1913年11月18日 火曜日

地上の全存在の創造が完了した時、最後に1つだけ最も偉大なものが未完のまま残された。それが人間である。人間はその後の発達に任された。驚異的な才能を賦与されていたからこそ向上進化の道を啓示され、その道を自ら辿るに任された。

1人ぽっちではない。天界の全政庁が、人間がいかにその才能を駆使して行くかを見守っていたのである。今ここで地上の学者の説く進化論や神学者の説く堕罪と昇天について改めて述べるつもりはない。それよりも、もっと広い視野に立って人間本来の向上心と現状について述べてみたい。

また吾々にも人間の未来を勘案し神の子全ての前途に横たわる、奥深くそして幅広い天界のその少し先くらいは覗き見ることを許されているのである。
またその考察に当たっては、地上で説かれている神学的ドグマに捉われることがないことも承知されたい。

神学の世界はあまりに狭隘(きょうあい)であり、又あまりに束縛が多いために、広い世界に永く暮らしていた者が不用意に手足を伸ばせば、取り囲む壁に当たって傷を負いかねない。更に広く旅せんとしても、もっと苦しい災難がふりかかるかも知れないとの不安のために、つい躊躇してしまうのである。

よく聞くがよい。神学の教えをあたかも身体にとっての呼吸の如く絶対的なものを思い込む者には、衝撃があまりに大きく恐るべきものに思えるかも知れないが、吾々にとっては、道を誤らぬために神より賦与されている人間本来の意志と理性の自由な行使を恐れ、ドグマと戒律への盲従をもって神への忠誠であるかの如く履き違えている姿を見ることの方が、よほど悲劇に思えるのである。

考えてもみよ。神の不機嫌に恐れおののかねばならぬとは、一体その神と人間とはいかなる関係であろうか。自らの思考力を駆使して真摯(しんし)に考え、その挙句にたまたまドグマから逸(そ)れたからといって、神がその者を不気味な笑みを浮かべて待ち受け網をもって捕らえんとしているとでも言うのであろうか。

それとも“汝は生ぬるいぞ。冷たくもなく、さりとて熱くもない。よって汝の願いは却下する”と述べたというのはこの神のことであろうか。自由闊達に伸び伸び生き、持てる才能を有難く敬虔な気持をもって存分に使えばよいのである。

そしてたまたま過ちを犯しても、それは強情の故でもなく故意でもなく、善なる意図から出たことである。両足を正しくしっかりと踏まえ、腕を強くふりしぼって矢を射よ。1度や2度的(まと)を外れたとて少しも戸惑うことはない。恐れてはいけない。

神が却下されるのは自ら試みてしくじる者ではなく、勇気をもって挑もうとせぬ臆病者である。このことは自信をもって断言する。私はその2種類の生き方を辿った人間が地上からこちらへ来た暁に置かれる場所、更には高級界へと進み行く門を探し求めるその経緯(いきさつ)を見て、その真実性を十分に得心しているのである。

さて、天界の大軍の一員としての貴殿によくよく心して聞いてほしいことがある。改めてこう申すのも、これから私が述べることの中には貴殿の思考にそぐわないものがあるかも知れないからである。願わくば私の伝えるままを記してもらいたい。

キリスト教徒の中にはキリストを神と認めない者が多くいる。実はその問題に関しては地上のみならずベールのこちら側にても軽々しく論じられている。と言うのも、地上にかぎらず、吾々の世界でも、真理を知るためには自ら努力して求めねばならないという事情があるのである。

吾々には啓示の奇蹟は与えられず、と言って自由な思考が上級界より抑制されることもない。人間と同様に吾々も導きは受けるが、あれこれと特定の信仰を押しつけられることはない。それ故に吾々の世界にもキリストは神にあらずと説き、そう説くことで万事終わりとする者が大勢いることになる。

この度の私の目的はそれを否定して真相を説くことではない。それを絶対のものとして説くつもりはさらにない。それよりも私はまずその問題の本質を明らかにしたい。そうすることで、用語の定義づけを疎(おろそ)かにしてはこの種の問題が理解できないことを説きたいと思う。

ではまず第一に、一体〝神"とは何を意味するかということである。"父なる存在"を想う時の、1個の場所に位置する個人、つまり人間のような1人物を意味するのであろうか。

もしそうだとすれば、キリストが神でないのは明らかである。さもないと、それは2重の人物つまり2個の人物が区別のつかない状態で一体となった存在を創造することになる。

キリストが“私と父とは1つである”と言ったのはそういう意味で述べたのではない。対等の2人の人物が一体となることは考えられないことであり、理性が即座に反する。

それともキリストは父なる人間として顕現したものという意味であろうか。もしそうだとすれば、貴殿もそうであり私もそうである。なぜなら、神は全存在に宿り給うからである。あるいはキリストにおいて父なる神の全てが統一体としてそのまま宿ったということであろうか。

もしそうだとすれば、これ又、貴殿にも私にも同じように神は完全なる形で宿っていることになる。なぜなら、神は不可分の存在だからである。しかしそれを、神の全てがキリストに宿り吾々には宿っていないという言い方をすれば、それは単なる1個の俗説に過ぎず、それ以上の価値は無い。これは非論理的でもある。

何となれば、もしも神がそっくりキリストの中に宿るとすれば、キリストが即ち神となって両者の区別がつかないことになるし、必然的にキリストに宿る神が神自身の中には宿らぬという妙な理屈にもなる。これでは理性が納得しない。

それ故吾々が第一に理解しなければならぬことは、“父”というのは神について吾々が考え得るかぎりの“最高の要素”を指すための名称に過ぎないということである。もっとも、吾々にはそれすら本当の理解は出来ていない。なぜなら、正直に申して、父なる神は吾々の理解を超えた存在だからである。

私には父なる神を定義することは出事ない。まだ1度もその御姿を拝したことがないからである。“それより以下”の存在にその全体像が見える道理がないのである。私が拝したのはその部分的顕現であり、それがこれまで私に叶えられた最高の光栄である。

ならばキリストと父との一体性の真意も又、吾々の理解を超えた問題である。キリスト自身が吾々より上の存在だからである。キリストは吾々に思考し得るかぎりのことを述べておられるが、吾々にはまだその多くが理解できていない。

地上においてキリストは父なる神を身をもって証言してみせられた。つまり人間の身体によって顕現し得るかぎりの神の要素を吾々に示されたということである。それ以上のことは判らぬ。が、謙譲の徳と敬虔なる愛が深まるにつれて知識も深まり行くことであろう。

キリストが父と一体であるのと同じ意味において吾々はキリストと一体である。“人間性”と呼ぶもの“神性”と呼ぶものとの融合したキリストの中に存在することによって、吾々は父なる神の中に存在する。

キリスト自身が述べておられるように、父はキリストより偉大なる存在である。が、どれほど偉大であるかは語られなかった。たとえ語られたとしても、吾々には理解し得なかったであろう。

さて、以上の説を読まれて、これでは私は人間が組み上げてきた足場組みを徒(いたず)らに取り払うのみで、しかも結局は建物すら見えないことになるではないかと言う者もいるであろう。

が、私の目的は当初に述べたように、建物を構築することではない。今何よりも必要なのは確固たる基盤づくりであることを指摘することであった。脆弱(ぜいじゃく)な基盤の上に建てたものは、見ているうちにも、あるいは早晩かならず崩壊して多くの労力が徒労に終ることは必定(ひつじょう)である。

実は人間はまさにそれに等しいことをこれまで延々と続けてきたのである。そして自らはそれに気づいていない。明確であるべき多くのことが未だに曖昧模糊(あいまいもこ)としている原因がそこにある。“よくは知らぬ、がしかし…”というせりふで始めて断定的な事を述べるのは賢明とは言えない。

高慢は得てして謙虚な心の美しさを見えなくする。また深遠な問題に対して即座に答える者が叡智に溢れていると思うのも誤りである。何となれば、確信は得てして傲慢と相通じていることがあり、傲慢から真実は生まれず、また愛すべきものでもないからである。

貴殿と、守護霊としての私とは、永遠なる生命であるキリストにおいて一体である。キリストの生命の中において吾々は互いに相見(まみ)え祝福し合う。では私から祝福を述べるとしよう。そして貴殿から届けられた厚意に深く感謝する。†

