パブリックドメインという項目があって、おーふぁん的なモノだけでなくAmazonにも高い壁がある事が分かりました。復刊書籍販売開始状態にもっていくまでにさらにさらにシチメンドクサイ行程を経なければなりません。正直心が挫けています。やっぱりもう復刊じゃなくって自分で本書こうかな、という気にさせられます。イヤ、出したきゃ出せばいいけどそんなんじゃ脱出できないよ。

「インペレーターの霊訓」表紙データ完成中、あとは最終校正をおこなってAmazonにUPし、おーふぁん的なモノを進める事になりますが、もう本当にどうしようかな。これほど猛烈なストレスに晒されなきゃ脱出ひとつできないというのか。なぜ霊団は自動書記を降らせようとしないのか。書籍化する準備が完全に整っているというのに。

まずはあと2枚、絵を完成させてシルバーバーチの霊訓のテキスト見直しに入りますが、心は完全に挫けています。メンドクサすぎる。自分の書籍の原稿撃ちもやった方がイイな万が一に備えて。

あと以前から考えていたモノで「ブログ書籍化」というアイデアがあり、これはテキストが完全に揃ってますのですぐにでも実行できるのですが、作ってみたところでまるっきり脱出につながらない事は明白で、ガンバリ損になる可能性100%ですので実行まではしませんが、最悪やっちゃうかも知れません。もう本当にどうしよう(祈)†

「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→
「何とでも作って頂いて結構です」絶版した霊関連書籍の復刊を許可する思念ですが…(祈)†■2022年8月3日UP■
「何とでも作って頂いて結構です」絶版した霊関連書籍の復刊を許可する思念ですが…(祈)†
霊団は僕が殺されないように防御しているようだが、それはつまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事に全然本気ではないという事になる。奴隷の女の子の存在を「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁と同じ「視点外し」という手段を駆使してまで忘れさせようとしている、つまり女の子たちを完全に見殺しにするつもりでいる。支配霊バーバネル氏は僕という霊媒を使うつもりでいるようだが、僕はもう全く信用しておらず「絶版した霊関連書籍の復刊」の作業に本腰を入れる事となった。復刊が霊的知識普及のベストルートだと信じる。…続きを読む→
「言う事聞かないと危ないよ」霊団は僕を危機から保護しているという事なのですが(祈)†■2022年10月26日UP■
「言う事聞かないと危ないよ」霊団は僕を危機から保護しているという事なのですが(祈)†
守護霊様の導きがウマすぎて霊界側の予定に全く入っていなかった少年が霊性発現に到達してしまった。予定外の霊の道具が物質界に出現して霊界側はアラアラ、どぉしましょう、この道具に何の仕事をさせましょう、となって霊界側で緊急会議まで行われた(僕は幽体離脱にてその会議に出席しています、もっともその内容は全く反芻できませんでしたが)そして「イエス様ハンドリング」と題した霊的使命遂行が開始され「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、奴隷の女の子たちの悲劇の惨状について霊団が果てしなく教えてきて僕は現在の理解に到達する事になる。SNS等で徹底的にヒドイ目に遭わされながらも僕は情報拡散を続け、現時点では「天皇一族が強姦殺人魔」という認識はゴマかし切れないレベルまで日本全土に浸透するに至っている…続きを読む→

復刊用「ベールの彼方の生活」書籍の中に使用されている画像も万が一の肖像権対策という事で絵として描き起こす事とし、その3枚中まず1枚目「オーエン氏」(左)を線画として描きました(右)

あと2枚を大急ぎで描き、それが終わったら再スキャンでバタバタした「シルバーバーチの霊訓 全12巻」のテキスト見直しに入ります。1巻と2巻はWordPressに全文UPしてありますが、とにかく全巻復刊可能状態にもっていくのです。そのためにわざわざ再スキャンまでしたのですから。

本当に復刊に向けた事務作業が不愉快でイヤでイヤでどうしようもありませんが、とにかくやるしかない、その前準備としてAmazonで販売開始状態にまでもっていき、そこからようやく事務作業開始となりますので(作業者は僕ひとりしかいませんので同時進行はできないのです)まずはペーパーバック、電子書籍データを完成にもっていきます。

