その後は7、8日の間隔で6、7回ほどフリッカー氏の治療所へ通った。治療はいつも同じだ。時おり冗談を飛ばす以外は「いかがですか、調子は」と聞かれて「おかげさまで、ずいぶん良くなりました」と返事をする、おきまりの会話しかしなかった。

やがて11月も半ばになった頃には私は完全に仕事に復帰できるまでになっていた。毎日列車で40マイルの距離を往復した。そんなある日、ホームドクターがやって来た。私が普通の生活をしている姿を見てびっくりした様子だった。

私の回復ぶりが信じられないらしく、改めて私に歩かせたり腰かけさせたり立ち上がらせたり、くるりと身体を回転させたりした。曲がっていた腰がしゃきっとしている。

コチコチだった全身が柔かく動かせる。憂うつそうだった顔が明るく輝いている。コルセットも付けていない。ステッキも手にしていない。医者は私の身体を細かく診察した。そして“完治”の宣言をした。

そのあと私と妻とが代わるがわる、それまでの一部始終を語って聞かせた。医者は目をパチクリさせながら興味ぶかげに聞き入っていた。が残念ながら、なぜ、どうして、という私の問いには答え切れなかった。私は、やはり自分で扉を叩くほかはないと覚悟した。

が、その前にやるべきことが1つあった。2か月前に手術の約束をした例の専門医を訪ねることだった。クリスマスが終ってからと約束してあったからだ。専門医はいきなり訪ねるわけにはいかない。そこでホームドクターにお願いして予約を取ってもらった。

ウィンポール街にある病院は優雅なドアをしていた。タクシーを降り立つ身も軽々と、運転手へのチップもはずんで晴々とした気分でステップを駆け上がり、ドアを開けた。

専門医の机の上には、これまで私がかかった何人かの医師のカルテとX線写真、そしてその専門医自身の診断書が置いてあった。「クリスマスが終ってからとの約束でしたので参りました。診察をお願いします」私はそう言った。

診察は30分余りかかった。前回と同じように徹底したものだった。背筋と脚のあらゆる筋肉をテストして反応を調べた。関節を動かす度に「痛みますか」と言う。そのたびに私は「いいえ」と答える。

医師は次第にけげんな表情を浮かべ始めた。ヒザもヒップも正常である。腰椎も正常であることは、つま先に手が届くほどの前屈運動をしても何ともないことで明らかだ。診察の途中で医師は一度診断書に目をやり、二度ほどX線写真を見た。そして私に聞いた。

「何かなさいましたね。どんな手当てをされましたか。」が私は言わなかった。少なくともその時は言いたくなかったのだ。私がどうしても言おうとしないので、やむなく医師はそこで診察を終えた。そしてこう言った。

「ほぼ完全に回復していますね。椎間板ヘルニアの症状は完全に消えています。4週間ないし6週間くらいすれば後遺症も完全に失くなるでしょう。これまであまり使わなかった部分が少し弱っているだけです。それも良くなります。まだ半年ほどは坐骨神経に痛みを覚えることがあるかも知れませんが、それも次第に和らいで、いずれ消えてしまうでしょう。

おめでとう。もう治療の必要はありませんし、もちろん手術の必要はなくなりました。ところで、一体あなたはどんな手当てをしてもらったのか、教えていただけませんか。」

私は言わなかった。それよりも、こちらから質問したいことが2つあった。1つは私が苦しめられたような椎間板ヘルニアが何の手当てもしないで自然に治るということが有り得るかということだった。

私は今この道のトップクラスの専門医の前にいる。その専門医の答えならそのまま受けとってもいいはずだ。彼は首を左右に大きく振って断言した。「あなたの場合、自然に治る可能性はゼロでした。まったくのゼロでした。」

続いてもう1つ尋ねた。「私の場合、心身症の可能性はありましたでしょうか」。最近とみに心因性の病気のことが言われるようになってきた。もしも私の場合もこの心身症だったとしたら、私にとって事は重大だと思ったのである。が彼はX線写真と彼の前に診察した医師の報告書、それに自分自身の診断書を指さしながら「可能性はありません。問題外です」と、きっぱり答えてくれた。

その2つの答えを得てから私はようやくフリッカー氏の話を告白した。あの日、すなわちその専門医から手術が必要との診断を受けた日の夕方、ハワード街のフリッカー治療センターを訪れ、わずか10分足らず手でさすってもらったこと、それだけで、帰る時はコルセットを手に持って帰ったこと、帰ってからベッドの板を取りはずして焼却してしまったこと、ステッキもそれ以来一切使っていないこと、間もなく仕事に復帰できたこと等を話した。

医師はただ黙々と真剣な面持ちで話に聞き入っていた。そして最後に私が前日のクリスマスにツイストを踊った話をすると、医師の驚きはその極に達した。言葉がなかった。ただただ圧倒されていた。生涯をかけた医師としての全体験を超えたことばかりだったのである。

圧倒されたのは彼だけではなかった。当の私が圧倒され続けているのだ。一体何が起きたのだろう。奇蹟的治癒を起こした人はいつの時代にもいた。イエスがそうだった。モーゼがそうだった。エジプトにも治療を専門にする聖職者がいた。

いつの時代にもほとんど全ての民族で奇蹟的治癒の話がある。世界の大宗教の聖典にはかならずその話が出ている。旧約聖書にも治療は神の業であると述べた箇所がある。本当に神が治すのだろうか。私はその秘密を知るべく、再びフリッカー氏を訪ねた。

フリッカー氏は快く迎えてくれた。ただし私の完全に回復した姿を見ても別段おどろきも見せなかった。氏にとっては日常茶飯事だからだ。私と同じような重症の患者を何千人と治している。何千人である。驚くべき数字だ。

話の中で氏は自分の治療エネルギーは神から授かると言った。治療に入ると色々と声が聞こえる。その声に従っているだけだという。それで大半の患者が治っていく。その殆んど全部が医学的に“不治”として見離された人ばかりだ。

そうした話をしたあと氏は「もしも心霊治療について詳しく知りたかったら、心霊週刊紙ツーワールズの編集長をしているモーリス・バーバネル氏に会ってみられるがよろしい。彼なら全ての質問に満足のいく解答を授けてくれるでしょう」と言った。

私は礼を述べて帰ろうとした。そして私の手がドアの取っ手にかかった瞬間のことである。フリッカー氏の口から出た一言が私のからだを巡っていた時の流れを一瞬止めてしまった。

「今なんとおっしゃいました?」私は尋ねた。フリッカー氏は同じ言葉をもう1度くり返した。その言葉が私のその後の人生を大きく変えることになった。氏は言った。

「あなたも心霊治療家です。生まれついてのヒーラーですよ。私がやってあげたのと同じことがあなたにも出来ます。生まれながらのヒーラーです。」

家に帰ると私はさっそくこのことを妻に告げた。妻はおどろき、且つ興奮した。誰か身近な人に試してみよう。2人ともそう思ったが、家族も友人もみな腹が立つほど健康だ。

私がフリッカー氏にすがりついたように誰か私の足もとに必死の思いで治療を求めて来てくれれば、と思うのだが、そんな人はいそうにない。患者がいなくては治療家にはなれない。しばらく時を待つしかないと自分に言って聞かせた。

それよりもまずバーバネル氏に会って心霊治療について勉強することの方が先決問題だった。

「我が身を疑うな」僕という霊媒が機能する事を疑うなという意味、もうウンザリだよ(祈)†■2023年8月23日UP■
「我が身を疑うな」僕という霊媒が機能する事を疑うなという意味、もうウンザリだよ(祈)†
僕の正直な所感としては、その大キライで全力で離れようとしている場所に留まる事が僕の霊媒発動につながるとは全く思えません。まるっきり関連性がないと思っています。もしその場所に留まる事で僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくるというのなら、あんたたち(霊団)はこの11年間なにをすっとぼけて見てやがったんだよ、という事になるからです。僕が全力で脱出しようとして霊団に最大級に反逆しているその場所が、霊的仕事に適した場所だというのなら、この11年、なぜオメィラは1度たりとも僕という霊媒を使おうとしなかったんだよ、僕を脅してずっとそこに閉じ込める事に成功してただろ、いくらでもチャンスがあったはずだろ、なぜ今をもってしても交霊会をやろうとしないんだよ、そこがどう考えてもおかしいのです。どうやっても納得できません。あげくの果てに「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させるつもりがない、奴隷の女の子たちは完全に見殺しにするつもり…続きを読む→

