スクワットが効果絶大のようで足回りの問題がかなり改善されています。以前のように足に何の不安を感じる事もなく山で登攀してゴールする事ができています。この当たり前の事がすごくうれしい。スクワットはずっと続けていかねばなりません。

で、明日の長文ブログが(毎週同じ事を書いてるので僕もいい加減イヤなのですが)またしてもピンチで、このまま霊団がダンマリを決め込むなら反逆について僕の所感を書く事になると思います。どうやら僕は本格的に霊団に処罰を受けるようですので、受けるべきはキッチリ受けさせて頂きますが猛烈に釈然としないものがありますのでその部分のテキストを撃つつもりです。

何なんだろうなぁ。宇宙最大級に納得できないものがある。言いたい事がスゴクいっぱいありますが明日に取っておきましょう。今日の撮影画像の加工をもう少しやってからダメージの回復に入ります(祈)†

まずペーパーバックの最終校正がほぼ終わっています。その完成版テキストを使用して電子書籍データも作成し、AmazonにUP、それからいよいよ事務作業に入りますが、このおーふぁん的な作業は本当に誰かにやって欲しい。

通常は個人ではやらずに弁護士等を介しておこなうのだそうで、僕もお金があればとっくにそうしているのですがそんな費用はありません。殺人的にメンドクサイ。ホントヤダ肌に合わない。

「シルバーバーチの霊訓3巻」テキスト見直し60%完成中。シルバーバーチ全12巻のテキストを完成版の状態にしていつでも復刊できるようにスタンバらないといけません。口で言うのと実際の作業は雲泥の差があります。全テキストを完成させるのは地獄の作業となります。

で、もう明日の山のアタック準備ですので今日の作業はココまでですが、同僚女性と山の話になって、その女性がある山域に赴いた時にシカちゃんの方から近付いてきたというのです。これは餌付けしている人間がいる可能性があり、それは正直宜しくない事なのですが、何ならその山域に赴いてシカちゃんを至近距離で撮影してやろうかと思ったりもしました。ちなみにAmazonにはシカせんべいは売ってないですね。奈良公園に行かないと買えないようです。

スクワット、ニートゥエルボー、デッドリフトの3つを毎日おこなう事で足回りの問題はだいぶ解決されてきています。この筋トレは物質界に残されている限りは日課にすべきでしょう。帰還後の長文ブログネタとなるインスピレーションはまたしても枯渇中。というよりムカついて無視してクロッキーにメモしなかったので枯渇中なのです。まぁギリ撃てますのでまずは明日の山に集中中(祈)†

「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†■2023年4月26日UP■
「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†
僕を苦しめる事そのものが当初からの目的だったのではないか。僕に物質界の邪悪の情報拡散をさせる事によって、邪悪の滅亡時期を若干早める事はできるだろうが、僕一代で目的達成させようとは考えていない。で、霊界側としては僕の物質界生活中にできる限りの仕事をさせつつ、僕の霊格も可能な限り高めさせておいて、帰幽後も僕を仕事(物質界浄化活動)に活用し続けるつもり。そういう長いスパンで僕という霊の道具を使い倒すというのが当初からの(もっと言えばイエス様の)計画で、それで助けられないのに奴隷の女の子の事を延々と僕に教えてきて苦しみを倍加させる事で(苦難を与えるという意味)僕の霊格を高めさせたという事なのではないか)…続きを読む→
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→

1917年11月29日 木曜日

約束通り例の建物についての問題点を説明しましょう。実は問題というほどのものは何もないのです。憶えておられるでしょうが、あの建物は第5界及びそれより下の界の住民を対象としていると述べました。その中には当然地球も含まれます。地球は外観こそ違え、本質的には貴殿らが霊界と呼んでいる世界と少しも変わらない。

その建物から出た影響力は中間層を通過して、最後は地上界にも至ります。表現が明確さを欠いていたようです。別に吾々が先を急いだからではありません。貴殿の限界のせいです。すなわち精神的“ゆとり”と受容力とを欠いておられた。

この2つは密接に関連しております。静けさと安らかさの“ゆとり”をもたぬ者は、環境条件の異なる界層からやって来た吾々の思念及び出発の際に携えて地上界との境界のぎりぎりの所まで運んできている穏かな霊力には感応しません。

その霊力は地上界に至るまでにある程度は散逸しますが、全部を失う訳ではない。ぶじ持ち来ったものを、それに反応を示す者とそれを必要としている者に分け与えんとします。が、吾々とてそのうち善意とエネルギーが枯渇(こかつ)する。そこで補給のために澄みきった天界へと舞い戻る。そこが全ての霊力と安らぎの源泉だからです。

ここで例の聖堂が関わってきます。それが用途の1つなのです。すなわち高き天界から送られてきた霊力と数々の恵みを蓄えておき、必要に応じて地球を含む下層界のために使用するという訳です。仕事が進展していけばまた新たな用途も見出され、今行なわれている仕事と組み合わされていく事になります。

さて、貴殿は今夜はこの仕事にかかるまでに何かと用事が続き、またこの後も貴殿を待っておられる人々がいるようなので、あまり長く引き留める事ができない。そこで今夜は早く切り上げようと思うので、通信はあと少しだけ – それも貴殿がまだ明確に理解していない点を指摘するだけに止めておきましょう。

吾々がこうして地上界へ下りてきても、吾々の到来を心待ちにし通信を期待している人でさえ必ずしもすんなりと交信状態に入れない事があります。貴殿でもそういう場合があります。例えば吾々が身近にいる事をどうにか気づいてくれた事が吾々には判る。

ところが交信が終ると貴殿の心に疑念が生じ、単なる自分の想念に過ぎなかったように結論し、霊的なものであったと思ってくれない。このように吾々の側から送信しにくく貴殿の側がそれを受信しにくくさせる原因は、主として“信ずる勇気”の欠如にある。

貴殿は自分ではその勇気なら人後に落ちないつもりでおられる。吾々もそれを全く認めぬ訳でもありませんが、こと霊的交信の問題となると、真理探究の仕事における過ちを恐れすぎる傾向がしばしば見受けられます。次のように言い切っても決して言い過ぎではないでしょう。

つまり貴殿が何か身近に存在を感じた時は必ず何かがそこに存在する。それは貴殿にとって望ましいもの、あるいは見分けのつくものであるかも知れないし、そうでないかも知れない。

が、何であれそこに何かの原因があっての事であるから、冷静に通信を受け続ければ次第にその本性がはっきりしてきましょう。貴殿は最初それを知人の誰それであると判断する。が実際はそうではなくて全く別人であったとする。が、それは落ち着いて通信を受けていくうちに必ず判ってくるはずのものです。

ですから、誰かの存在を感じたら、余計な憶測を排除し、同時に判断の誤りについての恐怖心を拭い去って頂きたい。そして送られて来るものを素直に受けるだけ受けた上で、その通信内容から判断を下しても決して遅くはありません。