「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†■2022年5月4日UP■
「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†
僕が本当にこういうヒドイ状況にさせられても全く誰の目も開かないというのか。誰ひとりとして真実に目覚めないというのか。僕の人生がこれだけ破壊されても日本国民の洗脳が1ミリたりとも破られないというのか。物質界はここまで腐りきっているのか。この期に及んでもまだ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を陛下だの殿下だのと呼び続け笑顔で手を振り続け、奴隷の女の子を強姦殺人する手助けを続けるつもりなのか。「無知ほどこわいものはない」この言葉に帰着します…続きを読む→
「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†■2023年4月12日UP■
「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†
そうそう、シルバーバーチ霊は「苦を苦と思わない段階まで霊格が向上すれば、苦難を味わわされても喜びしか湧き上がってこない」みたいな事を仰っています。さらに「ベールの彼方の生活」にも、上層界の天使たちが下層界の仕事に携わって大いに苦しい状態にさせられているのに笑顔になっているという記述があります。これは帰幽して十分に向上を果たし、俯瞰の視点で全体を眺められるポジションに立つ事ができて初めて到達できる精神状態だと思います。物質界生活中にこの精神状態に到達するのは、頭で知識としては理解する事ができても心の底から納得してそういう心境に到達するのはまず不可能と思われます。中にはそういう聖者のような方もいらっしゃるのかも知れませんが僕はデザインの人間ですのでそれはないです…続きを読む→
「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†■2024年1月10日UP■
「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†
僕は物的情報は専門外ですので詳細説明は控えますが、あの大震災もこの大震災もコイツらがやった事であり、罪もない大勢の国民を無差別殺害しているのです。(地球深部探査船ちきゅう号という船を使って人工地震を引き起こしているのです、詳細はぜひググって頂きたいです。第2次世界大戦時の関東大震災も、アメリカの手による人工地震です)「行動には動機がある」明仁、文仁、徳仁、悠仁が人工地震を引き起こして無関係の国民を大量殺害している理由は、使命遂行開始ごく初期の頃に霊団が降らせてきたインスピレーション「人生イコールS〇X」これに帰着します。全ては「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を強姦殺人する遊びを続けるためにおこなっている事なのです。イヤ他にもっと理由がある事と思いますが、物事というのは突き詰めていくとシンプルに行き着くというのが僕の持論です。コイツらの行動の動機の根源を辿るとS〇Xに行き着く、自分の日々のS〇Xを守るために国民を殺しまくっているという事になるのです。…続きを読む→

ベールの彼方の生活4巻の最終校正をおこなっているイコール本文を頭から読み進めている訳ですが、この4巻の後半部は荘厳を極める内容で本当にスバラシイ、人類の宝というべきでしょう。この美しい霊的知識を全く知らない人が大多数を占めるこの物質界の狂気。コレを理解せずに生命活動をおこなっている事を恥と思わねばならないはずなのですが。

ベールの彼方の生活3巻のテスト印刷書籍があと数日中に到着する予定です。遅い、遅すぎる、しかしお安い、という印刷会社を使用しています。

この印刷会社は製本のクオリティが低く、復刊本番時を想定した製本をおこなえる印刷会社をググったりしているのですが、現在使用中の印刷会社以外を見てみると一気に数字が跳ね上がるのです、とても僕には使えません。当分は使えそうもありません、イヤ、使わずに物質界人生を終わるかのような事を霊団に言われていますが。

3巻書籍到着に合わせて3巻の表紙の絵をアナログ絵361としてUPさせます。フラーのストーリーを描きたい衝動に駆れています。さぁ困ったな、アレもコレもできません僕という人間はひとりしかいません1日は24時間しかありません寝ないといけません。何もかも中途半端で全然物的結果に到達せず帰幽する事になるというのか。後悔の念を僕に植え付ける事が霊団の目的か。そうやって地球圏脱出を思い止まらせるつもりか。まぁ脱出などできませんけども。

究極にムカつく物的雑務がありまして明日の帰宅が遅くなります。本当にこの無意味の究極形の物的雑務をキャンセルしたい、いつまでこんな事やらされねばならないのか。こんなモノなんの意味もないモノなんだという事を物質界の人間が気付くのは一体あと何百年後の事なのか。ホントウンザリ(祈)†

「クスリ」霊団が意図的に僕を苦しい状況に閉じ込めているという意味です(祈)†■2023年1月18日UP■
「クスリ」霊団が意図的に僕を苦しい状況に閉じ込めているという意味です(祈)†
海で隔てられていても大霊の前では兄弟であり姉妹なのです。私たちの教えは単純です。しかし真実です。自然の摂理に基づいているからです。摂理を無視した方法で地上世界を築こうとすると混乱と無秩序が生じます。必ず破綻をきたします。忍耐強い努力と犠牲を払わない事には、これからも数々の戦争が起きる事でしょう。タネを蒔いてしまった以上はその産物を刈り取らねばなりません。因果律はごまかせないのです。流血の争いというタネを蒔いておいて平和という収穫は刈り取れません。他国を物理的に支配せんとする欲望の張り合いをしながら、その必然の苦い結果を逃れる訳にはまいりません。愛のタネを蒔けば愛が実ります。平和のタネを蒔けば平和が実ります。互助のタネを地上のいたるところに蒔いておけば、やがて互助の花が咲き乱れます。単純な真理なのです。あまりに単純すぎるために、かえって地上の“お偉方”を当惑させるのです…続きを読む→
「感謝の念は消えません」だからそれは帰幽後の話だろ、物質界の邪悪を滅ぼせよ(祈)†■2022年11月2日UP■
「感謝の念は消えません」だからそれは帰幽後の話だろ、物質界の邪悪を滅ぼせよ(祈)†
僕は「物質界は地球圏霊界の刑務所」と公言していますが、霊団の動きを見るほどに僕のこの言葉は本当に正解なんじゃないか?という気がしてなりません。つまり刑務所が住み心地良くなってしまったら刑務所としての機能が果たせなくなってしまうので邪悪を(今のところは)滅ぼすつもりがない。未熟霊の矯正に刑務所を活用し続けなければならないからだが、矯正する未熟者がすっかりいなくなった、つまり地球圏霊界全体がある程度のレベルまで向上を果たし、下層界にうごめく低級霊たちもほとんど向上を果たし姿を消し、下層界が空っぽになるくらいのところまで到達した暁には、刑務所である物質界の利用目的が消滅する事になるので、そうなって初めて物質界の邪悪を消滅させるとか、そういうアフォみたいに気の長い事を考えているのではないか、などと思ったりもするのです…続きを読む→

キンドルファイヤーとにらめっこして最終校正をしている最中に完全に機能停止してしまいます。首が下に落ちて記憶がない状態になります。そういう事ではいけない、全力で作業しなければいけないのですが肉体をまとっている限りこの機能停止を防御する方法はありません。

霊団は僕が反逆の根気負けをするのを待っているとでもいうのでしょうか。それは有り得ない。毎日イヤでイヤでどうしようもないモノに直面させられながら生活しているんだから脱出の気持ちが心から消えるはずがないのです、毎日「絶対ここから出てみせるんだ」と決意を新たにする状態なのです。

復刊、出版社設立が脱出につながるという保証はないものの、もうそれ以外に脱出のための努力の方法が思いつかない状態で(脱出できる事になっていればそんな努力などしなくても霊の導きによってあれよあれよという間に脱出が完了する、そういうものなのです)要するに通常でいけば脱出できない、延々に閉じ込められるという事になってしまうのですが、僕はそれを絶対に認めないので何が何でも脱出の努力を続けているのです。

それがつまり霊団の意思に反した行為となり反逆となってしまうのです、それを分かってて僕はやってるのです、それくらい閉じ込められるのがイヤだという事です。現在制作しまくっている書籍データを、必ず一気にドッカーンと復刊させられる時期がやってきます、必ずやってきます。その日のためにガンガン先行でデータを作っておくのです苦しくても。

表紙の線画のモチーフは変更してよかったと思います、だいぶマシな絵になりました。できるだけ早く線画を描き上げてAffinityPhoto上の作業に移行しましょう。先ほどアドオンをもうひとつ追加入手しました。表紙のカラーリングに使用するためです。AffinityPhotoは本当にスバラシイ。

Affinity アドオン
生き生きしたブラシ パックとユニークなイラストレーションキットから、独特な雰囲気のあるオーバーレイやテクスチャー イフェクトなど、豊富な種類のあるアドオンから選択をして作品に追加的な魔法をかけてください。下記のすべてを参照してください。
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表紙のカラーリング、最終校正を終えたら、あとは「復刊者コメント」を撃って書籍データ完成、即印刷会社にデータアップロードして止まらず次の作業に取り掛かります。僕は絶対に止まらない。霊団は僕の性格を分かってない。僕は「1歩も退く気はない」だ。僕のこの性格は守護霊様のデザインだ、お前らが何を言ってきても絶対に変えられないんだ。

