1913年10月20日 月曜日

引き続きカストレル様の都市の見学旅行中の話です。中央通りを歩きながら私はなぜこの都市には方形の広場が多いのか、そしてその広い中央通りの両側にある塔のように聳える建物が何のために建てられているのかを知りたいと思っていました。

そのうち中央通りの反対側の入口に到着してやっと判ったのは、その都市全体が平地に囲まれた非常に高い台地にあるという事でした。案内の方のお話によりますと、そこに設けられている塔からなるべく遠くが見渡せるようにという事と、周りの平地の遠い住民からもその塔が見えるようにという配慮があるとの事でした。

そこがその界の主都で全てがそこを焦点として治められているのでした。帰途も幾つかの建物を訪れ、どこでも親切なおもてなしを受けました。その都市ではカストレル様のお住まいでみかけた以外に子供の姿はあまり見かけませんでした。ですが時折そこここの広場で子供の群を見かけます。そこには噴水があり周りの池に流れ落ちて行きます。

池の水はその都市を流れる大きな川につながり、無数の色彩と明るい輝きを放散しながら下の平地へ滝となって落ちて行きます。その滝の流れはかなり大きな川となって平地をゆったりと流れて行きますが、その川のあちこちで子供たちが水浴びをして遊んでいるのを見かけたのです。

しきりに自分の身体に水をかけております。私はその時はあまり深く考えなかったのですが、そのうち案内の方から、あの子供たちはあのような遊びをするよう奨励されているとの話を聞かされました。と言うのは、そこの子供たちは死産児として来たので体力が乏しく、あのような遊びによって生体電気を補充し体力を増強する必要があるというのです。

それを聞いて私が思わず驚きの声をあげると、その方は「でも別に何の不思議もないでしょう。ご存知のように私たちの身体は肉も血もないのにこうして肉体と同じように固くて実体があります。また現在の私たちの身体が地上時代よりはるかに正確に内部の魂の程度を反映している事もご存知のはずです。

その点あの子供たちの大半がやっと成長しはじめたばかりで、それを促進するための身体的栄養が要るのです。別に不思議ではないと思いますが…」とおっしゃいました。別に不思議ではない – 言われてみれば確かにその通りです。

私はさきに天界を“完成された地上のようなところ”と表現しましたが、その本当の意味が今になってようやく判ってきました。多くの人間がこちらへ来てみて地上とあまりによく似ている事に驚くはずです。もっとも、ずっと美しいですけど。

大抵の人間は地上とは全く異なる薄ぼんやりとした影のような世界を想像しがちですが、よく考えてごらんなさい。常識で考えてごらんなさい。そんな世界が一体何の意味がありますか。それは段階的進歩ではなく一足跳びの変化であって、それは自然の理に反します。

確かにこちらへ来てすぐから地上と少しは勝手が違いますが、不思議さに呆然(ぼうぜん)とするほどは違わないという事です。特に地上生活でこれといって進歩のない生活を送った人間が落ち着く環境も地上と見分けがつかないほど物質性に富んでおります。

そういう人間が死んだ事に気づかない理由はそこにあります。低い界から高い界へと向上するにつれて物質性が薄れて行き、環境が崇高さを増して行きます。しかし地上性を完全に払拭(ふっしょく)した界、地上生活と全く類似性をもたない界まで到達する霊は稀です。

特殊な例を除いてまず居ないのではないかと思っております。が、この問題については私に断定的な事を言う資格はありません。何しろ地上生活と全く異なる界に到達していないどころか、訪れてみた事もないからです。

今いる所はとても美しく、私はこの界の美と驚異を学ばねばなりません。学んでみると、実は地球はこの内的世界が外へ向けて顕現したものに他ならず、従って多くの細かい面において私たち及び私たちの環境と調和している事が判ります。

もしそうでなかったら今こうして通信している事も有得ないはずです。そしてまた – 私みたいな頭の良くない人間にはそう思えるというまでの事ですが – もしあなた方の世界と私たちの世界に大きな隔り、巨大な真空地帯のようなものがあるとしたら、地上生活を終えたあと、どうやってこちらへやって来れるのでしょう。

その真空地帯をどうやって横切るのでしょうか。でもこれはあくまで私自身の考えです。そんな事はどうという事は無いのかも知れません。ただ確実に言える事は、神と神の王国は1つしかない事、その神の叡智によって宇宙は段階的に向上進化していくように出来ているという事さえ銘記すれば、死とは何か、その先はどうなっているのかについての理解が遥かに深くなるであろうという事です。

死後の世界にも固い家屋があり、歩くための道があり、山あり谷あり樹木あり動物や小鳥までいるという事が全くバカバカしく思える人が多い事でしょう。その動物が単なる飾り物として存在するのではなく、実際の用途をもっております。

馬は馬、牛は牛の仕事があり、その他の動物も然りです。が動物たちは見た目に微笑(ほほえ)ましいほど楽しく働いております。私は1度ある通りで馬に乗ってやって来る人を見かけた事がありますが、何となく人間よりも馬の方が楽しんでいるように見えたものです。

でもこうした話は信じて頂けそうにありませんから話題を変えましょう。その広い市街地の建物の1つに地方の各支部から送られて来る情報を保管する図書館がありました。また新しいアイディアを実地にテストするための研究所もありました。

さらには教授格の人が自分の研究成果を専門分野だけでなく他の分野の人を集めて発表するための講堂もありました。そしてもう1つ、風変わりな歴史をもつ建物がありました。それは少し奥まったところに立っていて木材で出来ておりました。

マホガニー材をよく磨いたような感じで木目には黄金の筋が入っております。ずいぶん古い建物で、カストレル様がその領地の管理を引き継がれるずっと前に当時の領主のための会議室として建てられたものです。

かつては領主がそこに研究生たちを召集され、それぞれに実際的知識を発表する事に使用されておりました。こんな話を聞きました。その発表会の事です。青年が立ち上がって講堂の中央へ進み出て学長すなわち領主に向かって両手を広げて立ちました。

立っているうちにその青年の姿が変化しはじめ、光輝が増し半透明の状態になり、ついに大きな光の輪に囲まれました。そしてその光の輪に中に高級界からの天使の姿が無数に見えます。学長が意味ありげな微笑を浮かべておられますが青年にはそれが読み取れません。

彼 – 首席代表であり領主のあとを継ぐべき王子のような存在でもあります – が何か言おうと口を開きかけた時です。入口から1人の童子が入って、大勢の会衆に驚いた様子できょろきょろ見回しました。

その子は光の輪の側まで来て、層を成して座っている天使の無数の顔を見つめて気恥ずかしそうにしました。そしてその場から逃げ帰ろうとした時に中央におられる学長の姿が目にとまりました。光と荘厳さに輝いておられます。

瞬間、子供は一切を忘れて両手を広げ満面に笑みを浮かべて学長めがけて走り寄りました。すると学長は両手を下げ腰を屈めてその子を抱き上げ、ご自分の肩に乗せ青年のところへ歩み寄ってその子を青年の膝の上に置き、元の位置の戻られました。

が、戻りかけた時から姿が薄れ始め、元の位置に来られた時は完全に姿が見えなくなり、その場には何もありませんでした。子供は青年の膝の上にいて青年の顔 – 実に美しいお顔立ちでした – を見上げてニッコリと致しました。やがて青年は立ち上がり、その子を左手で抱き、右手をその頭部に当ててこう言われました。

「皆さん、聖書に“彼らを童子が手引きせん”という件(くだり)があります。(イザヤ書11・6)それをやっと今思い出しました。今我々が見たのは主イエス・キリストの顕現(※)であり、聖書の言葉通り、この童子は主の御国から贈られた方です」

そう述べてから童子に向かい「坊や、さっき先生に抱かれて私のところまで連れて来られた時、先生は坊やに何とおっしゃいましたか」と尋ねました。(※これまでの“顕現”と種類が異なり、これは霊界における“変容現象”と見るべきであろう。イエス自身、地上時代に丘の頂上で変容した話がマタイ17、マルコ9に出ている – 訳者)

すると子供は初めて口を開き、子供らしい言い方で大勢の人を前に恥ずかしそうにしながらこう言いました「僕が良い子をしてお兄さんの言いつけを守っていたら時々あの先生がこの都市と領土のためになる新しい事を教えて下さるんだそうです。でも僕には何の事だかよく判りません。」

それは青年も他の生徒たちも最初のうちは判りませんでした。が青年が閉会を宣し、その子を自宅へ連れて帰ってその意味を吟味しました。その結果辿り着いた結論は、あれはエリとサムエルの物語(サムエル書1・3)と同じだという事でした。

そして事実その結論は正しかったのです。その後その子は研究所やカレッジの中を自由に遊びまわる事を許されました。少しも邪魔にならず、面倒な質問もせず、反対に時折厄介な問題が生じた時などにその子が何気なく口にした言葉が問題解決の鍵になっている事があるのでした。

時がたつにつれて、この事があの顕現のそもそもの目的だった事が理解できました。つまり子供のような無邪気な単純さの大切さを研究生たちは学んだのです。特殊な問題の解決策が単純であるほど全体としての解決策にも通じるものがあるという事です。

他にも学生達がその“顕現”から学んだものは色々とありました。例えばキリスト神は常に彼らと共に存在する事、そして必要な時はいつでも姿をお見せになる事。これはあの時、学生の中から姿を現された事に象徴されておりました。また広げた両手が自己犠牲を意味しておりました。

あの後光が象徴したように、荘厳さに満ちたあのコロニーにおいてさえも自己犠牲が必要なのです。その後あの童子はどうなったか – 彼は例の青年の叡智と霊格が成長するにつれて成育し、青年が1段高い界へ赴(おもむ)いた後、青年の地位を引き継いだという事です。

さて以上の話はずいぶん昔の事です。今でもそのホールは存在します。内側も外側も花で飾られて常によく手入れされております。しかし講演や討論には使用されず礼拝場として使用されております。その都市の画家の1人が例の“顕現”のシーンを絵画にして、地上でも見られるように祭壇の後ろにおいてありました。

そこにおいて主イエスを通しての父なる神への礼拝がよく行われます。それ以上に盛大に行われるのはあの顕現の時の青年が大天使として、今では指導者格となっている例の童子を従え、あの時以降青年の地位を引き継いだ多くの霊と共にそこに降臨する事があります。

