1917年11月15日 木曜日
吾々が地上生活を送っていた時代には“霊的真理の道を選んだ者はすぐに後悔するが最後には必ず勝利を得る”と言われたものです。それを身をもって証明した者が少なくとも吾々の霊団の中にも幾人かいます。視野をこの短い地上的時間に縛られることなく、限りない永遠性に向けていたからでした。
今この天界より振り返り、これまでの旅路を短縮して1枚の絵の如く平たく画いてみると、そのカンバスでとくに目立った点が浮き彫りにされ、そこから読み取れる教訓に沿って未来のコースを定めることも可能です。
それにしても、天界の光に照らし出されたその絵は、かつて吾々がその最中(さなか)において悪戦苦闘した時に想像していたものと何という違いであろう。そこで貴殿に忠告しておくが、人生全体と日々の暮らしを形作っているさまざまな要素の価値判断において余りに性急であってはならないことである。
今にして思えば、当時吾々が携わった仕事が偉大であったのは全体として見た場合のことであって、1人ひとりの役割に目を向ければ実にささやかなものであり、大切だったのは個々の持ち前ではなく、それに携わる動機のみであったことが判る。
というのも、1個の偉大な事業のもとに参加する者が多ければ多いほど、それだけ存在価値も分散し、役割分担が小さくなっていくのが道理だからです。重要なのは根気よくそれに携わる“動機”である。
事業全体としての趣旨は“人類のため”であり、1人1人がその恩恵に浴するが、その分け前はいたって僅かなものです。しかし一方、動機が気高くさえあれば、世間がそれをどう評価しようと問題ではない。人生という闘争の場において自分に最もふさわしい役割を与えられたのであるから。
– 何だかややこしくなって来ました。好い例を挙げて説明していただけませんか。
例ならば幾らでもあります。では1つだけ紹介しよう。
地上の言い方をすれば“何年も前”のことになるが、靴直しを生業(なりわい)としていた男が地上を去ってこちらへ来た。何とか暮らしていくだけの収入があるのみで、葬儀の費用を支払った時は一銭も残っていなかった。
こちらで出迎えたのもほんの僅かな知人だけだったが、彼にしてみれば自分ごとき身分の者を迎えにわざわざ地上近くまで来て道案内をしてくれたことだけで十分うれしく思った。案内された所も地上近くの界層の1つで、決して高い界層ではなかった。が今も言った通り彼はそれで満足であった。
と言うのも、苦労と退屈と貧困との闘いのあとだけに、そこに安らぎを見いだし、その界の興味ぶかい景色や場所を見物する余裕もできたからである。彼にとってはそこがまさに天国であり、みんなが親切にしてくれて幸福そのものだった。
ある日のこと – 地上的に言えばのことであるが – 彼の住まいのある通りへ1人の天使が訪れた。中をのぞくと彼は横になって1冊の本をどこということなく読んでいる。
その本は彼がその家に案内されてここがあなたの家ですと言われて中に入った時からそこに置いてあったものである。天使が地上時代の彼の名前 – 何といったか忘れたが – を呼ぶと彼はむっくと起き上がった。
「何を読んでおられるのかな?」と天使が聞いた。「別にたいしたものじゃありません。どうにかこうにか私にも理解できますが、明らかにこの界の者のための本ではなく、ずっと高い界のもののようです」と男は答えた。「何のことが書いてあるのであろう?」
「高い地位、高度な仕事、唯一の父なる神のために整然として働く上層界の男女の大霊団のことなどについて述べてあります。その霊団の人々もかつては地上で異なった国家で異なった信仰のもとに暮らしていたようです。話しぶりがそれを物語っております。
しかしこの著者はもうこの違いを意識していないようです。長い年月の修養と進化によって今では同胞として一体となり、互いの愛情においても合理的理解力においても何1つ差別がなくなっております。目的と仕事と願望において一団となっております。
こうした事実から私はこの本はこの界のものではなく、遙(はる)か上層の界のものと判断するわけです。その上この本には各霊団のリーダーのための教訓も述べられているようです。
と言うのは、政治家的性格や統率者的手腕、リーダーとしての叡智、等々についての記述もあるからです。それで今の私には興味はないと思ったわけです。遠い遠い将来には必要となるかも知れませんけど…。一体なぜこんな本が私の家に置いてあったのか、よく判りません」