はぁぁ苦しい、しかし作業続行中。現在キンドルファイヤー充電中。こんなにど真ん中で使う事になるとは入手当初は思ってもみませんでしたが役に立ってよかった。止まるな、たきざわ彰人(祈)†
「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†■2023年7月5日UP■
「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†
物質界の評価に1ミリも興味はありませんので僕が物質界レベルで軽蔑嘲笑を受ける事になろうと知った事ではないのですが、ただ悲しいのは「僕が自分の人生を犠牲にしてこれほどの活動をしても、それでも皆さまの眼は開かれないのか」という事です。僕が殺されたあと、僕という人間を侮辱する、僕の人格を全く別物に書き換えるインチキ書籍が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の手により複数出回ったとして、それをアッサリコロッと皆さまは信じてしまうというのでしょうか。物質界に興味がないと言っている僕でさえ悲しくなる眼の閉じっぷりです。僕の事は何とでも思って頂いて構わないとして、少なくとも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の洗脳だけは撃ち破ってもらわないと皆さまが帰幽後に恥ずかしくて居たたまれなくなると思うのですがいかがでしょう。帰幽後の霊界人生が人間の本当の人生です。そちらに照準を合わせて日々の生活を送らないといけないんですよ…続きを読む→
「基礎を積み上げる者ほどその後の進歩が速い」帰幽後の話かよ使命遂行終了か?(祈)†■2023年5月10日UP■
「基礎を積み上げる者ほどその後の進歩が速い」帰幽後の話かよ使命遂行終了か?(祈)†
ん?今軽くトランスに入った時に「そんな事ない」って言ってきました。という事は物質界生活中に結果に到達できるのか。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させられるのか。奴隷の女の子たちを助けてあげられるのか。イヤ、これまでの霊団の動きを見ればそんな一言は信じられない。甘いな。んんん、僕の人生目標は「帰幽後に霊界で賜る霊的褒章」であり、物質界でああなろうとかこうなろうとは夢にも思ってませんから(2度と物質界に戻るつもりはありませんので)帰幽後の明るい人生を連想させるこのインスピレーションは、僕個人としては喜ぶべき意味なのですが、霊界の仕事とはそんなにもいい加減なものなのか。そんな事でいいのか。一体いつになったら物質界の邪悪を本腰を入れて滅ぼすつもりなんだ。僕が1代目だとして、一体何代目で滅亡を完了させる計画なんだ、どんだけ悠長なんだ…続きを読む→
「この窓から神秘に入る」帰幽後、僕が突入する状況について霊団が言ってきましたが(祈)†■2023年4月19日UP■
「この窓から神秘に入る」帰幽後、僕が突入する状況について霊団が言ってきましたが(祈)†
インペレーターの霊訓より抜粋 私がこの地上を去ったのは遙か遠い昔のことになりますが、このたび戻ってまいりましたのは、この霊媒を通じて霊的啓示を届けんがためです。それが私の使命なのです。私の属する界層からこの地上へ戻ってくる霊はきわめて稀です。が、大神が特殊な使命のためにこの私を遣(つか)わされたのです。天界と地上との間の階梯(はしご)はつねに掛けられております。が、人間の側の不信心が天使の働きかけを遮断してまいりました。 – あなたは神の僕(しもべ)ですか。いかにも。神の僕として選ばれ使命を仰せつかることは、われわれ仲間の間にあってはただならぬことです。私はこの霊媒を通じての使命を終えたのちは2度と個的身体をまとって戻ることのできない境涯へと赴きます。他の霊を通じて影響力を行使するのみとなるでしょう。皆さんはすべからく大神の導きを求めねばなりません。おのれを恃(たの)む者は滅びる、滅びる、滅びる…(とくに厳粛な調子で述べた)。神は光明と導きを求める者を決してお見捨てにはなりません。決して、決して、決して……続きを読む→

1913年11月17日 月曜日

「汝の見るところを書に著(しる)せよ」 – これはパトモス島にいたヨハネに天使が語った言葉である。彼は可能なかぎりその命に従い、書き記したものを同志に託した。そのとき以来、多くの人間がその解釈に苦心してきた。

そして彼らはああでもない、こうでもないと思案の末に、よく判らぬ、とカブトを脱ぐのである。が、彼らが解釈に戸惑うのは実は自業自得なのである。何となれば、もし幼子の如く素直な心をもって読めば容易に真理の扉を開く鍵はあったのであり、神の王国に入り、素直な人間の素直な言葉を受け取る者を待ちうける天界の美を見ることを得たはずなのである。

ところが人間はいつの時代にも“複雑”を好む。そして複雑さの中に真理の深遠さと奥行きとを求める。が、それは無駄である。何となれば、それは言わばガラスの表面を見て、反射する光の眩しさに目が眩むにも似た行為であり、その奥を見透し、そこに潜む栄光を見るべきだったのである。

かくして人間は複雑さにさらに複雑さを加え、それを知識と呼ぶ。が、知識には本来複雑さはない。知識を欠くことこそ複雑を生む要因である。故にもし私が貴殿に、そして貴殿を通して他の者に、何かを説明せんとする時、その説明のうわべだけを見てはならない。

自動書記という通信方法にこだわってはならない。つまり用語や言い回しに貴殿自身のものに酷似したものがあるからといって、それを疑って掛かってはならない。それは言わば家屋を建てるために使用する材料にすぎず、そのためには貴殿の記憶の層に蓄えられたものを借用するしかないのである。

更に言えば、貴殿のこれまでの半生は1つにはこの目的のための監督と準備のために費されてきた。すなわち、こうした自動書記のために貴殿を使用し、更に又、地上界とのつながりを深める上で吾々の及ばざるところをそちら側から援助してもらうためである。

吾々が映像を見せる、それを貴殿が文章として書き留める。かくして“汝の見るところのことを書き著(しる)し”それを世に送る。その受け止め方は各人の受容力の程度によると同時に、持てる才覚が霊的真理を感識し得るまでに鋭さを増しているか否かに関わる問題である。各々それで佳しとせねばならない。さ、吾らと共に来るがよい。出来るかぎりのものを授けよう。

– “吾々”という言い方をされますが、他に何人か居られるのでしょうか。

吾々は“協調”によって仕事を推進する。私と共にこの場に居合わせる者もいれば、それぞれの界にあって必要な援助を送り届けることの出来る者もいる。又そうするよりほかに致し方な性質の援助もある。

それは海底のダイバーのために海上から絶え間なく空気を送り込まねばならないと同じで、吾々がこうして仕事をしている間中ずっと援助を送り届けてくれる必要がある。

あたかも海底にいる如く、ふだん摂取している空気は乏しく光は遥か上の方に薄ぼんやりと見える、この暗く息苦しい地上界にあっては、そうした種類の援助を得ることによって高き真理を幾分なりとも鮮明に伝えることが出来るのである。

この点を考慮に入れ、吾々のこともその点に鑑みて考えてほしい。そうすれば吾らの仕事について幾分なりとも理解がいくであろう。かく申すのも、天使はなぜ曽てほど地上へ大挙して訪れなくなったのかという疑問を抱く者がいるからである。

この僅かな言葉の中に多くの誤解が存在するが、中でも顕著なのが2つある。まず第1は、高い霊格を具えた天使が“大挙して”地上を訪れたことは絶対にない。永い人類の歴史の中においても、あそこに1人ここに1人と、極めて稀にしか訪れていない。

そしてその僅かな事象が驚異的な出来ごとの年代記の中において大きく扱われている。天使が地上へ降りてその姿を人間に見せることは、よくよく稀にしか、それも特殊な目的のある場合を除いて、まず有り得ない。

万一そうするとなれば、さきに述べた吾々の仕事の困難さを更に延長せねばならない。つまり、まず暗く深い海底へ潜(もぐ)らねばならない。次にその海底で生活している盲目に近い人間に姿を見せるための諸々の条件を整えなければならない。

それは有り得ないことである。確かに吾々は人類のための仕事に携わり、人類と共に存在するが、そういう形で訪れることはしない。それぞれの仕事により規則があり方法も異る。そこに又、第2の誤解が存在する。

確かに吾々の身は今人間界にあり、繰り返し訪れているのであるが、この“訪れる”という言葉には、言葉だけでは表わせない要素の方が実に多いのである。

ベールのこちら側にいる者でも、あるいは吾々の界と地上界との中間の界層にいる者でも、霊の有する驚異的威力とその使用法については、向上の過程において意外に僅かしか理解していないものである。が、この問題はこれまでにして、次に別の興味ある話題を提供しよう。

例のジャボクにおいてヤコブが天使と会い、それと格闘をして勝ったという話(創世記32) – 貴殿はあの格闘をどう理解しているであろうか。そして天使が名前を教えなかったのはなぜだと思われるであろうか。

– 私はあの格闘は本当の格闘であったと思います。そしてヤコブが勝たせてもらえたのはパダン・アラムでの暮らしにおける自己との葛藤が無駄でなかったことを悟らせるためであったと思います。つまり“己れに勝った”ということです。そして天使が名を明かさなかったのは肉体に宿る人間に天使が名を明かすことは戒律(おきて)に反くことだったからだと思います。

なるほど。最初の答えはよく出来ている。あとの答えは今1つというところである。何となれば、考えてもみよ、名を明かさなかったのはそれが戒律に反く行為であるからというのなら、では一体なぜそれが戒律に反くことになるのであろうか。

さて例の格闘であるが、あれには真実味と現実味とがあった。もっとも、人間が行うような生身と生身の取り組みではなかった。もし天使に人間の手が触れようものなら、天使は大変な危害をこうむるであろう。確かにヤコブの目に映するほどの形体で顕現し、触れれば感触が得られたであろう。

が手荒らに扱える性質のものではなかった。天使の威力はヤコブの腰に触れただけで脚の関節が外れたという話でも想像がつくであろう。では、それほどの威力ある天使を組み伏せたほどのヤコブの力は一体何であったのか。実は天使はヤコブの力によって組み伏せられたのである。

