【1/11】霊界通信 ベールの彼方の生活 1巻 「天界の低地」篇 6 暗黒界の天使
1913年9月29日 月曜日
これまでの通信をお読みになるに当たっては地上より高い視野から観るという事が実際にどんなものであるかを、十分に理解しておいて頂く必要があります。そうしないと私たちが述べた事柄に一見すると矛盾するかに思えるところがあって、あなたが不可解に思う事が少なくなかろうと思うのです。
前回の通信におけるキリスト神の具象体の出現と前々回の巨大な裂け目に橋が掛けられる話とは、私には極めて自然に繋ぐ事ができます。
というのは実体のあるものとして – もちろん霊界の私たちにとって実体があるという事です – 実感をもって私が目撃した暗黒界との間のかけ橋は、大天使と配下の霊団が今私たちが働いている界とその霊団のいる高級界との間にかけた“光の柱”と、実質的には同じ目に見えないエネルギーによる現象だからです。
私たちにとってその具象化の現象が、あなた方人間にとっての物質化現象のようなものである事がこれでお判りでしょう。あれは私たち低い界にいる者には使いこなせない高次元のバイブレーションによって、高級霊がこの“父の王国”(※)の中の2つの土地を結んだ訳です。
どういう具合にするのかは今のところ推察する他はないのですが、私たちのように地上からやって来た者には、この界と一段上の界とを結ぶ事は別に不思議な事とは思えないのです。
(※本書ではキリスト教的表現がそのまま使用される事が多い。これも聖書の中のイエスの言葉で、広義には死後の世界全体、狭義にはその上級界すなわち神界を指す事がある。 – 訳者)
あなたにもっともっと私たちの世界の脅威について勉強して頂きたいというのが私たちの願いです。そうすれば地上生活にありながらもそうした事が自然な事に思えるようになるでしょうし、さらにこちらへ来てから全くの不案内という事もなくて済むのではないでしょうか。
地上生活にあってもという意味は、つまりは地上は天上界の胚芽期のようなもので、天上界は地上を磨き上げて完成させたものだという事を悟るという事です。こちらへ来てからの事は言うまでもないでしょう。
そこで、この問題に関してあなたの理解を助ける意味で私たちが大切なものと大切でないものとを見分け区別する、その分類法についてお話してみようかと思います。
私たちは何か困った事が生じると – 私たちの仲間うちだけの話ですが -どこかの建物の屋上とか丘の頂上など、どこか高いところで周囲が遠くまで見渡せるところに登ります。そこでその困り事を口で述べ、言い終るとしばらく、言わば自分の殻の中に退避するように努めます。
すると普段の自分より高い次元のものを見聞きするようになり、大切なものがその視力と聴力に反応し、そのままいつまでも高い次元に存在し続けるのが判ります。一方、大して重要でないものについては何も見えもせず聞こえもせず、それで大切か否かが区別できる事になります。
– 判るような気もしますが何かよい例を挙げて頂けませんか。
よろしい。ではある婦人の例で“不信感”のために進歩を阻害され満足感が得られないまま過ごしていた人の話をしてみましょう。その方は決して悪い人ではないのですが自分自身の事も周りの人の事も、どうも確信がもてないのでした。
中でも1番確信がもてないのが天使の事 – 果たして本当に光と善の存在なのか、もしかしたら天使の身分でありながら同時に暗黒の存在という事も有得るのではないかと疑ったりするのでした。私たちは頭初なぜそんな事で悩むのか理解できませんでした。
と言うのは、ここでは何もかもが愛と光明にあふれているように私には思えるからです。が、そのうち判った事は、その方には自分より先に他界した親戚の人が何人かいて、こちらへ来てもその人たちの姿が1人も見当らず、どこにいるのかも判らないという事が原因なのでした。
そうと判ってから私たちはいろいろと相談したあげくに、ある丘に登ってその方を救ってあげる最良の方法を教えてくださいと祈ったのです。すると思いも寄らない驚くべき事が起きました。
ひざまずいていると丘の頂上が透明になり、私たちは頭を垂れていましたから丘を突き抜けて下の界の一部がくっきりと見えはじめたのです。その時私が見た情景 – 私たち5人全員が見たのですから幻影ではありません – は薄暗い闇の中に荒涼とした平地で、ひとりの大柄な男が岩に背をもたれて立っております。
そしてその男の前にはもう1人、少し小柄な人が顔を手で蔽った恰好で地面にひざまずいております。それも男性でした。どうやら立っている男に何か言い訳しているみたいで立っている男が不審の表情で聞いております。