そこで天使は開いていたその本を男の手から取って閉じ、黙って再び手渡した。それを男が受け取った時である。彼は急に頬を赤く染めて、ひどく浪狽(ろうばい)した。その表紙に宝石を並べて綴られた自分の名前があるのに気づいたからである。戸惑いながら彼はこう言った。
「でも私にはそれが見えなかったのです。今の今まで私の名前が書いてあるとは知りませんでした」
「しかし、ご覧の通り、あなたのものです。と言うことは、あなたの勉強のためということです。いいですか。ここはあなたにとってはホンの一時の休憩所に過ぎないのです。もう十分休まれたのですから、そろそろ次の仕事に取りかからなくてはいけません。ここではありません。この本に出ている高い界での仕事です」
彼は何か言おうとしたが口に出ない。不安の念に襲われ、しり込みして天使の前で頭を垂れてしまった。そしてやっと口に出たのは次の言葉だった。「私はただの靴職人です。人を指導する人間ではありません。私はこの明るい土地で平凡な人間であることで満足です。私ごとき者にはここが天国です」
そこで天使がこう語って聞かせた。「そういう言葉が述べられるということだけで、あなたには十分向上の資格があります。真の謙虚さは上に立つ者の絶対的な盾であり防衛手段の1つなのです。それにあなたは、それ以外にも強力な武器をお持ちです。謙虚の盾は消極的な手段です。
あなたはあの地上生活の中で攻撃のための武器も強化し鋭利にしておられた。たとえば靴を作る時あなたはそれをなるべく長持ちさせて貧しい人の財布の負担を軽くしてあげようと考えた。儲ける金のことよりもそのことの方を先に考えた。それをモットーにしておられたほどです。
そのモットーがあなたの魂に泌(し)み込み、あなたの霊性の一部となった。こちらではその徳は決してぞんざいに扱われません。その上あなたは日々の生活費が逼迫(ひっぱく)しているにも拘らず、時には知人宅の収穫や植えつけ、屋根ふきなどを手伝い、時には病気の友を見舞った。
そのために割いた時間はローソクの明りで取り戻した。そうしなければならないほど生活費に困っておられた。そうしたことはあなたの魂の輝きによってベールのこちら側からことごとく判っておりました。
と言うのも、こちらの世界には、私たちの肩越しに天界の光が地上生活を照らし出し、徳を反射し、悪徳は反射しないという、そういう見晴らしがきく利点があるのです。ですから、正しい生活を営む者は明るく照らし出され、邪悪な生活を送っている者は暗く陰気に映ります。
このほかにも、あなたの地上での行為とその経緯(いきさつ)について述べようと思えばいろいろありますが、ここではそれは措(お)いておきます。それよりもこの度私が携えてきたあなたへのメッセージをお伝えしましょう。実はこの本に出ている界に、あなたの到着を待ちわびている一団がいるのです。
霊団として組織され、すでに訓練も積んでおります。その使命は地上近くの界を訪れ、他界して来る霊を引き取ることです。新参の1人ひとりについてよく観察して適切な場を選び、そこへ案内する役の人に引き渡すのです。もう、いつでも出発の用意ができており、そのリーダーとなるべき人の到来を待つばかりとなっています。さ、参りましょう。私がご案内します」
それを聞いて彼は跪(ひざまず)き、額(ひたい)を天使の足もとにつけて涙を流した。そしてこう言った。「私にそれだけの資格があれば参ります。でも私にはとてもその資格はありません。それに私はその一団の方々を知りませんし、私に従ってくれないでしょう」
すると天使がこう説明した。「私が携えてきたメッセージは人物の選択において決して間違いを犯すことのない大天使からのものです。さ、参りましょう。その一団は決してあなたの知らない方たちではありません。
と言うのは、あなたの疲れた肉体が眠りに落ちた時、あなたはその肉体から脱け出て、いつもその界を訪れていたのです。そうです。地上にいる時からそうしていたのです。その界においてあなたも彼らといっしょに訓練をなさっていたのです、まず服従することを学び、それから命令することを学ばれました。
お会いになれば皆あなたのご存知の方ばかりのはずです。彼らもあなたをよく知っております。大天使も力になってくださるでしょうから、あなたも頑張らなくてはいけません」
そう言い終ると天使は彼を従えてその家をあとにし、山へ向かって歩を進め、やがて峠を越えて次の界へ行った。行くほどに彼の衣服が明るさを増し、生地が明るく映え、身体がどことなく大きく且つ光輝を増し、山頂へ登る頃にはその姿はもはやかつての靴直しのそれではなく、貴公子のそれであり、まさしくリーダーらしくなっていた。