そこに召集された者は何か大きな祝福と顕現がある事を察知します。しかしそういう機会に出席できるのはそれに相応しい霊格を備えた者に限られます。一定の段階まで進化していない者にはその顕現が見えないのです。

神の王国はどこも光明と荘厳さに満ち溢れ素晴しいの一語に尽きますが、その中でも驚異中の驚異と言うべきものは、そうやって無限の時と距離を超えて宇宙の大霊の存在が顕現されるという事実です。

神の愛は万物に至ります。あなたと私の2人にとっては、こうして神の御国の中の地上界と霊界という2つの世界の間のベールを通して語り合えるようにして下さった神の配慮にその愛を見る事ができるのです。

■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†■2024年1月27日UP■
■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†
永遠の安寧が存在する光り輝く上層界で生活していればいいものを、なぜわざわざ物質界に向けて犠牲の降下をしなければならないのですか。それは「愛」の一言に尽きるのではないでしょうか。他でもない【神】の意図が「進化」にあり、神の子等である僕たちを高揚し向上させる事が宇宙の仕事といっても過言ではない、僕はそのようにお勉強しています。その愛に背を向けて霊的な事を軽んじて生きるもよし、霊的知識を獲得してすみやかに進歩向上するもよし、それは当人の自由ですが、いま自分が生命活動をおこなう事ができているのは霊の賦活作用のおかげだという基本中の基本さえ理解せず、自分の生命および存在の根源について全くの無知で生きるというのは到底賢い人間のする事とは言えません。自分の生命の根源を愚弄するなら霊なしで1秒でも生きてみろ、肉体のみで1秒でも生きてみろ、と言いたいです。物質とは腐食性のモノであり、それ自体に存在はありません。霊によって形態を維持されているだけであって、霊が離れればたちまち崩壊、腐食して地球を構成する成分に帰っていきます。その腐食物が自分の本体だと信じて疑わないのであれば、あなたはその肉体と一緒に腐って土に返って下さい。肉体は腐ったが最後、2度と元のカタチには戻りません。しかし自分の本体が霊だと理解しておられる方は、帰幽後、永遠の若さを保つ霊体をまとって速やかに霊界生活に順応できるでしょう。これら霊的知識を理解する重要性に比べれば、インペレーター霊がモーゼス氏を介して語った年月が最近だろうが昔だろうが、それに何の意味があるというのでしょう…続きを読む→
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†■2023年12月27日UP■
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†
霊的知識を獲得した人は、宜しくないおこないをして帰幽した先にどれだけの地獄が待ち受けているかを知っているので自動的に悪行にブレーキがかかるのです。シルバーバーチ霊も仰っていますように、邪悪な人間というのは霊的成長における「幼児」であり、霊的知識が全く頭に入っていないワガママのお子ちゃまであり、物的金銭を人より多く所有する事でしか自己表現ができない原初的人間という事になるのです。金銭など帰幽後、1円も霊界に持って行けません。そして霊界生活にお金など必要ありません。必要なものは全て思念で拵える事ができます。物質界生活中にお金をため込んでも自分の未来にとって全く無意味という事を悟れていない人間という事なのです。人間は本来が霊であり、その霊が修行のために一時的にトレーニングセンターである物質界に肉体という鈍重な衣服をまとって降下しているのであり、そのトレーニングセンターでのおこないが帰幽後の生活環境、霊界にて赴く境涯を高くしたり低くしたりするという霊的知識の基本中の基本さえ知らない人間が、その無知から邪悪なおこないをするのです…続きを読む→
「進歩したい気持ちでいっぱいです」霊団以上に僕がそう思ってますよ(祈)†■2023年12月13日UP■
「進歩したい気持ちでいっぱいです」霊団以上に僕がそう思ってますよ(祈)†
私の霊団は7つのグループに分かれており、それぞれに特殊な使命があります。愛と叡智と知識の霊たち、洗練された高貴な霊たち、明るく愛想のいい霊たち、この低い地上界の単調であくせくした生活に天上的な光輝をもたらす霊たち、地上界の皆さんとの交わりを通じて低い界から高い界への進化という恩恵に浴さんとして働く霊たち – その霊たちの演出する現象が地上の人間にはまだまだ必要なのです。いずれのグループの霊たちも、みずからも進歩を求めている霊たちです。霊媒に体験と啓発を与え、霊媒と生活を共にし、霊媒とともに進歩せんと志す者たちです。霊媒に教えることによってみずからも学び、霊媒を向上せしめることによってみずからも向上せんとしているのです。われわれのこうした仕事は愛に発する仕事です。それみずからが報酬をもたらすのです。霊媒に祝福をもたらし、霊媒を通じて人類に祝福をもたらし、それがわれわれにとっての祝福となるのです。全能の父なる神の祝福のあらんことを…続きを読む→

2024年1月28日

■アナログ絵359「ベールの彼方の生活1巻」復刊書籍表紙UP。描き上げても復刊できない(祈)†

はい、復刊できないのに書籍データだけは完成させていくという不毛の作業を続けていますが「ベールの彼方の生活1巻」の表紙として描いた絵をアナログ絵359としてUPです。当分の間はこのようにしてフラーを描かずに書籍表紙の絵をアナログ絵通しナンバーをつけてUPする事になるかも知れません。

この表紙制作にあたりAffinityPhotoのアドオンを多用しています。おかげでかなりの時間短縮につながっています。本当にAffinityPhotoはスバラシイ。で、復刊が実現しなければ人の目に触れる事なくお蔵入りで終わってしまう事になる、巻末掲載の「復刊者コメント」を、再びコチラに掲載させて頂きます。↓

復刊者コメント

僕(たきざわ彰人)は、この「ベールの彼方の生活 全4巻」が本当に大好きなのです。霊界下層界での生活の様子を紹介した書籍は他にもありますが、次元が違うために3次元の物質界の言語などでは到底説明できない上層界での生活の様子を可能な限り詳細に紹介してくれている霊界通信は、現時点で「ベールの彼方の生活」以外にないのではないでしょうか。

この1巻は著者であり霊媒でもあるオーエン氏の、既に帰幽されたご母堂からの通信が大半を占めており、2巻、3巻、4巻と比べると軽視される傾向があるのかも知れません。しかし僕は読み進めるほどにご母堂の語る内容の深遠さに激しく胸を撃たれるのです。

ご母堂の言葉で僕が特に気に入っているのは「悲劇をただの不幸と受け止める事がいかに狭い量見であるか」(29ページ)という部分で、僕は霊性発現とともに使命遂行人生に突入させられ、人生を完全に破壊されて最悪の状態に閉じ込められ続けている関係で霊団を心の底から激しく憎んでおり、本当の本気で反逆しまくっていますが、その破壊された人生も「その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になる」の言葉のように、最終的には全て佳きようにおさまるのでしょう。使命遂行を最後までやり切れば、の話ですが。

あともうひとつ、ご母堂の言葉で僕の胸に突き刺さるものとして「確固たる来世観をもっておれば決断力を与え勇気ある態度に出る事を可能にします。」(72ページ)というものもあります。これはオーエン氏が教会長老から弾圧を受けて弱気になっていた事を受けて「勇気をもってこの使命に邁進(まいしん)しなさい」と、言わば母が息子の“おケツをひっぱたいた”という事だと思うのですが、イヤー僕もこういう母に恵まれたかったですね。

っとと、僕には“真実の母”守護霊様がいましたね。僕の性格は守護霊様のデザインであり、現在このような使命遂行人生が送れるのも(苦しい事イヤな事ばかりで全然うれしくも何ともありませんが)守護霊様が“導きのプロ”だったおかげです。

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僕は守護霊様におケツをひっぱたかれた記憶はないなぁ。霊性発現後に守護霊様が僕の守護の任から一時的に外れ、代わって「100の光の霊団」の管轄に切り替わってからは、その導きの方向性がキビシすぎてすっかり心が怒り憎しみに包まれてしまっているのです。が、このお話は長くなりますので割愛させて頂きます。

守護霊様についてはたくさんブログを書いていますが、ご参考までにコチラを紹介させて頂きます↓

「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†
wp.me/pa9cvW-67H

上記のご母堂の言葉を僕に当てはめるなら「人間に死はなく帰幽後も霊界で永遠の向上の生活を送る」という霊的知識を完全に理解した事によって物質界の邪悪に何ら恐怖心を抱く事がなくなった、それで「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を長年にわたって公言する事ができているという事になります。「霊的知識を理解すると勇気ある行動に出る事ができる」僕は図らずもこの状態をやらされてしまっているという事になります。

あと、6章のアストリエル霊ですが、できればもっと天体の事についてお話して頂きたかったですね。しかしこれについても「物質界の人間に軽々しく知識を教えてはならない」という霊界側の厳格な決まりがあるそうで、あくまで物質界の人間みずから刻苦努力してその秘密を探り当てねばならないのだそうです。

その努力の方向性で僕が経験から思う事は「物的努力」よりも「霊的努力」によって秘密を探り当てるのだろうという事です。その、霊界側が明かさずにいる秘密、秘奥というのはもちろん「霊的秘奥」のはずですから物的肉眼には映じず、いかなる物的機器をもってしても計測できない性質のものでしょう。霊的方法でその秘密を解明しなければならないという事だと思うのです。

さぁ、僕は70冊超の霊関連書籍を何とか復刊させようとしていますが、単純に作業量が殺人的すぎて僕の物質界生活中に全ての作業を完結させられないだろうという思いと、もうひとつ物的事情によって実現を阻まれるというふたつの理由で、全ての書籍の復刊は叶わないものと予測しますが、できるところまではやるつもりです。

僕はこれらスピリチュアリズム関連の書籍群を「人類の宝」だと思っていまして(この僕の考えには多くの方が共感して下さるものと信じますが)絶版状態を回避させて未来、後世にこの正しい霊的知識を伝え残さねばならないと強く思っています。僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくる事はありませんので、既存の霊関連書籍の復刊が「霊的知識普及プライオリティ最上位」の作業という事になります(祈)†


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※オマケ – 表紙の線画の原画をUPです。僕は「イエス様ハンドリング」と銘打って霊的使命遂行を長年にわたっておこなっている関係で、イエス様の絵も多数描いています。(WordPressの中の「アナログ絵」からご覧頂けます)現在は全然なくなりましたが、霊性発現初期の頃は何度も何度もイエス様のお顔の顕現に浴させて頂きました。