この度はこれで終わりにしておきましょう。貴殿は他の用事で行かねばなりますまい。その仕事に限らず、日々の全てのお仕事に神の御力のあらん事を。

「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†■2022年6月22日UP■
「牛ちゃんイイわぁぁぁ♪」牛ちゃんと思いっきり遭遇♪よかったわぁぁぁ♪(祈)†
撮影中ずっと話しかけていたので結構疲れましたが、長い撮影を終えて「ゴールタイムが遅れるからもう帰るわよ♪牛ちゃんまた来るわよ♪」と言ってデジ一眼をザックにしまっていると、牛ちゃんが僕の動きに合わせて大移動を開始。僕が帰る方向にずっとついてくるのでした。そして柵の一番端まで来てそこでたくさんの牛ちゃんが群れながら僕を見送ってくれたのでした。僕は少し感動しつつ牛ちゃんに声をかけながら手を振ってお別れし、ゴールの駐車場に急いだのでした。僕は物質界では徹底的にヒドイ目に遭わされながら生活しています。霊団に完全に人生を破壊され心の中は怒りでイッパイの状態で使命遂行していますが、今回のアタックでは牛ちゃんたちのおかげで少し心が安らいだのでした。牛ちゃんは霊界の人間(霊団)と違って優しかったです…続きを読む→
「イエスからの贈り物」これは帰幽後のお話で物質界人生は最悪という意味なのです(祈)†■2022年7月6日UP■
「イエスからの贈り物」これは帰幽後のお話で物質界人生は最悪という意味なのです(祈)†
これはまるでイエス様からの、アキトくん、ここまでよくやった、おつかれさま、という終了宣言のように聞こえます。そんな事でいいんですか、あなたたちのやる気はそんなもんですか、しょせんあなたたちは霊界上層界の人間であり、最低界である物質界がどうなろうと知った事ではないという事ですか。物質界と霊界上層界はつながっていて、物質界の無知が霊界に反映されるようになってしまって「このままでは大変な事になる、何としても大胆な手段を講じて物質界に霊的知識を普及しなければ」という事になってスピリチュアリズムを勃興させたのではないのですか…続きを読む→
「霊体で会議に参加し続けてるんですよ」物的脳髄でその様子を全く反芻できません(祈)†■2023年1月25日UP■
「霊体で会議に参加し続けてるんですよ」物的脳髄でその様子を全く反芻できません(祈)†
どの人間も例外なく物質界に降下するにあたり、指導霊と相談したうえで「こういう試練を体験すればこれだけ向上を果たせる」と考え、自分でその人生を選択して降下してくるのだそうで、つまり奴隷の女の子たちも「殺される人生をあえて選択して降下してきた人間たち」という事になるのですが、僕はそう言われて奴隷の女の子たちを見殺しにする気にはどうしてもなれません。これは僕の個人的意見ですが、物質界に降下するにあたり、基本的には「こういう人生を送る事になる」という概要は決まっているのでしょうが、中には例外もあるのではないかと思っているのです。僕の「霊性発現」はその例外に当たるのではないかと思っているからです…続きを読む→

猛烈な絶望感が襲ってくる中、復刊のための作業を続行させていますが、77冊全ての復刊はもう絶対ムリという事がよく分かりました。が、少なくとも45冊は復刊させられないかという事で何とか絶望感を克服しようとしているところです。

先ほど霊団がハッキリキッパリ僕を閉じ込め続けるつもりという趣旨の事を言ってきました。僕は完全に無視してクロッキーにメモしませんでしたが、これほどまで本人の意思を無視するのはやはりおかしいのではないか。これは違反行為なのではないか。霊団の導きの方向性に対して根本的疑問を抱くようにさえなっています。

イヤ、どう考えてもおかしい。ここまで何が何でも本人の意思を無視してイヤがっている事を強制しようとしてくるのは究極に理性が反駁する。これは降ってくるインスピレーションを霊的知識に照らし合わせて厳格に取捨選択した方がよさそうです。って、今までももちろんそれをやってきたつもりで、どう考えてもおかしいものは完全に無視してブログにも書いていませんが、さらに無視の幅を拡大させた方がイイかも知れません。

とにかく脱出だけは死んでも完成させます、その上で使命遂行を前進させるための作業を続行します。そこまでして閉じ込めたその先に一体何があるというのか。絶対におかしい。死んでも受け入れる訳にはいかない、僕のこの反逆は正当だ。帰幽後の僕を罰するなら勝手にしろ、僕は正しい事をやっている、おかしいのはそっちの方だ(祈)†

「続けられなくさせられる」霊的使命遂行を続けられなくさせられるという意味です(祈)†■2022年11月16日UP■
「続けられなくさせられる」霊的使命遂行を続けられなくさせられるという意味です(祈)†
人の夢を破壊して、全然違う人生をやらせて、あげくの果てに何の結果にも到達せず元に戻れだと?だったら時間を返せ。お前らのちょっかいのせいで描けるはずだったのに描けなくさせられた作品の責任を取れ。何より奴隷の女の子を見殺しにする事を決定した、それを納得させる説明をしてみろ、できるものならやってみろ。おかしい、コイツら(霊団)完全におかしい。しかし霊団がこれほどおかしい事を言ってくるその理由は、それくらい僕に危機が迫っているという事の裏返しでもあるのです。普通なら自分を守ってくれているのですから感謝すべきなのでしょうが、僕は「帰幽カモン」です。この狂った腐った物質界に1秒たりとも残っていたくない男です。僕の生き死にはどうでもいいから仕事を達成させろよ!…続きを読む→
■2021年1月1日UP■
「いきなり28」僕がアナログ絵28のシチュに突入すると霊団は仰ってます、つまり暗殺ですね(祈)†
キリスト教ではイエス様が磔刑にされたのはなぜだと説いていますか。人類の罪を肩代わりしたとか何とか言ってましたよね確か(今霊団がピィィィンと波長を降らせてきました、強調の意味があるのでしょう)僕は全く詳しくありませんし1ミリたりとも興味がありませんし聖書など死んでも読んでたまるかと思っていますので正確には分からないのですが、要するにキリスト教がイエス様に関して語っている内容は「後説で自分たちの都合のいいようにでっち上げたもの」であるという事、ウソだという事です。イエス様が磔刑にされた理由は「当時の律法学者どもの嫉妬」です。イエス様は物質界に降下した目的、霊的使命遂行をやり切る覚悟だったのですが、イエス様の霊能のすさまじさを見せつけられた律法学者どもが「このままでは自分たちの立場が危うくなる」とイエス様に嫉妬して殺したのです、それが真実です。そしてイエス様の死後から本当の悲劇が始まってしまったのでした…続きを読む→
■2021年9月15日UP■
「いよいよ存在価値がなくなっていく」お分かりですね、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事ですよ(祈)†
日航ジャンボ機を墜落させて自分たちの邪悪の正体を公言しようとした人間を一気に殺したのも、その他いくらでもある事と思いますが、それらの行動には全て「動機」があるという事になります。その動機こそ霊団が言ってきた「人生イコールS〇X」この言葉ひとつに集約されるのです。コイツらの人生の目的、行動の動機は「S〇X1本」です。幼い奴隷の女の子を「処刑遊び」で四肢切断、強姦殺人し続けるために全てのウソをついているのです。抵抗する術を知らない盗んできた(パレットから買ってきた)女の子たちをレイプし続けるために生まれてから死ぬまで自分の人生の全てをウソで塗り固めるのです。コイツらは何もかも全てがウソなのです。そこまでしてウソをつき続ける理由が「S〇Xを守るため」という事なのです…続きを読む→