ペーパーバック用の表紙の作成をおこなっています。これまでテスト印刷に使用していた印刷会社提供のテンプレと、Amazonのテンプレがだいぶ違う。あーもうメンドクサイ、しかし慣れるしかない。

霊団に心底疑問を投げかけたいのは、そこまでして僕をあの最悪のところに閉じ込めた、その先に一体何の使命遂行の前進があるのか、という事です。全く前進要素などないところに閉じ込めようとしてくる、つまり僕を「何もできない人間」にしようとしているという事か。それを僕が文句ひとつ言わず受け入れる訳ネィだろ。僕は「1歩も退く気はない」だ。最後の1秒まで死力を尽くすに決まってるだろ。

僕があきらめながら下を向いてボヤボヤ生きるなどという選択肢に進む訳ネィだろ常識で考えてくれよ。昨日チョト書きました「姑息な手段」ですが、それをやるためにもまず復刊を実現させる必要があるのです。今の状態ではそれができないのです。復刊させて多少結果が出たら、そこからようやく姑息な事ができるようになりますので、一応それを目指していくつもりですが霊団に阻まれる可能性が濃厚です。

その姑息な手段のいちばんイイところは「フラーに戻れる」という事です。僕的にイイだけであって霊団的にはよくも何ともないという事になりますのでたぶんできなくさせられると予測しますが、じゃあどうしろって言うんだよ、どう生きろって言うんだよ。やるしかないんだよ。表紙データを完成させましょう(祈)†

「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†■2023年2月15日UP■
「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†
僕もこれまで果てしなく霊的知識をお勉強し続けてきて、霊言を降らせる事の重大性は十分すぎるほど理解していますから、シルバーバーチ霊の言葉に反対を表明するほど愚かではありませんが、霊界にはウソというモノが存在しません、僕の心の中など霊団およびシルバーバーチ霊には全て丸見え筒抜けですからあえて正直に書かせて頂きますが、ハッキシ言ってもうウンザリなんですよ。霊性発現(2012年6月)から一体どれだけの月日が流れていますか。この10年以上、霊団はひたすら口だけをピーチクパーチク動かし続けてきましたが物的状況には一切変化はありません、さも今動く、今変わる的な事を延々言われてその通りにしてきてハッとうしろを振り返ってみたら最低最悪の場所にただ閉じ込められ続けただけだった。僕が霊団に対して抱いている怒り憎しみの念はもはやただ事ではないレベルになっているのです、長年の蓄積があるからです…続きを読む→
「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†■2023年2月22日UP■
「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†
「サークルメンバー問題」についてお話しますが、交霊会は霊媒ひとりではおこなえません。上記に説明したように低級霊のジャマが入りますのでそのジャマを排除せねばなりません。そこで必要になるのが「サークルメンバーつまり霊的仕事をおこなうためのある一定レベルの資格を有した数名の人間から抽出したエクトプラズム」なのです。サークルメンバーからエクトプラズムを抽出し、そこに霊界から持参した成分をミックスさせて、低級霊を締め出す「防御壁」のようなモノを拵えるのだそうです。その防御壁がなければ霊媒は低級霊のオモチャにされてしまうのですが、霊団が言うには僕という霊媒の交霊会ではその防御壁がしっかりしているので「邪悪が入る余地はない」のだそうです…続きを読む→

1917年11月27日 火曜日

話題はこちらで用意してあり、いつでも述べられる態勢にあります。再び貴殿の精神をお貸し頂きたい(※)。こちらで進行中の仕事を吾々が監督する要領を知って頂くためについ最近吾々の界で起きた出来事をぜひ貴殿に語って聞かせたいと思うのです

(※前にも延べた事ではあるが、霊界の者から見ると人間の精神は人間自身が想像している様な無形の観念ではなく具体的な実質があり触れると実感がある。 – 訳者)

それは他でもない、寺院風の建物の建造です。その建造の目的は強いて言えば天界のエネルギーが地上へ届き易いようにそこで調整するためである。今ゆっくりと最後の仕上げをしており完成も間近い。これよりまずその建物に使用する資材を説明し、続いてその用途を述べるとしよう。

資材には様々な色彩と密度とがある。さりとて地上のごとくレンガや石等を積み重ねるのではない。全体として1つなのである。吾々は設計図が出来上がった所で、こぞって予定された敷地へ向かった。その敷地は第5界の低地と高地の中間に位置する台地にある。