(※その顕現の最大のモノはブログで何度も書いています「イエス様の怒涛の連続顕現」でした。物質界に籍を置く人間として、これ以上の光栄はないのではないでしょうか。もっともそこから僕の苦悩の人生が始まってしまったので良いやら悪いやらといったところなのですが…)

僕が描くイエス様の絵は、一応その顕現の時に拝したお顔を参考にして描いているのですが、僕が描くとどうしてもキャラキャラしてしまって威厳のようなものがありません、そこが宜しくありません。とはいえ僕はこういう絵柄ですので開き直って描くしかありません。

イエス様を描き始めた当初はもちろん“恐れ多い”気がして描くのを渋ったものですが、もう年月が経過していて、さらに霊団に対してだいぶムカついているという事情もありまして、イエス様もその他の方々もほぼ抵抗なくジャンジャン描くようになりました。アウトプットしなければいけませんのでもう四の五の言ってられないのです。

ももちゃん、シルキーはもはや霊的使命遂行メインキャラクターといっても過言ではない状態になっており、今後もツートップで描き続ける事になるでしょう。まぁ霊体の僕(ハタチの空気感)を前面に出すより100倍イイでしょう。ま、時々は僕も書籍表紙に登場させるかも知れませんが…(祈)†

70冊超の絶版状態の霊関連書籍の復刊が実現する事を祈ります。もっと言うと僕という霊媒が機能して新規の霊言が降り、それを隔週、月刊ペースで書籍化できるようになれば理想形なのですが、僕の物質界生活中にその日は訪れないでしょう。とにかく作業だけは続行中、書籍データをAffinityPublisherにて作り続けます(祈)†

■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†■2024年1月27日UP■
■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†
永遠の安寧が存在する光り輝く上層界で生活していればいいものを、なぜわざわざ物質界に向けて犠牲の降下をしなければならないのですか。それは「愛」の一言に尽きるのではないでしょうか。他でもない【神】の意図が「進化」にあり、神の子等である僕たちを高揚し向上させる事が宇宙の仕事といっても過言ではない、僕はそのようにお勉強しています。その愛に背を向けて霊的な事を軽んじて生きるもよし、霊的知識を獲得してすみやかに進歩向上するもよし、それは当人の自由ですが、いま自分が生命活動をおこなう事ができているのは霊の賦活作用のおかげだという基本中の基本さえ理解せず、自分の生命および存在の根源について全くの無知で生きるというのは到底賢い人間のする事とは言えません。自分の生命の根源を愚弄するなら霊なしで1秒でも生きてみろ、肉体のみで1秒でも生きてみろ、と言いたいです。物質とは腐食性のモノであり、それ自体に存在はありません。霊によって形態を維持されているだけであって、霊が離れればたちまち崩壊、腐食して地球を構成する成分に帰っていきます。その腐食物が自分の本体だと信じて疑わないのであれば、あなたはその肉体と一緒に腐って土に返って下さい。肉体は腐ったが最後、2度と元のカタチには戻りません。しかし自分の本体が霊だと理解しておられる方は、帰幽後、永遠の若さを保つ霊体をまとって速やかに霊界生活に順応できるでしょう。これら霊的知識を理解する重要性に比べれば、インペレーター霊がモーゼス氏を介して語った年月が最近だろうが昔だろうが、それに何の意味があるというのでしょう…続きを読む→

アナログ絵358

全く復刊できる見込みがないまま70冊超の霊関連書籍の全ページスキャン、OCR変換と作業をおこなって間もなく2年が経過しようとしています。さらに見直し完了している完成版テキストをAffinityPublisherに流し込んで書籍データとして完成させるところまでやっていますが、それでも復刊だけが実現させられずにいます。

ちなみにこの表紙に描きましたインペレーター霊は「霊的人類史は夜明けを迎える」に掲載されています「インペレーター霊の霊視スケッチ」を参考にして僕なりに現代風のキャラとして描いたものであり、実際のインペレーター霊とは似ても似つかない僕の勝手な想像図という事をご理解下さい。

で、復刊できない可能性もありますので、この際ですから「復刊者コメント」として巻末に掲載しているテキストをコチラに抜粋してしまいましょう↓

復刊者コメント

現在、僕は正真正銘とされる霊関連書籍を70冊以上所持していますが、それらがことごとく絶版状態であり「このままでは霊的知識が物質界から消滅してしまう」という危機感を抱き、それら書籍をデジタルデータ化する事を決断して作業を開始しました。2022年5月頃の事です。

このテキスト執筆時点で書籍のスキャン開始から1年半以上が経過していますが、ほぼ70冊の書籍の全ページスキャン、OCR変換まで完了しています。しかし、このOCR変換テキストには複数の問題があり、それを目視で修正していかねばなりません。これが地獄の作業で、僕の物質界生活中に全ての書籍のテキスト修正を終える事はできない可能性が濃厚です。

さらにまだ数冊未入手の書籍があり、それら全てのテキスト化が完了するにはまだまだ時間がかかります。絶望感が漂ってきますが、できるだけの事はやろうと思っています。

皆さまは「こんな古い書籍を復刊して何になるのですか?」とお思いになるのかも知れません。しかし霊的真理を知識としても体験としても獲得している僕から言わせて頂くならば「新しい、古いって何ですか?」という事です。

皆さまが抱いておられる「新しい、古い」の概念は、この丸い天体の回転によって生じる物質界のみの物的時間感覚を基準として考え出されえた概念です。そもそも霊界には時間の概念がありません。そして3000年前から物質界人生を体験していた方々が帰幽して全員霊界で生活しています。人間に死はないのです。霊界で永遠に生き続ける存在なのです。

たとえばシルバーバーチ霊は、3000年前に物質界で生活していた方だそうですが、間もなく地球圏霊界を脱出してさらに進化した惑星圏に進出する寸前の霊なのだそうです。この【神】が経綸する宇宙全体の中で、僕たちが現在在籍している地球という惑星は海岸の砂の一粒であり、しかも宇宙全体の中で霊的進化のレベルが最低ランクなのだそうです。

この先にはるかはるか進歩した、物質界の言語などでは到底表現できない荘厳を極めた美しい生活の場が待ち受けているというのに、最低ランクの物質界の事象、永遠の中のホンの一瞬在籍しているだけですぐ帰幽して離れる場所で起こる事象にのみ注目し、永遠の生活の場の事が全く頭に入っていない方々が「新しい、古い」という概念を抱くのではないでしょうか。

よほど進歩が足りない人間をのぞいて(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が進歩が足りない人間の筆頭となります)たいていの人間は帰幽したが最後、物質界などという最低界とはすっかり縁が切れて、霊的進歩向上の生活に勤しむ事になります。

はるかはるか美しい境涯、生きがいに満ちた人生、心通い合う同胞の方々、そして向上を促し鼓舞して下さるイエス様を筆頭とした高級霊の方々。それら霊的事象に比べれば物質界で起こる出来事など陳腐の極致であり、破裂して消滅するシャボン玉のひとつにすぎません。

もっとも物質界は「試練の境涯」であり、その試練を味わい尽くし克服して初めて霊格が高まり、上層界に赴く資格を得る事ができます。そういう意味では物質界を最低界だからと言って軽視し試練を回避するような事があってはいけません。

その試練に身を晒す勇気のない者たちがいわゆる「地縛霊」となって下層界に大量にたむろしているのです。僕たちはそうならないように物質界生活の苦しい事から逃げずに立ち向かわなければならないのです。口でキレイごとを言うのと実際にそれを体現するのとでは天と地ほどの差がありますが…。(※現在の僕はそれを味わわされている真っ最中…)

これら霊的知識を全く知らない方々が「こんな古い本はいらない」と無知から軽蔑するのでしょう。しかし、古いなどとんでもない、プライオリティが全く違います。全ての人間の帰幽後の霊的人生に役立つ、人間が絶対に知らなければならない最重要の知識の宝庫です。

なぜなら人間全員が100%霊界生活に突入するからです。イヤ、そもそも僕たち人間本来の生活の場が霊界なのであり、物質界とは修行のために一時的に降下させられるだけのトレーニングセンターなのです。ですから自分が本来生活する場所について事前にお勉強しておけば、それだけ帰幽後に進歩向上がスムーズになるという事です。

インペレーター霊、シルバーバーチ霊はじめ、多くの高級霊の方々が物質界に霊言を降らせて下さっています。霊界上層界で生活している高級霊の方々は霊格が高すぎるために物質圏付近まで降下する事さえできません。それでも可能な限り降下し、中継者を介して最低界の人類のために仕事をして下さっています。

永遠の安寧が存在する光り輝く上層界で生活していればいいものを、なぜわざわざ物質界に向けて犠牲の降下をしなければならないのですか。それは「愛」の一言に尽きるのではないでしょうか。他でもない【神】の意図が「進化」にあり、神の子等である僕たちを高揚し向上させる事が宇宙の仕事といっても過言ではない、僕はそのようにお勉強しています。

その愛に背を向けて霊的な事を軽んじて生きるもよし、霊的知識を獲得してすみやかに進歩向上するもよし、それは当人の自由ですが、いま自分が生命活動をおこなう事ができているのは霊の賦活作用のおかげだという基本中の基本さえ理解せず、自分の生命および存在の根源について全くの無知で生きるというのは到底賢い人間のする事とは言えません。

自分の生命の根源を愚弄するなら霊なしで1秒でも生きてみろ、肉体のみで1秒でも生きてみろ、と言いたいです。物質とは腐食性のモノであり、それ自体に存在はありません。霊によって形態を維持されているだけであって、霊が離れればたちまち崩壊、腐食して地球を構成する成分に帰っていきます。

その腐食物が自分の本体だと信じて疑わないのであれば、あなたはその肉体と一緒に腐って土に返って下さい。肉体は腐ったが最後、2度と元のカタチには戻りません。しかし自分の本体が霊だと理解しておられる方は、帰幽後、永遠の若さを保つ霊体をまとって速やかに霊界生活に順応できるでしょう。

これら霊的知識を理解する重要性に比べれば、インペレーター霊がモーゼス氏を介して語った年月が最近だろうが昔だろうが、それに何の意味があるというのでしょう。

自分という存在がどうやって生かされているのか、どこからやってきてどこへ帰っていくのか、帰った先に(霊界)どんな生活が待ち受けているのか、物質界でのおこないが帰幽後の霊界人生にどのような影響を及ぼすのか、【神】と僕たちとはどういうつながりになっているのか。