先ほどトランスを維持していた時に霊団がおかしなムービーを見せてきました。詳細は長文ブログのタイミングでお話すべきか、それとも削除する可能性もありますが、軽くさわりだけ書き残してみますと、学校の教室のようなところで僕(離脱している霊体の僕という事)はデザイン(絵)の作業をしています。

その僕の作業をジャマしてくる男が現れ「ちょっとやめてもらっていいですか」と僕は言うのですが、その男は僕が気に入らない様子でイチャモンをつけてくるのです。ハッキリ言えと僕が促すと「ウソをついている」と言ってきます。

で、僕は(そこは教室で他にも生徒がたくさんいます)その男にみんなの方を向かせて「僕がどんなウソをついているのかみんなに向かって大きな声で言ってみろ」と促しますが、その男は言おうとしません。背中を押して何度も言わせようとするのですがその男は口を閉ざすのみです。

僕は鼻で笑いながら「フン、この愚か者が」とその男に一瞥をくれる、と(細かく言うとまだいろいろあるのですが)大ざっぱにこういうムービーでした。

で、実はこれには伏線がありまして、霊団が僕という霊媒を使用して新規の霊言を降らせてくるのであれば(降らせてこないと予測していますが)僕は当然その降った霊言を月1、隔週とかで書籍化してガンガン発行するつもりでいるのですが、その際の参考になるかも知れないという事でAmazonである霊的雑誌のようなモノのサンプル画像を読んでいたのです。

そこには霊能者と思われる複数の人間のインタビューが収録されていましたが、どうにも真剣に読む気になれません。横文字を必要以上に並べ立ててもっともらしい文章に見せかけているが中身はカラッポ、僕にはそう見えるのです。で、霊団が見せてきたあのムービーはそれら霊能者の思念だという事が分かったのです。

要するに自称他称かは分かりませんが霊能者を名乗っている人間たちの僕、たきざわ彰人に対する嫉妬の感情を霊団が教えてきたという事になります。この「霊能者の僕への嫉妬」については初期の頃の無料ブログでも、皆さまご存じのある有名霊能者が僕の山用シューズのひもをハサミで何度も切ってくるイヤガラセをしてくる幽体離脱時映像について書き残したりしています。

ハリー・エドワーズ氏の書籍の中でも、英国医師会がエドワーズ氏の心霊治療の事を完全に無視する態度を取ったという記述がありますが、この霊能者たちの態度はこの医師会の態度と一致するもので、要するに自分たちに治せない末期患者をたくさん治しているエドワーズ氏を無視する事と、「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言し続ける僕の事を無視する事が同じ動機という事になります。まぁ卑怯な態度という事でいいのではないでしょうか。

この件は長文ブログで書かないかも知れません。さぁ作業に戻りましょう、っとと、もう明日は山のアタック準備ですのでそんなに作業はできなさそうですが。「心霊と進化と」テキスト見直し35%完了中。この書籍を読み進める中で著者ウォーレス氏についても書き残したい事があります。このウォーレス氏は誠実、正直、公正な人だという事です。こういう人こそ正当に評価されるべきです、ダーウィンなどではなく。

フラー26キャラのデザインに決着をつけて線画を描き始められるようにしましょう。霊団が他にもインスピレーションを降らせています、カチンとくる内容です。フゥゥ、作業だけは続行中(祈)†
「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†■2023年11月1日UP■
「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†
普段上層界で生活している高級霊の方々は波長が低すぎる物質圏付近には降下する事さえできず、降下したとしてもごく短時間しか滞在できないそうです。つまり高級霊であればあるほど最低界の物質界と縁が切れているという事です。で、そこまで上層界では無い境涯で生活している霊は物質圏付近に仕事で降下する事がありますが(僕は間違いなく降下の仕事をやらされるものと思われますが)インペレーター霊が書籍の中でお話しておられますように、物質圏付近に降下すると、地上生活時代の記憶がよみがえり、それが進歩の逆、退歩につながってその霊にとってマズい事になるという事があるそうです。たとえば霊体生活者はもう肉体がありませんが、物質圏に降下すると昔の肉体的煩悩がよみがえってきてそれが退歩につながるのだそうです。もうひとつ、物質界生活時に間違った霊的知識、宗教観等を学んでしまって、帰幽後にその自分の間違いを指導霊に修正してもらって向上を果たした人物が物質圏付近に降下すると、その過去の誤った概念がよみがえってきて霊界で学んだ内容が帳消しになってしまい、それがまた退歩につながるのだそうです…続きを読む→
「進化とはなかよしの事」深いインスピレーションですが僕には耳が痛いですね(祈)†■2023年10月18日UP■
「進化とはなかよしの事」深いインスピレーションですが僕には耳が痛いですね(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の情報拡散だけは徹底的に僕にやらせて、僕の次の世代の使命遂行者が仕事をやりやすいように畑だけは耕しておくが、滅ぼす事は僕の代ではやらない。霊団はタダ僕にその苦しいタネ蒔きを続けさせて霊的に向上させて帰幽させる事だけを考えていたのではないか。交霊会やるやるとずっと言い続けてまるっきりやろうともしない、サークルメンバー問題も全く解決させようともせず交霊会をおこなう環境など全然整っていないのに、ただ口だけ延々とやるやる言い続けてくる。これもどう考えてもおかしい。バーバネル氏が支配霊というのもおかしい。物質界生活中に僕にできるだけ霊的知識を獲得させておくために交霊会交霊会言い続けてお勉強させるのが真の目的だったのではないか。つまり僕の仕事の本当の舞台は霊界であって、帰幽後にイエス様(さすがに直で仕事を賜る事はないと思いますが間接的にはあるかも知れません)から言いつけられる仕事をおこなう事の出来る霊的知識および霊格を物質界生活中に身につけさせるためにムチャクチャな試練を浴びせられているという事なのではないか…続きを読む→
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†■2023年8月30日UP■
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†
我々(霊団)はもちろん物質界の邪悪をこのまま放置するつもりはないが、過去2000年の長きにわたり、真実を公言してきた霊覚者たちは、ことごとく殉教の死を遂げさせられてきた。(※100の光の霊団の構成メンバーは、この殉教の死を遂げた人間が多数含まれていると聞かされています)そして現代の物質界に至っては霊力に感応する人間がほぼ皆無という絶望的状態に至っている、その中にあってアキトくんという霊の道具は、我々の悲願を成就させるための貴重な霊的チャンネルという位置付けとなる。そのアキトくんという道具を我々はみすみす失う訳にはいかないのだ。キミだけの問題ではない、100の光の霊団のメンバーとして仕事をしている、過去キミと同じような仕事をして道半ばで殺された多くの同志の積年の悲願も込められているのだ。アキトくんの怒りも分からないではないが、我々はキミの肉眼では見通せない全体像を見た上で導いている。最終的には全て佳きように計らわれる事は霊的知識としてキミは理解しているはずだ…続きを読む→

聞いていて苦痛でしかないMP3ですが、それでもお勉強はしなければならないという事で再び運転中に「オーファンワークスMP3」を聞いてみるつもりです。

というのも、霊団は自動書記やる気あるかのような事を言ってきてますが(次回長文ブログでその件についてたぶん書くと思いますが)僕はハッキシ言って全く信用しておらず、僕を閉じ込め続けるための“新手のフェイク”だと思っていて、待てど暮らせど新規の霊言は降って来ず、その間結局閉じ込められる事になって霊団の思うツボ、という結末だと予測しているからです。この11年がその状態ですからね。当然の予測となります。

新規の霊言が降ってこない状態では出版社設立はほぼ絶望的、それでもどうしても強行するとなればもうオーファンワークスしかないという状況なので、仕方なくMP3を聞くのですが、とにかく1冊復刊させるのに恐ろしくメンドクサイ手順を踏まねばならず、それだけやっても全然売れないでしょうから(絶版になるくらいですから売れないのは目に見えている)努力する意味あるかなぁとなってどうしてもそこまでやる気になれずにいるのです。

先ほど改めて印刷費とか実際に売れたとしてどういう数字になるかを試算してみましたが、まぁ絶望的数字ですよ。この数字のためにオーファンやるかぁ?となってしまうのです。僕の物質界生活中には「著者没後70年経過の著作権フリー」の状況にはならない事が判明していますので、とにかく復刊方法はオーファンワークスのみなのです。

一体どの方向に努力すれば反逆(脱出)が完了するのか、もう絶望以外の何ものでもないのですが、それでも「心霊と進化と」のテキスト見直しを続行しています。脱出できないとしてももうやるしかない。完全に霊団にハメられた気分ですが手だけは止める訳にはいかない。