と言って、ヤコブの念力が天使のそれを凌いだというのではない。天使の謙譲の徳と特別な計らいがそこにあったのである。天使が去ろうとするところをヤコブが引き止めると、天使はそれに従ったが、ぜひ帰らせてほしいと実に“いんぎん”に頼んでいる。貴殿はこの寛恕の心の偉大さに感嘆するであろう。

がそれも、イエス・キリストが地上で受けた恥辱を思えば影が薄くなるであろう。いんぎんさは愛の表現の1つであり、それは霊性を鍛える永い修行において無視されてはならない徳の1つである。

こうして天使はその謙譲の徳ゆえに引き止められた。が、それはヤコブが勝ったことを意味するものではない。新たに自覚した己れの意志の力と性格が、しばし、けちくさい感情を圧倒し、素直に天使に祝福を求めた。天使はすぐに応じて祝福を垂れた。が、その名は明かさなかった。

名を明かすことが戒律に反くという言い方は必ずしも正しいとは言えない。名を明かすこともあるのである。ただ、この時は明かされなかった。それはこういう理由による。

すなわち名前というものには或る種の威力が秘められているということである。このことをよく理解し銘記してほしい。なぜなら、聖なる名を誤って使用し続けると不幸が生ずることがあり、それに驚いてその名の主が忌み嫌われることになりかねないからである。

ヤコブが天使の名を教えてもらえなかったのは、ヤコブ自身の為を思ってのことであった。祝福をよろこんで求めた。が、それ以上にあまり多くを求め過ぎぬようにとの戒めがあったということである。

ヤコブは天使の偉大なる力をほとんど直接(じか)に接触するところまで体験した。が、その威力をむやみに引き出すことは戒めなければならない。そうしなければ、その後に待ち受ける奮闘は己れの力によるものではないことになるからであった。

今、貴殿の心に疑問が見える。吾々に対する浅はかな要求が聞き入れられることがあるかということのようであるが、それは可能であるのみならず、現実にひっきりなしに行われている。

不思議に思えるかも知れないが、その浅はかな要求を吾々が然るべき形にして上層界へ送り届ける。が、往々にしてその結果は、当人自身の力をふりしぼらせ、そうすることによって霊界からの援助に頼るよりも一層大なる力を発揮させるべきであるということになる。

地上の人間が必死にある者の名を呼べば、それは必ずその者に届く。そして可能なかぎり、そして本人にとりて最良の形で世話を焼き活動してくれる。

思うにヤコブは兄エサウとの闘争、息子たちとの諍(いさか)い、飢饉との戦い、そして数々の試練によって自己の人間的威力を否応(いやおう)なしに発揮させられることで、たびごと天使の援助を頼りとした場合より飛躍的進歩を遂げたことであろう。

彼の要求はしばしば拒否され、それが理解できないために信仰に迷いを生じ当惑したことであろう。また時には援助が授けられたことであろう。がそれは歴然とした形で行われたであろうから、理解するに努力は要らず、従って進歩も必要としなかったことであろう。

この問題はこれ以上続けぬ。ヤコブの例を引いたのは、吾々の姿が見えず声も聞こえないからといって、それだけ貴殿が距離的に吾々から遠く離れているわけでもなく、また吾々が貴殿から遠くに居るわけでもないことを示すためであった。

吾々が語り貴殿が聞く。しかしそれは聴力で聞くよりも更に深い、貴殿自身の内奥で聞いている。貴殿の目に映像が見える。が、それは視力で見るより更に内奥の感覚にて見ている。貴殿は何1つ案ずるには及ばない。

吾々も少しも案じてはいない。そしてこれ以後も貴殿を使用し続けるであろう。故に平静さとキリストを通じての神への祈りの気持をもち続けてほしい。吾々はキリストの使者であり、キリストの名のもとに参る者である。†

「パリッシュ」これは画家パリッシュではなく心霊治療家パリッシュの事では?(祈)†■2023年2月8日UP■
「パリッシュ」これは画家パリッシュではなく心霊治療家パリッシュの事では?(祈)†
インペレーター霊は書籍の中で「物質界の人間はすべからくインスピレーションの媒体に過ぎない」と仰っています。霊界で制作されたモノを物質界の人間にインスピレーションとして送信する、受信能力のある人間がそれを受け取り、それに自分の着色が加えられて、インスピレーションに近いモノが制作される事もあれば、大きく歪曲されたモノが作られる事もある。物質界の人間は、自分が良い考えを思いついて良いモノを作り上げたと言って自慢するが、それは元々霊界側で作成されたモノであり、人間の小我で着色されてそれがグレードダウンしたモノである事を知りません。この霊的知識に基づいて考えれば、僕がデザインし続けているフラーも霊団側であらかじめ作成されていたデザインのグレードダウン版と言えなくもないのでしょう。つまり「そもそも我々がデザインしたモノを我々が描け描け言うのは当たり前の事だ」という風になるのかも知れません…続きを読む→
「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†■2023年2月1日UP■
「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†
皆さまの心は真実を知っているのです。それを「洗脳」で分からなくさせられているのです。ゴマかされているのです、曇らされているのです。そのモヤを振り払えばたちまち真実が見えてきます。ベールはたった1枚です「洗脳」という名のベールです。それさえめくればすぐ目の前に真実が顔を出します。「ポリーチェ POLICE に命令」という「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念のインスピレーションを霊団が降らせてきましたが、これがいかにふざけた意味であるか、どうか想像力を働かせて頂きたいと思います。大量強姦殺人魔、人類最大の犯罪者がポリーチェ POLICE に命令する、ポリーチェがその大犯罪者の命令に忠実に従い、スナイパーチームとなって僕のように真実を公言する人間を暗殺する。【神】が経綸するこの全宇宙に、これ以上のふざけた事があるでしょうかイヤない…続きを読む→
■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†■2024年1月27日UP■
■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†
永遠の安寧が存在する光り輝く上層界で生活していればいいものを、なぜわざわざ物質界に向けて犠牲の降下をしなければならないのですか。それは「愛」の一言に尽きるのではないでしょうか。他でもない【神】の意図が「進化」にあり、神の子等である僕たちを高揚し向上させる事が宇宙の仕事といっても過言ではない、僕はそのようにお勉強しています。その愛に背を向けて霊的な事を軽んじて生きるもよし、霊的知識を獲得してすみやかに進歩向上するもよし、それは当人の自由ですが、いま自分が生命活動をおこなう事ができているのは霊の賦活作用のおかげだという基本中の基本さえ理解せず、自分の生命および存在の根源について全くの無知で生きるというのは到底賢い人間のする事とは言えません。自分の生命の根源を愚弄するなら霊なしで1秒でも生きてみろ、肉体のみで1秒でも生きてみろ、と言いたいです。物質とは腐食性のモノであり、それ自体に存在はありません。霊によって形態を維持されているだけであって、霊が離れればたちまち崩壊、腐食して地球を構成する成分に帰っていきます。その腐食物が自分の本体だと信じて疑わないのであれば、あなたはその肉体と一緒に腐って土に返って下さい。肉体は腐ったが最後、2度と元のカタチには戻りません。しかし自分の本体が霊だと理解しておられる方は、帰幽後、永遠の若さを保つ霊体をまとって速やかに霊界生活に順応できるでしょう。これら霊的知識を理解する重要性に比べれば、インペレーター霊がモーゼス氏を介して語った年月が最近だろうが昔だろうが、それに何の意味があるというのでしょう…続きを読む→

ベール4巻の表紙、実は霊体の僕が登場する予定で描いていたのですが、どうにもこうにも気に入らないのでボツにして別のモチーフで線画を描く事にしました。まぁ霊団が「その絵ヤメレ」って感じに僕の心をグチャってしたのではないかという気もしなくもないですが。今回に関しては納得ですね。確かにあまり宜しくないモノを描こうとしていましたので。

昨日書きました、スピリチュアリズム関連ではない書籍ですが、えー、内容が正直言ってど素人で、文章もど素人で、霊的な事を全然分かっていない方が書かれた文章という感じで、全然読み進める気になれません、その本、仕舞ってしまいました。書籍化するまでの苦労談は了解なのですが、シルバーバーチの方が1億倍おもしろいです。

やはりスピリチュアリズム関連の正真正銘の書籍群はクオリティがずば抜けて高いんだなぁと再確認できたところだけはよかったのかも知れませんが、正直買わなくてよかったです。なぜこの本が古書で異常な高額の値が付いて流通しているのかがいまいち理解できませんが。そちらの高い方を買わなくて助かりました。

「ベールの彼方の生活4巻」最終校正を急がないといけません、チョト脱線してしまいまいましたね。僕は日本の霊能者の事を全然知らなかったのでお勉強しようかなぁと思っての事だったのですが、霊能は本物なのでしょうが文章力をもうちょっと何とかしてもらわないと多くの人に読んでもらえないと思います。