「死後の世界」にて全ての書籍の入手およびスキャンが完了したとか言ってましたが、案の定追加で書籍を入手するハメになっています。しかしわずかな復刊の可能性にかけるという意味での入手となります。3冊全て揃うのはGW明けかも知れません。まずはココまで(祈)†

まずシルバーバーチ霊の交霊会の司会を長らく務めていた英国ジャーナリズム界のご意見番「ハンネン・スワッハー氏」(左)の画像を元に絵を描きました(右)こういう雰囲気のキャラはほとんど描いた事がなかったのでかなり苦戦しましたが。

そしてシャーロック・ホームズの原作者として世界的に有名ですが、実は「スピリチュアリズムのパウロ」の異名をとるほど霊的知識普及に尽力した「アーサー・コナン・ドイル氏」(左)も、苦戦しつつ何とか絵として描き起こしてみました(右)

で、とりあえずこれで一旦絵を止めて復刊の作業に戻ります。が、とにかく恐ろしくハードルが高くて心が挫けまくっています。しかし「やればできる」とずっと自分に言い聞かせて強引に心を奮い立たせています。これをやらなければいつまでたっても霊団の思うツボ、イヤでイヤでどうしようもないところに延々閉じ込められる事が決定してしまうため、何が何でもやらねばならないのです。

「インペレーターの霊訓」の最終校正に戻ります。どれだけ努力しても全く脱出の糸口さえつかめない、信じられない、こんな人生は有り得ない。とにかく脱出に最大集中し、達成してから次の事を考える、脱出せずに次のアクションを考えるという事はない。まず脱出が最優先。

とにかく絶望感がスゴイ。まさか本当に霊団は僕の事を一生閉じ込めるつもりじゃないだろうな。そんな事をやってみろ、あんたたちは僕に「進歩に重大な障害をもたらす」というブログを書かせたけど、他でもないあんたたちが僕にとって進歩の障害という事になるんだぞ。
「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†■2024年4月17日UP■
「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†
訳者、近藤千雄先生が著書の中で何度も書いておられる事ですが、そもそも「守護霊」という言葉が間違いなのだそうです。この言葉はさも「人間を守ってくれる」かのような印象を与える言葉ですが、実際の守護霊の役割は全く逆で、守護を任された人間の罪障消滅をキッチリ完了させるために試練に立ち向かわせるのが仕事であり、守るどころか苦しめるのが仕事と言ってもいいくらいなのです。そういう意味では「守護霊」という名称より「監督霊」と言った方が正しいと近藤先生は仰っていました。僕も自分の体験からそのように思います。僕の守護霊様は僕が自発的に試練に立ち向かうようにウマく、本当にウマく仕向けました。そして僕は画家の試練Dreamworkと、山での修行というダブルの試練を自分に課す生活に突入し(イヤイヤやらされたのではなく自分の意思でノリノリで始めたのです)急速に向上を果たして一気に霊性発現にまで到達したのです。僕は守護霊様の事を「導きのプロ」と公言していますが、とにかく守護霊様は「やり方がウマすぎた」大大大Dai成功だった、という事です。それで霊団はムカついているが守護霊様は尊敬し永遠の恭順を誓うと言っているのです…続きを読む→

霊団に対する怒り憎しみが僕の心から消える事がなく、その思念が僕の進歩を阻害するという意味です。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は滅亡させるつもりが全然なく存続させる気満々ときてやがる、奴隷の女の子は完全に見殺しにするつもりときてやがる、僕の進歩向上は阻害しようとしてきやがる。一体あんたたちは何がしたくて生きてるんだよ。

さぁ作業なら一生かかっても終わらないほど殺人的にありますので止まらず続行しなければなりません。おーふぁん的な壁と、Amazon的な壁、ふたつのウンザリさせられる高い壁を突破しなければなりません。この人生は一体何なんだ。自動書記はまだ発動しない。霊団仕事しろ(祈)†
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†■2023年12月27日UP■
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†
霊的知識を獲得した人は、宜しくないおこないをして帰幽した先にどれだけの地獄が待ち受けているかを知っているので自動的に悪行にブレーキがかかるのです。シルバーバーチ霊も仰っていますように、邪悪な人間というのは霊的成長における「幼児」であり、霊的知識が全く頭に入っていないワガママのお子ちゃまであり、物的金銭を人より多く所有する事でしか自己表現ができない原初的人間という事になるのです。金銭など帰幽後、1円も霊界に持って行けません。そして霊界生活にお金など必要ありません。必要なものは全て思念で拵える事ができます。物質界生活中にお金をため込んでも自分の未来にとって全く無意味という事を悟れていない人間という事なのです。人間は本来が霊であり、その霊が修行のために一時的にトレーニングセンターである物質界に肉体という鈍重な衣服をまとって降下しているのであり、そのトレーニングセンターでのおこないが帰幽後の生活環境、霊界にて赴く境涯を高くしたり低くしたりするという霊的知識の基本中の基本さえ知らない人間が、その無知から邪悪なおこないをするのです…続きを読む→
「地上とのつながりがすでに無くなっていた」これは僕への最大級の脅し文句です(祈)†■2023年12月20日UP■
「地上とのつながりがすでに無くなっていた」これは僕への最大級の脅し文句です(祈)†
僕の予測ですが(これが正解だと思ってます、最悪の正解ですが)霊界側はもう何もしない、このまま僕を閉じ込め続ける事だけを考えている、交霊会も実は全然やる気がないのではないか、という気さえしています。事実全然やってないじゃないですか。インスピレーションだけを徹底的に降らせて、あとは僕にテキスト撃たせて拡散させる、それが霊界側としてはいちばんカンタン、ラク、消費パワーが少なくて済む、物質圏付近に降下する犠牲的作業をせずに済む、その霊界側にとって犠牲の少ない方法(インスピレーションのテキスト化)で十分に成果を上げているので、それで霊団は「ラクだから大好き大好き♪」とムカつく事を言ってくるのではないか、などと思ったりもするのです。霊界高級霊の方々が犠牲的降下をせずにインスピレーションという霊にとってのごく自然かつ通常の通信方法で仕事をおこなえる僕という「霊の道具」をできるだけ長く物質界に閉じ込めておケツひっぱたいてこき使うつもり、これが霊団側の真相なのではないか…続きを読む→

1917年11月28日 水曜日

貴殿がもし吾々の存在を疑わしく思うような気分になった時は“十字”を切って頂くと宜しい。それだけでも吾々が守ってあげている事を認識されると同時に、貴殿と吾々との間に割って入ろうとするあの手この手の邪魔を排除する事ができます。

身体(からだ)を張って邪魔するのではなく、思念を放射し、それがモヤのように漂って吾々の視界を遮るのです。程度から言うと吾々よりも彼らの方が貴殿の近くまで接近し、吾々の望んでいる好条件を奪ってしまう事があるので、よくよく注意して頂きたい。

– 十字を切るとどういう効果があるのですか。

それが象徴するところの“実在の威力”が発揮されます。よく考えてみると記号というものも実に大きな威力を発揮しているものです。それは記号そのものに能動的な力が潜んでいるからではなく、それが象徴しているところの存在ないしはエネルギーの潜在力のせいです。

– 例えば?