この先もずっとあの最悪のところに閉じ込められ続けるのかと思うと、恐るべき絶望感が襲ってきます。なぜそれほどまでヒドイ人生をやらされねばならないのかの理由に全く思い当たるフシがない。前世の罪障消滅のためにやらされているとでもいうのか。

とにかく絶望感を抱えつつ出版社設立の準備(個人事業主としてのお勉強)だけは進めます。イザ「イケる!」となった時に秒速でGo!かけられるように外堀をすっかり固めておくのです。立ち上げる以外の準備は全て完了中、あとはGo!かけるだけ、の状態にしておくのです。そうでもしなければ心に希望のタネを残す事ができないからです。

フラー26キャラのデザイン80%完成中。あとモチョト煮込んでから線画に突入します。この状況、本当ならフラーなんて描いてる場合か、となるのですがイヤ逆に絵でも描かないと本当に心がムリという事もありますので、フラー26カラーリングのUPまでしっかり作業しようと思います。絶望感がハンパない(祈)†
「クスリ」霊団が意図的に僕を苦しい状況に閉じ込めているという意味です(祈)†■2023年1月18日UP■
「クスリ」霊団が意図的に僕を苦しい状況に閉じ込めているという意味です(祈)†
海で隔てられていても大霊の前では兄弟であり姉妹なのです。私たちの教えは単純です。しかし真実です。自然の摂理に基づいているからです。摂理を無視した方法で地上世界を築こうとすると混乱と無秩序が生じます。必ず破綻をきたします。忍耐強い努力と犠牲を払わない事には、これからも数々の戦争が起きる事でしょう。タネを蒔いてしまった以上はその産物を刈り取らねばなりません。因果律はごまかせないのです。流血の争いというタネを蒔いておいて平和という収穫は刈り取れません。他国を物理的に支配せんとする欲望の張り合いをしながら、その必然の苦い結果を逃れる訳にはまいりません。愛のタネを蒔けば愛が実ります。平和のタネを蒔けば平和が実ります。互助のタネを地上のいたるところに蒔いておけば、やがて互助の花が咲き乱れます。単純な真理なのです。あまりに単純すぎるために、かえって地上の“お偉方”を当惑させるのです…続きを読む→
「だいたい2まで書けています」新規の霊言が霊界側で2巻分書き上がっているようです(祈)†■2023年11月22日UP■
「だいたい2まで書けています」新規の霊言が霊界側で2巻分書き上がっているようです(祈)†
「イエスが全部おこなうから」これは僕という霊の道具を使用しての霊的使命遂行の全仕事をイエス様がおこなっているという意味ですが、皆さまにくれぐれもお間違えのないようにして頂きたいのは、イエス様は「スピリチュアリズム普及の総指揮官」であり、個的形態をまとって物質圏付近に降下などできるはずもないはるかはるか向上を果たした超高級霊のお方です。そのイエス様が僕などというグズるお子ちゃまの面倒を見るためにアレコレ手を焼く事は絶対にありません。全体を計画し、想像もつかないほどの大人数の部下(天使)を従えて、指示を与えて仕事を推進するのであり、イエス様が直々に手を動かして仕事をするという事は有り得ないのです。しかし「スピリチュアリズムの真髄」の中に、イエス様が天使の大軍勢を従えて霊媒マッカロウ氏のところまで降下してこられ、実際に霊言を語ったという事が紹介されています。ですのでイエス様が僕という霊媒を使用して霊言を語るという可能性は絶無ではないのかも知れませんが、限りなくゼロに近いでしょう…続きを読む→

人間は、人に打ち開けると感激が薄れてしまいそうな気がする、そんな素晴らしい体験が誰しもあるのではないだろうか。私の気持がまさにその通りだった。

理屈はわからないが、とにかくあの激痛がウソのように消えたのである。もっとも、2、3箇所にわずかながら痛みが残っている。が耐え切れない痛みではない。

夜はよく寝るし、あの毒々しい色をした薬からも解放された。ベッドに取り付けていた平板も取りはずし、苦い思い出とともに焼却してしまった。コルセットも処分した。ステッキだけは玄関のカサ立てに残っている。

10代の後半、私は伝統的説教から何かを得ようと一心に勉強したが、そこに発見したものは戒律と迷信と民話と勧善懲悪の説教ばかりで、ばかばかしさしか感じられなかった。その後もずっと霊的真理を求め続けた。ユダヤ教の礼拝堂で祈ったこともあった。そこのラビ(指導者)の話に耳を傾けたりもした。

キリスト教については最も簡素なユニタリアン派からいちばん仰々しいカトリックのミサに至るほとんど全ての信仰形態を体験した。イエズス会の修道士、仏教の僧侶、セブンスデーアドベンチスト派の信者、ヒンズー教のマハルシ(指導者)、イスラム教のカストディアン(管理人)等々とも大いに議論した。

比較宗教学の勉強を通じて、手に入るかぎりの世界の聖典を読んだ。キリスト教の新約及び旧約聖書は6種類もの翻訳に目を通した。イスラム教の聖典コーランとユダヤ教の聖典タルムードも研究した。

一時は中国に熱中し、孔子と老子の本を片っ端から読んだ。ペルシア神話のミトラ神、古代セム人が信仰したバール神、そして今では忘れられてしまったが不思議に愛敬のある古代エジプトの神々に出遭ったのもその頃だった。

そうした勉強と体験を通じて私が悟ったことは、全ての宗教を通じて共通した1つの大きな、そして純粋な哲学の流れがあるということだった。ただその流れが人間の煩悩によって歪められ、カムフラージされ、修正されてしまっているだけだ。

その真髄を勉強すればするほど、相違点よりもむしろ類似性に心を打たれるばかりだった。私は霊的真理に飢えていた。真理の扉を叩く必要があった。そして是非ともその扉を開けてもらわなくては…

人間が霊的真理を悟るには2つの要素がいる。まず第1に、単純でもいいからズバリ得心のいく霊的体験 – 人間的常識を超えた不思議な力の存在を如実に実感させる体験がいる。次はそのメカニズム、つまりなぜそういう現象が起きたのか、そのウラに潜む意味を知ることである。

辛い体験の末に私は奇蹟的体験をした。多分 – その段階ではあくまで“多分”としか思えなかったが – 多分フリッカー氏の手を通じて霊の威力が私に働きかけたのであろう。あとはその霊力の真相を知ることだ。それもフリッカー氏から得られるかも知れない。

長かった真理探求の旅の末に、自分は今ようやくこの扉のすぐ前まで辿り着いた – そんな思いが私の胸をしめつけ、静かな、内なる興奮を覚え始めた。が、このことは誰にも語るまい。当分は公言すまい。私はそう考えて、妻にも2人の秘密にしておくようにと言って聞かせた。

フリッカー氏のところへはその後2度通った。1度は午前中、もう1度は午後だったが、いつ行っても同じ光景だった。患者がぎっしりと詰まっている。ベルが鳴って1人が出てくると代わって1人が入る。空いたイスを1つずつ詰めていく。

からだに固定器を付けたポリオ患者がいる。松葉杖を手にした腰椎脱臼者がいる。ぜいぜいと息苦しそうに呼吸している喘息患者がいる。歩く姿も痛々しい関節炎の人もいる。静かに待つ人もいれば、患部を人に見せて何やら得意げ(?)にしゃべっている人もいる。が大半は黙って待つという耐え難い苦行に専念しているのだ。

私の場合は2度とも同じ要領だった。コートを脱いでスツールに腰掛ける。フリッカー氏が左手を腹部に当てがい、右手を背骨を上下にさすり、やがて坐骨神経にそって右脚をさする。左手を肩に当てがうこともある。

「いかがですか、調子は」そう尋ねる以外にはほとんど話らしい話はしない。治療中に音楽を流すこともある。治療が終ると音楽を止めて私がコートを着るのを手伝い、「ではまた来週いらっしゃい」と言う。

治療ごとに私の身体はぐんぐん回復していった。途中の列車もタクシーもまったく気にならなくなった。ところがその3度目の治療のあと2、3日して突然痛みがぶり返した。再度奈落の底につき落されたような気分になった。私は妻の運転する車でまたハワード街まで行くはめになった。

妻は私の痛みを気遣ってゆっくりと運転してくれた。そのせいもあって実に2時間半もかかった。が私にはそれが2週間半のようにも思える長い長い道中だった。フリッカー氏は落ち着いた方だ。私の訴えを聞いても表情1つ変えず、いつもと同じ要領で施療し、手を洗ってから「もう大丈夫です。また来週おいで下さい」と一言だけ言った。