これら霊的知識をお勉強するための正真正銘の教材が物質界には極端に不足しているのです。ですので僕がおこなっている「復刊」の作業は、十分に「霊的知識普及」の一助になっているのではないかと考えます。少なくとも僕が物的脳髄で書く書籍より価値がある事だけは間違いないでしょう。

霊団の目的は別にあるようで、僕のこの「復刊」の作業をあまり好意的には受け止めていない様子ですが、僕はいま自分にできる限りの事をやるつもりです。僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくる事はない、僕はそう思っていますので、復刊が霊的知識普及プライオリティ最重要だと考えるのです。

よほど霊団にダメ出しを喰らってやめさせられる事でもない限り、復刊の作業を続行するつもりです。というのも書籍のテキストデータ化はだいぶ進んでいるからです。ここまでやったのですから、物質界に残されている限り復刊の作業を続行しましょう、70冊全ての復刊はまずムリでしょうが。

2024年1月1日

山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(祈)†

たきざわ彰人ブログ(2024年1月時点で1200日以上連続更新中)
akito-takizawa.com/

インペレーターの霊訓表紙テスト02small

※おまけ – こちらは表紙の線画の原画となります。12ページに掲載しているインペレーター霊の霊視スケッチを参考にして、僕なりに現代風なキャラとして描いてみました。もちろんインペレーター霊本人とは似ても似つかないでしょう。

もっともインペレーター霊ほどの高級霊となれば形態を超越していますから、このような物的外観などは物質界の人間に顕現して見せる特別の事情でも発生しない限り、まとう事はないでしょう。

ももちゃん、シルキーは、僕が「イエス様ハンドリング」と称して果てしなくおこなっている霊的使命遂行の中で描き続けているキャラクターです。詳しくはブログ(WordPress)をご覧頂きたいと思います。

もうひとつ所感ですが、インペレーター霊の頭部の「王冠」を、あえて線画には描きませんでした。というのもインペレーター霊はこの王冠を日常的にはかぶっておられないだろうと予測したからです。

そう思う根拠は、完全物質化現象で有名な「ケーティ・キング霊」(※クルックス博士の実験会に出現した女性霊)の“名前”にあります。この物質化霊の女性の名前はもちろんケーティ・キングではありません。クルックス博士および物質界の人間に向けて名乗った仮の名前です。

この「キング」という名前、そしてインペレーター霊の頭部の「王冠」これらは物質界の人間に霊的なモノを理解させるため、霊的なモノを子バカにさせないための霊界側の作戦だったのではないかと僕は予測していまして、それでインペレーター霊もモーゼス氏および霊団メンバーに顕現する時のみ王冠をかぶっていたのであって、普段はそのようなモノは身に着けていなかったのではないかと思ったりするのです。

霊格が高ければ高いほど謙虚を身につけていますから、なおさらそのようなモノ(王冠)をかぶろうとは思わないはずですし、ましてやインペレーター霊ほどの高級霊となれば【神】を間近に拝する機会を得ているはずですから、その神を差しおいて王冠などとんでもない、むしろ脱帽して神に低く頭を垂れるはずだ、そう思って線画には描かなかったのです。

(※実は最初は描いていたのですがちょっとダサかったので描くのをやめた、という事情もありましたが…)僕はデザインの人間ですので絵を描かない訳にはいかないのです。ですのでインペレーター霊をキャラ化するのは宜しくないかも知れないと思いつつも、このように描かせて頂いた、という経緯です。


復刊者
山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(アキト)

元画家、漫画家。果てしない山へのアタックおよび高負荷の画家作品描画によって霊性発現となりました(2012年6月)イエス様の怒涛の連続顕現(2013年4月)に浴させて頂き、イエス様のご意志に従い霊的知識普及の使命遂行中です。イエス様ハンドリング(霊の導きに従う)により「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および奴隷の女の子の存在を公言し続け、休みなく情報拡散を続けて現在に至る(祈)†


2024年1月1日 初版第1刷発行

著者 W・S・モーゼス
訳者 近藤千雄
復刊者 たきざわ彰人
発行者 たきざわ彰人
印刷所 〇〇〇

ISBN 000-0-000000-00-0
(c)Akito Takizawa Printed in Japan

これはOCR変換ミスではなくて、僕が撃ったテキストなのかも知れませんが、同じ文章が2回繰り返されている箇所がある、この現象は一体何なんだ?こういう風になっていたのです↓

【正解テキスト】「それが完全な障害となる気遣いは無用である。吾々は喜んで援助する。なぜなら当人は真面目なのであり、いずれ自分の非を認める日も来るであろう – いずれ遠からぬ日に。」
【繰り返しテキスト】「それが完全な障害となる気遣いは無用である。吾々は喜んで援助する。なぜなら当人は真面目なのであり、吾々は喜んで援助する。なぜなら当人は真面目なのであり、いずれ自分の非を認める日も来るであろう – いずれ遠からぬ日に。」

キモい、危うく見逃すところでした。「ベールの彼方の生活2巻」キンドルファイヤーを使用しての最終校正35%完成中といったところ。そして2巻用の表紙の線画を描いていたのですが、チョト気に入らないので一旦ボツにして新たなモノを描き始めます。

書籍復刊ですが、やはりあまりにもハードルが高すぎる、そして出費的にも痛すぎる(売り続ける限り永遠に供託金を支払い続けなければならない、等々)の事情を考えるとやはり同人で出す以外にないのかなぁという弱気な考えが頭をもたげてきます。同人で出すと開き直ればこんな簡単な事はないからです。同人だったらメチャ簡単です。

その代わり流通できない、売れない、イコール脱出もできないという事になり、結局霊団の手のひらの上で踊らされている状態「閉じ込められ続ける状態」になってしまう事が確定してしまいます。どれだけもがいても霊団の呪いの効果範囲外には出られないという事なのか。

ちなみに今シーズンのスノーシューアタックを断念する旨書きましたが、足が回復すればまた雪山に行くつもりでいたのですが、ちょっと回復が難しそうだ、またスノーシューの重みに足がダメージを受ける事になるだろうと判断して、残念ですが赴く山域を変更するつもりでいます。

で、こうなったからには1度も行った事のないところに行きます。昨日からGoogleマップをずっと見てます。標識らしきものが全然ない、すごく難しいところに駐車場があるのでよく見て把握してから行かないと駐車できないなんて事になりかねない。雪山撮影をあきらめたその補完の撮影という事で、今まで1度も撮った事のないところから撮ってみるつもりでいます。

復刊、脱出、このふたつに悩まされ続けています。僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくれば一気に問題が解決に向かうのですが、とにかくどこをどう頭をひっくり返しても僕という霊媒が機能する環境はないと思う。僕の霊媒発動はないと思う。

唯一可能性があるとしたらサークルメンバーなしで発動する可能性のある自動書記だと思う。が、霊団に「それできないよ」と嫌味を言われてムカついてトランステストをやめてしまって何か月も経過していますが。

んー脱出できないけど同人で出しちゃおうかなぁ。イヤ脱出できなければ人生に何の意味も無くなる。作業だけは続行中。殺人的にメンドクサイんですよ(祈)†

※アナログ絵358、359のUPの作業をやるのを忘れていました。これからやります。

「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†■2022年9月28日UP■
「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†
奴隷の女の子たちを助けてあげてしまったら、その人間の「罪障消滅」を遅らせる事になり、永遠の視点で考えた時、必ずしもその人間を助けてあげる事にはならないのだ。これは霊的知識としては理解しても、どうにもこうにも釈然としません。奴隷の女の子の存在を知らされずにいたのであれば「知らなかったのだから助けてあげられるはずもなかった」と言い訳もできますが、僕は霊団に奴隷の女の子の存在を徹底的に教えられてここまで使命遂行してきたのです。知らずに犯す罪より知っていて犯す罪の方が何倍も重い、と霊的知識にあります。奴隷の女の子たちが今こうしている間も「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に四肢切断、強姦殺人され続けている事を知っていながら、助けようともせずその悪行を黙って見ているという霊団の考えには、何をどう頭をひっくり返しても賛同する訳にはいきません…続きを読む→
■2020年4月8日UP■
「ほっといてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念です。100%死刑にするよ(祈)†
「ほっといてくれ」という強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念になりますが、とにかく自分たちの邪悪の正体が国民周知の事実にならないよう徹底的にマスコミ操作をして国民を別のニュースに注目させ「視点外し」「すっとぼけ」を行っているのです。皆さま、テレビを筆頭とした各種メディアは完全なる「洗脳」です。真実を一切報道しません…続きを読む→
「助けてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の宇宙最大の寝言の思念です(祈)†■2023年8月9日UP■
「助けてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の宇宙最大の寝言の思念です(祈)†
霊界とは完全なる自己責任の世界であり、物質界生活時に果たさなかった仕事の責任を完全なカタチで取らされるようになっています。その責任を果たさないと高い境涯に向上する事は許されません。「身元の確認はしましょう」と言ってきたアナウンサー的男性も、天皇一族が強姦殺人魔だと知っていながらコイツらの事を善人だというニュースを流しまくり、自身も善人を装って物質界人生を送ったその自責の念、後悔の念が霊的向上の阻害となっており、その罪障中和の目的で「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言する僕の背後霊として仕事をする事になった男性ではないのか。僕はその可能性は十分にあると考えるのです。ちなみにテレビ業界には今回の「身元の確認はしましょう」の男性と同じように、心の中ではよくないと知りながら、仕事を失わないために「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を善人であると洗脳ニュースを流し続け、そのおこないに後悔し心を痛めている人間がスゴイたくさんいると思っているのです…続きを読む→

1913年10月18日 土曜日

カストレル様のご案内で建物の中に入ってみますと、その優雅さはまた格別でした。入口のところは円形になっていて、そこからすぐに例のドームを見上げるようになっています。そこはまだ建物の中ではなくポーチの少し奥まったところになります。

大広間の敷石からは色とりどりの光輝が発し、絹に似た掛物などは深紅色に輝いておりました。前方と両側に1つずつ出入口があります。見上げると鳩が飛び回っております。ドームのどこかに出入口があるのでしょう。そのドームは半透明の石で出来ており、それを通して柔らかい光が射し込みます。

