【4/12】霊界通信 ベールの彼方の生活 3巻 「天界の政庁」篇 1章 天使による地上の経綸 1 霊界の霊媒カスリーン

1917年9月8日 土曜日

私(*)は今あなたの精神を通して述べております。感応したままを綴っていただき、評価はその内容をみて下してください。そのうち私の思念をあなたの思念と接触させることなく直接書きとめることが出来るようになるでしょう。

そこでまず述べておきたいのは、こうした方法による通信を手がける人間は多くいても、最後まで続ける人が少ないことです。それは人間の思念と私たちの思念とが正面衝突して、結果的には支離滅裂なことを述べていることになりがちだからです。

ところで私が以前にもあなたの手を使って書いたことがある – それもたびたび – と聞かされたら、あなたはどう思われますか。実は数年前この自動書記であなたのご母堂とその霊団が通信を送ってきた時に、実際に綴ったのはこの私なのです。

あれは、あのあとの他の霊団による通信のための準備でもありました。今夜から再び始めましょう。あっけない幕開きですが…。今夜から再び始めましょう。書いていけば互いに要領が良くなるでしょう。

(*ここで“私”と言っているのはカスリーンである。第1巻並びに第2巻の通信も実はこのカスリーンが“霊界の霊媒”として筆記していたのであるが、未発表のものは別として少なくとも公表された通信の中では、カスリーンの個性が顔をのぞかせたことは1度もなかった。

それが、本書ではこうして冒頭から出て来てみずからその経緯を述べ、このあと署名(サイン)までしている。しかし回を追うごとに背後の通信霊による支配が強くなっていき、8日付の通信では途中でオーエン氏が“どうも内容が女性のお考えになることにしては不似合のように感じながら綴っているのですが、やはりカスリーンですか”と、確かめるほどになる。そして第2章になるとリーダーと名告(なの)る男性の霊が前面に出て来る。 – 訳者)

「神を愛する者には全てのこと相働きて益となる」(ロマ8・28) – この言葉の真実性に気づかれたことがありますか。真実なのですが、その真意を理解する人は稀れです。人間の視野がきわめて限られているからです。

“全(すべ)てのこと”とは地上のことだけを言っているのではなく、こちらの霊の世界のことも含まれております。しかもその“全てのこと"”行き着く先は私どもにも見届けることが出来ません。それは高き神庁まで送り届けられ、最後は“神の玉座”に集められます。

が、働きそのものは小規模ではありますが明確に確かめることができます。右の言葉は天使が天界と地上界の双方において任務に勤(いそ)しんでいることを指しているのであり、往々にして高き神庁の高級霊が最高神の命のもとに行う経綸が人間の考える公正と慈悲と善性の観念と衝突するように思えても、頂上に近い位置にある高級霊の視野は、神の御光のもとにあくまでも公正にして静穏であり、私たちが小規模ながら自覚しているように、その“神の配剤の妙”に深く通じているのです。

今日、人間はその神の使徒に背を向けております。その原因はもしも神が存在するならこんなことになる筈はないと思う方向へ進んでいるかに思えるからです。しかし深き谷底にいては、濃く深く垂れこめる霧のために、いずこを見ても何1つ判然とは見えません。あなたたちの地上界へは霊的太陽の光がほとんど射し込まないのです。

このたびの(第1次)大戦も長い目で見ればいわば眠れる巨人が悪夢にうなされて吐き出す喘(あえ)ぎていどのものに過ぎません。安眠を貪(むさぼ)る脳に見えざる光が射し込み、音なき旋律がひびき、底深き谷、言わば“判決の谷”(ヨエル書)にいて苛立(いらだ)ちの喘ぎをもらすのです。

これからゆっくりと目を覚まし、霧が少しずつ晴れ、(眠っている間に行われた)殺戮(さつりく)の終った朝、狂気の夜を思い起こしては驚愕(きょうがく)することでしょうが、それに劣らず、山頂より降りそそぐ温かき光に包まれたこの世の美しさにも驚き、ついに万事が愛によって経綸されていること、神はやはり“吾らが父”であり、たとえそのお顔は沸き立つ霧と冷たき風と谷底の胸塞ぐ死臭に遮(さえぎ)られてはいても、その名はやはり“愛”であることを知ることでしょう。

それは正にこの世の“死”をおおい隠す帳(とばり)であり、その死の中から生命が蘇(よみがえ)るのです。その生命はただただ“美しい”の一語に尽きます。なぜならば、その生命の根源であり泉であるのが、ほかならぬ、“美”の極地である主イエス・キリストその人だからです。

ですから、神の働きは必ずしも人間が勝手に想像するとおりではないこと、その意図は取り囲む山々によって遮(さえぎ)られるものではなく、光明と喜悦の境涯より届けられることを知らねばなりません。

私たちの進むべき道もそこにあるのです。では今夜はこれまでにします。
これも道を誤った多くの魂の暗き足もとを照らすささやかな一条(ひとすじ)の光です。願わくば神が眠れる巨人をその御手にお預りくださり、その心に幼な子の心を吹き込まれんことを。

主の御国は幼な子の心のごときものだからです。そして、その安眠を貪(むさぼ)り、何も見えず何も聞こえぬまま苛立つ巨人こそ、曽(かつ)て主が救いに降りられた人類そのものなのです。

カスリーン

霊団はもう何もやる気がないそうですが、僕はうしろに戻るつもりはない前進あるのみ(祈)†■2023年7月19日UP■
霊団はもう何もやる気がないそうですが、僕はうしろに戻るつもりはない前進あるのみ(祈)†
物質界に邪悪がはびこる、その根本原因は「霊的知識の無知」にあります。人間に死はなく、肉体の死後も霊的表現媒体(幽体、霊体等)をまとって霊界で永遠に生き続けるという霊的真理を知らず、物質界での人生のみが人間の人生だと考える事が全ての邪悪の出発点なのです。物質界で大量強姦殺人の人生を送ると帰幽後に霊界でどれほどの地獄をやらされるか、その「霊界と物質界の因果関係」もっと言うと【神の因果律】を全く理解していないから平然と犯罪をおこなう事ができるのです。神の因果律から逃れる方法はこの全宇宙に存在しません。なぜなら「宇宙は神の身体」だからです。僕たちは現時点で神の中に存在しているのですから、神の法則の効果範囲外に出るなどという事は有り得ないのです。自分のおこないが自分の帰幽後の人生にどれほど致命的欠陥、悲劇をもたらすかを知っていれば、おのずと自分のおこないに責任感が生じ、愚かな言動にブレーキがかかるはずなのです。邪悪なおこないをしている人間たちというのは「何も知らない人間」という事なのです。だから霊的知識の普及が急務なのです…続きを読む→
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†■2023年6月28日UP■
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に落ちるのは自己責任、アキトくんには何の責任もないし、キミが物質界生活中にこの者たちを滅ぼさなくても自動的に肉体が朽ちて帰幽して地獄に落ちるのだからどちらでも結果は同じである。奴隷の女の子たちに関しても自ら犯した過去の大罪の罪障消滅を目的として物質界に降下した人間なのだから、苦難の人生をやらされるのが当たり前(自己責任)それを助けてあげたら本人のためにならない、アキトくんの気持ちは分からないでもないが帰幽して我々(イエス様)と同じ視点から眺められるようになれば納得できるであろう。つまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を物質界生活中に滅ぼせなくてもそれは別にアキトくんの努力不足ではなく、奴隷の女の子を助けてあげられない事もキミのせいじゃない。我々(イエス様)は絶対的有利なポジションに立っているので、その人間たちをアキトくんの霊的進歩向上に大いに活用させてもらった…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†