帰りは車が混んでいて思うように進めなかった。2人ともいささか疲れと空腹を覚えていたが、それが一向に気にならない。すっかり回復したよろこびがあるからだ。よかった。有難い。そういう念が私たち夫婦を陽気にしてくれた。

それにしても、私を治してくれたエネルギーは一体何なのか。2人は車の中でそのことで一心に語り合った。信仰治療ではなさそうだ。私がフリッカー氏を始めて訪ねた時、氏がどんな人で何をする人かについて一片の予備知識もなかった。

治療中氏はほとんど語りかけることもなく、私の気持を鼓舞するような言葉もかけなかった。全体の雰囲気はどちらかといえば“面白くない”と言える。飾ってあるものも、お世辞にも上等とは言えないものばかりだ。

音楽も取り立てて感心するほどのものでもない。実際私自身は感情的に興奮したことは1度もない。たとえあったとしても、その興奮だけであれほどの異常がいっぺんに治るだろうか。

とにかく私は、その治療エネルギーがフリッカー氏以外のところにあって、それが氏を通じて流れ込んだのだということだけは確信した。がそれが何なのか、どう作用したのかという点になると皆目わからない。

最高の医師に診てもらい、最高の専門医に相談しながら、彼らは結局何1つ病気の回復には寄与してくれなかった。強いて言えば、コルセットや薬で激痛を“わずかながら”和らげてくれただけだ。最後に残された手段も手術しかなかったのだ。

それが、医師の免状もない、カッコ良さのひとかけらもないロンドンの下町っ子によって、それも、どこの医学校の先生が聞いても笑って小ばかにしそうな単純な手の操作だけで、あっけなく治ってしまったのだ。そんなことを妻と語り合いながらやっと家にたどり着いた時は、なんと3時間もかかっていた。

「神に委ねてみませんか」これが実は到底承服できない最低最悪の意味なのです(祈)†■2022年8月24日UP■
「神に委ねてみませんか」これが実は到底承服できない最低最悪の意味なのです(祈)†
僕も神に反逆するほどバカではありません。ぜひ皆さまにも「インペレーターの霊訓」をお読み頂きたいですが、霊的知識を獲得しておきながら神の意に反する行いをした者がどういう状態にさせられるかをインペレーター霊が語っておられます。僕はその知識がありますのでそこまでバカな事をするつもりはありません。ただとにかく「物事には限度というモノがある」これを強調して終わりとさせて頂きます。キビシすぎ、苦難、試練を降らせすぎ、僕ひとりに何もかもやらせすぎ、本気でいい加減にしてくれ、という事です…続きを読む→
「物質界再降下」させられるような事を言われています。絶対ヤダ断固拒否(祈)†■2022年10月19日UP■
「物質界再降下」させられるような事を言われています。絶対ヤダ断固拒否(祈)†
奴隷の女の子を「処刑遊び」と称して四肢切断、強姦殺人しまくり死肉を食べまくっている「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が「私は病人です」と言ってきたとして、それとコイツらの大罪と何の関係があるのですか、という事です。幼い女の子を500人1000人、強姦殺人した人間が、病気になるとその大量強姦殺人罪が帳消しになるのですか。皆さま【神】は僕たち人間全員に「理性、良心」という絶対に狂う事のない判定装置を組み込んでおられます。皆さまの理性、良心はどのような回答を導き出しますか。あえて断言しますが、メディアが流してくる情報は99%ウソです。明仁、文仁、徳仁、悠仁が大粒の涙を流して「私は病人です、許して下さい」と演技映像を流してきたとして、皆さまはそのウソ泣き演技にコロッとダマされるおめでたい国民ではないはずです…続きを読む→
「地球上でもっとも寂しい」僕が突入させられる悲劇です。試練にも限度がある(祈)†■2022年12月7日UP■
「地球上でもっとも寂しい」僕が突入させられる悲劇です。試練にも限度がある(祈)†
心臓が鼓動しているのが、血液が全身を循環しているのが、脳髄でアレコレ思索を巡らせる事ができるのが霊のチカラのおかげだというこの単純な真理が理解されるのにあと何千年かかるというのか。2000年前にイエス様が同じ事を言っていたじゃないか、まだ分からないのか。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体にも、自分が霊的存在であるという事実にも、一体人々はいつになったら気が付くというのか。この狂った腐った物質界は、あと何千年、正しいおこないをする者を磔刑(はりつけ)にし続けるというのか。そんなに洗脳が好きなのか、そんなに帰幽後に地獄に落ちたいのか。ステキな境涯に案内してあげようと大切な事を教えるために物質圏に犠牲的降下をして下さっている高級霊の方々の愛を、あと何千年裏切り続ければ気が済むのか…続きを読む→

ほとんど回復の兆しがありませんがとにかく永遠はありません、必ず回復しますから耐えて待つしかありません。僕は過去、山で負った傷の中でもっとも大きいモノで、背中に木段の手すりのネジの突起が突き刺さって大出血、膿がドバドバ出まくるというケガをした事がありますが、それも長い時間がかかりましたが自己治癒させています。

縫っていない、病院に行かずに治したという事です。背中ですから手も届かず薬も塗れません(もっともAmazonで見てみると背中に塗り薬を塗る道具とかが売られたりしていますが)現在は完全に傷口が塞がっており、その部分がかゆくてまごの手でかいたりしますが、血が出るとかそういう事も全くありません。

あれほどの重症もこうやって完治しているのですからこのあばらももちろん完治します。ふとんに横になったり寝返りを打とうとすると記憶が飛ぶほどの痛みに襲われますが、もう少し耐えれば少しラクになるはずです。左あばら部分が少し腫れている感じでしたが今はもう腫れていません。良いイメージをもっていきましょう、そうすれば回復が早まります。

「心霊と進化と」テキスト最終見直し続行中です。20%完成中といったところ。ウォーレス氏の文章は学者らしく固くて理屈っぽい文体で、僕はこういう文章は好きではありませんが、近藤千雄先生の訳し方がうまいからなのでしょうか、割とすらすら読み進める事ができます。

平易な文章というのは偉大です。僕の初期の頃のブログの文章などは撃った自分ですら読み返したくないようなヒドイものですが、経験を積んで(画家時代からブログをやっていましたから正味12年以上になります)少しはマシな文章を撃てるようになっていると思いたいですがさぁこればっかりはどうでしょう。

フラー26キャラを完成させる事に集中しましょう。このキャラはフラー25のちょうちょちゃんみたいに3段変形とか複雑なギミックはありませんので何とか描けると思います。カラーコンセプトだけは決まっています「チョコミント」です。カラーリングUPの時に改めてお話させて頂くとしてまずは作業続行中(祈)†

「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†■2022年6月22日UP■
「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†
撮影中ずっと話しかけていたので結構疲れましたが、長い撮影を終えて「ゴールタイムが遅れるからもう帰るわよ♪牛ちゃんまた来るわよ♪」と言ってデジ一眼をザックにしまっていると、牛ちゃんが僕の動きに合わせて大移動を開始。僕が帰る方向にずっとついてくるのでした。そして柵の一番端まで来てそこでたくさんの牛ちゃんが群れながら僕を見送ってくれたのでした。僕は少し感動しつつ牛ちゃんに声をかけながら手を振ってお別れし、ゴールの駐車場に急いだのでした。僕は物質界では徹底的にヒドイ目に遭わされながら生活しています。霊団に完全に人生を破壊され心の中は怒りでイッパイの状態で使命遂行していますが、今回のアタックでは牛ちゃんたちのおかげで少し心が安らいだのでした。牛ちゃんは霊界の人間(霊団)と違って優しかったです…続きを読む→
「イエスからの贈り物」これは帰幽後のお話で物質界人生は最悪という意味なのです(祈)†■2022年7月6日UP■
「イエスからの贈り物」これは帰幽後のお話で物質界人生は最悪という意味なのです(祈)†
これはまるでイエス様からの、アキトくん、ここまでよくやった、おつかれさま、という終了宣言のように聞こえます。そんな事でいいんですか、あなたたちのやる気はそんなもんですか、しょせんあなたたちは霊界上層界の人間であり、最低界である物質界がどうなろうと知った事ではないという事ですか。物質界と霊界上層界はつながっていて、物質界の無知が霊界に反映されるようになってしまって「このままでは大変な事になる、何としても大胆な手段を講じて物質界に霊的知識を普及しなければ」という事になってスピリチュアリズムを勃興させたのではないのですか…続きを読む→
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†■2022年7月20日UP■
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†
【神】から神性の火花を賜って個的存在を獲得した僕たち人間は「永遠の存在であり死はありません」僕たち人間は物質界生活後も霊界で霊的表現媒体をまとって永遠に生き続けるのです。その永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界生活中に善いおこないをするか悪いおこないをするかによって、その後の人生に天と地ほどの差が生じます。皆さま、このふたりの人間、どちらが【かしこい】と思われますか。先ほど、王の生活をうらやましいと思う事が、霊的知識の無知から導き出される愚劣の極致の発言と書きました。近視眼という事です。どちらの人生が僕たちの歩むべき人生だと思いますか。もっと言いましょう【神】は僕たち子等に、どちらの人生を歩んでもらいたいと望んでおられると思いますか…続きを読む→

