滅裂で、何を言っているのか分からなかった。そして再び穏やかな声が響いているのを同行の者が耳にした。彼らは一体誰がサウロに話しかけているのか辺りを探したがそのような者は見当たらなかった。
周辺には1本の樹もなく視野を遮る物もなく、ただ1本の道路が走っているだけであった。それで彼らは恐怖に襲われサウロを起き上がらせながら言った「先生、一体どうなさったのですか。あの変な声は何者なんですか。先生!私達に教えて下さい!」
サウロは目を開いて彼らを見上げながら叫んだ「真っ暗だ!お前達の声は聞こえるが何も見えないんだ!主が私に話しかけたのだ。私は、私が迫害しているキリストをこの目で見たのだ!」彼は今見たばかりの幻について語って聞かせた。同行の者は言った。「先生は頭がいかれちまったんじゃないか、ともかくご機嫌を損ねないようにしようぜ」
彼らはダマスコのユダスの家にサウロを運んだ。それからエレアザルを探し、先生は病気になってしまったと言った。彼らは、とにかく数時間か、あるいは一晩過ぎれば良くなると思っていた。
次の日になってもサウロの目には何も見えず、急に襲った暗黒の世界は何よりも恐ろしいものであった。彼の霊性は健全でなかった上に、良心の戦いをあまりしなかったので、常に怒りの感情に支配されていた。3日間の間彼は、暗黒の世界に横たわったままで、食物は一切のどを通らなかった。
その間彼は、人間の存在の深さをずっしりと感じ取っている。この苦難に耐える事によって少しでも主イエスに償いが出来るならば、たといこのまま死んでもよいと考えるようになった。しかし時として彼に襲い掛かるものは絶望であった。
彼は自分が犯した悪事を何とか払いのけたいと強く願っていたからである。彼が迫害した人々は、みんなこの世を去っていった。今1番恐ろしい事は、イエス・キリストを信ずる言葉を表明できずに死んでしまうのではないかという事であった。3日目に変化が現れた。
彼の耳元で再びあの声が響いてきた。その声は、彼が異邦人のために主の福音を伝える道を選ぶか、それとも彼のために備えられている道を拒むか、どちらかを選ぶようにとの事であった。彼の霊は躍った。受け入れる用意はできていると叫んだ。
再び見えるようになるならば、声の命ずる使命を果たすために地の果てにまで参りますと答えたのである。「お前が私の重荷を背負って行こうというのなら、お前の行くべき道を指示しよう。それまでは誰とも口をきいてはならない!」とその声は彼に告げた。
一晩中、これから起こる未来の幻が次々と与えられた。それはとても奇異なものではあったが、今の彼には、その意味を十分に理解する事ができた。ところが、ある幻の中に、彼が12使途殺害の密約を結んだ若者たちが出てきた。彼らは、一晩中サウロを呪い続けた。
彼らはサウロを殺すまでは、眠る事も食べる事もしないと誓い合っていた。サウロが多くの人々に、キリストこそ救世主であり死人から復活した事を懸命に教えているサウロに憤慨したからである。他の幻も次々と現れては消えていった。
それらの幻は、全部彼を責めるものであり、彼が縛られ、ムチで打たれ、唾を吐きかけられ、たたかれるといったものばかりであった。更に幻は、どんどん展開し、ついに荒野で飢えに苦しみ悶え、教会を敵視する者から死の苦しみを受けるのであった。
自分の残酷な死に様(ざま)が現れ、辺地で殉教の死をとげるのである。全ての苦悩や災難は主イエス・キリストのためにこそ身に負うものである事が示された。一連の幻が終わると、なおも暗闇が続き、再び例の声が響いてきた。
「サウロよ!選びなさい!お前はこの重荷が背負えるか。お前を待ち受けているものを見たであろう。再び見えるようになった時、お前は課せられた人生を歩むか、それとも今の苦しみから逃げるために死の道を選ぶか」サウロは答えて言った。
「主よ、私の心は定まっています。私に光を与えて下さい。そうすればあなたに従ってまいります」声は2度と聞かれなかった。その夜のうちにアナニヤという者がユダスの家へやってきて、サウロの顔と目の上に手を当て、見えるようになれと祈った。見よ!
たちどころに彼の目は開け、アナニヤの顔が目に映った。サウロは直ちに洗礼を受けたいと懇願した。自分は大罪を犯した人間である事を悔いており、主イエスに帰依したいと熱心に願った。昨日までのサウロは、死んでしまった。彼のかたくなな心は砕け、心に平和が訪れた。
彼はキリストに仕える者となった。奉仕の中に真の自由を見出し、霊の憩いを得たのである。サウロが一心になって悔い改めている頃、主イエスはアナニヤに語りかけ、直ちにユダスの家に行ってサウロと名乗る人の目を開くように命じた。アナニヤは言葉通り実行したのである。
アナニヤを通して霊の力はサウロの両眼を開き、罪深い魂をすっかり癒してしまった。このようにして、キリストの教えに全く触れなくても、1人の男が、幼子のような単純な信仰によって救われたのである。
昔、神殿で学び、パリサイ人としての学問を修めた者が、主イエスの教えの中に真の知恵を見出したのである。以上が、サウロの心が癒された物語である。彼が洗礼を受けた時、周りの者がサウロにこれから何という名で呼んだらいいのかと訪ねた。彼は答えて言った。
「私は卑しい人間です。名乗る値打ちもない男です。しいて名付けるとすれば若き日に私の魂が小さく臆病で愚かであった事を表すものにしたいのです」それで彼は自ら『パウロ』と名付けた。
(訳者注 – ラテン語の Paullus をギリシャ語化した言葉で“小さき者”“小柄な人”を意味する。ちなみにサウロとは、ヘブル語でシャーウールと発音し、“望まれた者”という意味である)
後に彼が、異邦の地で布教に専念している時、みんなは彼の事を先生と呼んでいた。そう呼ばせる事によって、彼は主イエスの前では小さな存在である事、そして兄弟の誰よりも最も卑しい者であろうと努力したのである。