【4/8】霊界通信 ベールの彼方の生活 2巻 「天界の高地」篇 訳者あとがき
第1巻はオーエン氏の実の母親からの通信が大半を占めた。その親子関係が醸(かも)し出す雰囲気には情緒性があり、どこか“ほのぼの”としたものを感じさせたが、この第2巻は一転して威厳に満ちた重厚さを漂わせている。文章も古い文語体で書かれ、用語も今日で“古語”または“廃語”となっているものが数多く見受けられる。
が、同時に読者はその重厚な雰囲気の中にもどこかオーエン氏に対する温かい情愛のようなものが漂っていることに気づかれたであろう。最後のメッセージにそれがとくに顕著に出ている。もしそれが読み取っていただけたら、私の文章上の工夫が一応成功したことになって有難いのであるが…
実は私は当初より本書を如何なる文体に訳すかで苦心した。原典の古い文体をそのまま日本の古文に置きかえれば現代人にはほとんど読めなくなる。それでは訳者の自己満足だけで終わってしまう。
そこで、語っているのがオーエン氏の守護霊である点に主眼点を置き、厳しさの中にも情愛をこめた味を出すことを試みた。それがどこまで成功したかは別問題であるが…
さて、その“厳しさの中の情愛”は守護霊と人間との関係から出る絶対的なもので、第1巻が肉体的ないし血族的親子関係であれば、これは霊的ないし類魂的親子関係であり、前者がいずれは消滅していく運命にあるのに対し、後者は永遠不滅であり、むしろ死後においてますます深まっていくものである。
ついでに一言述べておきたいことがある。守護霊という用語は英語でもGuardian(ガーディアン)と言い、ともに“守る”という意味が込められている。そのためか、世間では守護霊とは“何かにつけて守ってくれる霊”という印象を抱き、不幸や苦労まで取り除いてくれることを期待する風潮があるが、これは過りである。
守護霊の仕事はあくまでも本人に使命を完(まっと)うさせ宿命を成就させるよう導くことであり、時には敢えて苦しみを背負わせ悲劇に巻き込ませることまでする。
そうした時、守護霊は袖手(しゅうしゅ)傍観しているのではなく、ともに苦しみともに悲しみつつ、しかも宿命の成就のために霊的に精神的に援護してやらねばならない。そうした厳粛な責務をもたされているのであり、その成果如何によって守護霊としての評価が下されるのである。
そのことは本文の“7つの教会”の話からも窺われるし、シルバーバーチの霊訓が“苦難の哲学”を説くのもそこに根拠がある。
守護霊にはその守護霊がおり、その守護霊にもまた守護霊がいて、その関係は連綿として最後には守護神に辿り着く。それが類魂の中の一系列を構成し、そうした系列の集合体が類魂集団を構成する。言ってみれば太陽系が集まって星雲を構成するのと同一である。
その無数の類魂の中でも1ばん鈍重な形体の中での生活を余儀なくさせられているのが吾々人間であるが、それは決して哀れに思うべきことではない。苦難と悲哀に満ちたこの世での体験はそれだけ類魂全体にとって掛けがえのないものであり、それだけ貴重なのであり、それ故人間は堂々と誇りをもって生きるべきである、というのが私の人生観である。
ただし1つだけ注意しなければならないのは、この世には目には見えざる迷路があり、その至るところに見えざる誘惑者がたむろしていることである。大まじめに立派なことをしているつもりでいて、その実とんでもない邪霊に弄(もてあそ)ばれていることが如何に多いことか。
では、そうならないためにはどうすべきか。それは私ごとき俗物の説くべきことではなかろう。読者みずから本書から読み取っていただきたい。それが本書の価値の全てとは言えないにしても、それを読み取らなければ本書の価値は失われるのではなかろうか。
(1985年)
「回心」僕の心の中の反逆の思念がだいぶ消されています、完全に操作されています(祈)†
今度こそ、今度こそ、その場所から脱出してやると固く固く固く固く固く決意して、山のアタック帰還後にそのアクションを起こそうと準備万端整えて待機状態にしていたのです。それが一体何がどうなっているのか、あれほど強く決断したはずなのに、僕の心の中から反逆の思念がどんどん消えていくのです、おかしなおだやかさが広がっていくとでも言えばいいのでしょうか。僕は全然そんな風(おだやか)になるつもりはないのに、何が何でも反逆を実行し完結させるつもりでいるのに、全然反逆する気持ちが湧いてこなくなっていったのです。こんな事は有り得ない、それで「あ!また“パウロの波長”をやられたのか」と、後になって気づいたのでした。完全に心を書き換えられた、その威力のすさまじさに改めて驚愕した、という事がありました。つい2、3日前の事です…続きを読む→
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†
認めたくありませんが、まぁ脱出は結局実現しないでしょう。最後の最後まで閉じ込められる事になるでしょう。しかしそう思ってあきらめながら暮らすのは僕的には絶対に有り得ないのです。僕はいつでも全力です。自分にできる事を全力でやるのです。とにかく当分は絵を描き続けます。死んだ魚の眼をしながら無目的でただ物質界に残り続けるなんて死んでもガマンできない。何かに燃えなければ生きられない。霊団が使命遂行やる気なしの態度をこれほどハッキリ撃ち出しているんだから僕は僕本来の燃えるモノを追いかける以外にないだろう。いつかは反逆から手を引かざるを得なくさせられるだろうと容易に予測できますが、その「下を向きながら生きる」姿勢が許せないんだよ。最後の1秒まで全力でやるべき事をやれよ。人の人生これだけブチ壊してるんだから責任を果たせよ…続きを読む→
「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†
普段上層界で生活している高級霊の方々は波長が低すぎる物質圏付近には降下する事さえできず、降下したとしてもごく短時間しか滞在できないそうです。つまり高級霊であればあるほど最低界の物質界と縁が切れているという事です。で、そこまで上層界では無い境涯で生活している霊は物質圏付近に仕事で降下する事がありますが(僕は間違いなく降下の仕事をやらされるものと思われますが)インペレーター霊が書籍の中でお話しておられますように、物質圏付近に降下すると、地上生活時代の記憶がよみがえり、それが進歩の逆、退歩につながってその霊にとってマズい事になるという事があるそうです。たとえば霊体生活者はもう肉体がありませんが、物質圏に降下すると昔の肉体的煩悩がよみがえってきてそれが退歩につながるのだそうです。もうひとつ、物質界生活時に間違った霊的知識、宗教観等を学んでしまって、帰幽後にその自分の間違いを指導霊に修正してもらって向上を果たした人物が物質圏付近に降下すると、その過去の誤った概念がよみがえってきて霊界で学んだ内容が帳消しになってしまい、それがまた退歩につながるのだそうです…続きを読む→
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