眠くて何度も意識が飛んで首がガクガク下に落ちながらも作業続行して、フラー26のキャラのカタチが少し見え始めてきました。もう少しクロッキー上で煮込みをおこなえば設定資料の線画を描き始められそうです。今回のキャラも一応“インナーフレーム”での変形となります。(※フラー21(イチゴちゃん)フラー22(ワンちゃん)フラー23(フランちゃん)に採用した変形ギミック)

で、霊団が降らせてきたインスピレーションの意味をずっと考えているのですが、これまでの11年間の人生破壊がありますので、その霊団の言葉も僕には軽薄に響き、どうにも逆説的フェイクのような気がしてなりません。

霊的な事は理屈をこねくり回さず幼子のようなまっすぐな心で仕事をするのがもっともよい結果を招来するものですから、言われたとおりに信じればいいのでしょうが、これだけ人生をブチ壊されている状態であぁそぉですかと単純に解釈はできません。

僕本人がこれほど心の底から猛烈にイヤがっているのにその僕の意思を完璧に無視して最悪のところに閉じ込める事に全力をつぎ込み続けている霊団ですから、当然そのインスピレーションの裏に“僕を閉じ込め続けよう”という意図が隠されているはずだと考えるのです。

まぁ次回長文ブログまでまだ間がありますのでモチョト考えてみましょう、そのインスピレーションを削除して説明しない可能性も十分にありますので。

出版社設立イコール個人事業主ですから、皆さまご存じのあんな数字の作業こんな数字の作業を自力でやらねばならなくなります。それがメチャメンドクサイですが、毎日イヤでイヤでどうしようもないところに閉じ込められるのに比べれば、その数字との格闘は年1回ですから大して苦にならないかなぁと思ったりもしてます。自力でやるか、会計ソフトを導入するか。いよいよ立ち上げる時はどちらかを決断する必要があります。まぁ導入するでしょうね。

本を出すだけなら出版社を立ち上げなくてもいくらでもできます。なのになぜ設立にこだわるのか。それは僕が制作する書籍が流通できない性質の内容だからです。僕の書籍をAmazon等で販売開始しても間違いなく販売停止にさせられ、あげくの果てにアカウント消滅させられるでしょう。

※書籍タイトルおよび本文中に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、および奴隷の女の子の存在に関する記述が出てきますので間違いなく削除されます。正しいおこないをする者が徹底的に蹂躙を受ける、これが物質界が最低ランクの存在の場である事の証明となります。

ですので消滅させられないカタチで本を作らなければならないのです。僕が編集長の出版社であれば誰に文句を言われる筋合いもありません、僕の責任で書籍化できます。ただし流通はキビシイかも知れませんが、少なくとも本はジャンジャン作る事ができるでしょう。

そして僕的には僕という霊媒から降った新規の霊言を月1とか隔週とかでガンガン書籍化していきたいという希望を強くもっていますが、それが実現するかのような事を霊団が言ってきているのです。

しかし僕はまだ全然そのインスピレーションを信じていません。コイツら(霊団)はこの11年以上、ああなるこうなると言い続けてきて、それがひとつもその通りになっていない連中です。簡単に信じる訳にはいきません。

まずはフラー26キャラ設定資料の線画を描き始められるように煮込みを続行しましょう(祈)†

■2021年10月11日UP■
■アナログ絵329「フラー11ver2.0キャラ・プティットフラー設定資料」UPです(祈)†
「フラー20まで到達させる」という当初の目標も達成し、次の目標は「フラー30への到達」となっていますが、なんだかんだ言って長い年月にわたってフラーの新規デザインを続けてきましたので機体数もだいぶ増えてきました。キャラありフラー、キャラなしフラー、リースフラー、スカートフラーと描き続けてきましたが、そんな中でこのフラー11のキャラ「プティットフラー」は「3段変形」という特殊な構造をしている事もあって、僕の中で「特別扱いのキャラ」となっていました…続きを読む→
■アナログ絵332「フラー21キャラ イチゴちゃん設定資料」インナーフレーム採用(祈)†■2021年12月12日UP■
■アナログ絵332「フラー21キャラ イチゴちゃん設定資料」インナーフレーム採用(祈)†
さぁ使命遂行にあたって怒涛にデザインを続けてきた「フラーのバリエーション」に新たな展開となるでしょうか。今回はフラー15の時にどうしても外見をかわいくデザインできなくて泣く泣くボツにしたキャラ「イチゴちゃん」を「インナーフレーム」とも呼ぶべき機構を採用する事によって何とか実現にこぎつけました。これはインナーフレーム内で変形を完了させる構造にする事でイチゴちゃんの外観部分にメカメカしいパーツが露出しないようにして、イチゴちゃんの外観のかわいらしさを何とか維持しようとしたギミックとなります。イチゴちゃんの外側がパカッと開いてインナーフレーム内で変形が完了して再び外側がパコッと閉じるのがお分かり頂けるでしょうか…続きを読む→
■アナログ絵335「フラー22キャラ【ワンちゃん】設定資料」UP。インナーフレーム進化形(祈)†■2022年3月4日UP■
■アナログ絵335「フラー22キャラ【ワンちゃん】設定資料」UP。インナーフレーム進化形(祈)†
前回フラー21にてイチゴちゃんを「インナーフレーム」とも呼ぶべき新機構にてデザインした事によって、キャラの可能性が飛躍的に広がりました。今回のワンちゃんも「インナーフレーム進化形」とも言えるギミックがモコモコ2頭身の内側に盛り込まれています。インナーフレームは、変形ギミックを考えている時は超大変ですが、カタチができあがってしまえばキャラの外観はシンプルにする事ができますから描くのは速いです。今後のフラーのキャラのスタンダードになる可能性もあるでしょう。今回のワンちゃんの2頭身は「チョトやりすぎかなぁ」とも思ったのですが、フラーのデザインは今後も(暗殺されない限り)続きますから、キャラに特徴を持たせるのは必須とも言えますので、まぁこれはこれでいいのではないでしょうか…続きを読む→
■アナログ絵338、フラー23キャラ「フランちゃん(ラ・フランス)」UPです(祈)†■2022年5月8日UP■
■アナログ絵338、フラー23キャラ「フランちゃん(ラ・フランス)」UPです(祈)†
はいコチラ、フラー23のキャラ「フランちゃん(ラ・フランス)」は、ご覧になればお分かりの通りフラー21の「イチゴちゃん」のインナーフレームとほぼ同じ構造となっていまして、一見描くのが簡単なように思えたのですがイエイエどうしてどうして、イチゴちゃんは足の方が細くなっていますが今回のフランちゃんは頭の方が細くなっています、その外観の違いによってインナーフレームの構造にアレコレ変更が生じて結構ギミックを考えるのが大変でした…続きを読む→

エドワード・ジョージ・フリッカー氏は中年の小太りの紳士だった。ミスター・フリッカーと呼ぶ人もおれば、愛称のテッドを使う人もいた。言葉つきから生粋のロンドン子のようで、性格も陽気だった。私が杖を片手にやっとの思いで治療室に入ると、温かく私の手を取って迎えてくれた。

治療室といっても元は台所だった小さな部屋だ。ゆかには部厚いカーペットが敷いてある。片隅には手洗い水とタオルと香料のアロマ(消毒用)が置いてある。家具といえば肘かけ椅子が1つと低いスツール(背もたれのないイス)が2つ、それにレコードプレーヤー付きのラジオくらいなもので、そのラジオの上に木製のサラダボールが置いてあり、その中に紙幣や硬貨が無雑作に入れてある。