例えば貴殿が今使用しておられる文字も単なる記号にすぎない。が、それによって綴られた文章を親しみと愛をもって読む者は、こうしたものを全く読む事なく人生を終る者と違って、こちらへ来てからの進歩を促進する適応性を蓄える事になる。

1人の王様の名前も、その王を象徴する記号に過ぎないが、その名前を軽々しく口にする者は、その王の署名のもとに布告された命令を無視する者と同様に、秩序ある国家においては軽々しく見逃される事はない。

それによって生ずる混乱と不統一が原因となって国家の運営が著しく阻害されるからです。故に名前というものは崇敬の念をもって扱わねばならない。地上に限りません。天界においても同じ事です。

例えば大天使の名前をぞんざいに呼ばわる者は、携わる仕事が何であれ、その者の立場を危うくしかねない。そういう事になっているのです。そして最後の御名である主の御名は、貴殿らの聖典で規制されているように最高の敬意をもって扱わねばなりません。

さて、もともと“十字架”の記号は吾々が教わり、遠い過去より今日に至るまでに地上の人間に啓示された多くの聖なる記号の中の1つに過ぎない。ところが今日では他のいずれにもまして威力をもつに至っている。ほかでもない、地上の進歩のために注がれる“生けるキリスト”の生命の表象(しるし)だからです。

他の時代には他の – ためらわずに書かれよ – キリストの世があった如く(※)今の世は天界の政庁から派遣された最後の、そして最高のキリストの世という意味において特殊な世なのである。

それ故、十字架を使用する者はキリストの生命を意味する“おん血”によって書かれた親署を使用する事を意味し、たとえキリストの絶対的権威を認めずその愛を理解せぬ者も、キリストの十字架の前には自ずと頭(こうべ)を垂れなければならない。

何となればそれを前にすればその威力を思い知らされ畏(おそ)れおののくからである。(※キリストの名で呼ばれる存在が他にもいたという事にオーエン氏が戸惑いを見せている。イエス・キリストの真相についてはこの後の3つの章で細かく説かれる。 – 訳者)

– では地獄にいる者でもキリストの十字架の威力が分かるという事ですか。

まさにその通りである。ここで少しばかりその問題に触れておきたい。というのも地上には理解力が不足しているために、この記号にあまり崇敬の念を覚えぬ者が多いからです。

私はしばしば薄暗い低級界を訪れる事があるが – 最近は他に用があって訪れていないが – 訪れた時はなるべく十字を切らないようにする。何となれば、心に少なからず苦悶を抱く哀れむべき魂にとっては、十字を切る事がその苦悶の情をいっそう掻き立てる事になるからです。

– 十字を切られた時の反応を実際の例で話して下さい。

ある時私は地上からの他界者の1人で妙な事にいきなり第2界へ連れて来られた人物を探しに派遣された事があった。当然そこは居心地がよくなくて、やがて薄暗い下層界へと引き下ろされていった。なぜこのような事になるのかは今ここで詳しい説明はしない。滅多にない事ではあるが全く有得ない事でもないのである。

指導と案内に当る者の認識不足によって、あちこちで同じような事態が起きている事は事実です。一生懸命になるあまり、善意が先走って判断力と洞察力を追い越す事があるもので、少し複雑で問題の多い人物の処遇に当たって往々にしてそういうケースが生じます。

さて私は陰鬱(いんうつ)な境涯へ降りて身体が環境に適応しきるのを待って、いよいよ捜索を開始した。市(まち)から市へと捜し歩いたあげくに、やっとその人物の気配を感じる門の前まで来た。貴殿には私の述べる事が容易に理解できないであろうけど、構わず筆を進められたい。そのうち理解できる日がきます。

さて、中へ入ってみると、まず目に付いたのは広場一帯を覆う陰気な光で、そこにかなりの数の群集が集まっていた。空気はまるで鍛冶(かじ)屋の如く火照(ほて)り、群集が気勢を上げると明るさを増し、意気消沈すると弱まるという風であった。

その中央に石の台があり、そこに私の探し求めている人物が立っていた。何やら激しい口調で群集に向かって演説を打(ぶ)っている。私は蔭に隠れて聞き入った。彼は“贖(あがな)い”と“贖い主”について語っていた。が、その名が出てこない。暗に言及しているだけである。

そこに注意して頂きたい。2度、3度と名が出掛かるのであるが、どうしても出ない。口元まで出掛かると顔に苦痛の表情が浮かび手をぐっと握りしめ、暫し沈黙し、それからまた話を進めた。誰の名を言わんとしているのかはその場の誰1人として知らぬ者はいなかった。

彼は悔い改めの必要性を長々と説いた。そして自分が宗教心の不足から否応なしに、ほんのわずか垣間見た天国と光明界からこの苦悶と悔恨の境涯へ引きずり下ろされた事を語って聞かせた。

彼はこう語った – 自分はこの界へ降りてくる道すがら、この目を見開いて道を“しかと”確かめてきた。だからどこをどう行けば光明界へ行き着くかをよく知っている。が、その道は長く苦しい登り坂となっており、しかも暗い。

そう述べてから、自分と共に出発する意思のある者を募り、羊の群の如く一団となり手を取り合って進めば、たとえ道中は苦しくとも必ず目的地に辿り着き、ゆっくりと休息できる。ただ道中ではぐれぬよう注意する必要がある。

道なき峡谷を通り、左右の見分けもつかぬ森林地帯を抜けて行かねばならぬ。万一はぐれたら最期(さいご)、道を見失って1人永遠にさ迷い続ける事になる。いずこをさ迷っても常にそこは暗闇であり、また極悪非道の輩(やから)が待ち伏せして通りかかる者に残虐の限りを尽くす危険がある。

だから絶対に自分が掲げる旗から目を離さぬ様に。そうすれば恐れるものは何もない。なぜならその旗には道中に耐えるだけの強大なシンボルとなるものを用意するつもりでいるからだ、と。以上が彼の演説の要旨である。

これに対して群集はまんざらでもない反応を示しているようであった。彼は台から降りて、暫し黙したまま立っていた。すると群衆の1人がこう聞いた – 「どういう旗を考えてるんだ。何の紋章を飾るつもりだ。我々が付いて行くのに分るものでないと困るぞ」と。

するとさっきの男が再び広場の中央の石の上に立って右手を高く上げ、それを下へ向けて直線を描くように下ろそうとするが、下ろせない。何度も繰返すが、そのたびに手がしびれるようであった。