って、これは僕自身についても言える事なので肝に銘じないといけませんが。テキスト撃ち続けるのは本当に苦しいですものね。表紙モチーフ変更中(祈)†

「許してくれ」霊団が自分たちの導きの失敗を完全に認めた一言となります(祈)†■2023年5月24日UP■
「許してくれ」霊団が自分たちの導きの失敗を完全に認めた一言となります(祈)†
「泣きっ面にハチ」これが僕の霊的使命遂行をもっとも正確に表した言葉ではないでしょうか。なぜDreamworkをやめさせられてこんな最悪な人生をやらされなければならなかったのか、その理由について何ひとつ納得のいく回答は霊団から降ってきません。つまり説明できないからです「行き当たりバッタリ」だったからです。で、霊界側として完全に予定外だった少年(僕)に、誰もやってくれない仕事(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁邪悪の正体の情報拡散)を押し付けてやらせてはみたものの、そもそも行き当たりバッタリで始めた仕事だったので(無計画だったので)僕の暗殺を回避するので精一杯で全然事態を進展させる事ができないまま時間だけが流れていった…続きを読む→
「出版社」霊団が僕に「サイキック・ニューズ社」をやれと言ってきているのです(祈)†■2023年5月17日UP■
「出版社」霊団が僕に「サイキック・ニューズ社」をやれと言ってきているのです(祈)†
出版社を立ち上げる事自体はすごく簡単です。ISBNを取得するだけで、どこぞに申請を出すとかそういう必要もありません「僕、今日から出版社をやるわ♪」と宣言すればそれで出版社が立ち上がった事になります。出版業ほど興すのが簡単で継続の難しい事業はない、という言葉もあるようです。僕はAmazonでの電子書籍制作の経験もあり、元々デザインの人間ですのでその手の作業に全く抵抗がなく、電子書籍のみならず紙の書籍のデータ制作も全く問題なくおこなえます(AffinityPhotoおよびAffinityPublisher使用)さらに僕はムービー制作能力も有しており、さらに「字幕(.srt、.vtt)」も扱えます。つまり僕という霊媒から降った霊言をムービー化してYouTubeにUPする作業も全てひとりでおこなえるという事になります。とにかく僕という霊媒から霊言が降ってくれば、ありとあらゆる方法でその霊言を拡散させるスキルを僕は所有しているという事です。…続きを読む→

修正箇所がアルアル、イヤになるほどに、うんざりするほどに。しかしやる以外にないのです。書籍データを10冊20冊、イヤもっと完成させておいて、いつかきっとどこかのタイミングで一気にドッカーンと復刊できる時が来ると信じて、その時のために先行で1つでも多くのデータを完成させておくのです。やるしかないんだ。

昨日霊団が降らせてきたインスピレーションを見返してますが、見れば見るほど最悪な意味に受け取れる内容で、暗殺よりヒドイ状態にさせられる、イヤ、日本の歴史上で天皇の邪悪の正体を暴露した(しようとした)人間の中でもっともヒドイ扱いを受ける、そういう感じの事を言われているのです。

もちろん僕は最後の1秒まで全力で抵抗します、何が悲しくて強姦殺人魔の言いなりにならねばならないのでしょうか。お前らが真っ先に逮捕されるべきはずの人間だというのに、その人類史上最悪の犯罪者のお前らが人に命令するな。僕のこの意見は宇宙全体から見た時には正当に受け止められますが、宇宙最低ランクの物質界ではその常識が通用しないようなのです。どれだけ狂った世界なのか。

霊団がしょっちゅう謝罪してくるのはそういう事か。ヒドイ目に遭わせてしまって申し訳ない、そういう事か。僕が本当に最悪の状態にさせられるとしたら、僕は帰幽後の霊界生活においてもあんたたちを永遠に憎み続けるだろう。もしかしたらその悲劇の見返りとして、僕の願望である「地球圏脱出」が叶えられるなんて特例もあるかも知れない。つまり特例が認められるくらいヒドイ目に遭わされるという意味です。

4巻表紙の線画を描いているところですが今のところあまり気に入っていません、チョト描き直すかも知れません。もう最悪、物質界人生最悪、帰幽する以外に望みはない、この最低界に残されている限り僕の身に降ってくるモノは悲劇しかない。これほどの試練を浴びなければならない理由が全く思いつかない。僕が一体何を悪い事をしたというのか。

そこまでして大量強姦殺人魔を守り通さねばならない、この物質界という【神】が経綸する全宇宙の中の最低ランクの存在の場は、どれだけ最悪の境涯だというのか。そんなに強姦殺人魔が好きなのか、なぜそこまでして強姦殺人魔を守り通さねばならないのか。そのおこないをして帰幽した先に、自分に降りかかる地獄が全く理解できない愚かな人間たち。

そんなに強姦殺人魔と一緒に地獄に落ちたいなら勝手に落ちればいい「後なるものが先に」僕は先に行かせてもらう。強姦殺人魔に加担したお前らの事など振り向きもしない興味もない。霊的知識を理解していない人間の、その愚かさを見るほどに口ポカーンとなります。これが高級霊の方々が低級霊に対して抱く「憐れみの情」だというのか。

さぁ最悪のところから脱出できる事を信じて出版社設立、復刊のための作業を続行しましょう。「無知ほどこわいものはない」愚かな人間が自分の愚かさに気付く方法はただひとつ「地獄で苦悶と恥辱を存分に味わう事」それしかありません。僕をヒドイ状態にしようとしている人間たち、やってごらんなさいよ。シャレじゃなく本当に1万年後悔する事になるよ。何も知らない(霊的知識が頭に入っていない)という事がいかに愚かな事であるか(祈)†
「なぜ地獄行きを命じたか」現在閉じ込められている状況がやはり地獄なのだそうです(祈)†■2024年2月21日UP■
「なぜ地獄行きを命じたか」現在閉じ込められている状況がやはり地獄なのだそうです(祈)†
しかし僕の心が完全に霊団に対する怒り憎しみに包まれてしまっていて(絶対ムリと分かっていますが)地球圏を離れたいと切望するほどになっています。つまり僕は帰幽後に地球圏の仕事をやるのに適さない人間になってしまったという事になり、それで霊団がしょっちゅう「ゴメンね」とか「残念だ」とか言ってくるのではないか、という予測もあったりなかったり。ただ、仮にこの最後の予測が正解だったとしても、僕をそうさせたのは他でもないあんたたちだろ。守護霊様の管轄内で生活していた時は僕は現在のような精神状態には全くならなかった。Dreamwork一直線で迷いなど全くなく、山に行き続けてはシカちゃん鳥ちゃんに話しかけるような人間でしたので(純粋だったという事)100の光の霊団も守護霊様と同じような導き方をしていれば僕をこんな精神状態にしてしまう事もなかったはずなのです。100の光の霊団、特に支配霊バーバネル氏に僕が言いたい事は「守護霊様を見習えよ」という事です。霊性発現前は全てがうまくいっていた。そして超速的に霊性発現に到達した。守護霊様の導きは空前絶後の大成功だったと僕は思うのです。…続きを読む→
「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†■2024年2月14日UP■
「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†
これまで物質界で犠牲の使命遂行をおこなってきた無数の霊覚者たちも、全体から見た時に無限分の1といえる極小の活動をしていたと言えます。ひとりの人間が永遠の中の一瞬である物質界生活中にできる仕事量など、宇宙の永遠の営みの中のホンの些細な出来事でしかありませんが、それをひとりひとりがおこなって積み重ねていく以外に地球圏全体を霊的に向上させる方法はないのかも知れません。恐ろしく気の遠くなる話ですが。で、霊団が僕にやらせようとしているのが「霊媒として機能して新規の霊言を物質界にもたらす事」のようなのですが(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事、奴隷の女の子を救出する事じゃネィのかよ、だったら霊性発現以降のこの11年は一体何だったんだよ、と言いたくて仕方ありませんが)確かに霊言を降らせてそれを拡散させる事ができれば、多くの方々のお役に立つ事ができるのでしょう。僕もぜひその状況になって欲しいと思っています。拡散の準備ならすっかり整っています。書籍復刊のための作業を経てAffinityPublisherへの苦手意識もだいぶ克服されており、書籍をガンガン作るスキルがかなり身に付いてきていますので、霊言さえ降れば、それを余す事なく書籍化して皆さまにお読み頂ける状態にする事ができます…続きを読む→

1913年11月15日 土曜日

さて、もう1つ私の立場から見てもらいたいものがある。地上の科学者は天体について彼らなりに観察し、その結果をまとめ、他の情報と統合して推論を下し、それにある程度の直感力と叡智とを加味して生成の原理を系統だてているが、その天体の生成過程に霊的存在と霊的エネルギーとがどう関わっているか、その真相について述べてみたい。

そもそも“天体”という用語には二重の意味があり、その理解も個人の能力と人間性の程度によって異る。ある者にとってはそうした球体は物質的創造物に過ぎず、ある者にとっては霊的生命力の顕現の結果以外の何ものでもない。が、その霊的生命力の働きについても、皆がみな同じように理解しているわけではない。