道中は長びいたが楽しいものであった。(長びいたのは本来の姿を穏やかに取り戻すためであった)そしてついに霊団の待つところへやって来た。ひと目見て彼には彼らの全てが確認できた。出迎えて彼の前に整列した彼らを見た時には、彼にはすでにリーダーとしての自信が湧いていた。各自の目に愛の光を見たからである。
■2024年1月3日UP■「最後まで完成してる」僕から降らせる霊言の原稿が霊界側で既に完成しているそうです(祈)†「霊的知識普及のための客寄せパンダ」というもので、霊団は試練の境涯である物質界から苦難の元凶(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁)を取り除く事はしない。取り除いてしまったら物質界の存在意義(刑務所としての機能)が果たせなくなってしまうので邪悪は残し続けるが、霊的知識拡散のための「客寄せパンダ」としてこの強姦殺人魔どもを最大活用した、という事なのではないか。さらに言うと「神の因果律」の一環として、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらに徹底的に恥をかかせるという目的も含まれていたのではないかと僕は思っているのです。僕はこのバカヤロウどもはインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」でイイと思っていますが霊界上層界の方々はそうは思っていなくて、何とかコイツらに反省させて進歩向上の糸口をつかませようとしているのかも知れない、それで大恥をかかせて心変わりをさせようとしているのかも知れない、なんて思ってみたりもするのです。そんなムダな努力する必要ネィだろ、コイツら(明仁、文仁、徳仁、悠仁)は絶対反省なんかできネィよ、人間失格なんだよ、霊の海に埋没して存在消滅すればイイんだよ(地獄より下という事)と僕は思うのですが上層界の方々は憐れみをもって眺めますのでそういう視点なのかも知れない…続きを読む→ ■2024年2月14日UP■「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†これまで物質界で犠牲の使命遂行をおこなってきた無数の霊覚者たちも、全体から見た時に無限分の1といえる極小の活動をしていたと言えます。ひとりの人間が永遠の中の一瞬である物質界生活中にできる仕事量など、宇宙の永遠の営みの中のホンの些細な出来事でしかありませんが、それをひとりひとりがおこなって積み重ねていく以外に地球圏全体を霊的に向上させる方法はないのかも知れません。恐ろしく気の遠くなる話ですが。で、霊団が僕にやらせようとしているのが「霊媒として機能して新規の霊言を物質界にもたらす事」のようなのですが(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事、奴隷の女の子を救出する事じゃネィのかよ、だったら霊性発現以降のこの11年は一体何だったんだよ、と言いたくて仕方ありませんが)確かに霊言を降らせてそれを拡散させる事ができれば、多くの方々のお役に立つ事ができるのでしょう。僕もぜひその状況になって欲しいと思っています。拡散の準備ならすっかり整っています。書籍復刊のための作業を経てAffinityPublisherへの苦手意識もだいぶ克服されており、書籍をガンガン作るスキルがかなり身に付いてきていますので、霊言さえ降れば、それを余す事なく書籍化して皆さまにお読み頂ける状態にする事ができます…続きを読む→ ■2022年7月20日UP■「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†【神】から神性の火花を賜って個的存在を獲得した僕たち人間は「永遠の存在であり死はありません」僕たち人間は物質界生活後も霊界で霊的表現媒体をまとって永遠に生き続けるのです。その永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界生活中に善いおこないをするか悪いおこないをするかによって、その後の人生に天と地ほどの差が生じます。皆さま、このふたりの人間、どちらが【かしこい】と思われますか。先ほど、王の生活をうらやましいと思う事が、霊的知識の無知から導き出される愚劣の極致の発言と書きました。近視眼という事です。どちらの人生が僕たちの歩むべき人生だと思いますか。もっと言いましょう【神】は僕たち子等に、どちらの人生を歩んでもらいたいと望んでおられると思いますか…続きを読む→