そして結局最後は – 彼を知る私には見るに忍びない光景であったが – 大きな嘆息と苦悶の涙と共に、その手をだらりと力なくぶら下げるのだった。が間もなく彼はきりっと姿勢を正し、顔に決意の表情を浮かべて、もう1度試みた。そして何とか手を垂直に下ろす事ができた。

するとどうであろう、その手の辿った跡に微かに光輝を放つ1本の線が描かれているではないか。そこでまた力を振り絞り、用心深く今度はその垂直の線の真ん中よりやや上あたりに横棒を描こうとして手を上げるのであるが、またもや出来ない。私には彼の心が読めていた。

光明界への旅に彼が掲げ持つ旗の紋章として十字架を飾る事を群集に示そうとしていたのである。あまりの哀れさに私は進み出て、ついに彼の側に立った。そしてまだうっすらとではあるが目に見えている直線をなぞった。ゆっくりとなぞった。

するとさっと光輝が増して広場全体と群集の顔という顔を照らし出した。次に私は横棒を画いた。それも同じように光輝を放った。私はその光輝を避けて見えない所に身を隠した。ところがその直後に狂乱した声と泣き叫ぶ声が聞こえてきたので再び出てみた。

十字架はやや輝きを失っていたが、群集はある者は地面にひれ伏し、ある者はのた打ち回りながら顔を隠し、十字架のイメージを消そうと必死になっていた。嫌っているのではない。そこの群集は既に自分の罪に対して良心の呵責(かしゃく)を覚える段階にまで達した者達であった。

苦痛の原因はその良心の呵責を覚えさせるほどの“進化”そのものであった。悔恨の情が罪悪と忘恩の不徳に対する悲しみへと変化し、その進化そのものが悲しみの情に一層の苦痛を加えていたのである。

くだんの男はそうした群集のようにひれ伏さずに両手で顔を覆(おお)い、両ひじを膝の上に置いて跪(ひざまず)き、他の者達と同じく悔恨の情に身体を2つに折り曲げるようにして悶えていた。私はやっと気がづいた。私のした事は彼らにとって余りに早まった行為だったのである。

慰めになると思ってやってあげた事が実は彼らの古傷に手荒に触れる行為となっていたのである。そこで私は群集を鎮める為にその友人に代ってあの手この手を打った。そして何とか治まった。

私はその時その場で、これ以後は低級界ではよくよくの事がない限り十字架のサインは使用しない決心をした。心に傷を持つ者はそれが痛みを増す結果になる事を知ったからです。

– 今その男の事を“友人”と呼ばれましたが…。

その通り。彼は私のかつての友人だったのです。2人は地上で同じ大学で哲学を教えた事がありました。彼はまっとうな生活を送り、時には奇特な行いもしないでもありませんでした。が残念ながら敬虔(けいけん)な信仰心に欠けていた。もっとも今はもう順調に向上の道を歩み、善行にも励んでいますが…。

先の話に戻りますが、どうにか旗が出来あがった。しかしそれはおよそ旗と呼べる代物ではなかった。2本の木の枝、それも節だらけの曲がったものを十字に組んだものに過ぎない – この界層でもそんな樹木しか見当たらないのです。

それでも彼らには立派な十字架に見えるのだった。横棒がぐらぐらしている。彼らの一途な気持と彼らにとっての深刻な意味合いを考えると、余りにグロテスクすぎるが、彼らにとってそれは自分達を守ってくれる霊力を意味し、又その源であるキリストを意味する。

従ってそれはそれなりに彼らにとって最も“聖なるしるし”であり、喜び勇んで、しかし沈黙と畏敬の念をもって付いて行くべき目標であった。2本の枝の交わる部分を結わえている赤の布切れは血の流れの如くなびいていた。

そして彼らはいよいよその十字架の後に付いて長き旅に出発した。足は痛み、疲れ果てる事もしばしばであろう。が光明が見出せる事を信じて、あくまでも高地へ高地へと進み続ける事であろう。

– どうも。これでおしまいにしたいのですが最後に1つだけお聞きしたい事があります。昨夜の例の聖堂の事ですが、最初にその建立の目的は地上界への援助の為とおっしゃって、後でそれとは全く違った使用目的を話されました。そこのところが納得できません。ご説明願えますか。

吾々の述べた事に何ら誤(あやま)りはありません。ただ吾々が意図したほど明瞭には伝わっていないだけです。昨夜は貴殿は重々しい感じがしていました。今も疲れておられる。吾々の意図していた真意は次の機会に述べるとしよう。では今宵も神の祝福のあらん事を。

■2021年9月8日UP■
「丸10年だよ」僕の人生を完全に破壊した霊団の言葉です。軽々しく言いやがって人の気も知らずに(祈)†
丸10年だよ、皆さまどうかこの言葉を簡単にサラッと流し読まないで頂きたいのですが、これは僕の人生が霊団主導で10年間破壊され続けたという意味で、僕がこの10年に味わわされてきた最低最悪の出来事の数々を霊団が一言でコロッと片付けてきた、という意味になるのです。この僕の10年にわたる積年の恨み、どうやったら皆さまに理解して頂けるでしょう。そして、奮闘を忘れていません、これも「アキトくんの10年間のガンバリは我々は忘れていない、しっかり心に刻み付けているよ」という霊団の言葉なのですが、僕は霊団の事をいつも何と言っていますか「口だけ霊団」ですね。これぞ口だけの上っ面の軽薄発言そのものであり、さも同情的な事を言っておいて実質僕に現状の苦しい状態を続けさせようという霊団のごまかしの言葉となります。ムカムカ×1億 さらに…続きを読む→
霊団が奴隷の女の子たちを救出しない決定を下している理由についての個人的所感(祈)†■2022年4月6日UP■
霊団が奴隷の女の子たちを救出しない決定を下している理由についての個人的所感(祈)†
霊団側はブループリント作成の時点で「この使命遂行を実行するにあたり、ああなるだろう、こうなるだろう」という事があらかじめ分かっているという事です。つまり霊界側は「現在の物質界は、まだ奴隷の女の子たちを救出するに必要な悟りの境地に到達していない、まだその時期は到来していない」という事もあらかじめ分かっていたはずなのです。だったらなぜ僕に奴隷の女の子の存在を怒涛に教えてきたんだよ。助けてあげられると思ったから教えてきたんじゃないのかよ。助けられないという事だったらなぜ教えてきたんだよ…続きを読む→
「無色で味はない、マヒして殺す」これはフグ毒「テトロドトキシン」の事では?(祈)†■2022年5月25日UP■
「無色で味はない、マヒして殺す」これはフグ毒「テトロドトキシン」の事では?(祈)†
そのフグを3千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカ、大量強姦殺人魔、秋篠宮文仁が僕に食べさせて殺す事を画策しているという意味なのですが、そもそも食べられないのにどうやって食べさせるつもりなのか、という事になります。それについても霊団は何度となくインスピレーションを降らせているのです、そしてそれは皆さまにお話できない内容なのです。が、今回は少しだけ書かせて頂きます。こういう事です。奴隷の女の子を使って僕を殺す、となります。霊団から相当に具体的な事を言われていますが、とにかくその説明はできないのです。どうかご了承下さい。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、特に文仁が最も積極的に僕を殺そうとしています。その殺す手段、手法について霊団からかなり深い部分まで情報を得ています。が、お話はできないのです…続きを読む→

