【4/4】霊界通信 ベールの彼方の生活 2巻 「天界の高地」篇 3 女性団、第6界へ迎えられる

1913年12月31日 水曜日

話を進める前に、前回に述べた面会が行われた都を紹介しておこう。と言うのは、私の知るかぎりでは、第5界にはこの界特有の特徴が幾つかあるのである。例えば大ていの界 – 全てとは言わないが – には中心となる都が1つあるのみであるが、この5界には3つあり、従って3人の領主がおられることになる。

この3重統治の理由は、この界の置かれた位置が、ここまで辿り着いた者がこのあとどちらの方向に進むかについて重大な選択を迫られる位置にあるからである。一種の区分(くわけ)所のようなものであり、住民はここでの生活中にそれぞれに相応しいグループに配属され、最も相応(ふさわ)しい仕事に携わるべく上層界へと進む。

3つの都は途方もなく広い平担な大陸の境界域近くに位置し、その3つを線で結ぶと2等辺3角形となる。それ故、それぞれの都から出る何本かの広い道路が扇状に1直線に伸びている。こうして3つの都は互いに連絡し合っている。その3角形の中心に拝殿がある。森の中央の円形広場に建てられている。

各都市から伸びる広い道路は途中で互いに交叉しており、結局全てがこの拝殿とつながっていることになる。そうして、折ある毎に3つの都市の代表を始めとして、その統治下にある住民の代表が礼拝を捧げるために一堂に会する。その数は何万あるいは何十万を数え、見るからに壮観である。

三々五々、みな連れだって到着し、広場に集合する。そこは広大な芝生地である。そこで大群集が合流するわけであるが、5界にある全ての色彩が渾然一体となった時の美しさは、ちょっとした見ものである。

が、それ以上に素晴らしいのは多様性の中に見られる一体感である。それぞれの分野でもうすぐ次の界へ向上して行く者がいて、決して一様ではない。が、その大集団全体を通じて“愛の調べ”が脈うっている。

そしてそれが不変不朽であり、これよりのち各自がいかなる道を辿ろうと、この広き天界のいずこかにおいて相見(まみ)えることを可能にしてくれることを全員が自覚している。それ故だれ1人として、やがて訪れる別れを悲しむ者はいない。そのようなものは知らないのである。

愛あるところには地上でいう別れも、それに伴う悲しみもない。それは“人類の堕罪”さえなければ、地上においても言えるところである。人間がその資質を取り戻していくのは容易ではあるまい。が、不可能ではない。

なぜなら、今は目覚めぬままであるとは言え、よくよくの例外を除いては、その資質は厳然と人間に宿されているからである。さて吾々は旅の次の段階、すなわち例の女性の一団を第6界へと送り届け、そこの領主へ引き渡す用事へ進まねばならぬ。

いよいよ第6界へ来ると、首都から少し離れた手前で歓迎の一団の出迎えを受けた。あらかじめ第5界との境界の高地において到着の報を伝えておいたのである。歓迎の一団の中には女性たちの曽ての知友も混じっており、喜びと感謝のうちに旧交を温めるのであった。

女性たちのしばしの住処(すみか)となるべき市(まち)に到着すると、明るい衣装をまとった男女に僅かばかりの子供の混じった市民が近づいて来るのが見えた。あらかじめ指定しておいた道である。両側に樹木が生い茂り、ところどころで双方の枝が頭上で重なり合っている。

一行はそうした場所の1つで足を止め、吾々の到着を待った。あたりはあたかも大聖堂の如く、頭上高く木の葉が覆い、その隙間を通して差し込む光はあたかも宝石の如く、そして居合わせる者はあたかも聖歌隊の如くであり礼拝者の如くでもあった。

出迎えの人々は新参の女性たちのための花輪と衣装と宝石を手にしていた。それを着飾ってもらうと、それまでの“くすんだ”感じの衣装が第6界に相応(ふさわ)しい新らしい衣装に負けて立ちどころに消滅した。