それらを珍しげに眺めてからふと辺りを見回すと、いつの間にかカストレル様が居なくなっております。やがて右側の出入口から楽しそうな談笑の声が聞こえて来ました。何事だろうとその方向へ目をやると、その出入口から子供を混じえた女性ばかりの一団がぞろぞろと入ってきました。総勢20人もおりましたでしょうか。

やがて私たちのところまで来ると、めいめいに手を差し出してにこやかに握手を求め頬に接吻までして歓迎してくれました。挨拶を済ませると中の1人だけが残って後の方はそのまま引き返して行きました。

大勢で来られたのは私たちに和やかな雰囲気を与えようという心遣いからではなかったろうかと思います。さて後に残られた婦人が、こちらへお出でになりませんかと言って私たちを壁の奥まったところへ案内しました。

5人が腰掛けると、婦人は1人1人の名前を言い当て、ていねいに挨拶し、やがてこんな風に話されました。

「さぞかし皆さんは一体何のためにここへ遣(つか)わされたのかとお思いの事でしょう。またここがどんな土地で何という都市なのかといった事もお知りになりたいでしょう。この建物はカストレル宮殿と申します。その事は多分カストレル様から直々(じきじき)にお聞きになられた事でしょう。

カストレル様はこの地方一帯の統治者にあらせられ仕事も研究もみなカストレル様のお指図に従って行われます。話によりますと皆様は既に“音楽の街”も“科学の街”もご覧になったそうですが、そこでの日々の成果もちゃんと私どもの手元へ届くようになっているのです。

届けられた情報はカストレル様と配下のお方が一々検討され然るべく処理されます。この地方全体の調和という点から検討され処理されるのです。単に調和と申しますよりは協調的進化と言った方が良いかも知れません。

例えば音楽の街には音楽学校があり、そこでは音楽的創造力の養成に努めているのですが、そういった養成所があらゆる部門に設置されており、その成果がひっきりなしに私たちの手元に届けられます。届きますとすぐさま検討と分析を経て記録されます。

必要のある場合はこの都市の付属実験所で綿密なテストを行います。実験所は沢山あります。ここへお出でになるまでに幾つかご覧になられたはずです。かなりの範囲にわたって設置されております。

しかし実はその実験所の道具や装置は必ずしも完全なものとは申せませんので、どこかの界で新しい装置が発明されたり改良されたりすると、すぐに使いを出してその製造方法を学んで来させ、新しいのを製造したり古いものに改良を加えたりします。

そんな次第ですから、その管理に当たる方は叡智に長けた方でなければなりませんし、また次から次へと送られてくる仕事を素早くかつ忍耐強く処理していく能力が無くてはなりません。実はあなた方をここにお呼びしたのはその仕事ぶりをお見せするためなのです。

ここにご滞在中にどうか存分にご見学なさって下さい。もちろん全部理解して頂くのは無理でしょうし特に科学的な面はなかなか難しいところが多かろうと思いますが、たとえ判らなくてもあなた方の将来のお仕事に役立つ事が多かろうと思います。さ、それでは話はこれ位にしてこれからこの建物を一通り案内してさしあげましょう。」

婦人の話が終わると私たちは丁寧にお礼を述べて早速建物の中の案内をお願いしました。全てが荘厳としか言いようがありません。どこを見てもたった1色というものがないのです。必ず何色かが混ざっています。

ただ何色混ざっていても実に美しく調和しているのでギラギラ輝くものでもどこかしら慰められるような柔らかさを感じます。宝石、貴金属、装飾品、花瓶、台石、石柱、何でもがそうでした。

石柱には飾りとして1本だけ立っているものと束になったものとがありました。それから通路には宝石類で飾られた美事な掛け物が掛けてあります。通りがけにそれが肩などに触れると何とも言えない美しいメロディを奏でるのです。

庭に出ると噴水池がありました。魚も泳いでおりました。中庭には芝生と樹木と灌木とが地上と同じような具合に繁っておりましたが、その色彩は地上のどこにも見られないものでした。それから屋上へ案内されました。

驚いた事にそこにもちゃんとした庭があり芝生も果樹園も灌木も揃っておりました。噴水池もありました。この屋上は遠方の地域と連絡を交わすところです。時には見張り所のような役目も果たします。

通信方法は強いて言えば無線電信に似たようなものですが、通信されたものが言語でなしに映像となって現れますから(※)実際には地上の無線とも異なりましょう(※この通信が書かれた頃はまだテレビが発明されていなかった事、そして地上の発明品はことごとく霊界にある物の模造品である事を考え合わせると興味深い – 訳者)

私たち女性グループはずいぶん永い間その宮殿にごやっかいになりながら、近くの都市や郊外まで出ていろんなものを見学しました。その地域全体の直径は地上の尺度で何千マイルもありましょう。それほど広い地域でありながら全体と中心との関係が驚くほど緊密でした。

その中心に当たるのが今お話した大ドームの建物すなわちカストレル宮殿という訳です。その全部をお話すると幾ら時間があっても足りません。そこでそのうち幾つかをお伝えしてそれによって他を推察して頂きましょう。もっともそれもあなた方の想像も及ばないものばかりですけど。

第一に不思議に思った事はその都市に子供がいる事でした。なぜ不思議に思ったかと言いますと、それまで私は子供には子供だけの世界があって皆そこへ連れて行かれるものと思い込んでいたからです。最後に居残ってお話をしてくれた婦人はそこの母親のような地位にあられる方で、その他の方々はその婦人の手助けをされてるらしいのです。

私はその中の1人にそこの子供たちがみんな幸福そうで愛らしく、こんな厳かな宮殿でいかにも寛いでいる事には何か特別な理由(わけ)があるのですかと尋ねてみたところ、大よそ次のような説明をしてくれました。

“ここで生活している子供はみな死産児で、地球の空気を吸った事のある子供とは性格上に非常な違いがある。わずか2、3分しか呼吸した事のない子供でも、全然呼吸していない死産児とはやはり違う。それ故死産児には死産児なりの特別の養育が必要であるが、死産児は霊的知識の理解の点では地上生活を少しでも体験した子より速い。

まだ子供でありながらこうした高い世界で生活できるのはそのためである。が、ただ美しく純粋であるだけでは十分とは言えない。ここで一応の清純さと叡智とを身につけたら今度は地球と関係した仕事に従事している方の手に預けられ、その方の指導の元に間接的ながら地上生活の体験を摂取する事になる…。”

私は初めこの話を興味本位で聞いておりました。ところがその呑気(のんき)な心の静寂を突き破って、この都市へ来たのは実はその事を知るためだったのだという自覚が油然として湧いて来ました。私にも実は1度死産児を生んだ経験があるのです。

それに気がつくと同時に私の胸にその子に会いたいという気持が止めどもなく湧いて来ました。“あの子もきっとここに来ているに違いない”そう思うや否や私の心の中に感激の渦が巻き起こり、しばし感涙にむせびました。その時の気持はとても筆には尽せません。

そばに仲間がいる事も忘れて木陰の芝生にうずくまり、膝に顔を押し当てたまま、湧き出る感激に身を浸したのでした。親切なその仲間は私の気持ちを察して黙って私の肩を抱き、私が感激の渦から抜け出るのを待っておりました。やがて少し落ち着くと仲間の1人が優しくこう語ってくれました。

「私もあなたと同じ身の上の母親です。生きた姿を見せずに逝ってしまった子を持つ母親です。ですから今のあなたのお気持がよく判るのです。私も同じ感激に浸ったものです」

それを聞いて私はゆっくりと顔を上げ、涙にうるんだ目をその友に向けました。すると友は口に出せない私の願いを察してくれたのでしょう。すぐに腕を取って一緒に立ち上がり、肩を抱いたままの姿勢で木立の方へ歩を進めました。

ふと我に帰ってみると、その木立の繁みを通して子供たちの楽しそうなはしゃぎ声が聞こえてくるではありませんか。多分私はあまりの感激に失神したような状態になっていたのでしょう。

まだ実際に子供に会ってもいないのにそんな有様です。これで本当に会ったら一体どうなるんだろうか – 私はそんな事を心配しながら木立に近づきました。表現がまずいなどと言わないでおくれ。そう遠い昔の事ではありません。

その時の光景と感激とが生き生きと甦ってきて上手な表現などとても考えておれないのです。地上にいた時の私は死産児にも霊魂があるなどとは考えてもみませんでした。ですから突如としてその事実を知らされた時は、私はもう…ああ、私にはこれ以上書けません。

どうか後は適当に想像しておくれ。とにかくこの愚かな母親にも神はお情けを下さり、ちゃんと息子に会わせて下さったのです。私がもっとしっかりしておればもっと早く会わせて頂けたでしょうにね。最後に1つだけ大切な事を付加えておきましょう。

本当はもっと早く書くべきだったんでしょうに、つい感激にかまけてしまって…その大切な事というのは子供がこちらへ来るとまずこちらの事情に慣れさせて、それから再び地上の事を勉強させます。地上生活が長ければ長いほどこちらでの地上の勉強は少なくて済みます。

死産児には全然地上の体験が無い訳ですが地球の子供である事に変りありませんからやはり地球の子としての教育が必要です。つまり地上へ近づいて間接的に地上生活の経験を摂取する必要があるのです。もちろん地上へ近づくにはそれなりの準備が必要です。

またいよいよ近づく時は守護に当たる方が付いておられます。死産児には地上の体験がまるで無いので地上生活を体験した子に比べて準備期間が長いようです。やはり地上生活が長いほど、またその生活に苦難が多ければ多いほど、それだけこちらでの勉強が少なくて済み、次の勉強へ進むのが速いようです。

もちろんこれは大体の原則を述べたまでで個々に適用される時はその子の性格を考慮し、その特殊性に応じて変更され順応されます。ともかく全てがうまく出来上がっております。では神の祝福を。おやすみなさい。