パブリックドメインという項目があって、おーふぁん的なモノだけでなくAmazonにも高い壁がある事が分かりました。復刊書籍販売開始状態にもっていくまでにさらにさらにシチメンドクサイ行程を経なければなりません。正直心が挫けています。やっぱりもう復刊じゃなくって自分で本書こうかな、という気にさせられます。イヤ、出したきゃ出せばいいけどそんなんじゃ脱出できないよ。

「インペレーターの霊訓」表紙データ完成中、あとは最終校正をおこなってAmazonにUPし、おーふぁん的なモノを進める事になりますが、もう本当にどうしようかな。これほど猛烈なストレスに晒されなきゃ脱出ひとつできないというのか。なぜ霊団は自動書記を降らせようとしないのか。書籍化する準備が完全に整っているというのに。

まずはあと2枚、絵を完成させてシルバーバーチの霊訓のテキスト見直しに入りますが、心は完全に挫けています。メンドクサすぎる。自分の書籍の原稿撃ちもやった方がイイな万が一に備えて。

あと以前から考えていたモノで「ブログ書籍化」というアイデアがあり、これはテキストが完全に揃ってますのですぐにでも実行できるのですが、作ってみたところでまるっきり脱出につながらない事は明白で、ガンバリ損になる可能性100%ですので実行まではしませんが、最悪やっちゃうかも知れません。もう本当にどうしよう(祈)†

「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→
「何とでも作って頂いて結構です」絶版した霊関連書籍の復刊を許可する思念ですが…(祈)†■2022年8月3日UP■
「何とでも作って頂いて結構です」絶版した霊関連書籍の復刊を許可する思念ですが…(祈)†
霊団は僕が殺されないように防御しているようだが、それはつまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事に全然本気ではないという事になる。奴隷の女の子の存在を「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁と同じ「視点外し」という手段を駆使してまで忘れさせようとしている、つまり女の子たちを完全に見殺しにするつもりでいる。支配霊バーバネル氏は僕という霊媒を使うつもりでいるようだが、僕はもう全く信用しておらず「絶版した霊関連書籍の復刊」の作業に本腰を入れる事となった。復刊が霊的知識普及のベストルートだと信じる。…続きを読む→
「言う事聞かないと危ないよ」霊団は僕を危機から保護しているという事なのですが(祈)†■2022年10月26日UP■
「言う事聞かないと危ないよ」霊団は僕を危機から保護しているという事なのですが(祈)†
守護霊様の導きがウマすぎて霊界側の予定に全く入っていなかった少年が霊性発現に到達してしまった。予定外の霊の道具が物質界に出現して霊界側はアラアラ、どぉしましょう、この道具に何の仕事をさせましょう、となって霊界側で緊急会議まで行われた(僕は幽体離脱にてその会議に出席しています、もっともその内容は全く反芻できませんでしたが)そして「イエス様ハンドリング」と題した霊的使命遂行が開始され「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、奴隷の女の子たちの悲劇の惨状について霊団が果てしなく教えてきて僕は現在の理解に到達する事になる。SNS等で徹底的にヒドイ目に遭わされながらも僕は情報拡散を続け、現時点では「天皇一族が強姦殺人魔」という認識はゴマかし切れないレベルまで日本全土に浸透するに至っている…続きを読む→

復刊用「ベールの彼方の生活」書籍の中に使用されている画像も万が一の肖像権対策という事で絵として描き起こす事とし、その3枚中まず1枚目「オーエン氏」(左)を線画として描きました(右)

あと2枚を大急ぎで描き、それが終わったら再スキャンでバタバタした「シルバーバーチの霊訓 全12巻」のテキスト見直しに入ります。1巻と2巻はWordPressに全文UPしてありますが、とにかく全巻復刊可能状態にもっていくのです。そのためにわざわざ再スキャンまでしたのですから。

本当に復刊に向けた事務作業が不愉快でイヤでイヤでどうしようもありませんが、とにかくやるしかない、その前準備としてAmazonで販売開始状態にまでもっていき、そこからようやく事務作業開始となりますので(作業者は僕ひとりしかいませんので同時進行はできないのです)まずはペーパーバック、電子書籍データを完成にもっていきます。

ペーパーバック用の表紙の作成をおこなっています。これまでテスト印刷に使用していた印刷会社提供のテンプレと、Amazonのテンプレがだいぶ違う。あーもうメンドクサイ、しかし慣れるしかない。

霊団に心底疑問を投げかけたいのは、そこまでして僕をあの最悪のところに閉じ込めた、その先に一体何の使命遂行の前進があるのか、という事です。全く前進要素などないところに閉じ込めようとしてくる、つまり僕を「何もできない人間」にしようとしているという事か。それを僕が文句ひとつ言わず受け入れる訳ネィだろ。僕は「1歩も退く気はない」だ。最後の1秒まで死力を尽くすに決まってるだろ。

僕があきらめながら下を向いてボヤボヤ生きるなどという選択肢に進む訳ネィだろ常識で考えてくれよ。昨日チョト書きました「姑息な手段」ですが、それをやるためにもまず復刊を実現させる必要があるのです。今の状態ではそれができないのです。復刊させて多少結果が出たら、そこからようやく姑息な事ができるようになりますので、一応それを目指していくつもりですが霊団に阻まれる可能性が濃厚です。

その姑息な手段のいちばんイイところは「フラーに戻れる」という事です。僕的にイイだけであって霊団的にはよくも何ともないという事になりますのでたぶんできなくさせられると予測しますが、じゃあどうしろって言うんだよ、どう生きろって言うんだよ。やるしかないんだよ。表紙データを完成させましょう(祈)†

「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†■2023年2月15日UP■
「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†
僕もこれまで果てしなく霊的知識をお勉強し続けてきて、霊言を降らせる事の重大性は十分すぎるほど理解していますから、シルバーバーチ霊の言葉に反対を表明するほど愚かではありませんが、霊界にはウソというモノが存在しません、僕の心の中など霊団およびシルバーバーチ霊には全て丸見え筒抜けですからあえて正直に書かせて頂きますが、ハッキシ言ってもうウンザリなんですよ。霊性発現(2012年6月)から一体どれだけの月日が流れていますか。この10年以上、霊団はひたすら口だけをピーチクパーチク動かし続けてきましたが物的状況には一切変化はありません、さも今動く、今変わる的な事を延々言われてその通りにしてきてハッとうしろを振り返ってみたら最低最悪の場所にただ閉じ込められ続けただけだった。僕が霊団に対して抱いている怒り憎しみの念はもはやただ事ではないレベルになっているのです、長年の蓄積があるからです…続きを読む→
「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†■2023年2月22日UP■
「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†
「サークルメンバー問題」についてお話しますが、交霊会は霊媒ひとりではおこなえません。上記に説明したように低級霊のジャマが入りますのでそのジャマを排除せねばなりません。そこで必要になるのが「サークルメンバーつまり霊的仕事をおこなうためのある一定レベルの資格を有した数名の人間から抽出したエクトプラズム」なのです。サークルメンバーからエクトプラズムを抽出し、そこに霊界から持参した成分をミックスさせて、低級霊を締め出す「防御壁」のようなモノを拵えるのだそうです。その防御壁がなければ霊媒は低級霊のオモチャにされてしまうのですが、霊団が言うには僕という霊媒の交霊会ではその防御壁がしっかりしているので「邪悪が入る余地はない」のだそうです…続きを読む→