それから和気あいあいのうちに全員が睦み合ったところで、出迎えの市民が市の方へ向きを変え、ある者は手にしていた楽器で行進曲を演奏し、ある者は歌を合唱しつつ行進しはじめた。沿道にも塔にも門前にも市民が群がって歓迎の挨拶を叫び、喜びを一層大きなものにしていった。

新参者はみなこうした体験を経て自分たちへ向けられる歓迎の意向を理解していくのである。そして界を2つ3つと経ていくうちに新らしい顔と景色の奇異な点が少しも恐れる必要がないこと – 全てが愛に満ちていることを悟るに至るのである。

さて、門を通過して市中へ入ると、まず聖殿へ向かった。見事な均整美をした卵形の大きな建物で、その形体は2つの球体が合体して出来たものを思わせる。1つは愛を、もう1つは知識を意味する。それが内部の塔を中央にして融合しており、その組み合わせが実に美事で巧みなのである。

照明は先日叙述した液晶柱のホールと同じく一時(とき)として同じ色彩を見せず、刻一刻と変化している。全体を支配しているのはたったの2色 – 濃いバラ色と緑と青の混じったスミレ色である。

やがて新参の女性たちが中へ案内された。中にはすでに大会衆が集まっている。彼女たちは中央の壇上に案内され、そこにしばらく立っていた。すると聖殿の専属の役人がリーダーの先導で神への奉納の言葉を捧げ、すぐそのあと会衆が唱和すると、場内に明るい光輝をした霧状の雲が発生し、それが彼女たちのまわりに集結して、この第6界の雰囲気の中に包み込んでしまった。

やがてそれが上昇し、天蓋の如く頭上に漂ったが、彼女たちは深く静かな恍惚状態のままじっと立ちつくし、その美しい雲がさらに上昇して他の会衆まで広がるのを見ていた。すると今度は音楽が聞こえてきた。

遥か遠くから聞こえてくるようであったが、その建物の中に間違いなかった。そのあまりの美しさ、柔らかさ、それでいて力強さにあふれた旋律に、吾々は神の御前にいるような崇高さを覚え、思わず頭を垂れて祈り、神の存在を身近に感じるのであった。

やがて旋律が終ったが、余韻はまだ残っていた。それはあたかも頭上に漂う光輝性の雲の一部になり切っているように感じられた。実は、貴殿には理解できない過程を経てそれは、真実、雲の一部となっていたのである。

そしてその輝く雲と愛の旋律とが一体となって吾々にゆっくりと降りてきて吾々の身体を包み込むと、聖なる愛の喜びに全会衆が一体となったのであった。私を除く全会衆にはそれ以上の顕現は見えなかった。

が、修行をより長く積んできた私には他の者に見えないものが見え、上層界からの参列者の存在にも気づいていた。また旋律の流れくるところも判っていた。祝福の時に授けられる霊力がいかなる種類のものであるかも判っていた。それでも他の全ての者はこの上なく満足し、ともに幸せを味わった。15人の女性たちはいうまでもなかった。

– その間あなたは何をなさっていたのでしょうか。そこではあなたが1ばん霊格が高かったのではありませんか。

ただお世話をするために同行したに過ぎない私自身について語るのは感心しない。この度の主役は15人の女性であった。私の界からは他に3名の者が同行し、それより上の界の者は1人もいなかった。吾々4人に全ての人が友交的で親切で優しくしてくれた。それが吾々にとって大いなる幸せであった。

いよいよ15人が落着くべき住処へ案内されることになった時、彼女たちは是非もう1度礼を述べたいといって戻ってきて、感謝の言葉を述べてくれた。吾々も言葉を返し、そのうち再び戻ってその後の進歩の様子を伺い、多分、助言を与えることになろうと約束した。彼女たちからの要請でそうなったのである。