「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†■2022年6月29日UP■
「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†
神を侮るべからず。己の蒔きしものは己が刈り取るべし(ガラテア6・7)神の摂理は絶対にごまかされません。傍若無人の人生を送った人間が死に際の改心でいっぺんに立派な霊になれるとお思いですか。魂の奥深くまで染込んだ汚れが、それくらいの事で一度に洗い落とせると思われますか。無欲と滅私の奉仕的生活を送ってきた人間と、わがままで心の修養を一切おろそかにしてきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。“すみませんでした”の一言で全てが赦されるとしたら果たして神は公正であると言えるでしょうか…続きを読む→
「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†■2022年6月22日UP■
「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†
撮影中ずっと話しかけていたので結構疲れましたが、長い撮影を終えて「ゴールタイムが遅れるからもう帰るわよ♪牛ちゃんまた来るわよ♪」と言ってデジ一眼をザックにしまっていると、牛ちゃんが僕の動きに合わせて大移動を開始。僕が帰る方向にずっとついてくるのでした。そして柵の一番端まで来てそこでたくさんの牛ちゃんが群れながら僕を見送ってくれたのでした。僕は少し感動しつつ牛ちゃんに声をかけながら手を振ってお別れし、ゴールの駐車場に急いだのでした。僕は物質界では徹底的にヒドイ目に遭わされながら生活しています。霊団に完全に人生を破壊され心の中は怒りでイッパイの状態で使命遂行していますが、今回のアタックでは牛ちゃんたちのおかげで少し心が安らいだのでした。牛ちゃんは霊界の人間(霊団)と違って優しかったです…続きを読む→
「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†■2022年8月10日UP■
「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†
霊界と物質界つまり顕幽をつなぐ通信方法としてもっとも健全かつ正常な手段が「インスピレーション」であり、霊界側にとっても、物質界の人間が霊的チャンネルを開いてくれてインスピレーションを受け取れるようになってくれる事が一番手間が省けるという事なのです。霊媒現象を実現させようと思ったら、異なる次元間にあんなメンドクサイ橋、こんなメンドクサイ橋をかけねばならず、また決まって人間側の無理解、無知、不信心が障害となって霊界側の長年の準備が泡と消されてしまうという事が往々にしてあるそうです…続きを読む→

フラー26の線画のゴミ取りをしていたのですが、モノスンゴイ無意味に思えるようになってしまっています。復刊にも脱出にも全くつながらない作業ですので、僕的に残念ではありますがやはり一旦止めましょう。そして書籍表紙としてこれから絵をたくさん描いていく事になりますが、そちらにアナログ絵の通しナンバーをつける事にしましょう。

次の通しナンバーはアナログ絵358ですが「インペレーターの霊訓、復刊版」で描いた表紙の絵を358、「ベールの彼方の生活1巻、復刊版」で描いた表紙の絵を359、という風にしてアナログ絵の枚数だけはジャンジャン追加していきましょう。

とにかく脱出を完了させない事には話が始まらないのです、霊団はそうは思っていないでしょうが。先ほど霊団が少しだけインスピレーション降らせてきました。もう僕に対するあきらめの心境といった感じの内容で、僕が絶対に反逆をやめるつもりがないという事を理解して呆れ果てたという事のようです。そう言われてもなお僕の反逆の意思に変更はない。

書籍表紙2枚の絵に通しナンバーをつけてアナログ絵固定ページにUPする作業を明日おこないます。もうヤダ、この何ひとつ眼に見える結果らしいものに到達しない不毛の人生が超絶的にヤダ。この人生をやらせた霊団を心の底から憎む僕の心境に1ミリも変更なし。「ベールの彼方の生活2巻」の表紙の線画を描く事にしてフラー26は中止とします。僕的にはモノスンゴク残念(祈)†

「だいたい2まで書けています」新規の霊言が霊界側で2巻分書き上がっているようです(祈)†■2023年11月22日UP■
「だいたい2まで書けています」新規の霊言が霊界側で2巻分書き上がっているようです(祈)†
「イエスが全部おこなうから」これは僕という霊の道具を使用しての霊的使命遂行の全仕事をイエス様がおこなっているという意味ですが、皆さまにくれぐれもお間違えのないようにして頂きたいのは、イエス様は「スピリチュアリズム普及の総指揮官」であり、個的形態をまとって物質圏付近に降下などできるはずもないはるかはるか向上を果たした超高級霊のお方です。そのイエス様が僕などというグズるお子ちゃまの面倒を見るためにアレコレ手を焼く事は絶対にありません。全体を計画し、想像もつかないほどの大人数の部下(天使)を従えて、指示を与えて仕事を推進するのであり、イエス様が直々に手を動かして仕事をするという事は有り得ないのです。しかし「スピリチュアリズムの真髄」の中に、イエス様が天使の大軍勢を従えて霊媒マッカロウ氏のところまで降下してこられ、実際に霊言を語ったという事が紹介されています。ですのでイエス様が僕という霊媒を使用して霊言を語るという可能性は絶無ではないのかも知れませんが、限りなくゼロに近いでしょう…続きを読む→
「この道の方が正しかった」強姦殺人魔を滅ぼさない、人生破壊が正解という意味、断じて許せぬ(祈)†■2023年11月29日UP■
「この道の方が正しかった」強姦殺人魔を滅ぼさない、人生破壊が正解という意味、断じて許せぬ(祈)†
間もなく僕が公言している内容を一般の方々が恐怖に縮こまる事もなく暗殺の危機におびえる事もなく当たり前のように公言する時代がやってきます。なぜなら人々を永遠に脅迫で押さえつける事は絶対にできないからです。最終的には正義が必ず勝利を収めるようになっているのです。なぜなら僕たちの心には【神】がプレゼントして下さった「理性、良心」が具わっているからです。その理性、良心がイヤでも人々を正しい行動に駆り立て、遅かれ早かれ邪悪は滅ぼされるのです、単なる時間の問題です。ただ僕の希望としては「いつか皆さまも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言するようになる」のではなく、できれば今すぐに公言して頂きたい気持ちです。僕の使命遂行をご覧の方々の多くが「たきざわ彰人ガンバレ、強姦殺人魔をやっつけてくれ」と他力本願的に思っておられるかも知れませんが、イエイエ僕という人間には全く何のチカラもありません。社会は個人が集まってできています。ひとりひとりが行動を起こす事によって大きなムーブメントになっていきます…続きを読む→
「36の材料組み合わせてお菓子ができる」とにかくイエス様はお喜びという意味です(祈)†■2023年12月6日UP■
「36の材料組み合わせてお菓子ができる」とにかくイエス様はお喜びという意味です(祈)†
2000年前のイエス様の磔刑を思い出してみて下さい。この物質界はとにかく嫉妬、嫉妬、嫉妬であふれかえっています。イエス様も多くの霊能を発揮した事によって当時の律法学者どもの嫉妬をかって磔刑にされて殺されました。この地球圏物質界は一見進歩が進んでいるように見えますが、それは物質面のみが異常に発達しているだけであり、精神面はまだ全然進歩していないと思います。霊的知識がまるっきり理解されていない事がその証左といえるでしょう。僕がある状態になる事をおもしろくなく思っている人間がそれはそれはたくさんいるのです、そいつらが僕をそういう状態にさせないよう陰湿極まる妨害をしてくるに決まっています。それが世の常です。僕に関する言われなき悪い噂をメディアを駆使して広めたりして国民に僕という人間の悪印象を植え付けようとイメージ操作をしてくるでしょう。(例えば守護霊様の背の低さを悪用するなどして)そういう事を絶対にやってくるはずです…続きを読む→

さぁこのようにテスト印刷書籍が到着しています。今回は本文を「淡クリームキンマリ90kg」表紙を「ペルーラ スノーホワイト180kg」としましたが、んん、まぁ良いんじゃないでしょうか。あとやはり「のどのマージン」をもうちょっと取らないといけませんね。現在制作中の「ベールの彼方の生活2巻」ではその部分も修正をかけてあります。

このように書籍が手元に到着するのはうれしい半面心境複雑で、僕がやりたいのはテスト印刷ではなくて復刊そのものですから、肝心の復刊がいつまでも実現できなくてテストばかりを繰り返すという事は避けないといけません。そうなってしまいそうなのでイヤになりますが。

70冊超の霊関連書籍全てを同人で復刊させるという最悪ストーリーになる可能性すらあります。そうなってしまったら流通は絶望的、ISBNが付与されていませんから検索しても出てこない、未来、後世に残らないという事になってしまいます。

そのうえ僕という霊媒が結局一生機能しなくて新規の霊言も一切降って来ず物質界人生終了、という事になったら僕の使命遂行は相当残念な結末となるでしょう。現時点ではそうなる可能性がもっとも高いと予測できます。それで霊団にムカついてるんですよ、仕事しろってね。

そしてフラー26の線画が全て完了してます。あとはAffinityPhoto上でゴミ取りをおこなってアナログ絵358「フラー26設定資料」としてUP、止まらずカラーリングに突入するつもりですが、フラー27以降の新規デザインはもう止めた方がイイかも知れません。

プライオリティが完全に下がりまくっている事と、今はとにかく脱出を実現させる事が最優先ですので、まずは脱出と復刊にパワーを集中させ、脱出が完了したらフラー27の新規デザインに戻るという手法にすべきかも知れません。で、脱出が一生叶わない可能性が大ですから、という事はこれをもってフラーの新規デザイン終了、という可能性も出てきます。まぁかくなる上はそれも仕方ないのかも知れません。

僕はデザインの人間ですからフラーが描けなくなるのは精神的にキツイです。まずフラー26はカラーリングまで終わらせ、そこから書籍データ制作の方に全パワーを回すつもりでいます。今はそうするより他にどうしようもないのかも(祈)†

「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†■2023年11月1日UP■
「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†
普段上層界で生活している高級霊の方々は波長が低すぎる物質圏付近には降下する事さえできず、降下したとしてもごく短時間しか滞在できないそうです。つまり高級霊であればあるほど最低界の物質界と縁が切れているという事です。で、そこまで上層界では無い境涯で生活している霊は物質圏付近に仕事で降下する事がありますが(僕は間違いなく降下の仕事をやらされるものと思われますが)インペレーター霊が書籍の中でお話しておられますように、物質圏付近に降下すると、地上生活時代の記憶がよみがえり、それが進歩の逆、退歩につながってその霊にとってマズい事になるという事があるそうです。たとえば霊体生活者はもう肉体がありませんが、物質圏に降下すると昔の肉体的煩悩がよみがえってきてそれが退歩につながるのだそうです。もうひとつ、物質界生活時に間違った霊的知識、宗教観等を学んでしまって、帰幽後にその自分の間違いを指導霊に修正してもらって向上を果たした人物が物質圏付近に降下すると、その過去の誤った概念がよみがえってきて霊界で学んだ内容が帳消しになってしまい、それがまた退歩につながるのだそうです…続きを読む→
「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†■2023年11月15日UP■
「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†
肉体は自動的に朽ち果てるようにできていますから、その肉体をまとっての人生で幸福を得ようと考える事がそもそも本末転倒であり近視眼の極致であり、歳をとる事もなく傷つく事もない永遠の若さを保っている霊体をまとっての霊界人生の方に真実の幸福があるのは至極当然の事であり、その霊界生活に備えて物質界で自分を鍛えなければならないのです。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらはその「物質界の学び」を全てキャンセルしてワガママ放題で生活し、仕事もせず奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくって遊んでいます。つまり物質界で学ぶべき事を一切学ばずに帰幽する、霊界生活に何の備えもできていない人間という事になるのです。何の備えもできていませんからもちろん霊界生活に順応もできません、高級霊の方々から仕事を言いつけられる事もありません資格がないのですから。全く役立たずの人間、何の使い道もありませんから当然暗黒の底の底に落ちてそこで反省させられる訳です。それも物質界での苦しい期間をはるかに超える長い年月にわたって暗黒の中で悶絶する事になるので…続きを読む→

1913年10月17日 金曜日

前回のあのお気の毒な女性 – 今は十分祝福を受けておられますが – をお預けするホームへまだ到着しないうちから私はもう1つの使命を思い出しました。そこから遥か東方にある都市まで行く事になっていたのです。

あなたはまた“東”という文字を書き渋っているけど、私たちはその方角を東と呼んでいるのです。と言いますのは、こちらへ来て初めてイエス様の御姿と十字架の像を拝見したのがその方角だったのです。その方向にある山の上空は今も明るく輝いております。私にはそれが地上の日の出を象徴しているように思えてなりません。

さて私たち5人はその山の向こう側にある都市を目指して出発いたしました。出発に先立ってよく道順をお聞きしておきました。上の方のお話ではその都市の中央には黄金色のドームを頂いた大きい建物があり、その都市の中心街はコロネード(列柱)で囲まれているとの事でした。

初めは徒歩で行きましたが、あとは空を飛んで行きました。歩くより飛ぶ方が難しいのですが、飛んだ方が速いし、それに場所を探すのには空から見た方が判りやすいという事になりました。

やがてその都市の上空に来て目標のドームを見届けてから正面入口めがけて着陸し、そこから本通りへ入りました。本通りはその都市のど真ん中を一直線に横切っており、その反対の端の裏門から出るようになっています。

その幅広い通りを境にして両側はとても敷地の広い、宮殿のような建物がズラリと並んでおります。そこはその地域一帯を治められる高官の方が住んでおられ、そこが首都になります。畑仕事に精を出している光景も見られます。また建物が沢山見えます。

一見して住居ではなくて別の目的をもっている事が判ります。やがてコロネードで囲まれた中心街に出ました。さすがに建物も庭園もそれはそれは見事なものでした。どの建物にも必ずその建物に相応しい色彩とデザインの庭園がついております。

それらを見て歩きながら、この辺で待ち合わせて下さると聞いていた方からの合図を気にしておりました。こうした場合には連絡が先に届いて待ち受けて下さっているのです。歩いていくうちに、いつの間にか公園のようなところに入りました。

とても広い公園で美しい樹木が程よく繁り、所々に噴水池が設けてあります。それ以外は一面緑の芝生です。その噴水が水面に散る時の音はメロディと言えるほど快く、またそれぞれの噴水が異なったメロディを奏でており、それらが調和して公園全体を快い音楽で包んでおります。

その噴水にある細工を施すと得も言われぬ霊妙な音楽が聞けるとの事です。その細工を施すのは度々ではないのですが、時折行われますと、その都市に住む人はもちろんの事、ずっと郊外の丘や牧草地帯に住んでいる人までが大勢集まってくるそうです。

私たちが行った時は素朴な音楽でしたがそれでもそのハーモニー、その快さは見事でした。暫くその公園の中を散歩しました。とても心の安まる美しいところです。芝生に腰を下ろして休んでいますとそこへ1人の男性が優しい笑みを浮かべて近づいて来ました。

私たちを迎えに来られたのだという事はすぐに判ったのですが、お姿を拝見して私たちとは比較にならぬほど霊格の高い方である事が知れましたので暫くは言葉が出ませんでした。

– どんな方ですか。出来れば名前も教えて下さい。

そのうちお教えしましょう。焦る事が1番いけません。こちらの世界では“焦らぬように”という事が1番大切な戒めとされているほどです。焦ると判りかけていたものまで判らなくなります。その天使様はとても背の高い方で、地上でいえば7フィート半は十分あったでしょう。

私は地上にいた時より背が高くなっていますが、その私より遥かに高い方でした。その時の服装は膝まで垂れ下がったクリーム色のシャツを無造作に着ておられるだけで腕も脚も丸出しで、足には何も履いておられませんでした。私は今あなたの心に浮かぶ疑問にお答えしているのですよ。

帽子?いえ無帽です。髪型ですか。ただ柔らかそうな茶色の巻き毛を真ん中で左右に分けておられるだけで、それが首の辺りまで垂れ下がっておりました。頭には幅の広い鉢巻のような帯を締めておられましたが、その帯は金で出来ており真ん中と両側に1つずつ宝石が付いておりました。

また胴にはピンクの金属で出来たシンクチャーを締めておられましたが、何も飾っていない丸出しの手足からも柔らかい光輝が発しておりました。これらは全部その方の霊格の高さを示しておりました。

お顔は威厳に満ちていましたが、その固い表情の中にも言うに言われぬ優しい慈悲がにじみ出ており、それを見て私たちの心に安心感と信頼心が湧いてきました。また尊敬の念も自然に湧いて来ました。

やがて天使様は私たちの波長に合わせている事がすぐに判るような、ゆるやかな口調でこう言われました。ゆるやかでもその響きの中に心に沁みわたるものを感じ取る事ができました。「私の名はカス…」いけません。

名前は私の弱点のようでして、地上へ降りて来るとどうも名前を思い出すのが苦手です。そのうち思い出すでしょう。とにかくご自分のお名前をおっしゃってから、こんな事を言われました。

「私の事は既にお聞きになっておられると思います。やっとお会いできましたね。では私の後に付いて来て下さい。さっそくあなた方をお呼びした目的をお話いたしましょう。」

私たちは言われるまま天使様の後から付いて行きましたが、その道すがら気軽に話しかけられるので、いつの間にかすっかり気安さを覚えるようになりました。

天使様といっしょに通った道は公園を出てすぐ左手にある並木道でしたが、やがて別の公園に入りました。入ってすぐ気づいたのですが、そこは私有の公園つまり公園と言ってもよいほど広い庭園という事です。真ん中にはそれはそれは見事な御殿が建っていました。

一見ギリシャ風の寺院のような恰好をしており四方に階段がついております。よほど偉い方が住んでおられるのだろうと想像しながら天使様の後についてその建物のすぐ側まで近づきました。近づいてみてその大きさに改めて驚きました。

左右の幅の広さもさる事ながらアーチ型の高い門、巨大な柱廊玄関、そして全体を被う大ドーム。私たち5人はただただその豪華さに見とれていました。黄金のドームを頂いた大きな建物と聞いていたのはその建物の事でした。近づいて見るとドームの色は黄金色でなく少し青味がかっておりました。

私はさっそくどんな方がお住みになっておられるのかお聞きしてみました。すると天使様はあっさりとこう言われました。

「いや何、これが私の住居ですよ。地方にも2つ私宅をもっております。よく地方にいる友を訪ねる事があるものですから。それではどうぞお入り下さい。遠路はるばるようこそいらっしゃいました」天使様の言葉には少しも気取りというものがありません。

“気取らない”という事が霊格の偉大さを示す1つの特徴である事を学びました。地上でしたらこんな時には前もって使いの者が案内して恭々(うやうや)しく勿体ぶって拝謁(はいえつ)するところでしょうが、この度はその必要もないので全部省略です。もっとも必要な時はちゃんとした儀式もいたします。

行うとなれば盛大かつ厳粛なものとなりますが、行う意味の無い時は行われません。さて、カストレル様 – やっと名前が出ましたね。詳しい事は明晩にでもお話致しましょう。あなたもそろそろ寝まなくてはならないでしょう。ではおやすみ。

「物質界での評価を見て我慢がなりません」強姦殺人魔の洗脳を撃ち破らねばなりません(祈)†■2023年9月6日UP■
「物質界での評価を見て我慢がなりません」強姦殺人魔の洗脳を撃ち破らねばなりません(祈)†
イヤ、コイツらは暗黒の底どころかインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」も十分あり得ると思います。その、暗黒決定の人間が、物質界という閉じた世界の中で威厳がどうとか、自分が偉いとか言っている事がどれほど愚かな事か。宇宙全体から見た時に自分という存在がいかに陳腐で取るに足らない存在であるかという事を何も分かっていない。まさに「無知ほどこわいものはない」なのです。こんなたとえをしたらミミズちゃんに申し訳ないですが、泥の中でうごめいているミミズちゃんの中の1匹が、他のミミズちゃんに向かって「俺はお前たちより偉いんだ」と言って自慢しています。その泥の中で起こっている出来事を人間は何も知らずその泥土をまたいで歩き去っていきます。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の言っている事はまさにこのミミズ1匹の言葉と同じなのです。上(霊界上層界)が何も見えていない愚か者という事です…続きを読む→
「じゃあねー♪」霊団が僕から離れるのだそうです、別にそれでイイですけど(祈)†■2023年9月27日UP■
「じゃあねー♪」霊団が僕から離れるのだそうです、別にそれでイイですけど(祈)†
「帰幽後に霊界で賜る霊的褒章」を人生目標としている僕にとっては、この霊団が降らせる物的苦難を乗り越えた先に得られる霊的喜びは想像を絶するものがあり、大いに耐え忍ぶ意味があるという事になるのですが、何かが引っかかるのは僕だけなのでしょうか。僕個人の霊的進歩向上の事は考えてくれているようだが、物質界の邪悪を滅ぼす気は全くない、強姦殺人され続けている奴隷の女の子たちの事など見向きもしない、この霊界上層界の人間たちの思考回路は一体何がどうなっているのか。やはり僕が公言している「物質界は地球圏霊界の刑務所」という言葉は正解だと思います。刑務所の生活環境を良くしてしまったら刑務所として機能しなくなってしまいます。やはりコイツら(霊団)は物質界の問題を解決するつもりが本当にないんじゃないのか。ただ僕のようにできるだけ多くの人間を向上させようとしている、そちらが上位の目的であり、物質界の邪悪性はその向上のためのトリガーとして必要だから改善させる訳にはいかないという事なのではないか…続きを読む→
「進化とはなかよしの事」深いインスピレーションですが僕には耳が痛いですね(祈)†■2023年10月18日UP■
「進化とはなかよしの事」深いインスピレーションですが僕には耳が痛いですね(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の情報拡散だけは徹底的に僕にやらせて、僕の次の世代の使命遂行者が仕事をやりやすいように畑だけは耕しておくが、滅ぼす事は僕の代ではやらない。霊団はタダ僕にその苦しいタネ蒔きを続けさせて霊的に向上させて帰幽させる事だけを考えていたのではないか。交霊会やるやるとずっと言い続けてまるっきりやろうともしない、サークルメンバー問題も全く解決させようともせず交霊会をおこなう環境など全然整っていないのに、ただ口だけ延々とやるやる言い続けてくる。これもどう考えてもおかしい。バーバネル氏が支配霊というのもおかしい。物質界生活中に僕にできるだけ霊的知識を獲得させておくために交霊会交霊会言い続けてお勉強させるのが真の目的だったのではないか。つまり僕の仕事の本当の舞台は霊界であって、帰幽後にイエス様(さすがに直で仕事を賜る事はないと思いますが間接的にはあるかも知れません)から言いつけられる仕事をおこなう事の出来る霊的知識および霊格を物質界生活中に身につけさせるためにムチャクチャな試練を浴びせられているという事なのではないか…続きを読む→

どれだけ努力しても1ミリも脱出できないというのか。これほど心の底からイヤがっているのに1歩も出られないというのか。そんな人生があってたまるか。帰幽1秒前まで死んでもあきらめないぞ。そして帰幽したが最後、もう永遠に地球圏の仕事はやらないぞ。もう永遠にお断りする。

神に貢献する仕事は無限にあるはずだ。他のカタチでも貢献できるはずだ。僕はそっちに行けるように努力する。これほど自分の意に反した人生を強要されるところとはもう一切のかかわりを断絶する。

そして「ベールの彼方の生活2巻」最終校正中。すでに見直しを完了させてある完成版のテキストのはずなのに、こうしてみてみるとまだいくつも修正点、見落としがアルアル。この苦しい作業の先にも脱出はないというのか。復刊さえないというのか。

以前から何度か書いていますが、僕の口ぐせはもうすっかり「くっそー」になってしまっているのです。悔しくて悔しくて、イヤでイヤでどうしようもないのです。この人生をやらせた霊団に対する怒り憎しみはもう永遠に消える事はないでしょう。Dreamworkを続行していれば全然違う人生を生きていたはずで、それを思うと無限に怒りがこみあげてくるのです。

復刊および脱出の実現のための努力を続けます。この人生が許せない。何の結果にも到達しない事が許せない。不毛を強要している霊団が許せない。ベール1巻明日到着予定(祈)†

「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†■2023年2月1日UP■
「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†
皆さまの心は真実を知っているのです。それを「洗脳」で分からなくさせられているのです。ゴマかされているのです、曇らされているのです。そのモヤを振り払えばたちまち真実が見えてきます。ベールはたった1枚です「洗脳」という名のベールです。それさえめくればすぐ目の前に真実が顔を出します。「ポリーチェ POLICE に命令」という「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念のインスピレーションを霊団が降らせてきましたが、これがいかにふざけた意味であるか、どうか想像力を働かせて頂きたいと思います。大量強姦殺人魔、人類最大の犯罪者がポリーチェ POLICE に命令する、ポリーチェがその大犯罪者の命令に忠実に従い、スナイパーチームとなって僕のように真実を公言する人間を暗殺する。【神】が経綸するこの全宇宙に、これ以上のふざけた事があるでしょうかイヤない…続きを読む→
「科学のヒントがパズルのように含まれる」霊団はまだ交霊会の事をしつこく言ってきます(祈)†■2022年9月21日UP■
「科学のヒントがパズルのように含まれる」霊団はまだ交霊会の事をしつこく言ってきます(祈)†
今こうしている間も奴隷の女の子たちは明仁、文仁、徳仁、悠仁に「処刑遊び」と称して強姦殺人され続けている事を知っていながら、その女の子たちを助ける事を一切せず、女の子たちに背を向けながら霊団の要求を泣く泣く呑んで交霊会をおこない、新時代の霊言を降らせる人生を送ったとして、その僕の心境をどうか皆さまにご想像頂きたいと思います。奴隷の女の子の存在を知らない状態だったなら、ノリノリで交霊会をやっていたかも知れません。しかし霊媒として機能し、霊言を拡散する作業を日々おこないながらも「コイツら(霊団)は奴隷の女の子たちを全く助けるつもりがないんだ」と思いながら苦虫をかみつぶして一生を送る、それがどういう心境かをご想像頂きたいのです。僕の目には、霊団のこの態度は「偽善の極致」として映ります。口だけ動かしてどれだけ高尚な事を言ってきても結局女の子ひとり助けようともしない奴らなんだ、そういう結論に達します…続きを読む→
「地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」僕は帰幽後、地球圏を離れます(祈)†■2023年8月16日UP■
「地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」僕は帰幽後、地球圏を離れます(祈)†
この11年、霊団は「人生破壊」以外に何もやりませんでした。口だけをピーチクパーチク動かし、実際の行動は何ひとつ起こしませんでした。人の人生をブチ壊すだけブチ壊しておいて、その補填らしきものは一切なくホッポラカシ。あげくの果てに自分たちで言い出して僕にやらせた仕事を全力でやめさせようとしてくる始末。一体何がどうなってるんだよあんたたちの頭の中は。永遠に理解できない「※地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」霊関連書籍にはこのような記述は一切ありませんが、僕は自身の長きにわたる霊的体験から、絶対の自信をもってこの言葉を公言させて頂きます。地球圏霊界、おかしい、全てがおかしい。全宇宙最低ランクにもほどがある。いくら何でも最悪すぎる。僕は帰幽後、まず実現は不可能と思われますが、一応希望としては地球圏霊界と完全に縁を切るつもりでいます。少なくとも霊団とは縁を切ります。これは絶対です…続きを読む→

明らかに身体に異常が現れていますが(両腕両足のしびれ)それでも脱出が全く実現しません。何と今月に入って4回目の薬の購入で、これでゴマかしながら結局最悪のところに閉じ込められる状態が続く事になります。霊団の呪いのレベルがスゴすぎる、これほどまで1歩も動けないとは一体何がどうなっているのか。

とにかく帰幽1秒前まで脱出をあきらめるつもりはありませんが、ここまでくるともう呪われたまま生き続ける以外の方法は無いのかも知れないと、思いたくない事を考えてしまいます。イヤそれを認める訳にはいかない、あきらめながら生きるなんて死んでもお断りする。僕は「1歩も退く気はない」だ、最後の1秒まで闘うぞ。

「ベールの彼方の生活2巻」キンドルファイヤーを使用しての最終校正に突入してます。この書籍復刊の作業も脱出につなげられないかという一縷の望みをかけての作業となりますが、どれだけ努力しても霊団の呪いを撃ち破る事はもう不可能なのではないかという思いがよぎります。

復刊実現に向けてあるメール(2通目)を出さねばなりません。全ての努力が徒労に終わるというのか。何ひとつ結果らしい結果に到達できず苦虫をかみつぶしながら物質界人生をダラダラ生きながらえるのか。そんな人生を無条件に受け入れるつもりなど毛頭ない。僕は闘う、最後の最後まで闘う。

「ベールの彼方の生活1巻」のテスト印刷書籍、明日到着予定です。到着次第さっそく画像をWordPressにUPし、さらに↓

コチラに「復刊進捗table」を掲載していますが、そのテーブルの内容も更新しようかなと思っています。とにかく外堀はジャンジャン固まっていく、復刊そのものは全然できないという状態となります。WordPressに全文掲載するだけで終わってしまう、復刊および脱出は一生実現しないという最悪ストーリーが脳裏に浮かぶ。霊団はそれでイイと思っているのかも知れない。

脱出できない、脱出できない、どれだけ全力でもがいても1ミリも脱出できない。宇宙最大級の呪いだ。僕には「あきらめながら生きる」という選択肢はない。死ぬまで闘うぞ、絶対に反逆をやめないぞ(祈)†

「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†■2023年2月15日UP■
「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†
僕もこれまで果てしなく霊的知識をお勉強し続けてきて、霊言を降らせる事の重大性は十分すぎるほど理解していますから、シルバーバーチ霊の言葉に反対を表明するほど愚かではありませんが、霊界にはウソというモノが存在しません、僕の心の中など霊団およびシルバーバーチ霊には全て丸見え筒抜けですからあえて正直に書かせて頂きますが、ハッキシ言ってもうウンザリなんですよ。霊性発現(2012年6月)から一体どれだけの月日が流れていますか。この10年以上、霊団はひたすら口だけをピーチクパーチク動かし続けてきましたが物的状況には一切変化はありません、さも今動く、今変わる的な事を延々言われてその通りにしてきてハッとうしろを振り返ってみたら最低最悪の場所にただ閉じ込められ続けただけだった。僕が霊団に対して抱いている怒り憎しみの念はもはやただ事ではないレベルになっているのです、長年の蓄積があるからです…続きを読む→
「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†■2023年2月22日UP■
「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†
「サークルメンバー問題」についてお話しますが、交霊会は霊媒ひとりではおこなえません。上記に説明したように低級霊のジャマが入りますのでそのジャマを排除せねばなりません。そこで必要になるのが「サークルメンバーつまり霊的仕事をおこなうためのある一定レベルの資格を有した数名の人間から抽出したエクトプラズム」なのです。サークルメンバーからエクトプラズムを抽出し、そこに霊界から持参した成分をミックスさせて、低級霊を締め出す「防御壁」のようなモノを拵えるのだそうです。その防御壁がなければ霊媒は低級霊のオモチャにされてしまうのですが、霊団が言うには僕という霊媒の交霊会ではその防御壁がしっかりしているので「邪悪が入る余地はない」のだそうです…続きを読む→
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→