壁には良いのか悪いのか判別しかねる古い絵画がやたらと掛かっている。そのほかキリストの磔刑像やロザリオ付きのダビデの星といった聖像の類いがあちらこちらに置いてある。

さて私がやっとの思いでスツールに腰を下ろすと、もう1つのスツールにフリッカー氏が腰かけて「どうなさいました」と尋ねた。私は胸にたまっていた思いを吐き出すように一部始終を語った。氏はそれにじっと耳を傾けてくれた。私が語り終ると、「コートを脱いで」とだけ言った。

「あなたは信仰治療家ですか」と私はコートを脱ぎながら聞いた。「少し違いますね」「じゃ、あなたに対する信仰は要らないわけですか」「あなたが信仰心を持とうが持つまいが、私には関係ありませんね。私は私なりに必要な信仰を十分もっていますから」

コートを脱ぐと、立つように言われた。立ち上がると左手を私の腹部に当てがい、右手を背筋にそってかるく上下させた。間もなくその手が例の脱出した円盤のところで止まった。そのあたりは合成樹脂で出来たコルセットがあるのだが、その上からピタリと悪い箇所を探し当てた。肌に直接届くにはドリルがいるところだ。

氏はそのコルセットも取るようにと言った。取るのは大変だったが、氏も手を貸してくれた。取りはずしたあと再びズボンとシャツを着ると、氏はさっきと同じように左手で腹部を押さえ、右手を脊柱にそって上下させながら、円盤のところだけは横にもさすった。

たださするだけである。ネコでも可愛がるようにかるくさするだけで、ほかには何も操作はしない。しばらくすると右のヒップの方まで手が伸びた。マヒしかかっている箇所だ。

こうした治療が何分続いたか、私は知らない。奇蹟を祈る気持と、あまりに単純な治療方法に幻惑されて、私は時の経過を一切意識しなかったのだ。むずかる子を母親が“よしよし”と言いながら撫でてやる、あの優しい手つき以外の何ものでもないのだ。これで本当に治るだろうか。そんな気持が去来していたのである。

が状況から判断して、せいぜい10分ていどだったと想像される。あとで知ったのだが、どの患者もみなその程度で、それ以上かかる人は滅多にいないとの話だった。むしろそれより短い時間の人もいるらしい。そのわずかな時間のために何時間もあの待合室で待つのだ。

今思うと、その時がまさしく私の人生の曲り角であった。痛みが確かに薄らぐのを感じた。私は当惑すらした。2年近くも激痛に悶えた。挫折感と不快感に苦しめられて、やっと今、自然な、そしてラクな気分に浸っている。それがただ手のひらを数分間上下にさすっただけなのだ。私は思った。今日は何も聞くまい。ただこの幸福を有難く享受しよう。なぜ治るのかは後で考えよう、と。

治療を終えると、フリッカー氏は別の部屋へ行って、大きな茶色の用紙を手にして戻ってきた。何をするのかと思っていると、鼻歌まじりで私のコルセットを包みはじめた。

包み終ると顔一面に笑みを浮かべながら「さあ、これを持ってお帰りなさい。杖は置いて行かれてもいいです。帰ったらベッドの板をはずして普通に寝てよろしい。そして来週もう1度いらっしゃい」と言う。

私が呆気に取られながら部屋を“歩いて”出た。それと同時に次の患者を呼ぶベルの音が聞こた。そして私と同じようにフリッカー氏に温かく迎えられていた。一体この人は何者なのか。10分間に1つの奇蹟を起こす、文字どおりの“奇蹟の人”なのだろうか。

いま“部屋を“歩いて”出た”と書いたのに注意していただきたい。私は立派に歩いて出たのである。杖にもたれてやっとの思いで足をひきずったのとは違うのだ。右足が少しばかり痛む。腰もわずかながら痛む。ヒップもまだ左右がずれている。

が、立派に歩けるのだ。足どりもしっかりしている。首筋をまっすぐにして普通に歩ける。私は、紙包みとステッキを小脇に抱え、颯爽とフリッカー治療センターを出た。奇蹟だ!奇蹟が起きたのだ!

ハワード通りにはタクシーはない。例のアンサンブルの可愛らしい助手が電話でハイヤーを手配してくれていた。その助手は私の足どりや姿勢が良くなったことに別段おどろいた様子も見せなかった。事実、彼女にとっては日常茶飯事なのだ。

やがて到着したハイヤーの運転手はこの治療所専門に客を運んでいる人だった。私がいま起きたばかりの奇蹟の話をすると「それくらいのことは毎日起きてますヨ」と、これまた当たり前といった表情で言った。そして夕方のラッシュの中をビクトリア駅へ向けて車を走らせた。

デコボコ道がある。急ブレーキをかける。左右に折れる。信号で停車する。また発車する。そうした動きが私に何の痛みも与えなかった。1時間前にタクシーで来た時は、ちょっとした動きでも死ぬほどの痛みを感じたのだが…

ビクトリアまで30分かかった。ドンキホーテよろしく、私の頭にはさまざまな思いがとりとめもなく去来した。が1つだけはっきりしていることがある。それは、からだがすっかり良くなったということだ。信じられないほど良くなった。しかも10分足らずさすってもらっただけで…一体何が起きたのだろう。いつかその原因を追求しよう。そう心に決めたのだった。

ビクトリア駅で鉄道に乗り換えた。列車の座席に坐って、またしても回復のすごさに驚いた。実にラクに坐っていられる。まるで列車はカーペットの上でも走っているみたいに感じられる。

ヘイワーズヒースに着いてホームに降り立つと、妻のジーンが待っていた。紙包みとステッキを小脇に抱えて近づく私の姿を、妻は驚きと嬉しさと呆気に取られた様子でしげしげと見つめた。2人とも言葉が出なかった。溢れる感激が言葉をさえぎるのだ。

妻の運転する車に私は軽々と乗り込んだ。乗ってすぐ妻の頬にキスをした。そこでようやく言葉が出た。「さ、帰ろう。帰ってからゆっくりと話そう」

■2021年6月2日UP■
「長持ちさせようとは思っていません」霊団の言葉ですが、全然そうなってないだろ(祈)†
「ピーチピチ(佳子)の発言にばかり注目するな」と霊聴に言ってきたのですが、これは霊団から皆さまへの警告と思われます。つまり「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁がパレットから奴隷の女の子を購入し続け四肢切断、強姦殺人し続け死肉を食べ続けている邪悪の真実、ピーチピチ(佳子)は奴隷の女の子たちと全く同じ手法で文仁が赤ちゃんの時に美人から盗んだ女の子であり、文仁、紀子と1ミリも血がつながっていない「赤の他人」であるという真実、そして奴隷の女の子たちの存在、悲劇の実情に国民の注目、関心が集まらないように「視点外し」のニュースを休みなく流し続けて国民が真実に目覚めないようにしている、つまり(どういう経緯かは僕にも分かりませんが)ピーチピチを逮捕とか言っているのも要するに「視点外し」で、国民の注意関心および議題を問題の本質から逸らすのが目的という事です…続きを読む→
■2021年7月7日UP■
「これから起こる事の大変さに比べれば」現在の僕の苦しみなど取るに足らないという意味です(祈)†
実はバーバネル氏が1回だけ僕の肉の口を使って言葉を発した事があるのです。なぜ過去ブログでその事を書いていないのか、それは書きたくなかったからです。なぜならその時、僕は事情があって大泣きしていたのです。2014年1月だったかな。僕はあふれる涙を抑える事ができず号泣していました。その時です。僕の口から、思ってもいない、考えてもいない一言が飛び出したのです。最初はなぜ自分がそんな事を言ったのか理解できませんでしたが「あ!バーバネル氏が僕の肉の口を使って言わせたんだな!誰がそんな事言いたいって言った!チクショー!」と気付いて、それがショックでさらに号泣した、という事が1度だけあったのです。つまりバーバネル氏はたった1回ではあるものの僕の肉の口を使って日本語を発声する練習はしているという事になるのです…続きを読む→

寝ている、横になっている時がいちばん痛い、気を失いそうになるほどの激痛です。これは困りました。今回のあばら損傷は相当の重傷だったようです。しかしこの痛みも永遠ではありませんので痛みが引くまで鎮痛剤でしのぐしかありません。通常はあばらの損傷は1ヶ月半ほどで完治しますが今回はそれ以上かかるかも知れません。

本当は家の片付けを続行しなければならないのですが(現時点で70%ほど完了してます)まだ作業が残されているのでやらないといけないのですが、このあばらの状態ではできそうにありません、特にのこぎりでギコギコはできません。切らないといけない物がいくつか玄関にオキッパになっています。イヤーホントにマイッタ。