なお吾々の通信における界層の数え方はザブディエル殿に倣(なら)っている事を承知されたい。数え方は霊団によって様々ですが、貴殿にとっては既に親しんでいるものが良かろうという事でそうする事にしました。また、それが他の数え方と較べてなかなかうまく出来ています。

他のものはあまりに複雑すぎたり、反対にあまりに大ざっぱすぎたりします。その点ザブディエル殿の数え方は言わば中庸を得ているので、ここではそれに倣(なら)う事にします。

さて敷地に到着すると吾々は、まず全員の創造エネルギーを一丸とするための精神統一を行なったのち、そのエネルギーを基礎工事へ向けた。すると、そのエネルギーが敷地からゆっくりと湧き出てきて、そのまま高く伸びて頂上にドーム形の屋根をこしらえた。

そこへ大天使が姿を現し、吾々のエネルギーを1つにまとめて一旦ご自分の霊力の中に収められ、それを少しずつ放射しつつ、穏かに吾々の仕事に細かい手を加えられた。その間、吾々は念波の放射を手控えて見守っていた。

何ゆえ大天使までお出ましになるのか – 貴殿にはそれが不思議に思われるであろう。理由(わけ)を述べよう。1つの霊団として我々もそれ相当の修養を積み、協調的仕事にも長い間携わってきた。

しかし脆弱(ぜいじゃく)な第1段階の基礎工事の仕上げに当っては、吾々よりはるかに強烈な霊力をお持ちの大天使によって、吾々の放射したエネルギーを調節して頂く必要がある。それを怠ると形体にキズが残ったり、思わぬ不備から構造が崩れせっかくの努力が烏有(うゆう)に帰する事も有り得る。

その他にも理由はあるが、それは吾々の言語を理解してもらえない以上は説明困難です。もっとも、次のように考えて頂けば、手段はともかくとして理由だけはたぶん分って頂けるであろう。

つまり原理的に言えば誕生時の“へその緒”の切断、死亡時の“たまの緒”の切断、もしくは堰(せき)の水門の急激な閉鎖、大体そういったものに類似したものを想像していただけばよい。そうすれば地上の言語で表現できないものを、おぼろげにでも理解して頂けるでしょう。

こうして第1期工事はまず外形の完成に集中する。あくまでも外形であって、そのまま手を引けば見る間に消滅してしまう。一服したのち吾々は引き続き第2期の基礎工事に着手した。第2期は柱、門、大小の塔を強固にする事である。

最下部から始めて徐々に上方へ向けて手を加えて行き、最後にドームにまで達する。これを幾回となく繰り返した。まだ外形のみでである。が、外形としては一応完成した。残るは色彩を鮮明にする事と、細かい装飾、そしてそれが終ると最後に全体を引き締めて、幾世紀にも亘る持続性を与える事である。

吾々はしばし工事に携わっては休み、その間にエネルギーを補充し、再び工事に着手するといった過程を幾度となく繰り返し、その寺院風の建物に全身全霊を打ち込んだ。美の創造に携わる事ほど楽しく且つ有難いものはない。

吾々の建造せるその建物は大きさといい、デザインといい並外れて雄大なものであり、同時に又、その雄姿が自分達の力で着々と美しさを増していったのであるから尚の事であった。

こちらの世界における建築が全てこれと同じ方法で行なわれるとは限らない。が、いかなる方法にせよ、出来上がったものは建築家による建造物というよりは“我が子”のような存在となる。全てが建造者のエネルギーと創造力によって造られたものだからです。

そうして出来上がった建物が、のちにその建物において仕事をする者の理想に叶(かな)っている事も論を俟(ま)たない。何となれば、その建物には既に生命がこもっている。意識的生命ではないが一種の“感性”を宿しているからです。

こう言えばよかろうか。つまりこちらの世界の建物とその創造者との関係は、言うなれば肉体とそれに宿る霊との関係のようなものである。肉体と霊とは覚醒(かくせい)時は言うに及ばず、睡眠中でも常に連絡を保持している。

