肖像権対策の絵、2枚完成中、あと2枚描きますがひとつやり忘れていた作業発見(祈)†

インペレーターの霊訓_画像手描き近藤先生small

肖像権対策2枚目、近藤千雄先生(左)は没年10年ほどしか経過していませんのでもちろん画像の使用には許諾が必要ですが、その回避策としてこのように絵を描いてみました。(右)

肖像権対策3枚目、「霊訓」の霊媒、W・モーゼス氏(左)は没後70年を経過していますので画像を使用できると思うのですが「著作権」は切れていても「肖像権」というモノがあるそうで、万が一という事もありますのでこのように絵に描いてみました。(右)

「インペレーターの霊訓」の復刊用書籍を完全版にするためにあと2枚絵を描かねばなりません。そこまで終わったらAmazonの校正刷り、もしくは(Amazonが高かったら)これまで使用してきた日本最安と思われる印刷会社にてもう1度テスト印刷をおこないます。

というのも、先日出した2通の手紙の封書の方が、そろそろ未開封で送り返されてくるはずなのですが来ないんです。という事は今回送付した住所が有効、近藤先生のご家族の方に手紙をお読み頂けた、という可能性が出てきます。

そうなればこの細い1本の糸を最大活用せねばなりません。ご家族の方(著作隣接権者)に何とか復刊の了承を頂くために2通目の手紙を出します。その時にテスト書籍を同梱して「もうこのように復刊の準備が整っています」という感じに見てもらおうと考えているのです。

もしこの細い1本の糸が功を奏せばおーふぁん的なモノをやらずに済みます。それは僕的に大助かりとなりますので、もし封書が未開封で送り返されてこないなら、そこから全力の「お手紙作戦」を開始せねばなりません。

WordPress霊関連書籍ヘッダー霊は実在する、しかし

で、もう明日の山のアタック準備ですので今日の作業はココまでですが、ひとつ「霊は実在する、しかし」のテキスト見直しが終わっていたのにWordPressにUPし忘れていましたので、急きょタグの追加をおこなっているところです。

長文ブログUP後に何とかそちらもUPさせたいですが絵を描く方が先かな。長文ブログネタとなるインスピレーションはかろうじて降っているといった感じ。書きたい事なら殺人的にありますが時間が足りない。封書が送り返されてこない事を祈りつつ、まずはココまで(祈)†

「新しい霊媒と手を組みたくない」だから強姦殺人魔の滅亡はどこ行ったんだよ(祈)†■2023年4月5日UP■
「新しい霊媒と手を組みたくない」だから強姦殺人魔の滅亡はどこ行ったんだよ(祈)†
高級霊であればあるほど「形態を超越」しており、インペレーター霊の言葉を拝借すれば「放射性影響力(神の光輝を全身から放散している状態)」のような感じなのだそうです。つまり現在のイエス様は物的手段で絵に描けるような容姿ではない、まるっきり次元が違うので表現などできる訳がないという事です。そして僕はイエス様搭乗機「フラー01」をゴールドのカラーリングにしていますが、コレも霊的に見ると間違いで、高級霊であればあるほどその霊体から発する光輝は白色をしているそうです。つまり僕がアナログ絵にて描いているイエス様は実際のイエス様のお姿とは程遠いモノであり、イエス様があのような人間的形態をまとうのは下層界の人間に顕現する必要性が生じた時に一時的にあのような姿をまとう事があるのみで、通常時のイエス様のお姿は僕たちの物的脳髄ではイメージ不可能という事です…続きを読む→
「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†■2023年6月14日UP■
「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†
現在の苦難を耐え抜かなければその罪障消滅が達成されず、キミはまた物質界に再降下しなければならなくなるんだよ。我々はキミのためを思ってキミをその苦しみの中に閉じ込めているんだよ。罪障消滅が達成されなかったらキミがまた苦しい思いをする事になるんだよ。これで終わりにするためにその苦しみに耐えるんだ。という意味で霊団が僕を脅し続けているのかも知れません。イヤ、僕のこれまでの人生をよくよく振り返ってみた時に、僕はそういう理由で物質界に降下した人間じゃないと思う。幼少の頃から絵を描き続け、マンガ家も経験し、Dreamworkに突入して死ぬまで絵を描き続ける事を固く固く決断していた。僕はそういう罪障消滅目的の人間ではないと思う、そうだったら絵の才能を賦与されていないと思う。僕に関してはそれはちょっと違うと思う。現在の僕の状況は霊性発現によって「後説」で賜ってしまった追加試練だと思う。守護霊様の管轄内で生活していた時はこんな状況には全くならなかった。「100の光の霊団」の管轄に切り替わってから僕の人生が一気におかしくなった…続きを読む→
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†