1917年11月27日 火曜日

話題はこちらで用意してあり、いつでも述べられる態勢にあります。再び貴殿の精神をお貸し頂きたい(※)。こちらで進行中の仕事を吾々が監督する要領を知って頂くためについ最近吾々の界で起きた出来事をぜひ貴殿に語って聞かせたいと思うのです

(※前にも延べた事ではあるが、霊界の者から見ると人間の精神は人間自身が想像している様な無形の観念ではなく具体的な実質があり触れると実感がある。 – 訳者)

それは他でもない、寺院風の建物の建造です。その建造の目的は強いて言えば天界のエネルギーが地上へ届き易いようにそこで調整するためである。今ゆっくりと最後の仕上げをしており完成も間近い。これよりまずその建物に使用する資材を説明し、続いてその用途を述べるとしよう。

資材には様々な色彩と密度とがある。さりとて地上のごとくレンガや石等を積み重ねるのではない。全体として1つなのである。吾々は設計図が出来上がった所で、こぞって予定された敷地へ向かった。その敷地は第5界の低地と高地の中間に位置する台地にある。

なお吾々の通信における界層の数え方はザブディエル殿に倣(なら)っている事を承知されたい。数え方は霊団によって様々ですが、貴殿にとっては既に親しんでいるものが良かろうという事でそうする事にしました。また、それが他の数え方と較べてなかなかうまく出来ています。

他のものはあまりに複雑すぎたり、反対にあまりに大ざっぱすぎたりします。その点ザブディエル殿の数え方は言わば中庸を得ているので、ここではそれに倣(なら)う事にします。

さて敷地に到着すると吾々は、まず全員の創造エネルギーを一丸とするための精神統一を行なったのち、そのエネルギーを基礎工事へ向けた。すると、そのエネルギーが敷地からゆっくりと湧き出てきて、そのまま高く伸びて頂上にドーム形の屋根をこしらえた。

そこへ大天使が姿を現し、吾々のエネルギーを1つにまとめて一旦ご自分の霊力の中に収められ、それを少しずつ放射しつつ、穏かに吾々の仕事に細かい手を加えられた。その間、吾々は念波の放射を手控えて見守っていた。

何ゆえ大天使までお出ましになるのか – 貴殿にはそれが不思議に思われるであろう。理由(わけ)を述べよう。1つの霊団として我々もそれ相当の修養を積み、協調的仕事にも長い間携わってきた。

しかし脆弱(ぜいじゃく)な第1段階の基礎工事の仕上げに当っては、吾々よりはるかに強烈な霊力をお持ちの大天使によって、吾々の放射したエネルギーを調節して頂く必要がある。それを怠ると形体にキズが残ったり、思わぬ不備から構造が崩れせっかくの努力が烏有(うゆう)に帰する事も有り得る。

その他にも理由はあるが、それは吾々の言語を理解してもらえない以上は説明困難です。もっとも、次のように考えて頂けば、手段はともかくとして理由だけはたぶん分って頂けるであろう。

つまり原理的に言えば誕生時の“へその緒”の切断、死亡時の“たまの緒”の切断、もしくは堰(せき)の水門の急激な閉鎖、大体そういったものに類似したものを想像していただけばよい。そうすれば地上の言語で表現できないものを、おぼろげにでも理解して頂けるでしょう。

こうして第1期工事はまず外形の完成に集中する。あくまでも外形であって、そのまま手を引けば見る間に消滅してしまう。一服したのち吾々は引き続き第2期の基礎工事に着手した。第2期は柱、門、大小の塔を強固にする事である。

最下部から始めて徐々に上方へ向けて手を加えて行き、最後にドームにまで達する。これを幾回となく繰り返した。まだ外形のみでである。が、外形としては一応完成した。残るは色彩を鮮明にする事と、細かい装飾、そしてそれが終ると最後に全体を引き締めて、幾世紀にも亘る持続性を与える事である。

吾々はしばし工事に携わっては休み、その間にエネルギーを補充し、再び工事に着手するといった過程を幾度となく繰り返し、その寺院風の建物に全身全霊を打ち込んだ。美の創造に携わる事ほど楽しく且つ有難いものはない。

吾々の建造せるその建物は大きさといい、デザインといい並外れて雄大なものであり、同時に又、その雄姿が自分達の力で着々と美しさを増していったのであるから尚の事であった。

こちらの世界における建築が全てこれと同じ方法で行なわれるとは限らない。が、いかなる方法にせよ、出来上がったものは建築家による建造物というよりは“我が子”のような存在となる。全てが建造者のエネルギーと創造力によって造られたものだからです。

そうして出来上がった建物が、のちにその建物において仕事をする者の理想に叶(かな)っている事も論を俟(ま)たない。何となれば、その建物には既に生命がこもっている。意識的生命ではないが一種の“感性”を宿しているからです。

こう言えばよかろうか。つまりこちらの世界の建物とその創造者との関係は、言うなれば肉体とそれに宿る霊との関係のようなものである。肉体と霊とは覚醒(かくせい)時は言うに及ばず、睡眠中でも常に連絡を保持している。

それと同じく、吾々建造者はたとえ完成後に各地へ分散しても、常にその建物を“意念の焦点”として互いに連絡を取り合っているのです。その生き生きとした実感と満足感は実際にこちらへ来て創造の仕事に携わってみなければ判らないであろう。もっとも、こちらへ来た者の全てが創造の仕事に携わるとは限らないが…。

さて建物としての一応の形が整い、さらにそれを強固にし終ると、あとに残された仕事は内部装飾の仕上げである。すなわち各室、ホール、聖堂等々にそれなりの装飾を施し、柱廊は柱廊らしく仕上げ、噴水には実際に水を通してその流れ具合を確かめる。

それをするのに吾々はまず外部に立って念波を送り、それから内部に入って仕上がり具合を点検する。手先はあまり使用しない。主役をつとめるのは頭と心である。

そこまで終了すると、以後は吾々が実際にその建物で生活して、地上の言い方をすれば毎日のように部屋から部屋へ、ホールからホールへと足を運び、設計図に照らして少しずつ手直しをする。そして最後に全体を美しく飾って終りとする。

こうして吾々による仕事が完了した暁に、恐れ多くも大天使が再度はるか高遠の世界から降りてこられ、細かく点検して回られた。そしてもし不備の点があれば大天使みずから手を加えられた。が、時として吾々の勉強の為を思われて吾々に直々にお言いつけになる事もある。

かくして落成の日が訪れると、その大天使がもう1人の大天使を伴って再びお出でになられた。霊格がさらに上の方である。その権威はイスラエルで言えばアロン(※)とその弟子達のそれにも相当しよう。