霊的生命力という用語をきわめて曖昧な意味に使用している者もいる。“神が万物を創造した”と簡単に言う者がいるが、その意味するところは途轍(とてつ)もなく深遠である。

地上という薄暗い世界を超越して、より明るい世界を知る者にとっては、多分その言い方では真理を“表現している”よりむしろ“埋葬している”と言いたいところであろう。

最も偉大なものも、最も単純な叡智から生まれる。絶え間なく運動を続ける天体の見事な連動関係(コンビネーション)も、最も基本的な幾何学的計算から生まれる。何となれば、1つの縺(もつ)れもなく自由自在の使用に耐え得るものは、最も純粋にして最も単純なものしかないからである。

その至純にして単純な状態こそ恒久性の保証である。それは地球のみに限らない。遥か彼方の星辰の世界においても永遠に変らぬ真理である。何となれば、完璧なる理法のもとに統制されているからである。

さて、それら天体組織の各軌道は2種類の原理によって定められると言っても過言ではない。すなわち直線と曲線である。否、根源的にはたった1つの原理すなわち直線からできあがると述べた方がより正確かも知れない。

つまり全ての天体は本来直線軌道の上を直進している。ところが突き進むうちに例外なく曲線を画くことになる。その道理の説明は地上の天文学者にも出来るであろう。が、1つだけ例を挙げて説明しておこう。

地球を例にとり、それが今軌道上を発進したとしよう。すると先ず直線コースを辿る。それが本来の動きなのである。ところが間もなく太陽の方角へ曲りはじめる。そしてやがて楕円状に動いていることが判る。

結果的には直線は1本もない。曲線の連続によって楕円を画いたのであり、それが地球の軌道なのである。一方、太陽の引力は決して曲線状に働いたわけではない。やはり一直線なのである。

結局地球の軌道を直線から楕円へと変えたのは2種類のエネルギーの直線的作用 – 地球の推進力と太陽の引力 – だったのであり、その中に多種類の曲線の要素が入り、それが完全な楕円をこしらえたのである。

実はこれには他に多くの影響力が働いているが、貴殿の注意力を逸(そ)らさぬよう、1つの原理にしぼっている。これを定義づければこういうことになろう – 2本の直線的エネルギー作用が働き合って楕円軌道を形成する、と。

太陽の引力も地球の推進力も完全な理法に沿って働き、そこには美しさと驚異的な力がある。物体が自ら働くということ自体が驚異というべきであり、真実、驚異なのである。

その両者が互いに動きを修正し合い、また大なるものが小なるものを支配しつつ、しかも小なるものの本来の力と自由を奪うことなく、連動作用により – 明らかに対立した動きをしながらも – 2本の直線よりも遥かに美しい楕円を画く。これはまさに親と子の関係にも似ている。

貴殿はまさか両者が対立した運動をするからにはこの機構は誤っており“悪”の根源より出たものである、などとは思うまい。考えてもみるがよい。この両者は虚空の中を来る日も来る日も変わることなく連繋運動を幾星霜となく続け、今なお続けている。

それを思えば、侮蔑どころか畏敬と崇敬の念を抱くべき事柄である。美しさと偉大さとを併せもつ叡智の存在を示している。これを考案された神へ讃仰の念を抱かずにはおれないであろう。偉大な叡智と偉大な力とを兼ね備えた存在であるに相違ないからである。むべなるかなである。

人間は神の御業をこのように正しく理解せず、見た目に映じた皮相な見解のもとに神および神の働きを安易に疑い過ぎる傾向がある。人間生活の中にさきの例のような対立関係を見ると、すぐに神が不完全であるかの如く言う。もっと良い方法があるはずであると思い、神の叡智と愛を疑う。

人間生活の画く大きな軌道の僅かな曲線のみ見て、あたかも全てが破滅に向かっているかの如く思いつめる。そうまで思いつめなくても、少なくとも全てが直線的、つまりは悲劇もなく苦難もないコースこそが正しい人生であると思い、対立的勢力の連動作用によって軌道を修正されることを好まない。

もとより、仮定の問題とすればそれ以外の働き方もあるかも知れない。が、もしそうなれば、神がその霊力によって実現させたところの、かの完璧な星辰の動きには及びもつかぬものとなるであろう。

人生における軋轢(あつれき)や悩み事や苦痛を生じさせるところの対立関係は、地球を無事軌道上に運行させているエネルギーの対立関係と同じなのである。完全なる全体像を見通す神の目から見ればそれで良いのであり、その成就へ向けて忍耐強く待つのである。

吾々とて全てが判るわけではなく、これから辿る道もさして遠い先まで見通せるわけでもない。ただ貴殿よりは遠くが見える。少なくとも現在の自分の置かれた事情に得心し、同じ道を歩む同胞に援助の手を伸ばし、これより先いかに遠く進もうとも、全てがうまく出来ているとの信念をもって向上へ励むのである。

と言うのも、こうして地上の霧に包まれ視野を閉ざされた状態においては、吾々はその道程について“しつこく”その価値を詮索することをせず、天界に戻って煌々たる光の中において全体を眺める。

その高き視野より眺めると、完成へ向けて進む人生の軌道は実に美事なものである。あまりに美事であるために吾々はしばしば愛と叡智の神の尊厳に驚嘆と畏敬の念を覚え、思わず足を止めるのである。その威容の前にひれ伏す時の讃仰の念は最早や私の言葉では表現できない。ただ魂の憧れの中に表現するのみである。

アーメン。私からの祝福を。勇気をもって怖れることなく歩むがよい。先のことは私が全て佳きに計らうであろう。†

「何であたしがこんな重荷を背負わなきゃいけないの?」シルキーが悪用されるという意味です(祈)†■2021年11月24日UP■
「何であたしがこんな重荷を背負わなきゃいけないの?」シルキーが悪用されるという意味です(祈)†
僕を殺して口を利けないようにしてからシルキーを盗む、という意味で間違いないものと思われます。この「家族の一員に」というのは「デ〇〇ニー」の事を言っているような気がしてなりませんが。つまりデ〇〇ニーが僕の反論がない状態でシルキーのキャラクターを完全に書き換え霊的意味を完全に抜け落ちさせ、シルキーが我々のキャラであると世界中を洗脳する作品を発表する事によって僕、たきざわ彰人の存在を世界中の人間の脳内から消させる、という意味ではないかと思われます。そしてトランス時に霊団が見せてきた映像で、シルキーが「何であたしがこんな重荷を背負わなきゃいけないの?」とすごいイヤそうにしていたのです…続きを読む→
■2021年9月22日UP■
「実際に戦争に送ろうと思ってるんだよ」明仁、文仁、徳仁、悠仁が僕を体よく殺そうとしているのです(祈)†
皆さまは「戦争」というものを「勃発してしまったら国民は戦争に赴かなければならないものなんだ、イヤでもやらなければならないものなんだ」みたいに考えておられますか。皆さま霊的知識をお勉強して下さい。その考えは1億%間違っています。僕たち人間は年齢、性別、人種等に関係なく全員が【神】から「神性の火花」を賜って個的存在を獲得した「神を共通の父(親)とした霊的同胞、霊的兄弟、霊的大家族」です。霊的知識を正しく理解すると、戦争で敵国の兵士を殺す事は「自分の家族を殺す事と同義」という事が理解できます。戦争というものは無知から生じる大変愚かな行為という事になります。そして僕は以前「コロナウソ」に関してこのような事を書いた事がありますが…続きを読む→
■アナログ絵360「ベールの彼方の生活2巻」復刊書籍表紙UP。どうしても復刊できない(祈)†■2024年2月14日UP■
■アナログ絵360「ベールの彼方の生活2巻」復刊書籍表紙UP。どうしても復刊できない(祈)†
「ヨーロッパの妖精物語と東洋の魔法の物語」こちらは現代の人間にも広く知られているモチーフですよね。RPGゲーム等でよくみられる「剣と魔法のファンタジー」の世界観です。ファイ〇ルファン〇ジー等で多くの方がこのモチーフに親しんでいますが、この世界観も元はといえば過去の霊能者が見せてきた霊現象が元ネタなのだそうです。その霊能者の最大の人物がもちろん聖書に登場するイエス様、という事になります。RPGゲーム等で遊んでいる方がたくさんいらっしゃる事と思いますが、その時に頭のホンのかたすみにでも「あぁ、この剣と魔法の世界観は霊現象が元ネタなんだよなぁ」と思い出してもらえると、そして少しでも霊的なモノに興味を持ってもらえると僕的にはうれしいのですがどうでしょう。もっとも、歪められ具合がタダ事ではありません、長い世紀にわたって霊的な事を理解していない人間たちの手によって実際の霊的事象とは似ても似つかない物的商売臭の漂う世界観に完全に書き換えられてしまっており、もはや全く別物と言った方がいいのでしょう。「人間は本来が霊であり肉体はタダの衣服に過ぎない」という霊的真理などは完全に抜け落ちて形骸すら残っていません。だからこそ絶版状態の霊関連書籍の復刊が急務だと僕は思っているのですが……続きを読む→