やがて突然その男が屈み込み伏せている男を掴まえて自分の胸の辺りまで立ち上がらせ、そのまま遠くの地平線の、ほのかな明りの見える方向へと平地を大股で歩いて行きました。彼は小柄な男を引きずりながら相当な道のりを歩きました。
そしてやがて明りがずっと大きく見える辺りまで来ると手を離し、行くべき方向を指さしました。すると小柄な男がさかんに礼を言っている様子が見えます。やがてその男は明りの方向へ走って行きました。私たちはその男のあとを目で追いました。
あるところまで来ると大柄な男が橋の方角を指さします。それは前にお話したあの橋です。ただしそこは例の“裂け目”の暗黒界側の端です。その時点でも私たちはなぜこんな光景を見せられるのかが理解できませんでした。
が、とにかく後を追い続けると、その橋の入口のところに建てられた大きな建物に辿り着きました。見張りのための塔ではなく暗黒界側からやって来た者に休養と介助を施すところです。その塔からは、その男がずっと見えていた事が判りました。
と言うのは、その男が辿り着くとすぐに、橋の上の次の塔へ向けて合図の明かりが点滅されるのが見えたのです。その時点で丘が普通の状態に戻りました。そしてそれ以上何も見えませんでした。私たちはますます判らなくなりました。そして丘を降りて帰ろうとしました。
するとその途中で私たちの霊団の最高指導者であられる女性の霊が迎えて下さり、そしてその方と一緒にもう1人、私たちの界のある地域の高い地位の方と思(おぼ)しき男の方がおられました。私たちがまだ1度もお会いした事のない方でした。
指導霊がおっしゃるには、その男の方は今しがた私たちが見た光景について説明するためにお出で下さったとの事でした。お話によりますと小柄な男性は例の私たちが何とかしなければと思っている女性のかつてのご主人で、私たちからその婦人に早くあの橋へ行き、そこでしばらく滞在しておればご主人がやってくるであろう事を告げてあげるようにとの事でした。
例の大柄な男はその婦人ならさしずめ“闇の天使”とでも呼びたがりそうな存在で、暗黒界でも相当強力な勢力をもつ霊の1人だという事です。でもあのシーンからも想像できますように良い事もするのです。ではなぜいつまでも暗黒の世界に留まっているのですか、と私たちは尋ねてみました。
その方は笑顔でこう答えられました。「父なる神の王国はあなた方が想像されるより遥かに素晴らしいところです。これまであなた方は、いかなる地域もいかなる界層も他と完全に離れて独立し、それ自体で完全というところは1つも見当らなかったはずです。そのようなところは1つも存在しないのです。
あの暗黒の天使の本性の中にも各界層の知識と善性と邪悪性とが混ざり合っております。あの土地に留まっているのは、1つにはその本性の中の邪悪性のせいで、それが光明の土地に馴染めなくしているのです。
もう1つの理由は、心掛け次第で向上できるのに本人がそれを望まないという事です。それは1つには強情さのせいでもありますが、同時に光明を憎むところがあり、あの途方もなく急な坂道を登って行こうとする者を大バカ者だと思っております。
光明界と暗黒界の対比のせいで、その坂道を登る時の苦痛と煩悶が事さらに大きく感じられるからです。それで彼はその土地に留まるのです。彼のように一種の憂うつと麻痺的絶望感のために光明界へ来ようとしない霊が無数におります。
そうかと思うと彼は憎しみと錯乱から残忍性をむき出しにする事があります。あなた方が先程ご覧になったあの男にも散々残忍な行為を働き、いじめあげておりました。それも臆病なごろつきによく見られる残忍さをもってやっておりました。
が、その残忍性も尽き果てたのでしょう。ご覧になったように、男の嘆願が彼の魂の柔らかい琴線に少し触れると、気持ちが変らないうちにと男を放してやり、道まで教えてやりました。きっと心の奥ではあの愚か者が…と思いながらも自分よりは“ましな愚か者”だと思っていた事でしょう。」
こうした話は私にとって初めての事でした。あの暗黒界にも少しでも善性があるとは知りませんでした。でも今にして思えば、そうであって当然だと思います。なぜならもし完全な悪のかたまりであれば私たちのいる光明界へ来ようなどという心は起きないでしょうから。
– それにしてもこの話は最初に言われた大切なものとそうでないものとを見分ける事と一体どういう関わりがあるのでしょうか。