ギリシャなら神官、キリスト教ならば主席司祭にも相当しよう。その時の目的は建物の“聖化”とでも呼ぶべきものである。(※ユダヤの最初の大祭司。モーセの兄 – 訳者)

– 献堂式(※)でしょうか。(※新築の教会堂を神に奉納する儀式 – 訳者)

それで良かろう。地球を含む低級界とを結ぶ保護のための拠点となり、同時に又、それ以後そこに住む人々が神の恩寵と霊力に与る中継の場となるのである。地上の寺院は天界の寺院のお粗末な模倣にすぎない。が、その目的と機能は本質的には同一である。

イスラエルにおいては雲が地上界とエホバ神との中継をすると考えられた。古代エジプトにも同じ考えがあった。ギリシャの都市国家においては寺院の霊的活力が衰えていたが、まだ少しは残っていた。イスラエルにおいては天界からの援助と高揚という特殊な側面には全く関心を示さないようである。

私はイスラムの霊界を訪ねてみた事があるが、そこには顕幽(けんゆう)の交わりが根本的に違った形で行われている事を知った。キリスト教の(霊界の)教会堂にも同じくその観念はあるが、程度の差が著しい。

キリストを祀(まつ)る幾つかの教会堂においてはキリストとその側近の大天使の顕現がもう少しで見られる段階に至っている。実際に見られるようになるのも遠い先の話ではなさそうに私には思える。

そういう次第で、地上の寺院も基本理念においては同じものをもっており、遠い過去が引き継がれているのであるが、それがこちらの世界では目に見えて霊験あらたかとなり、見た目に美しくもあり、天界の高地へ向けて1界また1界と上昇していく者への祝福に満ち満ちているのである。

– 今回お建てになった寺院には特別な使用目的があるのでしょうか。

あれは第5界の各地、時にはそれより下の界から訪れる者が身を浸(ひた)すエネルギーの貯蔵所としての機能を開始しかけている所です。訪れた者は色彩の持つ霊妙な波動に浸り、堂内を流れる生命を秘めた小川と噴水に身を洗われ、すみずみまで漲(みなぎ)る霊妙な旋律に包まれて、欠乏した生命力を補い、鈍化した知力を啓発される。

そこに注目されたい。単なる保養所ではありません。もっと“質の高い”機能を有している。それから先の魂の向上の旅に備えて体力をつけ、入手する知識を即座に、そして効率よく理解する知性を身につける場でもある事は確かであるが、同時に、その聖堂を焦点として愛と生命力を注ぎ、彼ら巡礼者の向上を待ち受ける高級神霊との霊的交わりを得る所でもあるのです。

– 向上する者は必ずそこを通過しなければならないのでしょうか。

そうと決まっている訳ではありませんが、第5界の者は大半がそこを通過します。この界は永く滞在する者がわりに、いや随分多い所です。各自の特性を点検し調整して円満さを身につけなければならない大切な界だからです。(第2巻8章参照)

その意味では卒業しにくい界であり、滞在が永びいている者が多く見出される理由はそこにある。聖堂の建立もそのためであった。その必要性が生じたのである。出来あがってまだ日も浅く、これからいろいろと機能を発揮していくことであろう。また経験を積むにつれて細かい手直しも施される事であろう。

が、その聖堂まで来て中を覗いてみて学ぶべきものが特に見当たらず、自己の中に改めるべきものも見当たらないほどの“ゆとり”をもってこの界を卒業していく者もいる。そうした優等生的霊魂はさっさと上の界へと進み、その道すがら祝福を垂れ、通過する道が一段と輝きを増すほどである。

近くの者はそれを有難がり、その姿を見て勇気を鼓舞される。地上ではこうした事は見かけぬであろう。が第5界まで向上した者は品性卑しからず、己より美しく且つ高き霊力を具えた者を見る事が己れ自身の美徳を高め、かくして“全て神の子”の真実味をいやが上にも確認する事になるのである。

「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†■2022年9月28日UP■
「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†
奴隷の女の子たちを助けてあげてしまったら、その人間の「罪障消滅」を遅らせる事になり、永遠の視点で考えた時、必ずしもその人間を助けてあげる事にはならないのだ。これは霊的知識としては理解しても、どうにもこうにも釈然としません。奴隷の女の子の存在を知らされずにいたのであれば「知らなかったのだから助けてあげられるはずもなかった」と言い訳もできますが、僕は霊団に奴隷の女の子の存在を徹底的に教えられてここまで使命遂行してきたのです。知らずに犯す罪より知っていて犯す罪の方が何倍も重い、と霊的知識にあります。奴隷の女の子たちが今こうしている間も「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に四肢切断、強姦殺人され続けている事を知っていながら、助けようともせずその悪行を黙って見ているという霊団の考えには、何をどう頭をひっくり返しても賛同する訳にはいきません…続きを読む→
■アナログ絵345「フラー01ver3.0カラーリング」UP。イエス様搭乗機です(祈)†■2022年10月12日UP■
■アナログ絵345「フラー01ver3.0カラーリング」UP。イエス様搭乗機です(祈)†
Dreamwork、画家時代を彷彿とさせる壮絶な描画負荷を経てようやくフラー01ver3.0、イエス様搭乗機を完成までもってくる事ができました。この機体は本当に長い道のりでした。イエス様搭乗機のひとつ前の機体、フラー01ver2.0がだいぶ古い機体でしたのでどうしてもバージョンアップの必要性がありました。キャラのレオ(ライオンちゃん)の変形ギミックをどうしても完成させられなくて何度もボツを繰り返しては立ち上がり、フラー本体のカラーリングではパーツひとつひとつに個別にグラデーションをかけねばなりませんでしたので大変な時間がかかってしまいました。何度も心が折れながらの作業となりました。やっとの思いで塗り終えてみて、全体を眺めてみて、まぁまぁ納得のいく機体に仕上がったのではないでしょうか。色を塗るのはもうご勘弁といった感じですがストーリーは白黒原稿ですので、ぜひストーリー上にはこの機体を登場させたいものです…続きを読む→
「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†■2022年10月12日UP■
「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†
霊格がある一定以上まで高まると物質圏付近に降下する事さえできなくなるそうで、影響力を行使しようにもできなくなる、それで霊力に感応する僕のような人間に対して働きかけて間接的に仕事を前進させようとする訳です。霊界高級霊の方々は自分で最低界に降下して仕事をする事は基本的にできない(ごくまれに使命に燃えて肉体をまとって降下する神霊も存在するそうです、イエス様がその代表ですね)ですので霊力に感応する物質界の人間に仕事をやってもらう事になる訳ですが、僕の霊団に対する反逆ぶりを見ればお分かりのように、ああでもないこうでもないと文句ばかり言って高級霊の言う通りには動いてくれないものです。それで霊界側で作成した使命遂行ブループリントの全てを達成できず霊媒は帰幽し、残りの仕事は次の霊媒を見出してその人物にやらせるという事になるのですが、その霊媒が物質界に全くいないのです…続きを読む→