書籍霊能一代

スピリチュアリズム関連の主要な書籍はほぼ全網羅で入手しており、あと1、2冊程度入手すれば十分かなという状況ですが(現在76冊入手完了中)それとはまったくカテゴリの異なる、今まで存在も全く知らなかった書籍を1冊入手しました。

この書籍の詳細について書くつもりはありませんが(まだ読んでませんので)しかし霊団がこの書籍の到着に合わせる形で「shaman mate mirror(巫女仲間の鏡、という意味らしい)」というインスピレーションを降らせてきました。つまりこの書籍で紹介されているおばあちゃん霊能者が巫女の鏡と言っているのでしょう。それはスバラシイ。

で、そのお話は番外編ですのでここまでとし、霊団から最大級の警告のインスピレーションが降ってきてます。これまでもずっと果てしなく怒涛に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に「殺される殺される」と言われ続けてここまで使命遂行を続けてきましたが、いよいよこの強姦殺人魔どもが僕の殺害を実行に移すと受け取れる事を言ってきています。

その意味の通りに受け取っておけばいいのでしょうが、どうも僕を最悪の中に閉じ込めるための脅し文句のような気がしてなりません。というのも、霊性発現以降11年間、同じような事をさんざん言われ続けてきて1度たりともその通りになった事がないからです。

ただ霊団がピーチクパーチク僕の霊聴に響かせてきているだけで物質界には何の動きもないまま最悪の人生だけが延々と続いてここまできているのです。ただ、霊団が僕を最悪の中に閉じ込め続ける理由は、過去ブログでも書いていますように「もっとヒドイ未来が待ち受けている、そこに行かせないために閉じ込めている、つまりアキトくんを守っているんだよ」という事のようなのですが、ココで語るにはボリュームがありますので一旦切りましょう。

「ベールの彼方の生活4巻」キンドルファイヤーを使用しての最終校正開始中。4巻表紙の線画描画開始中。「感情と手は別レイヤー」ですから、霊団が言ってくる事とは別に作業はガンガン進めないといつまでたっても復刊が実現しません。とにかく作業だけは死んでも続行中。上記の書籍、スキャンはしませんがサラッと読んでみましょう(祈)†

「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†■2023年9月20日UP■
「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†
友人の守護霊は今ごろほくそ笑んでいるはずです。僕の守護霊様は今ごろ僕の霊団への反逆を見て困っている事と思われますが。人間とは霊界で永遠に生き続ける存在です。人間に死はありません。物質界とは修行のためにホンの一時期だけ降下させられるトレーニングセンターです。肉体は神の摂理で自動的に朽ち果てるようになっており、僕たちの本体(霊)はそれを脱いですみやかに霊的表現媒体に着替えて(幽体、霊体)霊界生活に突入します。この事実からも物質界が僕たちの永遠の住処でない事は明白です。そのホンの一時の束の間の場所についてお勉強する事と、永遠の住処である霊界についてお勉強する事と、どちらがプライオリティが上でしょうか。どちらが賢明かつ自分の霊的進歩向上に役立つでしょうか。そういう視点で自分の人生を考えられる人間こそ賢者と言えるのではないでしょうか…続きを読む→
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†■2023年9月13日UP■
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†
認めたくありませんが、まぁ脱出は結局実現しないでしょう。最後の最後まで閉じ込められる事になるでしょう。しかしそう思ってあきらめながら暮らすのは僕的には絶対に有り得ないのです。僕はいつでも全力です。自分にできる事を全力でやるのです。とにかく当分は絵を描き続けます。死んだ魚の眼をしながら無目的でただ物質界に残り続けるなんて死んでもガマンできない。何かに燃えなければ生きられない。霊団が使命遂行やる気なしの態度をこれほどハッキリ撃ち出しているんだから僕は僕本来の燃えるモノを追いかける以外にないだろう。いつかは反逆から手を引かざるを得なくさせられるだろうと容易に予測できますが、その「下を向きながら生きる」姿勢が許せないんだよ。最後の1秒まで全力でやるべき事をやれよ。人の人生これだけブチ壊してるんだから責任を果たせよ…続きを読む→
「物質界での評価を見て我慢がなりません」強姦殺人魔の洗脳を撃ち破らねばなりません(祈)†■2023年9月6日UP■
「物質界での評価を見て我慢がなりません」強姦殺人魔の洗脳を撃ち破らねばなりません(祈)†
イヤ、コイツらは暗黒の底どころかインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」も十分あり得ると思います。その、暗黒決定の人間が、物質界という閉じた世界の中で威厳がどうとか、自分が偉いとか言っている事がどれほど愚かな事か。宇宙全体から見た時に自分という存在がいかに陳腐で取るに足らない存在であるかという事を何も分かっていない。まさに「無知ほどこわいものはない」なのです。こんなたとえをしたらミミズちゃんに申し訳ないですが、泥の中でうごめいているミミズちゃんの中の1匹が、他のミミズちゃんに向かって「俺はお前たちより偉いんだ」と言って自慢しています。その泥の中で起こっている出来事を人間は何も知らずその泥土をまたいで歩き去っていきます。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の言っている事はまさにこのミミズ1匹の言葉と同じなのです。上(霊界上層界)が何も見えていない愚か者という事です…続きを読む→

イエイエ、まだ全然終わってません、これからPDFに書き出してPDFをキンドルファイヤーに移し替えて「最終校正」をやらないといけません。苦しい、本当に苦しい作業ですが、止まる訳にはいきません。道は前にしかないんだ。死ぬ時は前のめりに顔面から倒れるんだ。何としてもやるんだ。

「私の霊界紀行」テキスト見直し65%完成中ですが一旦止めてベール4巻の表紙の線画を描き始めないといけません。4巻の近藤千雄先生のあとがきを読んでますが、先生は霊的使命遂行者として物質界に降下された方であるとハッキリ分かる内容です。

必要な出会いがあり、助けてくれる味方(母)がいて、モチベーションを上げる役目の悪役(父)もいて、人生の師(霊能者、間部詮敦(まなべあきあつ)氏)もいる。近藤先生本人はそんな事はないと仰るかも知れませんが、霊的仕事をするための環境がバッチリ整っています。その点、僕は霊的仕事をする環境がヴァッカじゃネィのかというくらい全く整っていません。

理解者ゼロ中のゼロ、旧血族(物質界の家族の事を僕はこう呼んでいるのです)からは幼少時からキチガイ扱いを受けて生きてきました。霊性発現した事でそのキチガイ扱いが完全に決定的となり、関係が100%断絶、今はまるっきり赤の他人の状態であり連絡先も何も知りません。もう10年以上顔も見てません一言も話してません。(幼少時の甥っ子姪っ子にはお世話になりましたが)

物質界生活中はもちろんの事、帰幽後も一切会う事はないでしょう。もはや僕にとって旧血族は完全に未知の生物です。人間のカタチをしているだけで中身は人間ではないと思っています。永遠に分かりあえる日がくる事はないでしょう。まぁ一言で表現できます「俗物」です。

霊性発現初期の頃、霊団はその旧血族をサークルメンバーにしようとしていたのです。僕がそれを真っ正直に受け止めるはずもなく(霊的な事などまるで理解できる素地のない人間たちです。事実全く話が通じませんでした)こうして不毛の11年をやらされたのです。旧血族の話は深入りしません、ココで切ります。

何が言いたいかと言いますと「僕は霊的使命遂行者として物質界に降下した人間ではなかったのに、守護霊様が“導きのプロ”すぎたために霊性発現まで到達してしまい、イエス様の怒涛の連続顕現を受けて使命をやらされるハメになってしまったが、そもそもそんな仕事をする予定ではなかったので環境が全く整っておらず、全く仕事の進展がないまま最悪の11年をやらされた、イヤ、さらに最悪を続行させられる」という事です。