そこに彼女たちの立派な叡智が窺えた。私もそうすることが彼女たちにとって大きな力となるものと確信する。こうした形での助言は普通はあまり見られない。そうたびたび要請されるものではないからである。

「真理は求める者には必ず与えられる」 – このイエスの言葉は地上と同じくこちらの世界にも当てはまることが、これで判るであろう。この言葉の意味を篤と考えるがよい。†

■アナログ絵356UP。クレスで定期的におこなわれる「フラー講習会」の1シーンです(祈)†■2023年8月24日UP■
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そしてももちゃんの成長ぶりを少し描きました。アナログ絵168の時と比べてだいぶオトナになっていますよね。使命感みたいなものも芽生えているようです。イエス様と出会ったばかりの時はシルキーと一緒になってただ単にはしゃいでいただけですが、その後イエス様にまつわる様々な事情をお勉強した事によって精神的に成長を遂げているという事を短いながら表現しています。で、この「イエス様とももちゃんのやりとり」の中にはひとつ間違いがあります。イエス様はももちゃんが質問する前からももちゃんの心の中が分かっていますから「ん?どうしたんだい?」と聞き返す事はないはずで、ももちゃんが質問を投げかける前にいきなり答えを話し出すはずです。…続きを読む→
■アナログ絵355「フラー25カラーリング」UP。長い長い地獄の旅でした(祈)†■2023年7月2日UP■
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フラーのカラーリングの時はいつも同じ事を書いているような気もしなくもないのですが、このフラー25も本当にキビシイ機体でした。塗っても塗っても全く終わりが見えてこない無間地獄。フラー11ver2.0の悪夢が(最後まで塗り切れなかった)何度となくよぎりながら、何とか心を奮い立たせてAffinityPhotoと格闘し続けました。AffinityPhotoの再勉強をした方がイイかも知れません。何かしらスピードアップのヒントが得られるかも知れませんので。マクロだけじゃ足りない、もっと技が欲しい。今回のフラー25は特にカラーコンセプトも考えていなかったのですが、こうして塗ってみると、特にちょうちょちゃんは「ゴスロリ」といった“たたずまい”でしょうか。フラーをデザインし始めた初期の頃は霊団が「フラーのキット化」とか言ってきたものでしたが、もうそんな事は夢幻(ゆめまぼろし)のお話となっていて、キット化どころか僕は今にも殺される寸前という状況なのだそうです。塗っている最中にも決定的な事を言ってきています…続きを読む→
■アナログ絵359「ベールの彼方の生活1巻」復刊書籍表紙UP。描き上げても復刊できない(祈)†■2024年1月27日UP■
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ご母堂の言葉で僕が特に気に入っているのは「悲劇をただの不幸と受け止める事がいかに狭い量見であるか」(29ページ)という部分で、僕は霊性発現とともに使命遂行人生に突入させられ、人生を完全に破壊されて最悪の状態に閉じ込められ続けている関係で霊団を心の底から激しく憎んでおり、本当の本気で反逆しまくっていますが、その破壊された人生も「その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になる」の言葉のように、最終的には全て佳きようにおさまるのでしょう。使命遂行を最後までやり切れば、の話ですが。あともうひとつ、ご母堂の言葉で僕の胸に突き刺さるものとして「確固たる来世観をもっておれば決断力を与え勇気ある態度に出る事を可能にします。」(72ページ)というものもあります。これはオーエン氏が教会長老から弾圧を受けて弱気になっていた事を受けて「勇気をもってこの使命に邁進(まいしん)しなさい」と、言わば母が息子の“おケツをひっぱたいた”という事だと思うのですが、イヤー僕もこういう母に恵まれたかったですね。っとと、僕には“真実の母”守護霊様がいましたね。僕の性格は守護霊様のデザインであり、現在このような使命遂行人生が送れるのも(苦しい事イヤな事ばかりで全然うれしくも何ともありませんが)守護霊様が“導きのプロ”だったおかげです…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†