それと同じく、吾々建造者はたとえ完成後に各地へ分散しても、常にその建物を“意念の焦点”として互いに連絡を取り合っているのです。その生き生きとした実感と満足感は実際にこちらへ来て創造の仕事に携わってみなければ判らないであろう。もっとも、こちらへ来た者の全てが創造の仕事に携わるとは限らないが…。

さて建物としての一応の形が整い、さらにそれを強固にし終ると、あとに残された仕事は内部装飾の仕上げである。すなわち各室、ホール、聖堂等々にそれなりの装飾を施し、柱廊は柱廊らしく仕上げ、噴水には実際に水を通してその流れ具合を確かめる。

それをするのに吾々はまず外部に立って念波を送り、それから内部に入って仕上がり具合を点検する。手先はあまり使用しない。主役をつとめるのは頭と心である。

そこまで終了すると、以後は吾々が実際にその建物で生活して、地上の言い方をすれば毎日のように部屋から部屋へ、ホールからホールへと足を運び、設計図に照らして少しずつ手直しをする。そして最後に全体を美しく飾って終りとする。

こうして吾々による仕事が完了した暁に、恐れ多くも大天使が再度はるか高遠の世界から降りてこられ、細かく点検して回られた。そしてもし不備の点があれば大天使みずから手を加えられた。が、時として吾々の勉強の為を思われて吾々に直々にお言いつけになる事もある。

かくして落成の日が訪れると、その大天使がもう1人の大天使を伴って再びお出でになられた。霊格がさらに上の方である。その権威はイスラエルで言えばアロン(※)とその弟子達のそれにも相当しよう。

ギリシャなら神官、キリスト教ならば主席司祭にも相当しよう。その時の目的は建物の“聖化”とでも呼ぶべきものである。(※ユダヤの最初の大祭司。モーセの兄 – 訳者)

– 献堂式(※)でしょうか。(※新築の教会堂を神に奉納する儀式 – 訳者)

それで良かろう。地球を含む低級界とを結ぶ保護のための拠点となり、同時に又、それ以後そこに住む人々が神の恩寵と霊力に与る中継の場となるのである。地上の寺院は天界の寺院のお粗末な模倣にすぎない。が、その目的と機能は本質的には同一である。

イスラエルにおいては雲が地上界とエホバ神との中継をすると考えられた。古代エジプトにも同じ考えがあった。ギリシャの都市国家においては寺院の霊的活力が衰えていたが、まだ少しは残っていた。イスラエルにおいては天界からの援助と高揚という特殊な側面には全く関心を示さないようである。

私はイスラムの霊界を訪ねてみた事があるが、そこには顕幽(けんゆう)の交わりが根本的に違った形で行われている事を知った。キリスト教の(霊界の)教会堂にも同じくその観念はあるが、程度の差が著しい。

キリストを祀(まつ)る幾つかの教会堂においてはキリストとその側近の大天使の顕現がもう少しで見られる段階に至っている。実際に見られるようになるのも遠い先の話ではなさそうに私には思える。

そういう次第で、地上の寺院も基本理念においては同じものをもっており、遠い過去が引き継がれているのであるが、それがこちらの世界では目に見えて霊験あらたかとなり、見た目に美しくもあり、天界の高地へ向けて1界また1界と上昇していく者への祝福に満ち満ちているのである。

– 今回お建てになった寺院には特別な使用目的があるのでしょうか。

あれは第5界の各地、時にはそれより下の界から訪れる者が身を浸(ひた)すエネルギーの貯蔵所としての機能を開始しかけている所です。訪れた者は色彩の持つ霊妙な波動に浸り、堂内を流れる生命を秘めた小川と噴水に身を洗われ、すみずみまで漲(みなぎ)る霊妙な旋律に包まれて、欠乏した生命力を補い、鈍化した知力を啓発される。

そこに注目されたい。単なる保養所ではありません。もっと“質の高い”機能を有している。それから先の魂の向上の旅に備えて体力をつけ、入手する知識を即座に、そして効率よく理解する知性を身につける場でもある事は確かであるが、同時に、その聖堂を焦点として愛と生命力を注ぎ、彼ら巡礼者の向上を待ち受ける高級神霊との霊的交わりを得る所でもあるのです。

– 向上する者は必ずそこを通過しなければならないのでしょうか。

そうと決まっている訳ではありませんが、第5界の者は大半がそこを通過します。この界は永く滞在する者がわりに、いや随分多い所です。各自の特性を点検し調整して円満さを身につけなければならない大切な界だからです。(第2巻8章参照)