善なるものが全て神のものである事は言うまでもありませんが、われわれ神の子にとっては光明も暗黒も絶対ではなく、また絶対では有得ないという事です。両者は相対的に理解しなくてはいけません。今にして判った事は“暗黒界の天使”が大勢いるという事です。
その人たちは魂の本性に何か歪んだもの、善なるものへの志向を妨げる強情なところがあるために“今のところは”暗黒界にいる。が、そのうちいつか、長い長い生命の旅路において、もしかしたら今のところ彼らより祝福されている私たちを追い越し、神の王国において高い地位を占める事になるかも知れないのです。
ではお寝みなさい。私たちが書いた事をよく熟考して下さい。私たちにとっても大変勉強になりました。こうした事が地上にいる人々の多くの方々にも学んで頂ければ有難いと思うのですが。
「進化とはなかよしの事」深いインスピレーションですが僕には耳が痛いですね(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の情報拡散だけは徹底的に僕にやらせて、僕の次の世代の使命遂行者が仕事をやりやすいように畑だけは耕しておくが、滅ぼす事は僕の代ではやらない。霊団はタダ僕にその苦しいタネ蒔きを続けさせて霊的に向上させて帰幽させる事だけを考えていたのではないか。交霊会やるやるとずっと言い続けてまるっきりやろうともしない、サークルメンバー問題も全く解決させようともせず交霊会をおこなう環境など全然整っていないのに、ただ口だけ延々とやるやる言い続けてくる。これもどう考えてもおかしい。バーバネル氏が支配霊というのもおかしい。物質界生活中に僕にできるだけ霊的知識を獲得させておくために交霊会交霊会言い続けてお勉強させるのが真の目的だったのではないか。つまり僕の仕事の本当の舞台は霊界であって、帰幽後にイエス様(さすがに直で仕事を賜る事はないと思いますが間接的にはあるかも知れません)から言いつけられる仕事をおこなう事の出来る霊的知識および霊格を物質界生活中に身につけさせるためにムチャクチャな試練を浴びせられているという事なのではないか…続きを読む→
「身の安全」とにかく僕の身に危機が迫っていて霊団はそれを回避させるつもりのようですが(祈)†
どんな死に方をしても霊体には一切ダメージはありません。飛行機事故だろうと爆死だろうと溺死だろうと。そもそも肉体と霊体では振動数が違いますので。しかし、いわゆる自然ではない急激な死に方をすると、もともと人間は肉体からそういう急激な離れ方をしないようになっているので、帰幽後に霊体(幽体)の調整が必要になり、場合によってはそれが長くかかる事があるそうです。つまり日航ジャンボ機墜落テロで500人もの国民が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁(美智子)の手によって殺されましたが、それと同じようにこの強姦殺人魔どもは僕、たきざわ彰人の事もだまし討ちで飛行機に乗せて墜落死させようと画策している事は十分に考えられる事です。そうなった時、僕は肉体から自然ではない急激な離れ方をする事になり(かといって霊体になんのダメージもありませんが)調整が長くかかってしまって霊団が僕の帰幽後にやらせようとしている指導霊の仕事に支障が出てしまうから結果殺されるとしてもそういう急激な殺され方にはならないようにしている、という事かも知れません…続きを読む→
「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†
友人の守護霊は今ごろほくそ笑んでいるはずです。僕の守護霊様は今ごろ僕の霊団への反逆を見て困っている事と思われますが。人間とは霊界で永遠に生き続ける存在です。人間に死はありません。物質界とは修行のためにホンの一時期だけ降下させられるトレーニングセンターです。肉体は神の摂理で自動的に朽ち果てるようになっており、僕たちの本体(霊)はそれを脱いですみやかに霊的表現媒体に着替えて(幽体、霊体)霊界生活に突入します。この事実からも物質界が僕たちの永遠の住処でない事は明白です。そのホンの一時の束の間の場所についてお勉強する事と、永遠の住処である霊界についてお勉強する事と、どちらがプライオリティが上でしょうか。どちらが賢明かつ自分の霊的進歩向上に役立つでしょうか。そういう視点で自分の人生を考えられる人間こそ賢者と言えるのではないでしょうか…続きを読む→
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません