何とまた薬を買うハメに。薬でゴマかしながら結局閉じ込められる事になります(祈)†

明らかに身体に異常が現れていますが(両腕両足のしびれ)それでも脱出が全く実現しません。何と今月に入って4回目の薬の購入で、これでゴマかしながら結局最悪のところに閉じ込められる状態が続く事になります。霊団の呪いのレベルがスゴすぎる、これほどまで1歩も動けないとは一体何がどうなっているのか。

とにかく帰幽1秒前まで脱出をあきらめるつもりはありませんが、ここまでくるともう呪われたまま生き続ける以外の方法は無いのかも知れないと、思いたくない事を考えてしまいます。イヤそれを認める訳にはいかない、あきらめながら生きるなんて死んでもお断りする。僕は「1歩も退く気はない」だ、最後の1秒まで闘うぞ。

「ベールの彼方の生活2巻」キンドルファイヤーを使用しての最終校正に突入してます。この書籍復刊の作業も脱出につなげられないかという一縷の望みをかけての作業となりますが、どれだけ努力しても霊団の呪いを撃ち破る事はもう不可能なのではないかという思いがよぎります。

復刊実現に向けてあるメール(2通目)を出さねばなりません。全ての努力が徒労に終わるというのか。何ひとつ結果らしい結果に到達できず苦虫をかみつぶしながら物質界人生をダラダラ生きながらえるのか。そんな人生を無条件に受け入れるつもりなど毛頭ない。僕は闘う、最後の最後まで闘う。

「ベールの彼方の生活1巻」のテスト印刷書籍、明日到着予定です。到着次第さっそく画像をWordPressにUPし、さらに↓

コチラに「復刊進捗table」を掲載していますが、そのテーブルの内容も更新しようかなと思っています。とにかく外堀はジャンジャン固まっていく、復刊そのものは全然できないという状態となります。WordPressに全文掲載するだけで終わってしまう、復刊および脱出は一生実現しないという最悪ストーリーが脳裏に浮かぶ。霊団はそれでイイと思っているのかも知れない。

脱出できない、脱出できない、どれだけ全力でもがいても1ミリも脱出できない。宇宙最大級の呪いだ。僕には「あきらめながら生きる」という選択肢はない。死ぬまで闘うぞ、絶対に反逆をやめないぞ(祈)†

「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†■2023年2月15日UP■
「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†
僕もこれまで果てしなく霊的知識をお勉強し続けてきて、霊言を降らせる事の重大性は十分すぎるほど理解していますから、シルバーバーチ霊の言葉に反対を表明するほど愚かではありませんが、霊界にはウソというモノが存在しません、僕の心の中など霊団およびシルバーバーチ霊には全て丸見え筒抜けですからあえて正直に書かせて頂きますが、ハッキシ言ってもうウンザリなんですよ。霊性発現(2012年6月)から一体どれだけの月日が流れていますか。この10年以上、霊団はひたすら口だけをピーチクパーチク動かし続けてきましたが物的状況には一切変化はありません、さも今動く、今変わる的な事を延々言われてその通りにしてきてハッとうしろを振り返ってみたら最低最悪の場所にただ閉じ込められ続けただけだった。僕が霊団に対して抱いている怒り憎しみの念はもはやただ事ではないレベルになっているのです、長年の蓄積があるからです…続きを読む→
「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†■2023年2月22日UP■
「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†
「サークルメンバー問題」についてお話しますが、交霊会は霊媒ひとりではおこなえません。上記に説明したように低級霊のジャマが入りますのでそのジャマを排除せねばなりません。そこで必要になるのが「サークルメンバーつまり霊的仕事をおこなうためのある一定レベルの資格を有した数名の人間から抽出したエクトプラズム」なのです。サークルメンバーからエクトプラズムを抽出し、そこに霊界から持参した成分をミックスさせて、低級霊を締め出す「防御壁」のようなモノを拵えるのだそうです。その防御壁がなければ霊媒は低級霊のオモチャにされてしまうのですが、霊団が言うには僕という霊媒の交霊会ではその防御壁がしっかりしているので「邪悪が入る余地はない」のだそうです…続きを読む→
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†