その意味では卒業しにくい界であり、滞在が永びいている者が多く見出される理由はそこにある。聖堂の建立もそのためであった。その必要性が生じたのである。出来あがってまだ日も浅く、これからいろいろと機能を発揮していくことであろう。また経験を積むにつれて細かい手直しも施される事であろう。

が、その聖堂まで来て中を覗いてみて学ぶべきものが特に見当たらず、自己の中に改めるべきものも見当たらないほどの“ゆとり”をもってこの界を卒業していく者もいる。そうした優等生的霊魂はさっさと上の界へと進み、その道すがら祝福を垂れ、通過する道が一段と輝きを増すほどである。

近くの者はそれを有難がり、その姿を見て勇気を鼓舞される。地上ではこうした事は見かけぬであろう。が第5界まで向上した者は品性卑しからず、己より美しく且つ高き霊力を具えた者を見る事が己れ自身の美徳を高め、かくして“全て神の子”の真実味をいやが上にも確認する事になるのである。

「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†■2022年9月28日UP■
「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†
奴隷の女の子たちを助けてあげてしまったら、その人間の「罪障消滅」を遅らせる事になり、永遠の視点で考えた時、必ずしもその人間を助けてあげる事にはならないのだ。これは霊的知識としては理解しても、どうにもこうにも釈然としません。奴隷の女の子の存在を知らされずにいたのであれば「知らなかったのだから助けてあげられるはずもなかった」と言い訳もできますが、僕は霊団に奴隷の女の子の存在を徹底的に教えられてここまで使命遂行してきたのです。知らずに犯す罪より知っていて犯す罪の方が何倍も重い、と霊的知識にあります。奴隷の女の子たちが今こうしている間も「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に四肢切断、強姦殺人され続けている事を知っていながら、助けようともせずその悪行を黙って見ているという霊団の考えには、何をどう頭をひっくり返しても賛同する訳にはいきません…続きを読む→
■アナログ絵345「フラー01ver3.0カラーリング」UP。イエス様搭乗機です(祈)†■2022年10月12日UP■
■アナログ絵345「フラー01ver3.0カラーリング」UP。イエス様搭乗機です(祈)†
Dreamwork、画家時代を彷彿とさせる壮絶な描画負荷を経てようやくフラー01ver3.0、イエス様搭乗機を完成までもってくる事ができました。この機体は本当に長い道のりでした。イエス様搭乗機のひとつ前の機体、フラー01ver2.0がだいぶ古い機体でしたのでどうしてもバージョンアップの必要性がありました。キャラのレオ(ライオンちゃん)の変形ギミックをどうしても完成させられなくて何度もボツを繰り返しては立ち上がり、フラー本体のカラーリングではパーツひとつひとつに個別にグラデーションをかけねばなりませんでしたので大変な時間がかかってしまいました。何度も心が折れながらの作業となりました。やっとの思いで塗り終えてみて、全体を眺めてみて、まぁまぁ納得のいく機体に仕上がったのではないでしょうか。色を塗るのはもうご勘弁といった感じですがストーリーは白黒原稿ですので、ぜひストーリー上にはこの機体を登場させたいものです…続きを読む→
「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†■2022年10月12日UP■
「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†
霊格がある一定以上まで高まると物質圏付近に降下する事さえできなくなるそうで、影響力を行使しようにもできなくなる、それで霊力に感応する僕のような人間に対して働きかけて間接的に仕事を前進させようとする訳です。霊界高級霊の方々は自分で最低界に降下して仕事をする事は基本的にできない(ごくまれに使命に燃えて肉体をまとって降下する神霊も存在するそうです、イエス様がその代表ですね)ですので霊力に感応する物質界の人間に仕事をやってもらう事になる訳ですが、僕の霊団に対する反逆ぶりを見ればお分かりのように、ああでもないこうでもないと文句ばかり言って高級霊の言う通りには動いてくれないものです。それで霊界側で作成した使命遂行ブループリントの全てを達成できず霊媒は帰幽し、残りの仕事は次の霊媒を見出してその人物にやらせるという事になるのですが、その霊媒が物質界に全くいないのです…続きを読む→