僕はデザインの人間です、聖職者の真似事などしません、質問への回答は最小限(祈)†

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WordPressを立ち上げた友人からメールで簡単な霊的質問を頂戴しているのですが、その質問にしっかり回答しようと思ったら、それに付随してアレとかコレとかも説明しなければならなくなり、とてもそんな時間がありませんので申し訳ありませんがこのように簡易的返信とさせて頂きました。※友人の質問文章は掲載しません、僕の回答のみ掲載します↓


〇〇さんには申し訳ありませんが、使命遂行の障害になりますので簡易的説明にとどめさせて頂きます。(僕に残された時間は多くありません、その時間で、できるだけ多くの作業をやらねばならないのです)

人間はすべからくインスピレーションの媒体でしかありません。単なる受信装置であり、人間自体には創造的能力は(よほどの例外を除いて)ほぼ無いと言って間違いありません。これはインペレーター霊の言葉ですが、こちらにも同じ事が書いてあります↓

「母と子の心霊教室」より抜粋

背後霊(はいごれい)はいつもいっしょうけんめい、みなさんの世話をしてくれております。ですから、みなさんの方でも、勝手なことやわがままなことをしないで、まじめな生活を送らないといけません。まじめに生きていれば、きっと背後霊(はいごれい)はいい考えをさずけてくれます。

みなさんはとてもいい考えを思いついた、といって自慢(じまん)することがありますが、あれはじつは背後霊(はいごれい)が教えてくれている場合が多いのです。困(こま)ったとき、危険(きけん)なときのいい思いつきは、たいてい背後霊(はいごれい)によるものと思っていいでしょう。

霊性発現前から僕は様々な霊的体験をしてきましたが(当時はそうだと気づかずにいた、霊性発現してから「あぁ、あの時のアレもそうだったのか」と分かるようになった)時間がありませんのでそれらのお話はできません。ただしひとつだけ、〇〇さんが何かしらひらめくとか思いつくとか、そういう事があったとして、その質が高いか低いかを決定するのは〇〇さんが心に宿す思念、生活態度にかかっています。

他人を助ける善良な人間には善良な霊(つまり高級霊)が近付き、霊的な事に全く無知で自分の事しか考えず物的享楽にふける人間には、物的次元の事しか理解していない霊、つまり地縛霊が近付きやすいという事になります。

自分が災難に遭っているのを「地縛霊がやっている事だ」と言い訳するのは本末転倒で、それは自分の生活態度が招いているのです。霊的な事を理解する上での基本は「全ては自己責任」という事です。〇〇さんが自身の背後霊からどういう情報を受け取れるようになるかは、〇〇さんの生活態度によって決まるという事です。

まだまだこれでは全然説明が足りませんが、作業がありますのでココで切らせて頂きます。あとは自分で“お勉強”し、“修行”に身を晒す事によって体得していくしかありません。僕から話を聞いて分かったつもりになっているようでは真の理解には程遠いです。自分に必要な事は自ら艱難辛苦に身を晒して体得せねばなりません(祈)†


はい、あえてちょっときびしめの回答とさせて頂きました。というのも「シルバーバーチの霊訓」をお読み頂ければ分かる事ですが「本人のためを思えばこそあえてきびしめの事を言わねばならない」という事があるのです。シルバーバーチ霊のマネをさせて頂きました。

霊的熟達の道に近道、安易な道、ラクな道、ショートカットはありません。艱難辛苦に身を晒して大いに涙を流した先にしか真の理解はありません。僕は「山での果てしない修行(ナイトアタック)※こちらは現在も継続中」および「Dreamwork(画家の試練)※こちらは霊団にやめさせられた、僕は怒ってる」をやってココまで到達しているのです。もちろんその間、ずっと霊的お勉強を継続しながら。

上記の回答は友人の質問に対して全然説明が足りません、もっといろいろ書くべき事があるのですが、現在フラー25本体デザイン、イエスの少年時代の録音、等々、やらねばならない作業がありますので、友人には申し訳ありませんが回答はここまでとさせて頂きました。

もし友人が本気で霊的方向に進みたいのであれば、僕に質問するのではなく自分から動いてお勉強および修行を開始しなければなりません。僕のこれまでの苦難の経験を聞いたからといって、友人が味わうべき苦難の代用にはなりません。人の話を聞いて感心するのと、自分で体験して思い知らされるのとでは天と地の差があるからです。

まぁ僕のように霊性発現まで到達しなくても、霊的知識が頭に入っているだけでも、全くの無知で帰幽する人間よりはだいぶ有利になりますから、少なくとも書籍は手にされた方が良いと僕は思いますが、それも友人の自由意思にかかっています。僕はオススメする以外にどうしようもありません。

シルバーバーチ霊もこのように仰っています「馬を水辺に連れていく事はできるが、馬に水を飲ませる事はできない」本人がその気にならなければ周りの人間はどうしようもない、という意味です(祈)†

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†