そして今日もインスピレーションおよび幽体離脱時映像が降ってますが、中でも首をかしげたくなるような幽体離脱時映像がありました。たぶん次回長文ブログのタイミングでお話させて頂く事になると思うのですが、もしその通りであれば光栄でありぜひその通りにやってもらいたい、といった内容となります。

フラー26の作業をしつつも「心霊と進化と – 奇跡と近代スピリチュアリズム – 」のテキスト見直しも同時に開始しています。たとえ復刊できなくてもこの“書籍テキスト化”は続けようと思います。不毛な気持ちにもちろん襲われますが、霊的使命遂行ですからやるしかありません。

あばらが痛い、息を吸うだけで痛い、くしゃみできない、もう精神力しかありません。できるだけ早く痛みの段階を突破できるように思念の力を結集して回復力を早めてみましょう。これは真実ですよ、治ろうという強い意志が本当に回復を早めるのです。そして作業は続行中(祈)†

■2021年2月20日UP■
「どう考えてもダメだから」もちろん強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁がダメという意味です(祈)†
「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する国民の皆さまの正しい認識であると信じたいです。この大量強姦殺人魔どもの人生は生まれてから死ぬまで全てがウソです。皆さま、そんな人間に果たして「生きている意味」があると思われますか。口をついて出る言葉は全てウソ、全て国民をダマすセリフであり国民の目の届かない城の中でただひたすら奴隷の女の子をレイプし続けるだけの人生、そしてこいつらは「ニート」です、生まれて1度も仕事をした事がありません。皆さまが日々苦しい思いをしている仕事をコイツらは全く経験した事がないのです。そんな奴に一体人の心の苦しみの何が分かるというのです。自己鍛錬というものを一切せず自分を嫌っている幼い女の子をレイプするだけの奴に高潔な人格が培われる訳がない事は皆さまもお分かりの事と思います。コイツらが自演乙(じえんおつ)で流してくる、自分たちが善人で国民から親しまれていて何でもできる万能の天才であるというニュースが全てウソである事は、常識で考えればすぐに分かりますね。いい加減にこのバカヤロウどもの洗脳を撃ち破って下さい…続きを読む→
■2021年3月26日UP■
「クスリとダマしてガン注射」僕の暗殺の超具体的方法を霊団が幽体離脱時映像として降らせてきました(祈)†
「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は(というよりコイツらの部下の下僕たちが)様々な毒物の開発製造を手掛けていて既に完成している。その中にはガン細胞そのものを注射するというものまである。その毒物を人々にバラまいて感染させる手段として、白衣を着て人々から「先生」など呼ばれている「医者」「学者」のような人間を使用して、人々に「これは治療薬です、予防薬です」と信じさせて次々と注射して回ってドンドン毒物を感染させる方法を取ろうとしている。僕に対してもこの「医者を使用したダマし戦法」で暗殺を画策しており、毒殺ではなく病気(ガン)で死亡したと見せかけ「我々は治療を続けたが残念ながら手が及ばなかった」などと言い訳できる殺し方をしようとしている。さらに職場の同僚を使用して僕に注射を撃たせようとしていたのは「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の「責任逃れ」の典型的パターン、何か不具合が発生したら「毒(ガン)注射を撃ったのはこの人たちです」と責任を擦り付け自分たちはすっとぼけられるようにしている…続きを読む→
■2021年4月23日UP■
「死刑回避逃げる片手文仁捕まえる」この幽体離脱時映像を現実のものとせねばなりません(祈)†
片手がないのです(右手左手どっちだったかは覚えませんが)その文仁を霊体の僕は難なく追いかけて捕まえるという幽体離脱時映像だったのです。えーまず文仁が死刑になりたくなくて逃げているという描写ですが、これは事実その通りなのでしょう。もう文仁が人類史上最大級のバカである事が広く国民周知の事実として認知されている状態であり、もはや国民の再洗脳は不可能、死刑以外に有り得ない状況となっていて文仁が何とかして逃げ通そうとしているという意味で間違いありません。そしてその逃げる文仁が「片手が切断された状態」だった描写ですが、これはアナログ絵59が関係しているものと思われます。相当大昔に描いた絵となりますが意味としては現在もまぁまぁ有効で、この絵の中では文仁が「おとしまえ」としてザクヤーに指を落とされていますが、今回の幽体離脱時映像ではそのおとしまえがさらにエスカレートして指1本では済まされずに腕まで切り落とされているという意味でいいでしょう…続きを読む→

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出版社を立ち上げるイコール個人事業主になるという事ですので、分からない、できないでは済まされない数字との格闘の作業を自力でやらねばならなくなります。そうなれば当然「会計ソフト」のようなものを導入する事になるでしょうが、ググってそれを調べていた時に霊団が「違うよ」と言ってきました。何が違うんだよ。必要になるだろう、個人事業主にならないって意味か。

じゃあ本はどうするんだよ、どうも言ってる事がおかしい、自動書記やる気のような事を言ってきてますが、僕はこれも「閉じ込めるための新手のフェイク」だと思っていまして、全然信用してません。それはそうです、コイツら(霊団)は11年以上ああなるこうなる言い続けてひとつたりともその通りになった事がない奴らなんですから簡単に信じられる訳がないのです。

とにかく恐ろしいほどに、何をどう努力しても全く反逆(脱出)が完了しない、信じられない。このまま一生閉じ込められるのかと思うと猛烈に怒りがこみ上げてきますが、書籍をガンガン制作して生きていけるのならまだ許す気にもなれます。どうも霊団の言ってる事は正反対の意味のような気がする。

フラー26キャラのギミック苦戦中ですが進行中。フラーを描けば描くほど反逆の手が止まり延々閉じ込められる事になるため心境は複雑ですが、描かない訳にはいきませんのでもうこのまま進めましょう。

フラーが終わったら書籍テキスト化の作業に戻りますが、これは僕の物質界生活中には全く復刊できなくて、僕の帰幽後に著者没後70年が経過して著作権フリーになって、たきざわ彰人を知らない、もしくはおぼろげにしか知らない若者たちが一気に復刊させるとか、そういうストーリーかも知れません。まぁ霊界サイドから見ればそういう仕事の進め方(縁の下の力持ち的な仕事)のほうが評価されると思いますけど。

新規の霊言が降ってくれば状況が一気に急展開しますので何とかそうなってもらいたいのですが、コイツら(霊団)は結局口だけピーチクパーチク動かして何もせず20年30年が経過するのではないか、ものすんごくそういう気がしてます。その間、もちろん「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁はホッポラカシです。それがいちばん頭にきますよね。

んー月1とかでガンガン書籍を制作したい。しかしそうはならないんでしょうたぶん。今はフラーに集中中(祈)†

■2020年11月18日UP■
TrailMovie「デマハウス」霊団は「皇居」の事をこのように表現しました。まさにピッタリの表現ですね(祈)†
「デマハウス」にありますようにコイツらが流し続けてくるウソ洗脳情報にいつまでもダマされ続けてあげてコイツらをおだて続けてあげるというのであれば、その人は「やさしい心の持ち主」という事ではなく「あたまカラッポのおめでたい人間」という事になります。皆さまは果たして自分の愛する笑顔のカワイイ愛娘が明仁、文仁、徳仁、悠仁にむごたらしい方法で強姦殺人されてもコイツらに笑顔で手を振って陛下殿下などと呼び頭を下げるでしょうか。僕は常にブログで【神の因果律】について、そして【神】が僕たち人間全員に与えて下さった【理性・良心】についてブログを書き続けてますが、皆さまにはそろそろ自分の理性、良心に背く行為をやめて頂かねばならないと全力で公言させて頂きます…動画を見る→
■2020年12月23日UP■
「ポリーチェ(POLICE)は全く何の役にも立っていません」について説明してみましょう(祈)†
ザクヤーとは風俗業で、幼い女の子をたくさんザクヤーハーレム内に閉じ込めて営業し資金源としながら(有名人が多数利用しているのです)女の子たちをオトナになる前に殺し続けています。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁とほぼ同じ大犯罪をやっているのですが全く逮捕されないのはなぜか。それはザクヤーとポリーチェが「親友」だからです。「強姦殺人遊びでつながった大親友」という事になります…続きを読む→
■2020年12月19日UP■
「一旦メディコ」明仁、文仁、徳仁、悠仁が入院という形の逃亡を本当に実行する可能性があります(祈)†
「視点外し」にやられないで下さいという意味です。僕たち日本国民は今こそ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をDNA1片たりとも残さずに完全に死刑にして滅ぼし切らねばならないという事、これ以上このバカヤロウどもの洗脳にやられ続け目を閉じ続けない事、奴隷の女の子の強姦殺人を「血税を盗まれる」というカタチで手伝わされている、この理不尽に絶対に決着をつける事。2度とこの「人類の恥」「人間のクズ」の事を陛下だの殿下だのと呼ばない事、このバカヤロウどもに絶対に敬語を使わない事、絶対に頭を下げない事、コイツらのパレードに参加して沿道で笑顔で手を振らない事、僕たちが取る態度はただひとつ…続きを読む→