おーイヤだイヤだ、チョトこのお話も長くなりますので一旦切ります。フゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ、最終校正、表紙線画描画を急ぎます。フラーのストーリーがムショーに描きたい気分ですが、そうすると脱出が遠のいてしまう。もっとも復刊の作業と脱出は必ずしもリンクしてませんが。んん、精神衛生上の理由でストーリー1本描いてもイイかも、考え中(祈)†
「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†■2022年4月20日UP■
「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†
あなたの愛する男性、女性は性格の優しい、正しい行いをする、あなたにとって愛すべき人物だとします。あなたはそれを長い年月にわたって共に生活してきた事によって知っており、その人物を愛するに至っています。また、あなたが師と仰ぎ尊敬する人物の、これまで歩んできた苦難の道のり、獲得してきた知識と叡智の深さ、経験から導き出される慈愛の態度を、これまでのお付き合いによって認識しており、あなたはその師に対して深い尊敬の念を覚えるに至っています。しかし、あなたの愛する人物、あなたが師と仰ぎ尊敬する人物の人格、性格、人となり、これまでの苦難の道程を全く理解していない赤の他人が、何も知らない分際であてずっぽうで「こいつはこういう最低の人間だ、こいつは頭の悪い、おかしな奴だ」と言いふらしたとしましょう。皆さまはそれをどのように受け止められますか…続きを読む→
霊団はもう何もやる気がないそうですが、僕はうしろに戻るつもりはない前進あるのみ(祈)†■2023年7月19日UP■
霊団はもう何もやる気がないそうですが、僕はうしろに戻るつもりはない前進あるのみ(祈)†
物質界に邪悪がはびこる、その根本原因は「霊的知識の無知」にあります。人間に死はなく、肉体の死後も霊的表現媒体(幽体、霊体等)をまとって霊界で永遠に生き続けるという霊的真理を知らず、物質界での人生のみが人間の人生だと考える事が全ての邪悪の出発点なのです。物質界で大量強姦殺人の人生を送ると帰幽後に霊界でどれほどの地獄をやらされるか、その「霊界と物質界の因果関係」もっと言うと【神の因果律】を全く理解していないから平然と犯罪をおこなう事ができるのです。神の因果律から逃れる方法はこの全宇宙に存在しません。なぜなら「宇宙は神の身体」だからです。僕たちは現時点で神の中に存在しているのですから、神の法則の効果範囲外に出るなどという事は有り得ないのです。自分のおこないが自分の帰幽後の人生にどれほど致命的欠陥、悲劇をもたらすかを知っていれば、おのずと自分のおこないに責任感が生じ、愚かな言動にブレーキがかかるはずなのです。邪悪なおこないをしている人間たちというのは「何も知らない人間」という事なのです。だから霊的知識の普及が急務なのです…続きを読む→
■アナログ絵356UP。クレスで定期的におこなわれる「フラー講習会」の1シーンです(祈)†■2023年8月24日UP■
■アナログ絵356UP。クレスで定期的におこなわれる「フラー講習会」の1シーンです(祈)†
そしてももちゃんの成長ぶりを少し描きました。アナログ絵168の時と比べてだいぶオトナになっていますよね。使命感みたいなものも芽生えているようです。イエス様と出会ったばかりの時はシルキーと一緒になってただ単にはしゃいでいただけですが、その後イエス様にまつわる様々な事情をお勉強した事によって精神的に成長を遂げているという事を短いながら表現しています。で、この「イエス様とももちゃんのやりとり」の中にはひとつ間違いがあります。イエス様はももちゃんが質問する前からももちゃんの心の中が分かっていますから「ん?どうしたんだい?」と聞き返す事はないはずで、ももちゃんが質問を投げかける前にいきなり答えを話し出すはずです。…続きを読む→

1913年11月12日 水曜日

もしお互いが物事を同じ観点から眺めることが出来れば、いま問題としている事も容易に説明できるのであるが、残念ながら貴殿は原因の世界と結果の世界の間に掛かったベールの向こう側から眺め、私はこちら側から眺めているので、必然的に視野が対立する。

そこで何とか分かり易くしようとすれば、どうしても私の方が見地を変えて出来るかぎり地上的見地に立たねばならなくなる。そこで私は出来るかぎりそう努力しつつ、貴殿を吾々とともに高く創造の根源へ目を向けるよう呼びかけたい。

つまりは高き神霊の世界から発した思念が物的形態をとりつつ下層界へ至る、その自然な過程と流れを遡(さかのぼ)ってみたいと思う。界を遡ると、自然界の事物が下層における時とは様相が違うことに気づく。

言わば心理的映像へと変わり、内的視覚に訴えるようになる。が太陽と日没後の薄明との関係と同じく、物質界の事物、あるいは更に上界層の事物との間につながりがあることはある。

まずその光の問題から始めれば、地上では光は闇との対照によって知られる。つまり光の欠如した状態が闇であり、本質的には実体も価値も持たない。それ故、吾らが闇と言う時、目の網膜に外界の事物を印象づけさせる或る種のバイブレーションが欠如した状態を意味する。

さてベールのこちら側における霊的暗黒地帯においても同じ事情が存在する。つまり暗黒の中にいる者は他の者が外界の事物を認識する際に使用するバイブレーションが欠如している。

そのバイブレーションが受け入れられない状態下にあるということである。霊的感覚に変化が生ずれば、鮮明度は別として、ともかくも見えるようになってくる。

しかし同時に、そうした暗黒の下層界におけるバイブレーションは上層界に比して粗野である。そのために、暗黒界へ下りて行く善霊にとっては、たとえその視覚は洗練されていても暗闇はやはり暗闇であり、彼らに映じる光はぼんやりとしている。

これで理解が行くことと思うが、霊と環境との間には密接な“呼応関係”があり、それがあまり正確で不断で持続性があるために、そこに恒久的な生活の場が出来あがるのである。

この霊と環境との呼応関係は上級界へ上昇するに従って緊密となり、外界に見る光はより完全にそしてより強烈となって行く。故に、たとえば第4界に住む者が第5界へ突入しそこに留まるには、第5界の光度に耐え得るまで霊性を高めなければならない。

そして首尾よく第5界に留まれるようになりその光度に慣れ切ると、こんどは第4界に戻った時に – よく戻ることがあるが – そこの光が弱く感じられる。もっとも、事物を見るには不自由はない。が、更に下がって第2界あるいは第1界まで至ると、もはやそこの光のバイブレーションが鈍重すぎて事物を見るのが困難となる。

地上時代と同じように見ようとすればそれなりの訓練をしなければならない。こうして地上へ降りて人間を見る時、吾々はその人間のもつ霊的な光輝によって認識する。霊格の高い者ほど鮮明に見えるものである。

もしも視覚以外にこうした霊的鑑識力が具わっていなければ、吾々は目指す地上の人間を見出すのに苦労するものと思われる。が幸いにして他に数多くの能力を授かっているために、こうして貴殿との連絡が取れ、使命に勤しむことが出来るのである。

これで“いかなる人間も近づくことを得ぬ光の中に坐(おわ)す存在”という言葉の真意が理解できるであろう。地上にいる者にして、数多くの界の彼方まで突入しうる者はいない。そして又、その高い界より流れ来る光はよほど霊性高き人間の目をも眩ませることであろう。

考えてもみるがよい、この弥(いや)が上にも完全な光が天界の美について何を物語っているかを。地上には地上なりに人間の目にうっとりとさせる色彩が存在する。が、ベールのすぐこちら側には更に美しく、そして更に多くの色彩が存在する。これが更に高い界へ進んで行けばどうなるか。

色彩1つにしても思い半ばに過ぎるものがあろう。天界をわずかに昇って来たこの私が目にしたものですらすでに、今こうして述べている言語では僅かにその片鱗を伝え得るにすぎない。私にとっては地上の言語は今や外国語同然であり、同時に貴殿が蓄えた用語の使用範囲にもまた限度がある。

が、喜ぶがよい。美を愛する者にとって美は無尽蔵に存在し、また光と神聖さとは常に相携えて行くものであるから、一方において進歩する者は他方において大いなる喜びを味わうことになる。これぞ“聖なる美”であり、すべての人間的想像の域を超える。

とは言え、これは熟考の価値ある課題である。熟考を重ねる者には地上の美しきものが天界のより大いなる美を真実味をもって物語ってくれるであろう。天界において求めるのは生命のよろこびのみである。それは貴殿が誤らず向上の道を歩み続けるならば、いずれの日か貴殿のものとなるであろう。†

■2019年8月3日UP■
僕のWordPressブログ、思いもよらぬ国の女の子に見られている、という事だとうれしいのですがチョト分かりません(祈)†
アルメニアという国の(全く知らないなぁ、どこのどういう国なんでしょう?)名前は…マギーちゃんでいいのかなぁ。12~3歳ぐらいの女の子のようです。そのマギーちゃんもブログを持っていてGoogle翻訳で日本語表示されますが何しろ翻訳文は意味が分からない文章になりがちですので詳細は分かりません。ただとても頭の良い感じの印象を受ける内容でしたが…続きを読む→
■2019年11月2日UP■
「フィルコリンズ Phil Collins」幽体離脱中にヨーロッパ系女性から「あなたコレ」と言われました。え?(祈)†
ここは物質界なのですから物的肉眼レベルでそのように現象が起こらない限り強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡にはつながらないでしょ。いつもいつも同じ事を言わせないで下さい霊団。まぁそれはともかくイヤァーPhil Collins、懐かしいですね♪若い方々はご存じないのかも知れません。身長は僕と一緒ですね。頭も似てますね笑…続きを読む→
■2019年11月28日UP■
■アナログ絵287UP。奴隷の女の子たちがどれだけヒドイ目に遭わされているか、何としても理解して頂かねばなりません(祈)†
その苦悩を1ミリも理解できない方があのようなコメントを返してきた事があるのです。霊団のインスピレーションに感応できるようになるまでの修行の道のりがどれほどのものであったか、facebookの女性然り、ご覧の皆さま然り、僕がどれだけ力説しても1ミリも伝わらないでしょうし僕もそんな事言いたくもありません。facebookの女性はインスピレーションを小バカにしていました、受け取れもしないくせに。霊的なものをバカにする、僕は霊性発現以降ずっとこの手の軽蔑、嘲笑を浴び続けてきました…続きを読む→