ロンドンは私の生まれ故郷である。今はサセックス州に住んでいるが、ロンドンで生まれ、ロンドンで育ち、ロンドンの学校に通い、年季奉公をしたのもロンドンだった。ついでに言えば、道楽のかぎりをやったのもロンドンだし、妻を見つけたのもロンドンだった。だからロンドンは自分の家の庭のようなもので、表も裏も知りつくしているつもりだったが、トテナムと聞いて首をかしげた。

今や英国は階級差別が無くなったと言う人がいる。そういう人は貴族階級だの労働者階級だの中流階級だのという言葉を聞くと、よくわからんといったふりをするが、ロンドン子はそうではない。厳とした階級意識をもって生活している人がまだまだ多い。

中流にはさらに“中流の上層”と“中流の下層”とがある。トテナムはその下層の中流階級に属する社会である。生き生きとした庶民の町で家並も一応きちんと整っている。ただ、通りを歩いていると物干しの下着がちらほら見えかくれする。ハワード通りもそんな町にあった。

タクシーの運転手は私が告げた場所をよく心得ていた。着くとまるで大切な骨董品でも扱うように、私を抱きかかえるようにして下ろしてくれた。門に40の数字が見えた。見たところ隣近所と変わらぬ家だったが、1つだけ違ったところが目に入った。「フリッカー治療センター」と書いたピカピカの真ちゅうのプレートがドアに貼ってあったのである。

そのドアのベルを押した。押したあと、そのドアの開くのを待ちながら、ふと私の心を横切るものがあった。自分がこんなみじめな身体になってから果たして幾つのドアを苦しい思いで通り抜けたことだろう。今朝も専門医のドアをくぐった。そして絶体絶命の“判決”を言い渡れたばかりだ。

救急車のドアにも何度か運び込まれた。タクシーのドアも運転手に抱きかかえられるようにして通った。そして今また、石膏で固められ革帯で締め上げられた、まるで朽ち果てる1歩手前の残骸のような姿で、杖を片手にドアの前に突っ立っている。

何とぞ、何とぞ、もうこれが最後のドアであってほしい。私は心でそう念じた。

ドアが開いた。若くて可憐な娘さんだった。服装はアンサンブルとツイードのスカートだった。名前を告げると“どうぞ”と招き入れてくれた。入ってみると客間は患者でいっぱいだった。

その中を、まるでラッシュアワーの人混みをかき分けるような恰好でその女性のあとについて進むと、ダイニングルームのドアのところへ来た。いきなりダイニングルームは変だと思ったら、客間との中間の仕切りを取っ払っていたのだ。

そのドアを開けて入ると、そこは実はダイニングルームでなく、張り出し窓のところに質素な、というよりは安っぽい机が1つ置いてあるだけの、ただの部屋だった。その机に向かって腰掛けた助手の娘さんは、いかにも仰々しい手つきで、これまた時代もののタイプライターをパチパチとやりだした。

ゆか1面に敷物が敷きつめてある。その中央に低いテーブルが置いてあり、その上にカバーの取れた古い雑誌が無雑作に置かれていた。が、この部屋も患者でいっぱいである。といっても、この部屋では順番に従って壁づたいに列を作っている。みな壁に背を向け、腕と腕とが触れ合うほど詰めて腰掛けている。空いたイスは1つもない。

英国人というのはあまり人をジロジロ見ないものだ。私はドアにもたれて腰かけ(そこしか空いた場所がないのだ)、そして、おもむろに見まわして目で挨拶した。まわりの人たちも目で挨拶を返した。その時、奥のドアがベルの音とともに開いた。部屋全体にざわめきが起きた。

1人が治療を終って出て来て、代わってそのドアにいちばん近い人が次の人に挨拶して中へ入った。空いた席を順々に詰めていく。最後の私も1つ詰めた。するとドアが開いて新しく患者が入ってきて、今まで私の座っていたイスに腰かけた。また満員である。

患者はいろんな人がいる。バスの車掌がいる。制服のままである。喘息で呼吸が苦しそうだ。ルイ14世のようなヘアスタイルをした中年のブロンドがいる。片方の腕が枯枝のように細った子供を連れた母親がいる。いい身なりの黒人が何を思うのか静かに瞑想している。

汚れたジーンズにごついブーツをはいた2人の労務者風の男が新聞を見ながら何やらささやき合っている。見事な脚線美をした黒髪の端正な身なりの女性が、頬の醜いただれを見られたくないかのように視線を避けている。

老人がハンカチで口を押さえてせき込んでいる。そして、めそめそ泣いている子供がいる。みなそれぞれに病気をかかえている。が、その表情にはどこか希望の色が見える。

壁に目をやると、いろいろな新聞からの切り抜きが貼ってある。いずれもフリッカー氏による奇蹟的治療に関するものばかりだ。

“フリッカー氏また奇蹟を起こす”
“12年の歩行不能者が歩く”
“聾唖者が完治”
“私は松葉杖を棄てて帰った”
“奇蹟!医者を戸惑わせる”
“フリッカー氏は奇蹟の人か”等々

本当にフリッカー氏は奇蹟の人だろうか。そう思った時、またベルが鳴ってドアが開き、例のアンサンブルとツイードの女性が私の前まで来て「次はあなたさまの番です」と言った。

果たして奇蹟が起きるか。まさに運命の時が来た。私は今まさにその奇蹟の人の前に足を運ばんとしている。

「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†■2023年9月20日UP■
「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†
友人の守護霊は今ごろほくそ笑んでいるはずです。僕の守護霊様は今ごろ僕の霊団への反逆を見て困っている事と思われますが。人間とは霊界で永遠に生き続ける存在です。人間に死はありません。物質界とは修行のためにホンの一時期だけ降下させられるトレーニングセンターです。肉体は神の摂理で自動的に朽ち果てるようになっており、僕たちの本体(霊)はそれを脱いですみやかに霊的表現媒体に着替えて(幽体、霊体)霊界生活に突入します。この事実からも物質界が僕たちの永遠の住処でない事は明白です。そのホンの一時の束の間の場所についてお勉強する事と、永遠の住処である霊界についてお勉強する事と、どちらがプライオリティが上でしょうか。どちらが賢明かつ自分の霊的進歩向上に役立つでしょうか。そういう視点で自分の人生を考えられる人間こそ賢者と言えるのではないでしょうか…続きを読む→
「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†■2022年8月10日UP■
「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†
霊界と物質界つまり顕幽をつなぐ通信方法としてもっとも健全かつ正常な手段が「インスピレーション」であり、霊界側にとっても、物質界の人間が霊的チャンネルを開いてくれてインスピレーションを受け取れるようになってくれる事が一番手間が省けるという事なのです。霊媒現象を実現させようと思ったら、異なる次元間にあんなメンドクサイ橋、こんなメンドクサイ橋をかけねばならず、また決まって人間側の無理解、無知、不信心が障害となって霊界側の長年の準備が泡と消されてしまうという事が往々にしてあるそうです…続きを読む→
■2020年6月17日UP■
TrailMovie あっという間に帰幽してしまった子猫「ミーシャ」について(祈)†
休憩室の自動販売機の下に「子猫」が入っていて出てこない、と聞かされます。僕は「え?それはそのままにはしておけない」と真っ先に休憩室に走り、うつぶせになって自販機の下をのぞき込み、うずくまっている子猫(生後1ヶ月以内ぐらいかなぁ)に向かって「ネーコちゃん♪コッチいらっしゃい♪そんなトコいてもおもしろくないでしょ?ホラ、こっち来ればお水もあるわよ♪ネーコちゃん♪出てらーっしゃい♪」と話しかけながら何とか子猫を自販機の下から出そうとしました。しかし子猫はミャーミャー言うだけで出てこようとしません。そんな僕の様子を聞きつけて同僚女性が休憩室にやって来ました…続きを読む→